Morning Starter   作:灰の熊猫

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QNK(急にネタが来たので書きました)。


Bathing Starter

「ぬはぁぁー……」

「こんなトコでぷかぷか浮かぶのはやめなさい」

 

 白い湯気と硫黄混じりの匂いを立ち昇らせている中心、自然を模して積み上げられた石で囲み留められた広い水溜めの中で、真魚を蓮が諌める。

 湯の熱を全身で受けて身を休める場所――露天風呂の内には、中央で大の字になって浮かぶ真魚と、その奥の源泉が流れ落ちる縁側で、頭のタオルの内に長い髪をまとめて肩まで浸かっている蓮の姿があった。

 

「ん。いやだって、貸し切りだよ?この場の人類(ひゅーまん)はわたしたちだけだよ?もう身をゆだねてうかぶしかないじゃん」

「どこらへんが”もう”なのかサッパリわからないわ」

 

 体を隠すタオルも温泉の外へと放り出し、あられもない姿の前面だけを夜空と和様の東屋に向けていた真魚が、蓮の注意を受けて姿勢を戻し、湯に全身を沈める。

 成人用に造られた深さに身を委ねた為に、口元までが浸かった真魚は自身の言い分を述べた後、水面にぶくぶくと不満の気泡を立てていく。しかし全く事情と行動が結びついていない言い分は、その行き先である蓮を全く説得させなかった。

 

「はぁー、ごくらくごくらく。いーぃゆーだーなー、どばばー」

「なんか変な擬音にすり替えられてるんだけど」

「アレがテンットかーらーポロリとのざーらしー」

「最悪の展開やめなさい」

 

 一転して湯の中央で肩までを浸け――真魚の背では底まで腰が届かない為、膝立ちとなって――、落ち着いて身体を休めたかと思いきや、看過を許さぬ歌が蓮の耳へと届く。

 芯まで熱して疲労を解く温もりの中、真魚への対応によって蓮は一切落ち着きを許されない。休む為に温泉へ来たのに、心はいつも通りに慌ただしいままだ。

 もう反応するのやめようかしら。真魚に対する対応の変更を考え始めた所で、屋内から露天風呂へと通じるガラスの扉がからからと横に開く音がその場に響いた。

 

「……温泉くらい静かに入りなさい、蓮」

「え?この流れで怒られるの私?おかしくない奥様?」

「弥武組で来てるとはいえ、(ここ)はプライベートよ。”奥様”はいいわ」

「おかしくない蜜柑さん?明らかにそこの無軌道ガールを諌めるべきじゃない?」

 

 蓮と真魚しかいない露天風呂へ、片手で持ったタオルを垂らして胸から股下までを隠した蜜柑が姿を見せる。

 その指摘は不服極まりないという顔で蓮は言葉を返した。さっきまで風呂の閑静を一方的に乱していたのも、蓮の言葉(ツッコミ)を引き出していたのも真魚だ。何故自分だけなのか、いやなんで自分が言われなきゃならないのか。

 

「真魚ちゃんなんてどこにもいないわよ」

「え?……何潜って逃げてんのよ!モロバレだからね!?」

 

 不服の根源たる真魚がいない、そう言われた蓮が蜜柑から視線を移した先には、鼠色の髪と真魚の顔は消え失せていた。

 が、ただ像をぼやかすだけの透けた水面には、歪んだ鼠色が滲むように揺らめいていた。肌色の形からして、水中で三角座りをする様に潜っているのが容易に推測出来た蓮は、あまりに杜撰な隠密を咎めた。

 

「ぷは。……チ、カンのいいやつだぜ」

「カンも何も無いでしょ!」

「うるさいわよ蓮」

「何もかも理不尽よこれ!」

 

 まるで示し合わせたかの様に温泉の内外から蓮を陥れる会話の連携が飛んでくる。

 真魚はともかく、なぜ蜜柑までもが自分の敵として責め立ててくるのか――いや、元々(わたし)に対しては面白がって結構からかってくる人だった。渋い顔で蜜柑を見れば、そんな蓮の目を聖母の様な薄い微笑みで見下ろす姿がある。

 オフという状況も相俟って、蜜柑もまた蓮の反応で楽しんでいるらしい。貸し切りというこの場において、自分の味方が何処にも有り得ないという現実に、蓮は心中頭を抱えていた。

 

