――意気揚々と登場してきた国木田は、自信に満ちあふれた表情を浮かべていた。
そんな彼に、ぼくは白い眼を向けて尋ねる。
「……ずっとドアの前で聞いてたの?」
「んなわけあるか。お前が“ある要素”と“一部の人たち”ってワードを口にするタイミングで着いたんだよ。最初からWeb小説の話だってことはわかってたし、そっから何を指しているかは簡単に推測できるだろ?」
だろ? って、お前……それは普通じゃないと思うぞ……。
ドン引きしているぼくをよそに、花山さんは目を輝かせて質問をする。
「そんなに人気なんですか? その……T……?」
「TSな。TSFともいうやつだ」
「あーっ、TSFならどっかで聞いたような……!」
「うむ。トランスセクシュアル、すなわち性転換ってやつだ。Fはフィクション、つまり性別が変わる系の作品ってことだな。『ふたば君チェンジ♡』*1とかそういうやつだ」
おい、その例えは絶対にわからんぞ。
せめて挙げるなら『らんま1/2』*2にしろよ。
花山さんのほうをうかがうと、案の定だが顔に疑問符を浮かべていた。
「……『かしまし』*3のほうが良かったか?」
「もっとわからないから、それ!」
「じゃあ『幼女戦記』*4」
「あっ、それなら知ってます! 映画にもなってたアニメ*5ですよね!」
幼女戦記、強し。
花山さんの反応を耳にした国木田は、ホワイトボードの近くの席に移動しながら解説をする。
「アニメというか、元をたどればWeb小説だな」
「へぇぇ! なろうとかに掲載されてたんですか?」
「違うちがう。Arcadia*6っていう、かなり古い小説投稿サイトだ。昔は二次創作小説がそこがいちばん盛り上がっていて、オリジナル小説もよく投稿されていたんだけどな。有名なのだと『ダンまち』*7とかもそうか」
「アルカディア……って、はじめて聞きました……」
むしろ知っているほうが少数派だから気にしなくていいよ、花山さん……。
しかし国木田のほうも、Arcadiaの解説をすると長大な歴史を語る必要があると理解しているのだろう。あえてそちらのほうには触れずに、話をもとのほうへと戻した。
「ま、Web小説におけるTSFについて言うとだな。TS、すなわち性転換という要素は――それをWeb小説に入れるだけで、一定数のPVとブックマークが得られるという傾向にある」
彼は結論から口にした。
そして、その内容は――ぼくの認識と同様のものであった。
もっとも、花山さんにとっては意味不明に違いない。これは実際にWeb小説を読みつづけ、“作品”だけでなく“読者”についても理解しないと納得しがたいからである。ライトな小説投稿サイト利用者には、絶対に存在しえない知見であった。
不思議そうな顔をしている花山さんは、当然のごとく聞いてくる。
「……どうしてですか?」
「簡単に言うと、コアなファンがいるからだな。TSF、または性転換というタグを付けただけで、“その層”から作品をクリックされる頻度が格段に跳ね上がる」
「でも……なろうのランキングを見ても、そんなタグが付いている作品あんまり見ないような……?」
「だろうな。母数自体は、ほかのタグのほうが支持者が圧倒的に多いからだ。だが――たとえばタグで検索する人と、そのタグから作品をクリックする人の割合を考えれば、おそらくTS系のタグはトップクラスの強さを持っているだろう」
「えぇと……?」
「つまり『TSFファンはTS系タグで作品を探すことが多い』かつ、『TS系タグが付いている作品をクリックする確率が高い』ということだな」
だから、“コアなファン”なのだ。
世間から見れば少数派でも、その界隈では異常に人気がある。Web小説においては、TSFがそんなポジションだった。
健全なる男子であれば、pixiv*8でエッチな絵を検索しようとした時によく経験するものだろう。『なんでフタナリなんてもんがこんなにあるんだよ!』――と。だが確固たるファンが存在し、性癖を求め、性癖を評価し、性癖を生産するという脅威の性癖スパイラルができあがったモノというのは、異常に盤石なのだ。おかげでぼくは涙した。
話が逸れた。
そんなエロ絵事情は置いといて、重要なのはTSFが非常に強いジャンルということである。
花山さんも、とりあえずTSFがコアな人気を持っているということを理解したのだろう。だが、次なる疑問も湧いてくるはずだ。そう――
「で、でも……あたし、TSFについて何も知らないし、それを題材にした小説なんて書けそうには……」
「うむ、それについては安心するといい。ぶっちゃけて言おう。――TS要素なんてほんのわずかでも、あいつらは餌に群がる鯉のようにやってくるから問題ない」
それはぶっちゃけすぎだと思うんですが。
「え、えぇ!? どういうことですか……?」
「たとえば、だ。女主人公の前世を男だったと設定する。あるいは、男から女に変わる脇役キャラだけでも出す。するとTSFタグに釣られたやつらが、とりあえずクリックして作品を確認するんだよ」
「そんな都合のいい話が――」
あるんだよなぁ……。
花山さんはにわかに信じがたい様子であるが、国木田と同じくWeb小説を読んできたぼくにとっては、それは経験的に理解していることだった。
――これ、TSの意味なくね?
