小沢春彦は魚釣りが好きだ。三度の飯より好きだ。彼にとって釣りとは楽しみであり幸せをもたらす最良の趣味だ。しかしだからといって釣りというのはいつも楽しいものとは限らない。時に辛く苦しい時もあり、今春彦が置かれているのはちょうどそんな状況だった。
「あぁ~釣れねぇ~…」
間延びした春彦の声が潮風に乗って虚しく響く。
ここは千葉の外房沖の海の上。春彦は今乗り合いの釣り船に揺られヒラメを狙って釣りをしている最中なのだが、釣り開始からかれこれ4時間アタリらしいものはなにひとつなく、流石の春彦も退屈と寒さですっかり参ってしまいやる気を失っていた。
最近の春彦ふバイトが忙しく、この冬休みは釣りに行けない日が続いていた。そんな中なんとか都合が付いた一日だったのだが、その努力が無駄になるのではと考えてしまうほどに、すでにボウズに終わる気配が漂い始めていた。
あまりの退屈さに何気なくスマホを取り出すと、なでしこから画像つきでメッセージが届いていた。
『ダブルクリーム大判だよ!』
写真には手に持った大判焼きが2つ写っている。
なでしこが年明けの挨拶をしに祖母の家に向かう道中おやつとして買ったものだ。
『必殺技かなんかか?』
『おばあちゃんち行く途中で買っちゃった。ハル君は釣り行ってるんだよね? 楽しくやってる?』
なでしこからのメッセージに春彦は大きなため息をついて返信する。
『楽しくないねぇ…』
『ありゃ? 釣れてないの?』
『12人船にいてまだ1枚しか上がってない。俺は依然沈黙だ』
『oh……』
文面から伝わってくる悲惨な春彦の状況になでしこも同情する。
『と、とにかく頑張ってハル君! 私釣れるように浜名湖に祈っとくよ!』
メッセージと共に電車の車窓越しの浜名湖の写真が送られてきた。なでしこのささやかな優しさに、春彦はげんなりしていた顔に少しだけ笑みを浮かべる。
「ありがとさん、っと… ん?」
返信を送ろうとした矢先、春彦は左手に持っていた竿にゴツっとなにかの手応えを感じた。
「きたっ……!」
ついに来た待望のアタリだがこれはまだ前アタリ、焦りは禁物だと春彦はやる気持ちを抑えて春彦が竿先に神経を集中させる。すると間もなくして強い手応えと共に竿先が一気に引き込まれた。
「乗ったっ! よっしゃあ!」
すかさずアワセを入れると強烈な引きが春彦の手に伝わってきた。この強烈な引き込みは本命のヒラメでほぼ間違いない。慎重に慎重に、貴重な一匹を逃すまいと春彦は注意深くやりとりをする。そして格闘の末ついに海面にヒラメがその姿を現した。浮いてきたヒラメを船頭がタモ網で掬い上げる。
「おっっしゃあ!!」
ヒラメがタモに入った瞬間、春彦は嬉しさのあまり拳を掲げて大声を上げた。釣り上げたのは3キロオーバーの立派なヒラメだった。長く辛い時間を耐え抜いた末に釣り上げた快心の一匹に、春彦は嬉し涙を流しそうだった。早速運を呼び込んでくれたなでしこに、満面の笑みでヒラメを掲げた写真を送る。
『祈りは通じたぞ!!! やったぜ浜名湖!』
『おぉーっ!! おめでとうハル君!!』
浜名湖の神様に感謝する春彦。先程から一変して喜びを爆発させた春彦からのメッセージに、なでしこも嬉しそうに返信した。
「よし、この勢いであと2枚だ」
魚が釣れたことで春彦は俄然やる気を取り戻し、さらなる釣果アップを目指して気合を入れる。残りは3時間ほど。春彦は向いてきた運を逃すまいと再び仕掛けを海中に投入した。
「んで、結局釣れなかったのか」
「まぁ、こういうこともあんだよ… 渋かったなぁちくしょう……」
がっくりとうなだれる春彦の様子に、帰宅後彼の自宅にやって来た千明は事の顛末を悟った。
結局あの後春彦はヒラメを釣り上げることはできず、春彦の父がやっとのことでもう一枚追加しただけで釣行は終了した。12人いた船中で上がったのがたったの5枚ということを考えれば、そのうちの2枚を釣り上げた春彦たちは相当ツイている方ではあるのだが、それでも労力に見合う釣果とは言い難い。
