暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(六)

 入口の小ささとは裏腹に、中は広かった。大人でも背筋を伸ばして歩けるほどに。

 中は暗く、黴臭かったが、蜘蛛の巣や動物など、歩くうえで障害になるものはない。それはまさしく、人が往復した痕跡であった。

 延々と一本道が続いたため、迷うことはなかった。

 ここを抜けた先に、阿羅彦がいる。しかし…

 九葉は己に対し、ある疑問を抱いていた。

 阿羅彦に会ったら、自分はどうするつもりなのだろうか、と。

 刃を交え、成敗するのか?

 捕獲して、堂衛に引き渡すのか?

 …だが、九葉はそれが可能だとは思えなかった。圧倒的な力量差が根拠の一つだが、それ以上に、直感が囁くのだ、それは違う、と。

 ならば、話をしてみればよいか?

 なぜ人々を殺した?

 なぜ、自分たちを襲った?

 …問うたところで、知ったところでなんになる?

 この期に及んで言語道断の疑問である。それでも、足は止まらない。手燭の小さな灯りを頼りに、九葉は闇の中を進む。

「ねえ、九葉」

 早華が控えめな声で話しかけてきた。

「すまんが後にしてくれ」

 九葉は短く彼女の話を断った。

 話声でこちらの存在を悟られることがあるし、再度の襲撃に備えて気を張っており、余裕がないのだ。

 しかし、早華は口を閉ざさなかった。

「九葉、あの子のこと、知ってたの?」

 ぽつりと呟かれた一言に、九葉は足を止めた。

「『あらひこ』って、あの子の名前だよね。九葉、どうして知ってるの? それに、お城の中にあの子が逃げ込んだことも最初から知っているみたいだった…どうして?」

 早華は重ねて問うた。迷いなく闇を進む婚約者の背中を見つめながら。

 彼女は辻斬りに刃を向けられて腰を抜かした。九葉に加勢しなきゃ。そう思うのに体が動かなかった。けれど、その金縛りを解いたのは、他ならぬ九葉の一言だった。

―――故なく人を斬るか。血を流せれば、誰でもよいのか、阿羅彦!

 その瞬間、彼女が抱いたのは、疑問ではなく、疑念、だった。

 わからないことをわかろうとするのではなく、彼女は九葉という人に対して疑いを抱き始めたのだ。

 九葉は肩越しに振り返り、冷えた声で言った。

「…私が辻斬り犯の仲間だと?」

「違う! わたし、そんなこと言ってない!」

 早華は叫んだ。違う。言いたいのはそんなことじゃない。

 まるで発作のような早華に反応に対し、九葉は冷静だった。

「ならば、それについては後で―――」

「今答えて!」

 金切り声が、暗闇に反響した。

「九葉、何か変よ? 私の知ってるキミとは別の人みたい。辻斬りについて、なんでも知ってるみたいだし、なんか、いつもよりムキになって…私のことよりも、あの子のことばっかり考えてるみたいだし…」

