行こうよ! ゆるキャン△   作:Pain elemental

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第10話 鯉と恋とニジマス

 

 

 

 クリスマスキャンプまで残すところあと1週間となったある日、春彦はふとカレンダーを見てあることに気が付いてしまった。

 

「このままじゃ釣り行けねぇ…」

 

 先日バイトの面接に受かった春彦だったが、12月末からバイトを始めることになったせいで、クリスマスキャンプの後は忙しくてしばらく釣りに行けそうにないということに気が付いたのだ。

 

 自他ともに認める釣りキチの春彦にとって、半月以上釣りに行けないというのは苦痛に他ならない。

 しかしクリスマスキャンプを一週間後に控える今、大枚をはたいての遠征は難しい。そこで春彦はどこか近場で釣りができないかと考えた。

「川は微妙だな、今禁漁だし」

 

 山梨には渓流釣りで有名な川がいくつかあるが、その大半は漁協組合によって管理されている。そして12月の今、ヤマメやイワナなどを渓流魚は禁漁で3月ごろまで釣ることはできない。禁漁でない魚もいないわけではないのだが。

 

「そうなるとやっぱ本栖湖あたりか…」

 早速ネットで本栖湖の遊漁規則を調べてみると、ヒメマス以外の魚には禁漁期が定められていないことが分かった。

 

「遊漁券は前売りなら一日800円、ボート屋で買うか」

 

 漁協組合がある河川や湖沼で釣りをする場合は大抵遊漁料がかかる。自然の川や湖で釣りをするのになぜ有料なのかというと、漁協組合が河川の環境維持をして管理しているからである。

 

 日頃目立つことのない漁協ではあるが、その活動の重要性は意外とあなどれないもので、ある漁協のない河川では、ヤマメやイワナや鮎などの食用に適した魚が乱獲によってほとんどいなくなってしまったというケースもあり、実は釣り人にとっても結構重要な役割を果たしているのだ。

 

「次は何を釣るかだけど、ヒメマス以外ならなんでも釣れるんだよな」

 

 ヒメマス以外で本栖湖に生息している魚を調べてみると、ニジマスやブラックバスなど釣りの対象魚として申し分ない魚の名前が上がる。

 

「バスとかだとルアーだけど… もうちょっとのんびりやりたいな」

 

 ゲーム性が高く若者にも人気のあるルアーフィッシングは、釣り方の性質上、一日中キャスティングを繰り返してポイントを移動する釣りになるのだが、春彦はもうすこし腰を据えてのんびりと釣りがしたいと考えていた。

 

 そんな春彦の頭にふと先日読んだ釣り雑誌のヨーロピアンカープフィシングの記事が思い浮かんだ。

 

「鯉釣りだったらのんびりできるし、たしか本栖湖でも釣れるよな」

 

 鯉釣りで有名な河口湖や西湖ほどではないが、調べてみると一応釣りができるには十分なほどは生息しているもよう。加えて春彦が以前キャンプに訪れた際にもその魚影を確認していた。

 

「よし、久々にやるか鯉釣り」

 

 釣り場と釣り物が決まり、翌日から春彦は週末の釣行に備えてタックルを準備に取り掛かった。

 必要最低限の道具を釣具店で購入し、家にあった有り合わせの道具で適当に仕掛けを作って荷物をまとめて準備を整えた。

 

 そして本栖湖釣行を2日後に控えた夜、自室で翌日の釣行プランを練っていると、春彦のスマホになでしこからメッセージが届いた。

 

『ハル君隊員! クリスマスキャンプの準備はどうかね?』

 

『大体終わったぞ?』

 

『それはホントかな…?』

 

 なでしこはやけに疑うような文面で訊き返してくる。

 

『実は昨日、あきちゃん隊長からハルくんが別の準備をしているという情報を入手したんだよ!』

 

『ほう』

 

『ハル君、明後日釣りに行くんだってね? 5日後にクリスマスキャンプを控えているというのに!』

 

『そうだけど、なんか問題か?』

 

 なでしこの意図がよく分からい春彦はあっさりと釣りに行くことを認めて、彼女の目的を聞き出そうと返信する。

 

『そのー… できれば私もちょっと行ってみたいかなって』

 

