【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム 作:388859
「最初に言っておくけど、俺じゃオティヌスには勝てない」
それは、大空洞へ向かう途中のことだった。
夜の歩道を歩きながら、上条はそんなことを切り出した。
「……いや、さっきまであれだけ助けるって言ってなかった?」
「実現性があったかは別だ。勿論俺は今もそのつもりだし、何よりオティヌス相手に防戦出来るようなサーヴァントは、多分俺だけだよ。でも、実際問題俺じゃオティヌスには勝てない」
「? ステータスの話なら、分かりきってたことじゃないのか?」
上条のステータスはほぼ全ての値が最低ランク、E-を記録している。オティヌスが相手でなくとも、例えばバビロニアの魔獣などが相手でも負けてしまう、そんな値だ。
だが、そういうことではないらしく、
「生前、俺を殺したのはアイツだ。数えるのも馬鹿らしくなるくらい挑んだけど、結局俺はオティヌスに
「……一度も?」
「ああ、一度も。清々しくなっちまうくらい完敗だったよ」
成る程、と藤丸は納得する。
サーヴァントの並外れた力は、その生前の功績、悪行、はたまたその出自によるものだ。そこをクローズアップし、形を与えたのがサーヴァント。つまり生前に抱えた弱点は、そのままサーヴァントの弱点にもなり得る。
例えば大英雄アキレウスなどは、踵を撃ち抜かれたが最後弱体化してしまうし、メイヴは死因にもなったチーズにめっぽう弱いからこそ、そのチーズに対してかなり注意力を払っている。
つまり、
「君にとってのアキレス腱が、あのオティヌスなわけか……あれ、それってつまり相性最悪ってこと???」
「魔神に相性なんて関係ないさ。どんな相手だろうが、銀河を握り潰して流星群にしたり、世界を破裂させたエネルギーを利用してミサイル作ったりするような連中だ、勝負になんてなるわけがない。その点で言えばマスター、アンタはすこぶる運がいいよ。少なくとも俺なら、オティヌス相手に防戦が成り立つしな」
大した自信だが、何か策はあるのだろうか。流石に無策ではないと信じているものの……というかそんなのに挑むなんて、改めて馬鹿げてるなあ、と黄昏てしまいそうになる藤丸。
と、
「だから、もし何億分の一って確率でも。勝率があるとするなら、それはアンタだ」
「……俺が?」
「ああ。今のオティヌスはサーヴァント。ならマスターがいるはずだ。確か言ってたんだろ、マスターがいるって?」
首を振って肯定する。
オティヌスは藤丸を追い詰めながら、時折マスターの存在を仄めかしていた。これだけの力を発揮してきた魔神だが、確かに弱点となるならマスターだ。マスターを倒せばそれで終わる、聖杯戦争の基本である。
けど、藤丸はどうにも引っ掛かった。
「……オティヌスの力は規格外すぎる。あんな大それた力を、たった一人のマスターの魔力で賄いきれるものなのかな……? いや、そもそもアレは、魔力どうこうって話じゃないような…… 」
藤丸が契約するサーヴァント達の魔力だって、大部分はカルデアの設備によって何とか賄っていた。それでも時々足りなくなりそうになったこともある。
聖杯かそれに類する魔力リソースによる可能性も、無くはない。しかしそれでも足りないくらい、オティヌスの力は桁外れだ。
「そもそもそんな魔力の持ち主、仮にマスターだったら、それこそサーヴァント級だ。俺じゃあ逆立ちしたって勝てないよ」
「そうとも限らないんじゃないか?」
「?」
考えてもみろ、と上条は、
「本当に契約してるなら、そのマスターからオティヌスには今も莫大な魔力が流れてるはずだ。それこそ、普通なら日常生活を送る方が難しいくらいな」
「……つまり、俺みたいな普通の人間でも倒せるくらいには、弱体化してるかもってこと?」
