暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(五)

 九葉は、堂衛の再三にわたる誘いに「否」と答えた。

 ここで口先だけでも「(はい)」と答えていれば、あるいはこの座敷牢からの脱出は叶ったかもしれない。しかし、九葉は拒んだ。

 常ならば息をするように嘘をつくことができるのに、今回ばかりはできなかった。それほどに心は堂衛たちへの怒りに支配されていたのだ。

「惜しいな、その気骨。やはりお前は早華の婿に相応しい」

 と、堂衛はまるで優秀な息子を愛しむように目を細めた。

「ならば、どうなさる。今ここで手討ちになさるか」

「気長に待つさ、お前の心がほぐれるまで」

「気が変わらぬ時は?」

「待ち続けるさ。…ただし、部下の不満を抑えるのは、限界があるがな」

 堂衛は年長者らしく落ち着いた穏やかな笑みを浮かべて言い、立ち上がって九葉に背を向けた。そしてそのまま、座敷牢を去った。

 九葉は闇に消えてゆく広い背中を厳しい眼差しで睨み付けた。

 きっと、自分がここに長く監禁されることはない。時を置いて、堂衛か途南、もしくは璃庵が、再びここに足を運ぶだろう。九葉の意思を確認するために。

 口を封じられるとしたら、その時だ。それまでにここを脱しなければならない。

 今一度よく考えろ、と堂衛は言った。

 言われずともそうするつもりだ。考える、ここから脱出する手立てを。

 九葉はまず、自分の身に着けているものを今一度検めた。武器はとうに取り上げられた。手元にあるのは…髪の結具と、霊山から持ち込んだ、自身の替えの衣服。とりわけ良いものではない。

 せめて一つでも値の張るものを身につけておけばよかった。そうすれば看守を買収できたものを。

 腰帯をするりと抜いて目の前にかざし、ひとり落胆する。いちばん高いものといえばこれだが、看守はおろか、子ども一人であっても釣ることはできまい。

 そういえば、看守の姿が見当たらない。ここに放り込まれてから、一度も目にしていない。どうやら配備していないようだ。またぞろ辻斬り事件の証拠隠滅に追われているのだろうか。

 座敷牢の鍵を今一度検める。やはり先ほど見た時と同様に、その作りは複雑で、当たり前だが、時が経ってどこかがほつれるなど、あるはずがなかった。

 この牢を破るには、鍵を手に入れるしか道はなさそうだが、さて…。

 そうやってしばらく考えていると、再び足音が聞こえてきた。

 ただし、堂衛が戻ってきたわけではなさそうだ。足音はぺたぺたと弱く、重心が定まらない。

「暗ッ、臭ッ、濡れてて気持ち悪ッ!」

 再び、遠くから声が聞こえてきた。座敷牢の環境に悪態をつく、軽く姦しい男の声。これは―――

「よ、元気?」

 鉄格子の向こうから、堂衛の息子、鵬翼が片手をあげて挨拶した。

 彼は九葉が監禁された牢を見回し、

「うっわ、狭ッ。あんた、よくこんなところに入ってられんな。そこの穴ってもしかして便所? 無理だわー。俺、絶対そんなところでできねーし」

 と、聞いてもいないのに感想を述べた。

「何か御用が?」

 冷やかに問うと、

「ん、ああ…」

 鵬翼は曖昧な返事をして、九葉と向かい合う形で腰を下ろした。

 今気づいたが、彼は大きな荷物を背負っていた。

 荷をほどき、目の前に大きな風呂敷を広げ、その上に、荷の中身を一つ一つ並べ始めた。

 巨大な意思がいくつも連なった首飾り、金と銀でできた豪奢な冠、外国の神々と思しき金の像、夢のように鮮やかな小鳥の剥製…以下、洋の東西を問わぬ宝物、珍品が続々と並べられてゆく。

