武闘派悪役令嬢   作:てと​​

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武闘派悪役令嬢 015

 

 ところで爵位というものは、行政区域を担当する官職が世襲化したものである。

 この国では五百年以上も前から爵位の世襲化が始まったようだが、長い年月が過ぎる中で行政区の細分化、戦争や開拓などによる新しい土地の収得、および王庫の財政難による土地の実質的切り売りが繰り返され、結果として大量の爵位が存在するようになってしまった。

 爵位の統合なども頻繁におこなわれているため、全体の爵位数は一定ではなく変動しているが――

 まあだいたい、すべての爵位を数えれば400個はあるのではなかろうか。

 

 多すぎであるっ!

 そんな大量の爵位名を覚えられるかっ!

 

 基本的に伯爵以上の大貴族は、複数の子爵や男爵も兼有しているので、現実には爵位所有家は400より少なくなるが……それでも貴族の数がアホみたいに多かった。

 にもかかわらず制度が成り立っているのは、まあ貴族の家系には“魔法”という強みがあるからだろう。才能のある血筋をひたすらに取り入れつづけた結果、由緒ある家に生まれた子供はたいてい魔法の素質を有していた。杖一本でさまざまな超常現象を起こせる魔術師(貴族)は、まさに土地の安寧を守る支配者としてふさわしい存在と言えるだろう。

 

 前置きが長くなった。

 なぜ、こんな初歩的なことを振り返っているのかというと――

 

 

 

「――ルフ・ファージェル?」

 

 食堂棟の二階ホール。そこに設けられたテーブルの一つを囲んで、私はめずらしく茶飲み話というものをしていた。

 そしてどこか意外そうな口ぶりで、今しがた人名を口にしたのは――フォルティス・ヴァレンス。婚約者ながら、こうしてまともに談話するのは久しぶりであった。

 

 ――ちらりと周囲を眺める。

 ほとんどのテーブルは人で埋まっていて、紅茶やビスケットを運ぶメイドの忙しそうな姿が目についた。私はめったに来ないが、このホールは多くの学生から毎日のように利用されているようだ。

 放課後の学生、というものはだいたい時間の使い方が決まっていた。図書館や自室で本を読むか、グラウンドで球技などをするか、そしてこのホールや寮の遊戯室で娯楽に耽るか。つまり――選択肢が狭かった。

 まあパソコンやテレビもない世界なので致し方ない。街に出れば劇場や見世物などがいろいろあるのだが、寮住まいの学生が遊興目的で外出する場合は、まず休日にしか許可が出されなかった。ゆえに大抵の日は、学園内の施設で時間を潰すしかないのである。

 

「ええ。あなた、ファージェル伯爵家と領地が近いでしょう?」

 

 あれから、ちょっとだけアニスに尋ねて情報を聞き出していた。彼女にしつこく声をかけてくる男子の名前は、ルフ・ファージェルというらしい。家名をどこかで聞いた覚えがあったので、図書館で王国の領地図を確認してみたら――まさかの伯爵家の子弟であった。つまり大貴族の出身である。

 そしてファージェル伯の支配地域は王国の中央側にあり、ヴァレンス公の領土とも一部を接していた。近くの上級貴族同士であれば、それなりに付き合いはあって当然である。学園では上級生と下級生という違いはあれど、フォルティスならばルフという男を知っているはずだ――と私は考えたわけだ。

 

「……まあ、けっこう話したことはあるぞ。子供のころは、誕生日パーティやら園遊会やらがあるたびに顔を見合わせていたし。歳も近かったから、そういうイベントの時は一緒に遊んだりもしたよ」

 

 懐かしむような口調で語るフォルティスだったが、すぐに目を細めてこちらを見据える。その顔には、どこか疑うような色が浮かんでいた。

 

「……で、なんでファージェル家の長男のことなんて聞くんだ?」

「あら? べつに“婚約者”の交友関係について尋ねても構わないでしょう?」

「…………」

 

 胡散くさそうにジト目で見つめるフォルティス。普段からこれっぽっちも“婚約者”らしいやり取りをしていないのに、こうして都合のいい時だけ持ち出すな――と言いたげな様子である。うん、私も同意である。

 しばし沈黙が続いたが、それを破ったのは私の声でも、そして彼の声でもなかった。淡々とした、感情のこもっていないひと声。

 