「この目で見ないと分からないけど、勝負にならない、ってことは……ない、と思う」
「ないと思うって……」
勝つならそこが一番大事なのでは……言葉にせずとも、上条もそこは伝わったらしく、ツンツンの髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
「情報が少なすぎるんだよ。対策を練りたいところだけど、正直オティヌスの目的も、そのマスターが誰かも分からないし……一回ぶつかってみないと、何も始まらないだろ」
「め、滅茶苦茶だ……」
前言撤回。このサーヴァント、何も考えてねえ。藤丸もびっくりの体当たり戦法である。
「……そもそもさ。人は、神様になんて勝てっこねえんだよ」
さっきまで無策に近い少年の話は、やけに実感のこもったものだった。
それは恐らく、少年が生前そうだったからか。数え切れないほどの敗北を思い出しているのか、やや薄目で、
「工夫すればどうこうとか、裏技を使えばどうこうとか、そんな話じゃない。命のランクとして、人と神様じゃ与えられたスペックが違いすぎる。英霊って呼ばれる奴らは話が違うだろうけど、少なくとも今を生きる
それに、と上条は続ける。
「何より勝ったところで、何かを得るわけじゃない。お前が勝ったとして、カルデアに帰れるかは分からないからな。恐らくこの世界と心中するくらいで、その先には未来なんてないないかもしれない」
今回はレイシフトではない。ここは異聞帯、片道切符を握らされて無理矢理連れてこられただけだ。仮にこの世界を壊しても、藤丸は次元の狭間を永遠にさ迷うことだってあり得る。
つまり、勝とうが負けようが、待つのは誰の目にも触れられない孤独だ。
得るものはきっと、どうしようもない罪悪感だけ。
「それでも、戦うか?」
勝率は数億分の一。
そして例え勝利しても、未来がないと、先に待つものが何もないと知って。
藤丸は何故か、笑っていた。
「……なんだ。そんなの、いつものことだよ」
そうだ。
藤丸立香の戦いとはつまり、そんなことばかりだった。一度の敗北で全てが瓦解し、一度の挫折で決定的になり、そして一度諦めれば世界は滅ぶ。
勝って得たのは、いつかの空耳の残響と、束の間の休日だけ。それもまた壊されて、また未来は白紙になった。
だけど、笑える。
そんなのは慣れたことだから、笑い飛ばせる。
「勝てないとか、未来がないとか。そんなこと、耳にタコが出来るくらい聞き飽きたよ。だから大丈夫」
怖くないわけじゃない。
痛みが麻痺しているわけじゃない。
ただ、
「……もう、負けたくないんだ」
綺麗な夜空。綺麗な町並み。静かな都市は理路整然としていて、汎人類史とは比べ物にならない。
けれど、それは藤丸立香を弾き出して生まれた世界で。
そして、藤丸立香が帰る場所などない世界。
「こんな理不尽に負けたくない。無意味に終わりたくない。その先が、例え誰かの未来に繋がらなくたって」
手に力が入る。
「それでも。ここにだけは、絶対負けたくないんだ」
だから。
勝てないことは、初めから分かっていた。
藤丸が拳を握ったときには、既に虞美人の烈火のごとく怒りに燃え上がった顔が、目の前にあった。
何か魔術を使用する暇すらなかった。
虞美人の短剣が走る。炎は洞窟内を一閃し、火の粉が舞い、そして鮮血が散った。
「……!?」
脇腹からぼと、と溢れ落ちる何か。それが何なのかなんて確認しない。無くしたものは戻らない。手足から力が抜けても、それに逆らわないで、倒れ込むように脱力。二撃目を回避しようとし。
負傷した脇腹に、吸血種の片足がまるごと食い込んだ。
「藤丸!!」
上条が悲鳴をあげたときには、藤丸の体は優に十メートルほど浮かんでいた。咄嗟に礼装で瞬間回避の魔術を起動しなければ、今頃脇腹から上と下が分かれて、空を飛んでいただろう。
