暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(三)

 璃庵の予告通り、屋敷では早華の帰還と九葉の歓迎、そして二人の婚約を祝う『ささやかな』宴が催された。ただし、ささやかと呼べたのは、宴に参加した人数のみであった。

 主役たる九葉と早華の二人に、早華の両親である更鵠(こうこく)詩音(しおん)、お頭の堂衛、その妻である百合(ゆり)、息子の鵬翼(ほうよく)と娘の(すい)。この八名だ。要するに、親族ばかりだ

 しかし、九葉たちが通された客間は、全国のお頭たちを収容しうる御所会議が開かれる、霊山本部の大広間に匹敵する広さを持ち、目の前に並べられた料理は、到底八人で平らげる量ではなかった。

 巷では幻と謳われる美酒の数々に、牛や豚の肉が山と盛られた西洋の料理。近海で獲れた新鮮な魚は職人が目の前で捌き、さらには、いかなる手法でこのような山里に持ち込まれたのか、氷菓子までもが山と振舞われた。

 食だけではない。天女もかくやという美しさの芸伎たちが艶やかに舞い、唐土の曲芸師が次から次へと現れては人間離れした技の数々を披露し、更にその西方より来た者たちは虎や獅子などの猛獣を使役し、芸をさせた。

 里の者たちへの慰労にしても十分に破格といえる催しだが、これらはすべて、九葉と早華の為だけに手配されたものだという。

 霊山はおろか、日の本を探しても、これほどの贅を尽くした宴は見られないのではなかろうか。

 九葉は驚きを通り越して恐ろしささえ感じたが、主賓の片割れたる早華は、出される料理に悉く箸を突っ込んでは舌鼓を打ち、目の前で繰り広げられる美技・奇術の数々に目を輝かせ、しきりに拍手と声援を送っていた。

「よ~ぉ、飲んでるぅ?」

 (しん)より渡ってきた楽士が優美な二胡を奏でていると、お頭の長男、鵬翼が、葡萄酒の瓶を脇に抱え、千鳥足で九葉に近づいてきた。

 年は確か、九葉より二つ下といったか。

 かなりの酒が入っているのか、顔は赤の染料に顔を突っ込んだように血が上り、目はうつろで、だらしなく見える。栗色の癖毛はばさばさに乱れ、玉虫色の着流しが大きくはだけていていても気にするそぶりはない。衣服から覗く胸板や手首は薄く、文官の九葉のほうが逞しいくらいで、あの歴戦の猛者たる堂衛の血を引いているとはとても思えない。

 とうい辛辣な評価を、九葉は能面じみた微笑の裏に押し隠し、

「堪能しております」と言った。

「ぎゃっはははははは! まっじめ~~~~!」

 鵬翼はなぜか九葉を指さして爆笑した。

 しかも、それだけでは飽き足らず、勧められてもいないのに九葉の隣にどかっと腰を下ろし、馴れ馴れしく肩を組んできた。完全に酔っぱらっている。

 強烈な酒の臭いが鼻の奥を刺し、九葉は思わず顔をしかめた。だが、鵬翼はわかっていないのか、それともわざとやっているのか、葡萄酒の瓶をぐいと煽り、大きく喉を鳴らして飲み干し、酒臭い息を九葉の顔めがけて、はぁ~~~~、と、長い時間をかけて吐きだした。

「親父から聞いたんだけど、あんたさぁ、霊山では結構できる方なんだって? なんか天極(てんぎょく)さんも一目置いてるとかぁ」

 天極(てんぎょく)。その名を聞いたとき、九葉は顔を強張らせた。

 霊山軍師・天極。霊山内の最大派閥の長にして『霊山の大天狗』の異名を持つ老獪な策略家。彼の意には霊山君も逆らうことは難しい、『鬼ノ府』における事実上の最高権力者である。

「とんでもない、天極様は私のような若輩にとっては雲上の―――」

「やっぱり将来はアレ? 霊山出世すんの? ぎゃはっ、霊山出世て、霊山出世てなんだよ!」

 鵬翼は九葉の話を遮って言い募り、そして勝手に笑いだした。『霊山での出世を狙っているのか?』と、彼は問いたかったらしい。

 九葉は「程々に」と答えようとしたが、それが音になることはなかった。なぜなら、鵬翼が長く大きなげっぷをしたからだ。それが下水じみた悪臭を放っていたため、息を止めざるを得なかったのだ。

