ドッペルゲンガー症候群、または如何にして俺が悩むのを止めてそれに殺意を抱くようになったか 作:take2
「生徒会室へようこそ、何かご用ですか?」
元気はなくともいつものセリフはちゃんと出てくれた。
それに対する返事はない、ただ男子生徒は立ち尽くすだけで、私は首を傾げた。
「あのー」
「……やっと二人きりになれた」
「え?」
ひどく歪んだ笑みが口元に浮かんでいるのが見えた。
「俺のこと、覚えてますか?」
見覚えはある、そして何か話した記憶はあるのに思い出せない。少し考えて私は首を横に振った。
「いえ、ごめんなさい。君のことを思い出せないわ」
「そんなの嘘でしょう? 恵さんが俺のことを忘れるはずないじゃないですか」
「そう言われても……私と君が最後に話したのか教えてくれない?」
不躾に下の名前を呼ばれたことに眉をひそめる。いきなり下の名前を呼ばれるほど関係は深くないはずなのに、やけに馴れ馴れしく話しかけるのが、ほんの少しだけ悪印象だった。
「いつも挨拶してるじゃないですか、俺に笑顔を向けながら!」
「私はあなただけに挨拶してるわけじゃないんだけど」
「何言ってるんですか、もしかして恥ずかしがってるんですか? そういうところ恵さんはやっぱり可愛いなぁ」
『とりあえずその部屋からすぐ離れたほうがいい』
彼が電話で残した言葉が再生される。
こういう意味だったのかしら、思わずため息をつく。
「それで、何の用で生徒会室に?」
「そう! 話はそこなんですよ! あの糞虫野郎が一週間恵さんの周りをうろちょろと付きまとった所為で、ずっと邪魔されてたんですよ!」
「……は?」
「やっと二人きりになれた!! もうあんな奴に邪魔はさせない!!」
狂ったようにそいつはケタケタと笑い始めた。彼のことを罵倒されたのにも腹がたつが、それを咎めるには彼は異常すぎた。
この場から逃げなければいけない、けれども唯一の出入り口の前にはそいつが立ち塞がっている。
どうすれば良いかわからないでいると、ピタリと笑いが止まった。
「本当に、長かった」
「……取り敢えず話を聞きましょうか」
逃げられないのならば、さっさと話を終わらせるしかない。私の機嫌を知ってか知らずか、その返事に猛烈に頷きながら彼は言い始めた。
「いいですね。恵さんなら俺のこれから言うことも、多分わかってるでしょうけど」
あんたが何を思ってるか、何一つわからないわ。
そう心の中で毒づきながら、ちゃんと顔は笑みを浮かべていた。そういう腹芸には十分慣れていた。
「前、恵さんはお互いのことを知らないから付き合えないって言ったじゃないですか」
「……そうね」
お互いのことを知らないから付き合えない、告白された時体良く断るための理由がそれだった。葛木君にクラスまで会いに言った時もその理由をぶつけていた。
その言葉を聞いて、ようやく目の前でうるさく喚く男子生徒のことを思い出した。
去年の今頃振った相手、たしか一年生の。
「で俺は考えたんですよ、お互いのことを知るためにどうすればいいかって」
「何かしたの? 私からは何かしたようには思えないんだけど」
「いや、僕はやり遂げましたよ。俺は恵さんのことを一年かけて知り尽くしましたよ」
私には、彼が何を言ってるのかさっぱりわからない。
「……何を言ってるの?」
「だーかーらー、これで条件半分クリア。あとは恵さんが僕のことを知ってくれればいいんですよ!」
「私の何を知ってるっていうのよ」
それを聞いて男子生徒は私が何が言ってるのかわからないと首を傾げた。
「全部、知ってますよ? 試してみましょうか。誕生日も、血液型も、スリーサイズも、住所も、家族構成も、ペットの名前も、友人関係も、通ってきた小中学校、行きつけの美容院、使ってるシャンプーとかその他諸々は網羅してますから」
何でも問題を出してみてください、そう言われて私は動くことができなかった。確認したくない、その事実を認めるのが怖かった。
ただただ気持ち悪く、吐き気が止まらない。
「聞かないってことはわかってくれましたよね?」
「……一つだけ、聞かせて欲しいんだけど」
「何です?」
