男女が待ち合わせをして、どこかへ出掛けるということ。
そんなデートという行為をするのは、はたしていつぶりだろうか。少なくともこの世界で生を授かってからは、初めての経験と言えるだろう。フォルティスとは婚約者の間柄であるが、家が勝手に決めたことで当人同士はろくに交流していなかったので、私は彼ともデートをしたことはなかった。
つまり――ルフ・ファージェルが初デートの相手というわけである。
……が、とくに緊張も高揚もなかった。まあ当たり前だけど。
「……やっと、来たわね」
学園の正門付近で、壁に背もたれて腕組みをしていた私は、向こうからやってくる人影を認めて呟いた。
時刻は朝と昼の中間、といった頃合いだろうか。朝食を取り、着替えや手回り品などを用意して、学園の出入り口で待ち合わせをする。それがルフと事前に話し合って決めたことであった。
「――申し訳ない。少し準備に手間取ってしまって……」
開口一番、ルフはそう謝罪を述べた。
「女の子を待たせるなんて、好感度が下がりますわよ」
「いやはや、反論できないな。……こういう時の身支度に、あまり慣れてなくてね」
「……ふぅん」
私は腕組みを解き、壁から背を離すと――ルフの姿をざっと眺めた。
学生はパーティーイベントなどを除き、基本的には地味な服装をするようにと指導されているが、休日の場合はある程度の自由を許されている。今の彼は落ち着いた赤色のウェストコートを身につけ、その上に、薄手の外套を前開きにして着流していた。派手な色を一つに留めていて、なかなかうまく色彩を調和させている。意外と服装のセンスは良いらしい。
こういう時の身支度にあまり慣れていない――ということは、ルフは“デート”自体の経験がほとんどないのだろうか。あれだけ女の子に声をかけているのなら、外出に誘う機会はそれなりにあっただろうに。
思考する私に対して、ルフは少し困惑したように声をかけてきた。
「……意外だったな。きみは、あんまり華美な服を好まないのかな?」
――それは、私のファッションに対する感想だった。
ルフの疑問も妥当である。私は袖長のシュミーズ*1を下着に、ソフトステイズ*2と、ペティコート*3を重ねたスカートを身につけ、スカーフやショートガウンで肌を隠していた。アクセサリーもほとんどなく、携えているのはお金などを入れた巾着型のポシェットくらいである。煌びやかさなどどこにもない、貴族というより平民のような装いだった。
「あら、街中で目立ったほうがよろしかったでしょうか?」
「……いや」
ルフは苦笑して首を振る。
わざわざ学園の外で、上流階級の人間をアピールする必要などもなかった。私は注目を浴びて喜ぶようなタイプではないのだ。……どこかの誰かとは違って。
「さて――」
私は正門に体を向けると、ちらりとルフの顔を見て言った。
「行きましょうか……“デート”に」
「……ああ、よろしく」
どこかぎこちない感じの笑みを浮かべつつも、彼はゆっくりと頷く。
――こうして、私とルフのデートは幕を開けた。
◇
都市というものは拡大を続ける運命にある。この国の王都もまた、その宿命からは逃れられなかったらしい。
私たちの学び舎であるソムニウム魔法学園のあるフリス地区は、上流階級の人間が多く住まう区域だった。王宮や大学や寺院などがここに密集しており、いずれも初期に建設された城壁の内側となっている。
旧い城壁は都市の拡張にしたがって一部が解体されたが*4、ある程度の市壁は今なお残っており、富裕層とそれ以外の領域を明確に分け隔てていた。旧城壁の内側と外側では治安が違うから用心しろ、という話はよく耳にするものである。
「――それで」
私は王都の中央から遠ざかるように通りを歩きながら、隣のルフに言葉を投げかけた。
「行き先のご希望はありまして?」
「……できるだけ、目立たない場所がいいかな。ほかの学生たちが行かないような場所のほうが好ましい」
「なら、フリス地区を抜けるほうがいいでしょうね」
デートをする……などと約束はしたものの、じつは詳細なプランは最初から決めていない。ただ、ルフからは「女の子とデートをする時の予行演習がしたい」と言われていた。つまり――こうして街を散策しながらデート場所を探すのが、今日の“デート”の目的である。
迷いなく足を進める私に対して、ルフは少し困惑したように尋ねてきた。
「……休みの日は、よく外に出るのかい?」
「ええ。都市を抜けて農園地まで行くこともありますわ」
「……冗談だろ? 行って戻ってくるだけで一日が終わるぞ」
疑うような視線で言葉を返すルフ。きわめて常識的な反応だが、私が言っていることは事実である。都市の外側のアルスの家だろうと、私の脚力からすれば大した距離にはならなかった。
そして休みの日、どころか平日にも外を出回っているので、王都はもはや庭のようなものである。夜間は通行が禁止されている市街の門もあるが、建築物の“上”を跳べば移動に何も問題はなかった。いわゆるパルクール*5というやつは、もはや意識せずとも完璧にこなせる体となっていたりする。
