稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生   作:ノーマン(移住)

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112話:狼煙

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月中旬

首都星オーディン オーベルシュタイン邸

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「貴方?今日のソースの出来はどうかしら?ハーブの組み合わせを少し変えてみたのだけれど......」

 

「フリーデ。今日の出来も非常に良いと思う......。済まないな。いつも似たような感想で。私はどうもこういう事をうまく表現するのが苦手でな」

 

「良いのです。別に評論家のような美辞麗句を求めているわけでは無いのですから。それに食べているお顔を見れば、満足いただけているかは分かります。念のため説明してるだけなのですから......」

 

そう言うと妻は嬉しそうに笑う。結婚して4年。どちらかと言うと私は表情に乏しいと思うし、感情を伝えるのも苦手な部類だが、なぜわかるのか?何かと察してくれるし、余人には出来ない事だから尚更うれしいらしい。情報部の同僚を招いたことは無いが、オーベルシュタイン家は意外にも賑やかな家庭を築いている。望外の喜びにも恵まれた。結婚した以上、自然とそういうことになったが、私は自分の目の事が心配だった。だが宿った命は無事に生まれたし、診察の結果、先天的な障害も無いとのことだった。

 

自分ではままならない事ではあったが、人生で一番ほっとした経験だったと思う。情報部の任務に昼夜は無いが、帰宅した際に寝顔を見るのは、癒されるひと時でもある。『伯』に倣って、子犬も飼い始めた。名前も『伯』に一応お伺いを立てて『ロンメル』とした。初代ロンメルも何かと役目を意識して、周囲の幼い者たちを守ろうとしていた。同じように私たちの宝物を守ってくれればと思っている。

 

「家の事も育児も任せきりになってしまい、すまないと思っている。もう少し余裕が出来ればよいのだが......」

 

「そのような事に気を使う必要はありませんわ。家を守り、子を育てるのは男爵夫人としての私の役目です。貴方は貴方のお役目をしっかり務めて下さい。そうでなくても緊張が高まっているのですから......」

 

オーベルシュタイン家はリューデリッツ伯爵家の寄り子のような物だ。そうでなくてもフリーデは軍部系貴族の旗頭になるであろうディートリンデ皇女殿下の料理の講師役でもあった。情報部の分室を預かる以上、知りえた事は洩らせないが、何かと情報が入るのだろう。事情を知っているからこそ不安なそぶりを見せないし、私に何かを確認する事も無い。聞かれても話せない事が多い関係上、助かる部分もあったが、昔はもっと私に頼ってくれたようにも思う。それを思うと、男爵夫人として母親として成長したのだと思いつつも、どこか寂しく思う自分がいた。

 

久しぶりにゆっくりとした晩餐の時間を過ごしていたが、電子音がその時間の終わりを告げた。情報部の人間しか持つことを許されない秘匿回線を使用した端末が着信を告げる。思わずフリーデに視線を戻すが、既に察していたようだ。

 

「着替えは数日分、いつものカバンに用意してありますわ。出かける前に寝顔だけでも見てやってくださいませ。私は少し席を外しましょう」

 

そう言いつつ、食卓を離れるフリーデを横目に、通話ボタンを押す。当直の士官が、緊張した面持ちで敬礼していた。

 

「オーベルシュタイン中将、このようなお時間に失礼いたします。『日の入り』の時間となりましたので、こちらへお戻り頂けますようお願いいたします」

 

「当直ご苦労。30分以内に戻れるだろう。詳細はそちらで」

 

答礼を返し、通話を終える。『日の入り』は陛下が身罷られた際の隠語だ。陛下の治世は30年を越える。帝国内のバランスを保つために主導で何かをなされる方ではなかったが、少なくとも帝国の秩序を守るべく『陰』で様々な手を打たれた方だ。そして何より劣悪遺伝子排除法を廃法にして下さった。人によっては『バランスを気にして長期の治世で何も主導しなかった』などと浅い批評をする人物もいるやもしれぬ。だが、先天的に目が不自由だった私にとって、劣悪遺伝子排除法を廃法にして下された陛下は救世主だ。

 

「貴方、しばらくは不眠不休でしょう。当直の方々を労って下さいませ」

 

