暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(三)

 モノノフを統べる霊山は今、天極(てんぎょく)という一人の男の私物と化している。

 霊山にとっての(まつりごと)とは、天極とそれに連なる者に更なる栄華をもたらし、安寧を盤石たらしめること。霊山にとっての悪とは、天極に異を唱え、その権力に牙を剥き、進路を妨げるもの。

 九葉は、霊山君の威光すら蔑ろにする天極を除き、『鬼ノ府』(モノノフ)をあるべき姿に戻すためにこの里に来たのだ、と言った。

「結界を消失させ、その混乱に紛れてお前の母を奪還し、堂衛の裏帳簿を入手する。これを証拠として、堂衛と、裏で糸を引いている天極を糾弾するのだ」

 九葉は計画の大筋をこのように語った。

 弥紗への惨たらしい仕打ちの数々は、別の『神垣ノ巫女』が千里眼を用いれば立証できる。裏帳簿は売春による収入・支出を管理する上で必要不可欠であり、そこには堂衛が天極に納めた賄賂も記してあるはずだ。

 阿羅彦はぽかんとした顔で九葉を見つめていた。いくら剣技にて大人たちを圧倒するといっても、権謀術数までには理解が及ばないらしい。

 それでも少年は男の語ったことを理解しようと懸命に頭をひねり、そして、

「結界…?」

 ぽつりと呟いた。

「モノノフの里は本来、神垣ノ巫女による結界で鬼から守られている」

 と、九葉は説明した。阿羅彦は、モノノフの里の者たちが当たり前のように知っている『結界』についての知識を一切持ち合わせていなかった。

「しかし、お前の母があのような状態では結界の発動も維持もままならぬ。故に現在、この里の結界はカラクリによって維持されている。それを消失させると鬼がこの里を襲う。堂衛たちモノノフ部隊はそちらの対応に追われるだろう。その隙に乗じて目当てのものを手に入れるのだ」

 阿羅彦は整った顔を難しく歪めた。

「でも、結界が消えても、鬼は都合よくこの里を襲いにきてくれるでしょうか?」

「それよ」

 少年からもっともな指摘に、九葉は唇の端を吊り上げて笑った。

「霊山を発つ前に耳にした、面白い話を思い出したのだ」

 その話は、要約するとこうだ。

 今から二十日ほど前。このセキレイの里よりはるか南で鬼門が開き、強力な大型鬼が複数出現した。霊山は速やかに百鬼隊弐番隊を派遣、これの討伐に当たらせたが、鬼のうち一体を討ち漏らしてしまったのだ。

 本来ならば速やかに任務失敗を報告し、討ち手を増やして早急に対応するべきところだが、このところ失敗続きだった隊長は、自らの保身のために「鬼は全て討ち取った」と上層部に虚偽の報告をし、自身は秘かに逃げた鬼を追う旅に出たのだった。

「その鬼は北へ逃げたそうだ。しかも、鬱蒼とした森を好む性質の鬼でな、今頃はこの里近辺に辿り着いているやもしれぬ」

「この辺りに着く前に、その隊長さんが鬼を討ってしまっていたら?」

「それはない」九葉は断言した。「あそこの隊長は私も知っているが、あれの実力では数年かけても討てん」

 ふぅん、と阿羅彦は射干玉の瞳を瞬かせた。

「じゃあその鬼は、結界さえ消してしまえば、この里にやってくるんですね」

「その通りだ」

「なるほど……」

 少年はこっくりと頷く。そして、何気ない口調で、こう続けた。

「それじゃあ、弥紗を連れて行くのは、どうしてですか?」

 九葉は愕然とした。この少年は、母をあの牢獄から救い出そうと思わないのか?

