俺と皐月さんは山の中、鬱蒼とした森の獣道を歩いていた。目的は言うまでもなく発見された荒魂の捜索、及びその始末だった。報告から既に数日が経ち、さらに生憎のこと昨日は雨だったようで地面は軽くぬかるんだまま、あらゆる痕跡が洗い流された後だった。
「スペクトラムファインダーを見てもノロの反応が広すぎますね。せめて雨が降った後でなければ痕跡から見つけることも出来たかもしれませんが」
「と言っても、それでも山の中ですからね。視界の悪さで探すこと自体が難しいです」
携帯端末を覗きながら皐月さんはどうしたものかと困った様子だった。探している荒魂は人口密集地で暴れた後、この山の中に逃走したらしいがファインダーを使っても雨に流されたことで痕跡は雨水とともに広がってしまっており、地道に歩いて探すことを強いられていた。
「せめて綾小路から応援が受けられたら良かったのですが。無い物ねだりはいけませんね」
「そもそも他の手が回らないからの俺たちなわけです。それにしても二人だけというのは少人数が過ぎるとも思いますが」
「それに関しては私のせいです。私の能力を他の刀使や機動隊の方に見られる訳にはいきませんから」
山道を歩きながら皐月さんは申し訳なさ故に目を伏せてしまった。
しかしそれならこちらにも少なからず非があるのも道理である。
「それ言うなら俺が戦わないで皐月さんを温存させなければならず、あなたの本命である荒魂を使っての捜索が出来ないのがそもそもの原因だったりしますけどね」
戦わないのはあくまで俺の個人的な理由で、この山道を歩いて地道に荒魂を探しているのはその理由に無理やり皐月さんを付き合わせているようで申し訳なかった。
ならばこそ本気にならない範囲内に限りでの俺の活躍というか、親衛隊に出向させられた狙いを発揮しなければならないわけだが生憎のこと、目的の荒魂は範囲内に入っていないようだ。
なので変わらず俺たちは山道を上に下に地図を埋めるように歩いていた。
歩きながら皐月さんがこちらに話しかける。
「ところで鹿島さん、先ほどから歩き続けていますが疲れた様子を見せませんね。本気になりたがらないのに体力をつける訓練は欠かさなかったのですか?」
山の中を歩いていると言ってもその速度は一般に言えば競歩以上走る未満というもの。それを2時間近く続けていたために気を使わなくて良いのかという質問の意図もあったのだろう。しかし訓練という概念自体が鹿島には不要なものだ。
「……いえ、その、お恥ずかしながら運動などは普段していません。ただ生きているだけでお役目を全うできるように体が出来ているんです。先日の手合わせの時も御刀に触ったのは10年ぶりだったのですがやはり体は忘れてくれていませんでした。だからその、体力に余裕はあります」
「……そうなるともしかし……なくても、はぁ……。私は7歳の鹿島さんに剣術で負けてしまったということでしょうか」
頑張っている彼女にはあんまりな事実に皐月さんは気づき、体にノロを打ち込んで7歳の子供との間で埋まらない才能と能力の差があることが浮き彫りになる。流石に気にしたのか先ほどまで一定だった彼女の足音にズレが広がり、落ち込んだ様子だった。
「あの頃は俺も剣術を習って、御刀を振るうのが楽しかったんです。強くなりたいとかじゃなくて半分くらいは母との遊びで気がつけば歴代最高の鹿島、剣神様の愛子とか呼ばれて、それが今は鹿島の厄介者。俺はただ母と一緒に居たかっただけなのに。何一つだってままならないものよ」
敬語が思わず外れてしまっていた。どうも昔の話をしようと、思い出そうとするといけない。暗くなるばかりか、皐月さんに気を使わせてしまいそうだった。
「あなたにとって過去に母が失われたことは今も変わらず終わっていない大切なことなのですね。過去のことなど忘れて今しか価値のない私には羨ましい」
帰ってきた言葉は優しいものだった。物は言いようと切り捨てることも出来たが今は初めてかけてもらえた優しい言葉が何よりも耳に残っていた。
しかしその中で一つだけ苦言を呈したいものがある。
