【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム   作:388859

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平凡な少年 Not_a_Hero

 

 ゴンドラから抜け出そうとする藤丸達から、少し離れた高層ビル群の屋上。

 そこで、二人の男女が彼らを見届けていた。

 一人は金の獣染みた長髪を垂らしながら、その体は崩壊の一歩手前を何とか維持している有り様だった。しかしその瞳は修行僧のように頑なで、立ち姿にも迷いがない、そんな男だった。

 もう一人は誰もが目にしたことのある絵画を、そのまま現実に抜き出したかのような女性だった。しかしその美貌は仮面で隠され、元となった本人よりもやや女性的な雰囲気を醸し出している。

 彼らはこの世で唯一、オティヌスの改変を受けていない。いや受けられなかった、と言ってしまえば良いのだろうか。いくら完璧に見えようがその精度は八十パーセント、と豪語していたオティヌスの言葉が正しいなら、まさしくこの二人は運が良かったのだろう。

 本来、それはあり得ぬ邂逅だった。

 未来でも過去でも、そして現在であっても。この点と点が交わることはない。

 しかし、それはあくまで汎人類史のルール内でならの話。あらゆる物理法則が単一の神によってねじ曲げられたこの異聞帯では、そういったことも起こり得るのだ。

 

「たかがシステムが、そこまで憐れみを持つとはな。優秀なのも考え物だというわけか、ムネーモシュネー?」

 

 ムネーモシュネー、と呼ばれた女性が男の言葉に顔を歪ませる。

 

「……ここで折れるのであれば、それはそれで良い結末だと、そう思っただけです。これ以上彼が傷つくことがないのなら、何かを奪う必要がないのなら、それは確かな救いでしょう」  

 

 藤丸立香はこれまで、三つの世界をその手にかけてきた。それでも彼の精神が耐え切れたのは、単に彼の痛覚が麻痺していただけだ。数万、いや数億にも匹敵する虐殺など、感覚的に理解することなどまず不可能だろう。だからこそ乗り越える度に、痛みはあれど正常な感覚を失っていったのだろう。

 それが、普通の人間であっても、あんな地獄を乗り越えられた理由だ。

 痛すぎて、苦しくて。それを表現することそのものが間違っていると、自分にはそんな資格がないと、心の内に押し込めた。元々そうやって生きてきたのか、それで何とかなってしまっていたのだ。

 オティヌスがしたのは、その痛覚を蘇らせること。つまり、失ったはずの全てを、藤丸立香には決して救えないものを片っ端から救いあげることで、彼に思い出させたのだ。奪ったものの価値を。

 そうなればもう何処にも動けない。元々頑丈な人間ではないのだから、その痛みだけで後は勝手に崩れる。 

 

「彼は壊れていた。異聞帯での罪は、彼一人が背負う罪などではありません。例えそうだとしても、それは彼のような平凡な人間が背負っていい重さじゃない」

 

「……平凡、か」

 

「何か間違っていると? あなたを下した相手は、一騎当千の英雄だとでも言うつもりで?」

 

「まさか。あれほど平凡という言葉が似合う男もいまいよ」

 

 男は苦笑して、

 

「良くも悪くもあの男は、人類最後を担うにふさわしい。善人ではあるが、最適解を選べるほどの賢者でもない。だから失敗なぞ幾らでもするし、他者の想いだって踏みにじる。正しく、人間という種の代表だよ」

 

「……彼は、そんな人間では」

 

「お前達の誰にも見せなかっただろう、そんな一面は」

 

 男は確かに見た。三千年に渡る妄執を、絶望を。一個人の感情だけで否定された瞬間を。

 そして同時に、気付いたのだ。

 自身を追い詰めた奴は、何処までも弱者だったけれど。それはきっと、弱者だからこそ、あんな答えが出せたのだ。

 世界を救うためでも、誰かを守りたいわけでもなく。

 ただ、生きたいと。

 何処までも単純に、そう言えたのだ。

 

「過大評価が過ぎたよ。あの男は、そこらにいる人間と何も変わらない。善人ぶってはいるが、お前達にだって思うところはあったはずだ。それを一度も見せなかった時点で、自身への執着など捨てたつもりだったのだろう。よくもまあ、そんな身の丈の合わないことを続けられたものだ」

 

「……彼が……」

 

「だから奴はここで折れる。他ならぬお前達のために、自分を犠牲にして、な。そしてここで折れるなら、この先の異聞帯のどれかで、遅かれ早かれ朽ち果てる」

 

 みんなの幸せのために、自分を犠牲にする。実に英雄らしい行動だ。確かにそれはみんなから拍手をされて、称賛されるべき綺麗な選択だろう。

 そして人類最後のマスターは、そうあるべきだ。命に大小は無くとも、全よりたった一つを優先する理由など、その立場なら無いのだから。

 初めから藤丸立香に期待されたのは、そんな捨て駒的な役割だけだった。

 と、

 

「……では、あなたはどうするのですか? 私のようにこの結末を良しとするので?」

 

「別にどんな結末を迎えようが、知ったことか。私はただ、それを見守るだけだ。所詮は舞台から降りた役者、介入などしたところであの魔神がそれを許さんだろう」

 

 まあオティヌスの行動は不自然ではあるが……、と男ーーゲーティアは、唇の端を吊り上がらせる。

 

「……本当に、この私がそんな小綺麗なだけの奴に負けたなら、の話だが」

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ、世界一マヌケなリタイア宣言をするとこだった。あぶねえあぶねえ。尻がゴンドラに挟まって動けないから負けました、なんてサーヴァント史上絶対いないだろそんな奴」

 

 そもそもサーヴァントかも怪しい少年は、まるで落第をギリギリ避けた学生のような調子でぺちゃくちゃ喋っていた。

 二人してゴンドラから何とか抜け出し、とりあえずまた落ちるのも何だからと場所を変え。そうしてたどり着いたのは、学生寮の一室だった。

 備え付けのベッドと、白いカーテンくらいしか特徴のない部屋。この異聞帯で初めて目が覚めたときに使っていた、あの部屋だ。

 その時とは随分と雰囲気も変わって、まるで使用した形跡がない。そこだけは誰の手垢もついていない、まっさらな空間にも思える。

 揃って床に座り込む形で、二人は相対する。

 

