ドッペルゲンガー症候群、または如何にして俺が悩むのを止めてそれに殺意を抱くようになったか 作:take2
緑色の細長い物体、つまるところきゅうりである。
それが俺の自宅であるアパートの一室の前にぽつねんと一つだけ取り残されていた。
誰かが忘れていったのだろうか?
じっとそれを見つめるも、当然のことながら動き出す気配は全くない。
きゅうりがスーパーからトコトコと、ここまで歩いてきたということはなさそうだ。
そう言えば今日、きゅうりに関する話をしたような。
近くの川で河童がいるか調査した時に50本ほどきゅうりが行方不明になったとかそんな話。
となるとそのうちの一本がこれだというのだろうか?
とりあえずハンカチで手を拭いきゅうりを拾い上げる。
微かに濡れている、ポタリと落ちた水滴を目で追えばコンクリートの床にきゅうりの跡がくっきりと残っていた。
ふんと鼻を一つ鳴らし、とりあえずきゅうりを手に持ったまま俺は自宅のドアを開けた。
● ● ●
「でそのきゅうりはどうしたの?」
「食べた」
「え?」
「だから食べたって」
いつもの朝の登校路。
何気なく、その時のことを話していた。
幼馴染はその事実を受け入れられなかったのか、ぽかんと口を開けたまま静止してしまった。
「……どこのものかもしれないきゅうりを食べちゃったの?」
「まあ特になんの変わりもないきゅうりだったよ」
「なんで?」
「袋に入れて拳で砕いて、そこに醤油とラー油とかをぶち込んで冷蔵庫で冷やせば」
「なんでってどういう食べ方か聞いたんじゃないの! なんで食べようって発想になったのかって!」
「すまん、俺は前世は河童だったのかもしれん……きゅうりを見ると食べずにはいられないんだ」
「重くん河童の存在信じてないでしょ」
まあ本当は捨てるのはもったいないなと思っただけなのだけれども。
じっと睨みつけ、それでも何を言っても懲りないと思ったのか、里見はすぐにため息をついた。
「きゅうりぐらいなら僕が買ってあげるからさ、道端に落ちてるの拾って食べるのはやめてよね」
「なんかすごい勢いでダメ人間の階段を駆け上ってる気がするな」
「もう駆け上るどころか限界点に到達してると思うけど」
「失敬な、料理は俺の方がうまいぞ?」
痛いところをつかれたのかうぐっと声を漏らした。
まあ料理とダメ人間は関係ないのかもしれないけれど、そのことに彼女は気づかない。
思考の悪循環にはまりだした里見のために助け舟を出した。
「で、そのきゅうりってあのオカルト大百科で行方不明になったものかもしれないんだが」
「ん? 何それ?」
「そんな番組があるらしいんだよ、それで最近やったのがこの街に河童がいるかもしれないって話で」
「ほうほう」
「で、きゅうり100本で釣り出そうとしたんだけど50本が行方不明になって終わったんだってさ」
「重くんもその番組見てたの?」
「いや見てない、この話もクラスメイトの伝聞だから」
やっぱりね、里見はそう呟いた。
俺がオカルトをまったく信じてないことを、幼馴染だからこそ知っている。
らしくないなと彼女も思ったのだろう。
「でもその話を知ってたなら、そのクラスの友達に拾ったきゅうりを持っていってあげればよかったんじゃないの?」
「どうやってそのきゅうりだと証明することが出来る? きゅうりに行方不明になったきゅうりです、と書いてあるわけでもあるまいし」
「なるほど、確かにね。僕もきゅうりを持ってこられたらまずスーパーのものなんじゃないかと疑うよ」
「だろ? だから俺も仕方なく食べた」
「いやそれは……僕は同意しかねるよ」
それっきり会話は途絶え、二人ゆっくり進んでいく。
次第に学校が近くなり生徒の量も増えてきていた。
ふと何か閃いたかのように里見は口を開いた。
「思ったんだけどさ、その番組を見て誰かが河童を釣ろうとしてたんじゃないかな」
「なぜ俺の家の前にわざわざ置くんだよ」
「それは、重くんが河童だと思われてるからじゃないかな」
「え、まさか河童が本当にいると思ってるの?」
