【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム 作:388859
虞美人にとって、汎人類史はまさしく、間違った歴史の巣窟だった。
人間という醜く生き汚い、自分勝手に星を改造していく種族の繁栄や、不死者である自分が、逃げ続けなければならなかった世の中。そして愛する人が、あんな風に惨殺されなければならなかったこと。
どうして、あんな風に彼は死ななければいけなかったのだろう。
世界のため? 世のため? 人のため?
確かにそれはどうしようもなく正しく、異論を挟む余地などない、まさしく世界にとっては最善の選択だ。
でも、それがなんだというのだ?
世界のために何かしたって、それで彼が幸せになれるわけじゃない。誰かを守れたって、救ったって。それで彼が、誰よりも幸せになれるわけじゃない。
見返りなどない。求めたつもりはないし、当たり前のことだと彼は言うだろう。
けれど。
虞美人にとっては彼だけが、心の底から愛せる唯一の人だったのだ。
同じ、人から外れた身。だからこそ分かち合えるものが、数えきれないほどあって。
代わりなんて世界中何処を探してもいない。例え世界が滅びても、この世総ての命が死滅しても。
それら全てを引き換えにしてでも取り戻したい、そんな相手だったのだ。
だから許せなかった。
藤丸立香。Aチームが亡き後、たまたま生き残った人類最後のマスター。誰かに迫害されたこともなければ、それなりに他人に囲まれて生きてきた人間。虞美人が最も嫌う、平凡な人間。
余り物のくせに、たまたま舞台に上がってきただけの、人間のくせに。そんな奴が、自分の大切な人を蹂躙したことが、許せなかった。
自分のように、たった一つを愛することもなければ、譲れないものなんてないくせに。
だから、味合わせてやるのだ。
自分が味わった苦痛を。絶望を。時の果ての果て、世界が崩壊するその日まで。永遠に与え続けるのだ。
だから。
「!」
駐車していたバンを蹴り、それで藤丸立香を押し潰す。それこそバットで打たれる野球ボールみたいに、少年は跳ね飛ばされた。
流石にそれで死ぬほど貧弱ではなかったらしく、赤黒い血が身体中から漏れながらも、少年は立ち上がろうとする。
「学習能力がないのかしら」
大人しく死んだふりでもすればいいものを、馬鹿正直に立ち上がって。まさか、まだ勝てるとでも思っているのか?
目の前でようやく立ち上がった少年の腹を、虞美人の右手が貫いた。そして腸を引き出すと、それでロープのように振り回す。
街灯にぶつけた辺りで、ぶちん、と腸が千切れ、藤丸は絶叫しながら失神した。やがて大きく痙攣し、そしてまた蘇生する。
既に戦いの場は冬木市内に移っていた。とはいっても、場所を変えようがワンサイドゲームに変わりはない。
虞美人の勝ちはどうあっても揺るがない。藤丸立香では何をしたところで、虞美人には勝てない。上条がオティヌスを攻略したときは、余りに理不尽な攻撃を死んで覚え、何とか魂に染み込ませることで、耐久勝負に持ち込ませた。
しかし上条のような右手もない藤丸には、そんな器用なことは出来ない。元々誰かの後ろに隠れて、無責任に頑張れとしか言ってこなかった人間だ。いくら死んで覚えようが、身体がついていくわけがない。
そもそも死んで覚えるなんていうものは、死に続けてなお、その恐怖と激痛に流されず自己を保てるからこそ、成立する話だ。
「、お、……あ…………」
死んだ回数は、既に
肌はまるで、血管全てが凍りつき、変色してしまったかように青白い。蘇生直後で身体は健康そのものだろうに、蓄積した敗北のせいで立つことすら危うかった。
誰がどう見たって、少年は死に体だった。
なのに。
藤丸の瞳は、まだ死んでいない。
まだ何も、終わってなどいないと。諦めるものかとしがみつき、離れようとしない。
それが。
虞美人には無性に、癇に障った。
「……何なのよ、お前は」
その口の中に手を突っ込み、生えた歯を数本ほど引き抜くと、更に膝で目を潰した。
「状況なんて何も変わらない。お前は死に、私は殺す。その前提は変わらない。生き返る限りお前への憎悪が私から消えることはないし、お前が死のうが生きまいが、私はお前の肉片一つすら残すつもりはない」
固く握られた右手を切断、その切断面から魔力を暴走させ、呪詛を叩き込む。
腐食する肉体。崩れ落ち、灰となっていく身体。抵抗など出来ず、拳の一つすら無効化された少年は。
