稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生   作:ノーマン(移住)

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106話:黄昏

宇宙歴796年 帝国歴487年 6月下旬

首都星オーディン 新無憂宮

シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ

 

「ベーネミュンデ侯爵夫人、皇帝陛下がお呼びです。中へどうぞ」

 

侍医のひとりが陛下の寝室の隣に作られた控の間で待機していた私を呼びに来られた。年始から何かと体調がすぐれないご様子だったが、先日、長年陛下にお仕えになられたグリンメルスハウゼン子爵の訃報を聞いて以来、完全に臥せってしまわれた。グリューネワルト伯爵夫人とも話しあい、何とかお元気になられる様にと看病をしてきたが、ご高齢な事もあるが、陛下ご自身がご自分の人生に満足されてしまったようにも感じていた。

寵姫としてお仕えしてもうすぐ20年、馴れない宮中で思う所が無かったわけではないが、ディートリンデも婚約したばかり、出来れば花嫁姿をご覧いただきたい気持ちもあった。だが、婚約の経緯を考えれば、もはや公然となりつつある内戦が決着してからの話になるだろう。つまりディートリンデの花嫁姿を陛下がご覧になるのは難しいという事だ。

 

「陛下、シュザンナでございます。お呼びとのことで参りました」

 

「おお、今日はだいぶ気分が良い。控えてくれていたのであろう?いつも済まぬな」

 

何とか笑みを浮かべようとされるが、いつもの楽し気な笑みではなく、どこか無理をしているご様子だった。ただ、これも陛下の優しさなのだと思えば無下にする訳にもゆかない。私も無理にでも笑みを浮かべなければ......。

 

「儂とシュザンナの仲なのだ。無理に取り繕うこともあるまい。其方らは何とか励ましてくれたが、どうにも良くないようじゃ。心細いやもしれぬが、どう転んでもディートリンデの立場は守られる様にザイ坊が手配してくれた。もしもの事があっても心配する必要はないのじゃ。そのように辛そうな表情をしてくれるな......」

 

「陛下、そのようなお話をされては治るものも治りませぬ。顔色が大分よろしいので、少し驚いておりました」

 

「うむ。シュザンナは最後まで宮中に馴染めんかったのう。宮中に馴染むには嘘がうまくなければならぬが、其方は嘘をつくときは視線を逸らすからな。そんなに気にする必要はないのじゃ。自分の身体の事じゃ。儂が一番理解しておる」

 

ベッドサイドの椅子に座り、少しでも励まそうと陛下の手を握るが、いつも温かな陛下の手に、私の知っている温かさは無く、そして日に日に痩せているのがわかるほど細くなっていた。確かに既にご高齢ゆえ、いつかこんな日が来るとは思っていたが、いざ迎えてみるとこんなにも狼狽えてしまうとは......。陛下の言われる通り、私は宮中に馴染めなかったのかもしれない。

 

「良き意味で『馴染めなかった』と申したのじゃ。シュザンナは後宮に来た日から善良であった。皇帝としては何かと悩むことが多かったが、其方とアンネローゼには何かと救われた様に思う。『至尊』の地位にあるという事で、公の場では阿りつつも、陰では不正をする者たちがどれほどいた事か......。儂には確認する意思も手段も無いと思っておったのやもしれぬが、それこそ笑止な事よな。報告を求めれば、それこそ歓楽街の喧嘩のひとつまで、儂に詳細が届くというのに......」

 

陛下が悲し気な表情をされる。即位されて30年以上になるが、陛下の治世は長い帝国の歴史でも比較的に安定はしていた。ただ、陛下の本意ではない事ばかりの30年だったのだとも思う。門閥貴族を巻き込んだ形で跡目争いをご兄弟がされ、結果、多くの貴族が『大逆罪』に連座し、お取り潰しとなった。その直後に即位された陛下は、まず門閥貴族との関係修復から治世を始めなければならなかった。革新的な政策はとれなかったし、利権を尊重して介入もされなかった。

次代の両翼とすべく、ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家に降嫁を許されたが、故ルードヴィヒ皇太子がそれを台無しにしてしまった。唯一の光明は、軍部系貴族が団結し、戦況を優勢に進めた事だ。ただ、それを実現したのは下級貴族と平民を実力主義で抜擢するという『革新的な手段』に拠る所が大きかった。門閥貴族からすると従来の帝国の有り様からは考えられない政策だ。陛下は軍部貴族を厚遇もしなかったが、介入もしない事で門閥貴族に一定の配慮をしながらも軍部系貴族の政策を容認する姿勢を示された。政府系を含めてお互いの領分は冒さないという建前の下、なし崩し的に政策は容認された。