 二十点ほど並べたところで鵬翼は顔をあげた。

「…これ、俺が持ってる中で一番高いやつ。どこ探しても手に入らないと思うぜ」

 行商でも始める気か? と、内心で首をかしげる九葉に鵬翼は言った。真剣な顔で。

「俺たちの仲間になってくれたら、全部あんたにやるよ」

 九葉は顔をしかめた。

 目の前に並べられた煌びやかな宝物はすべて、弥紗と阿羅彦の(みさお)から生み出されたものだ。これを使って買収を図るとは、悪趣味極まりない。

 しかし鵬翼は本気だった。いつもヘラヘラと笑っている顔は引き締まり、あの宴で人を見下していた双眸には真摯な光が宿り、まっすぐに九葉を見つめていた。

「足りねーならもっと持ってくる」

 鵬翼は再び言った、真剣な眼差しのまま。

 九葉のしかめ面を「足りぬ」という意思表示と捉えるのは、実に彼らしい。

 という皮肉は胸の内に秘めておき、

「一族の所業はご存知か?」

 九葉が静かに問うと、鵬翼は俯き、

「…知ってる」

 と、小さな声で答えた。

「あんたの言いたいことはわかるよ。俺も、ひでーことしてるって思ってる。でもさ、仕方ねーじゃん。みんなで幸せに暮らすには金が必要なんだから」

 最早これについて(ただ)すつもりはない。この一族には何を言っても無駄だと、すでに心得ている。だから、代わりに九葉はこう言った。

「お父上の言いつけで私を説得に来られたのか?」

「違う」

 鵬翼は即座に否定したが、

「ならばお伝え願いたい。この九葉、たとえ素っ首落とされようとも、決して(くみ)せぬ、と」

 九葉が無視し、首筋を見せつけるように襟元を大きく広げて冷たく言い放つと、

「そうじゃねーよ!」

 と、声を荒げた。

「親父のことは関係ねぇ。早華(ねえ)のためだよ」

 どうやら鵬翼は、彼の独断で説得に赴いたらしい。

 無言で話を促すと、鵬翼は語り始めた。

「早華姉は、ガキの頃から一緒だった。いつもうるさくて、乱暴で、すぐ説教垂れるけど、…でも、俺と(すい)にとっては大事な姉貴なんだ」

 鵬翼は慣れない様子で、たどたどしく訴える。お世辞にも巧みだとは言えないが、懸命さが伝わってきた。このような事情でさえなければ、多少この男を見直したかもしれない。

「あんたって、お高く留まってて生意気だけどさ、でも、早華姉はあんたに惚れてるんだ。きのうの宴では、すげー幸せそうだった、今まで見たことないくらい…あんたがいなくなったら悲しむんだよ、俺たちの姉貴が。だからさ…」