「――カード」

 

 その言葉に、私もフォルティスも顔をそちらへ向けた。――無言で同席していた第三者、ミセリア・ブレウィスへ。

 そう、相変わらず彼女は私に随従しているのであった。フォルティスも怪訝な表情を浮かべつつも拒否はしなかったので、婚約者同士の席にミセリアが混ざった状態で会話していたことになる。傍から見たらシュールすぎる絵面であった。

 

 そんな彼女が、話を聞きながら何をしていたかというと――トランプをシャッフルして三人分の山札を作っていたのである。

 カード遊び。それは、どこの世界でも共通のゲームであった。場所を選ばないその手軽さから、この学園でもボードゲームと並んで人気のある暇つぶしの娯楽となっている。

 

「ご苦労」

 

 と、私は積まれたカードを一つ手に取った。

 紅茶を飲みながら話をするだけでは退屈なので、ミセリアにはゲームの用意をさせていたわけである。ちなみにプレイするのはババ抜きであった。この世界でもルールはまったく同じだったりする。

 フォルティスが困惑したようにミセリアを眺めているが、それも致し方ないことかもしれない。この二人、まったく接点がないし言葉を交わしたこともなかった。じつはこれが初めての交流である。

 

「…………」

「あ、ありがとう……」

 

 ミセリアが無言で差し出したカードの束を、フォルティスはおっかなびっくり受け取る。反応がぎこちなさすぎるが、こんな無口の不思議ちゃんへの接し方など心得がなくて当然である。慣れれば扱いやすくていい子なんだけどね。

 

「――で」

 

 私は手札のカードを整理しながら、フォルティスに改めて問いかける。

 

「学園内では、どうなのかしら? ファージェル家のお坊ちゃんと仲はよろしくて?」

「……うーん、故郷のよしみがあるから仲は悪いわけじゃないが。アイツは上級生側だから、学園内だといまいち交流する機会もないんだよな」

「あら? 授業は別だとしても、寮棟で会ったりはするでしょう」

「まあ、あいさつくらいはするけど。ただ、それだけだ。だいたいルフも同級生の仲間とつるんでいることが多いし。……俺が見かける時は、たいてい寮の遊戯室でビリヤードをやっているな」

 

 けっこう腕がいいらしいぞ、と役に立たなそうな情報を口にするフォルティス。

 ……というか、男子寮にビリヤードがあるのなんて初耳なんだけど? 女子寮にそんなものないんだけど? これ男女差別じゃない?

 まあ女子の大半は談話室で群れて茶飲み話ばかりなので、遊具の需要がないということなのだろう。悲しい現実である。

 私も格好よくキューで玉を突いてみたいなー、なんてひそかに願望を抱きつつ――ミセリアの広げている手札からカードを一枚抜き取る。ペアはなし。残念。

 

「――その彼、恋人とかはいらっしゃったり?」

「はぁ……? いや、聞いたことはないが……」

「ダンスパーティーで一緒に踊った下級生に、しつこく声をかけているという話を聞きましたわ。曰く、軽薄そうな男ですと」

「その下級生、アニス・フェンネルか?」

「あら、知っていましたの?」

「たまたま以前、廊下でルフが話しかけているのを見かけた。……まあ、どう見てもナンパだったな」

 

 思い出すような声色で言いながら、ミセリアにカードを引かせたフォルティスは、私の手札へと手を伸ばす。真ん中の一枚を抜き取った彼は、どうやら手持ちとペアだったらしい。中央にそのカードを捨て、自分の手札を減らす。

 

「女好き、というタイプの殿方ですの? そのファージェル家のご長男は」

「いやぁ……昔に会った印象だと、ぜんぜんそういう気質には見えなかったんだけどな。むしろロマンチストな感じで、実直なタイプだったはずだが」

「故郷から離れて縛りのない環境で過ごすうちに、地が出てきたのではなくて?」

「そういうもんなのかなぁ……。まあダンスパーティーの時でも、やたら積極的に女に声をかけていたけど……」

 

 フォルティスはどこか納得がいかないような様子だった。とはいえ、年頃の青年ならば数年で人が変わってもおかしくないだろう。とくに閉鎖的な学園で過ごすうちに、退屈さに耐えかねて色を求めるというのは無理からぬことな気がした。