 気が付けば、早華は泣いていた。

 わかってくれない彼がもどかしかった。

 自分が嫌いになりそうだった。

 この先には辻斬りのアジトがあって、彼の言うとおり、今はこんな言い争いをしている場合じゃないのに。

 しかし、目に浮かぶのだ、あの少年と刀で切り結んでいた九葉の顔が。

 わかってる。彼は自分を守るために戦ったのだ。

 でも、誰かとあんなに一生懸命関わる九葉は初めて見た。

 耳の奥に響くのだ、あの少年を引き留めようとしたときの、彼の声が。

 わかってる。ようやく見つけた犯人が逃げようとしたから叫んだのだ。

 でも、あんなに強い口調で誰かに声をかけた九葉は、初めて見た。

 九葉はこれまで、自分に対して必死に何かをしようとしたことは、一度もなかった。

―――裏切られた気がしたのだ。

 九葉は小さくため息をつき、早華をたしなめた。

「お前は本来の目的を見失っている」

「……!」

 早華は目の前が熱くなった。

 九葉の言う通りだった。

 みんなを悩ませる辻斬りを退治して、里に平和を取り戻したかった。

 だから伯父に怒られても諦めず、反対する九葉を無理やり引っ張って捜査を始めた。

 それなのに、努力が実を結び始めたとき、二人の気持ちは逆転していた。

 彼はいつでも正しくて、自分に何でも教えてくれる。でも今は、その賢さがもどかしかった。

 本当は、この隠し通路に入るのは嫌だった。また辻斬りに襲われるかもしれないから。ここの存在を伯父に伝えるために、帰りたかった。

 それでも早華が強がって九葉についてきた理由は―――怖かったからだ。

 将来を誓い合ったはずの彼が、自分を置いて、遠いところに行ってしまうような気がして…。

 だから、答えがほしかった。

 いつものように、教えて欲しかった…安心させてほしかった。

 空はどうして青いの? 風はどこから生まれるの? 鳥はどこへ飛んでゆくの?

(…あの子のことを、どう思ってるの?)

 そして早華は―――もう少し、自分のことを嫌いになった。

「教えてくれないなら、わたしはもう歩かない」

 立ち止まり、そう九葉に告げた。

 子どものようなわがまま。九葉は激怒するだろうと―――この時だけはあの子ではなく、自分を見てくれるだろうと思ったのだ。しかし。

「…ああ。もう、歩く必要はなさそうだ」

 彼はあっさり頷いた。

「隠し通路は、ここで終わっている」

「――――――」

 九葉の言った通り、通路は行き止まりだった。代わりに、壁に梯子が立てかけてあった。

 早華は頭を殴られたような衝撃を受けていた。

 きっと彼は、ここに行き止まりではなく、道が続いていたら、自分を置いてひとり進んでいたことだろう。それが、わかってしまったから。

 呆然とする早華を捨て置き、九葉は梯子を上り、突き当たった床版をずらして、そっと顔を出した。

 ひやりと、草の匂いが鼻孔に流れ込んできた。

 用心深く辺りを見回す。そして九葉は気づいた。闇に沈む庭園―――ここは、初めて阿羅彦と出逢った場所だった。

 床版と思っていたものは、庭石だった。

 辺りにモノノフたちの気配がないのを確認し、九葉は庭へ出た。

 近くの木の陰に素早く身を寄せ、辺りを見回す―――もちろん、あのときのように阿羅彦はいない。しかし、彼はここを通ったはずだ。

 早華がごそごそと隠し通路から這い出、九葉に倣い木の陰に身をひそめた。彼女はじっと顔をしかめていた。何か、痛みを懸命に我慢しているように。

 言いたいことはわかる。聞きたいことはたくさんあるだろう。しかし、今の九葉に、彼女の相手をしている余裕はなかった。

 昨日の同じ時間に盛大なもてなしを受けたこの城は今、九葉にとって敵地となったのだから。

 九葉は改めて辺りを見回した。一本道だった隠し通路と違い、この城は広大だ。昨晩は早々に途南に見つかってしまい、ろくに見回ることができなかった。だから見つけなければならない。阿羅彦に通じる痕跡を…

「……?」

 九葉は眉を眇めた。

 女がすすり泣く声が聞こえたのだ。遠くから。

「…今、声が聞こえなかったか?」

 隣の早華に問う。

「…別に、何も聞こえなかったけど」

 早華は感情のない声で答えた。

 しかし、九葉は空耳だとは思えなかった。木の陰から抜け出し、音もなく庭を横切り、手すりを飛び越えて廊下に降り立つ。

 泣き声がはっきりと聞こえてきた。

 九葉はその声を辿ることにした。

 途南の話によると、ここから先は『神垣ノ巫女』の御座所だ。立ち入らせるなと彼女が厳しく命じたというが、しかし、九葉は足早に進んだ。泣き声は、御座所の方向から聞こえてくるのだ。

