稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生   作:ノーマン(移住)

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142話:調印式

宇宙歴797年 帝国歴488年 6月上旬

ランテマリオ星域 戦艦ヘクトル ラウンジ

ジェシカ・エドワーズ

 

「ランテマリオ星域を抜ければいよいよ惑星ウルヴァシーだ。ジェシカ?緊張しているのかい?」

 

「大丈夫よ。ジャン。それにしても士官学校時代を思い出すわね。フレデリカさんがもう少し早く生まれていたら、こんな感じだったのかしら?」

 

唯一保有を許された戦艦ヘクトルのラウンジで、ヤン夫妻とともにお茶を飲む。ハイネセンを発って以来、習慣になりつつあるお茶の時間は、バーラト政府の評議会議長の座についた私にとって、総選挙以来目まぐるしかった日々を振り返る意味でも、ありがたいひと時だった。

 

「ヘクトルは、ある意味記念艦だからね。帝国軍としても他の戦艦と同様に扱う訳にもいかなかったんだろう。宇宙艦隊司令長官の座乗艦で、最後の最高評議会議長が交渉に向かった艦でもある。これが彼女の最後の任務になると思うと少し寂しい気もするが.....」

 

ヤンがフレデリカさんが入れてくれたお茶を飲みながらマイペースなことを呟いた。そんな事ですら、安心につながるのだから、それなりに疲れていたのだと思う。敗戦から和平条約の可決、それに総選挙。左派の旗頭に選ばれたのも急な事だったし、多くの右派議員と高級官僚の汚職事件も重なり、何かと決断を迫られる日々だった。

そういう意味でも気心が知れた人間だけと言うのは気が楽だ。気を使ってなのかもしれないが、閣僚で唯一同行しているシトレ国防委員長は、艦橋に詰めている事が多い。慣れ親しんだ場所だろうし、艦長からしても、国防委員長を船室に押し込めておくのは気が引けるのかもしれない。

 

「それにしても複雑な気持ちだな。帝国軍の提督は出来た奴ばかりだ。ジェシカの言じゃないが、ミッターマイヤー提督は平民出身だとも聞く。士官学校で出会っていれば良い友人になれただろう。それにただの護衛なのにそつがない。こういう指揮官は実戦でも出来るんだ」

 

外の様子を映す大モニターに目線を向けながらジャンが呟く。バーラト政府に所属する艦艇は、ヘクトルを合わせても十数隻。その周囲を取り囲むように帝国軍が航行している。我々の護衛役を担当するミッターマイヤー艦隊の艦影が、モニターに広がっている。

 

「好感が持てる人物なのは確かね。何より、ご自分も幼い子供を残してきているのに部下を先に返すなんて中々出来る事ではないもの.....」

 

ケリム星系まで分艦隊を率いて出迎えに来た彼は、丁寧に挨拶をしてくれた。出征に投入された帝国軍は約18個艦隊。その多くは既に本国に帰還している。ジャムシードとエルファシルに一個艦隊。ウルヴァシーに2個艦隊が駐留しているが、数年もすれば規模も縮小されるだろう。帝国は既に戦後を見据えて動き出している。本来なら政府閣僚をもう数名同席させるところだが、それを控えたのも、政策決定に空白期間を作らない為だ。

同行しているシトレ委員長は、何か言いたげな表情をしつつも、黙したままだ。もしかしたら敗戦の責任をお一人で感じておられるのだろうか?私たちも戦後を見据えて歩き出さなければならない。あまり気に病んで頂きたくはないのだけど......。

 

「ジャン、ミッターマイヤー提督も、候補生時代からリューデリッツ伯の所に出入りしていたはずだ。調印式に同席するローエングラム伯の戦術講師を務めていた。伯の屋敷に出入りしていた青年たちが、今の帝国軍の屋台骨となっている。見出したにせよ、育てたにしろ人材を見る目は確かだ。だから今回は大丈夫だと思う」

 

和平条約の調印式の帝国側の代表はリューデリッツ伯だ。事前に対等な立場での儀礼で進める事が決まっている。バーラト政府の議長が頭を下げるのは皇帝陛下に対してだけ。他の民主共和政体をとる星系の首班は、自治尚書に頭を下げる以上、ある種、民主共和制陣営の宗主国のような扱いを受けている。ただ、トリューニヒト前議長の引継ぎの言を加味すれば、皇帝陛下の権威を高めるツールにされているとも捉えられる。好待遇に油断することは出来ない。

 

