暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(四)

 客間から離れ、喧騒が遠ざかったところで、九葉はどっとため息をついた。

 ようやく人心地着いた、という感じだ。

 もともとああいう喧しい場は好きではないうえに、お頭一家の目にも胃にも重い贅沢主義にはついていけなかった。

 ヒヤリと冷たい廊下が足裏に気持ちいい。春先の風の冷たさが、節操のない酒と料理で痛めつけられた身体を癒す。

 城に案内された頃には青空が残っていたが、今はすっかり闇で閉ざされている。すでに日付は変わっているようだ。

 九葉は客間に充満した酒気でヒリついた双眸を叱咤し、前を見据えた。

 この里はおかしい。

 このセキレイの里の在り様と、お頭一家と過ごしたひとときを総括し、九葉はそう結論づけた。

 まずは、里の異常な西洋化。

 軍師・天極の命により外国への備えとして改革を行った、とお頭は説明した。しかし、外国の脅威に対抗するためにまず手をかけるべきは軍事面であるべきなのに、里にそれらしきものは見られなかった。銃火器をはじめとする防壁の備えはここより小規模な里と比べても後れを取っているし、里の外周の堀も、里の近くを流れる川も、ろくに整備されていなかった。

 市井の経済を活性化させることで外貨を稼ぐつもりか? にしても、店先はあまりにも享楽的に過ぎる。

 次に、お頭一家の金遣いだ。あの宴に供された諸々の人や品、技の費用を相場で計算すれば、通常の里の半年分の運営予算に匹敵する額となる。しかしあの一家はそれを当たり前のように消費し、まだまだ余剰があるそぶりすら見せていた。

 この地理条件で、この規模の市場で、この収入?

 あり得ない。

 うちでの小槌でも手に入れたのか? それとも、座敷童でも囲っているのか?

 そんな冗談を持ち出さなければ説明がつかないほどに、あの一家には金が集まっている。

 何か仕掛けがあるはずだ。しかも、とてつもない仕掛けが。

 いつしか九葉の足は、宴会場から遠く離れた回廊を歩いていた。

 ここから先は照明の数が少なくなっている。そのせいか、空気ががらりと変わった。

 塵ひとつなく磨き上げられた、真新しい回廊を縁取る朱塗りの柵が暗がりにぼんやりと浮かび上がり、向かう先に闇が溜まっている。

 九葉はそれに誘われるように先へ進んだ。

 一歩踏み出すごとに、物音が、生き物の気配が薄くなってゆく。

 外に目を向けると、広い池泉にかぶさるように楓が伸びた純和風の庭園がひっそりと闇に沈んでいる。

 空は雲がかかっているため月は見えない。

 九葉は廊下を歩く足を速めた。

 与えられた時間は少ない。

「道に迷いました」という言い訳が通用するのは一度きりだ。

 これからの行動が、これから目にするものが、今後の己の運命を決定づける。

 見つけなければならない。

 この里の矛盾の象徴となる、何かを―――

―――がさり。

 庭で、枝が大きく揺れる音がした。

 九葉はすかさず近くの柱に身を隠した。

 野の鳥にしてはあまりにも大きな音だった。

 空き巣か? それとも、お頭の密偵か?

 柱の陰からそっと池を窺う。

 風が出て雲が流れ、月が姿を現した。

 庭園が―――池が、植木が、青白くその輪郭を縁取られる。

 そこにいる人物も。

 九葉は目を瞠った。

(子ども……?)

 そう、子どもだったのだ。音の正体は。

 十歳前後と思しき少年が、池泉の上に長く伸びた楓の太い枝に腰を下ろしていた。

 彼は一切着物を身に着けていなかった。裸だった。

 暦の上では春になったとはいえ、夜になると冬の寒さがしつこく息を吹き返し、しっかり着込んでいても出歩くと震えが来る。そんな中、彼は生まれたままの姿に冷たく澄んだ月の光を受け、ぶらぶらと足を遊ばせていた。