「まぁそれは置いといて。どう、たまにはいいものでしょ?」

「……出来れば置いとかないで欲しかったんだけど、温泉がいいものってのは確かね」

「唯一絶対天上天下普遍の真実だね」

「主語がデカすぎるわ」

 

 蜜柑は身体を隠すタオルを畳んで温泉の縁に置き、髪を後ろでヘアゴムでまとめた後に、そのまとめた髪の根本に余った髪を収めて団子状にしてから、蓮達の入っている温泉内へと足を入れる。

 石の階段を下りきる直前の縁側で腰を下ろした蜜柑は――蜜柑の小さい背丈では、それでも肩まで浸かる深さだった――、右腕で胸元を気持ち隠す様に添えて、蓮へ質問を投げる。自分の冤罪が時効を目指してそのまま流されたのは心外だったが、久々に楽しむ温泉が良い心地なのは言うまでも無い事だった。

 邪神教団絡みの事件と自らの借金にひたすら追い回されていた事による蓮の疲労は、熱された身体から温泉へと流れ出す様に安らいでいく。緊張を強いられていた体が、ようやく与えられた休みに弛緩していく実感があった。

 

「しっかし、豪勢よねえ。弥武組で旅館一日貸し切りなんて」

「使うべき所でキッチリ使うのがお金の正しい使い方よ。使うべき所だけで、ね」

「……あの、何で二回言ったのかしら」

「示しをつけているのよ。どこかの悪癖持ちへ、ね」

 

 今与えられた状況に対し、蓮が蜜柑に改めての感嘆を漏らす。そこへ死角からのカウンターが蜜柑から飛ばされ、蓮は気持ちと共に体を僅かに湯の中へと沈めた。

 蓮と真魚は蜜柑の誘いで、弥武組の多くが集められた一泊二日の団体旅行に来ていた。それもどれだけの金を積んだのか、それなりの大きさの温泉旅館一つをその期間貸し切りにするという、贅沢な旅行だった。

 蜜柑が言うには”カタギとはきっちり住み分けた方が気兼ねなく過ごせるから”だそうだが、ただそれだけの為にほぼ一日旅館を空けてもらうというのは、人数分の金銭の何倍を費やせばいいのか、考えもしなかった蓮にはとても予想出来ない事柄だ。

 

「いやーごちになりまーす」

「いいのよ、この際一人二人増えたって構わないし。蓮、貴方の他のお仲間さんは?」

「ユーリヤも十三さんも無理だったわ。暇な十三さんが何してんの、って話だけど」

「そりゃ積み上げた欲望を家でどばーっ、でしょ」

「著しい名誉毀損なのに全く否定も擁護もできないわ……」

 

 旅行でしばらく唐館から発つと蜜柑が蓮に伝えた際、たまたまその場に居合わせた――魔術エミュレータのメンテナンスの為に”カチコミじゃー”といきなり事務所へ突っ込んできた――真魚もまた、その旅行へと誘われた。

 何人誘ってもいいとは言われたのだが、蓮にとって人付き合いとは殆ど掃除屋(しごと)の範疇であり、こういった私事に誘える程親しい人間など、ほぼ居ない。

 私事の時点で完全に除外される政次郎を除く他の仲間にも声をかけたが、ユーリヤは唐館の教会を預かる者として長く空ける訳にはいかず、十三は何か言葉を濁して断るだけだった。

 そうしてやってきた旅館で荷物を下ろして落ち着いた所で、夜の宴会前にゆっくりと温泉に浸かろう、という流れで三人は今露天風呂に体を委ねていた。

 

「また蓮とはゆっくりお風呂には浸かりたかったのよ。ここ最近、全然つれないんだもの」

「濃厚なおはなしの予感。くわしく」

「何年前の話してんのよ蜜柑さん。引き取ってもらってすぐの頃じゃない」

 

 左手で頬から顎までを覆いながら、蜜柑は至極残念そうな顔で言葉を落とす。意図的に掴みやすくされた言葉尻をしっかりと受け取った真魚が、面白そうな内情を求めて質問した。

 が、蜜柑と一緒に風呂に入った事など忘れそうな程に昔、それこそ数える事しか無く、真魚の求める様な事も関係も無い。それをわかっていてわざわざ話を切り出す辺り、蜜柑も蓮弄りに積極的になっているのがわかる。

 