「そうやって昔のことから離れられない俺にとって、今を頑張っている皐月さんは報われて欲しいと思います。紫様への忠誠心や親衛隊での働きも見てましたけど、やっぱり頑張ってる人は報われて欲しいと俺は思います」
例え本人がしがみつこうとしているだけだと言ったとしても、俺はやはり彼女に報われて欲しいと、懸命に今を生きている人が報われて然るべきだと思わずにはいられなかった。
●
「そんな頑張っているなど。努力をするだけなら誰にでも出来ます。やはり結果が伴わなければ、それは頑張っているだけです。」
照れからなのか、それとも本気そうで思っているのか俺には分からなかったが少なくとも事実として皐月さんはそう言った。そして続けた。
「少なくとも今の私があるのは高津学長と紫様によるもの。なら私はその恩義に忠を示すことでその恩義に報いられる。そうすれば私は必要とされて居場所を守れるのです」
「それは——」
決してそれだけがあなたの存在価値なんかじゃないと言いたかった。決して刀使として優れているから、それだけがあなたの存在価値じゃないと伝えようとしたが俺にそれを言う資格があるか分からなくて、しかし結局言おうとした言葉は続かなかった。何かを言う前にそれが妨げた。
嗅覚がかすかに漂ってきたそれを捉えていた。
「——! 皐月さんあっち!」
確かに捉えた弱々しい痕跡が感じられずに逃してしまう前に追いかける。より匂いの濃い方へと駆ける。皐月さんも黙って並走している。そのうち匂いだけでなくノロの気配ともいうべきものを五感ではない第六感というべき感覚が捉える。これこそが戦わない俺に見出されている戦わないこと以外での用途。
走り、駆けて、跳んで、そしてようやく鬱蒼とした森から少し拓けた場所へと出る。
ようやく視界が広く確保できたことで皐月さんは周囲を見回す。しかし視界には荒魂らしき存在は映らない。ただ木の生えていない土が見えるばかり。何も見当たらない。
「荒魂が見当たりませんね。しかしスペクトラムファインダーもここだと示している……。透明なのでしょうか?」
「いえ、見えていないのは仕方ないです。だってこれでは見えませんから……ね!」
言うのと同時に今回持ってきた道具、刃のついていない先端が尖っただけの棒手裏剣を投げる。刃がついていなければそれほど鹿島の力は発揮できない故の選択だった。指で挟み、刀使と同様の膂力で投げた棒手裏剣は空気を唸らせながら飛んでいき、地面の狙った場所に刺さり、そのまま潜っていった。
「何を? ……! まさか」
そのまさかだった。棒手裏剣によってコイン大の大きさの穴が空いた地面は突如として盛り上がり、爆発するように土埃が舞い上がった。
土埃が落ち着き、見えてきたのは長い蛇のような荒魂だった。蛇というよりもミミズのようなそれは土に潜るのに適した姿かたちをしているのは明らかだった。それと同時に聞こえる荒魂の咆哮。どうやら投じたものは上手いこと命中してくれたらしい。
「なるほど。土に潜航していたから山全体に広がるように痕跡が残っていたわけですか。鹿島さん、棒手裏剣の残数はどれほどで?」
「残り十一本。俺が引きつけますから皐月さんがとどめをお願いします」
いうやいなや、俺は飛び出す。地面の上を走るのではなく、まばらに生えた木々を足場に飛び移り生い茂った葉を隠れ蓑にして姿を隠し、不意を突くようにして棒手裏剣を飛ばす。
荒魂は御刀を構える皐月さんよりもちょっかいをかけてくるこちらが気に障ったようで咆哮をあげ、棒手裏剣を投げた時の木に向かって突撃していく。
そうしている間に皐月さんが攻撃の準備に入る。皐月さんは敵である荒魂ではなく自身に向かって、まるでヴァイオリンの弓のように御刀を構えると弦を弾くようにして引き、敵を斬るはずの御刀で自身の腕を斜めに切りつけた。
瞬間、吹き出したのは赤い血などではなかった。赤よりも紅い、人への憎悪で染まった荒魂。それが皐月さんから吹き出していた。吹き出した荒魂は蝶の形をとり、空を埋めるように広がっていく。
「いきなさい」
短く皐月さんが命令するとただ広がっていただけの蝶たちは統制の取れた軍隊のように広がり、こちらに夢中になっていた荒魂を襲った。