そんな作品は、ネットに
そして、われわれは悟るのだ。
とりあえずTSタグが付いてるだけで読むやつがいる、と。
「う、うーん……」
花山さんは複雑そうな表情で、国木田の解説に聞き入っていた。
彼女もオタク文化には慣れているので、そういったコアな人々の存在も説明を受ければ納得はできよう。
だが、納得はしても――それを自分の作品に取り入れるかどうかは別だった。
「正直なことを言うとですね――」
彼女はみずからの意見を口にする。
「作品として書くなら、どの要素もきちんと物語として意味のあるものにしたいな……って思うんです」
「うん。無理に興味のないものを取り入れる必要もないと思うよ」
「あ、いえ……べつに興味ないってわけじゃないんです!」
あれ?
てっきりTSFなんて好きでもないから要らない、という考えだと思ったんだけど、花山さんはそうでもないのだろうか。
彼女はどこか興奮した様子で、確かめるようにぼくたち二人に尋ねてきた。
「男の子から女の子に変わるのが、TSFなんですよね?」
「そうだね。たまに女から男に変わる作品もなくはないけど、一般的にTSといえば女体化と認識していいかな」
「ということは……体は女の子で、心は男の子なんですよね?」
「うむ。肉体と精神の性別の違いは、TSFにおいてお約束の要素だな」
「じゃあ――」
花山さんは真理に気づいた、といった顔つきで言葉を放った。
「TSした子が男キャラと恋愛したら――合法的なBLになるじゃないですかッッッ!」
あ、思い出した。
花山さん、けっこう腐女子入っている子だった。
ぼくは若干のめまいを感じつつも、同時に彼女の食いつき方にも納得する。TSFにおいて、精神的BLというものは大きな要素の一つにもなっていた。そして意外なことに、TSFを好む女性読者というのもそれなりにいるのだ。もともとBLが好きな花山さんが、TSという題材に興味を示すのも無理からぬことであった。
と、ぼくが反応に困りながら思っていると。
国木田はどこか若者を眺める老人のような面持ちで、花山さんに語り掛ける。
「ふむ……その様子だと、TS作品におけるBLの分野が気になるようだな」
「はい、独歩先生! あたし、気になります!」
「なるほど、なるほど。だが、実際にTSFを書くならば――きちんとTSFの中の派閥も理解しておかねばならぬ」
「は、派閥ですか……!?」
「――TSFという枠の中には多くの派閥があり、それぞれ相容れぬものもある。軽率に触れ、扱い方を間違えれば……炎上さえ招きかねんのだ」
ですよねー。
なぜか物語の途中で急にTS主人公がメス堕ちしだして、「コレジャナイ」と感じた読者が辛辣なコメントを送るような事例が、はたしてどれだけあったろうか。
そのようなトラブルは、おそらく作者が抱くTSFの理想像と、読者が求めるTSFの要素のミスマッチが原因なのだろう。TS作品で恋愛を絡めるのは、じつはかなり繊細で難しい問題だった。
国木田はフフンと上機嫌そうな雰囲気で口を開く。
「まず、Web小説におけるTS作品を好む読者をタイプ分けするとだな――」
「はいッ!」
「――大きく分けて、9種類ある」
ぶっ。
……と、ぼくはせき込んでしまった。
9種類? さすがに、そこまでは考えたことがなかったぞ。てっきりBL派とGL派の2種類に大別するのかと思っていたのだが……。
ぼくが疑うような目つきをしていると、国木田はニヤリと笑った。そして、立ち上がってホワイトボードに何かを書きはじめる。
