司令が不知火にその日を祝ってもらうお話。

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忘れられた日

「――司令、駆逐艦不知火。哨戒任務を終え、ただいま帰投致しました」

 

 太陽が傾いて夕時に近づき始めた頃、男の前からそんな声が聞こえた。

 声の持ち主は桃色の髪を持つ少女で、見た目からして16,7と言ったところだろう。女学生のような服とスカートから延びるスパッツ越しの太ももが見る者の目を強く惹くものの、持ち前の引き締まった鋭い表情が、彼女をただの女ではない事を示している。

 

「ご苦労。どうだった?」

 

 男は眼下の書類に一通り目を通し終えた後、ちらりと彼女の方へ視線をやった。結果は聞くまでも無いと予想していたが、任務報告はきちんと受けるべきだ。

 

「近辺海域に敵影なし。航路にも特に大きな問題は見受けられませんでした」

 

 向こうも同じような感情を抱いているのだろう。淡々と告げるその口調が、何よりもそれを物語っていた。

 少女――不知火と名乗ったその艦娘は、男にとってパートナーと呼べるような存在だった。着任してからの付き合いも既に数年以上に渡っており、今では互いに目を合わせるだけで意思疎通が出来るまでになっている。そんな彼女が問題ないというのならば、自分が考慮するほどの事柄は何も発生しなかったという事だ。

 

「そうか。なら今日はもう休んでいいぞ。俺の仕事もあと少しだからな」

 

 報告を受けた男は彼女にそう告げると、再び書類に目線を戻した。あと何枚か残っている書類を片付ければ今日の作業ノルマは達成され、自由な時間が訪れる事になっている。

 そうしてしばらく書類と睨み合っていると、前方から再び少女の声が聞こえた。

 

「それなのですが……よろしければ、後ほど外出許可をいただけないでしょうか?」

 

 男は再び顔を上げた。彼女が自ら外出願いを申し出るなど、今までの記憶からしても滅多にない出来事だった。

 

「珍しいな。何か外に用事か?」

「ええ、ちょっと」

 

 言い淀んだ後、不知火は言葉を続けた。

 

「それと出来れば、司令にも一緒に来て頂けるとありがたいのですが」

「俺も?」

 

 慮外の申し出に首を傾げる。自分が付いて行く必要がある事柄とは一体何だろうか?

 しばらく理由を考えていた男だったが、ふと、毎年この季節になると開かれる定例行事のことを思い出した。

 

「……訳を当ててやろうか? 次のクリスマス会の買い出しだろう?」

 

 艦娘の中でも駆逐艦に属している娘たちは総じてイベント好きが多く、どの鎮守府でも必ず行事や季節にかこつけて数々の催し物を開いている。当然この鎮守府もその例に漏れず、毎年クリスマスの時期になると多くの駆逐艦娘たちが寄合い、壮大なパーティを開くのだ。

 

「まあそんな所です。それで、お願いできますか?」

 

 どうしたものかと悩む男だったが、どうせ残っていた所で自分がする事などたかが知れている。ならばいっそ彼女たちの力になるほうが幾分か建設的だろうと思い、素直に首を縦に振った。

 

「いいさ。ちょうど俺も気晴らしが欲しかった所だ。荷物持ち位ならいくらでも手伝ってやる」

 

 男の言葉で不知火の表情が僅かに明るくなった。普段あまり感情を表に出さない娘なだけに、男は思わず珍しいものを見た気分になる。

 向けられた視線に気が付いたのだろう。照れ隠しのようにこほんと咳払いをついてから言った。

 

「……ありがとうございます。では一七〇〇時に正面入り口に集合という事で。ああそれと、せっかく外に出るのですから、軍服以外の恰好でお願いします。出来ればスーツのようなどんなお店にも入れる服装で」

 

 不可解な注文だった。軍服はやめろと言うのはもっとな意見だったが、ただの買い出しにわざわざスーツを引っ張り出す必要があるのだろうか?