「ええっと……それで。イマジンブレイカー、で良いんだっけ……?」

 

「普通に上条でいいよ。サーヴァントだからってそこら辺は気にしないで、気楽に構えててくれ。ほら、ステータスとか低すぎてお世辞にも英雄サマだなんて言えないし」

 

 自虐にしては慣れていて、何だか早くも苦労人オーラを出し始めるツンツン頭。

 この上条という少年、フランクというよりは、本当にただの少年のように思える。今まで出会ってきたサーヴァントで、一番英雄らしくないというか、藤丸としても少し親近感が湧いてきた。

 それにしても……クラス、イマジンブレイカー。エクストラクラスの一種だろうか。この邂逅はオティヌスの予想の範疇か、はたまた全くの異物か。

 しかし藤丸は上条の存在を手放しで喜べない。

 

「……君は抑止力によって召喚された、サーヴァントなのか?」

 

「まあな。さっきも言ったけど、大抵は俺じゃなくて他のサーヴァントの方がよっぽど役立つ。でもアイツ、オティヌスが相手なら、確かに俺はカウンターになる。……はずなんだけど。その抑止力ってのもオティヌスなら無理矢理ねじ曲げられそうだし。全く何考えてるんだか、アイツは」

 

 後半部分はぶつぶつと呟いていたが、とにかくこの少年ならば、オティヌスに戦いを挑める程度には対抗出来るらしい。

 光明が見えたように感じるが、そんなことはない。

 何故なら、

 

「……悪いけど、俺は戦わない。この世界は、壊せない」

 

 ここは完璧な世界だ。

 サーヴァント達は勿論、パツシィやゲルダといった異聞帯の住民や、更にはマシュやクリプター達まで。ありとあらゆる命がここでは、各々の幸せを享受している。

 戦う理由どころか、むしろ守らなければならない理由しか見つからない。

 

「召喚されて早々悪いけど、君の力を借りることはないよ。だから、ごめんなさい」

 

 藤丸が深く頭を下げる。それは彼なりの誠意だった。得体が知れなくても、相手はサーヴァント。つまり死者だ。それを呼び起こしたのにやっぱり間違えたので帰ってくれだなんて、藤丸からすれば恐れ多い。

 すると、それこそ学校に行くような口振りで、上条はこう返した。

 

「分かった。じゃあ、アンタはここで待っててくれ。その間に俺はオティヌスの野郎を()()()()()()()()()()

 

 え、と藤丸が頬を引きつらせた。

 戦う理由がない。藤丸は確かにそう言った。なのにツンツン頭のサーヴァントは、お構いなしに続ける。

 

「多分、俺が一人で行けば、アンタが狙われることもないと思う。巻き添えを食らうこともないだろうし、何よりそんなことさせない。これでもサーヴァントだからな。マスターの命くらいは守れるさ」

 

「……、」

 

「ああ、マスターのサポートが無くても平気なのかって話なら、大丈夫。つか、魔神相手にそんじょそこらの魔術をぶっぱなしたところで、狙われるだけだし、俺はそういう補助とか受けられないから。だからここにいてくれれば、あとは俺が何とかする。絶対に、アンタを元いた世界に返してやるよ」

 

 この少年は、何を言っているのか。

 藤丸は数秒程度、理解が追い付かなかった。

 しかし、上条の目は本気だ。本気で、オティヌスに戦いを挑もうとしている。この完璧な世界に。

 

「ま、待って……な、何言ってるんだ、さっきから? 俺は戦わないって、そう言ったんだけど」

 

「ああ。だからここで待っててくればあとは俺が何とかするよ」

 

「そうじゃない!!」

 

 藤丸は訴える。

 

「ここからどうしろって言うんだ!? 戦う戦わないなんて話じゃない。そんな次元、とっくに飛び越えてる! 勝算の問題でもないんだ。ここから先に進むこと自体が、俺には到底出来ないんだよ!!」

 

「本当にそうか?」

 

 上条はあくまで、冷静だった。腕を組み、

 

「これまでのことは、サーヴァント契約を結んだ時点で、大体知ってるよ。異聞帯のことも、人理焼却のことも。その上で、俺は聞きたい。本当に、アンタはここで止まっちまうのか? ここで終わって、それで良いのか?」

 

 上条の指摘は、それこそ楔のように藤丸の心を理想へと押し留める。

 

「……分かってるよ、言われなくても」

 

 唇を噛んで、

 

「あれだけの人を殺しておいて、あれだけの屍を踏み越えておいて。最後は救うべき世界から背を向けて、こんなところで崩れるのは、確かに間違ってるのかもしれない。異聞帯の人達の死が、サーヴァントのみんなが守ってくれた世界が、無駄になることは、確かに怖いよ」

 

 でも、

 

「だからこそ、この可能性は。誰もが夢見た、この儚い願いだけは、どうしても守りたいんだ。守らなきゃいけないんだ」

 

 みんなにこうなってほしかった。

 でも現実は違って、悪い方向にどんどん進んで。誰も彼も争って、蹴落として、それを仕方ないって顔でみんなして受け入れるしかない。

 たった一度の選択で、数千、数万の人間が欠片も残さず消えていく。

 

「あんな現実より、絶対こっちの世界の方がいいに決まってる。例え在り方が歪んでても、それ以上の道なんかない、何処にも繋がらない断崖絶壁でも。奪うよりはよっぽどいい」

 

 そう、結局それだ。

 もう誰からも奪いたくない。何も知らないフリをして騙すのも、未来がないことを告げないのも。

 そんなことをこれから続けるのは、もう無理だ。この世界を見て、なお続けるのは、そんなの自分が耐えきれない。

 藤丸立香はそれを正しく認識してしまった。だからこそ、この先には進めない。

 

「そりゃそうだろうな」

 

 でも、と。

 上条当麻は理解した上で、こう言った。

 

 

「でも、それでなんで、アンタが()()()()()()()()()()()?」

 

 

 いっそ。

 その問いには、疑問すら浮かんだ。

 だってそれは問いとして、何も成り立っていない。

 自分のような何の取り柄もない人間は、ここにいる人達のような、大切なものを持っているわけじゃない。

 だから、死ぬのだ。自分にそんな価値などないのだから。

 