正月明けでいつも利用している船宿が休業で、適当に見つけた船宿を選んだのがそもそもの間違い。自然相手なので釣れない時もあるにはあるが、ポイントに案内する船頭が良ければ大抵の場合ここまでの不調にはならない。まあそれでも釣れたには釣れたという結果があるので、ツイてない日の中ではまだツイている方といったところか。
「じゃあ今日の夕飯はヒラメ2匹か?」
「食うのは1枚だな。風邪でダウンした親父のためにもう一枚はとっとく」
鼻を垂らしながらヒラメを釣り上げた根性をみせた春彦の父だったが、寒風吹き荒ぶなか半日船に揺られたせいか、風邪をひいてしまい帰ってから寝込んでいる。
「まあこんだけだとちょっと寂しいから、帰りに銚子寄ったんだけど」
「おっ、そこでなんか……」
訊ねようとした千明の声に来客を告げるインターホンの音が重なった。玄関に下りて行って春彦が戸を開けると、小柄な少女が春彦の胴に飛びついてくる。
「春兄ぃーっ!!」
「うぉっ、あぶねっ」
よろけそうになりながら春彦が受け止めたのは、彼の友人の犬山あおいの妹である犬山あかりだった。
「こらあかりー、いきなり飛びついたら危ないで?」
「えへへ、だって春兄と会うの久しぶりなんやもーん」
「いや昨日俺ら会ったよね?」
飛びついてきたあかりの後から姉のあおいが入ってきて妹に注意をする。春彦の腹に満面の笑みで頬ずりするあかりは、本当に久々の再会かのように喜んでいるが、実は前日の初詣とそしてその前にもそれなりの頻度であかりは春彦と会っていたりする。なので久しぶりというあかりの表現は半分冗談なのだが、その反面飛びつくくらいに嬉しいのは冗談ではなかたりする。それぐらい何故だか春彦はあかりからやたらと好かれている。
「おじゃましまーす。小沢君こんばんは」
「あぁ、斉藤さんも一緒だったんだ?」
「うん、2人と駅で会ってね」
あおいに続いて恵那が入ってきて春彦に挨拶する。
なでしことリンを除いたメンバー。今日はこの4人に春彦が釣ってきた魚で料理を振る舞うことになっている。彼が千明たちにたかられるのはよくあることだが、今日はいつもとは少し違っていた。
「今日は呼んでくれてありがとね」
「珍しいよな、春彦の方から声かけるなんて」
「まあたまにはいいかなって」
そう、いつもは押しかけられるように皆がやって来るところが、今日は珍しく春彦の方が彼女らを招いたのだ。その理由は主に2つ。
ひとつは静岡に行っているリンとなでしこが、今日の昼に特上のうな重を食べてその写真をみんなに送っていたのだが、それを見た千明達が羨ましがっていて、そんな彼女らに春彦が気を利かせたのだ。そしてもうひとつの理由というのは。
「感謝してなあきちゃん? 私のついででお呼ばれされたんやでー?」
「ついでって…… ただ手料理食わしてもらう約束しただけだろ?」
「ほんとは春兄とふたりきりの約束だったんやで?」
「うそつけ」
明らかにホラ吹き顔なあかりの言葉を千明はバッサリと切り捨てる。
実はあかりは前々から春彦の手料理を食べたいとせがんでいて、会う度に春彦にラブコールしていた。春彦が山梨に越してからは中々その機会に恵まれなかったのだが、ようやく都合がついて実現することとなったのである。もちろんふたりきりなどという約束は一切していないので、あかり以外のメンバーもいるわけなのだが。
「そういやはるは今日はどんな魚料理するん?」
「さっき聞こうとしたけど、ヒラメ以外に何かあんのか?」
「ああ、ちょっと寂しい釣果だったから、帰りに銚子で珍しいの買ってきた」
そう言って春彦はみんなを連れて台所へ向かうと、置いてあったクーラーボックスの蓋を開けてみせた。