「でも実際、蓮との都合が合わなくなってるのは事実でしょう?これでも私、蓮とは友人でいるつもりなのだけれど。あまり顔を見せてもらえないと、寂しいわ」

「返済と物資のやり取りと情報交換でいっつも顔合わせてるでしょ。日常的にめっちゃ顔見せてるでしょ。”蓮、顔出すだけじゃ返済にはならないわよ”とか言ってたでしょ」

「それは”弥武組”と”掃除屋”の付き合いじゃない。個人のものとは全然違うわ」

「……まぁ、それは一理あるけど」

 

 残念そうな表情のまま、蜜柑は話を繋いでいく。それもまた冗談の一つかと思ってここ最近の蜜柑との付き合いについて振り返れば、偽りなき本音で返されてしまった。

 確かに、組と掃除屋としての付き合いを除けば、ここ最近蜜柑との接触はほぼゼロと言っても過言では無い。というよりは、後見人では無く一人前の大人として扱ってもらう為、仕事の協力者として線引きを意図的にしているのは蓮の方からしている事だ。

 それが寂しいというのは、実のところ実際にその付き合いを望んで行っている蓮もだった。蓮にとっての蜜柑とは、それこそ家族と同じく親しく身近な存在なのだから。

 

「蓮ちゃん、わたしもさびしいよ……」

「いや真魚ちゃんは別にそういう事無いでしょ、結構メールも飛ばしてくるじゃない」

「蓮ちゃんがいないと、わたしは誰からツッコミを受ければいいの……」

「ユーリヤに頼みなさい」

「シスターはスラングへの反応がイマイチだからちょっとさびしいよ……」

「日常的に顔合わせてるユーリヤがちょっとかわいそうになってきたわ」

 

 ここぞとばかりに真魚が話を合わせてくるが、それこそ蓮と真魚の付き合いに寂しさや憂いなど抱く余地は無い。ちょくちょくメールで連絡を取り合い、用もなく蓮のいる時間にひょっこりセーフハウスにやってきたり、挙げ句の果てにソファーを占領して無言でゲームをしていた日すらあった。

 教団絡みの事件に巻き込まれた結果、真魚は現状学校へは意図的に通っていない。その為蓮の仕事や居候先のユーリヤの都合が無い日は、大量の暇を抱えてだらだらとしていた。

 学校という年頃のコミュニティの大半を失った真魚の楽しみは、魔術エミュレータの微調整、蓮達に対する交流、そしてスマートフォン内のゲームに限られている。特に最近は同様に暇を持て余している十三の家に殴り込みをかけるのがマイブームらしい。

 

「……最近は楽しそうね、蓮」

「ウソでしょ蜜柑さん、最近の私の状況に全然愉快な要素無いんだけど。火の車が全力全開フルスロットルフルドライブなんだけど」

 

 そんな内輪話のドッジボールに対応していると、唐突に蜜柑は蓮の様子を見て笑いかけてきた。

 蓮にとってその言葉は全く賛同出来ないものだ。何せ自分の負った借金は返せど返せどまるで底が見えず、取り扱う事件の規模は大きくなるばかり、その為に必要な費用もまた然り。

 てんてこ舞いとはまさにこの事だ。余裕を失ったここ最近の蓮にとって、その疲れを癒せる僅かな休息は今以外だと特に思い当たらない。控えめに言って、辛さしかない。

 

「そういう事じゃないわよ。掃除屋稼業なんて、誰も信頼出来ない・しないってものじゃない」

「それは、こういう裏側(こっちがわ)の世界じゃ皆そうでしょ」

 

 フリーランスかつ怪異・化物専門の掃除屋というのは、それこそ日常的に注意を払う存在だ。

 身を守る為に安易に身元を明かさず、時には法のラインを越えた付き合いをし、金という命綱が無ければ即座に手を切られる、そんなやり取りが毎日繰り返される。

 その中でも付き合い続ける人間との間に信用はある、だが立場を超えた信頼は築きえない。それは当たり前の事だと、稼業を続ける内に蓮も慣れて悟っていった。

 

「でも今の蓮は、信頼()()()()んでしょう?」

「――……」

 

 その端的な言葉の意味する所は、すぐにわかった。

 今の蓮には、口煩いが頼りになる政次郎がついている。純すぎるも正義感を共有出来るユーリヤがいる。少々アレだが人柄の良い十三がいる。奔放すぎるものの退屈させてくれない真魚がいる。

