暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(五)

 ―――遥か遠くから、何か大きなものが落ちるような音が聞こえた。

 九葉は腰に履いた太刀の柄に手をかけ、辺りを見回した。

「ど、どうしたの、九葉?」

 早華が躊躇いがちに声をかけると、九葉は―――早華を引き倒し、振り向きざまに太刀を抜いた。

 キィン……! と、硬い者同士が強くぶつかり合った音が響き、暗闇を湛えた路地に反響した。

 咄嗟に抜いた刃は何者かによる刺突を弾き返した。

 九葉は二歩、三歩とよろめいた。まるで疾風が刃を持ち、そのまま突進してきたかのような、鋭く、そして速い一撃だった。接触の瞬間、相手の姿が全く見えなかった。

 襲撃者は、仕損じたと見るや、山猫のような身軽さで大通りに飛び退き、態勢を整えた。

 月の明かりが、ガス灯の光が、()の姿を照らす。

「――――――」

  九葉は、言葉を失った。

 驚きはしなかった。()と辻斬りとを結びつける根拠は得られていなかったにも拘らず、やはりそうか、と、ごく自然に思った。

 さらりと揺れる射干玉の長い髪。幼い子どもながら、整いすぎた顔。

(阿羅彦―――)

 昨夜、あの回廊で出会った美しい少年が目の前にいた。

 九葉は固唾を飲んだ。さりげなく、早華を背にかばいながら。

 彼が今、この時に、この場所にいること。

 子どものそれでしかない細い腕が、まるで体の一部のように翻している、刀身三寸ほどの、鍔のない抜身の直刀。

 先ほど自分たちを襲った鋭い一撃。

 これらが意味することはつまり―――

 そこまで考えた時、九葉の体を言いようのない悪寒が貫いた。

 とっさに体が動いた。

 己が体で早華への到達経路を絶ち、重心を落とし、刀を立てて右手側に寄せ、左の二の腕心の臓を庇う。

 ほぼ同時に、厚めの刀身が一度甲高い音を立て、衝撃が二度来た。

 次ははっきりと見えた。

 阿羅彦は素足で舗装された路面を不規則に、そして音もなく疾り、跳びあがる蛇のように湾曲した軌道で九葉の太刀に刺突を二撃与えた。

 九葉はこれを受けて、死を覚悟した。

 阿羅彦の動きは見えた。しかし、その一連の動きは、恐ろしく速かった。そして、鋭く、重かった。あの不相応に大きな刃を、彼は九葉以上の腕前で操って見せた。

 しかも息は上がらず、美しい顔は乱れない―――余力を残している。

 つまり、彼の剣はこれ以上の威力で以って九葉に襲い掛かることになる。

 九葉は辺りの気配を探った―――自分たち以外、誰もいない。

 自分には常に何人か監視がついているはずだ。しかし、この期に及んで誰も姿を現さぬとは…これを機に亡き者とするつもりか? いや、違う。自分はともかく、早華がここにいる。ならば―――

(斬られたか)