「まずこれが釣ってきたヒラメで、こっちは銚子で買ったアンコウ」
「デカっ!? これ1匹だけでも十分やない?」
「春彦、お前アンコウなんて捌けるのか?」
「余裕だよ。まあ見てなって」
千明の心配をよそに春彦はまずヒラメの下ごしらえに取り掛かった。
「とりあえず5枚下ろしするか」
「3枚じゃないん?」
「小さいやつならそれでもいいけど、これぐらいのは5枚だな」
あおいに説明しながら、春彦はまず包丁でヒラメの頭を落としてハラワタを取ると、尾鰭に向かって中心に切り込みを入れて、そこから外側に向かって包丁を入れて2枚切り身を切り出した。そしてそのままヒラメを裏返し、先程と同じように中心から包丁を入れて2枚の切り身と中骨を綺麗に切り分けた。
「春兄、エンガワってどの部分なん?」
「このヒレのところ」
「えっ! こんだけしか取れへんの!?」
「だからあんな高いのよ。ちなみに回転寿司とかの安いのは海外のでっかいカレイから取ったやつだったりする」
「詐欺じゃねーかそれ」
「いや、エンガワってのは部位の名前だから、嘘は言ってないぞ?」
あかりと千明に説明しながらも、春彦は手を止めること無くヒラメを捌いていく。その手際を興味深そうに見ていた恵那がふと言葉をもらした。
「噂には聞いてたけどすごい綺麗に捌くよねー?魚屋さんみたい」
「釣り始めた小学生の頃からずっとやってるから。慣れだよ慣れ」
恵那に褒められた春彦は大したことではないと謙遜するが、少なくとも恵那達から見れば彼の手際は迷いがなくかなり洗練されているように見えた。
「こんなに料理できると結構モテたりしない?」
「全然しないよ」
「かっこいいと思うけどなぁー」
「絶対心から思ってないでしょその顔」
からかうような口調で笑って言う恵那に、春彦は苦笑いしながら答える。たしかにここ最近いくらか異性の友達が増えた上、今日も自宅に4人も女子ばかり4人招いている状況だけ見れば、モテているよう見えなくもない。
だが女子に囲まれているとはいっても、別に春彦が彼女達から好意を持たれている訳ではなく、少なくとも現時点では皆友達の関係でしかない。それでも世の男性達から見れば、羨ましいことこの上ない状況かもしれないが。
「料理できる男がモテるとかあれ嘘だろ? 個人的には筋トレするやつがモテるって言うのくらい信用できないな」
「そんなことあらへんかもよ? 私もそういうタイプはモテるって聞いたことあるで?」
「でも料理できる男って女子からしたら面倒くさい感じしないか?自分が料理する時うるさそうとかさ」
「そもそもそんな彼氏おったら料理作らんわ」
「それは別の意味でトラブりそうだな……」
あおいも恵那の意見に賛同するが、春彦本人はモテた経験など皆無なのでイマイチ納得できない。まあそもそも春彦がその料理スキルをおおっぴらに披露していないので、それでモテるなどということはない訳なのだが。
「ほーん、でもあたしはそういうやつ悪くないと思うけどなー」
「「「え?」」」
何気なくそう言った千明に皆の視線が一斉に集まる。
今の千明の発言はともすれば自分が春彦のことを悪く思っていない、つまり春彦のことが好きだと勘違いされかねない発言に聞こえてしまうものといえた。皆の視線を受けた千明は自分の発言のまずさに気がついてカッと顔を赤くする。
「いやっ、別にそういう意味で言ったんじゃないからな!?」
「あき、慌てとると逆に怪しくみえるで?」
「お前はそういうんじゃないって分かって言ってんだろイヌ子!」
「あきちゃん私の春兄に色目使わんといてな?」
「使っとらんわっ!」
「お前ちょっと落ち着けって…」
顔を赤くしてあおいとあかりにがなり立てる千明に、当事者である春彦は居心地悪そうにしながら彼女を宥めている。
「やっぱりモテてるじゃん?」
「楽しそうでいいね君は……」