「それに、帰属が宙ぶらりんの地方星系がどちらに吸収されるか?は、為政者にとっての試金石にもなる。膨張した帝国は、血肉を伴わせる為に走り出した。我々はコンパクトになった分、体制は整えやすい。とは言え、地方星系がこちらを当てにするようでは、帝国の面目が立たない。帝国政府に緊張感を持たせるツールでもある訳だね。だから今回は大丈夫さ」

 

論旨は理解できるが、のほほんと紅茶を飲みながら解説されると、少しはこちらの心境も慮ってほしい気もする。ただ、これがヤンなりの励まし方なのも長い付き合いだ。良く分かっていた。困った表情で、ヤンの代わりに畏まるフレデリカさんの様子に思わず苦笑してしまった。副官から妻になり、そしてお目付け役になった彼女。これならしっかりサポートしてくれるだろう。艦内アナウンスで、惑星ウルヴァシーが肉眼で見える距離になったのを知らされたのは、皆のカップがちょうど空になったタイミングだった。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 6月上旬

惑星ウルヴァシー 自治省本庁舎 貴賓室

ヤン・ウェンリー

 

「本来なら、こういう場では晩餐会などを合わせて行うのだろうが、こちらも迎賓館が完成していない。そちらも就任早々、帝国の重役と楽しく会食したなどという話が漏れても良くないだろう。そう言う事はお互いもう少し落ち着いてからの方が良いと判断させてもらった」

 

「ご配慮ありがとうございます。リューデリッツ伯のおっしゃる通り、私どもの政権はスタートしたばかり。市民たちに努力を望む以上、議長である私も身を律する必要があるでしょう。お気になさらずに」

 

惑星ウルヴァシーに到着して数時間、逗留先の施設に落ち着き一息ついた所で、お茶の誘いを受け、自治省本庁舎の貴賓室に案内された。室内にいるのは6名。バーラト政府側はジェシカ、シトレ委員長、そして私。帝国側はリューデリッツ伯、ローエングラム伯、そしてその側近であるキルヒアイス大将だ。

 

「些細なことかもしれないが、会見の場での挨拶はビジネスの場の物で統一してしまって良いだろうか?女帝陛下の顧問には女性もいるが、帝国の要人の多くは男性だ。宮中作法も意味がないわけでは無いが、価値観が異なる以上、この方が良いと判断したのだが.....」

 

「ありがとうございます。私もビジネスの場の物が宜しいと存じます。もっとも、帝国の重鎮方を作法の上とは言え、跪かせるのは女性の特権でしょうから、一度は経験してみたい気もしますが.....」

 

ジェシカの冗談に、伯が笑い、場が和む。場に並んだカップは見る人が見ればかなりの物だと分かるものだが、お茶の方もかなりの物だった。心情の面でユリアンやフレデリカに軍配を上げたい所だが、壮年の男性が見事な手さばきでお茶を入れる様子は、故ミンツ少佐を彷彿とさせるものがあった。

 

「偉くなると振る舞う機会が減るから.....」

 

そう言いながら、キルヒアイス大将がお茶を用意しようとするのを制して、リューデリッツ伯がお茶を用意された。伯が入れたお茶を飲んでみたいとも思っていたが、飲んでみると美味しい事はもちろんだが、記憶に残る味......。というか経験だった。歓迎の意を表す意味も含まれているのだろうが、見事な所作は見ていても飽きない。重要な案件を話しあう前に、こういう時間を取る事は、落ち着く意味でも効果があると思った。

 

「あまり悠長にしていられる身の上では、お互い無いでしょう。先に本題を片づけてしまいましょう。明日の調印式で取り交わす協定書ですが、トリューニヒト前議長が公表された物と一部異なります。こちらをご確認願いたい」

 

私たちの手元に3通の資料が置かれる。その一部が強調されていた。バーラト政府が帝国に支払う安全保障費の条項だ。確かに公表された条件より、抑えられた金額が記載されている。

 

「その表情だと、シトレ委員長は黙秘を貫かれたようですね。事前交渉でまとまった条件では、安全保障費はこの金額でした。ですが、トリューニヒト前議長はすこし増額した条件の公表を提案しました。厳しい状況に置かれるであろう新政権に対して、その初期に少しでも功績を立てられるようにとのお考えだったようです」

 

民主共和制の芽を残しつつ、自分が泥を被り後進に功績を立てさせる。全くもって食えない人だ。笑みを浮かべながら美辞麗句を並べる裏で、どこまでシビアに先を見ていたのだろう。不幸中の幸いは、汚職事件に注目が集まり、前議長への批判が少ない事だ。ただ、こういう密約があった以上、しばらくは世に出ない覚悟もされていたのだろう。苦笑するシトレ委員長を横目に、ジェシカが話を進める。