 彼はそうやって気ままにはらはらと葉を落として、水面に波紋を描いていたが、何を思ったか、勢いをつけて枝から飛び降りた。

 九葉は柱の陰から飛び出した。少年の小さな体は、夜の冷気で冷やされた水中に落ちると思ったからだ。池が深ければ溺れてしまう。

 しかし―――大きな水しぶきはあがらなかった。水面は、ひときわ大きな波紋をいちど広げ、少年の体を受け止めた。

 彼は水の上に立っていた。

 夢か幻のような光景から、九葉は目を離すことができなかった。

 足の指先で水面を蹴って小さな波を立て、そこに浮かぶ白い月や庭木の影を乱して戯れ、なにか興味をそそるものでも見つけたのか、水面に裸の膝をつき、身をかがめた。

 長い射干玉(ぬばたま)色の髪が水面に触れ、錦のように広がる。

 指先が水面に映った月に触れ、そのまま深く片腕を水中に差し込み―――顔を上げた。

 立ち上がり、振り向いた―――水上から九葉を見た。

 ふたりは、互いを認識した。

 九葉は息を呑んだ。

 少年の顔は、これまで九葉が見たどの人間よりも、美しかったからだ。

 一つ一つでも十分に見る者の目を惹きつけて離さない流麗な造りの目鼻が、子どもらしい柔らかな輪郭の中、これ以上はないという絶妙な配置で納まっている。

 小さな平たい体は、少年ながら柔らかな筋肉を纏い、均整が取れており、濡れた白い肌は自ら淡く輝いているかのようだった。射干玉色の長い髪がなだらかな胸やまろい肩に貼り付き、一層白さを際立たせている。

 白と黒。彼を作る色彩はただそれだけでありながら、その美しさは洗練されていて、ただ彼がそこに佇むだけで、陰鬱な庭すらも、超越した存在を降ろすための舞台のような神秘性を宿した。

 九葉を見つめる双眸は、髪と同じ射干玉色。見つめていると魂を吸い込まれそうで第六感が警鐘を鳴らすが、しかし、目を離すことができない。

 一糸纏わぬ姿を見知らぬ相手に晒し、平然としている様子がまた、人ならぬ異様さを醸し出し、九葉でさえ気圧されした。

 長じれば、女おろか、男すらも虜にし、道を狂わせるであろうことは想像に難くなかった。

 傾国、否、傾世の美。

 美貌、否、魔貌と呼ぶべきか。

 そもそもこれは、人なのか…?

 そのような疑問が胸中で頭をもたげたとき、整いすぎた唇が、動いた。

 話しかけたのだ、九葉に。

 天上の琴のように高く澄んだ声で、彼はこう言った。

「あなたも、僕と同じなの?」

「なに……?」

 どういうことだ?

 この子どもは、何を言っている?

 九葉は無意識のうちに身を乗り出した。

 すると少年は、深淵を思わせる瞳で九葉を見つめたまま、こう続けた。

「心を殺して、嫌なモノと絡み合ってる」

 気を抜けば逃してしまいかねない小さな声だった。しかし、確実に聞こえた。

 ぞわり、と、心臓が毛羽立った。まるで、超越した存在に瞬く間に生皮を剥がされたかのように。

 そして、九葉はここで初めて気づいた。犯しがたい輝きを放っていると思われた彼の肌の至る所に、大小の痣が散っていることに。特に華奢な手首と喉許には、締め上げられたような跡がくっきりと刻まれている。その形はまるで―――

「おい、そこで何をしている」

 背後から厳しい声をかけられ、九葉は体を強張らせた。

 気が付けば、武装したモノノフの一団に包囲されていた。

 ざっと見たところ三十人はいる。

 こう見えても九葉はモノノフ訓練生だったこともある。故に敵の接近には睡眠中でも勘付くが、彼らについては、声をかけられるまで気付かなかった。自分で思っている以上に酒がまわっているのか、あの少年によほど意識を奪われていたのか、それとも…彼らが隠密の技に長けているのか。

 彼らは思い思いの武器を構えて九葉に敵意の目を向けている。遠くから矢をつがえ、狙っている者もいる。しかし、防具は揃いだ。槐色の袴といぶし銀の胸当てに、くるぶしまでを守る月白の佩楯に、薄く鍛えられた藍鉄を何枚も重ねられた肩当ては、左側だけに大きな鬼の角が固定されている。

