暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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第三章 真実
(一)


 九葉は『雪月花』に捕らえられ、城の地下の座敷牢に監禁された。

 即刻切り捨てられることも覚悟していた彼にとって、これはせめてもの救いだった。もちろん、太刀は取り上げられたが。

 四畳半の広さの牢は薄暗いが、こういった施設独特の異臭は薄い。建造からあまり時間が経っていないせいか。

 当たり前だが、窓はない。房の中にあるのは薄っぺらな茣蓙(ござ)のみ。

 九葉を外界と隔てる鉄格子の隙間は、腕が一本通る程度。鍵は複雑な造りで、手持ちの道具では開きそうにない。開けるには、専用の鍵が必要だ。

 床には用を足すための簡素な穴が空いているが、ここから身体は入りそうになかった。

 格子越しに見えるのは、同じ構造の空の座敷牢。質の悪い油で灯された明かりは弱く、目と鼻の先しか照らさない。その向こう側は泥のようにねっとりとした闇が広がっている。

 こうも暗ければ、時間の経過もわからなくなる。閉じ込められて一刻か、ニ刻か、それとも、もう夜は明けているのか。

 一度、鉄格子を強く蹴ってみた。

 もちろんびくともしなかったが、音は遠く伸び、戻ってくることはなかった。かなり広い。

 人の声は返ってこなかった。収容されているのは九葉一人のようだ。悪事を働く者自体が少ないのか、あるいは、とりわけ「回転」がいいのか…。

 九葉は暗闇を忌々しく睨み付けた。

 隠し通路から御座所までの、自身の立ち回りに後悔していた。

 早華を連れてきた時点で、すでに詰んでいたのだ。

 やはり、阿羅彦に斬られるのを覚悟して、彼女を適当なところで撒いたほうがよかった。

 早華とは弥紗の拝殿で別れて以来、顔を合わせていない。しかし、特に心配はしていない。彼女に命の危険はないし、九葉よりも遥かに良い待遇を受けているはずだから。

 問題は自分だ。とりあえずその場で切り捨てられることこそなかったものの、早々に脱しなければ命はない。しかし、その方策が、どんなに考えても一向に見つからない…。

 暗闇の奥に、星のように小さな明かりが揺らぎ、足音が聞こえてきた。

 草履の音だ。歩幅は大きく、強いが、重くはない。恐らくは、男。体格のいいモノノフ―――

 九葉は片膝を立てて身構えた。

 現れたのは―――堂衛だった。

 セキレイの里のお頭にして、この里の裏で行われている大逆の、主犯―――

 罠にかかった獣のようにじっと見を固くし、敵意の眼差しを向ける九葉を見て、堂衛は苦笑いを漏らした。

「さて、これは何のつもりだ?」

 まるで、やんちゃをして憲兵のご厄介になった息子に対するように、鷹揚な声だった。

「あなたがそれを問うか」

 九葉は鋭く返した。

「ご自分がなさっていることをわかっておいでか? あのような―――」

 拝殿で外様の男に犯されている神垣ノ巫女・弥紗の姿を思い出し、今一度背筋が凍った。

 この里の異常な西洋化。この家に集まった大量の富。その正体は、神垣ノ巫女・弥紗だ。

 彼女は売春を強要されていた。お頭の堂衛を始めとするセキレイの里の首脳陣に。

 客は、外様の支配層。幕府や朝廷の高官に、各地の大名、豪商といったところか。

 この一家の(たが)が外れた金遣いの理由がようやくわかった。外様の貨幣や品は歴史の裏側の世界では高値で取引される。闇市場に流せば価格はさらにその倍。金など、今の彼らにとっては井戸で水を汲むように容易く手に入るのだ。

 昨晩、自分が嫌々ながらも飲んで食った酒と料理は、すべて、彼女の―――

 九葉はひどい吐き気を覚えた。まるで、人の内臓を喰わされたような気分だった。

 胃の中身が喉元までせり上がったがどうにか押し戻し、九葉は堂衛を糾弾した。

「あのような所業、同じ人とは到底思えぬ。霊山君もお許しになりませぬぞ」

「明るみになれば、な」

 堂衛はさらりと言った。九葉の糾弾に対して何の痛痒も感じていないようだった。このようにありきたりな非難は予想のうちだったのだろう。

 それどころか彼の武人らしく精悍な顔は「なんでも答えてやるぞ」と、まるでへそを曲げた年頃の息子に対する抱擁力のようなものまで覗かせていた。

 九葉は無言で堂衛を睨みつけた。

 腸が沸騰するようだった。

 あれを罪と思わぬ彼の態度に。そして、自分のような若造一匹、いつでもどうとでもできるという余裕に。

 しかし、九葉は敢えて怒りを抑えた。今のところ、ここを脱する足掛かりは、この男との会話にしかないのだから。

 まずは当たり障りのないことを訊いてみた。

「…早華は、いま、どこに?」

「自宅だ。あれの両親とともにいる」

 

 

 堂衛は真実を九葉に伝えていた。

 早華は、彼が言った通り、彼女の実家に帰されていた。父の更鵠、母の詩音とともに。

 彼女の実家といえる更鵠負債の家は、城の敷地にあるこぢんまりとした離れだった。

 新築家屋独特の資材においが濃く漂うものの、夫妻の人柄をそのまま映した簡素な内装で、十二年前の早華にもなじみ深い家具がかつての面影を伝え、ぬくもりと懐かしさを醸し出している―――と、昨日までの早華であればくつろぐことができたであろう。

「早華、これを飲んで、美味しいわよ」

 囲炉裏の前で、まるで無理やり連れてこられた仔猫のようにじっと膝を抱え込む早華に、詩音は湯飲みを差し出した。無理に作った明るい笑顔を添えて。

 昨晩の宴で彼女が大層気に入っていた、チョコレートという飲み物だ。雲を摘み取ってきたような、ふわふわのクリームも載っている。

 しかし早華は泣き濡れた瞳でそれを一瞥し、すぐに顔を背けた。

 何も口にしたくなかったし、両親の顔も見たくなかった。

「ねえ早華、覚えてる? この器ね、あなた、とってもお気に入りだったでしょ。あなたが戻ってきた時のためにとっておいたのよ」

 チョコレートの器を指して、詩音は不自然な明るさで一人娘に話しかけた。

 早華はぞわりと寒気を覚えた。母の顔を見ると、先ほど見た光景が脳裏にまざまざと蘇るのだ。あの、汚らわしい光景が…。

「そうだ、早華。お前のお気に入りだったお人形もあるんだよ。持ってきてあげようか」

 更鵠がぎこちなく笑い、告げる。

「いらない」

 早華は怒鳴るような口調で突っぱねた。

 両親は、顔を見合わせた。傷ついたような顔で。

 二人とも、とても悲しそうな、今にも泣き出しそうな顔で遠巻きに早華を見つめていた。

 しかし、早華に言わせれば、傷つけられたのは自分の方だった。

 この十二年の間で、何もかも変わってしまった。

 早華の知る家族は、みんな、いい人たちだった。少なくとも、こんなひどいことをする人たちではなかったのに。

「……んで」

 小さな唇か羅、掠れた声が上がった。娘が声をかけてくれたと、両親は顔を輝かせた。

 早華はその様子に嫌悪の籠った瞳を向け、涙の滲んだ声で訊いた。

「なんで、こんなことをしたの?」

 

 


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