「幸せな世界? 誰も欠けていない完璧な理想郷? そりゃあ凄い。人間が人間である内は、絶対に成し遂げられない偉業かもな。でもなんで、そんな世界のためにアンタが死ぬ必要なんてあるんだ?」

 

 なのに。

 藤丸が固まっている間にも、上条は切り込む。完璧だと思われていた世界に、小さな風穴を開けていく。

 

「それを維持するために、アンタが死ななきゃいけないなら。こうやって頭を抱えて、いっぱい苦しんで、その末に命を投げ出すことは、絶対に幸せなんかじゃない。だって、そんなの魔女裁判なんかと一緒じゃねぇか。たった一人、何も悪くない少年に石を投げつけて、その屍を踏みつけてケラケラ笑ってるのと一緒だ。

 そんなの、理想郷なんかじゃない。むしろ一人を殺して万々歳って話なら、それはこの世で最もおぞましい民主主義によって成り立った、偽りの箱庭だ。そんなの理想郷でもなければ、誰かの幸せにだって繋がってないよ」

 

「……違う」

 

「違わないよ。自分のポジションを他人に置き換えてみろよ。恋人、家族、友達、誰でもいい。顔の知ってる誰かが自分と同じ立場に立たされて、はい分かりましたって二つ返事で受け入れる奴が一人でもいると思うか? 今のお前みたいに、悩んで、考え抜いて、最終的に自己否定でぐちゃぐちゃになっていくに決まってる」

 

 確かに。これがもしマシュなら、彼女は苦しみながら頷くだろう。しかし頷くとしても、それを認められるかは別だ。少なくとも藤丸は、そんなことがあったとしたら、マシュの犠牲を認められない。

 

「……それでも」

 

 みんな幸せだった。

 マシュも、ドクターも、ダ・ヴィンチも。切り捨てたハズのパツシィやゲルダも……みんな幸せで。

 それを否定出来るほどのものを、藤丸は見つけられない。みんなが幸せを掴んだ世界に、唾を吐けるほどの何かなんて、平凡な少年は持っていない。

 

「じゃあそのみんなの幸せに、アンタ自身の幸せは入ってるのかよ?」

 

 ツンツン頭のサーヴァントは、なおもそれを認めない。

 上条は最初、汎人類史のために立ち上がれと、そう言っているのだと思っていた。

 しかし違う。この英霊はその真逆のことを、藤丸に思い知らせようとしている。

 あるいは、オティヌス以上に鮮烈な言葉で。

 

「確かに、誰かに幸せになってほしいって想うことは間違いじゃない。だけど、そのためにアンタが幸せを捨てることないだろ。本当にこれが理想郷だっていうのなら、アンタの幸せだって絶対に叶えられるべきだ。なのに叶えるどころか、アンタは善意にすり潰されて、今は一人ぼっち。

 そんなのはただの悲劇だ。みんなの幸せはたった一人の命で賄われていたのです、なんて出来の悪いご都合主義、神様がやるにしたって意地が悪いにもほどがある。わざわざ一席分、誰かの幸せを放り投げてるんだからな。凝り性の神様らしくもない、質の悪い悪戯だよ」

 

「……だから、戦えって?」

 

「だってそういうのが一番許せなかったろ、マスターは?」

 

 まるで食べ物の好き嫌いの話をしているような、そんな感覚だった。

 六十億と、一。天秤にかけるまでもない、誰がどう考えたって優先すべきものが分かっている選択を前にして、上条当麻は当たり前の事実を思い浮かばせる。

 

「特異点、異聞帯。その中には近い未来死ぬ運命の奴や、見捨てればそれで余計なことに巻き込まれず済んだことだって一杯あったはずだ。

 でも、アンタはそれを無視しなかった。助けた助けられなかったの話なんかじゃない。後悔することはあっても、その全てに関わってきた。たった一人であっても、理不尽に切り捨てられる行為を、許せなかった。だって、自分がそうだっただろ? 突然世界を奪われて、わけもわからず歩けって言われて、だから自分と同じ理不尽にさらされる誰かを、アンタは許せなかった」

 

 故に、戦ってきた。

 理不尽に奪われたままなのは、嫌だったから。自分はまだ、■■■いたいから。その一心で。

 世界の行く末とか、そんなものは関係なく。ただ奪われることを良しとしない、それが藤丸立香だった。

……不思議だった。

 上条の言葉は何処にでも転がっているような事実ばかりで、特段珍しいモノではない。けれど、藤丸の心にはその当たり前が、何より響いてくる。

 英霊という特殊な存在を侍らせてきた藤丸にとって、そういった当たり前は忘れそうになる。

 だが。

 だからこそ、藤丸は上条の言葉を認められない。

 

「……だから、なんだよ。だから、ドクターやダ・ヴィンチちゃんを殺せって言うのか。今度は俺に、その手で、殺せって。君はそう言うのか?」

 

 思わず、藤丸はその胸ぐらに掴みかかった。

 そう、結局そこだ。

 異聞帯である以上は、異聞帯の王、そして空想樹を伐採した時点でその異聞帯は滅びる。それは直接手を下すよりも卑劣で、覆せない終わりを押し付ける行為だ。

 それを、知り合いに叩きつける?

 誰よりも守りたかった人達に?

