武闘派悪役令嬢   作:てと​​

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武闘派悪役令嬢 014

 

 ――少女たちのすすり泣く声が耳に入った。

 

 私はひどく懐かしい気分に襲われながら、ゆっくりとまぶたを開く。そこは見覚えのある場所だった。食堂棟の二階のホール。ダンスパーティーにも使われるこの会場だが、平時は数多くのテーブルが並び、学生が自由に利用する多目的ホールとして開放されていた。

 昼の休憩時間や放課後は、このホールで茶飲み話をしたり、あるいはトランプやチェスなどを楽しんだりする者も多い。多くの学生にとっては、馴染みのある場所と言えるだろう。

 

 そんな二階ホールで――私は椅子に座っていた。

 自分の足や腰を、縄で椅子に縛り付けられた状態で。

 

 周囲には、私と同じように拘束された女子学生たちがいた。上級生と下級生が入り混じっていたが、その共通点はすぐに判別できる。――全員の出身が、伯爵家以上の上級貴族だった。

 つまるところ、わかりやすい人質というわけである。

 そして、いま女子学生の命を預かっている人物は――

 

『――食事は取りたまえ。この状況がいつまで続くかもわからぬのでな』

 

 そう落ち着いた声で言うと、彼は呑気な様子でティーカップに口をつけた。

 テーブルの向かいの席に座っているのは、本を広げて平然と読書をしている初老の男性である。ダークブラウンの短い髪には、白髪がそれなりに混じっていて齢を感じさせた。眼鏡をかけて本に目を通している姿は、まさしく研究者といった風情である。

 

 ――フェオンド・ラボニ。

 それが眼前にいる人物の名前であった。

 

 彼はこうして女性学生を人質にして、王国に要求を突き付けている最中というわけである。この二階ホールで、貴族の女子たちとともに立てこもっているかぎり、外の人間は強硬な手段が取れなかった。

 テーブルや椅子の配置も、魔法などによる狙撃を警戒した位置取りをさせている。バルコニー側から忍び込んでラボニを狙おうとしても、人質たちを巻き込みかねない状況だった。なかなか考えられた計策である。

 

 もっとも――何事も予定どおりにはいかないもので。

 ラボニが仮眠を取るために、見張りに立たせたデーモン。使役しているように思われたそれも、徐々に召喚者の命令に背きはじめる。

 

 きっかけとなったのは、一人の少女の行動だった。

 ヴィオレ・オルゲリックは人質として監禁されるなかで、空腹に耐えかねて給仕が運んできたパンを手に取った。口をつけた彼女は、そのパンの中に異物が入っていることに気づく。それは魔力を通し、魔法の制御道具にもなる古木――すなわち杖だった。

 学園側がラボニに悟られず学生へと送り込んだ、魔術師の武器。それを見つけたヴィオレは、なんとか魔法で拘束を解き――そのまま自分だけ逃走しようとした。彼女には魔法でラボニを暗殺しようとする勇気などなかったのだろう。

 だが事態を察したデーモンがそれを見逃すわけもなく、ヴィオレの胸を貫いて殺害してしまった。「絶対に殺しはするな」という命令が破られたラボニは、ひどく動揺した様子でデーモンと言い争い――そんな混乱の中で、乗り込んできたアニスたちが終局への物語を紡いでゆくのだ。

 

 それが知識だった。

 だが――今となっては、もはやなんの役にも立たない未来の情報である。

 

「久しぶりに見た」

 

 思わずこぼした声は、いやにはっきりと自分でも聞こえた。

 これは“夢”だった。かつて、何度もうなされた悪夢。そして、いつしか見なくなってしまったもの。

 

 ――嬉しい。

 そんな感情が湧いていた。

 

『見た……? なんのことだね?』

 