――しばらくすると、その白い壁には綺麗な表ができあがっていた。
TSFの派閥 | |
非恋愛派 (恋愛要素以外が好き派) | ① 強い女の子が好きなんだよ派 (男らしさ・格好よさ・力強さなど男性的内面を備えた女主人公を見たい派) |
② コメディ要素が好きなんだよ派 (男から女への転換によるギャップから発生する、笑いやドタバタ劇が見たい派) | |
③ べつにTSFが好きではない派 (とくにTSFに思い入れがあるわけではないが、なんとなく純正女主人公には感情移入がしづらくて、とりあえず男の精神のTS主人公作品を読む派) ※消極的選択 | |
GL恋愛派 (女の子との恋愛派) | ④ 百合の光景を眺めたい派 (「TS百合は百合じゃない」と発言する人々とは分かり合えないと思っている派) |
⑤ 俺も百合したい派 (自分も美少女になって百合百合したいと、TS主人公に感情移入する派) | |
⑥ まあ恋愛するなら相手は女でしょ派 (恋愛要素? あってもいいけど男が相手ならホモだろ派) ※消極的選択 | |
BL恋愛派 (男の子との恋愛派) | ⑦ メス堕ちTS主人公を眺めたい派 (内面が変化してゆくTS主人公を客観的に眺めてニヤニヤしたい派) |
⑧ 俺もメス堕ちしたい派 (自分も美少女になって男にチヤホヤされたいと、TS主人公に感情移入する派) | |
⑨ BLが好きだよ派 (とくにTSFに思い入れがあるわけではないが、BLが好きなので合法的に精神的ホモが成立するTS作品を読む派) ※消極的選択 |
うわぁ……。
よくこんな分類分けを思いつくな。一般人が見たら意味不明な部分も多いぞ。
花山さんの表情をうかがうと、やっぱり難しそうな顔をしていた。この表だけで理解できるのは、やはりTSFとそのファンを見てきた者だけなのだろう。
「よし、じゃあ、それぞれ解説していくぞ」
するのかよ。これ全部?
と、国木田のほうを見てみると、彼はすでに講義をする教授のような雰囲気をまとっていた。……どうやらマジでやるらしい。
「――まずは大分類についてだ」
そう言って、国木田はペンで表の左側を指した。
彼によると、非恋愛派、GL恋愛派、BL恋愛派の三つが大分類に該当するのだという。
「TSというのは、しばしばラブコメディーにおいて利用されてきた要素だ。『らんま1/2』を思い浮かべていただけると分かりやすいが、男から女へと変わる変化が、周囲の人間の恋模様に変化を与えたり、あるいは混乱をもたらして笑いを誘ったりするわけだな」
「九能先輩なんかコメディー要素のいい例だよね。女らんまの正体に気づかずに惚れて、追いかけまわしたり」
「うむ。逆にシャンプーは女らんまとの因縁から始まり、男らんまへと好意を持つようになる。可変TSFにおいて、これほど優れた作品はないな」
と、ぼくと国木田が会話をしていると――
「あの……」
花山さんが、どこか遠慮がちな声を上げた。
どうしたのだろうか。ぼくたちが彼女のほうに顔を向けると、花山さんはなぜかすごく申し訳なさそうな顔で、
「あたし……作品名は聞いたことあるんですけど、『らんま1/2』は読んだことがなくて……」
「…………」
「…………」
ぼくと国木田は、無言で顔を見合わせた。
『らんま1/2』は1987年に連載開始した作品、つまり三十年以上前の作品である。花山さんは生まれてすらいないのだ! なんというジェネレーションギャップ!