「――デートでほかの学生の目を気にするなんて、あなたらしくありませんわね?」
歩きながら、私は先ほどの彼の発言について言及した。その瞬間、ルフは困ったような表情を浮かべる。答えにくい事柄だったのだろうか。
「その……好きな人と時間を過ごすなら、ひっそりとしたほうが雰囲気がいいだろ? 劇場に行っても周りが知り合いの学生だらけだった、なんてことになると……デートの空気にならないじゃないか」
「まあ、たしかに言えてますわね」
外に遊びにいく、と言っても学生の大半はフリス地区で過ごすだろうから、どこに行っても顔見知りと鉢合わせしてしまいがちである。狭い世界から抜け出してデートをしたい、という想いはそれなりに理解できた。
私たちは適当に雑談をしながら、旧城壁の門までたどり着く。暇そうに通行者を監視している衛兵を横目に、さっさと門を通り抜けて向こうの地区へと足を踏み入れた。
「……こっちは、ほとんど来たことがないな」
少し心配そうな口調で、ルフはそう呟いた。私は王都を自由に動き回っているから気にならないが、街を闊歩することのない彼にとっては、慣れない場所に不安があるのだろうか。
私はふいに立ち止まると、ルフのほうを見据えて口を開いた。
「さて、ここからは――ほかの学生に見られることもないでしょう」
「……だろうね」
「ここから東の通りを行けば、小劇や大道芸などの見世物もあるし、いろいろ屋台もありますわよ。そして南の広場周辺なら、もっといろいろお店が広がっているはず」
娯楽の種類は多くはないが、それでも学園内にはない楽しみがいろいろあった。ルフのような箱入り育ちにとっては、ほとんどのことが新鮮に感じるだろう。
――私は左腕を上げて、彼のほうへ差し出した。
その挙動の意味がわからなかったのか、ルフは困惑したような顔をしている。が、道行く人々の中に腕を組んで歩くカップルがいるのを目にして、ようやく思い至ったようだ。
表情をどこか恥ずかしそうなものに変えたルフは、ゆっくりと右腕を少し持ち上げる。私はその隙間に左手を通し、彼と恋人同士のように腕を組んだ。
「こっちの地区はスリなども出る可能性があるので、気をつけてくださいまし」
「……な、なるほど」
「本番のデートの時は、あなたがエスコートする側ですわよ」
「……心得ておこう」
今は私がいるのでどこへ行こうと安全だが、ルフが本命の女性とデートする時は彼が相手を守るしかない。杖を携帯していても、群衆の中だと魔法をぶっ放すことができない場合もあるのだ。フリス地区を抜けるなら意識的に警戒するというのも必要だった。
「とりあえず――このまま、通りに沿って歩きましょうか」
「あ、ああ……」
女性とのやり取りには慣れているはずのルフだが、どうにもさっきから緊張している様子である。どうやら異性との外出は、本当に経験が少ないらしい。意外な一面だった。
――日差しで彩られた石畳の通りを進みながら、私は周囲の人々の姿をなんとなしに眺める。
ここはまだ王都の中心に近く、貧民も少ないので道行く市民の顔は明るかった。徴税権を私人に売り渡していないため、わりと真っ当な政治運営がなされているのも大きいのだろう*6。
建物のほうに視線を移すと、紅茶を出す喫茶店のテラスが目に移った。テーブルではそれなりの身なりの男たちが、お茶を飲みながら
それをルフも眺めつつ、少し笑って言葉をこぼした。
「賭け事はみんな好きなんだな」
「あら、ファージェル様もそういうのがお好きなのかしら?」
「寮だとみんなやっているよ。ボクもビリヤードで友達とよく賭け試合をしている」
「学園の規則で賭け事は禁止されているはずですけれど?」
「律儀に守っているやつなんていないさ」
ルフは朗らかな笑顔を浮かべた。
「遊戯室ではビリヤード以外に何をなされるのです? 男子寮にはダーツなどもあると耳にしましたが」
「ダーツか……あれは苦手だなぁ。というか、最近は一部の学生がずっとダーツを占領しているから触る機会もないし」
うわぁ、レオドくん……あなた公共物を私物化しているのね……。
「ファージェル様は、同性のお友達もたくさんいらっしゃいますの?」
「……いや、故郷の縁がある数名の友人だけかな」
「あら、伯爵家の長男でしたらもっと親しくなろうとする方々も多いのではなくて?」
「……痛い質問だなぁ。日頃の振る舞いのせいで、どうにもボクの評判は悪いようでね」
ルフは笑みを苦笑に変えて、あまり元気なく答えた。言い方からすると、女性をナンパしまくっていることが悪評を招いていることは自覚しているらしい。つまるところ――その不利益を上回る何かが、彼にとっては存在しているのだろう。
「女性を追いかけないほうが、あなたモテますわよ?」
「……うーん、追いかけなければ叶わない恋もあるからね」
意味深に返された言葉に目を細めていると、歩いている先から笛や弦楽器の音が鳴り響いてきた。フリス地区の外の大通りでは、楽器の演奏や手品などのショーをして投げ銭をもらう