『まじか』

 

 春彦にとっては意外な答えだった。

 春彦が持つイメージでは女子というのは釣りというものにそこまで興味を持つものではないと思っていたからだ。現に千明やあおいは春彦の趣味である釣りをやってみたいだとか言ったことはなく、自分以外の誰かと釣りをする機会といえば、父親かあるいは埼玉にいたときの男子の釣り仲間くらいのものだった。

 

『じゃあ一緒に来るか? 別に俺は構わないぞ』

 

『ほんとに!? じゃあすぐ準備するから必要なものとかある?』

 

 リンのような例があるから断られるとでも思っていたのか、メッセージでも伝わってくるような喜びように春彦は小さく微笑む。

  

『昼飯と財布以外は特別ないよ。なんなら昼はどっかで買っていってもいいしな』

 

『了解です!』

 

 そんなこんなで急遽飛び入りでなでしこが参加することとなった本栖湖釣行。

 そして晴天に見舞われた釣行当日の朝。やけに荷物の詰まったリュックサックを背負ったなでしこが小沢家にやってきた。

 

「それ全部食いもんか?」

 

「むふふふ~」

 

 おやつやら何やら色々と食べ物を満載してきたのか、満足げな顔で微笑みを返すなでしこ。

 相変わらずの健啖家ぶりに春彦が小さくため息をついていると、家の中から準備を終えた春彦の父が出てきた。

 

「おはよう、君がなでしこちゃんだよね?」

 

「はい! おはようございます! 今日はお世話になります!」

 

「ははっ、春彦に聞いた通り元気な子だね? 今日は車で送るだけだけどよろしくね?」

 

 なでしことの挨拶を済ませると、春彦父がガレージから出した車に荷物を積み込み、一行は本栖湖に向けて出発した。

 

 車での移動の道中、春彦父と和気藹々と談笑するなでしこをよそに外の景色を眺めていた春彦だったが、ふと気になっていたことを思い出してなでしこに問いかけた。

 

「なあ、なんでまた釣り行こうと思ったんだ?」

 

「んー? なんでって、ハル君よく釣りの話するでしょ? そのときのハル君がすっごく楽しそうに話してるから、私も興味出ちゃったんだー」

 

「そうか…」

 

 そんなに楽しそうにしてたのかと春彦は少し気恥ずかしくなったが、それでもなでしこが釣りに興味を持ってくれたこと自体は存外嬉しく思っていた。

 

 いままで春彦の周りには釣りを教えてくれた父親以外に自分と同じ釣り好きや、釣りに興味を持つ人間はそうおらず、初めてできた釣り仲間も今は住む場所が変わって、昔のように一緒に釣りに行くことは難しくなった。

 

 そんな春彦にとって、なでしこが自分の趣味に理解を示すだけではなく興味を持ってくれたことは、純粋に喜ばしいと思えることであり、その理由が気になって聞いてみたのだ。

 

「楽しみだなぁ~」

 

「期待してるみたいだけど、釣れるかはわかんないぞ?」

 

「大丈夫!ハル君と一緒なら釣れなくても楽しいよ!」

 

「なんだそりゃ…」

 

 まるで恋人にでも言うようなセリフを笑顔で言われ、照れて戸惑う春彦。

 なでしこから視線を外すと、バックミラーに映る父の顔がものすごくにやけているのに気が付き、居心地が悪そうに春彦は外の景色に視線を移した。

 

 くっそー… 絶対変な勘違いされてる…

 

 心の中で悪態を吐きながら、これは後が面倒なパターンだと帰ってからの父のからかいを予想して春彦は早くもげんなりとした気分になり始めた。

 

 春彦の家から車を走らせること約40分。一行は本栖湖に到着し、春彦となでしこは富士山の見える本栖湖北岸で車を下りた。

 

「よーし着いたぁ!富士山もキレイ! さあ早く始めよハル君!」

 

「まあ待て」

 

 急かすなでしこをなだめると、春彦はバッグからサングラスを取り出すと、水面を覗いて湖畔を歩き回った。

 

「何してるの?」

 

「観察してポイントを絞ってんだよ」

 

