暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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第二章 辻斬り
(一)


 翌朝、二人は城の騒がしさで目を覚ました。

 里の住人から『お城』と呼ばれるお頭の住居は、モノノフ本部と神垣ノ巫女の御座所が統合されている。故に、毎日多くのモノノフが出入りし、多少の慌ただしさは常であろうが、お頭一家の客室までそれが届くとは、ただ事ではない。

「ふぁ……、もう、なんなのよ…。昨日は九葉の寝言がひどくてあんまり寝られなかったのに…」

「起き抜けに私の頬を踏みつけていたお前に言われたくはないな」

 寝ぼけ眼(まなこ)の早華と、寝起きが芳しくない九葉が揃って客室を出た。そのとき二人を迎えたのは、山の豊かな生気を吸い込んだ清々しい陽光―――ではなかった。

 ドタドタドタ! と荒々しい足音を立てて、数名のモノノフが廊下を駆け抜けた。

 寸でのところでぶつかりそうになった早華は「きゃあ!」と悲鳴を上げて飛びのき、その拍子に躓いて思い切り尻もちをついた。しかし、誰も彼女を振り返らなかった。

 全身を武具で固めており、慌ただしい足音には具足同士が触れ合う音が伴った。まるで、鬼討ちに行くようだ。

「ど、どうしたのかしら……?」

 ぶつけた尻の痛みも忘れ、早華はモノノフたちが消え去った方に首を巡らせて呟く。

「まさか、鬼の襲撃か…?」

 九葉は鋭い瞳で辺りを見回した。神垣ノ巫女・弥紗の身は病床にある。現在彼女は全身全霊をかけて結界を維持しているというが、逆にそれは、この里が、いつ最悪の事態に陥ってもおかしくないという状況にあることを意味する。すなわち、結界の消失―――

「あら、遅いお目覚めね、お二人さん」

 軽やかだが、心にざらりと引っかかる女の声が二人にかけられた。

 振り返ると、そこには早華の従妹・彗がいた。

 藤色を過剰に濃くした生地に、金粉であしらった大ぶりな蝶がいくつも踊る派手な小袖を身に着けている。その色彩は、寝不足の脳には針でつつかれるように痛いが、平和そうではある。

 彼女は化粧で美しく彩られた顔に意味ありげな笑みを浮かべていた。昨日はお楽しみだったようね、と言いたいようだが、いちいち否定するのも面倒だ。

「彗ちゃん、お城が騒がしいみたいだけど、何かあったの?」

 早華が訊くと、彗は化粧の載った眉根を寄せ、言った。

「……辻斬りよ」

 辻斬り…と、早華は物騒な言葉を口の中で反芻する。

 彗は二人の表情を交互に見ながら言った。

「今、うちの里に戒厳令が出てるのは、二人とも知ってるわよね」

「ええと、夜に出歩くなっていう、あれ?」

「そうよ」

 この里には、夜になると、出会った者を無差別に斬り殺す辻斬りが出没するらしい。そのため、お頭の堂衛は住人に夜間の外出を固く禁ずる戒厳令を発した。

 九葉と早華はそれを、就寝前に璃庵から聞かされた。滞在中、くれぐれも夜間は外出せぬように、という注意を添えられて。警告があの時間帯になったのは、宴に水を差したくないという彼なりの気遣いだろう。

 彗は声を潜め、話を続ける。

「ゆうべ、また出たみたいなの。しかもまずいことに…殺されたのは、外様の商人だそうよ」

 九葉は息を呑んだ。その一言から事態の深刻さを読み取ったのだ。

 この里では「西洋化」を推し進めるために、外様の商人や技術者、幕府や朝廷の高官の出入りが例外的に許されている。犠牲になったのはそのうちの一人だ。戒厳令を無視して彼が何をしていたのかは見当もつかぬが、里の改革には間違いなく悪影響が及ぶし、対応を誤れば、深刻な外交問題に発展しかねない。

 それだけではない。軍師・天極の特命により外様文化を積極的に取り入れているセキレイの里だが、『鬼ノ府』は原則として歴史の『表』の人々との交流を禁じている。故に、事件の捜査は秘密裏に行われるはずだ。つまり、禁軍を始めとする外部からの応援は望めず、捜査から犯人の逮捕、更には外様への対応まで、すべて里の中だけで完結させなければならないのだ。

 堂衛は今頃頭を抱えていることだろう。

 という九葉の予測を裏付けるように、

「だから、今の父さまはすごく気が立ってるわ。用事があるなら璃庵を通したほうがいいわよ」

 と、彗は二人に助言し、じゃあね、と軽く手を振って二人に背を向けた。

「彗殿、どこへ行かれる」

 九葉は彗を呼び止めた。彼女の派手な出で立ちは、まるで―――

「どこって…買い物だけど?」

 彗は立ち止り、予想通りの答えを返した。なぜ呼び止められるのかわからない、という顔で。

「辻斬りはまだ捕まっておらぬのでしょう。外を出歩くのは危険ではありませんか?」

「平気よ。だって、辻斬りは夜にしか出ないもの」

「何故、そうだと?」

「これまでずっとそうだったから」

 それが何か? という口調で告げ、彗は今度こそ立ち去った。

 何とも言えない表情で派手な後姿を見送る九葉の隣で、早華は黙り込んで中空を見つめていた。そして、

「九葉、おじさんのところに行こう」

 と、言った。

 黒い瞳からは眠気が跡形もなく消し飛び、真っすぐに九葉を見つめてくる。

 それだけで、彼女が何を言おうとしているかを量ることができたが、

「…一応聞いてやる。何故だ」

「もちろん、犯人を捕まえるためよ」

 私たちの手で。

 彼女の口から出たのは、思った通りの言葉だった。

「やめておけ」

 と、九葉は言った。

「お頭を始めとするモノノフたちがこの里にいるのだ、文官風情の我らに出番はない」

「九葉」

 早華は強い口調で九葉の言葉を遮った。

「わたしはこの里が好き。ここに生まれてきて本当に良かったと思ってるし、育ててもらって感謝してる。その里に人殺しが潜んでいるなんて、絶対に許せないわ」

 お前は人の話を聞いていたのか、と九葉は言いたかったが、すんでのところで堪えた。

 これまでの経験から、こういう物言いをするときの早華は、聞く耳を持たない。

「それに、家族の誰かが困ってるなら、助けてあげなくちゃ」

「まったく…」

 九葉は一度、呆れたようなため息をついた。

「…確かに、一宿一飯の恩を返さぬ道理はないな」

 内容はさておき、と言う枕詞を胸の内だけで添え、九葉が言うと、早華は幼さの残る顔を輝かせた。

「よぉっし! それじゃあ、すぐにおじさんのところに行きましょう!」

 早華は威勢良く拳を振り上げた。そして寝巻のまま、堂衛がいるお役目所へ突入しようとしたので、断固阻止した。

 


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