下で上条が何か喚いていたが、その彼も自身に襲いかかる不可視の攻撃を回避するので、精一杯のようだ。
車輪のように回転し、三半規管が揺さぶられる。空と地面がどっちで、浮いてるのか落ちてるのかも分からないまま、藤丸は石の地面に勢いよく叩きつけられた。
今度は脇腹ではなく、口から血を吐き出す。
「ご、お、ぶ、……ぇ……!?」
嘘みたいな量の血で、藤丸自身、溺れ死ぬかと思ったほどだ。吐けるだけ吐かないと、本当に窒息してしまう。
「まるで陸に打ち上げられた魚ね。パクパクパクパク、見苦しい」
声は程近く。不味い、と藤丸は起き上がろうとするが起き上がれない。その間にも虞美人は、着実に近づいてくる。
何が自分でも戦えるかもしれない、だ。虞美人の力は、秦で戦ったときと何も変わらない。むしろまともなサーヴァントすらいない以上、勝てる見込みなどまるでないに決まっている。
「人類最後のマスターが聞いて呆れる。さっさと命乞いでもしたらどうなの、お前?」
「……そんなの……する、もんか……」
「あらそう」
再びの蹴りは、礼装の魔術など易々と貫いた。痛みが追い付く前に、藤丸は入口の壁に激突する。
意識が、途切れそうになる。
しかしそれを虞美人は許さない。倒れかけた藤丸の首を掴むと、壁に叩きつけて無理矢理立たせる。
いや、最早立つという感覚がない。見れば、脇腹から下がまるごと無かった。あるのは電線コードのように伸びた血管と、赤黒く染まった骨だけ。
致命傷だ。
「ほんと、馬鹿ね。あなたみたいなただの人間が、吸血種である私に勝てるわけないでしょう。なのに策もなしにのこのこ突っ込んで、このザマ? ハッ、笑える」
視界が暗い。加速度的に頭が冷えて、死が近付いてくるのが分かる。だが虞美人の冷め切った顔だけは、はっきり見えた。
「ここまで見事な犬死だと、感嘆すら覚えるわ。で、どう? 少しは私の痛みを
「……、」
復讐者、という言葉が藤丸の頭に浮かんだが、それだけだ。
そして、藤丸立香は呆気なく、その命を終える。
上条当麻、というサーヴァントについて、少しの間語るとしよう。
日本出身の彼は、特別な血筋の人間ではない。頭脳が優れているわけでもなければ、身体能力が他よりずば抜けているわけでもない。
平々凡々。中肉中背の彼は、サーヴァントとしては下の下。まさに最弱と言って差し支えないだろう。
なのに、どうして英霊として座に登録されたのか?
その理由は、目の前の光景にあった。
「……!」
ッボッッ!!!!!、と弾ける空間。不可視の爆発は、それこそただ爆発するのとはわけが違う。何の予兆もなく、唐突に、その空間が爆発するのだ。回避をしようとしたところで爆発の方が圧倒的に早い。防御だってオティヌスは神だ。脆弱なサーヴァントごとき、槍を振るうだけで殺してしまえるほどの火力、有り余っている。
そのはずだった。
なのに、上条はその爆発を
「づ、……!!」
「……チッ」
舌打ちを一つ。
見てから避けたのでもなければ、予兆を感じて避けたのでもない。気付いたら体が動いていた。そんな、魂レベルで染み付いた技術の一端。
オティヌスは再度槍を掲げ、今度は不可視の爆発を幾つも重ねた。
その数、一億と五千万に八千六百。
爆発などというお行儀の良い音はなかった。音が連続性を失い、敷き詰められた爆発はそれこそ濁流のように上条に襲いかかる。洞窟そのものを崩壊させない勢い。
対し、ツンツン頭のサーヴァントが取った手は単純だった。
右手を握り、それを目の前の爆発の一つに突っ込む。本来ならば、上条の右手は弾け飛び、そのままもろとも爆発に呑み込まれていただろう。
だが、そうはならなかった。
ギャリィンッ!!!!、と甲高い音。それは上条の右手が、爆発の一つを掴んだ音だった。
サーヴァント、イマジンブレイカー。その彼が唯一持つ宝具。それこそがこの右手に宿る、神の奇跡すら打ち消す力ーー
