人はどうして生まれ、生き、死にいくのだろう。
代わり映えのしない窓の向こうをぼんやりと眺めて、ふと僕はそう思った。
ここは、簡単にいうと病室だ。
病院の、いくつかある部屋のひとつ。そこに、僕はいる。
野瀬京介。来年、16歳になる。
世間的にいえば、高校受験の年だ。きっと外には受験勉強に明け暮れる中学3年生がいるんだろう。
けれど、僕には関係のない話だ。
僕は、ここから出られない。恐らくは、もう一生。
病名は、忘れた。
とても難しくややこしい名前だった気がするが、覚えていない。
ともかく、僕は病室にいた。
それも、個室だから耳に届く物音は少ない。
僕は、もうすぐ死ぬ。
医者に言われたわけじゃない。他の誰かに言われたわけでもない。
ただ、ひんやりとした何かを感じていた。
死。
それが自分のすぐ隣で息を潜めていることに気がついていた。
そのことで、何か思うわけでもないが。
空気がそこにあったって何も疑問に思わない。そんな感じだ。
ひょっとしたら少しは疑問に感じるかもしれないが、それも些細な問題だ。
病室は、簡単に表せば白い。
白い箱だ。
白い箱の中に、僕はプレゼントされるテディベアみたいに縮こまっている。
実際は僕は外に出ないのだけれど。
でも、この部屋だって全く物音がしないわけじゃない。
僕には、多分友達と呼べる人が1人いる。
佐々木梨々香。
僕と同い年の活発な女の子だ。
2年前僕が入院してから、毎日のように病室にくる幼馴染。
あいつがくると、白い箱が開かれて、騒がしい外が垣間見える。
「京介!」
噂をすれば、何とやらだろうか。
梨々香の声だ。
間髪いれずにガラガラガラ、とノックもなく無遠慮に扉を開けて、梨々香が入ってきた。
「お前…ノックするとか、もう少し礼儀がないのか」
「え?名前は呼んだじゃない」
「いや、それならそれでもう少し間をあけてだな…」
いや、こいつに言っても無駄だろう。
僕はため息をついて言葉を飲み下した。
「それで、今日は何の用だ」
「用っていう用はないわよ。ただのお見舞いだもの」
「…まぁ、そうだろうな」
いつも学校帰りにここへ来て、少し喋って、そして帰っていく。
毎日のことだ、もう慣れてしまった。
特別なことはない、彼女と僕が恋人だったなら何か甘いものが存在するのだろうが、所詮友達だ。
「あ、でも今日は本を持って来たの」
「本?」
「うん、天使の話。主人公が京介そっくりなんだよね」
手渡されたのはさほど分厚いわけでもないがハードカバーの小説だった。
〈天使の魔法〉という題名で、キューピッドを思わせる天使のイラストが表紙に描かれている。
魔法だなんて非現実的だ。いかにも梨々香が好みそうだと思う。
「主人公は、京介みたいに病気で苦しんでいて、ある日とても胸が痛くなるの」
「心臓発作か」
「そうかもね、それで、主人公は死にかけるんだけど」
適当にぺらぺらとめくって見てから、棚の上に置いた。
「朦朧とした意識の中で、主人公は天使に出会うわけ」
「天使なんていない」
僕はそう返し、窓の外を見やる。
「え、でも…面白いんだよこれ」
「梨々香はもう、長袖なんだな」
「え。あ、…そ、そうね。肌寒くなってきたから…」
梨々香は長袖の白シャツに赤いリボン、グレーのスカートだった。
多分、うちの中学の合服なんだろう。
「ついこの前まで半袖だったのに…もう、夏も終わりか」
「うん。すぐ寒くなって、マフラーとかするようになるよ」
僕が白い箱にいる間に、外の世界はくるくると色を変えて時を刻んでいる。
なんだか、梨々香が遠くに見えた。
「そうなれば、しばらくここには来られないな」
ぼそりと呟いた。
「…受験勉強しないといけないもんね」
梨々香も呟く。
そう、彼女は高校生になる。
中学生よりも大人びた、新しい世界へ進む。
ずっと立ち止まっている僕を置いて、大人へ近づいていく。
「でも、また来るよ!空いてる時は絶対会いにくるから」
「いや、別にいい」
短く返して、梨々香と目を合わせないようにしながら頬杖をつく。
「僕はもうすぐ死ぬんだ」
梨々香が息を飲んだ音が微かに聞こえた。
見なくても、何かいい返そうと震えているのがわかる。
けれど、結局梨々香は静かに立ち上がった。
「…また、来るね」
背後で梨々香が部屋をでていく音を聞きながらため息をつく。
僕は、もうすぐ死ぬ。
その言葉に冷たさを感じながら、僕はゆっくりと目を閉じた。
* * *
眠っていた。
誰も起きていないような、夜中だ。
真っ暗な室内にいるのは、僕ひとりだけ。
瞬間に、鋭い痛みが胸元を走り抜けた。
呻きが漏れたと思う。目が覚めて、浅い呼吸をする。
胸が、痛い。
正確には、心臓というか、中がズキズキと痛い。
それが発作だと気づくのにあまり時間はかからなかった。
