天涯 番外編『ゆく年 くる年』   作:清夏

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『くる年』

 朝だ。新しい年の、新しい朝だ。

「ぁ……」

 戒莉は短く呻きながら、その朝を迎えた。

 爽やかな光、澄んだ空気、だが戒莉の気分も体調も最悪だった。

 頭が割れるように痛い、胸がむかむかする。

 月並みな表現だが、それしか思い浮かばない。いや、思い浮かべている余裕もなしだ。

 昨夜の酒は、いつも飲むものより強かったような気がする。

 なんで、そんなものを飲んだのか。戒莉は過去の自分を呪った。

 

 喉が渇いていた。

 何もかもが、渇いていた。

 戒莉の目の端に、水差しが映った。

 気付けば半身を起こし、水差しをひっ掴み、ぐびぐびと水を喉に通していた。

 飲んでも、飲んでもヒリヒリとする喉。それは癒されることを知らないようだった。

 最後の一滴を飲み干したとき、戒莉はようやく、周囲の様子に気付いた。

 自分の部屋ではない。ついさっきまで寝ていたのは、自分の寝台ではない。

「……った」

 珊揮の部屋の、珊揮の寝台に自らもぐりこんだ記憶はない。幸いなことに。

 珊揮が自分の部屋に、戒莉を放り込んでいったらしい。おおかた酔って正体をなくした戒莉を、寺小屋の端にある戒莉の部屋まで連れて行くのが面倒だったのだろう。

 珊揮が二人寝てもまだ余裕のある大きさを誇る寝台を眺めていると、戒莉の頭の痛みは益々激しくなった。

 また、醜態をさらしてしまったらしい。

 何か、余計なことを喋ってしまったかもしれない。

 戒莉は両手でこめかみを抑えたが、それで何かが和らぐことはなかった。

 だだっ広い寝台の上で、戒莉はひとりもがいていた。

 

 

 

 ようやく、戒莉が起き上がれたのは日も高くなってからだった。

 乱れた様子でふらふらとしていたところを常弘に見咎められた。

「まったく、新年早々だらしのない」

 新年だからと言って、どうだと言うのだと、戒莉は心の内で毒づいてみた。

「こんな昼日中まで寝呆けて、しかも酒臭い」

 戒莉が寝過ごすのも、服装がだらしないのも、昨日今日始まったことではない。もう、いいかげん放っておいてくれればいいのにと、戒莉は常々思っていた。

 常弘は、次から次へと戒莉の悪いことを言い連ね、よくまあ、そんなに思いつく、という事まで指摘してくる。

 さすがに戒莉も、うなだれて聞いているのが限界に近づいてきた頃、ようやく助け舟が入った。

「まあまあ常弘、それぐらいにしておいたらどうだい。何しろ新年早々だからね」

 堺仁だ。

「けれど、先生がお祝いまで用意しているのに、この戒莉は」

「祝い?」

 戒莉は首をかしげた。

「そうですよ。お前の成人の祝いですよ」

 常弘がそう言い切ったときに、戒莉はようやくそのことに気付いた。

 この世界では、年が改まると皆がひとつ年をとることになっている。日本でもそういう年の数え方があるらしいが、戒莉には馴染まない考え方だった。戒莉自身では、先日十九歳になったばかりのつもりなので、二十歳だ、成人だといわれてもピンとこない。

「でも」

「『でも』じゃないでしょう。お礼を言いなさい」

「あ、ありがとう」

 常弘の勢いに押されながら、戒莉はようやくその言葉を引き出した。

 堺仁は、そのやりとりに微笑んだ。

「おめでとう戒莉」

 

 そう言われてみても、戒莉には成人したなどという感慨は一切生まれてこない。

 本当は十九で、成人したからといって他の者のように給田されるということもない。この国の民ではないからだ。

 戒莉の国は、この世界のどこにもない。

 ここにあってはならないのだと、言われているような存在なのだ。

 

 

 

『ここにいなさい』

 そんな声が、ふと聞こえたような。しかも、聞いたことのある声だ。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆■◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「珊揮は?」

 おずおずと、戒莉はその疑問を口にした。

 今朝は、その姿を見ていない。

「ああ、珊揮なら明け方、例の新しい恋人の元にいそいそ出かけていったよ」

 例の、などと堺仁は言ってくれるが、その恋人の正体を戒莉は知らない。名も、年も、どこにいるのかも分からない。

「なるほどね」

 戒莉は何故だかほっとしていた。

 

「本宅が亡くなって一年以上たってはいるものの、こんなにあっさり新しい恋人を雁で作るとは思いませんでしたがね」

 常弘は、溜息まじりにそんなことを言いだした。

 この男は珊揮に何を期待していたのだろう。

「本宅が居るころから、他に愛人がいたんだから別に意外でもないだろ」

 むしろ、戒莉にとっては極当然のことのように思えた。

「でも、本宅は特別なのだと思っていましたよ」

 常弘の『特別』という言葉は、戒莉の心に奇妙に引っかかってきた。

 確かに、沙苑は他の恋人たちとは違う存在だった。結婚こそしていなかったが、沙苑のところが珊揮の『家』のようなものだった。

 次の瞬間に、堺仁はさらりとその話に結論をつけた。

「まあ、さすがに本宅はね特別だったろうね。でも、だからといってその死が珊揮の性質を変えてしまうことはなかったということなんだろうね」

 そんなことを言ったら、沙苑がかわいそうな気持ちにもなるが、戒莉はそれがむしろ望ましいと思った。

 永遠にも似た年月を行き続けなければならない珊揮に、いつまでも自分だけを想っていて欲しい、などど願うのは残酷なことだ。

 戒莉も、自分が死んだら、珊揮には新しい相棒をみつけて欲しいと思う。

 