 

「リューデリッツ伯、私はこれをどう活かすべきでしょうか?助言を願う立場にないのは分かっていますが、参考までにお考えを伺えれば幸いなのですが.....」

 

「そうですね。友好を考えるなら女帝陛下のご温情によりとする所ですが、楽な状況でもないでしょう。私なら、エドワーズ議長の必死の説得により、条件を修正させた事にしますね。幸いにも、帝国政府に属さない方々との交渉は、自治尚書の専権事項です。支払いが滞る様な事がない限り、本国も細かい事は言わないでしょう」

 

ここにも食えない方がおられる。既にリューデリッツ伯の立場は揺るぎようがない。新議長に言い負かされたとなれば不名誉かもしれないが、女性に願われて致し方なくという風にすれば、少し泥を被る程度だろう。それだけで、新議長に恩を売り、バーラト政府から多額の安全保障費を吸い上げられる。全く持って、政治の世界は怖い。勝つことだけを考えて、ろくでもない戦術を思いついた自分に幻滅していた私は、彼らに比べれば余程純粋だったと思う。

 

「ありがとうございます。参考にさせて頂きます」

 

ジェシカはそう答えると、カップを手に取ってのどを潤す。何となくそれに皆が倣った。

 

「本題は以上です。それにしても印象が御父上にそっくりだ。やっと会えたね。ヤン補佐官」

 

「私も同じ気持ちです。父が頂いた万歴赤絵の大皿は、今でも大切にしております。先日、結婚したのを機に、カトラリーの方も家族と使わせて頂きました。ありがとうございます」

 

知らなかったであろうシトレ委員長と帝国側の若者は驚いた様子だった。

 

「私と、補佐官の御父上はビジネスパートナーでね。商船事故でお亡くなりになられたが、急な話だった。身寄りがないのも知っていたから、士官学校に進んだと聞いた時は心配していた。しっかりと人の和を得られたようだね。何よりだ」

 

その後は、雑談めいた事が話題に及んだ。幸いなことに、シトレ委員長は士官学校の校長で、ジェシカは学友だった。ローエングラム伯とキルヒアイス大将は、リューデリッツ伯に厳しく養育された。帝国と同盟と言う垣根はあれ、似たような話題には事欠かない。意外に思ったのは、リューデリッツ伯が、アーレ・ハイネセンに好感を抱いていることだった。

 

「アーレ・ハイネセン氏の事を知った時には、共感と言うか、そうあるべきだと思ったな。極寒の流刑地で、今日と変わらぬ厳しい明日を、自分たちだけでなく子孫たちにも味合わせるくらいなら、命を懸けてでも良き明日を目指す。思想に関わらず、人は明日をより良くしたいのだと思ったものだ」

 

その一方で、キルヒアイス大将からぶつけられた疑問は、答えに困る物だった。

 

「失礼な物言いに聞こえてしまったなら、申し訳ありません。私も、過去の戦術を研究しました。その中で、自分たちを死地に追いやる政府を、なぜ市民の方々が支持するのか?見込みの薄い作戦がなぜ実行されるのか、理解に苦しみました」

 

事情はどうであれ、市民たちに選ばれた為政者が、市民たちを死地に向かわせる。法的根拠があるとはいえ、慎重に行われるべき事であるのは事実だ。戦況の劣勢を理由に、無謀な作戦を実施した旧同盟。表現が悪いが、臣民も皇帝陛下の財産である以上、慎重な運用をした帝国。経緯を省けば、人命を尊重したのは帝国だった。

 

「話は尽きないが、旧体制下の事をあまり引きずるのも良くないだろうな。10年もすれば、旧体制に慣れ親しんだ世代は引退して、君たちの時代が来る。過去は過去。軽視してはいけないが、まずはより良き明日を築く事が、臣民の為にもなる。エドワーズ議長、キルヒアイス大将の入れるお茶も素晴らしいものだ。いつか君たちが今日のように穏やかにお茶を飲める日が来ることを望んでいる。心からね」

 

お茶の場を締めくくった伯の言葉は、不思議と心に残った。いつかそんな日が来るのだろうが......。印象深いお茶会とは裏腹に、和平条約の調印式は形式通りに行われた。この日から、ビーム砲を交わす戦いに終止符が打たれ、どちらがより良き明日を用意できるか?という新しい戦いが始まることになる。


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