 私の発言は意味不明だったのだろう。ラボニは不可解そうな目つきで、こちらに視線を向けていた。

 ――下半身に目を向ける。

 そこには、足腰を雁字搦めに椅子と縛っている縄があった。飲食はできるようにとの配慮か、腕だけは自由にされているが、それでも素手で解くことは無理だろう。刃物で切るか、あるいは魔法で土くれに変えるかしなければ、どうしようもない拘束である。

 相手が杖もない女子学生ならば、体を椅子に縛り付けていれば十分。それがラボニの考えだったのだろう。

 

 だが――それは間違いだった。

 いま、この夢を見ている私は。

 かつてのヴィオレでなかった。

 

 手を伸ばし、邪魔な縄をすべて引き千切った私は――すぐに椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩きだした。ホールの中央へと。

 そこでラボニのほうを振り返ると、彼は一冊の古びた本を手にしながら、呆然とした表情を浮かべていた。

 

『ばかな……杖も、なかったはずなのに……』

「そんなことは、どうでもいいのよ」

 

 私は淡々と言った。

 ここは夢の中である。ラボニも、人質の女子たちも、どうでもいい存在だった。ただ、私が“欲しい”と思う存在は――

 

『…………っ』

 

 ラボニは焦燥しながらも、未知の言語を叫んだ。それはデーモンを召喚するための呪文である。ホールの床を黒い影が蝕んだかと思うと――その暗闇から巨大な異形が突如として出現した。

 

 体躯は巨大なクマを思わせるほど、屈強で猛々しい。

 背だけでなく、横幅も広かった。あふれるような筋肉に、その腕の先に伸びた爪。鋭利なそれは刃物と等しかった。

 人間とは明らかに異なる黒紫の皮膚は、まさしく魔の生物といった風情である。

 

 勇ましいデーモンの姿に――私は笑みを浮かべた。

 

『……ニンゲン……ナゼ……』

 

 デーモンがどこか困惑したような声を上げたが、気にせず彼のもとへと歩み寄る。

 臆せず対峙する人間というものは、初めて目にするのだろうか。デーモンは威嚇するようにうなるが、襲いかかってくる気配はなかった。

 かつては恐れ、死を感じた脅威の存在。

 だが久方ぶりに対峙した今は――立場が逆転しているようだった。

 

「さあ」

 

 私は両手を広げながら、なおも歩みを続けた。

 ――やってみせなさい。

 その意思は通じたのだろうか。弱きはずの人間に挑発されたデーモンは、怒りに任せて動いてくれた。

 

 その太く逞しい腕が、私へと差し向けられる。

 爪で刺し貫くつもりだ。そう理解した私は――こともなげに腕を前へ掲げた。

 

 鋭利な刃が、肉に食い込んだ。

 右手の前腕でガードしたそれは――熱い痛みをもたらした。

 これは夢のはずなのに、まるで現実のような痛覚が存在している。それが愉快で、私は笑いを深めてしまった。

 

『バカ……ナ……』

 

 私の腕に爪を突き立てたまま、デーモンは呆然と呟いた。人間ごときに、なぜ。そんな心中が伝わってきた。

 

「――誰かから傷つけられるなんて、久しぶりだわ」

 

 流れる血を感慨深く眺めながら、私はそう口にした。これが頸動脈に命中していたら、まず失血死は避けられなかったであろう。

 ――素晴らしい一撃だった。

 やはりデーモンは人外なだけある。全力で“気”を込めた肉体をも傷つける、その剛力と切れ味。人間とは桁違いの能力に、私は感心しきっていた。

 

 たとえ優れた才能と経験持つ騎士といえども、この人ならざる存在に勝てるかどうか。生半可な魔術師では、一矢報いることすら困難であろう。

 しかしながら――

 

 所詮は、それどまりだった。

 

「――――ッ」

 

 突き刺さった爪から、腕を引き抜き――私はデーモンの懐へと踏み込んだ。

 相手はその動作を捉えることもできなかったのだろうか。防御態勢を取られることもなく――攻撃は急所へと達していた。

 体重とスピードを乗せた、追い突きと呼ばれる空手の基本技。

 常人の速度を超えた打撃は――まるで何かが破裂するかのような音を響かせた。

 