「一週間前から私に隠れて何かやってたのは貴方?」
「ありゃばれてましたか、恥ずかしい。そうですよ僕ですよ。ちょっとイラついてたんで、やっぱりばれちゃいましたか」
葛木君では無かった、こんな状況でもそれだけ聞いて少しだけ安堵した。
「恵さんのことを理解するのに一年の時間をかけ、そして前に振られたこの場所でリベンジを果たす! どうです、完璧なプランでしょう!」
「……貴方にとってはね」
「それが一年と一週間前から動き出した俺の計画だったんですよ! 生徒会室に恵さんが一人になりがちなのは知ってました、……なのにあの糞虫野郎が」
最悪な野郎だ、そう男子生徒は吐き捨てた。
「丁度一年経った先週からふらりと生徒会室に現れそれからずっと付きっ切り、俺のことを邪魔するより恵さんを独り占めしたことが何より許せない、万死に値する。お前のじゃなく俺のものなのに! 計画を変えることも考え始めて、帰り道に告白することも考えてたんですよ。でも待った甲斐があった、これで、ようやく乗り越えられる!!」
「ごめんなさい」
「は?」
キョトンとした顔に一気に畳み掛ける。なぜ彼がこんなに自信満々なのか理解できないし、理解する必要もない。出す答えはただ拒絶の一択だった。
「私と恋人になりたいのかもしれないけど、それは無理だと言ったの。これで話は終わり」
「嘘、ですよね? だって俺はこんなに努力したのに」
「残念だけど本当よ。だからこれで話は終わり」
それっきり黙り込んだ男子生徒を無視して、鞄に参考書などを全部しまい込み椅子から立ち上がる。
逃げるなら彼が茫然自失としている今しかないと本能が知らせていた。
結果から言えば、失敗してしまった。
鞄など放ってすぐさま逃げるべきだった。そもそもの間違いは電話を無視したことだろうけど、最終的な間違いはそこだったのだろう。
その隣を通り過ぎようとした私の目の前を、鈍色の光が通り過ぎて行く。
すぐさま後ずさる。出口が遠のく、でもそんなことを気にしてられる状況では無かった。
起こったことは至極簡単で、知らないうちに男子生徒はカッターナイフを握りしめ、それを容赦なく私の前に突き出した。
「……俺もそんなに悪じゃないんで、恵さんに最後のチャンスをあげます。よく考えて答えてください、俺と付き合ってくれますか?」
「わがままな男って嫌われるって知らないの?」
「そんなことはいいからはやく答えてくださいよ」
血走った目でジリジリとこちらに近づいてくる。
ここだけは嘘をついてもはいと答えるべきだとわかってるのに、どうしても口が重い。こんな相手に、思い通りにならなければ刃物を振り回すような相手に、嘘でも言いたく無かった。
そして結局出した答えは別の言葉だった。
「……私も好きな人がいるの、でもそれは貴方じゃないから」
「そうですか、それが、恵さんの答えですか」
窓に背中がつく。もう逃げ場はない、ゆっくりとカッターを振り上げるのを最後に私は目を閉じた。
「すぐに俺も後を追いますから、先に行っててください恵さん」
助けは来ない、彼にはもう生徒会室に近づくなと言ってるから。他の不真面目な生徒役員がこちらに運良く向かうことぐらいしかありえない。
それでも私が助けを求めて叫んでいた。
「私を助けてよ、葛木君!」
想定した衝撃はいくら待っても来ない、代わりに生徒会室の扉を開ける音がして。
「生徒会室に近付くなって言ったのに、俺に助けを求めるのはなかなか酷くないですか?」
そんな呆れた、最近ずっと聞いていた声が耳に届いた。
● ● ●
生徒会室の扉を開けると、そこは修羅場だった。
「私を助けてよ、葛木くん!」
そう言ってる彼女の目の前にはカッターを振り上げる男子生徒、俺は慌てて財布を投げつけた。スマホを投げつけなかったのは、我ながらファインプレー。
財布は見事男子生徒の後頭部に命中し、地面に落ちた。
振り向いた顔は怒りに染まっていた、それを無視し俺は生徒会長に言葉を投げかける。
こいつは俺のそっくりさんではない。
「生徒会室に近付くなって言ったのに、俺に助けを求めるのはなかなか酷くないですか?」