それでも。
死の間際まで、必死に戦おうと、もがいている。
「なのにどうしてお前はまだ立ち上がっている? 何故拳を握れる!? そんなに自分の命が大事か!? 何もかも奪われて、それで立ち上がった理由としては、自分勝手で浅ましいと少しは思ったりしないのか!! お前は!!」
「……、」
藤丸は何も答えない。
ここまで打ちのめされて倒れないのは、喋る力すらも戦う力に充てているからなのろう。されど少年はそこまでして、立ち上がることがやっと。魔術はおろか拳を振るうことすら億劫だ。
「何が人類最後のマスターよ。蓋を開ければただのお飾りじゃない。回復魔術すらまともにかけられない愚鈍な人間が、図々しく世界を救う功績だけかっさらって。英霊達を侍らせての世界を救う旅は、さぞ気持ちよかったでしょうね?」
「……、」
「ええ。その末で私の大切なものを踏みにじったって構わないものね? 世界を救うためだもの。あなたが生き残るためだもの。それ以外の全てを否定しても、構いやしないのでしょう?」
藤丸はやはり、何も答えない。
だけど、もぞもぞと動くのが答えだった。この期に及んで、ここまできて。目の前の人間がそんなことで戦おうとしていると分かって。
虞美人は怒りのあまり、唇を噛み切った。
「いい加減にしろよ、おめでたい人間風情が」
吸血鬼は最早、どう痛め付けてやろうかなどとは考えなかった。ただ、最短で殺すことだけを念頭に置いた。
故に、少年の心臓を握り潰しながら、虞美人は怒り任せに捲し立てる。
「唯一無二の存在なんて、
蘇生なんて待たなかった。
一秒の間も無く、ぐちゃぐちゃにしなければ、虞美人の怒りは到底収まらなかった。
だってそうだろう。
「私は、私にはあの人しかいない!! あの人に生きていてほしかった!! 側にいて、支えてあげたかった!! ふとしたときにその手を握って、抱き締めて、冷たい身体に熱を与えてあげたかった!! たったそれだけすら許されないっていうの!? 二千年以上焦がれた私の願いは、どうして!! お前のような平凡な人間なんかのために踏み潰されなければいけなかったのよ!! どうして!! 成人してもないぽっと出のクソガキの命のために、私達はここまで堕ちなきゃいけないのよ!!!!」
死にたくないと思ったことは、ある。
けれど、それはあくまで生きる意味があるのならの話だ。少なくとも、項羽のいない世の中でずっと生きていたいだなんて、虞美人には思えない。
だから、許せない。
全て奪われただろうに。たった一つ、譲れないものなんかないだろうに。それでも我が身可愛さに立ち上がり続ける、目の前の肉袋が。
こんな醜いものが続いていく歴史のために、項羽が死んだことが。
「全部、許せない」
振り下ろされる手は止まらない。
飛び散った肉と、噴き出した血で冬木市が染め上がる。虞美人は全身の魔力を暴発させ、それを藤丸の頭上に送り込んだ。
「破滅を知り、なお生き残ろうとする人間よ」
真っ赤に光るのは、雲。帯電した紅蓮の雲は、不死者の憤怒で作り上げられた呪いの雨雲。
「我が憎悪!! 我が悔恨!! 降り注げ、魂まで呪い死ねええええええええええええええええええッッ!!!!」
殺到するのは星の慟哭。余りに悲しく、そして激しい女の涙だった。
……宝具、
その特性を生かしたこの自爆技の威力は、語ることすら憚れた。
酸性雨を何十倍にも強力にしたような血の豪雨は、アスファルトどころかその下の地層にすら届くほどだった。その中心点にいた藤丸が、今の宝具だけで一体幾度死んだか。死ぬ度に蘇生と聞くと便利に聞こえるものの、藤丸の耐久力を考えると十では済まないほど死んだはずだ。
「……、は、……っ……」
虞美人が息を切らして、再構成した肉体の調子を確かめる。多少の体重増減はあるが、問題ない。あの少年が相手なら、むしろありすぎるくらいだ。
土煙が、晴れる。
「………………」
少年は、ぴくりとも動けなかった。
当たり前だ。何も失うことなく、無くしたところで少年にはそれ以外にいくらでも用意出来る程度のもの。そんな環境に置かれていた人間が、千回以上もの死に耐えられるはずがない。
「……」
が、藤丸が動かなくなったところで、虞美人のやることは変わらない。
復讐鬼と化した女は、それまでと同じように、少年の命を終わらせる。
一度。
二度。
三度。
……それはまるで、ぬいぐるみを憂さ晴らしに八つ裂きにするかのような、そんな手軽さで行われる虐殺だった。