 突然、堺仁の視線が戒莉に向けられた。

「それに、今生きている者の中で珊揮が一番愛しているのは、お前だろうからね」

「そんなはずないだろ」

 戒莉はぎょっとして、間髪入れずにそう反論した。

「どうして?」

 堺仁の微笑みは、邪気がないように見える分、怖ろしい。

「オレは、女じゃない。珊揮は女好きだ」

 こみ上げそうになる怒りをぐっと抑えて、戒莉はしごく真っ当なことを言った。

 堺仁は、ああ、という顔をしてから口を開いた。

「確かに女みたいに、お前を想っているわけじゃないよ。珊揮のお前に対する愛というのはね、そうだね、簡単に言うと親子、いや家族の間にあるものに似てるかな」

 微妙な言い方だ。

「お前はね。珊揮にしてみると、恋人とも仕事仲間とも、友人とも違う。それこそ、特別なんだよ」

 

 

 戒莉は、堺仁に言い返す言葉をいくつも舌先まで上らせたが、ことごとく飲み下してしまった。

 珊揮と戒莉は、もちろん恋人同士でも愛人同士でもない。親子ではない。家族ではない。

 では、なんなのだろうか。

 仕事仲間であることは確かだ。けれど、仕事上の付き合いだけをしているのでは、ない。ならば、友人であるかと言うと、なんとなく首を傾げたくなる。

 戒莉は、自分と珊揮の関係が随分といいかげんなものだったことに、少しだけ呆れてみた。そうして、それ以上、そのことについてもう考えるのは止めた。

 親子ではなく、家族ではなく、恋人ではなく、友人と言ってはよそよそしい。どんな名前の関係なのかは、分からない。分からないが、その関わりは確かにあるのだから、それでいいだろうと、戒莉は思った。

 

 

 それでも、少々憎まれ口くらい叩いておいてもバチはあたらないだろう。

「新年早々、そんな薄気味が悪いことを言うなよ」

 戒莉は、ぶるっと震えがきたように仕草をし、笑ってみせた。  

 

 

 

 そうだ、新年だ。 新しい年、新しい日を、生きてまた迎えられたことを今は喜んでおこう。

 ああ、新年が迎えられてよかったと、お互いに喜び合うために今日はあるのだから。

 今年も生きていてよかったね。おめでとう。

 珊揮は、恋人に新しい年がやってきたことの嬉しさを、伝えに行ったのだろう。

 戒莉も、堺仁や常弘にも、それから後で珊揮にも言っておこうと思った。

 

 

 

 

 新年 あけまして おめでとう。

 

 





『蛇足』


新年の夜、珊揮は寺小屋に戻ってきた。
 今夜は帰ってこないだろうと思っていた戒莉は、すこし驚いた。
「なんだよ。向こうに泊まりじゃなかったのかよ」
 不満そうな声音が、不思議と戒莉から零れた。
「泊まってこようかと思ったんだけど、ちょっと気がかりなことを思い出してね」
「なに?」
「お前の前髪のことだよ」
「オレの前髪がどうしたって?」
 また妙なことを言い出したと、戒莉は珊揮を見上げた。
「そう、無事だったんだな」
 珊揮は、にこにこと戒莉の髪を撫でた。
「やめろ」
 当然、戒莉は珊揮の手を拒絶した。
「だってねえ。こんなキレイな髪なのに、切ったらもったいないだろう」
 跳ね除けられても、珊揮の手は戒莉の髪に伸びた。
「なんで、オレが髪切ると思うんだよ」
 そもそも髪を切るも、切らないも戒莉が決めることで、珊揮にどうこう言われる筋合いはない。
「だって、蓬莱では成人すると、前髪を切って、剃り上げるんだろう」
「はあ?」
「そういう決まりがあるって聞いたけど、違うのかい」
「誰がそんな面白いこと教えてくれたんだよ」
「れっきとした海客だったよ」
「……」
 戒莉は、少し考えてみた。
「それって、いつの話だ?」
「ええと、いつだったかな。何百年か前の話かな」
「なるほど」
 戒莉は、納得した。その頃は、日本は江戸時代だ。
「もしかして、嘘だったのかな」
「いや、たぶん、嘘じゃない……のかも。多少、伝わり方が間違っているような気はするけど……」

 ふと、戒莉は昼間のことを思い出した。真面目な常弘が、大真面目な顔で戒莉に問うてきた。
『蓬莱では、成人のときに谷底に飛び込んで、生還したものが一人前と認められるときいたが、本当か?』


 何かに取り付かれたように笑い転げる戒莉に、珊揮はしばらくおろおろしていた。


 なんとも、おめでたい新年の夜の出来事であったとかなんとか。







今年もよろしくお願いいたします。
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