暗夜を往くもの ~特務隊誕生秘話~   作:海羽

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(四)

 九葉は璃庵によって城の前まで送り届けられた。彼は御役目があるからと早々に立ち去り、入れ替わりに早華が戻ってきた。

 事件現場周辺の捜査を担当した彼女の収穫は、案の定、なかった。

 殺人が起きたのは昼間の人通りが多いところであったため、遺体も血痕も、里のモノノフたちが速やかに片づけてしまったらしい。

 しかも、聞き込みの途中で買い物中の彗と出くわし、捜査はそっちのけで存分に買い食いを楽しんだようだ。

「…それでね、襟のあたりに桃色の大きな飾り紐がついてて、これ、リボンってうんだって。とっても可愛いの! 彗ちゃんと色違いのを買ったから、あとで見せてあげるわ。それとね、粉屋の五朗さんのお店が揚げ菓子を作ってたんだけど、すっごく美味しかったの! そうだ! ここにもう一本あるんだったわ。食べてみて。冷えちゃってるけど、ほんとに美味しいんだから!」

 九葉は遠慮した。

 早華は顔を輝かせ、外様風に生まれ変わったセキレイの里巡りがいかに楽しかったかを熱心に、延々と語って聞かせた。

 辻斬りに係る報告は一言、二言で終わった。

 しかし、九葉に早華を責める権利はない。彼もまた、婚約者には「手がかりはなかった」という報告しかできなかったのだから―――堀の底に追いやられた人々の集落と、そこで自らが体験したことは、伝えなかったのだから。

 その後、九葉は当たり障りなく過ごした。早華の「本日の戦利品」の展示会に付き合い、鵬翼のいまいち要領を得ない女性談義に適当な相槌を打ち、百合の蒐集品(おもに西洋の珍品)自慢に巻き込まれ、御役目所で埃をかぶっていた蔵書を手に取り―――やがて、夜が訪れた。

 

 人々が床に就く時間、城の門に、二つの人影があった。

 早華と、九葉である。

 櫓の陰から早華がひょこりと顔をだし、見張りの姿がないのを確認し、

「九葉、こっちこっち、早く」

 小声で呼び、懸命に手招きした。

 頭貫によじ登っていた九葉は、それを見て門の外に飛び降りた。

 肩には、腰帯をいくつも結び合わせ、先端に百合の蒐集品からこっそり拝借した西洋の燭台を括り付けて作った即席の鉤縄を巻きつけている。門をよじ登るときに使ったものだ。

「もう、何やってるのよ。そんなにのろのろ動いてたら、おじさんのモノノフに捕まっちゃうわよ」

 櫓の陰に滑り込み、合流を果たすや否や、早華は頬を膨らませ、黒い大きな瞳で九葉を睨み付けた。

 九葉は何も答えなかった。憮然とした表情で縄を丸めて櫓の陰に押し込んだ。

 その様子を見て、早華は気まずそうに唇尖らせ、

「…何よ、怒ってるの?」

 と、小声で訊いた。

「私は反対した」

 九葉は目を合わせぬまま低い声で言った。

「お前に何かあっては、元も子もないのだぞ」

 夜半を過ぎたころ、早華が言い出したのだ。

 辻斬りを探しに行くわよ、と。

 昼間の調査では何一つ手掛かりが掴めなかったのだから、夜の里を見回り、直接辻斬りを捕まえるしかない。と、彼女は力説した。

 九葉は反対した。あまりにも危険すぎる。

 しかし、彼女は聞く耳を持たなかった。

 昼間、食べ歩きを堪能したことで、辻斬りへの関心は薄れたかと思っていたが、見込みが甘かったようだ。

 それどころか、早華は一振りの太刀を押し付けてきた。万が一、辻斬りと遭遇した時のために、と言って。

 九葉が道中の護身のために身に着けていた太刀だった。城に招かれてからは使用人が預かり、それきり帰ってこなかったものだ。何か理由をつけて取り戻さなければと思っていたが、まさかこんな形で叶うとは。

