エリカ、転生。 作:gab
2000年 6月 12歳
蟻の巣を見下ろす崖の岩棚に開いた洞穴とノヴさんのマンションとホテルの風呂を往復する日々を過ごすうちに誕生日が過ぎて12歳になった。
こっそり影と交代してガーデンに入り、メリーさんとラルクにお祝いしてもらった。
そんな毎日を続けていたある日――
悪魔みたいな青の肌と黒い翼を持つキメラアントが白旗を振りながら飛んできて、緊張が走る。
身構える私達に、たった一人でやってきたキメラアントはこう言った。
巣に残った兵が降参するかわりに女王の怪我を治して欲しい、と。
キメラアントのコルトの話では。
王は女王の腹を突き破って産まれてきた。内臓の損傷が激しい女王を気遣うそぶりも見せず、女王の容態を気にするあまり王の命令を無視した兵隊蟻を殺したらしい。
あげく、瀕死の女王を見捨て、護衛軍を率いて巣を出ていったのだとか。
女王は私達の殲滅対象なのだけど、腹部に酷い損傷をうけた女王はもう子を産む力はない。出産能力のない女王は無害な存在だ。
だから、コルト達が降参する代わりに、彼女の治療を頼みたい。
それがコルトの依頼だった。
ああ、とうとう王が産まれたんだ。
研究チームの学者が想定していたよりもずっと早い誕生だった。
間に合わなかった。
あやふやな原作知識では時間経過がよくわからなかった。これでも急いで間引きをしてきたのに。
やはり原作通りの流れになるのか……
コルトの言葉を信じ、彼を連れてネテロ会長と合流することに。
キメラアントの王が誕生した。
その報告を会長は重く受け止めた。どうやら覚悟を決めたようだった。
長い髪をぶちっと切り落とし、「心」Tシャツを身に纏う。
そして裂帛の気合と共に“練”を放った。
「コルトくん。おぬしも念が使えるそうだが、王を間近に見た経験を踏まえて忌憚のない意見を述べてくれ給え。
どうかな? ワシと王を比べて」
ネテロ会長の本気の“練”は針で肌を突き刺されているかのような強いオーラだった。
だけど――
コルトの回答は残酷な事実を告げる。
「おそらく王に触れることさえできないだろう。その前に殺される。直属護衛軍達にな」
「この年で挑戦者か」と呟き好戦的な笑みを浮かべた会長が、研究チームを巣へ向かわせるよう指示を出し、「古い知人に会いにいく」と出て行こうとする。
「会長」
後ろ姿を呼び止めた。
「会長。私の予知の話なんですが。もう一つ、見えてることがあります」
キメラアントの報告の際に予知のことも伝えている。
新しい予知にみんなが緊張の面持ちでこちらを見た。
「何が見えたというのじゃ?」
「小さなバラを体内に埋め込む会長が見えました」
「っ」
「それ、使わないでください」
原作で“貧者の薔薇”を身体に埋め込むことをいつ決めたのかはわからないけど、刺し違えても王を斃そうと考えている会長なら、いくつかの案の中に薔薇のことも既に検討していたはずだ。
現に会長は私の言葉の意味がわかっている。
「小さなバラときたか……どこでそれを知ったんじゃ」
“貧者の薔薇”は独裁国家やテロリストが使って大被害をもたらした『持ち運べるサイズの大量破壊兵器』だ。ぴりっと空気が凍ったのがわかる。
「だから先天的能力だって言ったじゃないですか。制御できないんですってば」
「今の言葉の意味を、わかっとるんじゃな」
「はい。あれは、だめです。王とその側近も死にますがこの国の人も何十万人も死にます」
話が読めず、周りで聞いていたものたちが息を呑む。
「しかしの、エリカ。こうでもしなくてはあの王は倒せんのじゃ」
「会長、全盛期のあなたならどうですか?」
「なんじゃと?」
鞄から……といいつつ倉庫から、クリア報酬のバインダーを取り出す。
一枚のカードを出して『ゲイン』。カードは消え、手の中には薬瓶が残った。
「グリードアイランドのクリア報酬です。『魔女の若返り薬』と言います。一粒飲めば1歳若返ります。知識や記憶はそのままに、身体だけが若返ります。この瓶に100粒入っています。
会長、貴方がこれを飲めば全盛期の身体に戻れるんです。
王、倒せませんか?」
「これを、ワシに飲めと?」
「はい。まだ会長には生きていてほしいんです」
横で聞いていたノヴさんも一歩前へ出た。
「会長。私からも頼みます。その薬に本当にそんな力があるのなら、ぜひ、ぜひそれを飲んでください」
モラウさんも一歩前へ出る。