「さっき自分の前世を河童だと疑ったばかりじゃん」
「それはそれ、これはこれ」
「……まあでも、きゅうりに毒が仕込まれてなくて本当に良かったよ」
そんな彼女の言葉に、一瞬ゾッとした。
● ● ●
そんな馬鹿話をして、おれはすっかり忘れていた。
麗しき生徒会長様にあらぬ疑いをかけられていたことに。
校門が差し迫り、挨拶が聞こえてきてようやくそのことを思い出したのだった。
まあ別にこの事は別に話さなくても良いだろ、そう思いつつ隣を歩く幼馴染を見下ろす。
そこに無性に押してみたくなるつむじがあって、誘惑から逃れようと俺はすぐに視線を逸らした。
おはようございますという声を潜り抜け、前へと進んでいく。特に疚しいことはしていないのに生徒会長の方へ向くことは躊躇われた。
「ん? どうしたんだろ」
そんな幼馴染の声が耳に入り込んできた。
なにか、嫌な予感がする。脇目も振らずに前へ行く。
ざわりざわりと形容しがたいものが迫って来る気がした。
そして俺は逃げられなかった。
「葛木、重くんでしたよね」
横っ面に浴びせられた凛とした言葉。
ピタリと足を止め、錆びたブリキ人形のようにギギギと横を向く。
ああ、足を止めなければ良かった。
俺に声を掛けた彼女、生徒会長がつかつかと近づいてくるのを見て、そう思う。
何が起こってるのか分からないのか、里見はチラチラと俺のことを伺っていた。
俺だって分からないよ、そう言いたいのをぐっとこらえ口を開く。
「ええ、そうですけど俺に何か用ですか?」
「はい、話すことはいくらでもあります」
「ちょっと急いでるんで、後にしてもらえると助かるんですが」
「そう言っていつもみたいに逃げるんでしょ?」
いつも? いつもってなんのことだ。
俺が黙りこみ、やりこめたと思ったのか彼女は言葉を続けた。
「とりあえずそこは通行の邪魔なんで、一緒について来てくれる?」
「あの! 多分生徒会長さんは人違いをしてると思うんですけど!」
話の輪から外され続けた里見がようやく動き始めた。
彼女の存在に生徒会長も気づいたのか、俺から目を逸らして問い掛ける。
「あなたは彼のなんなの? 恋人?」
「ち、ちがいます! そんなはずないじゃないですか!! お、幼馴染ですよ、ただの!!」
「そ、そう……」
「絶ッ対に、違いますから!!」
ものすごい勢いで否定され、若干凹む。
生徒会長の俺を見る目が少しだけ優しくなった気がした。
「人違いでは、ない。まあ、幼馴染ならあなたも話を聞いて欲しいんだけど」
「まあ聞くだけなら、里見は先行ってていいぞ」
「僕も行きます。重くんの事、置いていけるはずないよ」
先に行っても良いのに、俺について来てくれるのに心の中で感謝した。
連れてこられたのは昨日生徒会長が立っていた場所のちょうど裏側、登校する生徒から死角になる場所だった。
「単刀直入に言うわ、重くん。あなたは二度と生徒会室にこないで」
寝耳に水の言葉だった。生徒会室に二度と来るな?
別に言われなくとも、そこに俺が行ったことなど一度もない。
「一応の確認なんだけどあなたの名前、葛木 重以外の呼び方があったりしないよね?」
「何を言ってるんです?」
「たとえば日常では『かさね』とか別の呼び方を使ってるとか」
「
「貴方には聞いてないわ、で答えはどうなの?」
他の呼び方、何かあっただろうか?
思い当たることなどない、生まれてこのかたしげるという呼び方以外なかったはずだ。
「つかってないですね、俺は
その言葉を聞いて生徒会長はホッとため息をついた。
「やっぱり嘘だったのね、名前が違うなんて」
「さっきから生徒会長が何を言ってるのか、さっぱりわからないんですけど」
「何を言ってるの? 貴方が始めたゲームじゃない、『俺は名前を明かさない。そうすればほら、名前も知らない相手を振ることは出来ないだろ』そういったのはあなたでしょ?」
そんな記憶など俺には全くないのに、生徒会長にとって揺るぎのない事実だったのだろう。
そしてその言葉に俺より反応した人がこの場に一人居た。
「振る……?