「故郷を思い出すような音色だ」
懐かしむように笑うルフに、私も心中で同意する。大貴族の領主の子供は、ほとんどが直営地*9の屋敷で生まれ育っているものである。ようするに風土が田舎寄りで、音楽などの文化も民衆的な色が強かった。学園のイベントなどで演奏される高尚な音楽よりも、こういう安っぽい楽器の音色のほうに親近感を抱くのは、地方出身者の証といえるだろう。
――すっかり緊張がほぐれた様子で、ルフは私とともに街中を歩く。
聞こえてくる演奏を楽しんでいると、彼はふと前方を指差した。その先には木造の掛け小屋が設営されており、舞台の上で役者が劇を演じているようだ。
「……あれは?」
「市民が好む劇ですわ。大劇場を観るお金のない方々は、ああいった人通りで開催される小規模な演劇を楽しんだりしているようです」
「……なるほど。そういえば故郷の園遊会で、旅芸人の一座が招かれてあれに近い芝居をやっていたな」
演劇や芝居は普遍的な娯楽である。こうした大通りだけでなく、酒場にもステージを設けて劇を開催している店がいくつかあったりする。民衆劇に対する弾圧や規制も今のところないので、平和的な空気の中で市民は観劇していた。
ルフが気になっている素振りを見せていたので、私はそれに合わせて立ち止まる。
「途中からですが、ご覧になります?」
「……いいかな?」
「では、少し寄っていきましょう」
やや離れたところから、私たちは遠目で劇を眺めることにした。
屋外の仮設舞台だと激しい動きもできないので、この手の演劇は掛け合いを重視した内容がほとんどである。役者たちは大仰な身振りと声で演技をしていた。どうやら街に住む男女の色恋沙汰をテーマにした話で、妻に隠れて浮気をする男が必死にバレないように立ち回るコメディのようだ。
大劇場ではまず演じられないような筋書きだが、話の面白さはルフにも伝わっているのだろう。ちらりと見た彼の横顔は、明るい笑みだった。
やがてストーリーは終局へ向かい、けっきょく浮気を知られた男が散々な目に遭いながら、妻に最愛を誓うことで終演となった。お話自体はたいして捻りもなかったが、それでもコミカルな演技に市民たちは満足したらしい。小銀貨をステージに投げて拍手をする人も多かった。
「ご感想は?」
「面白かったよ。貴族が登場しない劇なんて初めて観たかもしれない」
「貴族向けに演劇する時は、上流階級の主人公が大半でしょうからね」
だからルフにとっては、新鮮な体験だったに違いない。
私はそう思いながら、ポシェットから取り出した銀貨を親指で弾いて投げ銭する。それを見ていたルフは、びっくりしたような声を上げた。
「今の、6セオル銀貨か?」
「気前のよさは美徳の一つですわよ」
いちばん小さな銀貨が1セオルだが、その6倍の重量で鋳造されているのが先ほどの銀貨だった*10。労働者の日給がだいたい8セオル程度なので、投げ銭としては言うまでもなく破格である。
「……見習っておこう」
ルフはそう笑うと、同じように6セオル銀貨を舞台に投げ入れた。
――役者たちが感謝の言葉を述べるのを横目に、私たちは群衆から離れてふたたび通りを歩きだす。
ジャグリングを披露する芸人や、グラスワインやチーズを売る屋台を眺めながら、ルフはふいに尋ねてきた。
「ああいう演劇は、週末にいつもやっているのかな?」
「大抵は。……もし大通りでやっていなくても、誰かに尋ねれば劇を開催している小劇場や酒場を教えてくれますわよ」
「……そうか。参考にするよ」
本命の女の子とデートをする時に、ということだろう。真剣そうに考える彼は、ホールで二股が発覚した時の軽薄そうな印象がどこにもなかった。
私はその差異に興味を抱きつつも――彼に次の行き先を提案する。
「お昼の食事はどうなさいます?」
「うーん……雰囲気がいいところはないかな?」
「お上品なレストランはフリス地区へ戻らないとないでしょう」
だよねぇ、とルフは苦笑した。
凝った料理を出すレストランというものは、いちおう都市に存在するものの――やはり大衆向けではない。フリス地区以外でどうしても外食するとなれば、酒場や喫茶店などで、パンやビスケット、スープなどを置いているところを当たるしかなかった。
「……フリス地区の店だと、ほかの学生と鉢合わせる可能性がある。できれば、こっちのほうで食事をしたいな」
「人目を気になさるのですね」
「いろいろあって、ね」
曖昧な表情を浮かべるルフに、私は「わかりました」と頷いた。
「――食事も出す酒場を知っていますわ。そこに案内いたします」
◇
その店は、大通りにも匹敵するくらい賑やかな空間だった。
週末は休息日とする労働者が多いので、時刻が昼間でも客の数はかなり多い。お湯割りの酒なら平民でも安価に飲めるため、市民の飲酒は非常に一般的な娯楽だった。
「さ、騒がしいな」
「酒場はそういうものですわ」
店内の雰囲気にけおされた様子のルフに、私はそう動じることなく答えて、空いているテーブルを探す。