当然の報いだ、と虞美人はほくそ笑む。
虞美人の受けた痛みはこんなものではない。この痛みを、少なくとも数千年は続けないと、恨みなど晴れない。
「……はッ、失神したときに舌を噛んで死んだの? 間抜けな死に様ね、お似合いよ」
頭と腰を掴み、少年の身体を二つに叩き折りながら、虞美人は嘲笑した。
蘇生した藤丸は、やはり答えない。
あれだけ固く握られた拳すらも、今はだらんと投げ出されたままだ。指一本だって、動く力は残ってない。
だから言ったのだ。我慢勝負など意味がないと。
所詮はたった千回殺されただけで、諦める程度の願いだ。そんなものが、たった一つを求め続けた自分に勝てるはずがない。
「ほら」
がっ、と虞美人が首を鷲掴みにして、持ち上げる。爪を食い込ませ、軽く絞めながら、
「悔しいなら、何か反論の一つでも言ってみれば? それとも命乞いする? もう殺さないでって、涙でもボロボロ流してみる? まあそれを私が受け入れるかなんて別だけど」
「…………ぇ、……」
「聞こえないわよ、ノロマ」
声すらまともに出せないのか。全く惰弱にも程がある、虞美人がそう思いかけたときだった。
ぐ、と。藤丸の右手が持ち上がり、銃のようなジェスチャーを取っていたのだ。
「ーーーー
ドンッ、と撃ち出されたガンドが、無防備な虞美人の眼球に炸裂した。
礼装の魔術を起動するのが、こんなにも難しかったのは初めてのことだった。基本、魔力を与えればそれを自動で変換してくれるのだが、ここまで叩きのめされたのではそれすら難しく、全神経を集中しないといけなかった。
それこそ、喋る力も拳を握り締めることすらも、全て放棄して、やっと。
「……お前……」
が。虞美人はにどうやら、そんな決死の魔術すら通用しなかったらしい。ガンドが命中した眼球は、煙こそ出ているものの、瞬きほどの衝撃しかなかったようだ。
ここまでやってこれとは、自分の無能さに泣けてくる。だが、そんなイタチの最後っ屁に、虞美人は青筋を立てていた。
そして藤丸も、堪忍袋の緖はとっくにはち切れていた。
「さっきからペチャクチャペチャクチャ、くっちゃべりやがって。うるせえんだよ本当に」
「……!」
藤丸の口に、短剣が差し込まれる。貫通した短剣は少年の口内を焼き尽くすと、そのまま喉から胃、足と走り抜け、内側から蹂躙していく。
殺されようが構わない。
蘇生されれば、それで終わりだ。痛みも恐怖も一過性のもので、だからこそ藤丸立香は止まらない。
「アンタは確かに苦しかったんだろうさ。何年も何年も、俺には想像もつかないような年数を生きて、きっと俺の何千倍も苦しんだと思うよ」
けれど、と藤丸は青白い顔のまま、虞美人に言葉をぶつける。
「それで俺の大切なものを、粉々にぶっ壊していいことにはならねぇだろうが、このクソッタレが」
「……お前……ッ!!」
「可笑しいな、どうしてお前が怒るんだ? 散々人の大切なものを奪って、散々他の世界を弄んで、結局ハッピーエンドを勝ち取りかけたお前が。なんで被害者みたいに怒ってるんだ?」
藤丸の言葉は止まらない。
ただ、ありのままに思ったことを、少年は口にする。
「何とも思わないとでも思ったのか? 何も言い返さない奴だから、逆ギレかましたっていいと思ったか? 因果応報程度で怒るなよ、んなもんお前の身から出た錆だろうが。俺からあれだけ奪っておいて、いざ自分が奪われたらどーのこーの、やかましいんだよ。俺の時にそんな言い訳を一回でも聞いたか? 聞かなかったよな? なのにいざ奪われたら、復讐なんて言葉使ってかっこつけやがって、ふざけんな」
それは、あの藤丸立香とは思えない暴言だった。例え誰が相手であっても、まず理解しようとしてきた藤丸からは考えられない、どうしようもなく醜い言葉の羅列。
だけど、本当にそうだろうか?
普通とは、何も最良でもなければ、最悪でもない。
善悪を均等に兼ね備え、それをコントロールする術を持つ人間のことを指す。
藤丸立香という人間は、確かに善人なのだろう。しかし、彼は普通だ。そこに、黒い感情が一ミリたりともなかったとは言わせない。
現にその兆しはあったのた。
例えば、アガルタ。ロマニのことを侮辱された藤丸は、シェヘラザードに対して明確な敵意をぶつけた。
後にシェヘラザードから謝罪されたとき、マシュ共々らしくなかったと反省したが……果たしてそれは、本当にらしくないことだったのだろうか?
大切な人を侮辱されて、それでも口を閉じていることは、本当に正しいことなのだろうか?