通話が終わったのを見計らったのだろう。フリーデが大きめのバスケットを持って戻ってくる。彼女はレシピ本を出版するほどの料理の腕前を備えている。部下たちに差し入れは好評だが、よくよく考えると火急の折はいつも差し入れが用意されている。下手をしたら情報部の佐官クラスなどより余程事情通なのかもしれない。だがこういう事は聞かぬが華だ。礼を言って口づけをし、嫡男の寝顔を少し見た頃に、窓から車のランプが見える。どうやら情報部の迎えが来たようだ。

 

「ではフリーデ、行ってくる。今更の事だが落ち着くまでは身辺には気を付けてくれ。義父上に近い方々には、シェーンコップ男爵率いる近衛第2師団が警備に付いている。間違いはないと思うが念の為な」

 

「承知しております。家の事はお任せくださいませ。変な言質も与えぬようにいたします。貴方こそ、『ザイトリッツの懐刀』などと呼ばれているのです。十分にお気を付けください」

 

気丈に振る舞うフリーデを安心させるために軽く抱きしめてからもう一度口づけをする。一呼吸おいてから、バスケットと着替えの入ったカバンを持ち、地上車に乗り込む。軍務省の庁舎まで15分もかからないだろう。それにしても御いたわしい。門閥貴族の問題がなければ、ディートリンデ皇女殿下の花嫁姿を見た上で旅立つことが出来たであろうに。

慰めになるかはわからぬが、ベーネミュンデ侯爵夫人が仮縫いまで済ませた花嫁衣裳の試着の場に陛下も同席されるよう手配したと聞く。

私の救世主が少しでも安らかな眠りを迎えられるように、私は窓の外の街灯の光が流れるのを見ながら祈った。私なりに御恩を返せたとは思っていない。この御恩は、いずれ即位されるであろう『ディートリンデ陛下』に、しっかりお返しせねばなるまい。

 

思えば、自分が思い描いていた人生からは遠く離れてしまったが、望外の喜びにあふれた人生を歩んでいる。当初はRC社で投資案件に少しでも関われればと考えていたが、その分野はシルヴァーベルヒが頭角を現しているし、補佐役のグルックも一角の人物だ。私は『伯』とRC社のもうひとつの眼としてお支えした方が良いだろう。その第一歩に相応しいのは、陰でふざけた動きをしているリヒテンラーデら『政府系貴族』のけじめをきっちりつける事だろう。既に憲兵副総監のケスラー中将とも打ち合わせは済んでいる。

 

今までは見て見ぬふりをしていただけであって、見えていない訳ではない。軍部系貴族が主導する新しい帝国で、従来の処世術が通用しないことをしっかり味わってもらおう。陛下が即位に至った経緯について、故グリンメルスハウゼン子爵は涙を流されたと聞く。あの方にもかなり良くして頂いた。そのケジメを取るのは、御恩を受けた私とケスラー中将の役目でもあるだろう。そうこうしているうちに見慣れた軍務省の庁舎が見えてくる。私の内戦は既に始まっていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月中旬

フェザーン星系 ドミニクのクラブ

ドミニク・サン・ピエール

 

「さすがに内装にも手をかけておりますな。酒だけなら費用を度外視すれば良いものを飲ませる店はありますが、雰囲気も含めるとこちらの右に出る場所を私は知りませんな」

 

「あら、ボルテック様はご無沙汰されているうちにお世辞もお上手になられたようですわね。ただ、どうせならキャストがいる場も観て頂きたかったですわ。一番力を入れているのはそちらですから」

 

「それは残念です。私は避けられるリスクは避けるタイプですから。ルビンスキー氏とその補佐官が出入りする場では、心から楽しむ事も難しいでしょうしね。お互い大事な時期です。線引きはした方がよろしいでしょう」

 

「そうですわね。こちらは酔うのも仕事の内ですが、ボルテック様はそうも行かないでしょう」

 

そう言いつつ、薄目に作った水割を自然に手元に差し出す。別に酔わせるつもりはないが、『大事』を話し合う時は喉が渇くものだ。あくまで喉の渇きを潤す範囲ですっきりと飲めるように仕上げてある。私はいつも通り、『あの方』の代名詞でもある『レオ』を楽しむ。

 

いつも思う事だが不思議なものだ。『レオ』を飲んでいると『あの方』の傍にいるような気がして、いくら飲んでも本当に酔うことは無い。確かにあれが初恋だったかもしれないが、今更、生娘のような純情な部分が私に残っているのかと思うと、それはそれで嬉しかった。

 