 風よりも疾く、槌よりも重い打撃。

 いや――それは音さえ超えていたのかもしれない。鈍器など比べ物にならない威力は、至近距離で爆弾を炸裂させたのに等しかった。あるいは、それ以上か。

 

 拳がデーモンの胸を貫いていた。

 文字どおり――破壊的な力が肉をえぐり、吹き飛ばしていたのだ。

 心臓を粉砕されたデーモンは、どさりと崩れ落ちて……。

 あっけなく――その生命を消失させた。

 

「次は――」

 

 私はゆっくりと、向こうにいるラボニへと顔を向けた。唖然とした表情の彼は、その手から魔本を滑り落とす。デーモンをたやすく討ち取られて、何を思っているのか。絶望しているのか、それとも――

 

「もっと強いのを……()び出しなさい」

 

 その言葉を最後に――あらゆる空間は白に塗りつぶされた。

 夢はすべて崩れ去ったのだ。

 だが――

 

 たしかに、夢は存在していた。

 

「…………」

 

 ベッドの上で、まぶたを開けた私は――ふと右腕を動かした。

 その前腕、夢の中で流血した部分に――なぜか鋭い痛みが残っている。

 どこにも傷はない。ただ寝ていただけである。それなのに、私の肉体はまるで本当に闘争を為したかのように熱を帯びていた。

 

 ――夢のフィードバック。

 そんな非科学的なことが実在するのだろうか。不可解ではあったが、否定すべきものでもあるまい。

 夢幻の中で、無限に戦えるというのならば――これほど痛快なことはなかった。

 

 もっと強い相手と戦いたい。

 圧倒的で、絶望的で、破壊的な力を有した者と。

 死を顧みることなく、全力ですべてをぶつけ合うのだ。

 それは――素敵で甘美な夢想だった。

 

 現実ではない世界ならば、どんなことだって叶いうる。

 私は次の夢を見ることが、今から楽しみで仕方なかった。

 

 

 

   ◇

 

 

 

 

「――オルゲリックさんっ!」

 

 とある授業が終わった直後のこと。

 つかつかと私の座っている席のもとへ、一直線に近づいてきたアニス・フェンネルは――意を決したような表情で話しかけてきた。

 

 最近はそこまで私に構ってこなかったはずの彼女だが。

 ……今日に限って、なぜ?

 と訝しみつつも――私は髪を掻き上げ、冷ややかな目つきで対応した。

 

「いきなり、なんですの? 言っておきますが、あなたと遊ぶつもりはありませんことよ」

「そ、そうじゃなくて……! え、えぇと……その……」

 

 言いよどむアニスは、何か事情を抱えているようだった。いつもハッキリと話すタイプの彼女にしては、なかなかめずらしい様子である。どうしたのだろうか。

 不機嫌そうな雰囲気を(かも)しつつも、私はアニスが口を開くのをじっと待つ。やがて彼女も話の整理がついたのだろうか、緊張した面持ちで言葉を紡ぎだした。

 

「――相談があるんです」

 

 ……はい?

 そ、相談……?

 

「それは親しい相手にすることではなくて?」

「え、ええぇっ!? わたしたち、友達じゃないですかっ!」

「誰がッ!? いつッ!?」

 

 いつの間に私とアニスは友達になったのか。彼女の人間関係の基準は絶対にズレている。日常的に和やかに会話して初めて、友達同士と呼ぶものではないだろうか。

 そんなツッコミをしたかったが、私の内心などお構いなくアニスは話を続ける。

 

「オルゲリックさんくらいしか、頼れる人がいないんです!」

「はぁ……? わたくしが頼られる理由がわからないのですが」

 