確かに、怒りに任せて他人を攻撃することは、人として褒められたことではないのかもしれない。
だけど。
本当に誰かを大切に思うからこそ、許せないことだってあるはずなのだ。ふざけるなと、思わず声を出したくなってしまうときだってあるのだ。
だって、英霊達がそうだった。
なら藤丸にだって、それが許されたっていいだろう。それすら許されないというのなら、そんな人間は人ではない。ただの操り人形だ。都合のいい
時に、人は魔が差すこともある。
その魔が差す瞬間すら、抑え込んできた人間のタガが、外れたらどうなるか。
それが、今の藤丸だ。
矛盾なんて知ったことではない。
それでも、やっぱりやられっぱなしは嫌なのだ。『普通』の人間とは、良くも悪くも、きっとそういうものなのだ。
「独り善がりのお前と一緒にするなよ、人間!! 私は、項羽様を愛していた。だから!!!」
「
その腹を貫かれても、背骨を引き抜かれても、藤丸は二度と怯まない。
反論してみろと言ったのはあちらだ。なら、存分に言わせてもらおう。
「私はあの人を愛してました。私はあの人のためならなんでも出来ました。私にも世界を救う証明がしたいんです。私は、私は、私は……だから? だから、汎人類史は壊されるべきだし、全く関係ない世界を巻き込んだって構わないし、そのためなら二つの世界で生存競争してワイングラス片手に世界の終わりを眺めるのも当たり前だって? それが許される立場だって、お前が、お前達が、そんなことを抜かすのか?」
ぎり、と少年の歯が軋み。
拳が白くなるほど、力強く握られる。
「……ふざけんなよ」
奪われた者として、当然の言葉をぶつける。
「ふっざけんなよッ!!!! てめえッ!!!!!」
ああそうだ。
本当に、どいつもこいつもふざけてる。
特別じゃないから、理想とは違うから、自分の求めた答えと違うから。
いけないのか。
平凡だから、特別な何かに席を譲らなければいけないのか。あの星は、普通の存在が当たり前に生きるには、狭かったのだろうか?
違う。
それは絶対に違うと、世界を見てきた藤丸立香は断言出来る。
「お前らの言う大切なものが何なのか知らないよ。それはきっと、この世にたった一つしかない、綺麗なものなんだろうよ。でも!! だけど!! だからって俺の大切なものが、お前達のそれに劣ってる理由なんか、一つもねぇだろうがッ!!!! そんな自分勝手を通されて、黙ってられるわけがねぇだろうがよ!!!!!!」
例え、どれだけの理由があっても。
思わず感情移入してしまう、美辞麗句や綺麗事を並べたとしても。
そんなものを振りかざしてきた時点で、藤丸立香の知ったことではない。
「……、……ッ!!」
「だからハッキリ言ってやるよ、虞美人」
少年は立ち上がれもしない身体で、それでも宣言する。
「ーーーー世界の一つも救ったことのねえ奴が。勝手なことを後からぐちゃぐちゃ抜かしてんじゃねえぞ、クリプター」
藤丸は、
「俺は、アンタ達を一人残らず
「……、」
虞美人は。
余りのことに、言葉を失っていた。
目の前の獣が予想以上に醜く吠えたからか。それとも、そんな風に獣の吠えたてる姿が、少しでもさっきまでの自分と重なったからか。
「……いいわよ」
果たして。虞美人は一度息を吐くと、
「それなら付き合ってあげる。お前のその威勢が、あとどれだけ続くのか。無意味に散らし続けて教えてあげるわ、クソ人間が」
時間を少し遡って。
それは、藤丸と上条が大空洞に向かいながら、作戦会議をしていたときのことだ。
「多分、オティヌスのマスターは虞美人だと思うんだ」
「虞美人っていうと……ついこの前倒したクリプターの一人だろ? 根拠は?」
藤丸がそう結論づけた理由は、色々ある。
例えば、この異聞帯に秦がないこと。自身にここまで恨みを持つのは、それこそ怨念になりかけた彼女ぐらいだということ。
「オティヌスが俺を簡単に殺せるのに、わざわざ蘇生していたぶってたのは、俺の苦痛を一秒でも長く続けさせるためだ。そこまでの恨み、あの神様が持ってない以上、そこには絶対マスターの思惑がある。そしてそれをぶつけてくるような相手は虞美人だけ。だからこそ、付け入る隙があるかもしれないんだ」
「と言うと?」
「確か、君は生前オティヌスと数千億年くらい戦ったんだよね?」