 皆、信頼に足る仲間達だ。少なくとも皆は苦しい戦いの内にあっても蓮を見捨てず、蓮もまた皆を見捨てる事は無い。そう断じても構わない。

 邪神教団という厄介極まりない問題の渦中にはあるものの、その中で蓮が得たものはかけがえのない大きなものであるのは確かな事だった。

 

「だから、前から見て最近の蓮は活き活きしてるわよ。長い付き合いだもの、すぐわかるわ」

「……そう、ね。そうかも、ね」

 

 確かに現状は苦しい、だが苦しいだけではない。言われて初めて気付いたその事を噛みしめる様に、蓮は自分のここ最近の物事を思い返してふっと笑う。

 ユーリヤと顔を合わせたり話す事は増え、十三と銃器や戦闘について考え合ったり、真魚と姉妹の様な遠慮のない付き合いをしている。政次郎は――ろくな思い出が無いので考えるのをやめた。

 珍しく裏表の無い蜜柑の笑顔に、蓮も笑顔で応えた。

 

「ん、そういう事なら蓮ちゃん、今月の友達料ちょうだい」

「その一言だけで真魚ちゃんへの信頼が消し飛びそうなんだけど」

「延滞料金ふくめて全額、耳ぃそろえて払ってもらおうかー。なぁに、払えなきゃそのカラダで返してもらうまでよげへへ」

「初耳なのに延滞扱いは詐欺でしょ」

 

 そんな空気を引き裂く様に、蓮と蜜柑の間にいた真魚が両手で何もない場所を揉みながら蓮へと近付いていく。

 凄まじい言いがかりを使って金どころか身体まで要求してきた真魚を、それまでの笑顔の温かさを一転してゼロへと冷めた目で見つめ直した。

 

「友達って設定がダメなんだね……ん、それじゃあ蓮おねえちゃん、カラダかしてー」

「設定をごろんごろん変えた上に貸せないものを要求しないでくれるかしら」

「いいじゃん減るもんじゃなしー」

「神経がすり減るのよ。すり減った精神を癒しに来たのよ」

 

 わきわきとしていた手を広げて全身の力を抜き、再び湯に身体を浮かしてゆっくりと真魚が蓮へと近付いてくる。蓮の後ろが温泉の岩積である以上、漂う真魚を避ける訳にもいかない。

 蓮が寄ってくる真魚の華奢な肩に手を当てて受け止めれば、すかさず真魚が蓮の身体へ――というかどう見ても両胸に――向けて腕を伸ばしてくるが、それを蓮は掴んでいる両肩を思いっ切り遠ざける事で対処した。

 

「ぬおおー。きわめて近く、かぎりなく遠い世界ぃー」

「だからバタバタしないの。っていうか何を求めてるのよ真魚ちゃん」

「己にないものを求めるのがヒトのサガなんだよ」

「己を律しなさい」

 

 尚も蓮へ近付こうと真魚は肩を掴まれたまま、蓮との間に広がる拒絶の距離にある湯を犬掻きで乱れ荒らしていく。

 絵面だけ見れば大型犬が懐いて近寄ってきている様だが、その実態は接近を許せば最後、満足するまでこちらを弄り倒そうとしてくる愉快犯だ。

 まるで離れようとせずに距離を詰めようという姿勢を見せる真魚を押し付けるべく、蓮は蜜柑のいる方向へとなるべく優しく突き飛ばした。

 

「おあ゛あーっ。おあ゛あーっ。おあ゛あーっ」

「あらあら、蓮ったら冷たいわね。ほら真魚ちゃん、こっちいらっしゃい」

「うわーん蜜柑おかあさーん、なぐさめてー、カラダでー」

「いいわよ、おさわり十秒十万円ね」

「蓮ちゃんのツケでー」

「本人の同意が欠片も無い取引じゃないの!」

 

 棒読みの悲鳴にセルフエコーをかけながら真魚は水面を滑る様に浮き流れていく。

 その先にいた蜜柑が階段を降りて真魚を後ろから抱き止める。流された勢いのまま真魚は身体を後ろに傾け、湯に浮かぶ蜜柑の胸元で頭を揺らして感触を確かめている。

 理不尽な相場と支払いを蓮にまとめて押し付けるアンフェアトレードがその場で行われようとされ、自身の財布という一切冗談が通じない部分を攻められた蓮は声を荒げた。

 