それがもし異能の力、例えば魔術だろうが魔法だろうが、それこそ神様の奇蹟であっても、触れただけで打ち消す。それが、このサーヴァントに宿る唯一の力。
オティヌスの放った爆発は、元を辿れば魔術だ。上条はその右手の力によって、爆発を掴むという離れ業をやってのけたのだ。
上条は右手を捻り、他の爆発にぶつけると、丁度一人分の安全地帯が出来上がる。
「邪魔だ」
それだけ言って、上条は再度右手を振るった。次は下から突き上げる、アッパーのような形。そのすぐ上を無数の斬撃が飛び交い、右手がそれを僅かにかち上げ、その下へ体を潜り込ませる。
背後の地面が斬撃で切り裂かれ、そして爆発によって粉すら消し飛ぶ。あっという間に背後には断崖絶壁が作られた。
でんぐり返しのように転がりながらも、上条はそんな死地を生き残る。
「……不可解な光景だよ、本当に」
オティヌスがぼやいた。
いかに
「……やはり厄介だな、お前のそれは。あの戦いで染み付いた技術は、未だにそのままか。面倒な」
そう。これこそが、上条当麻がオティヌスに唯一カウンターとして成立する理由。
生前、上条はオティヌスに戦いを挑んだ。しかしその度に殺され、生き返り、そして死に……そんなことをずっと繰り返した。
数えきれない、と言ってしまえば話は早いが、話はそう単純ではない。その年数の正確なところは最早オティヌスにだって分からないが、少なくとも、
それは上条の感覚で例えるなら、ゲームで同じ相手と何度も戦うようなものだった。どう動けば死ぬか、どう動けばかわせるか。ギリギリであったとしても、そこに活路を見出だし続けた。
体が、勝手に動くという次元に到達するまで。
上条当麻が唯一オティヌスに対抗出来るのは、その戦いで魔神のあらゆる攻撃パターンを体に染み付かせたから。
だから、戦いが成り立つ。
成り立っているように見える。
「ま、それもマスターが死ねば……意味などないが」
オティヌスの後ろ。その先でオティヌスのマスター、虞美人の手によって、藤丸は事切れる寸前だった。
下半身が弾け飛んでいる。あれではもう、助からない。少なくとも上条にはそんな力はない。
「私とお前の戦いなら、もう少しマシな結末もあっただろうよ。だが、真の意味でただの人間と、あの女では万に一つの勝ち目もない。それはお前が一番よく分かっていただろう、人間」
「……かもな」
「なら何故、こんな自殺覚悟の突撃を行った? まさかと思うが、本当に私があの女に魔力を貰っているとでも? おいおい、劣化コピーとはいえ、私だって神だぞ。魔力の問題なんてどうにでもなる。あの女に負担なんてほぼないに等しい」
上条は冷静だった。己がマスターの死は、サーヴァントにとっては命綱を失ったことを意味する。後に待つのは、消滅だけだ。
なのに、
「でも、これで終わりじゃない。だろ、オティヌス」
上条は藤丸を助けにいかない。
行く素振りすら見せない。
それを目の当たりにし、オティヌスは嘆息した。
「……そこまでお見通しか。『理解者』を持つのも悪くはないと思っていたが、全く忌々しい」
魔神の少女が、槍を振るう。
それだけだった。
それだけで、藤丸の体が
意識が、落ちかけて。
まるで水をかけられたように、ぱっちり目が覚めた。
「ぁ?……が……っ!?」
何が、どうなった? そんなことを考える暇すらなく、首に食い込んだ手によって呼吸すら覚束なくなる。
藤丸が足をばたつかせていると、真祖は口を裂いて笑った。
「言ったでしょう? 簡単には殺さない、って」
虞美人はそのまま、首を支点に藤丸を投げ飛ばした。まるで水切りのように跳ねた体は、減速することなく反対の壁に衝突する。
ゴギン、と背骨や様々な骨が砕ける音を、藤丸は自身の体から聞いた。せりあがる血が妙に現実感が無くて、吐いてみてようやく痛みが追い付く。
声が出ない。肺が潰れたか。ひゅう、と空気の漏れる音が何度も続いていく。
