耳元で鐘が鳴り続けていた。
古式ゆかしいアナログ式目覚まし時計のベルの音だ。
暁古城は苦悶の息を吐き、その時計を手探りで黙らせる。
そしてもぞもぞと寝返りを打ちながら、再び安らかな眠りに戻ろうとしたところで、
「古城君、起きなよ。朝だよ。目覚ましなってたし今日も追試あるんでしょ。朝ごはん、作ってあるから早く食べちゃってよ。洗い物片付かないし。お布団も干すから早くどいて」
早口でまくし立てられた挙句にシーツを奪われ、古城は、なすすべもなく狭いベットから転げ落ちた。焦点の合わない目で見上げると、そこには見慣れた妹の姿がある。
大きな瞳が印象的な、表情の豊かな少女である。
結い上げてピンで止めた長い髪は、一見ショートカット風にも見える。
顔立ちや体つきはまだ少し幼い印象があるが、中学生の平均からはそう大きく外れていないだろう。今朝の彼女は短パンにタンクトップというラフな格好で、その上にオレンジ色のエプロンをつけている。
床に落ちたまま動かない兄を眺めて、凪沙は呆れたように腰に手を当てた。
「ほーらー、起きなよ。また寝不足?もしかして明け方まで試験勉強してたの?南宮先生にあんまり迷惑かけちゃだめだよ。後補修もサボらないでね。こないだみたいに職員室の掲示板に古城くんの名前が張り出されたりすると凪沙が恥ずかしい思いをするんだからね。あ、もう、制服のズボンは脱いだらハンガーに掛けてっていつも言ってるのに」
途切れることのない妹からのお小言を聞きながら、古城はのろのろと立ち上がる。
身内だからこそそう思うだけかもしれないが、凪沙は出来のいい妹だ。顔立ちもそれなりに可愛らしく、成績もそこそこ。家事全般も器用にこなす。
しかしもちろん欠点もある。ひとつは病的なまでの清潔好きで、片付け魔であること。そしてもうひとつはこの口数だ。
とにかく凪沙はよく喋る。誰に対してもそうするわけではないが、少なくとも心を許した家族に対しては容赦ない。ましてや口喧嘩では勝てる気がしない。
唯一の救いは凪沙が裏表のない性格で、他人の悪口は滅多に口にしないことだが、そのぶん怒らせたときは恐ろしい。中学時代、エロビデオを持って遊びに来たところをうっかり見つかってしまった矢瀬が、怒り狂った凪沙の苛烈な言葉責めによって、しばらく女性恐怖症になっていたほどである。
そんなことを思い出しながら、古城がぼんやりと窓の外を見ていると、
「___ねぇ、古城くんってば、聞いてるの!?」
凪沙に早口で怒鳴られた。古城は慌てて姿勢を正す。
「ああ、悪い。なんだって?」
「もう……! だから、転校生だよ」
「話を聞いていなかった兄に腹を立てたのか、凪沙が唇と尖らせる。
「……転校生?」
「うん。夏休み明けからうちのクラスに二人、転校生が来るの。二人とも女の子。昨日、部活で学校に行ったときに先生にしょうかいしてもらったんだあ。転校前の手続きに来てたんだって。二人ともすっごく可愛い子だったよ。そのうち絶対高等部でも噂になると思うなあ。後、転校生の内の一人がすっごく私と顔が似てたの。先生に双子かどうか聞かれちゃった」
「ふうん……」
古城は素っ気ない態度で聞き流す。いくら可愛くとも、相手は中学生の。おまけに妹のクラスメイトだ。完全に古城の興味の対象外である。だがしかし、
「でね、古城君。その転校生ちゃんの内の一人に、なんかした?」
「は? なんだそりゃ?」
唐突な凪沙の質問に、古城はわけがわからず
転校前の転校生にいったい何ができるというのか。しかし凪沙はどこか不機嫌そうな、真面目な表情で兄を見返し、
「だって訊かれたんだよ、その子に。私が自己紹介したら、お兄さんがいるかって、どんな人かって。その後にもう一人の転校生ちゃんに止められて、何かを見せたら動きがピタッ!って止まってたけど」
