「はいもしもし宮内です」
ある冬の宮内家。
電話に出た一穂だったが……
「えっ、雪子さん、帰れなくなった? 汽車が止まって足止め?」
『そうなのよ、ちょっと高校の時の同級生で集まりがあって、同窓会ってほどものもじゃなかったんだけど……』
電話の向こう側で、越谷雪子が申し訳なさそうに言う。
「何やってんですか。今日夕方から天気荒れるって予報出てたじゃないですか」
『そうなんだけど、まさか全面運休にまでなっちゃうとは思わなくて』
「むしろ全面運休で助かりましたよ。下手なところでピックアップしなきゃならない方が、タチが悪いです」
『それで、申し訳ないんだけど、うちの子、一穂ちゃん見ててくれない?』
「はぁ、まぁ大丈夫だとは思いますが……雪子さんこそ、下手にジタバタしないでホテルにでも泊まってくださいよ」
「というわけで、泊まりに来たぞー」
「にゃんぱすー」
「なんだ母さん、わざわざ頼まなくても大丈夫だって言ったのに」
夏美がため息混じりに、玄関先で中3の参考書片手にぼやくように言った。
「まぁ、私も夏美は精神的に小鞠は肉体的にしっかりしてるから大丈夫だとは思うんだが、念のためにな」
「でまぁ、それにれんちょんがついてきたのはわかるとして……」
夏美は、そこまで言うと、目をジト目にしつつ視線の先を変える。
「おぉ……中あったけー」
「なんでひか姉?」
わざわざくっついてきたひかげの姿に、夏美が問いただすように言う。
「いちゃ悪いのんか、せっかく後輩が心細い思いしてるのんと思って泊まりに来てやったんに」
「本音は?」
夏美が、呆れ返った眼差しをひかげに向けながら、ため息混じりにポツリと言った感じで問いかける。
「そりゃ越谷家このあたりじゃ一番ハイテクなんからいろいろ最新鋭ゲームとか遊び放題なんににっしっし」
「あー……やっぱり」
悪びれもせず自白するひかげに、夏美は瓶底眼鏡越しに呆れ返った眼差しを向ける。
「って、別に本当にそれだけのために来たわけじゃないのんな!」
「はい本音」
「越谷家母ちゃん帰ってこれないと小鞠が料理するんな、定番の“洋風煮っころがし”」
ビーフシチューなのだが、やたら野菜、特にじゃがいもの分量が多くなってしまう。
「そんな事言ってると食わせないぞ」
最初に小鞠のビーフシチューを「これじゃ洋風煮っころがしだね」と言ったのは実は夏美だったりするのだが、実の姉の手料理を揶揄する意味で使われたのでは流石に腹もたってくる。しかもまずいとか食いたくない、ならともかく、
「あー、いまのなしなんなしなん、あれご飯すすむんからな」
食べる気満々でこの態度なのだから夏美が腹をたてるのも無理はない。
「それに明日どうせ学校休みになるんし、夜更かしして遊んでも文句言われないのんな」
「一応、教師が一緒なんですけど?」
そう言うと夏美は、すっとスマートフォンを取り出した。
旭ヶ丘観光鉄道ユキ1形
大正時代に、国鉄が輸入したラッセル車を見よう見まねして、木造貨車にラッセルブレードを取り付けてでっち上げたラッセル車である。
普段動態保存車として展示会に出たりするが、実は「コイツ……動くぞ」として使われている。
後部に遠く大宮から流れてきた元国鉄のDD90形ディーゼル機関車が連結される。元は輸入部品を組み立てたものを、エンジンを国産に積み替えたりの魔改造の繰り返しで原型は車体ぐらいしか残っていない。やはり展示会でテツの餌食になるために生きているようなものだが、こういうときにはヤンマー製のエンジンを頼もしく響かせる。
控車としてキハ500形1両が連結され、除雪作業員を載せて、特別排雪列車が車両基地を出発しようとしていた。DD90形とキハ500形が、ホイッスルとタイフォンを「ピーッ!!」「ファァァン!!」と鳴らし合う。
ぴろりん♪
「まて夏美、今どこにメールしたん?」
ひかげが問いただす。
「このみちゃん。明日汽車動いてたらひか姉うちにいるからって」
「余計なことしなくていいんに」
「休講にならなくてもサボる気満々だね……」
「おうっ、この雪の中出かけられるかってんの」