蝶一匹だけでは大したことは出来ないのだろう。しかし今ここにいるのは百や二百をゆうに超えた大群。小さくともそれらは荒魂であり、体の大きいミミズの荒魂を小さく、それこそひとつまみよりも小さく削っていく。それが数十、数百と繰り返されて大きく削っていく。流石に焦ったのか蝶たちを相手にしていなかった荒魂は彼らを振り払おうと体を大きく動かす。
しかしそんなことをしようとも巻き込めるのは精々が数匹。全体で見ればひと摑みにも満たず、欠けた部分を埋めるように蝶たちが殺到してミミズの荒魂を削り続ける。
後は実に単純な作業だった。
「せいやぁ!」
掛け声とともに棒手裏剣を尾の先端に向かって放ち、荒魂の尾を地面に縫いつける。
「皐月さん! 今です!」
「お気遣い感謝します」
短く答えて皐月さんは御刀を構え、荒魂との距離を縮める。
荒魂を討伐するには御刀でなくてはならない。御刀に宿る神性が唯一、この世界で荒魂の根源であるノロを鎮めることの出来るものだった。ただの武器でもなく、ノロの力でもなく、それが必要であった。
傷ついた荒魂は最後の抵抗と言わんばかりに鎌首をあげて、咆哮をあげる顎門を武器に皐月さんを迎え撃とうとする。
「往生際が悪い!」
しかし手が空いている俺がそんなことはやらせない。最後の棒手裏剣を投げて、開いて牙を向くその口を棒手裏剣で上から縫い止めるように突き刺す。
その直後に皐月さんの持つ兼光が風を切り、そして隙だらけの荒魂の鎌首を両断した。切り落とされた首は重力に従って落ち、遅れてそそり立っていた胴も崩れた。
御刀に切られたことで荒魂は力を失っていき、熱した鉄を思わせる色のノロの塊へと溶けていく。
荒魂が完全に沈静化したことを確認して皐月さんが言う。
「これで任務完了ですね。後は麓で待機している回収班に連絡をして終了です」
「その前に手当てが先でしょうに。皐月さんはもう少し自分を大事にしてください」
事もなげに言う皐月さんに思わず苦言を呈してしまっていた。
まったく、この人は何も言わなかったらこのまま帰るつもりだったのだろうか。
近くにあった丁度良い大きさの石に彼女を座らせると先ほど御刀で切った彼女の腕を引っ手繰るように伸ばさせる。腰から持ってきた消毒用のスプレーを吹きかける。
それほど深くないとはいえ、流石に傷口に染みたのか皐月さんは小さく唸る。
吹きかけた泡が無くなるのを確認すると包帯で腕をきつめに縛る。
「……鹿島さん少し痛いです」
「切ったのだから当然でしょう。いくら刀使の回復力が高いとは言え傷は傷。ちゃんと処置くらいはしてください。まったく、もう……」
こうでもしないと彼女は傷をそのままにしそうだった。そんな彼女を放っては置けず、自分でも驚くほど彼女の世話をしている自分がいる。人のことを気にかけてくれる一方で、どうして自分のことには無頓着なのだろうか。
皐月さんは手当てされた自分の腕と俺を交互に見て、それから少し考え込むそぶりを見せる。そして結論が出たのかこちらを見た。
「お気遣い感謝します」
そう言って彼女はいつもの無表情を崩して、ほんの少しだけど笑っていた。笑い慣れていない人特有の少しだけ引きつったような笑顔。でもそれは言い換えれば心からの感謝の印でもあった。
思わず息を飲んでいた。
見慣れない彼女の笑う顔に見られていると思うとなんだかこそばゆく、顔が少し熱を帯びたような気がする。赤くなったような気がする顔を見られまいと顔だけを逸らしてしまい、そんな不恰好な姿勢のまま言葉を続ける。
「そ、そんなに気にしなくて結構です。仲間として当然のことをしたまでで。それよりも早く回収班の方たちを呼んで帰りますよ!」
言い淀み、最後の方は声が上擦った。しかしそんな俺を皐月さんは笑うことはしなかった。俺の隣に立って、
「はい、帰りましょう」
しかしその声色は今までのどの声よりも柔らかかった。
雨の後の空は雲ひとつなくて、空の向こうまでも見えた気がした。
気がつけば話が広がり、予定よりも話数が増えていた。
今後ともよろしくお願いします。