 私はミセリアからカードを選び取りつつ、ちらりとフォルティスの顔をうかがう。彼は難しい表情を浮かべて考え込んでいるようだった。何か思うところが大きいのだろうか。

 

「――あまり人の悪いうわさを流したくはないんだが」

 

 しばらくババ抜きを進めている中で、ふとフォルティスはそう前置きを口にした。

 ミセリアが順調な様子でカードを捨てるのを眺めつつ、私は彼の言葉に耳を傾ける。

 

「前回のダンスパーティーで、女に誘いを断られたルフを遠くから嘲笑している上級生たちがいた。アイツはいっつも女に声をかけてやがる、とか。学園のメイドにまでナンパしている、とも言っていたな」

「……へぇ。それが本当だとしたら、見境がありませんわね。家名の評判を落としかねない行為ではないかしら」

 

 貴族が屋敷のメイドに手を出した、なんて話はたまーに耳にするが、あれがバレると家の名声が一気に地に落ちるものである。とくに家督を継ぐ最有力候補である長子は、その振る舞いが品行方正であることが求められるものだ。メイドに色目を使う貴族の男子など、さすがに言語道断である。

 至って真面目にそう考えていると、なぜか二人の視線を感じた。フォルティスとミセリアは、ババ抜きの手をとめて私をじっと見つめている。何か言いたげな様子であった。

 

「な、何かしらっ?」

「家名の評判を落としかねない行為」

「……ヴィオレ、お前も気をつけたほうがいいと思うぞ」

「な、なな、何を言っているのかしらッ!? わたくしがッ!? まるでオルゲリック家の品位を下げているかのような、不埒な言い方はおやめなさいッ!?」

 

 人聞きの悪いことを言わないでほしい! むしろ逆よ、逆!

 私が廊下を歩くたびに、皆が畏れて道を譲るのを見れば明白ではないか。今やオルゲリックの家名を聞くだけで人々は恐怖するのだ。これはつまり、オルゲリック家の威光を高めていることにほかならぬのだ!

 

 ……という話は置いといて。

 

「――結局のところ。女と遊べれば誰でもいい、という人間にしか思えませんわね。ルフ・ファージェルについて聞くかぎりでは」

 

 わざわざアニスに声をかけてきたということは、何かしら面白いものを持っている人間なのではないか――と期待していたが。これはとんだ外れだろうか。

 内心でがっかりしている私に対して、フォルティスは納得いかなそうに眉をひそめていた。入学する以前から知っている彼にとっては、ルフが軽薄な人間であることを素直に認めがたいのだろうか。

 

 ――とはいえ。

 振る舞いだけでは、その人物の内心を推し量ることはできないのも確かだ。

 

 それを私はよく知っていた。事実、私自身が本心を隠して、くだらない演技をしていたりする。あえて“悪い”印象を与えているということは、ありえない話でもなかった。

 話を聞いただけで、すべてを判断するのは時期尚早かもしれない。やはり実際にルフという男と会ってみるべきだろうか。

 

 そんな思考を巡らしながら、私はミセリアの広げるカードへと手を伸ばした。

 

「…………」

 

 そういえば、まだババを見ていない。ということは、フォルティスかミセリアのどちらかが手札に持っているのだろう。

 そしてさらに、いつの間にかミセリアのカードは残り四枚になっていた。三人の中で圧倒的に手札を減らすペースが早い。彼女はあがりにもっとも近いプレイヤーであった。

 

 私は目を細めながら、ミセリアの掲げるカードを吟味する。

 ちらりと表情をうかがうが、その顔には一片の感情も宿っているようには見えなかった。ただ機械のように、私がカードを引くのを待っている。……天然ポーカーフェイスね、この子。

 

 ええい、考えても仕方あるまいッ!

 

 私はミセリアかっら端っこの一枚を選び取り――

 

「ッ!?」

 

 うげっ、なんでここでジョーカー引くのよ。

 ショックを受けながら手札をシャッフルする私に向けて、二人は冷ややかに口を開いた。

 

「……ババを引いたな」

「引いた」

「お黙りなさいっ!? というか、バラすのやめなさいよっ!?」

 

 抗議する私などどこ吹く風の様子で、ミセリアはフォルティスからカードを引いた。そしてペアの二枚を捨てる。つまり、リーチ……早すぎない?