愉快そうに笑う恵那に少し恨めしげな顔をして皮肉を言うと、春彦は気を取り直してアンコウの下ごしらえに移った。
「アンコウは腹ビレのとこから開いてワタを出すんだけど、この下に肝があるからこうやって傷つけないように切るんだ」
「あん肝ってやつだね?」
「よく知ってるね」
「テレビで見たことあるんだ。食べたことはないけど」
高級魚と言われるアンコウに恵那は期待を膨らませながら春彦が捌く様子を見ている。
「そういえばアンコウって吊るして捌くのちゃうん?」
「あれは魚がデカくてまな板に乗らないからやるんだよ。こんくらいのやつなら大丈夫」
「はるは吊るしても捌けるん?」
「流石にそれはやったことねーな」
そんな風にあおいと話しながらハラワタを取り出していた春彦だったが、胃袋を取り出そうとして何かに気が付くと、その中身を引っ張り出した。
「なんか入ってんな… あ、シタビラメじゃんこれ」
「それ魚なのか? なんかちょい気持ち悪いな…」
アンコウの胃から取り出された平たい生き物を見た千明が怪訝そうな顔をする。
「実は結構高級魚なんだぜ? これまだ全然消化されてないし、綺麗だし食べちゃうか?」
「高級魚in高級魚ってなんか福袋みたいだな」
「正月明けだし、まあ違いないな」
シタビラメはマイナーではあるが見た目の割にそれなりに値が張る魚であり、フランス料理などで重宝されている。要するにこれも食べられる美味しい魚であるということだ。捌く過程で思わぬ収穫を得たアンコウだったが、皮を剥いで身を切り分けていくとシタビラメとはまた別のとあるおまけを春彦は発見した。
「ねえ斉藤さん、この白い点々ってなんだと思う?」
「え? えっと、アンコウの卵、かなにかかな?」
恵那の答えを聞いた春彦はニヤリと悪い顔をする。
「ハズレ、実はこれ寄生虫なんだよ」
「ウソッ!? 大丈夫なのそれ!?」
寄生虫という身の毛もよだつワードにギョッとした顔で恵那が体をのけぞらせる。
「うん、微胞子虫ってやつなんだけど、人体には全く無害だし加熱すっから万が一食べちゃっても大丈夫」
「そ、そうなんだ…… びっくりしたぁ……」
春彦の言葉に脅かされた恵那以外のメンバーも安心してため息をもらす。まあ寄生虫と聞いて平然としていられる方が少ないので当然である。
「そもそも無害なら黙っとけよな……」
「さっきのお返しにちょっとしたドッキリをしようと思って」
「性格悪すぎるわ」
「意外とホクホクして美味しいんだぜ?」
千明の苦言にもどこかズレた言葉を返す春彦。やはりこの男、野生児と呼ばれるだけあって常人とはどこか感性が異なるようだ。
「さて、これである程度捌けたな」
「春兄、こっから何作るん?」
「そうだな、ヒラメはシンプルに刺身にして、アンコウは定番の味噌仕込み鍋で、シタビラメは煮付けにすっかな」
春彦は土鍋とフライパンを取り出して料理に取り掛かる。別々の調理を同時にこなすことになるが、どれも作った経験があるため春彦はレシピを見ることもなく着々とこなしていく。
「シタビラメは煮汁入れたフライパンで煮て、アンコウは刻んだ肝を乾煎りしたあと味噌と酒入れて火を通して、んでそこに昆布ダシを入れて火の通りにくい具材から順番に入れて煮込めばオッケー」
火にかけられた鍋と煮付けはあとは煮えるのを待つのみとなると、春彦は柳刃包丁を取り出し、皮を引いたヒラメの切り身を引いて刺身にしていく。
「ヒラメは歯ごたえあるからこうやって薄めに切って盛り付けるだけ。まあ刺身は簡単だし特に説明することもないな。 ……っと、ハイできた」
「いやこれもうプロだろ?」
「料亭とかで出てくるやつやこれ……」
簡単だろと言わんばかりにさらっと春彦が盛り付けた刺身は、花のように綺麗に並べられて丸皿に盛り付けられており、一見すると店で出てくるものと大差なく見えるほどのレベルだった。彼の料理の腕前を知る千明とあおいもその出来栄えにはを見張っている。