「……なんで?」
「あたしの方が訊きたいよ。てっきり古城君と前にどこかで会ったことがあるんだって思ってたんだけど」
「いや、年下の知り合いはいないと思うが……」
古城は腕を組んで考え込んだ。漠然と何か嫌な予感がする。
「で、お前はなんて答えたんだ?」
「一応ちゃんと説明しておいたけど、あることないこと」
「なにぃ?」
「うそうそ、本当のことしか話してないよ。この島に来る前に住んでいた街のこととか、学校の成績とか、好きな食べ物とか?好きなグラビアアイドルとか、あとは矢瀬っちとか浅葱ちゃんのこととか、あとは中等部のときの大失恋の話もしたかなあ……」
淀みなく答える凪沙を睨んで、古城は苛々と奥歯を鳴らす。
「おまえな……なんで初対面の相手に、そういうことをペラペラと話すわけ?多分転校生二人ともに話したんだろ……」
「いや、だって可愛い子だったし?」
凪沙は悪びれない口調で言った。予想された答えではあった。ただでさえいつ誰かと喋りたくてうずうずしている凪沙に、秘密を守らせるのは至難の業なのだ。そのくせ本当に言いたいことは、決して言葉にしようとしない難儀な性格でもあるのだが。
「女の子が古城君に興味を持つ機会なんて、滅多にないからさ、少しでもお役に立てばと思ったんだよね。二人とも興味津々で訊いてたし」
「嘘つけ……単におまえが話したかっただけだろ」
古城は投げやりな態度で息を吐いた。寝不足で働きが鈍っていた頭の片隅に、その時ふと不吉な考えが浮かんで来る。間違っても知り合いと呼べるような関係ではないが、約一名だけ心当たりがある。古城のことを調べようとしていた可能性のある中学生に。
「ちょっと待て。その俺のことを訊いた転校生はなんて名前だ?」
「うん、なんか変わった苗字だったよ。えっと……そう、王女様みたいなヒラヒラした感じの」
「ヒラヒラ?もしかして姫柊のことか?」
ますます膨れ上がるふきつなよかんに、古城が苦々しく訊き返す。凪沙が表情を明るくして、
「あ、そうそれ!姫柊雪菜ちゃん」
「……あいつが凪沙のクラスの転校生……だと!?」
「そうだよ。やっぱり古城君の知り合いだったの? ねえねえ、どこで知り合ったの? 凪沙にもちゃんと説明してよ、それにもう一人の転校生ちゃんも知り合いなの? ねえ。古城君ってば!」
凪沙がなにかを叫び続けていたが、古城は聞いていなかった。
古城が考えていたのは、彼を散々付け回した挙げ句に、吸血鬼の眷獣を一撃で消滅させた、あの槍使いの少女のことだけだ。
その彼女が、古城の妹と同じクラスに転入してきたのだという。いったいどうして? なんのために? 苦悩する古城の全身を、嫌な汗が吹き出して濡らす、
いつの間にか眠気は完全に消えていた。
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おまけ
「えっと…貴女が…姫柊雪菜?」
「はい、そうです。先程見せていただいた写真ですが…貴女は攻魔師ですか?」
「具体的に言うと…獅子王機関の三聖に暁古城の監視をしろ…と命令されました。具体的な事は貴女に訊いてください…と」
「はい、私以外にもう一人いると聞いていたので一応確認を取らせて頂きました。それでなのですが…お財布落としちゃって。しばらくお金を貸して頂けませんか…?」
「わかった…じゃあしばらく一緒にいよ…それでもいい…?」
「いえ、お財布を落としてしまった私の責任ですし、いいですよ。ありがとうございます」
「じゃあ…しばらくよろしくね…えっと…ひめらぎさん」
「はい。こちらこそ。遠山さん」
3011文字。
5000文字超えられなかった(´・ω・)
次回投稿予定は無いです
というか風邪ひいて書くのも割と辛い…