 しかし鵬翼は九葉の沈黙を一顧だにせず、一方的に喋り続けた。

「だったらさぁ、あんた、俺と仲良くしておいた方がいいよぉ? だってぇ、俺ってぇ、次のお頭だからぁ」

「お頭?」

 九葉は首を傾げた。

 捉え方によっては、鵬翼の発言は不穏極まりないものであったからだ。

 現在のお頭たる堂衛に健康上の問題があるという話は聞いたことがない。にも拘らず、自分こそが次のお頭などと断言するとは、まるで彼が、実父の更迭と、お頭選儀の不正操作を同時に企てているようではないか。

 それを理解しているのかいないのか、鵬翼は「そう、お頭~~」と、呂律の回らない口調で言い、

「俺のじいちゃんがお頭でぇ、その次に親父がお頭になったからぁ、流れ的に次は俺っしょ~~」

 ゲラゲラと笑った。

 九葉は困惑した。

 里のお頭は、まず、希望者が推薦人を集めて立候補し、数週間の選挙期間を経て、里の者たちの投票で決定される。歴史の影法師に生きる人々にとってはごく当たり前のことだ。

 いくら酒の席とはいえ、お頭の世襲制を明言する鵬翼の気持ちが、九葉には全く理解できなかった。

 もちろん、彼とてセキレイの里の住人だ。堂衛が何らかの理由で職務の遂行が不可能になれば、速やかにお頭選儀が執り行われ、その際には彼にも立候補する権利が生じる。最大票を獲得できればもちろんお頭になれるわけだが…もしそうなってしまったら、里の者たちへの同情を禁じ得ない。

「お頭になりたいなら、まずはその酒癖を直し、毎日の鍛錬に出席しろ」

「いででででででで!」

 ずん、と二人に影が差し、同時に鵬翼が悲鳴を上げた。いつの間にか堂衛が背後に立っており、息子の耳を容赦なく引っ張ったのだ。

 鵬翼は悪態をつきながらふらふらと逃げ出し、たまたま近くにいた見目良い女中に絡み出した。

 やれやれ、と堂衛はため息をつき、息子が座っていた場所にどかりと腰を下ろした。すなわち、九葉の隣に。

「すまんな、悪い奴ではないのだが、あの酒癖はなかなか治らん」

「明るい酒を知らぬ私を気にかけてくださったようです」

「気を遣うな、もうじき家族になるのだから」

 堂衛は太い笑みを浮かべた。息子と違い、彼は酒に飲まれていない。

 彼は大きな手に徳利を持ち、九葉に酒を勧めた。

 いただきます、と九葉は頭を下げて空になった硝子の杯を差し出した。

 堂衛はそれになみなみと酒を注ぎ、次に自らが持ち込んだ大枡にもいっぱいに注いだ。そして、豪快に煽った。

 九葉は杯の縁に唇をつけ、飲む素振りだけをした。

 この酒は間違いなく逸品だが、こうも節操なく振舞われては、せっかくの風味は潰れ、ただの劇物となり下がる。

 はーーーっ、と、堂衛は酒精の籠った息をつき、

「どうだ、この里は」

 おもむろに九葉に訊いた。

「素晴らしい里です。街並みは美しく整えられ、人々には活気が溢れている。これはお頭の計らいだと璃庵殿から伺いました」

 九葉は居住まいを正し、本日通りかかった街並みを眼裏に描きながら答えた。

 ほう、と堂衛が軽く目を見開く。

「特に西洋文化を積極的に取り入れ、これほどまでに里の暮らしに溶け込ませるとは。私もについては日々研究を重ねておりますが、お頭の手腕はお見事と言うほかありません」

 九葉が見解を述べ終えると、堂衛は太い苦笑を漏らした。

「胸を張りたいところだが、これは軍師・天極の方針だ」

「なんと」

 驚きの声を上げると、堂衛の黒い瞳が、鯉口から覗いた白刃めいた光を放った。

「今、夷狄の軍隊が外様の界隈を騒がせていることは知っているな」

 九葉は頷いた。

 知っている。ここ数年、大海を越えた先にある諸外国の船が押し寄せ、日の本を我が物にせんと画策しているらしい。その対応で『表』の事実上の統治機構たる江戸幕府は大わらわだ。