 私はどこか間の抜けた声を上げてしまった。

 アニス自身の交友関係はべつに狭いわけではない。というか、むしろ友達が多いほうだ。“ヴィオレ”という虐め役が存在しないこの世界では、彼女は持ち前の明るさと優しさによって、クラスメイトとの良好な関係を築いていた。

 つまり、相談する相手はいくらでもいるはずなのだ。

 それなのに、私に対して話しかけてきた。その理由の見当もつかない。私ははっきり言って困惑していた。

 なぜ、アニスは私を頼ろうとしているのか――

 

「そ、それはですね――」

 

 彼女はぎゅっと拳を握って、強く言いきった。

 

「オルゲリックさんは――いつも、人を寄せ付けないオーラを出しているからです!」

「…………はい?」

「わ、わたしも……その方法を教えてもらいたいなぁ、って!」

「…………はあ?」

 

 な、何を言っているのかサッパリわからない。

 頭をぶつけておかしくなったのかしら、と哀れむ目つきをしていると、アニスは慌てたように言葉を付け足した。

 

「あ、あのですね……。なんというか……よく話しかけてくる方がいらっしゃって」

「話しかけてくる方?」

「はい。以前に舞踏会(ダンスパーティー)で一緒に踊った、上級生の男性なんですけど……。それから、顔を合わせるたびに声をかけられるようになって」

「はぁ」

 

 なんとなく、話が見えてきたような気がした。

 

「『今日も美しいね、きみは!』とか『よかったら一緒にお茶しよう!』とか、ものすごく積極的に言ってくるんです……」

「へー」

 

 それ、あなた気に入られてるんじゃない。

 まあ、顔もかわいいし性格も素直でいい子なので、男性から人気があるのも頷ける話である。フォルティスもレオドも教師陣も、“本来の流れ”と違ってアニスとの交流がまったくないようなので、もしかしたらこの世界の彼女は男性との縁がないのではと思っていたけど――

 結局はそんなこともなく。やはり“主人公”らしい魅力を持った彼女は、ひとに好かれることを避けられないということだろうか。

 

 しかし……。

 相手はいったい誰なのだろう。それが気になった。

 

 直球で好意を伝えてくるような(ヒーロー)なんて、私の知識の中には存在しなかったはず。しかも縁の薄い上級生。ということは、“ストーリー”に出てきすらしなかった男子学生なのかもしれない。

 

「それで、ですね……。オルゲリックさんに、ひとを拒むオーラの出し方を教わろうかと思いまして……!」

 

 いや、べつに拒絶しようと思っているわけでもないんですが。

 たしかに、廊下を歩けば学生は私を避けていくし、教室や食堂では私の周囲の席に誰も座ろうとしないけれど――べつに意図的に他者を排除しているわけでもなく。

 勝手にみんなが恐れて逃げていくだけである。

 ……まあ、私は気にもしてないけど。

 

 それはともかく。

 

「――厭う必要もないのではなくて? 付き合えばよろしいでしょう」

 

 私はこともなげに言った。

 そもそもアニスは、私と違って婚約者がいるわけでもない。学園で恋仲になった貴族と、そのまま縁を結ぶケースだってあるものだ。いっそ付き合ってみるのも、そう悪くはなかろう。

 ――が。

 そんな他人事な考え方は、彼女にとっては受け入れがたいらしい。

 

「い、いやです……!」

 

 と、交際を完全否定するアニス。基本的に他人を肯定的に捉えるタイプの彼女が、こうもはっきり拒絶の意志を示すとは。それだけ相手に問題があるのだろうか。

 アニスの性格的に、相手の容姿で良し悪しを判断することはないだろうから――

 

「な、なんというか……軽いんですよっ! こう、もっと真剣に言ってくるなら、まじめに考えるんですけど……!」

 

 つまり、どう見ても軟派な男らしい。

 なるほど。そういう遊び人気質な男は、アニスがもっとも苦手とする相手なのだろう。それで、どうにかして追い払いたいと悩んでいるわけか。

 

 ……やっぱり私に相談する内容じゃないでしょ、それ。

 