 早華は一度こうと決めたら梃子でも動かない。これまでの経験からそれを承知している。だから九葉は諦めた。

 当然のことながら、堂衛の許可は得ていない。夜間外出禁止令を破って捜査を行うのだから人の目を盗んで城を抜け出さなければならず、このように下手な泥棒の真似事をしている次第だ。

「…仕方ないじゃない。犯人を捕まえるには、これしか方法がないんだから」

 早華がぽそりと言い訳したが、九葉の怒りは消えなかった。

 稚拙極まる策につきあう覚悟をしたとはいえ、機嫌はどうかというと、それはまた別の話だ。

「さっさと始めるぞ」

 九葉は口調に若干の苛立ちを込めて早華に告げた。

 戒厳令は出ているものの、城の周辺は堂衛配下のモノノフが見回りを行っている。二人は彼らの目を盗んで長い階段と跳ね橋を一気に駆け抜け、近くの民家の路地にさっと身を潜め、大通りの様子を確認した。

 ここは、昨晩の事件現場だ。

「…誰もいないわね」

 早華の言う通り、大通りは無人だった。そして、時が止まったように静かだった。

 多くの人が行きかい賑やかな昼間の様子を知っているため、まるで知らない町に迷い込んだような錯覚すら抱く。

「昨日の今日だからな」

 様子をうかがいながら、九葉が応えた。

 皆が眠りにつく時間ではあるが、些細な生活音すら聞こえない。

 ここに立ち並ぶ建物は商売に特化した店舗ばかりで、店主たちの生活の場はこの通りより奥まったところにある。よって、夜間、この辺りは無人になる。

 しかし、里を包む空気は、何か音を立てることにすら怯えているようだった。

 人々は日中、犯人のことを妖怪かなにかのように語るが、事件が起きた次の夜ともなると、少なからず恐怖心が芽生えるようだ。

 九葉はちらりと隣の早華に視線を向ける。彼女は緊張した面持ちで塵ひとつ舞い上がらない通り見つめていた。

「どうする、引き返すか?」

 ぼそりと声をかけると、小柄な体が驚いたように小さく飛び上がり、

「とんでもないわ! ここで会ったが一年目よ、必ず捕まえてやるんだから」

 それをごまかすように、黒い瞳で強く睨み付け、彼女は声量を抑えたキンキン声で反発した。

『一年目』なのはお頭たちのことだがな…という正論は胸の内にとどめ、九葉は立ち並ぶ店の軒先が刻む陰の中を、足音を立てずに移動し、二軒先の西欧風の雑貨店の看板の裏に身を潜めた。早華も彼に続く。

 区画整理の賜物で、道はまっすぐに伸び、見晴らしがいい。今夜は雲がなく、月が明るい。それにガス灯も煌々と光を放っているため、視界も良好だ。

 もしも犯人が現れたら、遠目でもその姿をはっきりと確認することができるだろう。

 光の当たる通りをじっと見据えながら、九葉は身に着けた太刀の硬い感触を意識した。

 胸がざわめく。

 神経が研ぎ澄まされ、静寂が重くのしかかる。

 今宵、辻斬りが出没するという保証はない。今このとき跋扈しているとしても、出会う確率もまた未知数だ。

 しかし、九葉の胸には根拠のない予感があった。

 相見えるであろう、と。

 