 ミセリアの運の良さに歯がみをしつつ、私はフォルティスにカードを取らせる。が、ババは相変わらず私の手元である。なんとかして、フォルティスにこれを押し付けなければ……。

 

「……ああ、そういえば」

 

 ふと話題を思い出して、私は声を上げた。

 せっかく男子であるフォルティスと同席しているのだ。もう少し、彼から何か情報を引き出しておきたかった。

 

「――あなた、レーヴァンという名前の上級生をご存知?」

「……あー。俺と同じようにランニングしているやつか?」

「そう、その人」

 

 休み時間に走り込みで体力を鍛えている男子など、この学園では二人しかいない。同士として嫌でも認識せざるをえないのだろう。フォルティスはレーヴァン――つまり、レオドのことを知っている様子だった。

 

「名前と顔を知ってはいるが……それだけだぞ。会話したことはない」

「何かうわさとか、聞いたりしないのかしら?」

「うわさ、ねぇ……。家名を明かしていない学生だから、いろいろ憶測する男子はいるけどな。じつは隣国の大貴族の子弟、だとかな」

 

 うわっ、ドンピシャ。とんだ慧眼を持った子もいるものだ。

 

「ほかには?」

「……さっきから、ずいぶん気になるんだな。男子の情報が」

「あら、嫉妬?」

「…………」

 

 フォルティスはわずかに目をそらして、微妙な顔色を浮かべた。呆れているのか、それとも本当に()いているのか。今までろくに交流をしてきていないが、彼が私の婚約者であることを考えると、その心中を軽んじることもできなかった。

 微笑を浮かべる私に対して、フォルティスはやれやれと言うかのようにため息をついて、ゆっくりと口を開いた。

 

「うわさというか……最近、奇妙な行動が目立つな。そのレーヴァンって上級生は」

「奇妙な行動?」

「急にランニングをしはじめたのもそうだし、近頃は遊戯室でずっとダーツをやっていると聞いた」

「ダーツ?」

「そう。鬼気迫る表情で、延々と矢を投げているらしい。まあ友達から聞いた話だけどな」

 

 へー。ビリヤードのほかにも、ダーツなんてあるんだ。ますます男子寮が羨ましい。

 ……というのは、ともかく。

 ただ無意味に遊んでいるわけではないのだろう。レオドが何らかの目的のために、一心に努力していることは明らかである。その在り方を変えた彼は、いったいどんな成果を手にしているのか。それを見るのが楽しみだった。

 

 ――と、私たちが話している間に。

 ふいに、静かで簡素な声が発せられた。

 

「――あがり」

「はっ?」

「えっ?」

 

 そちらに視線を向けると、カードを捨てて無手になったミセリアの姿があった。

 ……つまり、彼女が真っ先に勝ち抜けたということ。

 そして、同時に――残る二人の敗北者決定戦が始まるという意味でもあった。

 

 私はフォルティスの顔へ目線を移した。彼もこちらを見つめる。そのブラウンの瞳には、強い意志を感じる色が宿っていた。

 

「……一対一(タイマン)の勝負、ということかしら」

「……そうみたいだな」

 

 フォルティスは低い声で同意した。彼の表情からは柔らかさが消え失せ、目つきは睨むような形になっている。戦に臨む男の雰囲気だった。

 

 ――あらためて、彼の容姿を一瞥する。

 入学当初と背丈は変わらないのに、どこか逞しさがその身に備わっていた。日頃から運動を続けてきたフォルティスは、ほかの男子よりもはるかに筋肉がついているはずだ。

 肉体の在り方は精神をも変える。強くなった彼の体は、簡単なことでは屈さぬ精神力まで宿しているようだった。

 

「……きみには、いつも負けっぱなしだったな」

 

 感情を噛み締めるようにフォルティスは言った。その眼には、殺気にも思えるものが籠っている。勝利に執着する気持ちが、ありありと伝わってきた。

 

 ダンスパーティーのたびに、彼とじゃんけん勝負をしていることを思い出す。

 数回目から、もう彼は気づいているようだった。ただの運で私が全勝しているわけではない、と。そこに在る、果てしない技術の差。その力量で圧倒されているにすぎないと、フォルティスは自覚しているはずだ。