「一応教師の目の前なんだがな」
そう言って、一穂の目が一瞬、糸目になった。
「まぁいいや。いい加減玄関先じゃ寒いだろうから上がりなよ」
「おう、お邪魔するぞ」
一穂がそう言って、宮内姉妹が越谷家に上がり込む。
居間はトヨトミの煙突付ファンヒーターが焚かれて暖められていた。所謂ウォームトップタイプで、開放式の芯式のストーブ同様に天板が加熱されるタイプである。
「あれ?」
「あっ、お邪魔してますー」
一穂が、最初に気がついたのは、3DSで遊んでいる蛍の姿だった。
「いや、お邪魔は私らもだけど、どういう事?」
「ああ……」
一穂らの来宅に気付いたエプロン姿の小鞠が、タオルで手を拭きながら居間に姿を表した。
ちなみに蛍が使っている3DSは、小鞠のものである。ピンク。
「蛍、うちにいる間に雪がひどくなってきちゃって」
「ああ、そう言うことか」
「お母さんが迎えに来るって話もあったんですけど……」
「まぁ、やめたほうがいいだろうな」
一穂は、軽くため息混じりにいい、雨戸の閉まっている縁側の窓の方を見た。
「スタッドレスは楓が履かせたはずだしFFだけど、東京の人間じゃ雪道の運転に慣れてないだろうからな。この大雪の中は厳しすぎる」
そう言う一穂のクルマは某後輩が5速化改造したSJ30Cジムニーである。
「ただ、蛍泊めるって決めてからお母さんから汽車が止まったって電話があって。少し困っちゃってたから、かず姉が来てくれて少し助かってる」
「それはちょうどよかった、ってところか」
「うん」
小鞠は、どこか安心した様子の目を一穂に向けて、ニコニコ微笑みながらそう言った。
そんな話をしている間にも、鼻孔をくすぐるような匂いが、台所から漂ってくる。
「食事の支度、手伝うか?」
「あ、ううん、もう煮込みをしているところだったから大丈夫だよ。蛍も手伝ってくれたし。今日はお野菜ボコボコじゃないからね」
「あっ、い、いえ、そんな……」
蛍が、何故か赤くなって俯いてしまう。
「ただ、ご飯が足りなくなるだろうから、炊飯器のをおひつに移して今、大急ぎで2回め炊いてるところなの。れんげとか蛍とかお腹空いてるようだったら、先に食べててもいいけど……」
台所では思い切り昭和なリンナイ製電気保温付ガス炊飯器が、蒸気口からもうもうと湯気を吹き出しながら炊飯しているところだった。ビルトイン式ではないが最新鋭の同じくリンナイ製ガステーブルで、圧力鍋が圧力をかけない状態でコトコトと煮込んでいる。
「あっ、私は大丈夫です!」
「うちもまだ我慢できるのん」
蛍が少し慌てたように言い、れんげがそれに続くように、手を上げながら言った。
「そう? じゃあもう少しで炊けると思うから待っててね」
小鞠は笑顔で言う。
一方。
「おっ、ゲー天買ったんな、やっていい?」
「いいよー」
早速とばかりに、テレビ周辺でゲームを漁っていたひかげが、ディスクを見つけてそう言ったが、それに答えたのは小鞠だった。
「あれ? 夏美はどこいったん?」
言いながらも、ひかげは勝手知ったる他人の家、とばかりに、ゲーム機の電源を入れ、テレビの入力を切り替える。
『SEGA Enterprises』
『Dreamcast3 Powered by AMD』
れんげと一穂がキョロキョロとするが、ひかげはさっさとゲーム機と向かってしまう。
「かず姉、ちょうどいいからこの問題、教えてくれない? ちょっと解き方わかんなくって」
「なんだ、通信講座の課題か? 私がアシストしていいのか?」
通信講座のテキストをもって、自室から居間に戻ってきた夏美が、一穂に声を掛ける。
「学校の先生に聞いちゃダメだったら、誰に聞けばいいのさ」
「……それもそうだな、どれ」
一穂はいい、目の前のコタツの上にテキストを広げてみろと手で示す。
「お前が難しい問題を私が解けるか問題だが……数学か、それこそ珍しい」
「うん、そうなんだけどね」
夏美の弱点は、あえて言うなら文系。それが理数系で蹴躓いていたので、一穂は意外そうな声を出した。
「どの問題だ?」
「これこれ、この問題」
