稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生   作:ノーマン(移住)

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74話:K文書

宇宙暦789年 帝国暦480年 4月中旬

首都星ハイネセン ローザス邸

ヤン・ウェンリー

 

「実質指名したに近い形になってしまった。『エルファシルの英雄』に引退した老人の頼みに付き合わせる事になってしまったが、これも何かの縁だ。よろしく頼む」

 

「いえ、私は歴史家志望でしたのでローザス提督のお話を聞けるだけで光栄に思っています。こちらこそよろしくお願いします」

 

ローザス提督が入れてくれた紅茶を飲みながら、提督の書斎に視線を向ける。味のある居心地の良さそうな書斎だ。窓から差し込む春の日差しが、温かな印象を強めていた、こういう書斎が似合うにはある程度の年齢も必要だ。私に似合うには、まだかなりの時間が必要だろう。

 

「それで、どこから始めようか?ケーフェンヒラー男爵から私宛に送られた資料の写しは一通り目を通してくれたと思うのだが......」

 

「まずはそのケーフェンヒラー男爵とのご関係からお願いします。個人的な興味もあるので、提督にはお手数かもしれませんが......」

 

「うむ。なにか仕事がある訳でもないから構わない。そうだな、あれが第二次ティアマト会戦が同盟軍の勝利で終わって数日経った頃だった。予想外のブルースの戦死に、快勝したにも関わらず同盟軍は喜べずにいた。かく言う私も、士官学校以来そばにいた太陽が消えてしまったことを、まだ受け入れられずにいた。そんな時に、捕虜の取り調べの資料の中で、ブルースが戦死した事で一矢報いたと考えている捕虜が多い中、そんな素振りを見せない捕虜がいると記載されているのを見つけた。それがケーフェンヒラー男爵だったのだ」

 

そこで提督は言葉を区切り、紅茶で喉を潤した。私もつられる様に紅茶を口に含む。さすがローザス提督だ。この紅茶もシロン産のものだ。ただ、私の好みだともう少し薄めなのだが、今、紅茶の好みを話題にするのはさすがに無粋だろう。

 

「仕事に没頭してブルースを失った喪失感を埋めようとしていた私だが、戦死を喜んでいない捕虜がいるとなると、ブルースを無視された様な気になってね。直接話を聞きに行ったのが男爵との縁の始まりだ。他言は控えて欲しいが、彼はもともと死ぬつもりで軍に志願したらしい。それまでは帝国の内務省の官使をしていたらしいが、なぜ志願したのかは語らなかった。

ただ、あの会戦で戦死した当時のルントシュテット伯にかなり恩義を感じていたらしく自分が生き残ってしまったことに罪の意識と言うか、絶望していたのだ。ブルースを失った私にとって共感できる部分が多かった。彼が捕虜収容所に送られるまで、いつの間にか、時間が出来たときは差し入れをもって会いに行く仲になっていたな」

 

ここで彼の祖父の話が出るとは......。宇宙は意外に狭いものなのだろうか?ローザス提督も同じようなことを感じたらしい。

 

「男爵が捕虜交換で帝国に戻ることになった折も、丁寧な礼状を送ってくれたよ。本来なら帝国に戻るつもりはなかったが、恩義のあるルントシュテット伯のお孫さんが捕虜交換の提案主だから、顔向けできる立場ではないが帝国に戻るとね。帝国では捕虜への風当たりは必ずしも良くないだろうから、まずはその対応に尽力したいとも書かれていた。

礼状をもらってから36年の月日が経っている。私も年を取るはずだ。そしてそのお孫さんのザイトリッツ少年が、あのリューデリッツ伯な訳だから、人との縁は何でつながるのかわからないものだ。意外に宇宙は狭いのかもしれないな」

 

そう言いながら、サイドテーブルから格式高い封書を取り出し、私に手渡した。

 

「この件で少佐を担当に願ったのはケーフェンヒラー男爵からの資料にこれが同封されていたからだ。リューデリッツ伯から君宛の手紙だ。間違いは無いと思うが、念のためここで開封して、内容を確認させてもらいたい。少佐が諜報員だとは思わないが、この手紙の存在は内密にした。その対価だと考えて欲しい」

 

了承の意を込めてうなずくと、提督にペーパーナイフを借りて、なるべく蝋封に入れられた伯爵家の紋章を傷つけないように開封する。これも歴史的な資料になるかもしれないと思うと、自然と扱いも丁寧になった。内容は短いものだった。一読して、手紙を提督にお渡しする。提督もすぐに読み終わったのだろう。すぐに手紙を戻してくれた。

 

「そういえば彼の師匠にあたる先代のシュタイエルマルク提督も、こういう事をする方だった。『卿の功績に敬意を表す。活躍は祈れぬが、健康を祈る』か、シュタイエルマルク提督はしっかり『人』も遺されたのだな。ブルースを失った『730年マフィア』はコアを失ってバラバラになってしまった。第二次ティアマト会戦で大敗したからこそ再建に必死になった帝国と、ブルースを失ったものの、国防に不安が無くなった同盟。あれから45年近く経って、戦況は再建に必死になった帝国が優勢と言うのも、皮肉を感じるな......」