 あるいは、最初に見せた物理的な力だってそうだ。

 フォルティスの腕では、ただの石ころでさえ砕くことができないだろう。肉体にはけっして埋められぬ差があった。この私の指先一つで、彼の生命を奪うことだって容易い。

 

 自分より強き人間。

 勝ち目のなき存在。

 対等になれぬ相手。

 

 それを理解し(わかっ)ていても、なお――

 フォルティス・ヴァレンスは、私に対して敵意と闘志を胸に抱いている。

 それは――とても素晴らしいことだった。

 

「――負けるつもりはありませんわよ」

 

 私はそう笑って、彼と真剣勝負を開始する。

 

 二人のババ抜きである以上、ジョーカー以外のカードを引くたびにペアは揃って捨てられる。最終的に残るカードの枚数は三枚。そこまで作業的にゲームを進展させる。

 フォルティスがババを引き当てることはなく――私の手札が二枚、そして彼が一枚となった。

 じつに単純なゲームだ。彼がババ以外を引けば勝ち。私がババを引かせて、さらに次でババ以外を引けば勝ち。確率的に長引くこともあるまい。

 

 私は二枚の手札を見せて、静かに彼の選択を待つ。

 このターンにおける、フォルティスの勝利は二分の一。それは“アンフェア”なじゃんけんと比べて、はるかに勝率のあるゲームであった。

 

「…………」

 

 フォルティスは緊張した面持ちで、ゆっくりと手を伸ばしてゆく。

 左右、どちらのカードを取るべきか。大きく迷っている様子がうかがえる。やがて、私から見て左のほうのカードを指で掴んだ。

 

「…………」

 

 私は無言で、表情を動かさず見届ける。静かな時間が流れた。彼はそのままカードを引き抜くのを、躊躇しているようだ。

 やがて、フォルティスの指がカードから離れた。

 そして――おもむろに、次は右のカードへと手を触れる。それを取るつもりなのだろうか? そうだとしたら、私は――

 

「――――ッ」

 

 全身に“気”を込めた瞬間、フォルティスは怯えたように息を呑んだ。

 伝わったはずだ。わかっているはずだ。このカードを取るならば――容赦はしないと。

 彼がそれを抜き取った直後――テーブルを蹴り上げ、胸に正拳突きを叩き込む。コンマ数秒にも満たないイメージを私は意識する。

 その現実的な死の未来は――殺気となって、今の彼に叩きつけられているはずだ。

 

 ――私は彼を見据えた。

 体を震わせ、慄いているフォルティスの目は――

 

「……ずっと、思っていたんだ」

 

 ぽつり、と。

 溜めこんでいた感情が、あふれて漏れ出したかのように。

 フォルティスはゆっくりと、その口から言葉を紡ぐ。

 

「女の子に負けてばっかりの男なんて、格好悪いじゃないか……」

 

 声色には悔しさがにじみ出ていた。

 彼は私に勝ったことがない。

 勝てば嬉しい。負ければ悔しい。そんな気持ちは当たり前で、私自身もそうだった。

 

「俺はきみの婚約者なのに……並び立っていない。きみは、はるか高みにいる……手が届かないような場所に」

 

 生きている次元が違う。

 そう認識するのは致し方ないだろう。私は強くなりすぎた。高められた気は、磨かれた武は、常人でさえ本能的に理解できるレベルに達していた。

 

 人間が、猛獣と対峙した時と同じように。

 いま私の目の前にいる彼は、ちっぽけで取るに足らない存在だった。

 その肉体的な力の差異は比べるべくもない。ぞんざいな手の一振りでさえ、彼の命を刈り取ることができるだろう。

 それを――彼は理解してしまっている。

 

 だというのに。

 ――彼は逃走を選んではいなかった。

 

「ヴィオレ……俺は……」

 

 フォルティスの震えがとまった。

 その瞳には覚悟が宿っていた。何かを成すためならば、何もかもを棄てる意志が。そこにいるのは、弱い人間ではなかった。猛獣から逃げ出す弱者ではなかった。

 かつてコロッセオで猛獣に立ち向かった剣闘士は、このような顔をしていたのかもしれない。

 そう思わせるほど――フォルティスの表情は勇敢だった。

 