「春彦、お前こんなのどこで覚えたんだよ?」
「まあちょっとネットで見てな」
客人に出すということで盛り付け方を動画サイトで予習をしていた春彦は、千明の問いに少し得意げな顔で答えた。ちょっとした見栄ではあるが、こういったことの積み重ねが春彦の料理スキル向上に繋がっていたりする。
かくして全ての料理が出来上がり、テーブルにはヒラメの刺身とシタビラメの煮付け、そしてアンコウの味噌仕込み鍋が並べられ豪勢な食卓となった。
「さーて鍋はどんな具合かね…… じゃーん!」
「「「おぉーっ!」」」
春彦が蓋を開けると土鍋から湯気が立ち昇り、みんなから歓声が上がる。程よい具合に煮立った鍋から、食欲をそそる豊かな味噌の香りが広がり、もう見た目と匂いだけでも美味いと分かるやつだった。はやる気持ちを抑えて鍋を取り分け、みんなで手を合わせる。
「「「いただきまーす」」」
料理を作った春彦が見守る中、皆が鍋に箸をつけて口に運ぶ。味は当然…
「「うんまーっ!!」」
鍋をひとくち食べた千明とあおいの口から出た言葉が全てを物語っていた。
「このスープ濃厚で美味しいね?」
「肝入れると濃厚な味になるんだよ」
「そうなんだ、私この味すごい好きかも」
「身もプリップリやぁ~」
あん肝が溶け出した濃厚なスープとプリプリした食感のアンコウの身は、アンコウ鍋を初めて食べる恵那とあかりの口にも合ったようで2人とも幸せな表情をしている。
「よし! 次はヒラメだが… 春彦、エンガワってどれだ?」
「やっぱそれからなんだな。こっちの小皿に盛ってあるけど、4枚しかないからみんなで食べていいぞ?」
ヒラメ一匹からわずか4貫分しか取れない貴重なエンガワを4人は興味深けに口に運ぶ。
「おぉ、薄いのに結構コリコリするし、脂っこさがなくて回転寿司のとは別モンだな」
「お上品な大人の味や!」
「チビイヌ子に分かんのかー?」
「あきちゃんやって子供やん」
大人ぶったあかりでもとりあえずエンガワの美味しさは伝わったようで、からかってくる千明にべぇーっと舌を出している。
「普通の身の方もウマイでしょ?」
「うん、私こんなに甘みがあるヒラメなんて初めて食べたよ」
「冬が一番旬だし天然ものだからね、普通に買うと高いよ?」
「ありがたやありがたやー」
恵那も旬の天然ヒラメの味が気に入ったようで、なにげに誰よりも刺身に箸を伸ばしていた。
思わぬおまけとなったシタビラメの煮付けも好評で、並べられた料理はあっという間になくなり、春彦が腕をふるった夕食は皆大満足のうちに幕を閉じた。
「さて、じゃあ皿洗ってくれる人手上げろー」
春彦が呼びかけるが、みんな黙ってくつろいでいる。
「俺が料理作ったんだから誰かやってくれたってよくないか?」
「よし!じゃあジャンケンで決めようぜ!」
「おー、んじゃみんな頑張ってな」
「春彦、お前も参加すんだよ」
「は?なんでだよ」
「ちょっとしたゲームだと思ってさ、5分の1なんだしいいだろ? それと勝つ自信がないのか?」
「いいよ、やってやるよこの野郎」
まんまと千明に乗せられた春彦も加わった皿洗いを賭けた5人のジャンケン勝負の幕が上がる。
「「「最初はグー!ジャンケンポン!!」」」
◆
「最悪だ… もう二度とジャンケンなんかやらん…」
5分の1ならそうそう負けないだろうとたかを括っていた春彦。だがしかし物の見事にストレート負けするという奇跡的な敗北を喫し、一人寂しく屈辱的な気持ちで皿洗いをしていた。
「なんか嫌な予感はしたんだよなぁ、くっそー…」
そもそも勝負に乗らなければこうなることはなかったことを考えると、春彦にとっては悔やんでも悔やみきれない。悪態を吐きながら春彦は手を動かす。
「本当に血も涙もないやつらだ」