 九葉に先立って、阿羅彦の餌食となったらしい。

 阿羅彦はいったん距離を置き、直刀を翻しながら探るようにこちらを見つめている。

 彼の装束はおろしたてさながらに眩く白い。血の汚れはおろか、埃すら見当たらない。

 監視どもを切り伏せるのは、きっと、容易いことだったのだろう。

 最早、彼を幼い子どもだとは思えなかった。

「早華、逃げろ」

 剣先を阿羅彦に向けながら、九葉は背後の早華に告げた。

 勝てない。たとえ、命と引き換えにしても。

 九葉は速やかにそう結論付けた。

 初撃を生き延びたのは天祐。二撃、三撃目は、あちらの手心。九葉の力量を測るためのものだ。

 次で仕留めにかかるだろう。

「近くの民家に駆け込め、私もすぐに追いつく」

『詰み』の状況であることに変わりはないが、彼女が逃げるだけの時間は稼げる。

 しかし、早華は一歩たりとも動かなかった。

「早華」

 苛立ちを込め、今一度呼びかける。

 肩越しの彼女の様子を確認し、九葉は目の前が暗くなった。

 早華は蒼白になって震えていた。黒い瞳を大きく見開き、尻もちをついたまま。

「あ……あ……」

 立ち上がらないのではない、立ち上がれないのだ。他者から殺意を向けられたのは生まれて初めてなのだろう。恐怖のあまり、身動きはおろか、ろくに声すら出せないようだ。

 ふわり、と、少年の長い髪が揺らいだ。

 次の瞬間、彼は疾風になった。

 九葉は我武者羅に太刀を振り回した。

 気が付けば、身体がそうしていた。自棄になった、と言っても過言ではなかった。

 あの直刀が必ず自分の肉を断つ。心の臓を貫く。あるいは首を裂く。その瞬間はいつ来るのか。そればかりが思考を占めていた。

 突進の速さを載せた一突きが太刀の筋に突き立つ。

 弾かれた勢いを使って右腕を翻し、直刀が複雑な軌道を描いて見るものを幻惑する。

 そうして上段から振り下ろされた一撃が、たまたま思い切り振り上げた刃のものうちにぶつかり、威力を相殺する。

 とん、と軽やかな足が一歩横に流れて音のような速さで繰り出された払いを棟で受ける。刃同士が耳障りな音を立ててこすれ合い、火花が散る。

 そうやって、六合ほど斬り合った。と言っても、九葉が一方的に打ち込まれるだけだったが。

 必死に阿羅彦の剣を受けながら、一つ、九葉は気づいた。

 阿羅彦は、早華を殺そうとしている。しかも、九葉を殺さずに。

 早華を斬りたければ、それを邪魔する九葉をまず除くのが常道だ。なにせ早華は今、腰を抜かして動けないのだから。

 しかし、阿羅彦はそれをしない。彼にとっては造作もないはずなのに。不便を差し置いてまで九葉を残そうとしている。それはつまり―――九葉に用があるのだ。殺害以外の目的で。

 ならば…!

 九葉は一歩踏み出した。雄たけびを上げ、阿羅彦めがけて斬りかかった。

 この一撃が空振れば背後が疎かになる。その時こそ早華の命が奪われる。

 それでも…!

 キィィ…ン! と、この一戦で最も大きな音が夜の里に響き渡る。

 初めて阿羅彦が受けた。

 九葉は華奢な直刀に、太刀を介して体重をかける。

 刃越しに、二人の視線が交わった。それは、互いに圧し合い、噛み合う刃が上げる軋みに似ていた。

 阿羅彦は動かない。しかし、動けない、と言うわけではなさそうだ。

 射干玉の瞳を大きく見開き、九葉を見ている。その白い顔は、汗ひとつかいていなかった。

 こちらは心臓が暴れ、ごうごうと肺が唸り、唾を飲み込むと血の味がするというのに。

 理不尽な怒りが胸の奥に沸き、九葉は怒鳴った。

「故なく人を斬るか。血を流せれば、誰でもよいのか、阿羅彦!」

「――――――!」

 阿羅彦が息を呑んだ。今度こそ本当に驚いたようだ。九葉を弾き返し、彼がたたらを踏んだ隙に大きく飛び退いた。

 遠くから呼子笛が鳴り響いた。まずは一つ。さらに共鳴するように一つ、二つ。甲高い音はやがて、遠くで、近くで、幾つも聞こえるようになった。夜警のモノノフたちがようやく騒ぎに気付いたようだ。