 仮初めだろうが、なんだろうが。

 そこに確かに存在する人達にそんなものを、もう一度叩きつけろというのか。

 今まで関わってきた人、全てに。

 

「俺は、嫌だ。そんな痛みを与えるために、これまで戦ってきたんじゃない。虫の良い話だってことは、自分が一番よく分かってる。そんな痛みをきっと、今までみんなに与えてきたことだって分かってるよ。だけど、あの人達にだけは、そんなもの押し付けられない。それだけは、それだけは絶対に嫌だ……!!」

 

 汎人類史の歴史の中で、最も多くの死体を踏み越えてきた少年は血を吐くように、そう言った。

 だから何処にも行けない。

 一歩だって歩けない。

 藤丸立香にとってそれは、戦い続けてきた理由そのものだ。託されてきた願いの多くは、そういうものだ。だからもしそれを裏切ることがあったのなら、その魂に必ず罰がくだる。

 そしてきっと、今がその時だ。

 その罰を清算するチャンスがあるなら、今なのだ。

 

「……そうか」

 

 上条は少しだけ考えるように口を閉じた。そして、

 

「ならなんでアンタ、そんな泣きそうな顔で、ずっと痩せ我慢(・・・・)してるんだ?」

 

 そんな、すこぶるどうでもいいことを、口にした。

 ひく、と藤丸立香の頬が微かに動く。

 一見動きの少ない動揺。しかしそれはかなり唐突で、藤丸の用意していた動きではなかったのだろう。

 つまり、藤丸立香という少年の、素だ。

 上条は胸ぐらを握られつつも、極々当たり前のことを指摘する。

 

「辛いなら、泣けばいいじゃん」

 

 何処かで、軋む音がする。

 

「苦しいのなら、そう言えばいいじゃん」

 

 何処かで、軋む音がした。

 咄嗟に、藤丸はそれに答えられなかった。

 善人らしい答えを用意していなかったからではない。心中に渦巻くものが、口から出そうになったからだ。

 それは今、不要な感情だ。だから押し込める。弱い藤丸立香は、今はいらない。

 

「抑止力に喚ばれたっていうの、半分嘘でさ。確かに切っ掛けはそうだったけど、俺が召喚されたのは、アンタの声に喚ばれたからなんだよ」

 

「……俺の、声?」

 

「そう。アンタ、心の底から願ったろ。助けて(・・・)って。それに俺は応じて、ここに来た」

 

 確かに、藤丸は言った。二つ目の世界、十二月三十一日を模したあのループの中で。

 だけど、それがどうしたというのか。

 

「……あれは単に、誰かにマシュを助けてほしいと願っただけだよ。俺がそう願ったわけじゃない」

 

「いや、違うよ。世界を歩き回っている中で、確かにアンタはこう言った。助けてほしいって。だから俺はアンタと契約したんだ」

 

「……言ってないよ」

 

 そうだ。言うはずがない。自分がそんなこと、言うはずがない。

 だってそれは、みんなの幸せを願う藤丸立香として正しくない(・・・・・)

 

「俺は、みんなが幸せなら、それでいいんだ。俺個人がどうなっても構わない。何なら死んだっていい。だから」

 

「藤丸」

 

 そこで。初めて上条が、藤丸の名前を呼んだ。

 

「もういいんだ。そんな風に我慢しなくたって。お前の知り合いは誰もいない。お前が率いるサーヴァントも、俺一人だ。そして俺は、お前が何を言おうが気にしない。この意味が、分かるよな?」

 

「……、」

 

 長い葛藤があった。

 きっとそれは、今回だけではなく。彼が人類最後のマスターとして戦ってきたこれまでの数年間、ずっと蓄え続けてきたものだった。平凡な人間が、全人類の期待に応えねばと自身の善性を表に出し続けた結果、不要だと心の奥に押し込まれた、邪心の全てだった。

 心が、軋んでいる。

 遮るものはないと叫んでいる。

 

「……、助けてなんて、言って、ない。言わないよ」

 

 だが。藤丸はそう告げて、再び心の栓を閉じようとする。

 

「……じゃあさ。質問を変えるんだけど」

 

 がっ、と。今度は上条が右手で藤丸の胸ぐらを掴んで、引き寄せる。目を真っ直ぐ合わせると彼は、殴りかかるように、こう言い放ったのだ。

 

 

「アンタ。クリプターとかいう()()()()()()()()()()に、これまで築き上げた全部をぶっ壊されて、本当に一ミリたりとも悔しくなかったのかよ?」

 

 

 それは、最早暴言の類いだった。

 だからこそ、それはここに至ってなお本心を隠そうとする藤丸の心に、深々と突き刺さった。

 遮っていた全てが、一度で断ち切られる。心はまるで切り裂かれたように、数多の感情が少年の中を駆け巡っていく。

 膨大な感情の波に曝されて、藤丸は指一本動かせなかった。

 代わりに時間だけが流れていく。僅かに赤みがかった空も消え失せて、真っ白だった部屋は真っ暗になって。

 それでもなお、少年は止まったままだった。

 

 

 

 

 

……ずっと。

 ずっと藤丸立香は、我慢してきた。

 それは、自分の気持ちだけではない。

 例えば言葉とか、意見とか。そういった、自分の色というものを表に出すこと自体我慢してきた。

 主張することが苦手だったわけじゃない。ただ、その色を出すには、カルデアという環境は特殊すぎた。

 生前に名を残した英霊達は勿論、そこに集まったスタッフ達も。彼らと話す度に、平凡な少年はこう思ったのだ。

 みんな、抱えているものが大きすぎると。

 藤丸のような少年には縁のない、宿命や血筋。あるいは抗争。それらはとても困難で、そして藤丸にはどうしようもないことばかりで。

 だからこそ、数合わせで大役を任された自分は、余計な心配をかけたくなかったのだ。

 悩みとか、痛みとか、苦しみとか。そんなものはきっと、誰しもみんな抱えているものだから。その上で、きっと誰も彼も抱えていくものがあったから。それくらいしかない自分は、我慢していようと、そう思った。

 そのくらいは自分にだって出来るんじゃないかと……そう思った。

 だからずっと、我慢してきた。

 我慢して、我慢して、我慢して、我慢して。

 それが、いつしか当たり前になった。

 我慢して、我慢して、我慢して、我慢して。

 何を言われても、それはきっと自分が平凡だから、仕方のないことで。何も言わなかったから、心ないことばかり言われたけれど、痛くても、耐えられて。

 ただ、みんなにとっての良い人でいようと、そう思って。

 我慢して。

 我慢して我慢して我慢して、我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して、我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して我慢して。

 そして、言いたかったことも、言えないまま、別れることばかりで。

 そんなことばかり続けて。

 心は、もう折れているのに。

 自分はまだ、何処かへ進もうとしていて。

……ああ、きっと。

 自分が最初からこんな舞台には相応しくないって、そんなことは理解していた。

 平凡な少年なんて言葉で誤魔化してきたけれど、結局はただ、何も出来ない置物だ。

 ゲームで例えるのならそう、主人公とは名ばかりの、名前を好きに変えられるプレイヤーの分身(アバター)だ。

 自発的なことなんて何もしない。言葉を喋るのは、周囲の人間だけ。自分は神様の作った物語に添うだけで、たまに主張をすれば、そんなのは主人公じゃないとか、別にこんな奴いてもいなくても変わらないとか、そう批判されるだけの存在。

