エリカ、転生。 作:gab
――朝9時。
ちょっと遅めの気がするだろうけど、途中買い物をするためにお店が開いている時間を見計らった出発時間だ。
お金とメモ帳、家の鍵をたすき掛けしたバッグに入れて、見送りの二人と挨拶を交わす。
(ジャンプ)する前、メリーさん達の心配げな表情に、私は空元気で笑って見せた。
ただの6歳じゃないんだ。
18歳と6歳なんだから、一人でだって大丈夫。
飛んだ先は、ポイント4番の船着き場。
まだ6歳。
念もまだまだ応用技の修行を始めたばかり。
所長を倒せるか。
さすがに私も、6歳の小さな身体で、“堅”をやっとぎりぎり2時間維持できるようになったくらいの初心者に所長が倒せるとは思っていない。
それくらいならマサドラあたりで路上生活している奴らはもっと少ないはずだ。
それに念についてはだいぶうまくなったけど、体術の経験はまだまだ少ない。
だけど、私には初見殺しの短距離転移“ステップ”がある。
油断しているうちに隙をついて後ろへ転移。一発で決める。これを対処されてしまうようならもっと修行を積まなくてはいけなくなる。
でも、そんな事をしている間にお母さんの遺体が腐乱してしまう。
いや、できる。できる。やらなくちゃ!
私は勇気を出して一歩を踏み出す。
うざい話し方の所長の顔を飛び上がって殴る。予期していたのか、余裕の表情で躱されてしまった。ドヤ顔がまたうざい。
キャラがたってる。
これだけうざいと、罪悪感がまるっきしわかない。安心設計のやられ役だ。
数分攻撃を躱しあうだけの攻防ののち、(ステップ)で後ろへ回り、膝裏を蹴って跪かせ、目の前まで降りてきた後頭部へ“硬”で固めた拳をぶち込んだ。
自分でも惚れ惚れするほど、綺麗にきまった。
ぽよんと煙となって消え、通行チケットが現れる。それを拾い上げる。
やったよ。お母さん。
「『通行チケット』
初めての場所だけれど、アニメで見た通りの、無機質な空間。
そこにはナビゲーターの女性がいた。
「あら、貴女はプレイヤーじゃないのね」
「私はここで生まれたんです。両親がプレイヤーで、二人とも死にました。外へ出て、両親の使っていたゲーム機の場所へ行きたいんです。プレイヤーじゃないと出られませんか?」
「まあ、そうだったの……えっと、貴女は通行チケットを持っているのだから資格はあるわ」
そこまで言うと、彼女はすこし眉をさげた。
「だけど、貴女のご両親の指輪がなければプレイヤー確認ができないの。プレイデータが確認できない以上、貴女をゲーム機のある場所へ帰すことはできないわ。近くの港までということになるけど、それでいいかしら?」
「ありがとうございます。パドキア共和国サンドラ港でお願いします」
「わかりました」
「次は、プレイヤーとして帰ってきます」
「まだ小さいのですから、もう少し大きくなってからでも……いえ、僭越でしたね。私達はプレイヤーであればどんな方でもお迎えします。またのお越しをお待ちしております」
ナビゲーターの女性は、百貨店の受付のような、丁寧なお辞儀をした。
それに私も挨拶を返し、指さされた扉へと進む。
扉を開けると、視界が真っ白に染まった。
気が付くと知らない港にいた。
まずは人目のない場所を選び、ポイントAを設置。
船着き場近くの駅へ向かって歩く。
独り歩きの6歳児は、目立つようだ。
ちょくちょく視線を感じる。
「あんな小さい子が大丈夫かしら」なんていう心配の視線もあれば「カモだ」と嗤う粘つく視線も感じる。
私は途中で木陰に入り、そっと“絶”をして進んだ。
駅前はかなり賑やかな街並みだった。
ポイント5もここにすることを決め、目立たない場所に(ポイント5)を設置する。
移動する前に、駅前のデパートへ入る。
初めてのお買い物だ。
世界地図と、この大陸の地図と路線図。それから方位磁石も。
買い求めた地図を開き、初めてこの世界の位置関係を知った。
これが、世界か。
初めてグリードアイランドの外を見たのだけれど、感慨など何も感じなかった。
お母さんが一緒なら、自分の世界が広がったことを喜べたのに。
今いる駅と、目的地の最寄り駅までは、列車を二度乗り換える必要がある。
6歳児が独りで列車に乗っているのは、ちょっと危ない。
駅へ入って切符を買う。一人で大丈夫かい? と聞く駅員さんに
「向こうの駅でお母さんが待ってるの」と答えて見せる。
偉いねえ、なんて言葉に微笑み、手を振ってプラットホームへ歩き出す。
行き先はニルスという街だ。そこまではこの特急が一番早い。