「そんなことないでー?」
「うぉっ!?」
突然話しかけられ春彦が慌てて振り向くと、いつの間に忍び寄っていたのか、春彦の部屋でくつろいでいるはずのあおいがそこにいた。
「ビビらせんなって… てかどうした? 冷やかしにでも来たのか?」
「そんなんやないってー。流石にはるがあんまりにも可哀想やってなって私が手伝うことにしたんよ」
「そうか。お前らにも少しは人間味があったみたいで安心した」
「あんま可愛くないこと言うてると手伝ってあげへんよ?」
若干拗ね気味の春彦に子供をあやすように言うと、あおいは春彦の隣に立って彼が洗った食器を拭いて重ねていく。
「そういえば、はるはみんなの中で誰が一番好みなん?」
「ここでいきなり切り出す話かそれ?」
「あんなに女子に囲まれてるんやで?そんなん気になるやん? 絶対言わないから言うてみって〜」
「ひとっつも信用できねぇ」
あおいの性格を知っている春彦は露骨に嫌そうな顔になる。
「てか俺にそういう感情があったとしてだ、例えばそれがお前だったりしたらどうなんだ?」
「えっ…?」
あおいは鳩が豆鉄砲を食ったように唖然として拭いていた皿を落としそうになった。
「いやそんなっ… いきなり言われても、なぁ…?」
「いやどうしたよお前? まさかマジだと思ってないよな? 例え話だぞ?」
「いやっ、分かっとるけど… ちょっとびっくりするやん…?」
「そうか?」
あおいの質問に春彦は当然真面目に答えるつもりなどなく、しかし適当に他の誰かを挙げるのも良くないと考えてのちょっとした冗談のつもりで、この程度あおいなら笑いながら流してしまうだろうと思っていた。
しかしあおいは意外にもテンパってあたふたしており余裕が感じられず、春彦もその様子に首を傾げた。
「お前こういうの耐性ない方だったか?」
「そないなことないんやけど… いきなりやったし…」
あおいならこういう類の話は耐性がある方だと春彦は思っていた。
確かにあおいはその容姿と性格のおかげか比較的異性からモテる方で、今までに男子から告白されたことも何度かあり、ちょっとした告白慣れみたいな耐性は人並み以上に付いていた。
しかしあおいの経験上そういったのは告白される前からなんとなく分かっていたパターンが多く、上手く対処できたのもある程度身構えることができていたからであった。
それが今回の春彦の場合はそんな予想など微塵もしておらず、あおいは全く不意を突かれた形となった。そしてそれ以上にあおいは春彦にそんな風に言われたことがそこまで満更でもなく感じてしまっていて、そんな思いもよらぬ感情が出てきたことに大いに困惑していた。
「もー、あんま女の子にいきなりそないなこと言うたらダメやで?」
「自分のこと棚に上げまくりじゃんかよ」
「はるは男子だからええんよ」
「うわっ、はっきりと性差別かよ」
幸いなことに春彦はあおいの感情までは気がついておらず、「こいつにもこういうことあるのか」くらいにしか考えていなかったが、あおいの方は違っていた。
これまでそこそこ仲が良いだけの男子としか思っていなかった春彦のことを、この出来事によってはっきりと異性として意識してしまい、他人事でしかなかったその感情が僅かながら生まれる余地ができたのだ。
ほぼ平行線だった2人の関係はこの日少しだけ変化の兆しを見せた。ここから2人の関係が進展するだとかいう話にはまだ早すぎるが、ひとつだけ言えることは、とりあえずその可能性は出てきたということだけだろう。
お久しぶりです。
忙しさにかまけて更新サボっててすいませんでした。
アンケートについてですが、1人に絞る場合は私の独断でヒロインを決めることになりますのであしからず。また全員分を書く場合は1人に絞るよりも確実に完結までの時間がかかります。
その他意見があればメッセージの方で送ってくださると助かります。