 阿羅彦がものすごい速さでこちらに駆けてきた。九葉は反射的に太刀を構えたが、ふたりが再びぶつかることはなかった。

 九葉の目の前で、たんっ、と素足が地面を蹴り、小さな体が跳躍した。

 夜を生きる鳥のように軽やかに闇夜を舞い、洋風の店舗の屋根に着地、そのまま駆け出した―――逃げた。

「待て!」

 九葉は叫び、阿羅彦を追った。

「私も行くわ、九葉!」

 早華が立ち上がり、ともに駆けだした。

「お前はモノノフ部隊と合流し、事の次第をお頭に報せろ」

 九葉は言った。彼女が戦えないことは十分に証明された。犯人逮捕は自分たちの力では無理だとわかったはず。これ以上は九葉にとっても、彼女にとっても得るものはない。 しかし、

「嫌よ! せっかく辻斬りを見つけたのに、こんなところで引き下がらないわ! 絶対についていく!」

 早華は走りながら首を左右に振り、キンキン声で言った。涙の残る黒い瞳で、高く跳躍する阿羅彦を強く睨みつける。

 腰を抜かしたのがよほど悔しかったらしい。

 九葉は何も言わなかった。押し問答をする暇が惜しかった。

 屋根から屋根へ飛び移る阿羅彦を追い、二人で夜の里を駆けた。

 障害物のない屋根の上を駆ける阿羅彦が圧倒的に有利だ。どんどん二人を引き離してゆく。

 一方の九葉は路地裏のごちゃごちゃとした障害物に行く手を阻まれ、しかも早華の走力に合わせているため、思うように動けなかった。置いていけば、阿羅彦が転身し、再び彼女を襲う可能性があるためだ。

 果たして、里をあちこち駆けまわった挙句に、二人は城の近辺で阿羅彦の姿を見失った。

「子どものくせに、なんて逃げ足なの…!?」

 息を切らしながら早華が言った。

 九葉は肩で息をしながら、辺りを見回した。見失いはしたが、彼の拠点は城のどこかにあるはずだ。モノノフたちから逃げきるにはそこに帰るがいちばん手っ取り早い。しかし、堂々と正門をくぐったりはしないだろう。ならば…。

 九葉は城を目指して進んだ。店と店の間の、大人一人がようやく通れる狭い隙間を抜け、城をぐるりと囲む石垣に突き当たった。

 不思議そうな顔をする早華を尻目に、九葉は石垣を調べた。

 大通りと城壁から届く弱い灯りを頼りに、両手でべたべたと探る―――質感の違う石を見つけた。周りの石と違い、埃や苔が少ない。

 力を込めて押すと、ごとり、と、音を立てて石垣がくぼみ、大人がしゃがんで潜り抜けられる大きさの穴が空いた。

 背後で早華があっと息を呑んだ。

「こんなところに隠し通路があるなんて…」

「この規模の城は、万一に備えていくつか脱出口が用意されているのが常だ」

 九葉は淡々と答え、懐から手燭と油の入った瓶を取り出し、手早く灯りを用意した。それを見て早華は固唾を飲んだ。

「…九葉、行くの?」

「辻斬りがここを使ったことは間違いない」

「それは、そうだけど…」

 早華は口ごもった。

 背中に、彼女の何か言いたげな視線を感じる。我が家と思っていた城の麓にこのような隠し通路を見つけ、しかもそれが殺人犯に使われていると知って、少なからず衝撃を受けているのだろう。

 これが平時ならば、こちらから「何か気になることがあるのか」と尋ね、彼女の胸の内を聞いてやっているところだが、今回は気づかないふりをした。時間が惜しかった。

 灯かりを穴の中に挿し込んで穴の中を確かめながら、敢えて彼女の胸の内から一段ずれた質問をする。

「ちょうど城の近くに来たのだ、今からでもお頭のところに帰るか?」

「まさか。ここまで来て、引き返したりしないわ。あんな子ども、すぐに捕まえて、お尻ぺんぺんしてやるんだから」

 早華はキンキン声で言い放った。

 阿羅彦が引き起こした事件は「お尻ぺんぺん」で済むものではないのだが、話の主旨はそこではないので黙っておいた。

 二人は隠し通路に進入した。

 

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