が、盛況なこともあって二人用の席が見当たらない。独りで飲み食いするならカウンター席なり相席なりすればいいが、いちおう“デート”なので二人で向かい合ったほうがいいだろう。
「……あら、あそこが空いているわね」
ふと空席を見つけた私は、そこへ向かって歩きだした。後ろのルフも、あわてて追従する。だが、すぐに心配そうな声をかけてきた。
「なあ……隣の男は大丈夫か?」
彼が指している人物は、目立っているので簡単にわかった。
空いている席の、隣のテーブル。そこに厳つい顔の男が、ボードゲームを広げて銀貨を積んでいたのだ。見ればわかるとおり、賭け勝負で稼いでいる者なのだろう。
「なあ! だれか俺と勝負しねえか!」
男は声を荒らげるが、どうやら勝ちすぎて対戦相手が見つからないようだ。ボードはたぶん
「べつに気にすることもないでしょう」
私は平然と店内を進んだ。そもそも絡まれたとしても、私にとっては脅威でもなんでもない。まあルフが遠慮する気持ちはわからなくもなかったが。
私たちが目的のテーブル席に腰を下ろすと、すぐに店員が近づいてきた。身なりのいい姿だったので、上客だと思ったのだろう。十代前半の少年が、猫撫で声で尋ねてきた。
「いらっしゃいませ! ワインやミードやシードルなど、いろいろお酒がありますよ!」
「ここは食事も出してくれるはずよね?」
「パンとスープでしたら。あっ、その……残念ながら白パン*12は置いてませんが」
申し訳なさそうに言う給仕の少年だが、私にとってはふすま入りのパンのほうが好きだったりする。だって栄養価が高いし。
パンとスープを二人分お願いしたあと、私は居心地が悪そうにしているルフに聞いた。
「ファージェル様、お酒にはお強くて?」
「……い、一杯くらいなら大丈夫だろう」
つまりアルコールはそれほど得意ではないようだ。まあ体質は人それぞれなので仕方あるまい。
そういうことで、できるだけ飲みやすい酒を頼むことにした。
「赤ワインを温めて、味付けしてもらえるかしら?」
「グリューワイン*13ですね。砂糖を使うなら、少し値段が高くなりますが……」
私は12セオル銀貨と、さらに数枚の小銀貨を重ねて給仕に手渡した。
「小さいのはあなたが取っておきなさい」
「あ、ありがとうございますっ」
少年は喜色満面で一礼すると、小銀貨をポケットに入れて店の奥へと去っていった。
オーダーの様子を眺めていたルフは、感心したように口を開いた。
「……ずいぶん慣れた様子だな」
「それほどでもありませんわ」
「…………」
酒場もとある事情があって巡り慣れているので、注文のやり取りは慣れたものだった。もっとも、ルフにとってはそれが不審で仕方ないのだろう。疑うような目つきだった。
「――とりあえず」
そう仕切りなおした彼は、財布から銀貨を取り出した。が、私は手で制して遠慮する。
「わざわざ気にする金額でもないでしょう」
「さすがに12セオル以上なら、ほとんどの学生は気にすると思うが」
「わたくしにとっては大したことありませんわ」
「……金持ちらしい発言だな」
ルフは苦笑したが、本人だって結構な仕送りをもらっているはずである。他人の小遣い事情など調べたことはないが、上級貴族ならばほかの学生に劣らないよう取り計らって当然だった。
「――なあ、お嬢ちゃんたち」
ふいに、横から粗野な声をかけられる。そちらに視線を向けると、賭けで稼いでいた例の男がニヤニヤと笑みを浮かべていた。
用件は考えるまでもないだろう。
「俺とゲームで遊ばないかい? もちろん……賭けでな」
「ボードゲームはチェスくらいしか知らないわよ」
「なぁに、ルールは簡単だ。教えるぜ」
といっても、初心者が対戦してもカモられるのは目に見えていた。だから私は、代わりに右手を差し出すことにする。キョトンとした男に、私は軽くほほ笑んで尋ねた。
「もっとシンプルな勝負なら受けて立つわよ。たとえば――腕相撲とか」
「……っ!」
提案を耳にした直後、男は焦ったように椅子から立ち上がった。そして慄いた口調で、私に問いかけてくる。
「……服装が違うからわからなかったぜ。アンタ……以前にグレンたちと力比べしていた怪力女だな?」
「あら、あの時にいたの?」
「テーブル席から眺めていたぞ。グレンの野郎、酒場で酔うたびにアンタのこと話のネタにしているからな。今でも覚えてるぜ」
けっこう前のことだが、どうやらいまだに印象に残っているらしい。まあ男を力でねじ伏せられる女性などそうそういないので、当然といえば当然かもしれない。
「……力比べってなんだ?」
私たちの会話を聞いていたルフが、胡乱な目つきで尋ねてきた。私はいちど彼のほうを向くと、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「乙女にはいろいろ秘密がありまして」
「お、おとめか……」
なんでその単語を反復するのよ? 私が乙女じゃないって? ええ?