「ああそうよ。ただ殺すのでは、私の怒りは決して収まらない。ただ絶望させただけじゃ、私の怒りはもう発散されない」
だから、と。虞美人は藤丸の髪を掴み、持ち上げた。息が耐え耐えだろうが、無理矢理脳に届かせる。
「お前の心を粉々に壊して、みっともなく謝罪の言葉の一つでも貰った後、未来永劫苦痛と絶望を叩きつけてやるわ。お前という魂の、一欠片であっても残らないよう、永遠に。そのための世界、そのための魔神よ」
……つまり。
「……ふく、しゅ、う、……か……?」
「ええ、そう。始皇帝に言われて、踏み止まったけれど……オティヌスと契約して、この世界を見せられて。それを奪ったお前が、私は、どうしても、許せなくなった……!!」
虞美人が爪を立てると、呆気なく藤丸の頭蓋を握り潰した。まるでスイカのように潰れたが、次の瞬間にはまた、埃一つすらない少年が存在している。
だが、藤丸は立とうとしても立てない。記憶は地続き、痛みだって鮮烈に脳は記憶している。幻肢痛とはまた違うかもしれないが、藤丸の身体には確かに染み付いているのだ。
死の記憶が。
「言っておくけれど、終わりなんてないから」
虞美人は血と肉と脳味噌にまみれた指を、唇に持っていく。そして、ぺろり、と仇敵のそれを舐め取った。
「私はお前を絶対に許さない。その血の一滴にまで至るまで蹂躙する。我慢勝負がしたいなら勝手だけど」
虞姫は、艶やかに笑う。
「ーー不老不死の私相手に、刹那の時間しか生きられない人間ごときが、勝てるだなんて思わないことね」
「無謀だな」
軍神とも称される魔神は、藤丸が死ぬ度に蘇生しながら、
「お前の時とはわけが違うだろう、人間。お前ほど我慢強かった奴など、他にいないよ」
上条はオティヌスの繰り出す攻撃を防ぐことで、手一杯だ。藤丸を助けにいった時点で、オティヌスに対しての技術は意味を為さなくなり、あっという間にこの世界から消し飛ばされてしまう。
つまり、タイマン。
藤丸はあの虞美人に、一人で立ち向かわなくてはならない。
「お前は右手の性質によって、自身に降りかかる危機を回避する能力に長けていた。故に右手を扱えたし、私との闘争にだってこれだけついていけるんだろうさ。
だがあの男はどうだ? 何の力もなく、頼りのサーヴァントと礼装はあの女に対して何の役にも立たない。あれじゃあサンドバッグにすらなっていないじゃないか。満足に拳の一つも握れていないのは、考えることすら出来ずに叩きのめされている証拠だ。お前のように、勝機を信じて進んでいるわけでもない。ただ流されるままだよ、あれは」
上条は答えない。それは、同じように地獄を体験した彼だからこそ……藤丸の今の状態がよく分かっているからか。
「それに、私のときはあくまでお前に付き合ってやった形だが……今回は我がマスターの憂さ晴らしのためだ。精神的磨耗とて、よくて同程度。むしろあれだけやられている分、お前のマスターの方が事切れる確率の方が高い」
上条とて、オティヌスを追い詰めたことが二回だけあった。
その一回目がまさに、数千億年以上かけてオティヌスの精神を磨耗させて、諦めさせようとしたことだ。結果的に最後は、オティヌスの切り札によって体をバラバラのされ、勝てなかったが、負けはしなかった。
しかし、今回はそれすらない。
虞美人にとって、これは待ち望んだ復讐だ。どれだけ時間が経とうと、虞美人の中から復讐心が消えない限り……精神的磨耗などやってこない。
「だから無謀だと言ったんだ。あの男はここで死ぬ。いや、死ぬよりも酷く歪んで、堕ちる。廃人になって逃げられると思うなよ、私がそれを許すと思うか?」
既に戦場は、大空洞から山道に変わっていた。虞美人が藤丸をボールのようにあっちこっちへ蹴り飛ばすからだ。
上条が珍しく、右手を使わずに横っ飛びで回避する。それは大気圏外から呼び寄せられた隕石群から、身をかわすためだ。