「――くだらない」

 

 私は呆れたように、ばっさりと斬り捨てた。

 嫌いな相手をうまく避ける方法、なんてものを考えるのは馬鹿らしい。相手のことが嫌いなら、自分も嫌われるようにすればいいだけだ。全員に良い顔をする必要なんて、どこにもないのだ。

 

「あなたが嫌いだと、二度と関わるなと、そう言えばよろしいだけでしょう。そんな単純なこともできませんの?」

「うっ……。そ、そうなんですけど……でも……言いづらいというか……」

 

 アニスは泣きそうな顔で、小さく弱々しく言う。他人を嫌いになりきることができないのは、彼女の良いところでもあり悪いところでもあった。その純真さが、かえって自分を苦しめることもあるのだ。

 

 彼女は善良な人間だった。

 それは主人公にふさわしき人格であり、その善良さをもってして物事を良い方向へと導いていくのだ。

 もっとも――それはフィクションの話であり。

 現実は、正直者が馬鹿を見ることだってある。この世界において、アニス・フェンネルという人間が不幸に陥る可能性は否定できなかった。

 

 ならば、いったい誰が彼女を守護(まも)るのだろうか。

 ヒーローが存在しないというのならば。

 困っているアニスを助けるべき者は――

 

 

 

 

 

「――強くなりなさい」

 

 私は淡々と、彼女に向かって言い放った。

 言葉をぶつけられたアニスは、一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。そんなことを言われるとは思っていなかったのだろうか。

 

 もし私が(くだん)の男を脅して、アニスに絡むのをやめさせれば、彼女の抱えている悩みは簡単に解消されるだろう。

 だが――私はそんな人助けをするほどのお人好しではなかった。

 仮に今回は助けたとして、また同じようなことがあったら。そのたびに世話を焼くのだろうか? ばかばかしい。

 

 己を救済すべきは――できるかぎり己であるべきだ。

 だからこそ。アニスという少女は、もっと強くなるべきだった。

 

「人は“力”を(おそ)れるものよ。はるかに強い存在に対して――人間は距離を置こうとする。権力、財力、知性、才能、あるいは腕力。彼我の差を感じるほど、高みにいる相手には近寄りがたくなる」

 

 多くの者がそうだ。たとえば出自が平民の人間にしてみれば、格の高い上級貴族へ気軽に声をかけるのは憚られるだろう。家柄の差を理解してしまっているからだ。

 あるいは天才と呼ばれる人間は、凡人からしてみれば歩み寄りがたい存在であろう。大きな差異というものは、親近感とは正反対の感情を抱かせるのだ。

 

 だから、近寄ってほしくない相手がいると言うのなら。

 その人物が認識できるような“力の差”を身につければいい。

 そう――相手よりはるかに“格上”の存在となるのだ。

 

「つまり――」

「つ、つまり……?」

「――体を鍛えなさい」

「……っ! お……オルゲリックさん……!」

 

 アニスは感情を震わせたような面持ちで、私の腕をがしっと掴んだ。

 彼女の両手は、鋼のように鍛えられた上腕二頭筋に触れている。

 この学園の、どの学生よりも太く硬い肢体を確かめながら、アニスは――

 

 

 

「こ、こんなにムキムキになるのは無理ですよぉーッ!?」

「無理じゃないわ。腕立て伏せを毎日しなさい。まずは千回から」

「そ、そんなにやったら痛みで死んじゃいますってッ!?」

「あなたなら大丈夫よ」

 

 筋肉の発達のメカニズムとは、筋繊維の破壊からの再生――すなわち痛みからの回復!

 そして何を隠そう、アニス・フェンネルには回復魔法の素質があるのだ!

 つまり! 筋トレからの筋肉肥大を超効率的に実践できるということにほかならない!