 藤丸立香は、自分はそんなものだと理解していた。

 だから何も言わなかった。言えなかったのではない。言わなかった。誰が何をしようが、怒ったりはしない。だってそれに反論するのは、藤丸のような人間ではない。もっと相応しい人間がいくらでもいた。

 だから、我慢してきた。

 この数年間、どんなことを言われても平気だった。どんなことをされても平気だった。

……ああ、けれど。

 そうあろうとするには、やはり平凡な少年では無理があった。

 本当は、言いたかったことが沢山あった。

 本当は、叫んで、撒き散らしたいことが山ほどあった。

 でも、それはきっと、正しくない。

 そんな弱さは、藤丸立香には相応しくない。藤丸立香は無能でも、歩き続けることだけは得意な人間だ。

 だから喋らなくていい。

 この想いは、心の底に仕舞っておけば、それで。

 なのに。

 だから。

 心の奥底では、ずっと。

 消えない想いが、軋んでいた。

 

 

 

 そして。

 ようやく、藤丸立香は呻くように、言葉を溢した。

 どれだけ隠そうとしても、ずっと消えることのなかった、その想いを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふざけるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふざけんな。悔しいに、決まってるだろ。ああそうだよ、悔しいに決まってるだろうがよ!! なんで、なんで全部壊されなきゃいけなかったんだ? 何もかも終わらせて、何もかも元通りにはならなかったけど。それでもあの世界だけは、何としても守りたかったんだ!! そうじゃないと、あの戦いで見送ってくれた人達に、俺がしてあげられることなんて何もないんだよ!! それだけしか、あの人達に出来ることがなくて。なのに世界はもう一度壊されるべきだったとでも言うのかよ!? そのために皆殺しにして、惑星を占拠して、仲良く領土を分配してみんなで殺し合いだって!? ふざけんな!! ふざけんなっ、ふッざけんなああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! みんなで繋いだ世界だ!! みんなで取り戻した世界だ!! それを、また殺し合いするために壊すだって!? そんなことのために、ドクターは死んだってのか!? そんなことのために、ダ・ヴィンチちゃんはあんな惨い死に方したのかよ!? マシュがまた戦う羽目になったのかよ!? みんなこんな世界で家畜みたいに与えられた幸せを噛み締めてるっていうのかよ!? なんなんだよアイツら!! 俺達が必死こいて戦ってたときは、スヤスヤ眠ってやがったくせに!! ドクターが死んで、所長が死んで、マシュが死んでたときにアイツら何してた!? 俺みたいなのが駆り出されたのは、まとめてレフの爆弾で眠ってたからだろ!? なのにいざ目が覚めたら、こんな歴史は間違ってるから、みんなで仲良く地球を洗ってさあ生き残りを懸けて戦争でもやろうかだって!? ふざけるのもいい加減にしろよアイツら!! 何の権利があってあんなこと言えるんだ!? 今の世界がどれだけの奇跡と犠牲を払って取り戻したのか、何も分かってないくせに!! 今回だってそうだ!! 人が一生懸命乗り越えてきた道を、指を鳴らすだけで踏み越えていきやがって!! なんであんなのが罷り通るんだよ!! こっちがいちいち何人もの犠牲を出して戦ってるのが、本当に馬鹿みたいじゃねぇか!! 毎回命を懸けて戦ってくれたみんなが、馬鹿みてぇで笑えてくるよなぁ!! あんな簡単にみんなを救えるなら、初めからそうしてくれりゃよかったんだ。俺が弱かったのは分かってるよ。決して最適解を進んできたわけじゃないから、こんな可能性だってあったはずだよ。でも、俺が弱いままだからって、何もしなかったと思うか? サーヴァントのみんなに魔術とか、体術とか、軍略とか、色々教えてもらってきたよ。それでもこれなんだよ!! 努力したところで、俺より上手く世界を救える人間だって沢山いることは分かってる。でも、誰も世界なんて救おうとしないじゃないか!! 誰も彼も真っ先に死んで、俺みたいのしか残ってなかったじゃないか!! だから俺がやるしかなくて、こっちだって死に物狂いで頑張ってきたんだ。少なくとも、そうやって世界を救ってきたんだ。もっと何か出来たとか、そんな後悔にだって折り合いをつけてやってくしかないって。異聞帯のみんなだって、助けられるなら助けたかったに決まってるだろ。偽善だろうがなんだろうが、一人でも多くの人を救いたかったに決まってるだろ!! 毎回騙して、その命を握るような真似なんかしたくなかったに決まってるだろ!! なのに、それを後出しでこうやればよかったのにって言うなよ!! ふざけたこと抜かしやがって、そんなに救いたいなら俺なんか担ぎ上げなきゃよかっただろうがよ!! クリプターでも子供でも大人でも少年でも女の子でもなんでもいい!! モブでNPCくらいの価値しかないって、俺にそう言うなら、そいつらに任せて俺なんか切り捨てれば良かったのに!! 人に全部押し付けて、評価しておいて、お前はいらないなんて勝手なことべらべら言ってんじゃねぇよ!! なあ教えてくれよ!! 世界を壊して、それで誰が救われるんだ!? なあ!? こんな風に誰かの幸せをぶち壊して、その先で誰が幸せになれるんだよ!? 俺だってこの先幸せになれる保証なんてないんだぞ!! もうそんなあやふやな答えで誰かの命を踏み越えるのは嫌なんだよ!! この先あと何億人殺すんだ? 本当にそれだけの価値が、あの世界にあるのか? 俺なんかにそんなジャッジをくだせるわけないだろ! どうせ何も出来ない置物で、無能で、こんな家畜みたいな幸せを与えることも出来ない奴に、そんなこと託されたって、どうすればいいんだよ!! 誰にだって出来たことなら、そんなに世界を救いたいなら、クリプターでもなんでも任せてればいいだろ!! 俺がこんな苦しい想いしなきゃいけない理由なんか、これっぽっちもねぇんだろ!! だったらほっとけよ!! 世界が終わらないと一人だって助けにこなかったくせに、一緒に世界を救おうだの君は大事な人に似てるだの、こっちが合わせてやってれば今更虫の良いことばっかり言いやがって!! 俺はただ、生きていられるだけでよかったんだ。それなりに笑えて、それなりに苦しくても、それなりに幸せなら、人生こんなものだなって納得出来たんだ。なのにこんなことが当然の罰なんだって、言われるくらいのこと、俺は本当にしたのか? 世界を救う旅は辛いことだらけだったけど、それでも意味があると信じてたのに。全部間違ってたのか? あんな、誰かが犠牲になるしかなかった状況、間違ってたのか?……間違ってたよなあ。そりゃそうだよな。俺だって、ドクターには死んでほしくなんかなかったし、ずっと一緒にいたかった。おかえりって、そう迎えてほしかった。ダ・ヴィンチちゃんだってそうだ。あそこに置いてけぼりにしたくなんてなかったし、マシュをもう一度デミサーヴァントになんてしたくなかった。マシュにはもう戦ってほしくなんてなかった。なのに俺は、ずっとその背中に隠れて、ビクビク震えることしか出来ない。魔術なんてからっきしで、運動神経なんてそこら辺のスタッフにだって負けて。こんなの誰にだってやれるさ。だけど、続けていけば何か意味があると思ってたんだ。苦しくても、ゴールはあるんだって。またあの世界に戻れるって、元の地球に戻れるって。そう思って、世界を壊してきた。そんな傲慢が招いたのがこれだ。何も返ってなんてこない。俺が奪った人達は、俺が奪った役割は、最悪の形でみんなの幸せを削ぎ落としていくだけだ。そんなの、もうどうしようもないだろ。続けたところで、この先破綻するのは目に見えてるだろ!! だから壊せない。ここにある奇跡は、その破綻を止められる最後のチャンスなんだ。ここで何も知らずに笑っているってことは、誰も不幸なんて起きなかったってことだ。それがどれだけ幸せなことか、俺には分かる。みんなその不幸のせいでずっと苦しんできたんだ。中には英霊になってからもそのことで悔やんだり、辛そうにしてるサーヴァントだって大勢いた。氷付けにされたまま死んだ人も、幸福の意味も分からず死んだ女の子だっていた。そんな人達の前で、あなた達は傲慢な神様によって作られた命なんです、って言えるか? あなた達の幸せは間違っているので、これからみんなまとめて不幸になってもらいますとか、面と向かって言えっていうのかよ!? 言えるわけないだろ!! みんなが求めてたものを、俺が奪ってきたものを、もう一度みんなから奪えって、そんな馬鹿な話があってたまるかよ!! みんなの命と幸福を、一人の無価値な人間の命と幸福で買えるなら、そんな安い買い物他にないんだから!! 例え俺がどれだけ叫んだって、みんなああやって笑っている声の方が絶対に大きいんだから!! きっと俺が望む未来には、世界には、ここの人達の幸せなんてないんだから!! もう誰も傷つく必要なんて何処にもないんだから!! 俺一人が我慢してりゃ、それで絶対に丸く収まる話なんだから!! もうっ、それで、こんなっ……こんな、くだらねえ話は、ぜんぶぜんぶっ、終わりでいいだろうが!!!!」