上条は既にオティヌスとの関係を話していた。唯一無二の『理解者』であり、そこに至るまでの数千億年の戦いを。
「でも、人はそんな長い年数生きられない。少なくとも、君は右手以外ただの人間だった。そうだろ?」
「あん? いや、その時はオティヌスに殺されて、蘇らせてもらってを繰り返したからそんな無茶が成立して……って、お前まさか」
「うん。もしも虞美人が、俺を苦しめたいなら。俺が死んでもオティヌスに蘇らせるよう指示するはずだ」
これまでの惨殺を目の当たりにすれば、嫌でも分かる。実際相対すれば、間違いなくただ殺すだけでは終わらないだろう。終わっても終わらなくても。
だからこそ、それが唯一の隙になる。
「ダメだ、藤丸」
しかし上条は諌めた。
例えそれが隙になるとしても、上条は知っているのだ。その行為が、どれだけの無茶と無謀を重ねたものだったのかを。
「いいか。俺のときは、まだ右手があった。シューティングゲームみたいに、一見無謀なように見える攻撃も、一つ一つ紐解けるくらいには俺も修羅場慣れしてた。でも、お前は違うんだろ? 元々戦ってきた人間じゃない。そんなお前が真っ正面からかち合ったって、ただ死に続けるだけだ。死んで覚える前に死に続ける未来しかない。そんなの、お前の心が絶対に保たないぞ」
「いやいや、流石にそんなこと出来ないよ。俺がやるのは、もっと惨めというか。他力本願というか……」
「?」
疑問符を上げる上条に、藤丸は作戦を提示する。
「さっき、勝機があるなら俺だって君はそう言った。だけど、多分それは違う。俺はオティヌスにも虞美人にも勝てっこない。だから、それまで待つよ」
「待つって……誰を?」
「
そう。
上条当麻ではオティヌスに勝てない。
藤丸立香では誰にも勝てない。
しかし、そこに他の要因が加われば?
「もしもここに、カルデアのみんながいれば別だ。勝てる勝てないはともかく、今よりもっとマシな状況になる……はずだと思う」
希望的観測の混じった、ただの願望に近い作戦だった。カルデアが今どうなっているか知り得る方法がない今、具体的な期限もない。しかも一番の懸念事項は、そのままだ。
「待てよ。それじゃあ何か? お前は神様と我慢比べしようっていうのか? 迎えがくるまで、永遠に?」
「……情けないだろ? ごめん、こんな作戦しか思い付かなくて」
「馬鹿野郎、違ぇよ」
上条は、
「お前の言ってることは、ずっと死に続けて耐えろってことだぞ? そんなの、俺の攻略なんかとは比べ物にならない愚策だ。一回死んでも、十回死んでも、百回死んでも前に進んでるかも分からないんだ。精神の磨耗速度は、お前の想像してる何倍も早い。そんなもん誰がやったって潰れるのがオチだ」
「大丈夫」
しかし、藤丸は笑ってそれを受け流した。
簡単に考えているわけではない。彼だって無意味に死んだ記憶は未だあって、それこそ色濃く刻み込まれているはずなのだ。
それでも、藤丸は笑える。
敗北しかない記憶。その無限に続く地獄に、身を投じる。
「俺、我慢することだけは得意だから。一回吐き出したから、しばらくは大丈夫だよ。限界だと思ったら、それこそまた何度でも吐き出すしね」
「……藤丸」
「だからそんな顔しないでくれ。君だって、オティヌスっていう神様とタイマンしてもらうんだ。神様が相手なら目を瞑ってノーミスクリアは余裕だって君が言ったんだからね、それを信じてるよ」
上条はしばらく悩んだようだった。それでも、最後にはパンパン、と頬を叩く。
「あーちくしょう! 分かった、分かったよ! その代わり絶対折れんじゃねぇぞ、マスター! アンタ、少なくともクリプター相手なら言いたいことも山程あんだろ?」
「……まあ、それなりには」
「だったらこの際、それも言っちまえよ。戦いで勝てないのなら、せめてそういう不満くらいはぶつけてやろうぜ。だって負け続けるのって、絶対フラストレーションいっぱい溜まんだろ? そういうの抱えたまま死ぬのって、悔しいじゃんか。だから言っちまえ」
「分かった、覚えとく」
それと、と上条は右手をひらひらと振って、
「俺の右手、実は地脈とか龍脈とか、そういう流れる力を削り取る力があるんだ。だから、もしカルデアがマスターを探すっていうのなら、少しは役立てるかもしれない」
「というと?」