……と思ったが、表情には出さないことにする。
「――ところで」
私がふたたび横に顔を向けると、男はびくりと緊張したような顔色を浮かべた。ビビりすぎである。
「あなた、週末のお昼時はよくここにいるの?」
「……まあ、な。客が多い店だから、最初は賭けゲームに乗ってくれるやつも見つかりやすいんだよ」
勝ちすぎて途中から対戦相手が減ってくるけどな、と男は肩をすくめる。
私は少し考えたあと、ポシェットから6セオル銀貨を取り出して――親指で高く上に弾いた。宙で回転するコインを、男は反射的な動きで手の中にキャッチする。
「……おん? なんの金だ?」
「そこにいるお坊ちゃんが、もし酒場で困っていたら助けてやってくれる?」
「ははぁ……なるほどね。お安い御用だぜ」
男は上機嫌な様子で頷き、銀貨をポケットにしまった。
これでもしルフがトラブルに見舞われても、男が近くにいるかぎりは助けてくれるだろう。
「――どういう意味だ」
蚊帳の外だったルフが、納得のいかなそうな表情で質問してきた。私はそれに対して、気楽な調子で答える。
「ファージェル様が“デート”で酒場を訪れるなら、用心棒がいたほうが心強いでしょう?」
「……ボクが女性を守れないとでも?」
「そういうわけではありませんわ。ただ酔っ払いに絡まれたりした時に、対応してくれる人がいたら面倒が少ないでしょう?」
「…………まあ、それはそうだが」
暴行などの犯罪行為に巻き込まれるか、というと可能性は低いだろう。客の大半は市民なので、法に触れるような行動はできるだけ避けるはずだ。
ただ人間ならば、酔いで自制心が薄れることもある。若い男女のカップルを見かけて、品のない言葉を投げかけたりする男が現れるかもしれなかった。そういう時に酒場に慣れた味方がいれば心強いだろう。
「……ずいぶん、ボクのことを配慮してくれるんだな」
「勘違いしないでくださる? あなたではなく、あなたの恋人を心配しているだけですから」
ルフは一瞬、呆気に取られたような表情をすると、おかしそうに笑った。
「……きみは面白いな」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
「褒めているよ。きみほど不可思議な人はいない」
普通の学生とはかけ離れた存在であることは自覚している。この世にはない知識と経験を保ち、独自の思想と価値観で生きてきた私は、多くの人間にとって奇妙な存在として映るだろう。ともすれば、それは狂人の域である。
――もっとも、狂気は表に出さなければ狂気ではない。
ミセリアが常人とはズレた思考回路を持っていながらも、いちおう学生生活を送れているように。潜めているかぎりは、不思議な人物に留まるだけだった。
だが――ミセリアやレオドに対して、自分の本性を曝け出した時のように。
もし侯爵令嬢を演じることをやめた私を、あなたが目の当たりにしたら――どう感じるでしょうねぇ?
「――――お待たせいたしました」
ふいに少年の声が響いた。ようやく注文したものがやってきたようだ。給仕は慎重な手つきで、陶器の皿とワイングラスをテーブルへと置いた。
ふつう酒場では割れる可能性のある食器を出さないが、たぶん上客なので特別に提供してくれたのだろう。私も木製の皿やコップは苦手なので、なかなかありがたい配慮だった。
「……温めたワインは久しぶりだな」
「熱を加えているので飲みやすいはずですわ」
「なるほど」
私たちはグリューワインに口をつけた。
温度が高いため、渋味が少なくまろやかな飲み口である。少量の砂糖の甘味、およびレモン汁の酸味が混ざり合った葡萄酒はフルーティだった。酒の飲み方としては王道ではないが、こういったカクテルもたまには悪くないだろう。
そして鼻と舌の感覚が捉えるのは、いくつかの香辛料の複合だった。真っ先に気づくのはシナモン、あとはタイムと月桂葉か。さすがに香辛料は希少なのでわずかしか使用されていないが、それでもワインの香りや味を引き立たせていた。
ルフは一口ゆっくりと味わったあと、顔を綻ばせて言った。
「悪くない味だ。たまに飲むなら、こういう甘い酒も楽しめる」
と、ワインを褒めたあと、パンとスープに目を落として苦笑する。
「……食事は正直なところ、質素すぎるが」
「酒場はお酒がメインですから、仕方ありませんわよ」
全粒粉のパンに、少量の豚肉と豆および野菜の入ったスープ。平民にとっては十分なメニューだが、彼にとってはいささか物足りなく映るのだろう。学園の食堂で出されるランチやディナーと比べたら、さもありなん。
――そんな会話を交わしつつ、私たちは食事を進めて。
パンの硬さに苦心しながらなんとか胃袋に収めたルフは、大きく息をついてから口を開いた。
「……迷惑でなければ、もう少し付き合ってくれるかな」
「かまいません。どんなところをご希望ですの?」
「女性が喜びそうなものを売っている店を探したい」
「……銀細工や工芸品を扱うアクセサリー店。リボンやレースを扱う手芸用品店。あるいはもっと実用的なものなら、帽子屋や文房具屋など。いろいろありますわね」