「仕方ないわね。蓮、出世払いでいいわよ」

「なんで取引が成立したことになってるの!?どこが仕方ないのよお!」

「蓮ちゃんは細かいトコうるさいなー。あー、やわらかー」

「細かくないわよ!どこの世界に破産を手招く状況を見過ごせる人間がいるのよ!」

「うるさいわよ蓮。ねぇ、真魚ちゃん」

「ねー」

「あぁぁもぉぉ!」

 

 なおも目の前では蜜柑の胸に後頭部を押し付ける真魚という、なんら蓮に得のない地獄の取引が継続されている。自分達以外の声が一切無い隔離された空間に、誰にも届かない蓮の必死な叫びだけが虚しく響き渡る。

 蓮を攻撃す(いじ)るという一点においては、政次郎よりもタチの悪い最悪のタッグが結成されていた。頼むから味方が欲しい、そう願うも唯一味方してくれそうなユーリヤは遠方だ。

 もうやだこのふたり。反論全てが柳に抜けていくこの状況に、ついに蓮は物理的に頭を抱えた。

 

「あぁ、そうだ蓮。伝え忘れてたけど、後でカズに礼を言っておきなさいよ」

「え?カズくんに……なんで?」

「この旅行を提案したのがカズで、蓮を誘う事を進言してきたのもカズだからよ」

 

 なおも真魚を抱き抱えたまま、蜜柑がふと思い出した物事を蓮へと伝える。

 カズくんが?何故?思わぬ所から降って湧いた話題に、蓮は意味と意図を掴み損ねた。

 

「”近頃の姐さんは詰め込みすぎに見えます。不躾ですが、何かしらの理由をつけて休ませて下さい”――そう言って相談した結果がこの旅行なのよ」

「……カズくん……」

 

 なんてイケメンなんだ。気遣っておきながら蓮へ全くそんな素振りを見せずに無言で行動に移した、強面のいかにもヤクザな風体を持つ彼の優しさが、ズタズタに乱された心に染み渡っていく。

 こんな近くに私の求めていた真の仲間がいたなんて。今も粛々と宴会の準備を仕切っているだろうカズへ、心の底から感謝と敬意がこみ上げてきていた。

 

「”姐さんは個人への気遣いは遠慮するでしょう。この際、若い衆も連れてのリフレッシュ休暇でもすれば一石二鳥かと”だって。あれでカズは蓮の事、相当心配してるのよ」

「カズぐん゛っ……!!」

「うわ蓮ちゃんがマジな感涙してる」

 

 完璧な気遣いだった。確かに蜜柑からただ温泉に行こうと言われただけならば、蓮は仕事を優先していた事が自分自身想像に難くない。

 だが、弥武組に大きな借りと世話を受けている掃除屋としては、組が絡んでの配慮は断りにくい。蓮自身の遠慮を無くし、そうした先では気を揉むこともない一時の憩いを受ける事が出来る。

 こんなに想われた事がここ最近であっただろうか。いやない。断じて無い。強面の仮面の下に隠された厚い人情に、蓮は涙すら流していた。

 

「私としても貴重な女優が仕事に追われて綺麗にしていないのは気にかかるからね」

「女優じゃないわよぉ!私掃除屋ぁ!」

「じぶんを掃除屋だとかんちがいしてる一般ビデオじょゆー?」

「一般のビデオ女優って何よぉ!いや現役の掃除屋よぉ!」

 

 そんな感動に浸る時間は五秒もせぬ内に蜜柑によって叩き壊され、真魚が追撃してくる。

 ようやく見つかった真の仲間は性別的にここに来る事は出来ない。寛げる場所である筈の温泉は、蓮に対する包囲網に等しい空間と成り果てている。

 ダメだ、このまま反応していてもこの二人が口を止める事など有り得ない。風呂はもう十分堪能しただろう、そう考えて蓮は立ち上がって頭をまとめていたタオルを取り外した。

 

「……先にあがってるわよ、二人とも。あと蜜柑さん、伝えてくれてありがと」

「あ、ゴメン蓮ちゃん、ちょっと待って」

 

 ざばざばと湯を脚で掻き分け、タオルを体の前に当てながら蓮が露天風呂から出ようとする。しかし蜜柑達の横を抜けて階段に足をかけた所で、真魚が引き留めた。

 まだ何かあるのか。そう思いながら、蓮は半身と顔をそちらへ向けた。

 