「数学でお前が解けないとなるとなおさら……いや待てよ、こういうのやったことあるぞ」
一穂が難しそうな顔をしていたのが、はっと凝視してそう言ったので、
「えっ、本当?」
と、夏美が、軽く驚いたような、弾んだ声を出した。
「これ少し引っ掛けなんだ。ここに代入するのはこっちの“6”じゃなくて、こっちの“10”なんだよ」
「あっ、本当だ! 道理で何度検算しても計算が合わないわけだ」
夏美が、驚きつつ、感心したように一穂を見た。
「間違ってるのがわかるのは流石夏美ってところだな」
「そう?」
一穂も笑顔で言う。すると、夏美は、言葉ではそっけなく言いつつも、瓶底眼鏡の下で少しにやけた表情をした。
「よしっ、これで今日の分の課題完了っ! ありがとうかず姉!」
「そこまで言われると、教師冥利に尽きるな」
夏美の礼を言う言葉に、一穂は少し照れくさそうにそう言った。
「…………ひか姉も少しは勉強しないと、いつかなっつんに追い抜かれちゃうんな」
「うるさいに、今はいいのん!」
れんげの言葉に、ひかげはムキになったように言い返した。
「そう言えば、うち泊まりに来ちゃってるけど、ひか姉自分の学校の宿題は? 進学校だからこのみちゃんのとこより多いって、いつもぼやいてるじゃん」
夏美が、ふと気がついたようにそう訊ねた。
「今日はもういいん!」
ひかげが、まずはムキになって言い返した後、
「ひか姉なー、どうせ明日学校休みになるからって宿題サボってるん」
と、れんげが、わざわざひかげを指さして説明した。
「このみちゃんにメールで……」
そう言って、夏美がポケットからスマホを取り出す。
「だぁっ、いちいちこのみに振るのやめるん!」
「あ、ねーちゃん、ご飯の2発目炊きあがった?」
「炊飯のスイッチ上がって、今蒸らしてるとこ」
台所から居間に出てきた小鞠に、夏美が訊ねると、小鞠はそう答えた。
「それでその間にさ、コタツ1台じゃ足りないだろうから、私の部屋のコタツ持ってきて欲しいんだけど……」
「よし、じゃあ、私が行こう。夏美、付き合ってくれ」
「あっ、私も手伝いに行きます!」
小鞠の頼みに、一穂がそう答えると、慌てたように蛍も手を上げた。
「布団があるからな、3人いてちょうどいいだろう」
一穂はそう言った。
「よし、じゃあれんげはご飯よそるの手伝ってくれる?」
「了解したーん」
そう言って小鞠とれんげは台所に、一穂と夏美、蛍は小鞠の部屋に向かった。
「小鞠先輩って、別に言うほど料理下手じゃないですよね?」
「むしろ上手いんじゃない? 姉ちゃんの料理以上に安心できるったら母さんしかいないよ」
蛍の言葉に、まず夏美がそう言う。
「ですよね、ビーフシチューなんか、市販のルーじゃ物足りないって、ぱっとバターとスパイスで味足しちゃうほどですし」
蛍は首を傾げるように言う。
「あれは一種の照れ隠しみたいなもんだろう、指が太いせいで具材をいびつにしてしまうからな」
一穂が付け加えるようにそう言った。
「でも、裁縫もできないわけじゃないですし、そっちも不器用って落ち込むほどじゃないと思うんですよね」
「いや、ウチはなんとなく今ので解った」
さらに首を傾げる蛍に対し、夏美は今更合点がいったことに少しきまり悪そうに言う。
「姉ちゃんの場合、身体がデカいってのが最大のコンプレックスだからさ、それ以外の欠点が欲しいんだよ」
「それに、ちょっと欠点があった方が可愛らしく見えるからな」
再び、一穂が続ける。
「小鞠にとって“身体がデカい”はコンプレックスだが、それがなくなると結構没個性だからなあいつ」
「そうそう、要はウィークポイントが欲しいんだよ」
「そういうものなんですかねぇ……」
「耳年増の蛍でも、このあたりはまだ小学生じゃ理解しにくい心境だろうな」
一方その頃。
「あれ? みんなどこ行ったん?」
ひかげが1人で取り残されていた。
「んー、いい匂いなんなー」
ひかげがいい、多少行儀悪く身を乗り出して匂いをかぐ。
2台のコタツの天板の上に、盛り付けられたビーフシチューとご飯。食欲をそそる芳醇な香りが漂う。
「それでは、召し上がれ」
「いただきまーす!」