 

 

 

 それで、限界だった。

 ぼろぼろと、大粒の涙を溢れさせて。少年は崩れ落ちる。

 まるで、迷子になった子供が、道端でうずくまるように。

 されど、確かにここに存在する一つの命として。

 少年は一人、あらん限りの声で、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 上条当麻は背を向けて、その声を聞いていた。

 短くない時間、ただ吐き捨てるように続いた慟哭。藤丸立香という少年が溜め込んでいた本音。それはお世辞にも、綺麗なものとは言えなかった。きっと、ここまで乗り越えてきた人類最後のマスターとしては余りに卑屈で、中には八つ当たりのような勝手な主張だって幾つもあって、だからこそ誰にも聞かせられないようなものだった。

 それでも。全てを聞き終えてツンツン頭のサーヴァントは、ぽつり、と溢した。

 

「良かった、それが聞けて」

 

「……」

 

「これでまだアンタが、自分を犠牲にしようとするなら、殴り飛ばしてるとこだ。流石にそんなこと……マスターにはしたくなかったからな」

 

「……だったら、なんだよ」

 

 藤丸は目元を手首で拭った。

 

「こんなに叫んだって、何か変わるわけじゃない。俺はこの世界を壊せない。ここが壊れたら、もう俺は何を信じればいいのか、分からないよ……」

 

「だろうな。だからこそ悩んできたわけだし……何よりここはマスターの理想だ。これ以上の答えなんてそれこそ、神様に作ってもらうしかないよ」

 

 上条は否定しなかった。

 ここが終点。ここが旅の終わりであることを。

 

「けどさ」

 

 だが、そこで藤丸立香が終わりだとは、言わない。むしろここからが本題なのだと、そう言う口振りで。

 

 

「ーーそもそもアンタ、まだ()()()()()()()()()?」

 

 

 それは。

 ああ、それは。

 藤丸が日頃から感じすぎて、最早誰にも指摘されることがなかったものだった。

 戦うのだから、それくらいは我慢しろと。そう言われてきた恐怖。

 平凡な少年には一番怖かったもの。

 上条はいっそ呆れ半分に、

 

「別に、いいじゃん。死にたくないなら、それでも」

 

 言い当てられる。

 ある種、誰より藤丸に似た雰囲気を持っているからこそ。上条の言葉は、平凡な少年の心に入り込んでいく。

 

「怖いなら、別に死ぬことないじゃん。誰だって、死ぬのは怖いんだから。それが他人のためなら尚更だ。だって、生きていたいだろ? まだやり残したこととか、いっぱいあるんだろ? だったら、アンタがここで死ぬ必要なんて何処にもないじゃないか。誰かのために死ぬことなんてやらなくていい」

 