「さ、どうする。奇跡が起きたところで、万に一つもない状況だが」
「……確かに」
まとめて薙ぎ倒された大木の枝から、何とか抜け出して、上条は、
「確かに藤丸のやったことは、あの虞美人って人からすれば、どうしようもなく悪だよ。きっと、どうやったって許せないのは俺だって分かる。
だけど、お前は? お前はどうして、あの人に協力するんだ? サーヴァントって言ったって魔神だ、お前は大抵の相手ならは歯牙にもかけない。そんなお前は、どうして虞美人に手を貸す?」
「またお得意の話術か? つまり何が言いたい?」
「藤丸を俺と同じ目に合わせたのは、俺をここに
そこで。
初めてオティヌスの動きが、揺らいだ。
放たれた氷の氷柱は、上条の頬を薄皮一枚裂いて、山道を削り取っていく。
しかしツンツン頭のサーヴァントは微動だにしない。
「俺と同じ状況をカルデアのマスターに叩きつければ、それとお前の存在が触媒となる。俗に言う連鎖召喚ってヤツだ。魔術の神であるお前が、それに気付かなかったはずがない」
「……それで?」
「お前、本当は藤丸のことなんて
作られた舞台、作られた配役。そして招かれたゲスト。
全てがたった一人の神によって構築されたのなら、その目的だって暴ける。
「目的は俺だろ」
上条は断定する。
「だって俺達は生前、あのとき二人揃って
さて。
ここで一つ、昔話をする必要がある。
上条当麻とオティヌスについてだ。
先述した通り、オティヌスは二度ほど、上条に追い詰められたことがある。
一度目は勝てなかったが、二度目は違った。
そのときのオティヌスは世界を破滅させた極悪人だったものの、数千億年という闘争を経て、上条という『理解者』を得た。その結果オティヌスはただの悪ではなく、隣に寄り添う誰かのために自らを差し出せるくらいには、善性を得たのだ。
上条はそんな彼女を助けるために、世界を駆け回った。そして魔神としての力を捨てることで、人として罪を償う道を、オティヌスは提示した。
世界を混乱に陥れた極悪人を、助ける。その行為のため、上条はそれこそ命を削って戦った。だがその行いは、最後の最後でオティヌス自身が救いを拒む理由になってしまった。
自分にそんな資格はない。ようやく得た『理解者』が、そんな風に傷ついてまで生きられない。
オティヌスは妖精化という術式を撃ち込まれた結果、体が自壊寸前だった。だからこそ、死ぬために魔術を使い、上条を遠ざけようとした。
それは奇しくも、一度目ーーつまり上条がオティヌスを追い詰めた最後に使われた、上条を殺した魔術だった。
他の魔術は凌げても、それだけは防げない。それでも、上条は黙って見ていられなかった。
結果的に言えば、上条は間に合わなかった。
魔術自体は凌いだものの、オティヌスの自壊の方が早く、抱き締めたときにはもう手遅れ。
そうして上条は、目の前でオティヌスを失ってしまった。
……
「俺はあのとき、お前を助けられなかった。そして、俺もお前の魔術で
元々そのとき、上条は満身創痍だった。世界中の魔術師や他勢力に日夜襲われ、人の形を保っているのが可笑しいほどの重症だった。
故にオティヌスの魔術を、上条は乗り越えられなかった。そんな世界だって、あり得てしまうのだ。
今でも上条は思い出す。
自分の体が花弁みたいにバラバラ散っていくのに、砕かれたこちらを見て、泣き叫んでいた少女を。
きっと、殺す気なんてなかったのに。お前ならこれを乗り越えるだろうと、そう信じてくれた『理解者』を、裏切ってしまったことを。
「俺がそもそもサーヴァント化したのはさ。お前との戦いが、世界とやらに認められたからなんだよ」
神代とは違い、現代では世界を救ったところで英霊にはなれない。
しかし、神殺しを為したなら?
直接でなくとも、確かにその後押しをしたなら?