「世界の基準点って言ってさ。魔術師の怯えとか願いとか、そんなもんの集積体なんだよ、コイツは。バックアップとか、リセットボタンみたいなものかな。俺がオティヌスの世界改変に影響を受けなかったのも、コイツのおかげだ。だからカルデアにとっては、お前と同じくらい見つけやすい明かりのはずなんだよ」
つまり、世界という運河の中で、上条の右手は灯台のようなものだろうか? ともかく、それならそれでありがたい。
「でもいいのか?」
「? 何が?」
「カルデアの連中を巻き込むことだよ。これからやることは、お世辞でも正義だなんて言えない。それに仲間を巻き込んで、お前は本当に良いのか? あれだけのことを我慢してたのは、みんなを思ってのことなんだろ?」
確かに藤丸としても、カルデアのみんなをここに呼び込むことはしたくなかった。彼らだって、失いたくないものは数えきれないほどあって。きっとそこには、藤丸の知らない悲劇が幾つもあった。
それを考えれば、藤丸のやろうとしてることは、地獄の底に引きずり込む悪魔の所業に近いのだろう。
だけど、
「いいんだ」
迷いを捨てたわけじゃない。
覚悟なんて吹けば倒れるようなものでも、藤丸は決めたのだ。
「死にたくない。生きたい……そのためなら、俺は何だって試すよ。多分俺の本性を知ったら、こんな世界を壊すって分かったら、みんなに軽蔑されて、サーヴァント達は二度と俺の召喚に応じてくれないのかもしれない。そうなったとしても、一から全部やり直すよ。今までずっとそうしてきたんだ、だから大丈夫」
難易度は理解している。
一体どれだけの時間がかかるのか、元通りになんてなるのか。全てが取り戻せるだなんて、そんな楽観視はしていないし、もしかしたらまた一人ぼっちになってしまうかもしれない。
「それでも、俺はもう折れないよ。絶対に」
「……そっか」
上条はもう、何も言わなかった。釘を刺したところで無駄だと分かったからだろう。
だから、一言だけ告げた。
「負けんなよ、藤丸」
「うん、上条もね」
だから。
勝てないことは、最初から分かっていた。
「……………………、」
鳴り止まない頭痛が鬱陶しい。口の中はずっと血の味がしていて、それ以外何も感じられない。肌の下を走る血管が不気味に脈動し、まるで蛇のようにうねうねと逃げ回るようだった。
殺された回数が千を越えた辺りで、藤丸は数を数えることを止めた。だってそんなもの、意味がない。終わりがいつになるか分からない以上、自分で決めた目標を達成したところで、得られるのは期待に裏切られたという勝手な敗北感だけ。
一体、あれからどれだけの時間が経ったのか。どれだけ殺されたのか、藤丸には想像もつかない。地続きのはずの記憶が、所々思い出せなくなってしまうくらいの時間、藤丸は殺され続けた。
「…………ぁ………………、」
目を開けることすら難しいが、藤丸は目の前の景色に目を向ける。
冬木市には変わらないが、そこは最早町としての体裁など保ててなかった。目に見える建物全てが崩落し、あるのはひび割れた大地だけ。黄金の空などなく、広がるのは漆黒の夜空のみ。
幸せの欠片もない、世紀末。
そこに行き着くまで一体、どれだけの蹂躙があったか。どれだけの責め苦に少年は耐えたのか。
「……これで蘇生は、
虞美人だ。しかし彼女の顔色も、少し悪い。流石に四桁もの回数、同じ人間を殺し続けるだけだったのは、彼女にとっても苦痛だったらしい。
本来勝負にすらならない相手。その相手に、僅かでも見える疲れ。
それだけで、まだ頑張れる。
立ち上がれる。
「……どうして」
だが、虞美人はその様子に納得がいかなかったらしい。彼女はヒステリックに、問いをぶつけた。
「どうしてそこまでする!? ただの人間だろう!? 苦しかったんだろう!? もう嫌だと思ったんだろう!? だったら大人しく死ねばいいものを、いつまでもどうして生にしがみついていられる!? 何がお前をそこまで駆り立てる、藤丸立香!?」
「……別に、さ……特別な理由なんて、ないよ……」
骨と筋肉が抜け落ちてしまったかのように、体が言うことを聞かない。声を出すだけで喉が痺れ、呼吸が乱れてしまう。
だけど。
「ただ、いやなんだ」
立ち上がる。
弱くても、惨めでもいい。
我慢し続けて。
最後の最後で負けないように。
「あの
「……なんだ、それは」
「全てだよ」
固く、固く拳を握り締める。