 昨晩は足を踏み入れることのなかった闇に身を浸すと、幽世に足を踏み入れるような薄気味悪い錯覚を覚えた。

 不思議なことに、見張りには遭遇しなかった。辻斬りの対応に追われているせいか。

 いくつもの分岐に遭遇したが、声のおかげで迷うことはなかった。

 聞こえてくるのは、自分たちの足音と女の声ばかりだった。

 御座所の内部に足を踏み入れると香のにおいが漂ってきた。意識の奥底をざわめかせ、判断力を奪うような、甘く、妖しい香りだった。

 胸騒ぎがした。この先に何か、ひどく危険なものに誘い込まれているような…

 肩越しにちらりと早華を見る。

 彼女は眉をしかめ、じっとうつむいて、無言でついてきていた。

 おざなりな対応をしたせいでへそを曲げてはいるが、辻斬り逮捕の信念はいまだに折れていない。あるいは、ついていくことで意地を通そうとしているのかもしれない。

 少なくとも、周囲の異様な空気は、気にしていないようだ。

(この鈍感さ、見習うべきなのかもしれぬな…)

 九葉は密かに苦笑し、自らをそう戒めた。さもなくば、進む足が鈍り、却って危地を招くかもしれぬ。

 ―――しかし、九葉の予感は的中した。

 九葉と早華はやがて、拝殿と思しき広い吹き抜けに辿り着いた。

 香のにおいはますます強くなり、女の声が、いっそう大きく聞こえてきた。

 緩い階段状になった舞台の最上階、白絹を金糸で彩られた天幕の向こう側がその源だ。  

 ここまで来てわかったことだが、女の声には、荒い息が混ざっていた。病で苦しんでいるのか? 

 九葉は久方ぶりに早華と目を合わせた。

 早華は緊張した面持ちで、小さくうなずいた。

 九葉は足音を忍ばせて舞台を登った。早華も続く。

 舞台は磨き上げられ、埃ひとつ見当たらなかった。それもそのはず。神垣ノ巫女の御座所の最奥は大抵、巫女の御座所だ。そうでないほうがおかしい。しかし、九葉は細い糸のようにまとわりつく違和感を拭いきれなかった。

 そして、最上階にたどり着き、そっと天幕の隙間から奥を覗いたとき。

 二人はおぞましいものを見た。

 まるで祭壇のように大仰に飾られた床で、男と、若い女がまぐわっていた。

 いや、まぐわっていた、というのは語弊がある。

 男は、泣いて嫌がる女を組み敷き、浅ましく腰を振り立て、汚い手で無遠慮に白い肌をべたべたと穢していた。

 強姦、と言って差し支えなかった。

 男は、時折零す卑猥な言葉の端に見える訛りから、外様であるとわかる。

 そして、女は…長い白い髪に、赤い瞳…

 九葉の体の芯が、瞬く間に冷えた。

 脳裏に、ある仮説が浮かんだ。

 ここはお頭のお膝元。この里で最も安全な場所だ。そこで、このような「大逆」が繰り広げられているということは…

(ありえぬ…)

 これまで培った常識が一斉に悲鳴を上げた。

 そんなはずはない、と。

『彼女たち』は奇跡を起こす神聖な存在であり、いかなる理由があろうとも侵してはならない。歴史の影法師に生きるものならば誰もが知っている。

 それなのに、まさか、そんな…

 あまりにも道を外れた説を否定しようと、九葉は様々な可能性を絞り出そうとした。しかしその努力は、早華の一言によって粉々に打ち砕かれた。

弥紗(みしゃ)……ちゃん……?」

 弥紗。

 セキレイの里の『神垣ノ巫女』。

 重病の床にあり、結界の維持に専念しているはずの。

 それが、あそこで男に犯されている女だというのか……?

 間違いないのか、と、九葉は早華を問いただそうとしたが、やめた。

 蒼白になって震えている彼女を見れば、それがいかに愚問であるかがわかった。

 弥紗は彼女の幼馴染だ。見間違えるはずがない。

 脳が揺れるような衝撃を受けつつも、九葉は己の中で、破片と破片が合わさって徐々に輪郭をなしてゆくのを感じていた。

 この家に集まった異常な富…神垣ノ巫女の御座所…外様の男…白い髪と赤い瞳の女…。

 これらの意味するものは―――

 また九葉は、涙で乱れた女に既視感を覚えた。

 あの女の顔、どこかで…。

(まさか…)