「丁度良い塩梅ですな。お気遣いありがとうございます。先にお詫びではないのですが、私はそちらに全容を伝えるのは反対いたしました。しかしながらドミニク殿がこれを知っていれば、うまくフェザーン商人たちに恩を売りながら、効果を更に高められるだろう......と。

今後も共に仕事をする仲なのだから、余計なしこりを残さぬ意味で、謝罪と全容を私から伝える様に、『あの方』からご指示頂きました。個人的に含むところがあるわけでは無いが、内容を見てもらえれば私がこの内容を知っている人間を増やしたくなかった事を分かってもらえると思う。申し訳なかった。許して頂きたい」

 

「それはお互い様ですわ。私も全容を全てそちらに伝える様に指示を受ければ、やはり二の足を踏みますから。それにしても『あの方』は女性の扱いが相変わらずお上手だわ。『もっと輝ける』と言われれば、励むしかありませんから」

 

自分ではまだ小娘だったなどと言っているが、その小娘の折に一度会っただけで帝国の重鎮に覚えて頂けていた事は、私の誇りでもある。『あの方』がもっと輝けるというなら、信じて羽ばたくだけだ。

 

「こちらが詳細になります。電子化したものはこちらのチップに入れてあります。ご指示では『同盟軍のイゼルローン要塞攻撃部隊がエルファシルを進発して以降の木曜日から開始せよ』とのことでした」

 

「『あの方』は本当に市場経済にも精通されているのね。それに民主制にも。木曜日というあたりが絶妙だし、エルファシルを進発してからと言うのも徹底しているわ」

 

端末の資料を読み進めて行くと、とんでもない数字が羅列されている。『帝国でも屈指の富豪』なんて表現では足りないだろう。フェザーンの首都圏全てを買っても、おつりが出るに違いない。

 

「意図的に金融危機を起こす為に、株を全面的に売り浴びせる。それで得たディナールを一気にフェザーンマルクへ換金。頃合いを見計らって暴落したディナールに再度換金して、暴落した株を買う。しかも戦後を見据えて終戦となれば斜陽産業になる所から先端技術をもった企業へ投資先を差し替える。『あの方』の指示でなければ世迷言にしか思わないわね」

 

「産業機械の分野では同盟の方が進んでいる。資本を使ってそれらを一気に吸収してしまわれるおつもりだろう。戦後を考えれば、軍需関連業界から資金を引き揚げられるのもかなりの旨味がある。少なくとも同盟の軍需産業は数年以内に廃業でしょうからな」

 

「数年後に廃業する企業に同盟の公的資金をつぎ込ませるおまけつき。はあ。ある所にはあると言うけれど、ゼロの数を数えるだけでも大変ね。私もフェザーン人の中では富豪の仲間入りをしているけれど頭が追い付かないわ」

 

「そう聞いて安心しましたよ。私もこの案件に関わる時にゼロの数を数えて首を傾げた記憶がある」

 

ボルテック氏はそう言いながら水割りを2口飲んだ。あまり感情を表に出さず、実直にビジネスを進めるタイプの彼には珍しいが、あちらの全てを把握しているのは彼だけなのだろう。そういう意味では、やっと忌憚なく話せる相手が出来たという所だろうか?

 

「本来なら色々共有しながら事を進めるべきなのだろうが、額が額だ。細かい調整は難しいのだが、不都合はあるだろうか?」

 

「問題ないわ。要は恩を売れば良いのだもの。役に立ちそうな層には儲けさせて、それなりの層には損を多少なりとも取り返させるわ。それで十分貸しにできるもの」

 

「そうか......。正直安心した。細かい要望などされたらどうしようかと思っていた。そちらを甘く見ていたようだ。重ね重ね申し訳ない」

 

ボルテック氏が深々と頭を下げる。この男の強みは、確かな実力もそうだが、自分が仕える側だと理解している事だろう。並みの人間なら勘違いするし、ルビンスキーなら自分の力を誇示する様に見せるはずだ。独立しても成功しないけど、大手の経営者で成功するタイプ。『あの方』は本当に人間を見ている。

 

なら私はどう見えているのかしら......。『あの方』は夜の蝶の扱いにも長けていた。男を上手く使ってのし上がる『悪女』のように見えていないかしら......。そんな事が不意に気になった。もう少しお傍に居られれば、宇宙のどちらでも恥ずかしくないもてなしが出来るホステス役に使えるとご理解いただけるだろうけど......。本題がスムーズに運んだ為か、当初より少しホッとした様子のボルテック氏を横目に、私はそんなことを考えていた。




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