「真に恐れるべきはその軍事力よ。幕府の大老は一指揮官の前に容易く膝を屈した。奴らの強さは、もしかすると我々の持つ力をも凌ぐかもしれぬ」

 夷狄どもの航海技術、未知の戦術と兵士たちの練度、大砲を始めとする銃火器の威力、射程距離。長らく鎖国体制を取っていた日の本が進化の波から取り残されたこともあいまって、歴史の表の人々にとっては理解をはるかに越えるものだった。まるで“鬼”のように。

「近いうちに、日の本が大きく様変わりする凶事が起きよう。その余波は我らの体制にも及ぶ可能性が極めて高い。いや、それだけならまだよい、我々『鬼ノ府』も外国に食い荒らされるやもしれぬ。それだけは断固回避せねばならん」

 これに関しては九葉も同意見だった。列強諸国は卓越した技術力に支えられた圧倒的な軍事力で以て世界の国々を征服しているという。その文化を破壊し、財を毟り取り、民を虐殺し、あるいは奴隷として使役している。奴らが『鬼ノ府』に目を付けたならば、モノノフも、ミタマも、神垣ノ巫女も、これまで歴史の影で培ってきた奇跡の数々は根こそぎ奪われ、そして失われるであろう。

 そうなったとき、人は、”鬼”と戦う手立てを失う。

”鬼”の侵攻を長らく止め、”鬼”と戦う術を知るのはモノノフだけだ。

”鬼”を知らぬ夷狄どもが、”鬼”と戦う術を知るはずがない。

 すなわち、『鬼ノ府』の滅びは、人の世の終わりを意味する。

「故に、天極殿はこの里を夷狄どもの防波堤とすべく、我らに再開発を命じられたのだ」

 曲がりなりにも、この里には外様との極秘裏の対話系統を担ってきたという歴史がある。西洋の列強と渡り合うには、まず西洋を知らなければ何も始まらない。堂衛はそう語った。

「天極様の慧眼には、恐れ入るばかりです」と、九葉は相槌を打った。

「まったく同感だ」

 堂衛は深く頷き、静かだが、強い口調でこう言い放った。

「父祖より受け継いだ歴史を、英雄たちのミタマを、我が家族たちを、夷狄どもに蹂躙させはせんぞ。この堂衛の命にかけて」

 彼の黒い瞳が鋭く光る。ここにはない遥か遠くの敵を見据えて。

 家族を守る、その言葉には強い決意が宿っていた。

 やがて堂衛は我に返り、九葉から目線を反らして照れたように笑った。熱く語ったことが、今更ながらに恥ずかしくなったようだ。彼はそれを誤魔化すように、改めて九葉に話しかけた。

「なあ、九葉殿、家族はいいものだぞ。剣しか能のなかった荒くれ者の俺に、希望と責任感を与えてくれた」

 堂衛は少し離れたところで宴を楽しむ家族に目線を向ける。その眼差しは、先ほどとは打って変わって、穏やかで優しいものだった。

「家族は、無条件で己の命よりも大切だと思える、数少ないものだ。いかな大義名分を掲げようとも、結局人は己が血に拠り所を求める。血の為に奮い立ち、血の為に優しくもなれる。故に俺は願うのだ。俺の子、孫、そのが豊楽長久たれと」

 早華が女中への狼藉が過ぎた鵬翼を叱っている。目下の者には横柄な男だが、早華には頭が上がらないらしい。

 堂衛は一度くすりと笑い、身体ごと、九葉に向き直った。

 そして、深々と頭を下げた。

「お頭」

 九葉が慌ててたしなめるが、堂衛は我が子ほどに年の離れた青年につむじを見せたまま、頑として動かなかった。

「九葉殿、くれぐれも早華を頼む。あいつは俺の姪で、幼いころからよく知っている。俺の息子と娘にとっては姉のような存在だ。どうか、あいつを幸せにしてやってくれ」

 九葉が知る剣豪・堂衛の評判は、力ばかりを恃みに、眼前の全てを蹴散らす猛者であった。しかし、真実は違うようだ。家族を想う心こそが、彼を中つ国きっての豪傑たらしめていたのだろう。