 

なんとも回答に困る話だった。確かに第二次ティアマト会戦の敗戦が、結果として帝国を強化する事につながっていくし、イゼルローン要塞建設もその流れのひとつだ。歴史をひも解くと、得てして会戦に負けた側が団結して国力を高め、結果として戦争に勝利する事例にはいとまがない。730年マフィアの面々が作った猶予を同盟政府が空費してしまったのだとしたら、ローザス提督にとっても不本意なことだろう。

 

「少佐にこんなことを言っても仕方がないか......。それで男爵からの資料については、私は何を話せばよいだろうか?彼も私と同年代だし、あの敗戦の要因を調べたうえで、旅立ちたいというのは本心だろうが、ダメ元で送ってきただろうし、本気でリアクションを期待しているとも思えないが......」

 

「私も事実解明を命じられた訳ではないのです。昇進が急でしたので適当な役目が見つかるまで、歴史家の真似事をして来いと言うような状態でして。軍ではこれを『K文書』と呼称していますが、仮に文書の内容が真実だったとしても、アッシュビー提督は同盟軍の英雄中の英雄です。その功績の一翼を、『亡命者が主導するスパイ網が担っていた』となると、亡命者への世間的な風当たりも考慮すると、公にはされないと思います。ローザス提督は文書の中身についてはどうお考えでしょうか?」

 

「そうだな。非公式での見解という事になるが、十分に事実である可能性は高いとは思う。思い返せば、ブルースの判断は戦理に適うものばかりではなかった。にも関わらず勝利した。帝国内部のスパイ網からの情報を判断材料にして戦術を組み立てていたとなると、腑に落ちる部分もあるし、やはりブルースは天才だったと思う部分もあるな」

 

私の理解が追い付いていないと判断されたのだろう。提督は苦笑しながら解説してくれた。

 

「仮にスパイ網から情報が得られたとしよう。作戦案は数ヵ月前から用意されるから探ることは可能だ。だが、刻一刻と変わる戦況の中で、限られた情報の中から敵の意図を完璧に推察し、時には戦理に背いてまで対応策を実行し、勝利する。そんなことは常人には不可能だ。得られる情報も断片的なものだったはずだ。これが事実と仮定するなら事前に得た断片的な情報と、戦況を通じて得られた情報から帝国軍の意図を読み切った訳だ。言ってみれば情報を扱う天才だな。戦理に背く判断にもこれなら納得がいく。だが、可能なら私にだけでもこのことを話してほしかった気がするな。そうすれば、もう少しブルースとその僚友たちとの衝突も抑えられた気がする」

 

提督はすこし悲し気な表情をされた。第二次ティアマト会戦の前までは、何だかんだと衝突しながらも、それが刺激になって戦功を上げ続けたのが730年マフィアの面々だった。だが第二次ティアマト会戦の時期には組織としての寿命が尽きかけていたのも事実だろう。アッシュビー提督の独断的な指揮に、他のメンバーが抱えていた不満が実際に爆発していた。会戦には勝利したものの、コアだったアッシュビー提督を失った730年マフィアは、それまでの様な団結をすることはなく、各々が重職を歴任したものの、輝かしさを取り戻すには至らなかった。

 

「少佐の任務の終着点がいずこになるかはわからないが、男爵には返信を認めねばさすがに非礼だろう。こちらの対応が確定したら教えてもらえると助かる。退役した老人があまり我儘を言うものではないとは思うがね」

 

ローザス提督はその言葉で、会談を締めくくった。ローザス邸を辞去すると、統合作戦本部にもどり、与えられた一室へ向かう。部屋に入ると、補佐役についてくれたパトリチェフ大尉が声をかけてきた。

 

「ヤン少佐、お帰りなさい。ローザス提督とのお話は如何でしたか?一応、要望された資料は整理してデスクにまとめておきました。なにか必要なものがあればご指示頂ければ幸いです」

 

「ありがとう大尉、ローザス提督との時間は楽しいものだったよ。今日はこのまま資料を確認するから、こっちはもう大丈夫だ。そちらの業務が済んだら上がってくれ」

 

私がそう言うと、大尉は敬礼をして部屋から出て行った。100kgはありそうな巨漢だが、見かけによらず掻い摘んで要点を説明するのがうまい。面会や資料の手配など、なにかと他部署への打診が多いこの任務で、そう言う事が苦手な私にとっては有り難いサポート役だ。もう何度も読んだ書籍だが、まずは『ローザス提督の回顧録』から読み直すことにする。デスクの横に置かれたポットにはお湯が用意されている。私が紅茶派だと知ってからパトリチェフ大尉が用意してくれたものだ。こういう細かい配慮も私は苦手だから正直助かっている。

 

紅茶の香りを感じながら、ページをめくりのんびりと回顧録を読み進める。『一生この任務なら天国なのだが......』などという考えが頭をよぎったが、さすがにそれは無理な話だろう。この任務を割り当ててくれたキャゼルヌ先輩に少しでも次の任務を遅らせてくれるように願いながら、楽しい時間を私は過ごしていた。


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