誰もいないコンパートメントに入って窓際の席に座る。
木目調模様なのにしっかり金属質な車両は10月の朝の冷えた空気のなか、よけいに寒々しく感じる。
早く列車が動けばいいと、行儀よく座ってその時を待った。
ピョロロロロという音が鳴って列車が動き始めた。
窓の外は港町からあっという間に都会へとその風景を変える。忙しく走り去る窓のそとのビルや街並みをじっと見ていた。
2時間後、誰もコンパートメントの扉を開けるものもおらず、私はほっと息をつきながら駅を降りた。
ポイントBを設置して、山の手に向かう列車に乗り換える。
時間はまだ昼を過ぎた頃。
ここまでは特急だったから早かった。
ここからは在来線で、しかも各駅停車しかないような路線だ。
列車が来るまで駅の待合室で1時間も待たされた。
売店で買ったパンとジュースで昼食をすませ、じっと静かに座っていた。
列車が来たことを知らせるアナウンスに、こちこちに固まったお尻を撫でながら立ち上がる。
プラットホームに行くと、青色の列車がちょうど滑り込んでくるところだった。
乗客が降りるのを待って乗り込む。
コンパートメントもなくて、通路を挟んで二人座り用の座席がずらっと並ぶ車両だった。
時折り路線図に書かれた駅名をチェックしながら時間を潰す。
単調な揺れと、ずっと続く極度の緊張に、ふっと眠気が差す。
知らない駅名しかないから、少しでも寝ちゃうと乗り越したかどうかわからなくなりそうで一瞬たりとも気が抜けない。
一人で乗っている6歳の少女(お母さん譲りの美少女だ)が居眠りなんてしていると、カモがネギ背負ってお酒もご用意できておりますくらいの美味しい獲物だ。
もう一度気を引き締めなおし目立たぬよう“絶”で気配を絶つと、また今いる駅名と路線図を照らしあわせる仕事に戻る。
駅の間隔が長くて、この駅間に住む人はどうやって暮らしているんだろう。全員車なのかな、なんてくだらないことを考えて気を紛らわせる。
お節介焼きのおばさんに会うこともなく、人攫いに捕まることもなく、誰にも声をかけられず、無事にルドルノン駅に着いた。1時間半の長い旅だった。
駅の改札を抜けると、そこは古い田舎町だった。
駅前に立派な像が立っていた。
カイゼル髭を片手で撫でている威風堂々とした男の像。サー・ルドルノンの彫像らしい。
全く知らないその偉人さんはこの街の名士なんだろう。
その姿の仰々しさと、風雨にさらされてすっかり剥げている現状が、より一層この街を古ぼけた街だと印象づけている。
ポイントCを設置。
駅前のロータリーを抜けて坂を上る。
15分ほど歩いて街を通りぬける。
その先に、山肌に沿ってずっと登っていく線路が見えた。ロープウェイだ。
このロープウェイの終着駅が隠れ家のある駅。
時間はそろそろ3時半になろうかという頃。
発車時刻がわからないけど、終着駅まで行くと4時過ぎるかもしれない。
悩みながら駅に入り、時刻表を見れば1時間に一度ほどしか出ていない。次の出発は4時10分。
メリーさんとの約束を破るわけにはいかない。
明日の時刻表を見て、始発が朝の5時半にあることを確認して、ポイントAを設置するとホームへジャンプした。
メリーさんの美味しい料理が迎えてくれた。
翌朝、5時過ぎにポイントAへ転移する。
切符を買ってロープウェイに乗り込んだ。
フラグもたたず、イベントもなく、ごく順調に隠れ家のある町へ来れた。
道が広く、古臭くてやけに敷地の広い家が続く、寂れた町だった。
隠れ家はこの古臭い街に埋没するような凄く目立たない戸建て住宅で、町はずれにあって見つけるのに苦労した。
人に聞くことも憚られ、焦りながら探すはめになった。
古ぼけた門構えを見上げ、ほっと溜息をついて門を通る。
中にお母さんの遺骸がある。
……何度も深呼吸をして、心を落ち着かせ、私はドアをあけた。
何年も開けられていない家の中は埃臭かった。
カーテンの隙間からもれた外の光がじんわり差し込み、電気を付けなくても中は薄明るい。
GIにある我が家と同じで、ここも玄関の扉をあけると中が広くて、ダイニングとその奥のキッチンがすぐに見渡せる造りになっている。
ゲーム機があるとお母さんに聞いていた、ダイニングの横の扉へまっすぐ進む。
扉を開けると、部屋の真ん中にゲーム機があり、その横に、うつ伏せに倒れ込むお母さんの姿が見えた。
――想像していたより、ずっとお母さんの状態は酷かった。