「巡らせてもらっても大丈夫かな?」
そう尋ねるルフは、やや気兼ねした様子の顔色だった。世話になりっぱなしという思いがあるのだろう。
――時間はまだある。街を散策するのには差し支えなかった。
たまには、悪くはない。こういうデートも――本当にたまになら。
「――日が傾くまでは、お付き合いしましょう」
だから私は、そう答えた。
◇
空に目を遣れば、陽はかなり下がっていた。あと一時間くらいしたら、おそらく夕焼けが拝めるだろう。
まだ日没前だったが、私たちは市内の店巡りを終えて、学園の門まで戻ってきていた。
そのまま中に入って帰宅――といきたいところだが、守衛小屋の窓口で入出のチェックを済ませないといけない。普段は人目のない壁を飛び越えてスルーしているが、今日にかぎっては正規の手続きが必要だった。……ぶっちゃけ面倒くさい。
「――今日はありがとう」
正門から少し歩いたところで、ルフはこちらを振り返って礼を述べた。
それと同時に――申し訳なさそうに謝罪を口にする。
「それと……悪かったね。退屈なことに付き合わせてしまって」
「いいえ、楽しかったですわ」
嘘ではなかった。私だって人間なのだから、いつもと違った行動を取って気晴らしすることも必要である。年頃の青年と一緒に、街でデートをすること――それは悪くない経験だった。
だから、そう答えたのだが。
――ルフ・ファージェルは、真剣な顔つきで反論した。
「楽しくなさそうだったよ、きみは」
「……なんですって?」
「本当につまらなそうだった。飽き飽きしたような、物足りなさを感じているような――そんな顔をずっとしていた」
「まさか! 顔立ちのよい殿方とデートをして、喜ばない女性はおりませんわ」
「……喜んでいれば、面白ければ、自然と笑顔になるものさ」
私は自分の口元に手を当てたが、そこにあるのは歪んでいない唇だけであった。
――なるほど。言われてみれば、たしかに。指摘されると、納得せざるをえなかった。
理屈では悪くないと言い張っても、本心はごまかしきれないようだ。
――認めよう。私は異性と甘い時間を過ごすことになど、欠片も興味を持っていなかった。
ただ求めているものは――定型な日常、常識的な存在からかけ離れた、奇異と異端ばかりだった。
スリルが足りない。
刺激が少なすぎる。
危険が必要なのだ。
安定した人生の過ごし方など、ただただ退屈なだけだった。波乱を潜りぬけてこそ、彩られた世界を味わえるのだ。貴族の一員として呑気に暮らし、近しい身分の相手と結婚し、権威に保証された領地で規定された仕事をこなし、安寧を得る――そんな生き方をして、何が面白いのか?
あなたはそう思わないかしら?
ルフ・ファージェル。
「……いずれ、今日のお礼をするよ。それでは」
そう言って、去っていくルフの後ろ姿を眺めつつ――私は目を細める。
彼が向かう先は、男子寮とは違うようだった。そして方角からすると食堂棟でもなかった。今日は週末の休日なので、教室などのある中央棟に用があるとも考えにくい。そうすると――なんとなく思い当たる行き先が一つあった。
私はルフの背中を見据えて、足を前へ踏み出した。
「さて――」
面白そうな予感が、そこにあった。
◇
――ところで当たり前の話だが、この学園の中には使用人のための宿舎も存在する。
それも二棟である。まあ学生と教師の数を考えれば、それだけのメイドやコックが必要になるのは当然だった。貴族の恵まれた生活は、その下で働く多数の使用人がいなければ成り立たないわけだ。
学園に戻ってから、少し時間の経った頃合い。
あまり訪れる機会のない場所へと、歩みを進めていった私は――
「……あなた、ここで何してるの?」
「…………?」
質問の意味がわからない、といったふうに、眼鏡をかけた少女は私の顔をじっと見上げていた。
――使用人宿舎からほど近い、大樹の木陰になっている草地。そこに麻布のシートを広げて、ミセリア・ブレウィスは体育座りで読書をしていた。
「本を読んでいる」
「見ればわかるわよ。でも読書するなら自室でいいでしょ」
「隣がうるさい」
「…………」
私は女子寮のことを思い出して、どこか遠い目をした。
たしかに、仲のいい女子グループが寮室に集って黄色い声を上げることはたまにある。そういう時は寮監に訴えればいいはずだが、ミセリアの場合は誰かを頼って対応してもらうという思考回路がなかったのだろう。難儀な娘である。
ふと私は、彼女の座っている場所から少し離れたところに目がいく。
黒い塊がそこにあった。それは体を丸めて、微動だにせずうずくまっている。――ネズミ駆除のために学園内で放し飼いにされている、猫の一匹だった。
……まさか?
「その黒猫、殺してないでしょうね?」
「…………?」
「いや、死んでいるのかもと思って」
「寝ているだけ」
どうやらそのようで、猫はぴくりと耳をわずかに動かした。
いや、うん。疑ってごめんなさいね?