 基本的に魚という生き物は水の中のどこにでも均等にいるわけではなく、ある決まった条件の場所に集まって生息している場合が多い。

 

 水の流れや水温、水底や水際の地形など、ありとあらゆる要素が複合しており、その中で特に魚たちが集まりやすい場所をポイントという。

 

 春彦はそういった情報を目で探りながらこれから釣りをするポイントを吟味しているのだ。

 

「そのサングラスは?」

 

「これは偏光サングラスっていって、これで見ると水の中がよく見えるようになんだよ」

 

「へぇー! ちょっと借りていい?」

 

 気になったなでしこは春彦から偏光サングラスを借りてキラキラと光の反射する水面を覗き込んだ。

 

「ほんとだー! キラキラがなくなってはっきり見えるよ! あっ、ハル君あれ魚じゃない!?」

 

「指さされてもわかんねーよ」

 

 反射光が遮光されてはっきりと水中が見えるようになり、偏光サングラスの効果に感激するなでしこ。

 

「へぇー、釣りしてる人がよくサングラスかけてるのってこういうことだったんだねー」

 

「まさかカッコつけて着けてると思ってたのか?」

 

「そ、そんなことないよっ!?」

 

失礼な偏見を抱いていたなでしこのことはさておき、一通り観察を済ませた春彦はポイントを定めて荷物を降ろすと、釣り座の設営に取り掛かった。

 

「んじゃなでしこは椅子とかその辺に広げといてくれ」

 

「うん」

 

 釣りに関係ない道具の設置をなでしこに頼むと、春彦は竿袋から投げ竿を取り出し、続いてバッグから長年使い込んだタックルボックスを取り出して釣りの準備を始める。

 

 まずは竿受けを地面に設置。振り出し式投げ竿に中型スピニングリールを取り付けて、ガイド(竿に付いた糸を通すリング)に糸を通して竿を伸ばし、その先にあらかじめ作っておいた仕掛けを結びつける。

 

 今回の仕掛けはシンプルなぶっこみ釣り仕掛けで、スパイクオモリを付けた先に1本針を付けただけの極めてシンプルなものだ。

 

 鯉釣りの仕掛けといえば、寄せエサを被せるための螺旋状の金属に何本も針を付けた吸い込み釣り仕掛けがポピュラーではあるが、吸い込み仕掛けは魚にダメージを与えやすく、また根掛かりも多くなるというリスクがある。

 

 春彦の仕掛けは1本針なので針がかりしにくいという弱点はあるが、魚へのダメージと根掛かりが少なく、また仕掛けが絡まりづらいというメリットもあり、仕掛けひとつあたりの費用も少ない。基本的にキャッチアンドリリースの鯉釣りでは、春彦はこの仕掛けを好んで使用している。

 

「ハル君こっちは終わったけど、その袋はなんなの?」

 

「これはエサだよ。練りエサっていって、この粉に水を混ぜて練るんだ」

 

「あ、もしかして釣り堀とかにあるやつ?」

 

「そうそう」

 

 ゴム手袋を着けながらなでしこに説明すると、春彦はそれぞれ種類の異なる2つの練り餌を計量カップで計ってバケツに入れていく。そして湖から汲んだ水をそこに入れ、水が馴染んだところでムラができないようにしつつ軽くかき混ぜる。

 

「なんか結構キツイにおいだね…」

 

「動物性のエサは臭うからな、仕方ないけど冬はこの方がいいんだよ」

 

 鯉釣りの練りエサは大きく分けて魚粉などを原料とする動物性のものと、サツマイモなどを原料とする植物性のものがあるのだが、冬の鯉が消化の良い動物性のエサを好んで食べることと、動物性の練りエサは匂いが強いため、活性の低い冬の魚を集めやすいといった効果が望める。

 

「んで、練りエサはこのオモリに被せて丸める。これが水中で溶けて魚を寄せる。でこっちの針の方には…」

 

「トウモロコシと犬用のささみ? これがエサなの?」

 

「こっちは本命の食わせエサで、鯉がこれを食べれば針にかかるってわけ。トウモロコシはいつも使ってるエサで、ささみは冬に効くって聞いたから急遽買ってきた」

 