「弥紗は怖がりだから、ここにあるいろんな建物や人を見たら、驚いて泣いてしまうと思うんです。それが心配で…」

 この少年には、自分たちの境遇が、ただ搾取され蹂躙される、家畜以下の扱いであるという自覚がなかったのだ。

「……堂衛たちの、お前たち母子に対する扱いは、間違っている。だから連れ出すのだ」

 九葉は強い眩暈に襲われたが、どうにかそれを堪え、やっとそれだけを言った。

「しかし、まずは我々が祠に辿り着かなければ何も始まらぬ」

 九葉は身を潜めている大籠に空けた穴から、外を見渡した。

 すでに夜は明けていた。

 陽の高さから時間帯は早朝であることが窺える。この時間、辺りの家々からは朝餉の香りが漂い、店では開店の準備で人々が忙しく動き回っているのが常だ。

 しかし本日、里は静まり返り、本来の活気は重苦しい空気に追いやられていた。

 里のモノノフ部隊が里の至る所に立ち、警戒を行っていたのだ。『雪月花』の姿も目立つ。

 すでに九葉の脱獄と阿羅彦の脱出は堂衛の耳に届き、里には「いかなる時にも、いかなる事情があろうとも、外出を禁ずる」という戒厳令が敷かれた。

 堂衛や隊長からよほど大きな雷が落ちたのか、モノノフたちの動きには隙がなかった。

 祠にたどり着くには、この厳しい警備をかいくぐらなければならない。

 よって九葉と阿羅彦は、用を足すときのように深く座り、店の裏に放置してあった巨大な籠を頭からすぽりとかぶって身を隠し、見張りの視線が逸れたところで中腰になり、籠を被ったままカサカサと進んだ。見張りが近くを通るときは再び座り込んで籠の中でじっと動きを止めてやり過ごすのだ。

 傍目には間抜けな構図だが、しかし阿羅彦はたいそう気に入ったようだった。

 動くにしても、身を潜めるにしても、さっきからクスクスと笑いっぱなしだ。

「かくれんぼをしているわけではないのだぞ」

 目の前を通り過ぎる歩哨をやり過ごし、九葉は小声で阿羅彦を叱りつけたが、

「『かくれんぼ』がなんなのか知らないけど、これに似てるんだったら、すごく楽しそうですね。九葉様、あとで一緒にやりましょうよ」

 と、悪びれることなく阿羅彦は返した。

 籠は、人間二人が入れるほどの大きさだが、身をぴったりと寄せ合わなければおさまらない。故に阿羅彦は現在、九葉の背におぶさるような形になっている。

 確かにこんな阿呆のようなことをしていれば、遊んでいると子どもに勘違いさせるもの致し方ない。しかし、今はなかなかに大変な状況なのだ。

「作戦を成功させなければ、かくれんぼなどできぬわ、阿呆が」

 九葉は小さく毒づいて、今一度、大籠の穴から大通りの様子を窺った。

 一区画ごとに五人の見張り。奥まったところにある民家にも一軒ごとに最低一人がつき、三分から五分おきに歩哨のモノノフが通り過ぎる。

 とりあえず身を隠すことには成功しているが、進行速度があまりにも遅い。時間がかかればかかるほど、こちらの危険度は増すというのに。

 …などと考えていると、歩哨が遠ざかり、見張りの視線がそれたので、二人は中腰になり、家一軒分ほどの距離をカサカサと進んだ。

「じゃあ、作戦がうまく行ったら、一緒に『かくれんぼ』してくれますか?」

「かくれんぼでも鬼ごっこでも、何でも付き合ってやる。だから目の前の作戦に集中しろ」

 改めて厳しくたしなめると、阿羅彦は無駄口を止めた。しかし、楽しそうに笑っているのが気配で伝わってくる。

 やはり、彼に事の重大さを理解させるのは無理があるのか。それとも、鍛えた大人の男たちを、まるで庭を荒らす害獣を駆除するかのように切り伏せてきた彼にとって、この程度は笑いごとに分類されるのか。