死、という言葉が脳内を駆け巡る。
そして、県外に仕事に出ている母親、小学生の時に母と離婚して以来会っていない父親を思い出す。
最近は連絡をとっていない。元気にしているだろうか。
梨々香。
あいつもお節介なやつだった。毎日飽きないのだろうか。
走馬灯のように過去を垣間見ながら、ナースコールに気がついた。
今なら、まだ。
今ならばまだ、助けを呼べば助かるのかもしれない。
そう思って、ナースコールに手を伸ばしーーーーーやめた。
どうせ、今助かってもいずれ死ぬのだ。
それならば、少し期間を伸ばしたって無駄だ。
僕は、この箱から出られない。
箱の中は、いつも退屈だ。また、退屈するだけなら…。
僕は、目を閉じた。
増していく痛みを感じながら、流れる冷や汗を感じながら。
黙って、じわりじわりと忍び寄る死を感じる。
恐れることはない、きっとすぐ近くだ。
やがて、痛みが感じられないほどに意識が朦朧としてきた。
ああ、僕は死ぬのだーーーーー。
ふわりと、体が浮くような感覚がして、僕は。
白い空間に放り投げられた。
「起きてください」
鈴の音のような声とは、こういう声を言うのだろうか。
しゃなりと鈴が揺れるような可憐な声だった。
「起きてください」
声は、もう一度繰り返した。
僕は、いつの間にか閉じていた目を開き、声の方を向く。
「…お気づきですか」
そこは、さっきまでと何ら変わりない病室だった。
いや、ひとつ違うのは、ベッドのすぐ横に白髪の美少女が立っていたことだ。
「…君は」
まさか来客かと思ったが、まだ外は暗いし、第一こんな知り合いはいない。鈍痛を訴える頭を抑えると、顔をしかめる。
少女は、腰までの白髪で、抜けるように白い肌をしていた。淡い青色のワンピースは透けてしまいそうで、なんとなく危なげに見えた。
「あまり、驚かれないのですね」
少女は小首を傾げながらそう言った。
僕は、困ったように笑うと深く息を吐き出す。
「幽霊かなにか?ここは病院だから、出たっておかしくないよね。まさかここに出るなんて思わなかったけど」
もしかしたら、これは夢なのかもしれない。
死ぬんじゃないかという胸の痛みもないし、あれさえ夢だったのかもしれないとさえ思う。
ところが、少女は僕に首を振ってみせた。
「いいえ。私は死神です」
その言葉に、熱はこもっていなかった。
マネキンが喋り出したような奇妙さを感じ、僕は少女と目を合わせる。
「死神?」
「はい。あなたは、10月21日の午前2時32分に、確かに死にました。私はそのあなたの魂を迎えに来たのです」
「死んだ…?僕が?」
今度は無言で頷いた。
僕は上半身を起こし、自分の両手を見つめてぼんやりとその言葉を反芻した。
「そうか…僕は、死んだんだな」
なんだか証拠もないのに妙に納得してしまって、僕は苦笑を浮かべる。少女は、小さく首を傾げた。
「…あまり、驚かれないのですね」
顔を上げると、少女と目が合った。
「そりゃ、いつか死ぬって分かってたし。まさか、こんな呆気ないとは思っていなかったけど」
「…そんなものですか?」
「わからない。でも、少なくとも僕はそうだ。昔から身体は強い方じゃなかったし、入院してからは体力だってどんどん落ちてきてた。それに、見舞いに来るやつなんてまずいなかったからいつ死んだって…」
そこまで口にして、ふと、梨々香のことを思い出す。
あいつはいつも僕の見舞いに来ていた。
「死んだら、あいつにももう会えないんだな…」
言ってから、何を気にしているのかと正気に戻った。それを見ていた少女が、薄く微笑む。
「あなたから、何か心残りが感じられます」
「心残り?」
「死んだ人間の大抵には、何かこの世に残した欠片が存在しています。それらを拾い集めるのもまた、我々死神の仕事なのです」
この世に残したもの。
少し考えて、僕は首を振った。
「いや、ないよ。この部屋にも何も無い。このまま魂とかいうものを連れて行ってくれればいい」
「…この世には、様々な理由で死ぬ人間がいます」
元の無表情で、少女がぽつりと言う。
「不慮の事故に遭う者、事件に巻き込まれる者、自ら命を断つ者…その根底には、必ず何かのきっかけがあります。あなたも、また同じ」
少女はぴしりと右手の人差し指で僕の胸を指した。
「あなたに猶予を与えましょう。ご自分の欠片を、拾い集めるだけの時間を」
そして、とんっ、と僕の胸を突いてみせる。
「あなたが欠片を見つけたら、また魂を迎えに参ります」
「おいっ…?」
そんな時間要らない、と反論しようとしたが、目の前が揺れた。そして、先程のような胸の痛みが再び襲ってくる。
「ぁ…!?」
堪えきれず呻き、シーツを掴む。
「では、ごきげんよう」
そこで、僕の意識は途切れた。
ほとんど思いつきです、申し訳ない…。
続きは、書けそうなら書いていきます。