 今回は2本竿を持ってきているので、片方にはコーンを、もう片方にはささみを食わせエサにつけて、どちらが有効か試していく作戦だ。こういったエサの選別も釣りにおいては非常に重要な要素となる。

 

「さて、じゃあいよいよ開始といくか」

 

「プレイボール!ってやつだね!」

 

 釣りをする準備が終わり、いよいよ釣りを始めるべく用意した仕掛けの投入にかかる。

 

「リール竿の扱いだけど、まず持ち方から教えるぞ… ってどうした?」

 

「ん? あれ!? 私もやるの!?」

 

「当たり前だろ、せっかく来たんだし」

 

「わ、私みたいな初心者が触って壊しちゃったりしないかな…?」

 

「ちゃんと教えれば大丈夫だから…」

 

 そう言って春彦はリール竿の扱い方の指導を始めた。

 

「まず竿先から出る糸を20センチくらいとって、このリールの足を右手の中指と薬指の間に挟んで握って左手は竿尻のあたりに添える。これが基本の握り方な。んで糸を人差し指にひっかけてこのベイルアームを起こす」

 

「ふむふむ…」

 

「んでこっからが投げる動作で、その状態からゆっくり竿を後ろに向けて、エサが取れないようふんわり前に振りかぶって… ここで糸を放す!」

 

「おぉー!」

 

 春彦が竿を振ると、ラインがリリースされてフリーになり、振りかぶった反動で仕掛けがするすると空中を飛んでいき、そして30メートルほど飛んだところでドボンと水しぶきをあげて仕掛けが着水した。

 

「あとは竿受けにセットしてやる訳だけど… できそうか?」

 

「えぇっと… 糸はどのタイミングで放せばいいんだっけ?」

 

「真上を過ぎたちょっとあとくらい、時計で言うと10時くらいの角度かな」

 

「10時の角度… よーし! じゃあやってみるよ!」

 

 イメージトレーニングで確認を終えたなでしこは、春彦がやったように竿を後ろに向けて、そのままふんわりと振りかぶって糸を離した。

 

「うわわっ!?」

 

「大丈夫か?」

 

「えへへ… ふんわりって意識したら足踏ん張ってなかったよ…」

 

 竿を振りかぶったところでなでしこはその反動で体まで前につんのめって転びそうになったが、へっぴり腰になりながらもなんとか踏みとどまった。リール竿を扱う初心者にはこういうのはお約束だ。

 

「とりあえずそんな悪くない場所まで飛んだからOKだな。じゃあ振り込んだらアームを上げて、この竿受けにセットして…」

 

「こう?」

 

「それでいい。少しリールを巻いて糸を張って、これに糸を引っ掛けて待つだけだ」

 

「このちっちゃい機械は?」

 

「バイトアラームって言ってな、引っ掛けた状態で糸が出ると…」

 

 春彦がわざと糸を引っ張ると、それにセンサーが反応しバイトアラームから大きな電子音が鳴り響いた。

 

「こんな風に魚が釣れたのを音で知らせてくれるんだ」

 

「ほぇーハイテクー」

 

「これでやることは終わりだ。あとは30分おきくらいにエサを付け直すだけだから、座ってじっくり待つ」

 

「へぇー、なんかのんびりした釣りだね?」

 

「まあな、座ってリラックスしながら待とう」

 

 ひと仕事終えたといった感じで、春彦はなでしこが用意していた折りたたみのアウトドアチェアに腰掛けた。

 

「そうだ、バーナーとコッヘル持ってきたから、お湯沸かしてお茶にでもするか?」

 

「いいねぇ! 釣りしながらのんびりティータイムー」

 

 春彦は早速持参したミネラルウォーターをコッヘルに入れ、バーナーの火を点けてお湯を沸かしにかかった。

 

「なんかちょっとキャンプっぽいね」

 

「テントはないけど、ちょっとそれっぽいな」

 

 釣りをしながらキャンプ道具を使ってお茶をするなんていかにもなキャンプっぽさだ。

 ここにテントがあれば完全な釣りキャンとなっていただろう。

 

「紅茶と緑茶とほうじ茶があるけど、なでしこは何飲む?」

 