「――弱いものは、殺す必要がない」
黒猫を眺めていた私に対して、ミセリアはそう淡々と言った。
「……なぜ?」
「殺さなくても、生きられるから」
――その回答を聞いた瞬間、私はおもわず笑みを浮かべてしまった。
そうだ。それは正しい。小難しい道徳を持ち出すより、よっぽど単純で筋が通っていた。
糧を得るために、寿命を延ばすために、死から逃れるために――生きるために殺す。
たとえばアルスは生計のために動物を射殺している。だが、誰がそれを咎められようか? 彼は生きるために殺しているのだ。
そして――それを裏返せば、私にも当てはまっていた。
――殺さなくても、生きられる。
そう……生命を脅かされることのない存在など、わざわざ命を奪うまでもない。それをミセリアも、自分自身の経験から理解しているのだろう。
私の力に比べれば――彼女など赤子に等しい存在だった。いつでも屠り、この世界から消し去ることができる。それでも、私は彼女を殺していなかった。――殺す必要などない、弱者だから。
「……そういえば。この前あなたが言っていた友達って――もしかしてそれ?」
ミセリアはこくりと頷いた。友達、イコール、いつも一緒にいる存在という謎の等式を適用した結果、どうやら猫は彼女の友達になったらしい。安直すぎではなかろうか、この小娘。
なんとなく彼女の将来を心配していると、小さく気だるげな鳴き声が響いてきた。黒猫が目を覚ましたようだ。
「あら、おはよう」
そう猫に挨拶をすると、その子はこちらの顔を見上げ――
飛び跳ねて、脱兎のごとく逃げ出していった。
「…………」
なんで?
「生存本能」
「……あっそ」
呟いたミセリアにぞんざいな言葉を返し、私は彼女に背を向けた。
帰路につくため――ではない。
私の視線の先には、使用人の宿舎がそびえ立っていた。屋根裏部屋を含めれば五階建ての建築物のため、けっこうな高さがある。一足で届くのは、せいぜい三階か四階までだろうか。
「……なるほど」
「…………?」
「話し声のことよ。遠くで男女が会話している」
「聞こえない」
そうだろう。ミセリアには、私の声と風によってさざめく木の葉の音くらいしか耳で捉えられまい。
だが、私は違った。雑音の少ないこの周囲なら、かなりの範囲まで聴覚で感じ取ることができる。けっして本人たちが気づかない位置から、話の内容をうかがうことができた。
「……少し、顔を見てこようかしらね」
私はそう呟くと――体に馴染ませるように“気”を送り込んだ。
肉が温まり、力の湧く感覚がする。通常では為しえない運動を可能にする、神秘のエネルギーが五体に満ちていた。
そして――最初はゆっくりと、そしてすぐにスピードを上げて、前方の建物に向かって走り出した。
「…………ッ」
使用人宿舎の壁から少し距離のある、余裕を持った位置に到達した時――私は体を低く屈めた。
そして体勢が沈んだ直後、力を爆発させる。エネルギーの籠った脚は、地面を破壊するかのように蹴りつけた。真下に与えたその強い力は――反動となって、私の体にもたらされる。
それは跳躍だった。
ただ、一瞬だけ宙に浮くのとは異なる。
上へ、まるで鳥が飛び立つかのように――私は空中へ飛んだのだ。
だが――私に翼はない。あるのは腕と指だけである。そのまま五階建ての高さまで到達するのは不可能だった。
だから……複数回に分けて、跳べばいい。
「――――」
右手を伸ばし、指の先を“そこ”に引っ掛ける。
わずかに確認した下方の視界には――窓が二つあった。そう、つまり……いま私が掴んだのは三つ目、すなわち三階の窓の枠だった。
指の第一関節ほどしかない窓枠の出っ張り――それは常人であれば両手で体を支えるだけでも苦しいだろう。
だが――私にとっては十分だった。
「……っ」
右手に力を入れる。わが身を引き寄せる感覚。たった片手の指先ひとつで――自分の肉体すべてを宙へ放り投げる。
翼がなくとも、足場がなくとも、ただ少しでも支えがあれば――空へ跳ぶことなど簡単だった。
右手の運動で上空に跳躍した私は――さらに左腕を伸ばした。
掴んだのは、もう一つ上層階の窓枠。四階の窓だった。それを先ほどと同じように支点にして、腕の力で飛び跳ねる。
窓のない屋根裏部屋は通り過ぎ、最後に私が手をかけたのは――宿舎の屋根の端だった。
「……一回で、いけると思ったんだけど」
最初に地面から四階の高さまで跳べていたら、窓枠を掴むのは一度だけで済んでいただろう。その辺の身体能力の向上は、今後の課題にするとしよう。
私はそんなことを思いながら、「よっ」と屋根の上に登った。屋根葺きは凹凸の少ない平板瓦なので、歩きやすいのが幸いである。いちおう瓦を破損させないように注意して歩きつつ――私は声のする方向へと歩いていった。
「……日中は大丈夫でしたか?」
「ああ、とくに何もトラブルはなかった。……ああ見えて、優しい人物だったよ」
「……人のうわさというのも、当てになりませんからね」
「あはは、そうだね……」
聞き知った声を耳にしつつ、私は屋根際で足をとめた。少し上半身を前にやれば、地上の様子をはっきりと確認することができる。使用人宿舎の裏手、人目から逃れるようにひっそりと逢瀬をしているのは――