ただの少年であっても、世界は英霊と認めるだろう。
つまり、
「俺は魔神に対しての防衛装置として、英霊になった。だからこそ、お前に聞きたい」
上条は、
「お前、何がしたいんだ? 藤丸を俺と同じ目に合わせてまで、俺を召喚させて。何を企んでる? 何が目的だ?」
「……それを。お前が、聞くのか、人間?」
オティヌスは、三角帽子を深く被り直す。その下の、たった一つしかない瞳には、あらゆる感情が折り混ざっていた。
きっと。
この瞬間に辿り着くまで、幾つもの世界と時間があったからこそ。
「私にとって必要なのは、お前だけだった。変わっていく世界、変えられる世界に興味などない。全世界に指を差されようが、唾を吐きかけられようが、お前さえいれば私はそれで良かった。どんなことがあっても、隣にいてくれるお前がいてくれるだけで!!
いいか? 私にとって!! お前は!! どれだけの時を経ても、変わることのない唯一無二の『理解者』だった!!」
世界を簡単に壊せる少女は、初めて感情を露にする。
それは、上条の前だからこそ、さらけ出せる感情だった。否、それ以外ではさらけ出そうとしたって出来ない。
「それを自分自身の手で壊したときの気持ちが、お前に分かるか? お前を守るために放った矢が、お前を二度も殺した!!!! その喪失を、後悔を、抱えたままこれからずっと生きていけるわけないだろうが!!!!」
「……じゃあ、本当に。俺と会うためだけに、虞美人に協力したのか? そのためにまた、こんな地獄を作り上げたってのか? お前が散々苦しんだものを、他人に押し付けてまで?」
「
オティヌスは即答した。
それ以外に意味などないと、価値などないのだと、そんな顔で。
ああ、と上条は悟った。
生前のことだ。オティヌスと同じく、魔神になりかけた人間がいた。
名はオッレルス。彼は『理解者』を得たオティヌスを指して、こう言ったのだ。
もしもオティヌスが上条を失えば、これまで以上の怪物となるだろう、と。
上条を失ったオティヌスはもう、善性など欠片もない。ただ一人を求めてさ迷い続け、その影に苦しむだけ苦しんだ。
その結果が、これだ。
「あれから何度世界を作り替えたと思う? 丁度一万三千三十三回目だ。長かった、とても長かったよ。だからマスターの気持ちはよく分かる。藤丸立香という男への復讐心もな。故に私の見た地獄を叩きつけてやった。当然の報いだろう、大切な誰かを失うのはとても辛いからな」
だからこそ。
もう、上条は我慢ならなかった。
「さっきからふざけてんのか、
一瞬だった。
あれだけ饒舌に、感情的に語っていたオティヌスが、一瞬で黙り込んだ。
上条の言葉には、それだけの怒りが込められていた。
「確かに、俺だってお前を助けたいって思ってた。出来ることなら、あの時に戻ってでも助けたいと思ったよ。だけど」
決定的になると分かっていて。
上条は口にする。
「それは、誰かを踏み台にしてでもやることじゃない。少なくとも、今生きている誰かを、一生懸命生きようとしてるヤツを、踏み台にしてでもやることなんかじゃない!!」
「……、」
かくん、とオティヌスの首が揺れる。
信じられない、という顔だった。それは上条が生前最期に目撃した、助けられなかった人の顔だった。
それでも、構わない。
今、ここで。何も言わなければ。
彼女が『理解者』と、そう認めてくれた上条当麻ではない。
「お前は何のために『理解者』を求めたんだ? 何のために世界をねじ曲げてきたんだ?……全部、全部お前が苦しかったからだろ。痛かったからだろ!! 助けてなんて言えなくて、ずっと誰かと腹を割って話すことすら出来なかったからだろ!! なのに何で今更、そんなもんを誰かに叩きつける必要があるんだ!? そんな力を捨てたくて、償いたくて、お前はあのとき必死に生きようとしたんじゃないのかよ!! どうなんだ、オティヌスッ!!」
胸が痛む。最期の最期に感じた痛みが、また少年の心を蝕む。
けれど、
「俺がお前を助けたいって、そう思ったのはさ。あのとき俺に、世界を譲ってくれたからなんだ。好きなように作り変えたってよかったのに、元に戻せば自分が死ぬって一番分かってたのに、お前は俺のために世界を元に戻してくれた。