「まったく…困ったお姫さんだよ」

 同じ頃、背の高い店舗の屋根の上で嘆く者がいた。

 霞んだ金銀鎧のモノノフ―――途南が隊長を務める精鋭部隊『雪月花』の一員だ。

 闇の中でもよく利く彼の双眸は、影から影へコソコソと飛び移ってはしきりにあたりを見回す九葉と早華を映していた。

「俺は、彗お嬢様よりはマシだと思うけどな。早華お嬢様はどうでもいいことで俺たちに八つ当たりしねえし」

 隣で周囲を警戒していた、同じく霞んだ金銀鎧の男―――彼の相棒だ―――が異論を述べると、

「ぁあ? どこがだよ」

 男は目を吊り上げて反論した。

「彗お嬢様の八つ当たりなんてほんの数分我慢してりゃ終わるし、適当に持ち上げときゃ大人しくなるんだよ。それに比べてこっちは…」

 物陰で、九葉に向かって何事かをまくし立てる早華を見て、彼は一度舌打ちした。

『雪月花』の一部の隊員は現在、お頭・堂衛の命で、久方ぶりに帰郷した姪の早華と、その婚約者の九葉の監視を行っている。堂衛は九葉を警戒しているようだが、人相は悪いもののこれといって問題はなさそうだ、というのが携わった一同の共通の見解だ。

 ただ、姪の早華が辻斬り事件に興味を持ったことで、この仕事は煩わしいものになった。九葉は早華のわがままに巻き込まれ、しぶしぶ事件の捜査を行っているが、昼間はその過程で面倒なところに足を突っ込んだ。それに加えて今夜の無断外出である。監視する側としては苛立たしいことこの上なかった。

 相棒の男は監視対象の二人に目を向け、

「…確かに、悪気が一切ねえってのが性質(たち)悪いよな」と、ため息交じりに言った。

「大した力もないくせに、変に使命感出しやがって。こっちの仕事が増えるっつーの」

 男はお頭の姪とその婚約者を忌々しそうな顔で見遣った。

 そして、声が届かぬのをいいことに、彼はしばらく早華を始めとするお頭一家の子女への不満をぶつぶつと漏らし、そうだ、と、何かを思いついたような声を上げ、相棒を振り返った。

「なあ、今ちょっと考えたんだけどよ。もしも『不幸な事故』が起こったりしたら、俺たちの仕事は終わりじゃねえ?」

「いや、さすがにそれは駄目だろ」

 男の言わんとすることを悟り、相棒は慌てて首を左右に振った。

「殺すってわけじゃねーよ。ただ、指の一本でもなくなったら、あのお転婆姫もちっとはお淑やかになるだろって話」

「早華お嬢様には毛ほどの傷もつけさせるなってのがお頭の命令だ。たとえ本当に事故でも、俺たちの首が飛ぶぞ」

 冷静な指摘を受け、

「っあーーー、そうだった。くっそーめんどくせーなー」

 男はガシガシと髪を掻いた。

 一方、路地裏では、触れてもいない桶が動き、その物音で早華が大げさに飛び上がって九葉の背に隠れた。ちなみに、犯人は鼠だった。

 その様子を見て男は鼻を鳴らした。

「馬ッ鹿じゃねーの? 辻斬りなんて、いくら探してもいないっつーの。なぁ?」

 同意を求めて振り返り―――彼は目を見張った。

 相棒が、姿を消していた。

 彼は離れるときは必ず一声かける男だし、屋根からうっかり滑り落ちるような間抜けでもない。

 男は立ち上がり、腰から音を立てずに双剣を抜き放った。

 注意深くあたりを見回すと―――ひゅっ、と、目の前を小さな影が通り過ぎた。強風に流される黒煙のような、人によっては目の錯覚と片付けてしまいそうな希薄な影だった。

 それが、彼の見た最後の光景になった。

 男の首と防具の隙間に細身の刃が滑り込み、顎の下の柔らかい肉から頭蓋の中の内容物を通り抜け、脳を貫いていた。

 男の命が消え、その肉体が屋根を転がり落ちる様子を見る者はいなかった。下手人はほんの僅かな時間で、神業といってもいい素早さと精度で彼の急所に刃を突き立て、すぐに立ち去っていたからだ。

 どさり、と鈍い音を立てて、男は壊れた人形のように地面に崩れ落ちた。

 その様子を、彼の相棒は虚ろな目で見ていた。

 軒先に逆さ吊りにされ、喉から夥しい量の血を流しながら。

 


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