「ところで、例の祠はどの辺りにある?」

 気を取り直して尋ねると、

「堀の集落からさらに南に抜けて、川沿いを二里ほど歩いたところです」

 阿羅彦の返答を受けて九葉は押し黙った。

 つまり、結界で仕切られている里の境界が目的地となるわけだ。まだまだ距離がある。

 この調子では、いつまで経っても祠には辿り着けない。何かいい方法はないものか…。

 そう思った時、目の前を、挙動が不自然な歩哨のモノノフが通り過ぎた。

 彼は歩きながら、不自然な動きであちこちを見回している。

 藤色の胸当てと同じ色の軽い脛当てに、目元を仮面で覆っている。『雪月花』ではない、一般のモノノフ部隊の装備だった。

 注意して見ていると、やがて彼は周りの仲間の目を盗んで、いそいそと店の路地裏に入った。

 九葉と阿羅彦は、このモノノフの後をつけた。

 彼は速足で狭い路地を進み、やがて、人気のない空き地の茂みに辿り着いた。

 そして、せわしなく下半身を寛げ、用を足し始めた。

 このようなことで人目を気にしなければならぬとは、堂衛たちは、用を足すことも禁ずるほどに、部下を厳しく締め付けているらしい。

 九葉はそろそろと籠から抜け出し、音もなく背後から忍び寄り―――羽交い絞めにした。

 モノノフは死に物狂いで暴れた。脇腹に何度も肘を入れられ、皮膚に爪を立てられた。しかし、大きく咳き込み、腕から血が流れようとも、九葉は必死に締め続けた。

 頸動脈を圧迫すれば僅かな時間で相手の意識は落ちるが、その『僅かな時間』がひどく長く感じた。

 勝ったのは九葉だった。

 モノノフは意識を失い、力なく地面に崩れ落ちた。

 身体に残るほとんどの力を使い切ったような顔でそれを見下ろす九葉に、阿羅彦は、

「僕が斬った方が早いのに」

 と言った。

 少し離れたところで暇を持て余すように直刀をぶらぶらと振る少年を九葉は見遣り、

「剣士の剣とは、何を斬ったかによって価値が決まるものだ」

 と、荒い息の下で告げ、たった今墜としたばかりのモノノフの装備を剥ぎ始めた。

 それを見て、阿羅彦は、九葉が何か面白いことを始めると思ったのか、目を輝かせて手元を覗き込んだ。

「何を斬れば価値が上がるんですか?」 

「強大な力を持つ敵だ」

 阿羅彦の問いに、九葉はそう答えた。

 モノノフの装備を剥ぎ終わると、次は自ら衣服を脱ぎ始めた。

 阿羅彦は意外そうに射干玉の瞳を見開いた。文官でありながら、露わになった九葉の肩は逞しく、太かった。

「強大な敵って?」

 軽い口調で問われたとき、服を脱ぐ九葉の手が、束の間、動きを止め、

「『鬼』だ」

 と、答えた。

 阿羅彦は目を瞬いた。

 九葉の声は決して大きくはなかったが、その一言には、決して短くはない時間で培われた、単純ではない、言霊めいて強い何かを感じ取ったのだ。

「時空を跳梁し、因果を捻じ曲げ、人の魂を喰らい、地を穢す異形のモノたち。『鬼』を討つことは、我らが祖先より脈々と受け継いだ使命であり、『鬼』より人の世を守ることが『鬼ノ府』(モノノフ)の存在意義だ」

 それは、阿羅彦に語って聞かせているようであり、心の内を掬い取った独白のようでもあった。

 九葉はモノノフから剥ぎ取った衣や武具をてきぱきと身に着けてゆく。

「鬼を討ち、この戦いを人の勝利で終わらせる。たとえ、どんな犠牲を払おうとも。その本懐を遂げるために、私はここに来た」

 阿羅彦は九葉の話を、まるで異国のお伽噺か何かのように聞いていた。

 初めて出会った時、九葉は自分たちと同じだと思っていた。けれど、彼は自分とは全く違うものを見て、まったく違うことを考えて、全く違うことを成し遂げようとしている。

 そんな彼のいる世界は、少年がこれまで知りもしなかったものであった。

 少年は夢想する。研ぎ澄まされた刃のような九葉の瞳は、何を映しているのだろう。彼の見つめる世界で、自分は、そして弥紗は何をしているだろうか、と。

「それとは別に、今は極力流血を控えよ。後に、いやと言うほど流すことになる」

 九葉は長い白髪を高い位置で結い上げ、仮面を装着し―――

「…少々(くさ)いが、我儘を言える状況ではないな」

 仕上げにそう呟いて、太刀を佩いた。

 こうして、セキレイの里のモノノフへの偽装は完了した。

 この姿であれば、堂々と里を出歩いても、顔見知りにでも出会わない限り、正体を見破られることはない。

「九葉様、僕のは?」

 と、阿羅彦が言った。

「お前に似た体格のモノノフは、この里にはおらぬであろう」

 九葉は仮面の下からにやりと笑った。

 なんだかずるい、と不満そうに少年が呟くと、

「お前は屋根から私の後を追い、後ほど合流しろ。これより祠へ向かうぞ」

 と言って、セキレイのモノノフの姿を借りた九葉は颯爽と歩き出した。

 

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