「しゃったーちゃーんす」

「は?――なんでスマホ持ち込んでるの真魚ちゃん!?」

「貸し切りなら盗撮の疑いでしょっぴかれないからね」

「危険性じゃなくて用途を聞いてんのよぉ!」

 

 その瞬間、かしゃりと電子音が蓮の目の前から聞こえた。それは防水ケースに入れたスマートフォンを真っ直ぐに向られ、蓮の肢体をデータに転写した音だった。

 いつの間に、いや何故持ち込んでいたのか。先程まで影一つ無かった、何一つ隠す場所など真魚には有り得なかった筈のモノからの撮影に、蓮は大きく狼狽した。

 

「ふふん、わたしが真っ先に露天にきたのは全てこの瞬間のためよー。こっそりスマホを階段付近にしずめ、警戒の解けたそのカラダをレンズに収める――蓮ちゃん、わたしの作戦勝ちだよ」

「一方的になんの勝ち負けを競ってんのよ!っていうかどうする気なのそれ!」

「一・組のみなさんへの手土産。ニ・おじさんのおかず。三・目線だけ入れてネットでバズらせる。わたしとしては三が良いんだけど、即効性の高いのは一だね」

「最悪の三択迫らないでくれる!?」

 

 まさに風呂を後にしようとした、その瞬間を狙い澄ました周到すぎる真魚の奇襲が、これまでで一番蓮の危惧の念を煽る。

 局部をタオルで隠していたのは間違いないが、蓮の素肌の殆どを収めているだろう写真は、圧倒的な優位性を真魚に与えてしまった。

 こうなってしまうと、真魚は水を得たシャチも同然だ。写真をネタに、あらゆる手で蓮に揺さぶりをかけてくる。最悪、マジで金銭や物品を強請られかねない。

 この真魚()には、やると思ったらとことんやる精神性がある。

 

「そのスマホよこしなさい真魚ちゃん!消すわ!一刻も早く!」

「ん、やーだ。ランボーされたらうっかりおじさん宛のメールがとぶかもー」

「なんでもう仕込みを終えてんのよ!待ちなさいコラァ!」

「だばだばだばだば」

 

 真魚は先程の会話の間に既に作成していた、十三宛のメール画面を写したスマホを両手でホールドし、風呂から出ようとしている蓮を不敵にも風呂の中から下目遣いで見ていた。

 あとワンタップで蓮の仲間内での体裁が大きく悪くなる――っていうか誰にも見られたくない姿だが――状況を打破すべく、真魚を捕まえようと蓮は急ぎ引き返す。

 それに合わせて真魚は、蜜柑の腕をするりと抜けて再び遠くへ泳ぎ始めた。

 

「ふんぐるーむぐーなふーくとるーるるーいえーい」

「わぷっ――いえーいじゃないのよ!こんな所で強くバタ足しないの!」

「誰がきめたのそんなルール、何時何分何秒何曜日どの星辰のとき?」

「一般道徳の話よ!待ちなさい、待てェ!!」

 

 蓮の接近を拒む様に、大股で近付かれるごとに真魚は強く足で温泉の水面を叩いて大きく飛沫を立てて、その度に距離を離して逃げていく。

 なんとしてでもこの無邪気な邪気の首根っこ引っ捕らえてやる。蓮はどんどん余裕を無くして素の気性を露わにし、いつもの見栄も外面も捨て去って真魚を追い続けた。

 

「――ほら。やっぱり、楽しそうじゃない」

 

 遠く離れた位置でわーぎゃー騒ぎながら逃亡と追跡を続ける蓮と真魚の姿を、蜜柑は石積みの上で脚だけを湯につけたまま眺めている。

 これまでに無い、いや蓮が蜜柑の下で過ごしていた時の様に、素顔を隠さず見せている蓮の姿。それが蜜柑にとっては何よりも喜ばしく、微笑ましい事だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「……遅いですね、姐さん達……」

 

 準備を終えた宴会用の大部屋で、カズを始めとする弥武組の全員が浴衣で座している。

 真魚の愉快な逃亡時間の分だけ、弥武組の宴会の開始時間は延びたのだった。

 




作者が温泉にいきたいので、いかせました。まんぞくです。
あと蜜柑さんがいつ見てもかわいいです(こなみ)
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