「肝に銘じます」

 九葉は、静かだが、よく通る声で告げた。

 ようやくお頭が顔を上げた。二人の目線に、爽やかなものが行き来した。その時、

「殿方同士の難しいお話は終わりまして?」

 ねっとりと絡みつくような女の声が割って入った。

 堂衛の妻・百合(ゆり)と、娘の(すい)だ。

 百合は女の割にはすらりとした長身で、濃い化粧の載った貌は、五十近くという年齢にも拘らず美しい。若い頃は数多の男を虜にしたことは、想像に難くない。花鳥風月が飛び乱れる極彩色の打掛を纏い、量の多い栗色の髪はたくさんの宝石や羽飾りで彩られている。

 早華の母・詩音とは対照的であった。

 娘の彗は母親の雛型のようないでたちで、違う点と言えば顔が百合よりも若く瑞々しいことくらいか。

「これは、奥方様、お嬢様」

 一歩退いて頭を下げる九葉を二人の女は、値踏みするような目で九葉を見下ろしていた。

「ようやくお話しできますわね、九葉さん。早華ちゃんからあなたのことを聞いて、ずっとお会いしたいと思っておりましたのよ」

 百合が満面の笑みを浮かべて言った。先ほど詩音にも似たようなことを言われたが、こちらには、蛇の女怪めいた気味の悪さを感じた。彼女もかなりの酒が進んでいるせいだろうか。

「この度はお忙しい中、私のような余所者のご来訪を許可していただいただけでなく、このように過分なおもてなしまでいただき、恐悦至極に存じます」

 九葉が深く頭を垂れて謝意を述べると、百合は艶然と微笑んだ。男に傅かれることに慣れている。

「ふぅん、近くで見るとイイ男なのね。私の香蘭(こうらん)様には負けるけど」

 そう言って、膝をつき、にじり寄ってきたのは娘の彗だ。

 彼女も酔っているのか、秋華によく似た美しい顔はとろりと虚ろだ。

 金粉や宝石の欠片で彩られた長い爪が九葉に伸び、まるで海外の珍獣でも愛でるように頬をつつく。

 九葉は居住まいを正すふりをして彗から距離を置き、

「彗様、この度は、百鬼隊一番隊副長・香蘭殿とのご婚約、誠におめでとうございます」

 と、改めて頭を下げた。

 彼女は九葉たちに先立って、将来を嘱望される霊山の俊英との婚約が決まっていた。九葉としては、ここで敢えて婚約者の名を出すことで彗をけん制したかったのだが、残念ながら彼女には通用しなかった。

「そうなの、香蘭様ったら、私にぞっこんなのよ!」

 と歓声を上げ、ますます九葉ににじり寄った。

 しかもそれだけでは飽き足らず、九葉の腕に絡みつき、目にも痛い桃色の振袖の奥の乳房を押し付けてきた。

 九葉はすんでのところで舌打ちを堪えた。

「ふぅん、文官って聞いてたから、鵬翼兄さまみたいにひょろっとしたのを想像してたけど、意外と筋肉ついてるのねぇ」

 九葉の胸に無遠慮に手を伸ばし、べたべたと触り始める。

 見かねた堂衛が口を開こうとしたとき、

「ちょっと彗ちゃん! 九葉は私のなんだからね、触らないでよ!」

「きゃあ!」

 金切り声と同時に彗が九葉の腕から引き剥がされた。

 早華だった。

 彼女は尻もちをついた彗をつり上がった黒い瞳でキッと睨みつけ、九葉の腕に強くしがみついた。

「なによ、早華姉さまったら、そんなにムキにならなくても…ちょっと触っただけじゃない」

 彗が起き上がりながら早華を睨みつけると、

「ちょっとでもダメ! 絶対ダメなんだから!」

 早華は九葉にますます強くしがみつき、顔を真っ赤にして怒鳴った。

 彼女はいつも、九葉に対しては「まったくもう」「しょうがないわねぇ」と、何かにつけて説教をしたがるが、彼の近辺に異性の影が近づくと、このように烈火の如き悋気を見せる。