「ほんじゃあ私は緑茶をいただこうかねぇ…」

 

「ずいぶん一気に老け込んだな」

 

 どういうノリなのかおばあちゃん風に喋りだしたなでしこ。なぜだか妙にそれっぽさが出ているのはどういうことなのだろうか。

 

「ハル君や、お菓子もたくさんあるよぉ?」

 

「健啖家なおばあちゃんだな」

 

 なでしこのリュックからお菓子の袋が溢れるように出てくる。

 クッキーにポテチ、チョコパイにドーナツ、カップケーキにカステラと、これだけ出てきてもまだ打ち止めの気配はない。この上まだ昼ごはんも入っているのだから恐ろしい話だ。

 

「食いすぎて昼飯食えなくなる… なんてことはないか」

 

「んー?」

 

 普通なら起こりうる心配もなでしこに限ってはそのような懸念はいらないだろう。

 本当によく太らないなと春彦は逆に感心した。まあ実のところそんなこともなかったりしたのだけど。

 

 そんな風にしてお茶をしながらアタリを待つ2人だったが、魚の反応がなくそのまま40分ほどが経過した。

 

「なかなか釣れないね?」

 

「冬の鯉は活性が低くてあんま動かないしエサも食べないからな。俺らだって寒いと動きたくなくなるだろ?」

 

 基本的に冬という季節は鯉に限らず魚たちはあまり活発に動いたりはしない。変温動物である魚には冬の冷たい水温では活性が下がり、エサも乏しくなるためだ。だから基本的に寒い時はあまり動かずにエネルギーを温存している場合が多い。

 

「でも今日は12月にしちゃそこそこ暖かいから、そう悪い条件じゃないと思うぞ」

 

「たしかに今日は結構あったかいね」

 

「それにさっきちょっと水面が揺れてたし、魚自体の活性はそう低くないかもな」

 

「えっ? 私全然気が付かなかったー」

 

 お茶をして談笑をしながらも、春彦は時折湖面の様子に目を光らせていたのだ。

 

「ねえハル君、釣りしてるときって何どんなこと考えてるの?」

 

 春彦の話を聞いて、なでしこは釣り人の思考というものがふと気になった。

 

「そうだな… まず釣れない時はすごい色々考えてるな。なんで釣れないのか。エサが悪いのか、場所が悪いのか、時間帯とかとにかく色々だな」

 

「そんなに色々あるんだ!」

 

「あとは水中の状況をイメージしてみたりとかだけど… 結局は魚の気持ちになって考えるって感じかな」

 

「魚の気持ち…」

 

「狙ってる魚の習性とかを踏まえて、どうすれば釣れるかを頭の中でシミュレーションすんだよ」

 

「へぇー、すっごい色々考えてるんだねぇ… なるほど、魚の気持ち、魚の気持ち…」

 

「魚の真似するわけじゃないぞ」

 

「えへへ…」

 

 手を胸びれのようにパタパタさせるなでしこに春彦は苦笑いしてカップの紅茶を口に含んだ。

 

 ピッ… ピピピピピピッッ…!

 

「…っ! 来たぞなでしこっ」

 

「えっ!? ほんとっ!?」

 

 なでしこが投げた方の竿についたバイトアラームの音が静寂した空気を打ち破り、リールに巻かれた糸が勢いよく引き出されていく。間違いなく何かがかかった証拠だ。

 

 春彦が急いで駆け寄って竿を持って鋭くアワセを入れると、ずっしりとした重量感と明らかな生命反応が手元に伝わってくる。

 

「おわっ! すごい引いてるよ!?」

 

「そんなデカくはないけど、多分鯉だな」

 

 今までに幾度となく鯉を釣った経験のある春彦は、その引きだけで本命の魚かどうか大体は見当がつく。

 春彦は2分ほど鯉の引きを楽しむと、横で騒ぐなでしこに魚のかかった竿を差し出した。

 

「ほれ、バトンタッチ」

 

「うえぇっ!? これどうすればいいの!?」

 

「とりあえずしっかり持ってもっと竿立てて」

 

 いきなり竿を渡されて慌てふためくなでしこに、横から手でサポートしながらやりとりの基本を教えていく春彦。

 