『普通』だからこそ。
そこにある本音は、罵倒ばかりではない。
「あの
「……だから、ここまで耐えられただと? 命よりも大切でもないくせに、そんなものでここまで耐えられるわけが……!!」
「命より大切じゃなかったら、それは全部嘘なのか?」
「、っ」
藤丸にとって、一番大事なのは自分の命だ。
それでも、大切なのだとそう思った気持ちに代わりはない。少なくとも、こんな風に我慢強い生き方が出来るようになるくらいには、藤丸にとってそれは、大切なのだ。
「俺は特別な人間じゃないから。きっとあなたみたいに、誰か一人のために足掻くことは、きっと無理なんだと思う」
藤丸は続ける。
ここまで来られた理由を。
「だから、みんなに支えてもらってきた。今このときも俺は、みんなにかけてもらった言葉や、生き方を思い出してる。だから立ち上がれる。生きたいって、みんなと生きていたいってそう思える。それは、誰かに否定されただけで壊れてしまうほど、弱い幻想なんかじゃない。少なくとも、ここで簡単に折れる理由になんか、なったりしない……!!」
「ッ……」
これが、人類最後のマスター。
『普通』の人間。
善と悪、両方を兼ね備えているこそ。
時には喚き散らしながら、最後には誰かの想いを胸に歩き続ける、現代の人間の代表。
今を生きる、歴史の勝利者達の結晶だ。
「……ああ、そう」
虞美人もそれを、心底思い知った。
だからこそ。
こんな言葉を従者に投げた。
「オティヌス、
「……ふむ」
百メートルほど離れた荒野。
がら、と瓦礫が崩れる中、オティヌスはそれを聞いていた。
「いやはや、お前の学習能力には驚かされる。まさかここまでとは。おかげで少し、加減を間違えてしまったか」
「ぐ、ッ、……ッ!!」
オティヌスの視線の先は、目の前。崩れた瓦礫に磔にされた、上条だった。その四肢には鉄筋が貫通しており、その体を瓦礫に押し留めていた。
藤丸が四桁もの間死に続ける中、オティヌスの相手を任された上条は、
しかし虞美人の言葉を受け、それを防ごうとした上条は、まんまとオティヌスの攻撃を受けた。それがこの鉄筋だ。
「異能の力で作り上げたわけでもない。お前の力でそこから抜け出すことは不可能だよ、人間」
「……うる、せえよ。こんなもんで、アイツのこれまでをぶち壊してたまるかってんだ……!!」
と、上条はパーカーの襟を噛んで、そのまま体を前に倒す。ブチブチ、と全身から響く異音と、赤く染まる学生服。余りの痛みに、上条は目の前がチカチカと光っているようにも感じた。
鉄筋を引き抜くのではなく、自分から動いて逃れようと言うのか。
しかし、遅い。取り除くには、まだ鉄筋が半分ほど残っている。
だから止められない。
「いいぞマスター、託そう。神の加護だ、ありがたく受け取れ」
「っ、よせ、オティヌス!!」
上条の抵抗虚しく、オティヌスの力の一端が与えられる。
北欧神話曰く。
戦死した勇者の魂は、主神オーディンの館に集められ、きたるラグナロクのために日夜戦い続けるらしい。
その元となった術式こそ、
つまり。
虞美人に与えられた力は、神にも等しい力だった。
「私自ら手を下すだけでは、お前はもう折れない」
ならば、と。妖しく笑った紅蓮の女は、満身創痍の少年にこう告げた。
「だから、用意してあげるわ。お前に相応しい地獄の世界を」
直後だった。
「なん、だ……?」
体力なんて欠片も余っておらず、気力だってなけなしの願いを握り締めて保っているようなもの。これ以上、最悪な状況なんてあるわけがない。そう思っていた。
だが。
そんな藤丸の額から、汗が滲み出るほどの光景が、目の前に顕現した。
「……、」
ずるるるるるる……と。
裂けた夜空から顔を見せたのは、イナゴのような群体だった。それは爆発的に増えると、そのまま世界へ広がっていく。
それは、生理的嫌悪を催すフォルムをしていた。黒光りする、てかてかとした体と、四肢代わりに生えた鋭利な鎌。そして何より目につくのが顔にあたる場所。大きな大きな口は、そこから見える白い歯からするに、常に笑っていた。
名をラフム。
ビーストⅡ、ティアマトから生まれた、新たな人類。
「
「
ラフム達は産声を上げ、地上へ降りてくる。狙いが誰かなんて決まっている。そんなもの、ここにただ一人立っている藤丸立香に他ならないーー!!