プレイヤーキルをする奴なんて、自分でクリアもできない能無しばかりだと思っていたのだ。
なのに、そこそこ強いお母さんが負けた。
実力者も混じっていたんだろう。
お母さんは切り傷だらけだった。地面を転げまわったのか土汚れも酷い。
逃げようとして致命傷を負ったのか、背中から胸まで腕が通るような大きな穴が開いていた。
抜き手でも受けたのか。
お母さん……
私は、世界を、呪った。
どれくらいの間、その場に座り込んでいたんだろう。
いつの間にかずいぶん時間がたっていたように思う。
心は慟哭し激昂しているのに、頭はやけに冷静だった。
というか、何をどうすればいいのか、まったく頭が働いていない。
救いをもとめて手を動かすと、たすき掛けにしたバッグに触れた。
ああ、そうだ。メモ帳だ。
何をすればいいのか、メモに書いている。あれを見れば大丈夫。
……もう、誰かに教えてもらわなければ息すらできない。
メリーさんがやることを箇条書きにするよう促してくれていたのは、こんな状況をわかっていたからかもしれない。
震える手でメモを開く。文字が頭に入ってこないから、一行一行、書かれている手順を読み上げ、ただロボットのようにそれに従う。
「入口の鍵を忘れずに閉める」
そう言えばお母さんのことが気になって、入り口をちゃんと閉めたかも定かじゃない。
のろのろと玄関へ向かい、扉の鍵をかける。
「次からは転移で行くので、鍵だけじゃなく、内側からチェーンをする」
目がかすれて読みにくい。いつの間にかくしゃくしゃになったメモ帳を広げ、読み上げ、扉のチェーンと、ロックをかけた。
「玄関の、入ってすぐの辺りで(ポイント2)を設置する」
続いて書かれた注意書き、“すごく大事! 忘れないで”も読む。
ここへはまた戻ってこなくちゃいけないんだもんね。
えっと。なんていえばいいんだっけ? そう。メモに書いてた。
「(ポイント2番登録“隠れ家”)。うん、大丈夫。できた。忘れなかったよ、メリーさん」
私は視線をメモ帳へ落とす。
「お母さんを抱き上げ一緒に、家へ」
……これで、お母さんに触れてもいい。
抱きしめて、家へ連れて帰ってあげなきゃ。
私は初めてお母さんに取りすがる。冷たくて固い身体は蝋人形のようだった。
「おかあさん、はやくかえろうね」
念を覚えていてよかった。
そのおかげで大人の遺体を持ち上げることができる。
うつ伏せで倒れ込んだ形で硬直しているから上向けると変なポーズを取っているようにみえる。
お母さん。
魂の入っていない、表情の抜け落ちた顔は、お化け屋敷のマネキンみたいに嘘っぽく見える。ニセモノのようなお母さんをそっと持ち上げると、家を目指して飛んだ。
「(ホーム、ジャンプ)」
転移してきた私を見て、メリーさんが目を瞠る。お母さんの遺体を見た衝撃に、二歩ほど後ずさってからこちらへ駆け寄る。
私からお母さんを受け取ると、抱きしめた。
メリーさんの咆哮を初めて聞いた。
私もやっと、泣くことができた。
二人で、お母さんの遺体に取りすがり、わんわん泣く。涙で目が溶けるんじゃないかと思うほどいつまでも尽きなかった。
ラルクも、一緒に悲しんでいるみたいだった。
この世界で遺体の葬法は土葬らしい。
外に埋めるのは嫌だから、ホームの端っこを墓地にすることにきめた。
隠れ家は念の修行のためにあちこち掘り返していたから、土が柔らかくなっている。
まるでこのために準備していたみたいじゃないか。
皮肉な現実から目を背け、お母さんのお墓は、お花畑で周りを飾ろう、なんて話をしながら埋めた。
お母さんは『超一流作家』に成れないままだった。
卵はお母さんのお墓に一緒に埋めた。あの世で素敵なお話を書いてください。
死体遺棄と埋葬の違いは、どこにある?
お役所サマの許可を受けたかどうか?
ちがう。
弔う者の、心だ。
グリードアイランドの中に墓場なんてない。もしあったとしても、他のものの目に触れるところにお母さんを置きたくない。
よく考えたら、お母さん達って何かの犯罪を犯してたんだっけ?
あの家の裏山にはお父さんと仲間二人の遺体が埋まっているはず。場所がわかるなら、お父さん達のお墓もここに移動させたい。
隠し埋めただろうから、見つけるのは難しいか。
葉書で聞いてもいいけど、手紙のやり取り程度で見つけられるか。お父さんのことはまた考えよう。
後日、メリーさんが超一流アーティストになってから、十字架に“ルミナ・エッジここに眠る”と彫られた立派な墓標を作ってくれた。
お墓らしさが増したことはいうまでもない。