 だけど、それでも。

 そうやって自分の弱さに負けないよう、戦ってきた人達を、藤丸は知っている。死を前にして、その恐怖と戦い、笑い飛ばし、そうして散っていった誇り高い人達を知っている。

 藤丸は自分もそうなりたい、そうありたいと思ってきた。

 ああ、けれど。

 その弱さのために、戦ってもいいのだろうか。どれだけちっぽけでも、独り善がりであっても。自分の命が惜しいのだと、そう叫んでしまってもいいのだろうか。

 人類最後のマスターであっても。

 そんな、情けない生き方をしてしまっても。

 

「……いいのかな」

 

 令呪の刻まれた手の甲を、藤丸は見つめる。

 自身が唯一つ、平凡でない証。ただの少年を、世界を救うマスターに変えた、呪いの痣を。

 

「たったそれだけで、俺は戦っていいのかな。何の変哲もない人間が、死にたくないってだけで。みんなの幸せを踏みにじったって、いいのかな」

 

「いいさ」

 

 上条は、

 

「だってアンタ、ただの人間だろ。特別な力も無ければ、天才的な頭脳だってない。そんな奴がずっと我慢して、走り続けられるわけないだろ。人間に限らず、みんなたまには落ち込むし、情けないことだって言うよ。ずっと走り続けられる奴なんていやしない」

 

 だからこそ、

 

「そんなアンタが、誰よりも前に立って戦ってきたことは、きっと凄いことなんだよ。同じように悩んで、生前のトラウマなんか抱えてるサーヴァント達にとって、誰でもないアンタが『今』を歩き続ける姿は、何より輝いて見えた。だから、みんなアンタについてきたんだ」

 

 平凡な少年は、その言葉の意味を図りかねた。

 そんな風に見られているわけがないと、ずっとそう思っていた。

 だけど。

 

「だってそうだろ。世界の危機を救うって、滅茶苦茶カッコよく見えるけどさ。やっぱりそれ相応の力とか、頭脳とか必要だろ。なのにアンタは身体一つで、いつも世界に挑んでいった。危なっかしくて見てらんないかもしれないけど、だからこそ、そんなアンタを見て、奮い立った奴は大勢いるんだよ。何もないアンタだからこそ、その行動に救われた奴は、数え切れないくらい居たんだよ」

 

 慰めなんかではない。

 だって、藤丸がそうだった。

 サーヴァント達の輝かしい姿に、何度も救われてきた。カルデアスタッフの技術力には、いつも命を預けてきた。

 そうして、お互い支え合ったからこそ、きっと世界だって救えたのだ。

……あの、流星雨のように。

 

「でも……」

 

 この黄金の世界を見てしまうと、果たしてそんなことに意味はあったのだろうかと、藤丸はそうも思ってしまう。

 自分がもっと強ければ。

 きっと、こんな世界でなくとも、もう少しマシな世界があったのかもしれないのに。 

 

「関係ねえよ、そんなもん」

 

 ツンツン頭のサーヴァントは薄く笑った。

 

「最適解なんかじゃなくても。クリプター達や、それ以外のマスターだったら、もっと良い結果だっていくらでも残せたとしても」

 

 藤丸と同じように。

 平凡の身でありながら、その歴史に名を刻んだ、ただ一人の少年として、言う。

 

「少なくとも、あの世界を救ったのはアンタだったんだ。実際に血を吐いて、何回も転んで。それでも歩き続けたのは絶対に、他の誰でもないアンタなんだよ」

 

 例え誰かの記憶に残らなくても。

 世界がそのことを忘れてしまっても。

 その事実だけは、変わらないと。

 

「だから、いいんだよ」

 

 上条は頷く。

 何処までも寄り添って、地獄の底から引きずり上げるように。

 

 

「ーーーーお前は。お前が笑って、生きていける世界を、選んだっていいんだよ」

 

 

「…………ああ」

 

 

 それは。

 その言葉は。

 

ーーお前が、笑って生きていられる世界が上等だと、生き残るべきだと傲岸に主張しろ。

 

 今は亡き、友の言葉。

 

ーー胸を張れ。胸を張って、弱っちろい世界のために戦え。

 

 生きる意味も分からず、奪われる意味も分からず。ただ辛かっただけの命に、意味を求め続けた、誰か。

 

ーー……負けるな。

 

ーーこんな、強いだけの世界に、負けるな。

 

 呪いのような言葉だと、そう思っていた。それを思い出す度に背筋が伸びて、止まることは許されないと、そう気を引き締めていた。

 だけど、それだけではなかったのだ。

 せめてお前には、笑って生きていてほしいと。そんな願いも、あの言葉には込められていたのだ。

 きっと、この先どんなことがあっても。

 そう思った誰かのことを、忘れないでほしいと。

 

「……ああ、……っ…………ぁ、ああ……っ!!」

 

 今更になって、気付いた。

 今更になって、そんなことを思い出した。

 欠けた心が埋まっていく。

 忘れていたものが、そうしてくれる。

 

「……可笑しいとは、思うんだけどさ」

 

 藤丸は、

 

「こんなことになって。一番最初に思い出したのは、楽しかったことなんだ」

 

 誰がどう考えたって、藤丸立香はここで死ぬ。

 それは確定的で、抗えぬ運命と言っても過言ではないのかもしれない。

 

「目の前の幸せに比べたら、俺のそんな気持ちなんて、ちっぽけで。もしかしなくてもみんなからすれば、そんな思い出はどうでもいいことなのかもしれない」

 

 ここを乗り越えたところで、残るのは罪悪感だけだ。元の世界に戻ったところで、自責の念だけで藤丸立香という人間は崩壊するだろう。

 

「だけど、だけどさ」

 

 それでも。

 

「俺、楽しかったんだ。こんなところで、頭を抱えるより。苦しくても、汎人類史の方が生きててよかったって。そう思ったんだ」

 

 どうしても、捨てられない。

 今ここで折れることが、人類最後のマスターとして正しかったとしても。

 ここで死んだ方が、人類にとって幸せだったとしても。

 

「……死にたく、ない」

 

 ぽろ、と。

 心に残った最後の雫が。

 ほほを、つたう。

 

 

「……俺……まだ、生きていたいよ……、……」

 

 