ほんの数分前、佐々木の歯切れの悪い言葉の後。何か様子がおかしいことを知らされ、カッターナイフを振り回し始めたと聞いてすぐさま俺は生徒会室に向かっていた。
それが幸いしてギリギリ間に合うことができた。
佐々木は俺にすぐに生徒会室に近付くなと言った。無手で刃物を振り回す相手に立ち向かうべきじゃない、教師の指示を仰ぐべきだと。
多分それが一番理論としては正しい、ただ間に合う保証がないから俺が先に動くことにした。
すぐに佐々木も教師を連れてこちらに来るだろう。戦う必要はない、時間を稼げればいいのだ。
「おまえはいつも俺の邪魔をしてくれるな」
「俺とお前は初対面だと思うんだが」
「いいや、邪魔したさ。この一週間生徒会室にいたせいでここまで時間がかかり、失敗した。全部お前のせいで」
「お前も間違うのか、それは俺のそっくりさんだよ。俺はまた別人だ」
酷い話、けれどもその勘違いのおかげで生徒会長から俺に標的は映ったようだった。へたり込んだ彼女を無視して、完全にこちらへと向き直った。
隙があれば後ろから殴り倒して欲しいんだが、今の彼女にそれを期待することは無理だろう。
「白々しい嘘をつきやがって」
「別に信じても信じなくても、俺はどっちでも構わないんだが」
カッターナイフをちらりと見やる、ひどく弱っちい武器だと思う。殺意の薄さ、多分本当は使う予定がなかったのだろう。ただそうだとしても刃物としては十分機能する、当たりどころが悪ければ死ぬ。
「でさ、聞きたいんだがそのカッターナイフで誰を殺そうとしてるんだ? 俺を殺そうとしてるのか、本当にそれで殺せると思うか?」
助けはまだ来ない、そして時間稼ぎももう限界だった。
カッターを俺にむけて突き出しながら、おもむろに近づいてくる。
「殺してやる」
返事を返す必要はない。
最悪の可能性は避けられた、一番悪いことは生徒会長を人質に取られること。
そういう意味では成功し、そしてそれは俺がここから引くことができないことを意味していた。
ここから逃げた場合矛先が向かうのは生徒会長だ、ならば彼女ではなく俺がぶつかったほうが分が良い。
急速に頭が回り始める、どうこの場を耐え凌ぐ?
どうやって切り抜けるか、相手の初手は間違いなく刃物からになるのはわかる。
タックルから押し倒されて刃物でトドメはない、そして蹴りもない。
相手がカッターに執着しているからこそ、だからそれを一番前に出し、切りつける範囲になったら即座に振るおうとしてるのだろう。
それを逆手に取る。カッターは切れるが刺さり辛い、そして学ランのことを考えれば、首か顔への切り払いか。
はじめの一手をかわして泳いだ右手を取れさえすれば。
じゃあどうやって初手を回避できるか、後ろにかわすのはその繰り返しで追い詰められるだろう。
じゃあ、前か。
覚悟しなければならない、もう距離はすぐだ。
俺が前に突っ込むのと、相手が前に踏み込むのはほぼ同時だった。左前方から鈍色が迫る。
それをさらに潜り込むように前へ、左頬が一瞬燃えるように熱くなったけど無視。
一撃食らわせて硬直した右手の肘を左手で拘束し、それとほぼ同時に肩を右手で掴んでいた。
そして勝敗は決した。
そこからは考えるまでもなく体が動く。
引き手に引っぱられた相手の体が俺の背中がぶつかり、次の瞬間ストーカーの体が宙を舞っていた。
ドシンと生徒会室に重いものが叩きつけられる音が響く。
受け身もまともにとれなかったのか、手からするりとカッターナイフが床に滑り落ちる。すぐさまそれを開きっぱなしのドアへと蹴り出す。
それと入れ替わるようにドタドタと人が流れ込んできた。
少し遅れて助けの到着だった。
「大丈夫かい葛木君!」
「ああ、一応な」
名前も知らない男子生徒を教師数人がかりで運ぶのを横目にそう返す。
本当に危なかった。全部紙一重、俺が助けに間に合うのも、一発目を運良くかわせたのも、綺麗に投げが決まったことも。
「本当に危なかった」
「……とりあえず葛木君は今すぐ保健室いこうか」
「なんで? 特に怪我してないだろ」
「ここ、触ってみなよ」
そう指差した先は頰だ。指示に従い手を当ててみると、何かぬるりとした感触がある。
目の前に戻した手は血で濡れていた。
一本背負い投げ