確かに極悪人だったよ。誰が何と言おうと、世界を破滅させたのはお前で、沢山の人を傷つけてきた。だけど!! あのときのお前は!! 自分の命を差し出してでも、誰かを救おうと行動した凄い奴だったんだ!! そんな奴は絶対に、あんな風に善意に押し潰されて死んじゃいけなかったんだ!! だから!! だから俺は……!!」
そんなお前を助けたいと、そう思ったのに。
上条はその続きを言えなかった。
そして言わなくても。
『理解者』であるオティヌスには、全て伝わっていた。
「…………そうか…………」
オティヌスが返したのは、それだけだった。噛み締めるように、頷いていた。
あるいは。
この少女はそう言われることを、ずっと待っていたのかもしれない。
だって、彼女は『理解者』だ。
藤丸にした仕打ちを、上条がどう考えるかなんて、オティヌスは理解していたはずだった。
それでも行ったのは、やはり会いたかったのだ。
千の夜を越えて、万の世を作って。
そして、億の理を踏み外して。
そうして出会えた『理解者』に。
彼女は、ずっと会いたかったのだ。
……だからこそ。
だからこそ、もう。
「俺は、
少年は、右手を握り締める。
自分が変えてしまった、その化け物を、改めて見据える。
「何と言われようが、絶対に今のお前は助けない。これ以上ふざけたこと一つでも言ってみろ。ぶん殴ってでもお前を黙らせてやるッ!!!!」
「…………はは」
オティヌスは。
微かに、笑っていた。
きっと心を苛む痛みは、これまで感じたどんな痛みよりも鋭く、胸に空いた穴は深くて、大きい。
けれど、それでいいのだ。
それを求めて、この世界を繰り返してきたのだから。
「それで?」
と。オティヌスは仕切り直すように、
「啖呵を切るのはいいが……実際どうするつもりだ? お前だけがやる気になったところで、あちらはまだお手玉状態だが」
オティヌスが片目を横に向けた。
雑木林の中。そこでは、虞美人が藤丸の心臓を短剣で貫いて、そのまま袈裟切りに上半身を切り飛ばしたところだった。
「これで百三十四回目。常人ならとっくに潰れている頃だ。あの男もどうやらそうらしいな、最早立ってすらいないぞ?」
上条も確認した。
確かに足は動いていないし、目は何処を見ているのか、見当もつかない。口はいつも血を吐き出していて、上条から見ても勝てる要素なんて見当たらなかった。
故に、笑ってしまった。
たった一点を、見て。
「……はは。凄いよ藤丸、お前は」
「それは皮肉か、人間? サンドバッグ役が上手いとか、そういうことなら確かにそうだが」
「違うよ、オティヌス」
上条は視線を落とす。その先は、自らが持つ唯一の武器だ。
「俺はさ、今でも自分を平凡な人間だと思ってるよ。だけど本当に平凡な人間は、こんな右手持ってないし、俺みたいに不幸じゃない。だから、もしも今回みたいな出来事があったなら……きっと、藤丸みたいにボコボコにされてるんだと思う」
「何を、言ってる?」
「見てみろよ、手を」
「手?……!?」
オティヌスが瞠目する。それも当たり前か。上条だって、一瞬まさかと思ってしまったのだから。
めぐるましく死と蘇生を繰り返す、藤丸の……右手。令呪が刻まれた、その手は。
どんな傷を負っても、その命が終わりを迎えたとしても。
固く固く。拳が、握られていた。
「……まだ、諦めてない」
同じように、上条が右手を握り締める。
拳とは、一種の意思表示だ。
何かを考えて、求めるからこそ、人の拳は形作られる。
つまり。
「アイツは、まだ。一ミリだって諦めちゃいない!!」
上条当麻とオティヌスについて補足。
本作の二人は新約とある魔術の禁書目録10巻ラストバトルからの派生。
例の攻撃を受けきれず、そのまま死んでしまった上条は、数千億年魔神と戦い続けたこと、そして魔神を最終的に滅ぼした功績によって英霊化。以後、対魔神最終兵器的な立ち位置で、抑止力の一部となる。
オティヌスは反英雄と化した後、上条さんともう一度会うために虞美人と契約。連鎖召喚を狙うため、英霊と多く縁を繋いだ藤丸を呼び寄せた。