「くそっ!!」
踵を返す。何処へ逃げれば良いかなんて分からないが、とにかく少しでも距離を取らないと、
「顕現せよ。牢記せよ。これに至るは
その、刹那。
ドンッ、と藤丸の体が何かに突き上げられた。いとも簡単に巻き上げられる事実に驚きながら、藤丸は自身を突き上げたものの正体を知った。
塔、ではない。まるで芋虫のように動くそれは肉塊だ。全体に隙間なく、赤黒い目が点在したそれは、一斉に藤丸へと視線を向ける。
魔神柱。
かつて人理焼却を起こしたビーストⅠ、人理焼却式、魔神王ゲーティアの使い魔である。
「何を知る」
しかも、一体ではない。
それこそ竜巻のようにとぐろを巻いて現れた魔神柱の数は、藤丸の目には数え切れない。
「何を望む」
特大のサイクロンのように集まる魔神柱達。ラフムの数も凄まじいが、物理的な脅威だけで言えば、魔神柱の巨大さは分かりやすい恐怖になる。
その彼らの瞳はただ一人に、向けられている。
つまり、藤丸立香。
未だ突き上げられたままの藤丸に、魔神柱達はその瞳を光らせた。
「ーーーー友は全て消えゆく」
命が焼ける、音がした。
正面が光ったかと思えば、藤丸の体は数十回ほど焼き尽くされた。それこそ何十もの光線が、一斉に藤丸の体に降り注いだのだ。一度の光線で平凡な少年など死んでしまう以上、虞美人が蘇生を続ける限り当然だ。
それだけでは終わらない。
光線に焼き尽くされながら落下していく中、唐突に落下の軌道が変わった。
ラフムだ。魔神柱達の光線を物ともせず、彼らは藤丸にその手を振り下ろす。
「
まるで野菜をぶつ切りにするような、そんな乱雑な攻撃だった。しかし普通の人間にはそんなものでも十分。ラフム達は嬌声と下卑た笑いを上げ、少年の命を弄ぶ。
藤丸はまともに目を開けられない。必死に体を守ろうと、肩を抱いて。
そして、ラフムごと何かで消し飛ばされた。
「が、ぁ、……が、ぐ……ッ!?」
今のは……光線では、ない? では誰が? そんなことを考えていると、藤丸は地上に落下した。ゴロゴロと派手に転がり、瓦礫や鉄屑に頭や背中をぶつけながらも何とか踏み留まる。
嫌な汗が滲み出ていた。
ラフム、魔神柱。ここまで来て、あと何がくる?
手足が折れてまともに動けないが、せめて第三の敵を視認しようとして。
藤丸の意識は今度こそ、落ちかけた。
「……、」
青い、何か。浮かんでいるそれは、フォルムだけならアイスクリームにも近かった。無機質な球体を支える円錐を逆さまにしたそれは、ラフムのような嫌悪こそないが、生物としても機械としても未知数で、得体の知れない恐怖を感じさせる。
だが、真に藤丸を焼いたのはそれではない。あくまでただの種子だ。本命はその向こう、魔神柱達と同じシルエットで、天に伸びている。
根を伸ばす姿は、木だ。真っ白な樹木は、表面にヒビが入っており、一見成熟を過ぎた古樹にも見える。
しかし、それが雲すら通過して、
それが、
冬木市だったものを囲うように植えられたそれは、藤丸の存在を確認し、更に変化していく。
バキバキバキバキバキバキバキバキィ!!、と木霊する破壊の音は、自壊ではない。ただ、三本の樹のヒビが広がった。
広がった後に見えるのは、銀河。星々をまるごと蓄えたそれは、圧倒的な質量とエネルギーをもって、星の歴史に楔を打つ。
名を空想樹。
異星の神によって埋め込まれた、星を塗り替える要石。藤丸立香の、汎人類史を漂白した原因。
「ぁ……」
藤丸は、尻餅をついた。
見てはいけない。そう思っても、長年のマスターとしての習性が、戦場全体を把握してしまう。
空を飛び回るラフムの群れは黒い雲のように広がり、藤丸だけを殺さんと地上を偵察する空想樹の種子は、既にその狙いを定めていた。暴れ回る魔神柱は増殖、既にその数は七十二を越えており、三本の空想樹は銀河を回転させ、そのエネルギーを高めていく。
脅威はどれも、サーヴァントがあってなお強敵だった。
ならば、無力な少年一人なら?
答えは決まっている。
目に見えた結末を確定させるため、虞美人は自身の下僕に命じた。
「
逃げる暇すら、なかった。
そして、藤丸立香は真の地獄の中に引きずり込まれる。
幻想殺しについての解説
禁書世界において、魔術とは現実を歪める力であり、魔神のそれともなれば文字通り世界そのものにすら影響を与えかねない。故に、魔術師達は無意識に歪んでしまった世界を元通りにする力を願った。
もし、魔術によって歪められた箇所などない、真っ白な世界へと戻せる、言わば基準となる力があればと。
つまり幻想殺しとは、そんな魔術師達の怯えと現実への回帰の込められた願いの結晶であり、オティヌスの位相とは対極に位置する、まさしく幻想を破壊する力であり、世界の基準点と言える。
そして魔術師の願いの結晶であるなら、それは魔術世界においてとある役割と同一視されるが……?