「……そうそう、彼女といろいろ店を回ったんだ。これは手芸店で買ってきたものなんだけど……」
「……リボンですか? わたしには、こんな可愛らしいものはとても――」
「リボンやレースで飾るのは、最近の女性の流行りだろう? ……きみも、きっと似合うはずだよ。帽子でも、服でも、バッグでも……好きなように使ってほしい」
「ですけど……これは、シルクのリボンですよね……? 私がこんな、貴族のお嬢様みたいなものを身につけるのは……」
「貴族だろうと、平民だろうと、関係はないさ。ただ愛する人が綺麗で美しくいてほしい。ボクはそう思っているんだ」
「…………」
俯いた彼女は、しかし頬をほのかに赤らめていた。なるほど、満更でもなさそうな態度である。
なんとなく察してはいたので、それほど驚きがあるかといえばそうでもなかった。ただ、初めの彼の印象を踏まえると、そのギャップがひどく面白く思える。
「木を隠すなら、森の中――か」
二人には聞こえぬ声で、私はそんな言葉を口にする。
格式の高い貴族の家の長男が、学園のただの使用人に恋をする。もし本気で付き合っていることが知れたら、ほとんどの人間から侮蔑されることだろう。実家に伝わりでもしたら、どうなるかもわからない。
もっとも――女遊びの激しい男を演じていれば、メイドが本命などとは思いもしなかろうが。
貴族のルフ・ファージェルと、学園の使用人のアイリ。
恋する男女を、その頭上から眺めながら――
「愛というのは……イイわねぇ……?」
私は口の端を吊り上げ、その日いちばんの愉快げな笑みを浮かべた。
下着としてのシュミーズは20世紀初頭から廃れていき、ブラジャーやパンティーなどに置き換わっていった。
コルセットという単語が使われるようになったのは、1770年代になってからである。この頃のコルセットは張り骨がなく、キルティングリネンで作られており、非常にソフトな衣服であった。
このように多数の呼び名がある補正下着は、19世紀に入ってからより体をきつく締め付けるものへと変わっていき、またステイズとコルセットは同じ意味で使われるようになっていった。
ペティコートは下着としての保温機能のほか、スカートの膨らみを強調する役割を持っており、そのために何枚も重ね着されることがあった。このようなファッション的機能は、のちに「クリノリン」へと発展していった。
もっとも有名なのはパリであり、ローマの時代から数えてじつに6回も城壁の拡張を繰り返してきた歴史がある。
ちなみに、このパルクールを初めて映画に取り入れたのは、2000年のフランス映画『TAXi2』である。
また、課税が多岐にわたり複雑化してくると、徴税権を一定の契約で私人に委託する徴税請負人の制度が西ヨーロッパ各地で見られた。とくにフランスのパリでは、徴税請負人たちが入市税をさらに取り立てるために、王に新しい城壁の提案までおこなった。これが有名な「徴税請負人の壁」であったが、徴税請負人による搾取は市民の怒りを募らせる結果となり、のちのフランス革命のきっかけにもなった。
この手のゲームは古くから親しまれており、チェッカーボードに似たボードは紀元前3000年のウルでも発見されている。
イギリスやフランスなどでは、このような芸能人たちのギルドも存在したが、17世紀にはほとんど消滅してしまった。その一方で、組織ではなく個人で糧を得る大道芸人は、19世紀まで長く生き残っていたようである。
歴史的には貨幣経済が進行すると、領主は農民に農地を任せて地代だけを取り立てる地主になりがちである。現実の西ヨーロッパでは、時代とともに領主の直営地が減っていき、領主と領民の関係性は希薄になっていった。また価格革命(インフレ)や黒死病(人口減少)による煽りを受け、封建領主の多くは没落していった。
銀貨は各地でさまざまなものが作られたが、現代の硬貨とは違って流通総量が少ないこともあり、少額取引にはどうしても不便が発生した。その場合は補助貨幣の銅貨が使われることもあったが、銀貨を半分や1/4に切断して使用することも多かった。
参考として、1590年頃のイギリスのパン屋の職人が1週間30ペンス=1日4~5ペンスの賃金であった。(当時の1ペニーは約0.5gの重量、12mmの直径と、かなり小型の銀貨になっていた)
まったくの余談であるが、銀(silver)は古英語だとseolforと書く。
多くの人々は、ふすまの混ざった黒みのあるパンを食べていたが、保存のためにかちこちに焼き固められている場合が多かったようである。ぶどう酒やスープ、あるいは水などでふやかして食べるのが一般的だった。
香辛料はクローブやナツメグ、シナモン、メース、ショウガや胡椒、あるいは月桂樹やタイムなどを使い、砂糖や蜂蜜などで甘味付けをするのが一般的である。オレンジやレモンなどのフルーツも使われることが多い。
このようなホットワインはヨーロッパの広い地域で見られ、時代を遡れば西暦20年頃のローマ帝国時代にもスパイスと蜂蜜で味付けしたワインのレシピが記述されている。