「魚が逃げる方と逆に竿を向ける感じ。そうそう、竿の力を使って上手くいなして」

 

「すっごい重たいけど、これ私と同じくらいの大きさなんじゃっ…?」

 

「安心しろ、その半分すらないから」

 

 初めて体験する鯉の力強い引きに、逃がす前から魚を大きく見積もるなでしこだが、当然そこまでの大きさではない。

 

「よーし、じゃあ竿をそのまま体に引き寄せて、寄ったらリールを巻きながら竿を前に寝かせて、糸は絶対緩めるな。寝かせたらまた引いてー巻いてー、よしよし」

 

「あっ! 見えたよハル君!」

 

 春彦の指示通りにポンピングしていくと、岸から10メートルほどのところにようやく魚の姿が見えてきた。

 ギラリと黒く光る魚体。間違いなく鯉だ。

 

「よし、もうちょいもうちょい、頑張れー」

 

「よいしょ… うわっ!? また暴れ出した!!」

 

「ガッチリかかってるから慌てんな。巻かないで竿を立てて、大人しくなったらまた寄せて」

 

 岸際まで引き寄せられた鯉が人間の姿を視認して最後の抵抗を見せるが、上顎にしっかりと針がかりしているため逃げることはかなわない。

 そして最後の抵抗をいなされた鯉は観念したように再び岸際に引き寄せられていき、それを見た春彦はあらかじめ用意していたランディングネットで素早く鯉を取り込んだ。

 

「わぁーっ! やったぁー!!」

 

 鯉がネットに収まったのを見たなでしこが歓声を上げる。

 釣り上げたのは体長50センチほどの小型の鯉ではあったが、なでしこの目にはその鯉がものすごく大きく見えていた。

 自分の力で釣り上げた魚を見て大興奮するなでしこを見て、春彦は微笑ましそうに笑う。

 

「おし、じゃあ針外して大きさ測るか」

 

「ハル君! ちょっと持ってみていい!?」

 

「いいぞ。じゃあ水で手を濡らして、両手で下からそっと持ち上げてな」

 

 春彦の言う通り、鯉の頭と尾の下を手で支えてゆっくりと持ち上げるなでしこ。

 

「うひーヌルヌルしておもーい!」

 

「これでもまだ小さいほうだけどな」

 

「まだ大きいのがいるの!?」

 

「ほんとにデカイのはこの倍以上あったりな」

 

「倍!? ほんとに私と同じになっちゃうよ!」

 

 当然そんな個体は滅多にお目にかかることはできないが、それでももしかしたらがあるのが鯉釣りのロマンと言えるだろう。

 

「じゃあ逃がすけど、やりたいか?」

 

「うん!」

 

 鯉を持つなでしこの写真を撮ってサイズを測り終え、釣った魚をリリースする。

 

「疲れてるから自分から泳ぎだすのを待ってやんな」

 

「あ、泳いだ… バイバーイ!」

 

 なでしこは鯉が見えなくなるまで手を振って、湖の水でザブザブと手を洗った。

 

「はーっ!やっぱ冷たぁー」

 

「どうだった? 初めて鯉を釣った感想は?」

 

「鯉ってすごい力なんだねぇ、私引きずり込まれちゃうかと思った」

 

「これが夏になると同じサイズでももっと引くし、デカイのはこんなもんじゃないぞ?」

 

「ひぇぇ、もし引きずり込まれちゃたら助けてねハル君?」

 

「その前に竿放せな?」

 

 オーバーリアクションもいいとこだが、これを冗談でもなくわりと本気で言っているのがなでしこの純粋さといったところ。

 呆れたような笑みを浮かべながらも、自分の趣味をこれほど純粋に楽しんでくれていることを春彦はなんだかんだで嬉しく思っていた。

 

「じゃあまたエサ付けて投げるぞ」

 

「ふふふ、今度も私が釣っちゃうからねー?」

 

「まあ頑張れよ」

 

 魚を釣り上げてすっかり上機嫌ななでしこ。

 仕掛けを投入してまた待ちの時間に入るが、一度釣れたことでその楽しさを知ったせいか、のんびりお茶をしていた先程とは違ってなでしこはそわそわと自分の竿の方を気にするようになった。