 男の疑問に答えるように、彼女が再び言葉を付け加える。

 

「何件かお店を回るのですから、それなりに品のいい恰好をして頂かないと。方々にあらぬ噂を立てられてしまいます」

 

 確かにそれは問題だ。仮にも鎮守府の司令官を務める男が、私用とはいえ街中をTシャツとジーパンで練り歩いた日には、誰に何を言われるか分かったものではない。

 納得した男は肩を竦めながら応じた。

 

「了解だ。品性を疑われない程度にはめかし込んでおくとしよう」

「はい。ではよろしくお願いします」

 

 最後にそう言い残すと、入って来た時と同じく迷いのない足取りで不知火は男の部屋を後にした。

 

 ◇

 

 仕事を手早く終えて身支度を整えた男は、待ち合わせの時刻より少し前に正門にたどり着いた。

 『どこに入っても恥ずかしくない恰好を』という事だったので、今は外交用に誂えたダークスーツに身を包んでいる。ジャケットもそれに合わせた色合いのものを選んだつもりだが、男自身、私用で外に出るのは本当に久しぶりの事なので、いまいち勝手が分からずにいた。

 そうこうしているうちに腕時計は17時ちょうどを示す。しかし不知火の姿はまだ見えない。恐らくは様々な艦娘から“お使い”を引き受けているせいで時間取られているのだろう。外に出る艦娘に同僚たちが“ついでの買い物”を依頼するのはよくある事だ。

 

「しかし、最後にこんな服着たのはいつだったかな……」

 

 小さくぼやきながら自分の記憶を遡る。艦娘たちと同じく男も任務を除いてあまり外に出ない性分のためか、軍服以外の服に袖を通した記憶がさっぱりと消えている。確か最後にこの服を着たのは、去年あった恩師との会食以来だ。

 

「仕事熱心なのも考え物か……」

 

 そんな風に男が考え始めていたその時、目的の人物の声が風に乗って聞こえてきた。

 

「――お待たせしました。司令」

 

 振り返ってみると、そこには淡い水色のパーティドレスに身を包んだ一人の淑女が佇んでいた。

 

「……不知火、何だその恰好は?」

 

 思わず男の口からそんな言葉が洩れた。女性の――特に自分が特別慕っている人物なのだから、真っ先に誉めるのが常識である。その通りだと心のどこかで分かっていても、男の脳が目の前で起こっている現実を処理しきれずにいた。

 

「……似合っていませんか?」

 

 不安そうに眉を動かす不知火だったが、それは見当外れな意見だった。アップに整えられた桃色の髪も施された薄化粧も、普段の彼女から漂う武人然とした雰囲気を和らげ、とびきりの美少女に仕立てる事に成功している。元の顔立ちがいい事も手伝って、その効果は絶大だ。

 だがそれをどう伝えればいいのか、動揺した男の脳では言葉にすることが出来なかった。

 

「いや……とてもよく似合っている。だがそれはパーティ用のドレスだろう? 買い物に行くんじゃなかったのか?」

 

 目一杯の時間をかけた後、男は絞り出すような声を上げた。それが今の彼に言える精一杯のセリフだった。

 

「それはすぐに分かります。今はとにかく出発しましょう。外にタクシーを待たせてありますから、まずはそれに乗ってください」

 

 そう言うや否や、不知火は男の手を掴むと鎮守府の外まで引っ張っていく。そこには彼女の言う通り、一台のタクシーが既にエンジンをかけて待機していた。

 

 結局何が起きているのか全く分からないまま、男は言われた通りにタクシーの中へと入り込む事となった。

 

 ◇

 

 車の中で数十分ほど揺られていると、見覚えのある場所でタクシーはエンジンを止めた。

 

「ここは……」

 

 そこは繁華街の一角にある有名な洋食レストランだった。海軍も懇意にしている店で、上層部の人間とも何度か会食や会合で訪れたことがある。その時に不知火も秘書官として同行していたので、この場所を彼女が知っているのは当然だ。

 だが、一体何故こんな所に連れてきたのだろうか?