……いやまあ、ぼくと国木田も生まれていないのだが。
「と……とにかくだ。性別の変化というのは、登場人物にさまざまな反応をもたらし、感情を変化させられる。つまりは、ストーリーを創りやすい、ということだな」
そして、と国木田は続ける。
「恋愛をメインにしたTS作品というのは非常に多い。主人公が女体化して男とラブコメするのもあれば、女とラブコメするのもある」
「前者は精神的にはBL、後者は肉体的にはGLになるね」
「うむ。このBLとGLについては、あとで触れるとして――」
彼はトントン、と“非恋愛派”をペン先で示した。
「昨今のWeb小説の作品においては、必ずしも恋愛要素を入れるとは限らなくなってきた。それゆえに、“恋愛要素に興味のないTSF愛読者”も出てきたことは注目に値しよう」
「恋愛要素が嫌いなひとって、一定数いるよね」
「うむ。昔はTSF=ラブコメで等式が成り立っていたことを考えると、これは興味深いことだ」
商業作品、とくに連載漫画なんかだと絶対に恋愛要素を入れることが求められていたからね。
時代背景的に、TS要素を入れるならラブコメにせざるをえなかったと言うべきか。
「では恋愛をしないTS作品について、読者はどんな要素に惹かれているのだろうか? それは大まかに三つに分けられる。――ひとつは、“強い女の子が好きなんだよ派”だ」
「これはわかりやすいかも。体は女で、心は男。そうすると、一般的な女性とは考え方や異性への態度が違ってくる」
「この派閥はとくに、TS転生系のファンタジー作品を好む層に見受けられるな。普通の女主人公であれば、死に物狂いで修業して強くなるなんてストーリーにはなかなかできない。だが前世が男だったら、そういう“強さ”を求めることにも納得できるだろ?」
花山さんが、ハイハイ! と意見するように手を挙げた。
「でも独歩先生! あたし、TSじゃない女主人公で修業する系の作品とか見たことありますよ!」
「まあ、たまにはあるな」
「身につけた空手を活かして、木を叩き折ったり鉄を捻じ曲げたり猪を殴り倒したりするようになるんですよ~! こんど作品名を教えますね!」
女主人公でそれって、どんな作品だよ……。
「……いずれにしてもだ。男らしさ、格好よさ、力強さ――そういった要素を備えた女主人公というのは、それなりに需要があるわけだ。このような男性的内面を持つ女の子の活躍を見たいがために、TS作品を探すという人もけっこういる。――例えるなら、貧乳好きが代替物として男の娘モノを求めるようなものだな」
お前の例えは絶対におかしい。
……いちいちツッコんだらキリがないので口には出さないが。
「――さて、次だ」
そう言って、国木田は一つ下の項目に移った。
「コメディー要素が好きでTS作品を読む派閥だな。肉体と精神の乖離はしばしばギャップや失敗をもたらす。それが笑いや面白さにつながることも多い」
「最近はTS要素を使った、一発ネタみたいなコメディー作品も見るね」
「ああ。Web小説投稿サイトがなかった時代と違って、今は気軽に短いネタでも公開できるようになったしな。また、“TS”という要素が一種の定番ネタとなって普遍化したのも大きい。そういう背景もあって、コメディーを主目的としたTS作品も出てくるようになったんだろう」
今やDLsite*9やFANZA*10のシチュエーションタグに「性転換」が存在する時代である。女体化モノは、ここ10年でずいぶん一般にも受け入れられるようになったと言っても過言ではない。
国木田は補足するように、言葉を付け加えた。
「シンプソン博士の『ドラゴンカーセックス*11も十年後には一般性癖!』という名言もある*12ように、かつては奇妙で特異な要素と見なされていたジャンルも、時が経てば立ち位置が大きく変わってくるものだ。TSも一般性癖化するに伴い、より大衆受けしやすいコメディー作品は増えていくだろうな」
「ドラゴンカーセックスって、なんです――」
「はい、次、次! 次いこ!」
ぼくは花山さんの疑問を遮って叫んだ。
あの特殊性癖には触れてはならない。絶対にだ。
「さて、次だが――」
国木田はさも自然な動作で、もう一つ下の項目に移った。
べつにTSFが好きではない派――
これはなかなか、一般人にはわかりにくい部類である。
当然ながら、花山さんは疑問の表情を浮かべて尋ねてきた。
「……べつに好きじゃないのに読むって、おかしくないですか?」
「――と、普通は思うだろう?」
国木田は笑って解説をする。
「これはな、男性作家と女性作家、そして男性向けと女性向けの複雑な問題が絡んでいるんだ。たとえば、そう……男主人公の作品は男読者が多くて、女主人公の作品は女読者が多いことは納得できるだろう?」
「はい」
「それは、なぜだと思う?」
「えっ? えっとぉ……」
少し悩んだように考え込んでから、花山さんは一つの答えを口にした。
「――感情移入しやすいから、ですか?」