 

 

「――きみに勝ちたい」

 

 

 

 勝利を欲するか。

 命を惜しまずに。

 その心意気――私は認めよう。

 

 フォルティス、きみは強い男だ。

 私が思った以上に、強く――

 そして、男としての魅力を持っている。

 

 もしも、私が乙女(うぶ)な少女であれば――

 きっと、きみに惚れていたよ。

 

 

 

 

 

「……な……なんで……」

 

 そのカードを手にしたフォルティスは、呆然としたように呟いていた。

 彼の手から、二枚のカードがテーブルに落ちる。それはペア――ではなかった。

 

 ジョーカーを引いたのが、よっぽど信じられなかったのか。放心した様子で、彼は目を見張っていた。

 

「――こんなゲームで、本気になるのもバカらしくてよ」

 

 私は笑いながら、手元のカード一枚を放った。最後のペアカードが、お互いの手からテーブルに並べられる。婚約者が対等な関係というのならば――二人でペアを作ってあがるのも悪くないだろう。

 こちらの演技に騙されたことが相当にショックだったのか、フォルティスは大きくため息をついた。そして苦笑を浮かべて、私のほうを見つめる。

 

「……俺の負けだな」

「あら、ノーゲームだから勝ち負けもありませんわ」

 

 そう言って、すっかり冷めた紅茶に口をつける。なんだかんだで時間が過ぎるのはあっという間だった。こうしてテーブルを囲んで仲間と遊ぶのも――悪くなかった。

 フォルティスからだいたい情報は聞き出したし、そろそろお暇すべき頃合いだろう。カードを片付けると、私はゆっくりと立ち上がった。ミセリアも無言ながら、同じように腰を上げる。

 

「……楽しい時間でしたわよ、フォルティス」

「ああ……たまには、こういうのも悪くない」

 

 フォルティスは続けて言葉を口にしようとしたが、迷いがあるのか唇を閉ざしてしまう。何を言おうとしたのか、私はなんとなく察して笑みを浮かべた。

 

「――また、一緒にお茶を飲みながら話しましょう」

 

 それはありふれた別れ際の言葉だった。だが、私の口から紡がれたということが意外だったのだろうか。フォルティスは驚いたような表情をして――すぐに柔和な笑顔になった。

 

「ぜひとも。今度は俺のほうから誘うよ」

「楽しみにしていますわ」

 

 私は軽く手を振って応え、テーブルに背を向けて歩きだした。少し遅れて、ミセリアも後ろをついてくる。

 フォルティスとは初めての席だった彼女だが――横から眺めていたかぎりでは、わりと二人の相性も悪くなさそうだった。まあフォルティスが人柄のいい常識人で、誰とでも仲良くできるタイプなのが大きいのだろう。この様子なら、また三人で遊んでも問題はあるまい。

 

 ――久しぶりに、心が安らいだ気がした。

 

 体を鍛え、技を磨くこと。それもやりがいを感じることではあるが、こうしてありふれた娯楽的行為に興じるのも楽しいものだ。たまには息抜きとして悪くない。

 もっとも――私の心は、つねに本分を忘れてはいなかった。

 

 今でさえ、もう肉体を運動させたい気持ちに駆られている。

 敵が現れ、私に殺意を向けてくれるくることを願っている。

 攻撃を躱し、防ぎ、捌き、そして反撃に転じる自分の姿を――否応もなく想像してしまっている。

 

 武を想うこと。

 それはまるで、恋を煩うことのようだ。

 遊んでいる時も、勉強をしている時も、食事をしている時も、あるいは寝ている時も。いまだ手の届かぬ、最強の自分(恋する相手)を手にすることを夢見ている。

 私はどこまで強くなれるのか。

 限界に至った自分は、どれだけの力を持っているのか。

 そして――その武をぶつけられる強敵はいるのか。

 

 世界は、まだ見えぬことだらけだ。

 だが――だからこそ、面白いのだ。

 すべてが明らかになっている世界(ゲーム)など、退屈でつまらないだけだから。

 

 ――これからが楽しみだ。

 あらゆるものに期待しながら、私は唇をゆがめてほほ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……私の勝ち」

「ババ抜きで勝ち誇らないでくれるかしらっ!?」

 


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