「会長が全盛期の身体を取り戻せば、“念使い最強”の頃に戻れんだろ? ならあんたなら勝てる。オレもあんたに死んでほしくなんてねえ」
「……ぬしらの気持ち、受け取ったぞい。ありがたく、使わせていただこう」
会長が、薬瓶を手に取る。
一気に飲み干されたら困るから急いで声をかけた。
「間違えて飲みすぎないでくださいよ。全盛期ですよ、全盛期」
「わかっておる。……60粒、貰おう」
皆が見守るなか、会長は瓶のふたを開け、ざらざらと手にとり、瓶を私に返すとまず50粒をいっきに飲んだ。
変化は劇的だった。
細い身体は分厚い筋肉に覆われ、背も30センチは伸びた。120歳の会長が50粒飲んでも70歳のはずだけど、4,50歳ほどの壮年の姿に見える。
「っ!」
オーラに圧倒されたみなが後退る。
“纏”もまとわず、ただ垂れ流されるオーラは身体から立ち上る炎のように揺らめいていた。
圧倒的強者が、人類の頂点が、そこに立っていた。
「ふむ。あと数年か」
身体を確かめるように拳を握ったり開いたりしていた会長がそう言葉にだす。手のひらに10粒乗せて差し出すと、一粒ずつ、目を閉じ、噛みしめるように飲み下す。
もう一粒。
そして、もう一粒。手のひらの粒があと3粒となった時。
「ふむ……“練”」
ぶわりと総毛だつ。
一番近くに立っていた私は息もできずに腰砕けに崩れ落ちた。浴びせられたオーラにガタガタと震える。
みなも引きつった表情をうかべ、距離を取っていた。
「コルトくん。これで、どうじゃな?」
振り向けばコルトはかなり後ろ、部屋の隅まで飛び退って、天井の角にぴたりと張り付き、恐怖の面持ちで会長を凝視していた。
「つ……つよい。王も、あなたも、強いと思う。だが、俺にはそれ以上のことはわからない。あまりに強く、俺には違いがわからない」
その回答に満足したのか、会長は壮絶な笑みを浮かべた。
「すまんの、皆のもの。少し時間を貰うぞい。みなは手はずどおりにの」
会長はそう言って外へ出ていった。
57歳若返った身体に馴染むため、これから修行に入るんだろう。
遠ざかる会長の背を黙って見送る。
……会長の身体から立ち上るぶ厚いオーラの層に、立ち上がることもできなかった。
モラウさんが大きな手を私の頭にのせた。
「礼を言う、ありがとうなエリカ」
会長と付き合いの長いモラウさんやノヴさんが、ネテロ会長に生きていて欲しいと思うのは当然だよ。
「いえ……」
これで会長は王と互角に闘えるだろう。
こういう介入ってよくないかもだけど、でも、会長にはまだ死んでほしくないんだもん。
『今の会長では敵わない』のなら『人類最強だった頃の会長』を王にぶつけてやれ、ってのが私の作戦だ。
何があっても会長は王と闘う。それはもうきっと変えられない。ネテロが、武闘家が本気で戦えるチャンスを逃すはずがないんだから。
自分が死んでも、それで満足なんだろう。
だけど。
武闘家としては死んで満足だけど、ハンター協会会長としては王を生かしておけない。最悪でも相打ちで終わらせなくてはいけない。
そのための“貧者の薔薇”だ。
だから、私はネテロ会長のために『魔女の若返り薬』を選んだ。これで会長は思いきり戦えて、うまくいけば助かるかもしれない。
57年若返った彼は、『人類最強だった頃』のままじゃない。
120年生きた経験を持った『人類最強』だ。
長年技術の研鑽を積み重ね、戦いの場に身を置き続けた、知識と経験に培われた老練さをそのままに、肉体だけが全盛期まで若返ったのだ。
グリードアイランドのカードの効果効能のすごさは超一流ミュージシャンとなった私が身を以って実感している。悪影響を及ぼすなどありえない。増えた身長分の筋肉や骨とかどうなってんの? なんて不安がることもない。
今の身体に慣れるまで調整に時間はかかるだろうけど、間違いなく過去の彼を超えた『人類最強』のはず。
きっと王に勝てる。そう、思う。
それでも、王に届かないとなれば。やっぱりバラを使うんだろう。
あとは会長の考え次第だ。
私のやれることはもうやった。
会長を見送った私達は、研究チームと合流して、器材を持ち込むため“四次元マンション”経由で巣の近くまで移動し、コルトの案内で巣へ入った。
ノヴさん、モラウさんの弟子も同行していた。一昔前のヤンキーみたいなナックル、細身で気弱そうなシュート。
ゴン達は彼らに負けたようだ。原作よりも強くなっていたんだけど、“発”の相性が悪かったかも。