 

「気持ちは分かるけど落ち着きな」

 

「でも気になるよぉー…」

 

「ほら、ドーナツでも食えって」

 

「もぐもぐ… んー気になるぅ~…」

 

 ドーナツを頬張りながらもなでしこはしきりに竿の方を気にして視線を動かしている。これはもう完全に釣りの魔力に取り憑かれてしまったといえるだろう。

 

「来た!? …違うかぁ」

 

「あっ! 今度はハルくんのに来たよっ!」

 

「ハルくーん! さっきより大きいよーっ!」

 

 魚がかかる度になでしこはとんでもなく元気になって、釣り上げればこれまたとびきりの笑顔で喜びを表現した。

 

 釣り好きな彼女ができたらこんな感じなのかな…

 

 なでしこを見てふとそんなことを思ってしまった春彦。一瞬で我に返り、「何考えてんだ」と色ボケしかけた思考回路を瞬時に元に戻した。

 

「ハル君?」

 

「なんでもない… ちょっと眠気がな」

 

 頭を抱える春彦の顔をなでしこが心配そうに覗き込む。 

 2人とも今までは全くと言っていいほど意識していなかったが、景色の良い場所で2人きりというこの状況は傍から見れば釣りデートそのもの。恋愛ごとに疎めななでしこはともかく、いくらなんでも春彦は気が付かなすぎだった。

 

 そんな簡単に恋に落ちるわけあるかよ。

 

 実際のところ、恋のきっかけなど案外些細なものであったりもするのだが、若い春彦は恋愛経験のなさゆえ、浮ついた気持ちを真っ向から否定した。なでしこの姉の桜のことは棚に上げて…

 

 

 ピピピッ…ピピピーッ…

 

 

「おっ…」

 

「また来たっ!」

 

 春彦が葛藤していたところに本日6度目のアタリが来る。

 すぐさま春彦は合わせるが、その手元に伝わる引きは鯉のものとは違うことに気がつく。

 

「これ魚違うかも」

 

「違うって、鯉じゃないの?」

 

「なんか首振ってんだよなぁ…」

 

 鯉があまりすることがない首を振る動きとキレのある引き味。

 重さ的にはそこまで変わらないようだが…

 

 とりあえずその姿を確認するべく春彦は慎重に魚を引き寄せていくと、ついにその魚の姿が2人の見える場所に現れた。

 

「なんか赤っぽいよ!」

 

「まさか…」

 

 引き寄せられた魚体は鯉とは全く違う魚のそれだった。

 

「ニジマスだな」

 

「えっ!? これが!?」

 

 なでしこが驚いたのはその大きさのせいだろう。

 彼女がニジマスと聞いて思い浮かべた魚は20センチほどのものだが、この魚はそれより遥かに大きく、ゆうに60センチ近くはありそうな大きさだった。

 

 驚くなでしこをよそに、春彦がランディングネットで魚を取り込む。

 

「とんでもないのが釣れたな?」

 

「これほんとにニジマス!? こんなに大きくなるの!?」

 

「ああ、そうそう釣れる大きさじゃないけどな」

 

 湖の個体の場合、ニジマスは最大で80センチ以上まで成長する場合もあるが、それなりのサイズまで成長する個体というのは非常に少なく、狙ってもなかなか釣れるものではない。それが鯉釣りをしていて釣れてしまうというのは思いもよらぬ幸運だった。

 

「なんか釣れちゃったけど… これ食べ…」

 

「うん食べるっ!!」

 

 春彦が言い終わる前に即答。聞くまでもない質問だった。

 

「親父にクーラー頼むか」

 

 こうして思わぬ収穫を得た2人はその後ものんびりと鯉釣りを楽しんだ後、日が傾いてきたところで釣りをやめて迎えに来た春彦父の車に乗って帰路についた。

 

「はい、こっちは味噌バターのホイル焼きで、こっちがムニエル」

 

「んーっ! おいひーっ!!」

 

 当然持ち帰った幸運のニジマスは春彦の手によって料理されて、なでしこに美味しく頂かれましたとさ。

 

 

 

 

 

 




ようやく主人公君の釣り人なとこが書けた。
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