 少年のほうに目を向けると、こちらも確保されていた。二人のモノノフが池泉に入り、彼の両脇を抱えて引き揚げていた。

 ここで初めて、少年が立っていた場所に、池泉から小さく頭を出している庭石があることを知った。

 水上に立っているように見えたのは、こちらの勘違いだったのだ。

 手間かけさせやがって、だの、早く上がれ、だの、乱暴な口調で急き立てられ、少年はぺたぺたと濡れた足跡を残して奥へ消えた。

 その姿を見て、なんだ、人間なのか、とどうでもいい感想を抱いた。

 誰何の声を放ったのは、部隊の先頭に立つ、黒髪を無造作になでつけた、無精髭の大柄な男だった。背丈だけではなく、体つきも九葉より一回り大きく、手足も長い。

 彼は一切の交渉を拒むように盾を構え、剣の切っ先を九葉に向けている。

 異国人を思わせる彫の深い顔にはいかなる表情も浮かばず、ただ、九葉を見据える暗褐色の瞳ばかりが冷たい。

 九葉はゆっくりと両手を高く上げて抵抗の意思がないことを示し、慎重に口を開いた。

「あなた方は、セキレイの里のモノノフか」

「いかにも」

 答えたのは、例の大男だった。他の者たちは、九葉に得物の切っ先を定めつつも、じっと男の動向を窺っている―――号令を待っているのだ。どうやら、彼がこの部隊の長のようだ。

「あなたは早華様の許嫁だな。このようなところで、何をなさっておいでかな?」

 九葉のことは知っていたらしい。それでいてこの対応である。早華の名を盾にしようとも、返答を誤ればこの身はあの剣の錆となり果てるだろう。

 九葉は早速例の言い訳を使った。

「厠を探していたのですが、道に迷いました」

「道に、ねぇ…」

 男は剣を向けたまま訝しんだ。

「不思議なことがあるものだ。豪壮絢爛たる霊山本部にお勤めのお偉方が、こんな片田舎の成金屋敷で道に迷われるとは」

「本部には通っておりますが、未熟者故、隅の一角にしか出入りを許されておりませぬ」

「なるほど……」

 男は何かを含んだような声で独り言ち、しばし探るように九葉を見つめ―――剣を納めた。

 それに倣い、他の者たちも得物をしまった。男が軽く目配せすると、彼らはいっせいに退いた。統制の取れた動きである。

「ついてこられよ、厠へ案内して差し上げる」

 静かになった回廊で、男は短く九葉に言った。

 今回は大目に見られたらしい。

 

 無精髭の男は途南(となん)と名乗った。

 彼は本当に九葉を厠へ連れて行き、用を済ませた後も、客間までの付き添いを申し出た。これ以上の勝手は許さぬ、ということらしい。

 九葉としても、今日は探索を続ける気がなかったため、大人しく従った。

「先ほどの対応だが、悪く思われるな。あれが我々の仕事なのだ」

 客間へ続く廊下を歩きながら、途南はそう言った。

「私は人相が悪いと、早華によく言われます。やはり、ならず者に見えましたかな?」

 九葉が自嘲気味に言うと、

「そうではない。神垣ノ巫女・弥紗(みしゃ)様のご命令だ」

 と、途南は説明した。

「弥紗様はいま、病に伏せておられる」

「なんと」

 九葉は驚きの声を上げた。

『神垣ノ巫女』は、霊山からモノノフの里へ派遣される、超常の力を行使する女性たちのことだ。通常、一つの里に一人が派遣され、そこで「結界」を張り、人々を”鬼”の侵攻と瘴気から守り、「千里眼」を用いて残留思念から遥か彼方を見通す。

 その能力・職責故に彼女たちは人々からの尊崇を一身に集めている。また、里ではお頭に次ぐ権限を持ち、何らかの理由でお頭の座が空席となった場合は、次のお頭が決まるまでの間、(まつりごと)を担うこともある。