「そう! そのとおりだ。何かしらの境遇や身体的特徴が似通っているキャラクターに対して、人間はより感情移入しやすくなる。性別はその典型だな」
ぼくも頷きながら、そこに話を付け足す。
「そして作者も――男なら男主人公を書きやすくて、女なら女主人公を書きやすい。だよね?」
「うむ。自分の性別だから、必然的にそっちのほうが書きやすくなるわけだな」
べつに男は女主人公を書けないとか、女は男主人公を書けないとか、そういう極端な話ではない。人間の洞察力に優れ、多様な面における男女性差を理解している作者ならば、どんな性別のキャラクターだってうまく描写することができるだろう。
だが、やはりスキルが必要なのも事実だった。人生経験が少なく、小説のプロでもない作者が自分とは異性の主人公を描くと――
「――女主人公の作品を読んだ時に、花山さんは『あっ、これ男性作者だな』って気づいたことってない?」
ぼくが質問すると、彼女は思い出したように口を開いた。
「あります、ありますっ。なろうで……ランキングに載ってた作品を読んだ時だったかなぁ……。たしか、えっと、婚約破棄のテンプレっぽいやつだったかも……」
「うん。テンプレ系は流行りに乗って書く人も多いからね。ちなみに、なんで気づいたかわかる?」
「……なんででしょう? でも、なんか……ちょっと違うんですよね。雰囲気? 書き方かなぁ……すみません、はっきりわからないです」
具体的にポイントを挙げて明確化するのは難しい。
しかし――どこかで微妙な違和を感じ取れてしまう。
そう、それが現実だった。
「一般的に、創作物では――女性は感情や心情を重視する傾向にあると言われるな」
ふたたび国木田が語りはじめる。
「とくに恋愛が絡む作品だと違いが顕著かもしれん。男作者が女主人公を描くと、どこかドライで男っぽいキャラになる。逆に女作者が男主人公を描くと、どこかナイーブで女々しさのあるキャラになる。傾向としては、だが」
「うーん……言われてみれば、たしかにそうかもですね……」
「この作者の性別に関しては、たとえばエロ漫画でもよく言われたりするな。むしろ男作者よりも、女作者のほうが女キャラの感情や心情がリアルで抜けるなどという声は、しばしば耳にするものだ」
おい、女の子の前で抜けるとか言うなよ!?
……オタク文化に理解ある花山さんじゃなかったら、思いっきりセクハラだったぞ。
「――で、話を戻すと」
国木田は一息おいて続ける。
「男女の作風の違いが、読者の選好にも影響されるということは疑いようがないわけだ。そして、ある読者がこう思ったとしよう。『女性向け作品は好きじゃないけど、たまには女主人公の小説も読んでみたいなぁ』――と」
「あっ、なるほど! それでTS作品が選ばれるわけですね」
「うむ。普通の女主人公モノだと女性作者が多くて自分の好みに合わない可能性が高い。しかしTS主人公だと性別は女でも精神は男、さらに作者が男で男性向きな作風になっていることが多いから、とりあえず読んでみようとなるわけだ」
TSFは基本的に、二次創作や同人界隈において男性向けのジャンルとして育ってきた分野である。そうした背景から、やはり作者が男性であることが非常に多かった。もちろん今はTSF自体が有名になって女性ファンも増えてきているが、それでも作者も読者も男性層が大半を占めていることは変わらないだろう。
だから、べつにTSFが特別に好きというわけではないけれど、TSF=男性向けという“信用”によってTS作品を読むという人が出てくるのだ。
おそらく純正女主人公かつ男性向けな作品を、投稿サイトの膨大な作品の山からスコップで探し当てようとするのは困難を極めるだろう。だったらタグ検索で一発で掘れる、TS主人公の作品を読めばいい。そういうWeb小説サイトの検索面でも、TSFというのは独自の強みを持っていた。
「でも――たしかに、お話を聞いてると……あたしも分かる気がします」
花山さんはしみじみと言葉を紡ぐ。
「女性がこう……アクション系とか男子向けな作品を書くこと、ほとんどないですしね。異世界転生とかのファンタジー作品でも、女性向けは恋愛がテーマのものばっかりですし」
これは最初に語られたことにも繋がっている。女主人公がバリバリのアクションをこなして格好よく行動する姿は、純正女主人公ではなかなか見られないものだった。だが男性向けが保証されているTSFでなら、そうした作品は見つけることも至難ではないのだろう。
あらためて、ぼくはホワイトボードの表を眺める。
国木田がグループ分けした派閥も――どれか一つだけに属しているわけではなく、複数に嗜好が該当するというTSFファンがほとんどだろう。
もっとも――
「――さあ、次は恋愛の派閥について移行するぞ」
――“そこ”に関しては、あまりにも派閥の分かれ方が激しいものだが。
そんなことを思いながら、ぼくは「GLとBL」というセンシティブな問題を憂うのであった。