そして今、陛下が介入しない事で守った革新的な政策で力を強めた軍部系貴族が、爵位に胡坐をかいていた門閥貴族に牙を剥こうとしている。だが、これも因果応報だろう。生まれる前の話だが、『第二次ティアマト会戦』の敗戦の折は、門閥貴族が軍部貴族の利権を奪おうと、何かと暗躍したと聞く。した方は忘れても、された方は忘れない。そしてこれでも貴族階級に属している私には、考えさせられる部分が大いにある話だが、帝国の統治を考えるうえで、門閥貴族が足枷になりつつあるのも確かだろう。

 

「シュザンナよ。間違わぬようにな。本来なら儂がすべき改革を軍部貴族が為そうとしておるのじゃ。ディートリンデはおそらく帝国で初めての女帝になるやもしれぬが、あくまで『神輿』じゃ。変に介入しようとすれば、さすがに『ザイ坊』でもかばいきれぬであろう。ただ、善良なお主から見てあきらかにおかしいと思う施策があれば、まずはあの者に確認する事じゃ。必ず納得のいく意図があろうからな」

 

「はい。皇室が門閥貴族に代わって、変化を押しとどめるような存在になれば、それこそ土台を揺るがすことになります。内戦までするのですから、それを忘れぬようにディートリンデにも言い聞かせます」

 

「それで良い。『臣民全てが、努力すれば明日はもっと良き日になる』と思える帝国が出来る事じゃろう。本来なら儂の役目であったが、そこまで踏み込めなんだ。思えばグリンメルスハウゼンにも悪い事をした。儂の侍従武官になどならなければ、もっと表立った役目に付けたやもしれぬ。能力を隠さなければならぬ状況でなければ、内務省の次官位にはなっていたやもしれぬでな」

 

私の知っているグリンメルスハウゼン子爵は、好々爺然として、お茶を飲むのが好きな方だ。とても内務次官が務まるようには思えなかったが......。

 

「シュザンナよ、お主はそれで良いのだ。あやつこそ良い意味で本物の忠臣よ。儂には隠して居ったが、兄と弟の取り巻きを煽ったのはあやつなのじゃ。それも儂を皇帝にする為ではない。『自ら下りた』儂を、皇族ならともかく、取り巻きが悪しざまに蔑んだのが許せなかったのじゃ。思った以上に大事になり、気づいたら儂が皇太子になっておった。

 

あやつは儂が『皇帝になりたくない』のも知っておったからな。しばらくはやり切れない様子であったし、頑なに栄達を拒んだ。幼少からの侍従武官だったのじゃ。本来なら昇爵して伯爵となっても良かった。表立った役目も望めば用意できたが、頑なに辞退しおった。儂に不本意な役目を押し付けた以上は、自分も表の役割はせぬとでも決めたのであろうが、なんとも不器用な事よな......」

 

「そのような事がございましたのですね。何と申して良いのか......。私には好々爺然とした印象しかございませんでしたので、驚きました。ただ、『ご自分だけが日のあたる場所に居る』様な事は、確かにグリンメルスハウゼン子爵はなされないように存じます」

 

「うむ。仕える主を悪しざまに言われた『叔父貴』、兄弟を争わされた『兄貴』、その志は乳母を殺されたザイ坊が継いでくれよう。お主は良くなった帝国を見届け、満喫してくれればそれで良い。ディートリンデの事をくれぐれも頼むぞ」

 

「陛下......」

 

少しでも励ませればと思い、少し温かみが戻った陛下の手をさする。私を慈しみ、守って下さったのは陛下だ。そしてディートリンデという宝物まで授けて下された。そして皇帝としても自分の力が及ぶ限り臣民に配慮されてきた。成りたくもない地位に就き、ここまで尽くされれば十分ではないだろうか。だが、わがままと分かっていても陛下を失いたくはなかった。『何とか回復に向かって欲しい』そんな思いを込めて手をさする。

労うように陛下が私の手を握り返して下さる。寵姫になった当時から変わらない。いつもお優しく、私を気遣って下さる。今まで当たり前だったこの温もりを失うと思うと怖かった。闇夜の到来を恐れる気持ちを紛らわせるように、私は陛下の手を握り返した。


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