 それは、昔から知っている妹のような女性に対しても変わらなかった。

 早華の剣幕に触発され、彗が眦を吊り上げて何かを言おうと口を開いたとき、

「彗」

 ようやく堂衛が割って入った。

「今日の主役は早華と九葉殿だ」

 低く落ち着いた、しかし厳しさをわずかに効かせた声でたしなめると、

「…、はぁい」

 彗は頬を膨らませ、引き下がった。

「それにしても九葉さん、お若いのにしっかりしてらっしゃるのねぇ、感心だわぁ」

 今度は入れ替わりに百合が話しかけてきた。彼女はしなを作って酒を勧めてきたが、九葉はさりげなく杯を遠ざけてこれを断った。

「今日だって霊山のお仕事を休んでセキレイくんだりまで来てくれたんでしょう?」

「薄給故、婚儀では大掛かりなおもてなしができぬと思い、挨拶ばかりは早めにと馳せ参じました」

 慎ましく頭を下げると、百合はころころと笑った。

「大丈夫よ、お金なら私たちが出してあげるわ。早華ちゃんの晴れ舞台だもの、霊山の姫君にも負けないくらい豪勢なお式にしましょう」

「ちょっと母様、それって私の時よりも?」

 彗が眉を吊り上げて話に割り込む。

「まさか。あなたたちの結婚式は、必ず母様が世界一にしてあげるわ」

 と、娘を宥めた後、百合は、そうだわ、と手を叩いた。

「あなたたちと、早華ちゃんたち、二組同時に式を挙げるのはどうかしら!」

「それはいい考えだわ、母様! 一層華やかになるものね!」

 母の提案に娘は顔を輝かせて頷いた。

「ねえねえ、一の服飾師を呼んで私たちの衣装を仕立ててもらうのはどう!?」

「それなら菓子職人も呼んでお菓子を作らせましょう。この広間の畳を全部埋めるくらい」

 母娘の話は、九葉にとってはちらと予想するだけで頭痛を伴うものだった。いったいどれほど金を使うつもりなのか。

 それだけならまだしも、

「じ、じゃあ、わたしはねぇ、わたしはねぇ、キラキラした宝石たくさんつけて、ふわふわした白くて甘い…くりーむ? をたくさん使ったお菓子が食べたい!」

 早華が九葉の腕からするりと離れ、女たちの話に加わった。

 酒も回っているせいか、女たちは話を大きく膨らませてゆく。こと宝飾と甘味に関しては、先ほどまでいがみ合っていた早華と彗華でさえ肩を組み、あれやこれやと出し合った互いの企画を褒め合っている。

 普段、好き嫌いや食べ残しを目ざとく見つけて注意する彼女は、霊山の書記官仲間からは「家庭的」だの「いい奥さんになりそう」などとからかわれ、本人もまんざらでもなさそうにしていたが、こういうところを見ると、この家の一員なのだな、と九葉は実感する。

 …いや、本当は目くじらを立てる必要はないのかもしれない。言葉にするだけならば自由だ。そもそもが、酒の席の戯言なのだから。

 九葉は自らにそう言い聞かせたが、

「俺は甘味は好きじゃないんだがなあ」

 と、素面に近い堂衛の苦笑交じりの一言に、うすら寒いものを感じた。

 それにしても…と、九葉はふと思った。

 飽食の罪をそのまま形にしたようなこの宴は、いつまで続くのだろうか?

 ただ飯を食らっている分際でこう言うのもなんだが、そろそろ愛想笑いを浮かべるのも疲れてきた。

 角を立てずにここから抜け出したいが、何かよい方法はないものか?

 一人密かに頭を悩ませていると、背後から、しくしくとすすり泣く声が聞こえてきた。

 何事かと振り返ると、百合たちの苛烈な贅沢討議から一歩退いたところでほのぼのと酒を飲んでいた詩音が泣いていた。「おいおい母さん」と、夫の更鵠が慰めている。

「どういたしました、お体の調子が悪いのですか?」

 九葉はすかさず詩音に声をかけた。驚いたのは事実だが『これ幸い』という思いもあった。話の運び方によっては、彼女の体調不良を理由にこの極彩色の喧騒をお開きにできるかもしれない。