 突如、背後で陶器が割れる音が響いた。

 九葉は内心で歯噛みした。驚きのあまり、他者の接近に気付けなかった。

 巫女の世話係か何かだろう。思いもがけぬ侵入者を目の当たりにして、運んでいたものを落としたようだ。このままではモノノフ部隊を呼び寄せられる。どう対応すべきか。懸命に思考を巡らせて振り返る。

 その瞬間、その場の空気が凍り付いた。

 背後にいたのは二人の女中だった。彼女たちの顔を、九葉は―――そして早華は知っていた。

 早華の叔母・百合と、母・詩音だった。

 詩音の足元に、純白の陶器の破片と一緒に、酒と肴が散らかっている。物音の正体はこれだ。行為の後、男に供するつもりだったのだろうか。

 宴席で見た二人は、出で立ち、性格ともに正反対だったが、今は揃いの質素な巫女装束を纏っていた。

 彼女たちがここでの給仕や神垣ノ巫女の世話を務めているのだろう。

 さもありなん、と九葉は痺れた頭の片隅で思った。

 自分の予測が当たっていれば、この役を務めるのは彼女たちを以って他はあり得ない。

 二人は蒼白になって、立ち尽くしていた。

 彼女たちにとって、最も他者に見せたくないものの一つだったであろう。とりわけ、早華には―――

 九葉は我に返った。

(しまった、早華)

 慌てて彼女に声をかけようとしたが、遅かった。

「お母さん……?」

 早華が母を呼んだ。

 小さな顔からは血の気が引き、声は、掠れていた。そして、光の消えた大きな黒い瞳から、ボロボロと涙を流れた。

 いくら彼女とて、目の前に並べられた光景のひとつひとつを理解できぬほど愚かではない。

「そ、早華……」

 詩音が掠れた声で娘の名を呟いたとき、早華の中で何かが音を立てて切れた。

 彼女は自分よりも低いところにある母の両肩を掴み、母に食って掛かった。

「ねえお母さん、これはどういうことなの!? 弥紗ちゃんは病気じゃなかったの!? どうしてあんなことをされてるの!? お母さんはこれを知ってたの!? 答えてよ、お母さん、お母さん…!」

 早華は泣いていた。泣きながら母を問い詰めた。

 詩音は答えられなかった。娘の剣幕に圧され、やがて、声をあげて泣き崩れた。

 早華はしかし、母を容赦せず、詰り続けた。どうして、どうして、と。

「し、詩音さん、早華ちゃん、落ち着いて…まだお客さまがいるから…」

 百合が慌てて二人を宥めにかかるが、二人に声は届いていない。

 御簾の向こう側で、人心地ついた男が「何事か」とこちらを振り返った。

 九葉は―――その場から駆け出した。

 この里の仕組みのおおよそは理解できた。しかし、踏み込み過ぎた。

 九葉さん! と百合が呼んだが、応えてなどいられなかった。応えられるはずがなかった。

 舞台を駆け降り、拝殿から飛び出す。

 早華を置いてきてしまった。しかし、気にしてなどいられなかった。そもそも早華はこの件で危害が及ぶことはない。

 問題は九葉自身だ。早華の名の加護が及ばぬ領域に、不用意に触れてしまったのだから。

 回廊を全力で走りながら、この城の回廊、隠し通路、里の構造を脳裏に思い描く。そして考える。脱出するには、あるいは、身を隠すには―――

 しかし、その答えが得られぬまま、九葉は足を止める破目になった。

 隠し通路がある庭の一歩手前で、霞んだ金銀鎧のモノノフ部隊、『雪月花』に包囲された。

 彼らは昨晩と同じく、各々の得物を抜き放ち、九葉にその切っ先を向けていた。

 昨晩のように言い逃れるための言葉は、ない。

 自らの「詰み」を認めた九葉の前に、部隊を代表して途南が立った。

 彫の深い無精髭の顔には、いかなる表情も見出すことはできない。わかることは、昨晩のような友好的な笑顔が向けられることは二度とない、ということだけだ。

 彼は九葉見下ろし、を巨大な盾と剣を長い両腕に下げながら、冷え切った声で告げた。

 

「残念だ、九葉殿。俺はあんたを気に入り始めていたのに」

 

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