 

「席は予約はしてありますから、どうかお気になさらず」

 

 言われるがままに席に着くと、灰色の髪を綺麗に撫でつけたウェイターが金色の液体を満たしたグラスを持ってくる。漂ってくるブドウの匂いですぐにワインだと気が付いた。

 流石に酒はまずいだろうと断ろうとすると、不知火に手で制される。

 

「……それで、これは一体なんなんだ?」

 

 そこでようやく男は抱き続けていた疑問を口にした。

 

「目の前には見惚れるくらい綺麗な恰好をしたお前が居て、テーブルには上等な酒まで用意してある。これは一体どういう訳だ? 俺たちは買い物に来たんじゃなかったのか?」

 

「司令は今日が何の日かご存知ですか?」

 

 質問をしたつもりが逆に質問で返されてしまう。

 ふざけているのかと思わず声を出しそうになったが、静かにこちらを見つめる彼女の視線からして揶揄ったりしているわけではないらしい。

 

 今日は一体何の日だったか……

 

 最初に思い当たったのは彼女の進水式かケッコンを交わした日だったが、どちらも半年ほど前に過ぎているので関係あるとは思えない。当初の目的だったクリスマスは来週で、彼女の口ぶりからしてもそれではないだろう。彼女自身にまつわる何かなのかと考えてもみたが、特に思い当たる節もない。完全にお手上げだった。

 

「……分からん。降参だ」

 

「やっぱり覚えていないんですね」

 

 呆れたように不知火は肩を竦めると、ようやく回答を口にした。

 

「今日は貴方の誕生日ですよ。司令」

 

 そう言われた瞬間、言葉を失ったように男はぽかんと口を開けた。誕生日? 自分の?

 だが言われてみれば確かにそうだった。確かに今日は自分の生まれた日だった。

 

「そうか……今日は俺の誕生日だったのか」

 

 馬鹿馬鹿しいほど率直なつぶやきが男の口からこぼれる。

 

「そうですよ。今まで気が付かなかったんですか? カレンダーにもきちんと印をつけておいたのに」

 

 彼女の言葉に男ははっとなった。確かに司令室の壁に掛けられたカレンダーには小さな印がつけられていた。特に用件も書かれていいなかったので何かの搬入があるのだと勝手に思い過ごしていたのだ。

 

「悪かったな、すぐに気が付いてやれなくて」

 

「まったくです。せっかくお膳立てしたのに断られたらどうしようかと思っていました」

 

「すぐ種明かしをすればよかったんだ。そうすればそんな心配をしなくて済んだ」

 

「どの段階で思い出すか、他の娘たちと賭けていたんです。陽炎や黒潮は自分の誕生日くらい忘れないだろうと高を括っていましたが、不知火の予想が的中しましたね」

 

「……上官を賭けの対象にするなよ」

 

「すぐに思い出せない方が悪いんです」

 

 歯に衣着せぬ物言いに、思わず男も呆れたように苦笑いがこぼれる。

 同時に思い出したように不知火がグラスを手に取った。

 

「事情を理解していただけたところで、そろそろ乾杯にしませんか? 折角のいいお酒がぬるくなってしまいます」

 

 たっぷりと満たされた薄金色の液体を見つめた男が僅かに不安げな表情を作った。

 

「今更こういう事を心配するのは何だが、お前が堂々と酒を飲むのはまずいんじゃないのか?」

 

「艦娘に歳の話をしても仕方のない事ですよ。それに不知火がこの店をわざわざ選んだ理由の中に飲酒が含まれていないとでも?」

 

「まったく……お前は本当に優秀な秘書官だよ。それで、乾杯の音頭は何にする?」

 

「『貴方の誕生を祝して』と言うのは?」

 

「どちらかというと、それは俺がお前に向けて言うセリフじゃないのか?」

 

「私はいつも言ってもらっていますから、今日くらいは私から言わせてください」

 

「それじゃ偶には譲るとしよう」

 

 そう言って男がグラスを彼女に向けて僅かに傾ける。

 一瞬だけ訪れた静寂の中、不知火も同じようにグラスを差し出しながら告げた。

 

「こほん。では……『貴方の誕生を祝して』」

 

 向けられた祝福の言葉をしっかりと胸に受け止めながら、男は口端を曲げて言った。

 

「乾杯」

 


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