落ち込んでいなければいいんだけど。
キメラアントのコルトに案内され、ここ10日ほどずっと外から眺めてきた巣の中へ入る。
思った以上に広い空間を、私達は奥へとすすむ。
コアラや牛、クマっぽい兵士長達がコルトを待っていた。
驚いたのは、蟻たちがみなとても理性的だったこと。
王が護衛軍を連れて巣を出たあと。
本来なら女王の下にいるべき他の蟻達も、瀕死の女王を見限り、それぞれ巣を出ていった。
人間と混じった蟻は盲目的に上に従うという蟻の本能など無く、それぞれが自分の欲望のまま行動している。
あるものは王になるため。あるものは残虐な行為を楽しむため。あるものはたらふく食べる餌場を求めて。
残っているのは理性の高いものだけだった。
彼らは女王の治療と引き換えに自分達の処遇を私達にゆだねた。この先自分達がどうなるかわからない不安を感じながら、静かに待っていた。女王のことを気遣う彼らの姿に、心が揺れる。
治療に全力を尽くす研究チームの医師達を見守る。
研究チームは医療器具をしっかり準備してきた。
瀕死の女王の姿にみな息を呑んだ。王は腹を突き破って産まれてきたらしい。漫画で見たあのサイズの王が無理やり出てきたなら、そりゃあこんな風になるか。
腹部はほとんど残っておらず、息の絶え絶えな女王は、それでもまだ生きていた。
破壊されつくした臓器を取り出し、人工臓器に変えていくという医療スタッフの説明に、コルトが自分の臓器を使ってくれと懇願する。
言葉を話せず、代わりに信号を発して意思を伝える女王の想いを、巣に残った蟻が私達に通訳してくれる。
女王は息子の心配ばかりしていた。
無事に生まれたか、欠けた部分はなかったか、死に瀕した自分のことより愛する我が子のことばかり気にしている女王。
女王の我が子に対する深い愛情を感じて、何とも言えない感情が溢れてくる。
ああ……
ポックルや他のたくさんの人達を無残に殺して食べた奴なのに。
でも。
女王には悪意なんてなかったんだ。
ただ、生き物としての当然の行動だっただけ。大きくて食べ応えがあって栄養価が高い食料がごろごろしてるんだもん。丈夫で元気な子を産むためならそりゃあ食べるよね。
それに対して怒るなら、豚や牛にとって人間ってキメラアント以上に酷い生物だ。捕まえて無理やり交配させて育てて喰うんだから。
そこに悪意があるわけはないのだ。
ただ己の種族の存続を望む生き物。
原作を読んでいた英里佳だった頃の私は、カイト派だった。だからキメラアントがみんな嫌いだった。
なんて酷い奴らだと、そう思ってた。
彼らのシーンは飛ばして読んでいたくらいだ。いい人っぽい描写なんて見たくなかったし、彼らを好きになりたくなんてなかった。
だってそれじゃあカイトがあまりにも可哀そうじゃん。カイトが好きだった英里佳は、それが許せなかった。
いっそ、酷い奴らのままでいてほしかった。
だけど彼らはただ生きていただけだった。
もちろん悪意を持って残虐に人を殺して楽しむ奴らもいた。だけどそれは彼らが人を食べて悪人の心を受け継いだから。
キメラアント自体には食欲と種の保存の本能しかない。
バッグから椅子と二胡を取り出す。
もうきっと女王は助からない。でもせめて痛みを紛らわす手助けになればいい。
きびきびと治療を続ける医療チームの横、邪魔にならない場所に椅子を置き、私は静かに二胡を奏でる。
“ほむら”の楽曲が巣のなかに広がっていく。
『これは……痛みが安らぐの』
女王の感謝の気持ちが伝わってきた。
ごめんね、女王。
私は、やっぱりあなたが嫌いです。
だけど、安らかに眠ってください。
やがて。
王の名を、『メルエム』という名をあの子に伝えてと想いを語った女王は静かにその生を終えた。
『また守れなかった』と慟哭するコルトの言葉に、ノヴ達もキメラアントに人間だった頃の記憶があることを知る。
そして……
女王の内臓の残骸から小さな小さな赤ん坊がコルトの手によって取りだされた。
『この子はオレが守る』と涙を流すコルトの姿に、私達も絆された。『コルトとこの赤ん坊が今後決して人間を食べないと誓えるなら、オレが守ってやる』とモラウさんが宣言した。
彼女が悪人でないことを祈るばかりだ。この生真面目なコルトが大切に育てるんだから、きっといい子に育ってくれるはず。
どうか、どうか、この新しい命が健やかに過ごせますように。
私も、この子とコルトのこれからを見守りたいと……そう、思った。