 世界のためでも。

 人類のためでもない。

 しがらみ全てを剥ぎ取られて。それでも戦う理由があるとするのなら。それこそが、平凡な少年に唯一残された、戦う理由なのだ。

 英雄らしい宿命も、異常者のような宿業もない。あるのはただ、生きていたいと、しがみつくような見苦しさと、みっともなさだけ。

 万人に愛されるような人間ではない。万人に応援などされない。きっと人類全体で多数決を取れば、この少年の言ったことはどうしようもない邪悪だと断じられるだろう。

 だけど上条からすれば、そっちの方がずっといい。

 たった一人の幸せを弾き出して、何が理想だ。ただの少年をここまで追い詰めて、何が幸せだ。

 だからこそ、このサーヴァントは召喚されたのだ。世界の全てを敵に回しても、たった一人の願いを叶えるために。

 

「なら、行こうぜ」 

 

 上条は立ち上がると、右手を差し出した。

 

「一世一代の大勝負、神様とケンカだ。でかいの一発、かましてやろう」

 

 藤丸は躊躇わなかった。

 その手を取り、起き上がる。

 見据えるのは窓の外。

 今から挑戦するその世界を、改めて目視する。

 目が焼き切れてしまいそうなほど求めた光景からも、藤丸は目を逸らさない。

 睨む。

 睨んで……そして、

 

「ああ、行こう。神様をぶっ飛ばしに」

 

 とんとん、と歩く音が、世界の片隅で木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 円蔵山、その内部にある大空洞。汎人類史ではとある聖杯戦争において、大聖杯が設置された場所。そしてここがあの少年にとって、人類最後のマスターとして戦った最初の地だ。であれば、異聞帯にとってこの場所の重要度は語るまでもない。

 ここが決戦の地。

 つまりぶつかるのであれば、初めからここしかなかった。

 

「なるほどな」

 

 金髪の魔神、オティヌスは台地に腰掛けていた。当然彼女は、侵入者に気付いている。

 

「どうやらまた、殺し損ねたらしい。だから言っただろうマスター。殺すなら早めにやれ、と。おかげであちらはとことんやる気らしいぞ?」

 

「……、」

 

 背後で苛立たしげなマスター、いやクリプター。未だ姿を隠している主に、オティヌスはほくそ笑んだ。

 そして隻眼が、入り口から歩いてくる影を捕捉する。

 藤丸立香、上条当麻。

 たった二人の少年が不遜にも、神の領域に足を踏み入れる。

 

「その頭蓋を握り潰す前に。一つ、お前に問いたい」

 

 その声は、オティヌスではなかった。彼女の後ろで控えていた、マスターの声だった。

 声の高さからして女性か。尊大な態度はオティヌスと比べ、刺々しさが更に増している。

 

「何故戦う。何がお前をそこまで駆り立てる。この世界を放棄するだけの理由が、お前のような凡人にあるのか?」

 

「あるよ、クリプター。いや、虞美人(・・・)

 

「……、」

 

 マスター、いや虞美人と呼ばれた女性は、オティヌスの背後から前に出た。 

 虞美人。またの名を芥ヒナコ。元カルデアのAチームにして、今はクリプターとして汎人類史を裏切ったマスターの一人。そして三番目の異聞帯、秦で藤丸に破れたサーヴァントだ。

 彼女は秦の時と何も変わらなかった。強いて言えば、眉間の皺や隈がより深く、より濃くなったことか。

 虞美人は怪訝な顔で、

 

「……どうして、私だと? こっちは表だって動いてこなかったはずだけど」

 

「この世界には異聞帯の秦がなかった。亜種特異点だって再現しておいて、秦だけ欠片もないなんて、どう考えたって可笑しい。神様が槍を振るだけで作れる以上、そこにないのは理由がある。それに、クリプターの中で最も俺に恨みがあるとしたら、それはあなただ」

 

「何故?」

 

 藤丸は何の言い訳もせず、それを口にした。

 

「俺はあなたから大切な人を奪った。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 刹那、虞美人から猛烈な殺意が噴出した。

 まるでガラスが割れて、そこから風が吹き上がるような、形を持った殺意。虞美人の赤い瞳は、今にも縦に裂けそうだった。

……そう。虞美人、人間としての名前は芥ヒナコ。彼女が嫌いな人間にまで化けてカルデアに忍び込んだのは、ただ一つの願いを叶えるため。

 つまり、愛する人ーー項羽ともう一度会うためだ。

 その願いは異聞帯で叶えられたものの、虞美人を守ろうとした項羽は藤丸に破れて消滅。そして虞美人は怒りのまま、空想樹と融合し、後はご覧の通りだ。

 

「そ。自覚があるのね、それは結構」

 

 それ以上の言葉はなかった。

 この世界と汎人類史を天秤にかけることだってしなかった。それが分かっていようがいまいが、そんなことはどうだっていい。

 ここで出会い、立ち塞がってしまったが最後、お互いがお互いを許せるものではなくなったのだから。

 

「では、始めようか」

 

 オティヌスが槍を回し、虞美人が紅蓮に燃える短剣を握る。

 対し、少年二人の取った行動はシンプルだった。そのちっぽけな拳を握り締め、世界に向ける。

 虞美人はそれを鼻で笑い、そして。

 

「……馬鹿が。簡単に死ねると思うなよ、人間どもがーー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論など最早どうだっていい。

 邂逅した時点で、最早語るに及ばず。

 

 ここに出会ったのは、世界の価値も分からぬ愚者と愚者。己が願いを叶えるため、全てを敵に回した愚か者ども。

 

 故に、理解など最初から求めない。

 故に、尊い世界に興味はなく。

 故に、目の前の獣を到底許せない。

 

 目の前の同類こそ、ここまで堕ちた元凶なら。

 

 拳を握り締めろ。

 剣を引き抜け。

 それらは全て、目の前の獣の息の根を止めるため、振るわれるべき凶器に他ならない。

 

 かくして賽は投げられた。

 

 ここが世界の果て。獣の旅の終点なれば。

 

 さあ、ご同輩。

 

 心ゆくまで。

 

 この素敵な素敵な殺し合いを、世界が終わるときまで、楽しむとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






平凡な少年なら、これくらいの弱音は許されると思うんですよね。
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