「ええ、そうよ。一昨日のことだけど」
ぷつりと何かが切れる音がした。
後を追うように鞄が地面に落ちる音が聞こえた。
それは俺の鞄ではなく、幼馴染のもので。
「
「まて里見、これは誤解だ。生徒会長は何か勘違いをしてる」
里見の目から光が消えている。
これはまずいと俺が否定の言葉を飛ばしたものの、彼女はふるふると首を振った。
「いや、ね。否定することないと思うよ? 僕も生徒会長のことはものすごく美人だと思うし、君が生徒会長に告白することも無理はないと思う」
鞄を拾い上げ、ついた土を手で軽く払う。
そしてようやく笑みを浮かべたのに、それは無理に作ったもののようにしか見えなかった。
「だけど、だけどね、告白する前に僕に相談とかしてくれればよかったのになって思うのは僕のワガママかな……」
それだけ言って彼女は去って行った。
呼び止めることは出来なかった、今は無理だと思ったから。
「女の子を泣かせるなんてひどい男」
「あんたのせいじゃないですか。俺はあんたに告白したことも、生徒会室に行ったこともないのに。言われなくとも生徒会室になんて行くものか、金輪際、絶対に」
その言葉に生徒会長は心底面白そうに笑った。
まるで俺が嘘八百を並べてると思われてるかのようで、イライラだけが募っていく。
「生徒会長は俺だと思って、それをかけらも疑うことはないですけど証拠はあるんですか」
「証拠?」
「そうですよ、証拠はどこに」
「ないわよ、でも有って困るのはあなたのほうでしょ?」
「何?」
そうして生徒会長が言った言葉を聞いて、俺は里見がこの場から離れていて良かったと思ってしまった。
もし聞いていたのならば俺か、はたまた生徒会長を殴り倒していたかもしれない。
「最近私を影から付きまとってるのあなたでしょ? 警察沙汰になってもおかしくないのを、私は話して解決しようとしてるの」
とんだ冤罪だと思った。けれども、そんな俺を救ってくれる存在は少なくともこの場にはいなかった。
「とにかく生徒会室には近づかないで、私はそれだけ守ってくれればいいから」
● ● ●
「ストーカーは良くないと思うっすよ」
朝にあったことのあらましを語り終えたところ。
そうぬけぬけと言った吉田の額を、デコピンで容赦なく撃ち抜いた。自業自得だ、のたうち回る吉田を横目に佐々木が苦笑した。
「で、葛木くんは生徒会室に行ったことはないってのは本当なの?」
「本当だよ、昨日の放課後は家できゅうりのおつまみ作ってた」
「へぇ、それはそれは……」
佐々木の目がすっと細まる。ようやく吉田が復帰し俺に箸を向けた。
「葛木さんのものすごくそっくりさんがこの学校にいる可能性はあるっすか?」
「前から思ってたけどさん付けやめろ、あと箸を向けるのもやめろ」
そう言いながらも少し記憶を漁る。無い、筈だ。少なくとも記憶に存在しない、黙って首を振る。
「だろうね、僕も『あっ、葛木君だ』って見間違えたことないし」
「俺もないっす、じゃあくずきっちが無意識で告白して付きまとってたということでファイナルアンサー?」
佐々木の手刀が吉田の頭頂にめり込み、今度こそ吉田は沈黙した。呆れて何も言えない、ため息をつき緑茶を飲む。いつになく真面目な顔をして佐々木はクルクルと指を回していた。
「そっくりさんはこの学校にいるわけでもない、葛木君は家で料理していたということは、まあドッペルゲンガーかな」
「オカルトかよ」
「まあまあ、でもそう思った方が楽だよ?」
にこやかな笑みで弁当箱から卵焼きを蓋に載せ、俺に差し出す。ぺこりと頭を下げ、卵焼きを手で掴む。
甘めのちょうどいい味付けだった。
「オカルトっていうのは理不尽を説明するためにあるものだからね、まあこれは持論だけど」
「ふーん……」
対極的な考え方だ、オカルトは全部説明出来ると俺は思っていた。この世に理不尽は存在しない、全部理由があってそこにつながっているはずだから。
「でさ、葛木君は多分このまま黙って引き下がらないんだろ?」
「まあな」
「じゃあどうするんだい?」
少なくとも形はある、存在はあるのだ。
「ドッペルゲンガーか、俺の知らない場所にいたそっくりさんだか知らないけど、とりあえずそいつを探す」
「でもどこにいるかわからないんだろ?」
ニヤリと俺は笑みを浮かべた。少なくともそいつの来る場所は想定できているのだ。
「場所に検討はついてるだろ? 生徒会室にそいつは絶対くる」
二人並べれば生徒会長も間違いに気づくだろう。少なくとも里見の勘違いは解かなければいけない、おれはそう考えていた。