 という九葉の願望は、更鵠の人の好い笑顔よって無残に打ち砕かれた。

「お気遣いなく、九葉殿。妻は泣き上戸でしてね」

 詩音は手拭いで目元を拭い、

「ごめんなさいね、びっくりなさったでしょう。でも…嬉しくてねぇ…、あのお転婆な早華が…お嫁に行くなんて…」

 詩音の涙はあとからあとから零れ落ち、留まることがない。

 そうして、一度ぐすりと鼻をすすり、彼女はこう言った。

「ほんとに、生きててよかった…」

 彼女の声は、注意を払ていなければ聞き逃してしまうほど、小さな声だった。

 しかし、その瞬間、早華を除く家族一同が、はっと息を呑んだ。

「ちょっとお母さん、大袈裟過ぎよ、まだ式も挙げてないのに。こんなところで泣いてたら、孫が生まれたりしたら病気になっちゃうわよ!」

 早華は母の肩を叩いて笑った。少なくはない酒を含んだ彼女は、家族の些細な変化には気づかなかったようだ。

 直後、かしゃーん! と、陶器が割れる甲高い音が響いた。

 更鵠だった。杯を手からこぼしてしまったようだ。

 艶やかな白磁が粉々に砕け散り、中身が膝や新しい畳を濡らしても、彼は見向きもしない。顔からは酒気も血の気がうせ、大きく見開かれた瞳は、愛娘を凝視していた。

「そ、早華……、まさか、お前、もう……」

 蒼白になった唇で、更衛はそう言った。

「へ?」

 訳が分からず早華は首を傾げた。

 しかし九葉は頭痛を覚え、額を抑えた。

 更鵠の脳裏をよぎった言葉に察しがついたからだ。

 違う、断じて違う。これは、言葉の綾だ。

 彼は婚約者の父にそう訴えたかったが、委細を口にするのは憚られた。生々しくて。

 早華が問うように九葉を見たが、無言を貫いた。

 彗が「あっ」と息を呑む。どうやら分かったらしい。彼女はぎりぎりと歯噛みした。

「嘘でしょ!? お子ちゃまだとばかり思ってたのに、先を越された…!?」

 彼女の化粧が濃い顔に、九葉は憎しみを抱いた。

 さらに、鵬翼がねちっこい笑みを浮かべ、なれなれしく九葉の肩に腕を回した。

「なぁるほどねぇ~~~、むっつりしてても、やることはきっちりやってるってわけかぁ~~~」

 と、含みを持たせた口調で言った。

 九葉は彼の薄い胸板を思い切り突き飛ばしそうになるのを必死になって堪えた。

 早華の表情が変わった。

 ぽかん、と口を開け、次いで、頭の先からつま先まで、さぁ~~っと赤くなった。

 ようやく空気の流れを理解したらしい。

 父はこう訊いたのだ。

 孫は、もういるのか?

 お前の、腹の中に?

「お…お…おバカぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~!」

 早華は、広大なお頭の屋敷はおろか、セキレイの里中に響くような大声で叫んだ。

 彼女のキンキン声は、五感を痛めつけられた九葉にとって眩暈がするほど喧しかった。

「ちちちちちち違うわよ! 今のは、あくまでこれからの予定って意味で、私はまだ…!」

 早華は顔を赤らめたままバタバタと座敷を走り回り、妊娠を否定したが、他の者たち―――主に堂衛一家は意味ありげな笑みで頷くばかりだった。

 九葉はその小煩い寸劇を、醒めた内心で見守っていた。

 そんな風に慌てふためきながら違う違うと並べ立てても、カモにしかならない。

 そもそもあり得ないのに。早華と自分の子どもなんて、絶対に。万に一つも。

 彗がひどく冷静な声で、早華に蜂の一刺しのような一言を放った。

「じゃあ、シてないの?」

「――――――」

 早華が凍り付いた。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」

 更鵠が白目を剥いて斃れた。

「お、お父さん、しっかり!」

「お前たち、何をぼさっとしているの! 気付け薬を早く!」

 詩音が悲鳴を上げ、百合が厳しく女中たちを叱りつけた。

(……頃合いであろうな)

 九葉は内心で呟いた。

 大わらわとなった現場で、九葉は鵬翼の腕からさりげなく抜け出してさっと立ち上がり堂衛に尋ねた。

「少々酒が過ぎたようです。厠をお借りできますか」

 下世話な話の標的にされて居心地の悪さを感じた未来の婿。それが今の自身の役どころだ。

「ああ、構わんよ」

 彼は、同情的な苦笑を浮かべて頷いた。

 許可を得るや否や、それでは、と、九葉はそそくさと客間から逃亡した。

 襖を閉め切ると「待ちなさいよ、九葉!」と早華の金切り声が飛んできたが、聞こえないフリをした。

 

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