 その『神垣ノ巫女』が病床に臥しているとは、里にとっては一大事である。にもかかわらず、九葉は初耳だった。早華からは、一言も聞かされていない。

「巫女様の加減はいかがですか?」

「芳しくない。手は尽くしているが、悪化するばかりだ」

 途南は眉間にしわを寄せ、苦いものを含んだ声で答えた。

「故に弥紗様は、結界の維持のみに集中したいため、御座所へは鼠一匹通すなと我らにお命じになられたのだ」

「あれより先は、巫女様の御座所だったのですね」

 呟きながら、九葉は先ほどの彼らの剣幕を思い出す。戦に備えねばと嘯くこの里で、初めて戦の香りがするものを見つけたが、それは鼠取りだった。

(鼠取りも豪華なところは、贅沢主義なこの家らしい)

 という皮肉は口には出さず、

「知らぬとはいえ、申し訳ないことをしました」

 改めて謝罪した。

「以後気を付けていただければ、それでよい」

 途南はそう言って微笑みかけた。無精ひげに半分を覆われた顔が、くしゃりと人懐っこく崩れた。

 彼は笑うと、がらりと印象が変わる。目尻にぐっと深いしわが刻まれ、愛嬌が出る。歳は堂衛と同じくらいかと思っていたが、こうして見ると三十の半ばほどのようだ。

 二人の間の空気はようやく柔らかみを帯びた。

「そういえば、さっきの子は?」

 ふと思い出したように、九葉は尋ねた。

 途南は、ああ、と疲労のこもった息をついたた。

「…阿羅彦(あらひこ)は、お頭が数年前に旅の途中に拾った子だ。あれと…あれの両親が鬼に襲われているときに」

 あの子どもは、阿羅彦という名らしい。

「手強い鬼でね、俺たちの腕でもあれ一人を助けるのが精いっぱいだった」

 当時のことを思い出したのか、途南の表情が暗く沈んだ。

「お頭が不憫に思い引き取ったのだが、目の前で父母を鬼に食われたせいか、心を病んでしまって、奇行が絶えん。いきなり訳の分からぬことを口走ったり、自分で自分を傷つけたり、先ほどのように、夜も深まった頃に裸で徘徊したり」

 九葉は頷きながらも、内心は首を傾げていた。

 僅かな時間での邂逅であったが、あの少年―――阿羅彦の足取りはしっかりしていた。

 口調もはっきりとしていたし、話の内容はきちんと意味をなしていた。

 そして、体に刻まれていた無数の痣。

 あれは本当に、自傷によるものだろうか?

 手首や喉にぐるりと巻きついたあの跡。

 あの形は、大人の手のそれにしか見えなかったが…。

 九葉は湧いて出た疑問を胸の内だけにとどめ、「気の毒なことです」と言った。

 途南は、これまで阿羅彦によって被った苦労を思い出したのか、ふー…、と疲れきった溜息をついた。

「周りの迷惑にならんようにと、できるだけ人目から遠ざけ、俺たちが持ち回りであの子の面倒を見ているが、いやはや、八歳にもなると鬼よりもすばしっこくなって」

「やはり、子どもとは難しいものですか?」

 話を変えるために九葉が問うと、途南はくすりと笑い、

「女子はどうか知らぬが、少なくとも男子は。お覚悟めされよ、夫君」

 と、からかうような口調で返した。

「ところで、先ほどはあの子と何か話しているようだったが?」

 今度は途南が九葉に問いかけた。

 友人同士の世間話のように軽い口調だったが、彼の褐色の瞳の奥が、ほんの一瞬、剣の切っ先めいた鋭さを帯びるのを、九葉は見逃さなかった。

 脳裏にまざまざと蘇る。月明かりを受けて白く輝く肌が。深淵の如き双眸が―――澄んだ幼い声が。

―――あなたも、僕と同じなの?

「…………」

 九葉はしばし口をつぐみ、

「何か申しているように見えたのですが、声が小さく、聞き取れませなんだ」

 と、答えた。

 途南の表情は僅かに緩んだ。安堵したようだった。

「もしもあの子が粗相をしても、先の事情ゆえ、ご容赦いただきたい」

「承知いたしました」

 九葉は落ち着いた微笑みで以て応えた。

 


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