 頼むよ、と、鵬翼は勢いよく頭を下げた。

 早華のために降れと、彼は懇願している。自分にとって最も大切なものを捧げてでも、姉を悲しませまいとしているのだ。

 とことん頭の悪い男だが、目の前に並んだ醜悪な宝物は彼なりの誠意だ。

 お頭という里の最高権力者を父に持つ彼は、普段、人に頭を下げることはない。余所者の男に、このように頼みごとをするのは、一大決心だったことだろう。しかし、

「だからといって、貴殿の一存で私の身柄をどうにかできるとは思えぬ」

 九葉の返答は冷え切っていた。

「なんだよ、それ」

「私はお頭の怒りを買った。処刑は免れぬ」

「だったら俺が一緒に謝ってやるよ」

 鵬翼が懸命に言い募ると、九葉は鼻で笑った。

「よもや、ご自身になんらかの影響力があるとお思いか? ならばそれは勘違いだ」

 鵬翼の顔が歪み、さっと赤らんだ―――怒りで。

「馬鹿にすんなよ、せっかく人が心配してここまで来てやったってのに」

「口だけならどうとでも言えましょう」

「ざっけんな! 俺は本気だ! その証拠に」

 鵬翼は口泡を飛ばして叫び、懐からあるものを取り出し、九葉に掲げた。

「見ろよ、ここの牢の鍵だ。あんたが仲間になるっつったら、すぐにここから出してやれるんだ」

 鍵、だった。

 九葉を閉じ込める、この、座敷牢の。

 伝家の宝刀のように鵬翼が見せびらかしたそれを、九葉は無感動な目でしばし見つめた。そして、

「………、……」

 小さな声で、何かを呟いた。

「あ? なんだって?」

 鵬翼は聞き返した。

 九葉は今一度呟いた。

「………、…殿」

 先ほどよりは声量が増したが、それでも鵬翼の耳には届かなかった。

「だから、よく聞こえねーし。声小せーよ」

 鵬翼が鉄格子に耳を寄せた―――九葉に顔を近づけた。

 九葉の両腕が、届くところまで。

 三度目を、九葉は言わなかった。代わりに、素早く動いた。

 手にした帯紐を鵬翼の首に巻きつけて、締め上げた。

 締め上げられた拍子に、鵬翼の体は鉄格子に強くたたきつけられた。

 鉄格子が大きな音を立てて揺れ、宝の散らばる美麗な音がそれに重なった。

「――――――!!」

 鵬翼は声を上げた。いや、上げようとした。しかし、舌は思うように回らなかった。

 鉄格子の隙間に顔を挟まれ、鵬翼は鬼の形相で暴れた。がしゃんがしゃんと体が鉄格子にぶつかる。

 紐を引きはがそうと喉を掻き毟り、それができぬとわかると、次に九葉に手を伸ばしたが、彼の頸動脈を絞める帯紐は長く、指先が衣服をかすめるばかりだった。

 程なくして、鵬翼は失神した。

 九葉は肩で息をしながら、鵬翼の指に引っかかっている鍵を取り上げ、牢の扉を開いた。

 外に出て、散らばった宝の上に崩れ落ちている鵬翼の体をまさぐる―――やはりというか、この鍵以外に有用なものは持ち合わせていなかった。

 帯紐を締め直し、速やかにその場を去った。

 暗い地下牢を壁伝いに進みながら、九葉は思い出す。

 先ほど彼は、鵬翼に小声でこう告げた。

―――申し訳ない、鵬翼殿。

 彼の弱さにつけ込む形になった。あれは、堂衛に対しては通用しない方法だった。

 罪悪感を抱いているわけではない。鵬翼は死んでいない。失神しているだけだ。時間が経てば目を覚ます。

 しかし、今度こそ九葉は早華の加護を失った。

 今まで里の中を自由に動き回ることができたのは、早華の婚約者という立場があったからだ。怪しい動きをする九葉をこれまで堂衛が生かしておいたのも、彼女の存在があればこそだ。

 大切な家族に危害を加えた九葉を、堂衛、そして早華は許さぬだろう。

 これより先は、より慎重に動かなければならぬ。この里のすべてが九葉の敵となったのだから。

 九葉は自問する。今、己にできることは何か? 

 里を脱するか、それとも、戦うか。

 手元に武器はない。使えるものは、大きな怪我もなく、自由に動くこの体。他には―――

 そこまで考えた時、闇の奥から近づいてくるものがあった。

 九葉は足を止めた。辺りを見回し―――歯噛みする。隠れられる場所はない。

 看守が戻ってきたのか。相手がモノノフであれば一巻の終わりだが…

 暗闇の奥底からぼんやりと人影が浮かび上がった。

 九葉は固唾を飲んだ。

 鬱屈とした闇の中、その姿は光を放っているように美しく、音もなく歩く様は人ではない、なにか美しいものに宿る神のようだった。しかしそれは、生贄を欲する神だ。右手に握る直刀から滴るのは、鮮血。

 ねっとりとした暗闇も不愉快な湿気も、すべて遠いものになる。

 長い髪がさらりと流れる。

 整いすぎた白い顔の中、射干玉色の瞳が、じっと九葉を見つめている。

 九葉は無意識のうちに、彼の名を呟いた。

 

「阿羅彦……」

 

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