 

 それは恐るべき、聖なる魔力の利用法であった。彼女が本気(マジ)になれば、私よりもはるかに強大な肉の塊をまとうことができるのだ。その奇跡の筋肉から繰り出される破壊力は――いったいどれだけのものか。

 肉体を鍛え上げたアニスの姿を想像した私は――

 

 

 

 

 

 ……いや、やっぱりないわ。

 モリモリマッチョのアニスの姿は“これじゃない”感が半端なかったので、私は忘れることにした。やっぱり主人公の乙女は可愛らしくないとね、うん……。

 

「――ま、とにかく。自分の意思をしっかり伝えられるようになさい。嫌なことを嫌と言えるようになるのも、大切なことですわよ」

「……そうですね。努力してみます」

 

 深々とうなずいたアニスは、落ち着いた声色で答えた。まだまだ年若い少女である彼女には、これからも悩むことがたくさんあるのだろう。こうして誰かに相談しながら、いろいろ考えたりすることは、きっと重要なことだった。

 

 べつに私はアニスのことが嫌いじゃないし、むしろ好きである。

 とはいえ、自分が“ヴィオレ・オルゲリック”である以上、そう馴れ合うつもりもなかった。私はなんだかんだで、高慢で生意気なヴィオレも嫌いではないのだ。

 だから――仲良しの時間はこれまで。

 

「――さあ、お退きなさい。私にくだらない時間を使わせて、迷惑極まりないですわ」

 

 腕に触れたままの彼女の繊手を振り払うと、私は教室から出ようと歩きだした。後方からアニスが感謝の言葉を投げかけてきたが、私はそれを無視して足を動かす。つまらぬお喋りをするよりも、今はさっさと食堂へ行って昼食を楽しむほうが優先事項だった。

 

 廊下を歩きながら、私はちらりと横に目を向ける。

 そこには、ずっと黙って付いてきているミセリアの姿があった。

 私とアニスとの会話もすべて近くで聞いていたが、とくに感慨もなかったのだろう。いつものように、淡々とした無表情を貫いていた。

 

 彼女は私のほうを見上げると――ふいに、呟くように口を開いた。

 

「笑み」

「なにかしら?」

「どうして、笑っている?」

 

 私は口元に手を当てた。そこには、確かに歪んだ唇があった。知らず知らず、ほほ笑んでいたようだ。

 理由は――思い当たっていた。

 前々から、私は変化を(たの)しんでいた。フォルティスも、ミセリアも、レオドも。本来の在り方とは違った方向へと、その姿を変えている。それが楽しくてたまらなかった。

 

 わかりきったことなど、面白くはない。

 予想どおりの結果など、私は求めない。

 今の私が欲するものは――飢えを満たしてくれるような、新鮮で愉快な展開(ストーリー)だった。

 それを味わえるというのなら――私は“悪役”にだってなろう。

 

「人間は面白いことがあると笑うのよ」

「……面白いことがあった?」

「ええ、私にとっては」

 

 ――野次馬をしてみるのも悪くはない。

 “主人公”にちょっかいを出す男子。未知の存在であるそれを、戯れに眺めてみたいと思った。どんな相貌(かお)なのか、どんな性格なのか、そして――どんな味がするのか。

 

 美味(おもしろ)いか、それとも不味(つまらな)いか。

 ――前者であることを私は願った。

 

 

 

 

 

「おーっほっほっほっ! 食事が楽しみですわねぇ……!」

「…………」

 

 喰らうべきものは、まだまだこの世界に満ちていた――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 お待たせしました。プロットの構築に少し時間がかかってしまいました。
 今回から新キャラクターに関連したお話が続きます(6,7話でまとまる予定)
 テーマは「愛」です。甘い恋愛の話を描いていきたいと思っています。嘘じゃありません本当です信じてください。

 以下、ちょっとした余談。
 本作は『武斗派恶役千金』というタイトルで一部中国語翻訳されているのですが、向こうでもビスケだとかワンパンマンだとかケンシロウだとか言われていて笑ってしまいました。
 考えることは、みな共通な模様です。

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