【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム 作:388859
そして、ジャンヌダルク・オルタはその終わりを見届けた。
「……、……」
所々破けた旗を握り締め、彼女は荒野を立ち尽くしていた。特徴的な兜は剥がされ、血塗れの素顔を晒した彼女は、最早霊核を砕かれて消える寸前である。それでも、世界に踏み留まる彼女の顔は、むしろ安らかなものだった。
消えていく
それは、魔神による独裁の終わり。
あの少年が、勝った。
それが、ジャンヌダルク・オルタには誇らしかった。
(……まあ私がやったことと言えば、精々小物を焼いて、道を作ったくらいだけど。あれだけの啖呵を切って、やったことと言えばそれだけってのも、何と言うか)
表舞台に立とうとして、結局立てないのも、オルタらしい。そんな自分でも確実に役には立てただろうし。
これで全て元通り……とは、中々いかないだろうが。
(……本人が自覚しているかは知りませんが)
ここで行われた惨劇は、きっとあの少年に多大な影響を与えることだろう。もしかしたらその結果、変化した少年は人間でなくなり、見限る者が大勢出てくるかもしれない。
そうなれば、あの少年はまた足を止める。しかしどんな変化があったとして、それは少しの間だけ。
少年は知った。自らに渦巻く欲求を。
誰かの幸せを否定してでも、自身を優先してしまう、そのどうしようもない生存本能を。
でも、
「……それでいいのよ、マスター」
何も英霊のように生きなくたって。
何も特別な人間のように、他人を優先しなくたって。
自分が最後に納得出来たなら、それはきっと、幸せでなかったとしても……悔いのない終わりだ。
ジャンヌオルタは旗を突き刺し、膝をつくと、空を仰いだ。手を合わせる姿は、さながら宗教画の一枚のようである。
……これは、祈りではない。ジャンヌオルタは、祖国に、主に、人に裏切られた存在だ。故に、誰かに祈ったりしない。
だからこれは、願いだ。
未来を踏み越えていくあの少年に対して、狂った魔女のたった一度だけの気の迷い。
「……どうかその旅に、幸多からんことを」
星々の下で、魔女は願う。
そして、ジャンヌダルク・オルタは光となって、火の粉のように散っていった。
あとに残ったのは、魔女の旗。
風に揺られながらも。
その旗は、決して何処かへ飛ぶことなく、残り続ける。
まるで、道標のように。
旗は、ずっとたなびいていた。
藤丸立香は倒れていた。極限まで疲弊した精神と肉体は、立ち上がることを拒否し、全く動かない。右腕は魔力を放出した今も熱を帯びていて、膨張した筋肉がびくん、と痙攣していた。
もぞもぞ、と目を動かす。
その先では頬を腫らした虞美人が、仰向けで倒れていた。
「……勝った、のか……」
「……ええ、そうよ」
虞美人はふて腐れてはいるものの、そこにはさっきまでの苛烈な敵意は微塵もない。精々少しの皮肉くらいで、彼女はもう戦う気はないらしい。
「オティヌスが妖精化を使った以上、魔神としての力はもう制御出来ない。
「……虞美人さん」
駆けつけてきたマシュが、悲しそうに目を伏せる。彼女は彼女で言いたいことはあるようだが、全て藤丸に任せることに決めたらしく、警戒だけは怠っていなかった。
「だからほら、あなたの勝ち。良かったわね、私を倒せて」
「……そうか」
勝った。その意味を咀嚼しても、藤丸はただそれを淡々と受け入れるだけだった。負け続けてきたから、現実味がなかったのではない。藤丸はそうでなくとも、勝ちを喜ぶ気持ちにはなれなかった。
虞美人はそれに違和感を覚えたのか、眉を曲げて、
「……ちょっと。なんで勝ったのに、お前が敗者の顔をしているのよ。もっと喜べばいいでしょう。念願の勝利じゃない、元の世界とやらに帰れるんだから」
「……喜べるわけないだろ」
そう。勝ったとして、それが何だと言うのだろう。藤丸はうつ伏せのまま、
「これからこの異聞帯は崩壊する。俺の知らない人達も、知ってる人達も、残らず。それでも戦ったんだから、そんな資格ないなんて分かってる。
だけど守りたかった。救いたかった。その全てを見捨てなきゃいけないんだ。そんなの、喜べるわけないだろ」
「はっ、随分とお優しいのね。そんなことすら割り切れてないような弱者に、どうして負けたんだか……」
「……それはあなたも込みだ、虞美人」
「、……私も?」
藤丸はどうしようもない無力感に苛まれながら、
「俺達の違いなんてない。だから俺は、やり方はともかく、あなたの願いは叶えられるべきだと思う……大切な人に会いたいって気持ちは、分かるし」
「やめろ」
それ以上は言うなと、虞美人は首を振った。そしてそれも、藤丸は理解していた。
結局藤丸のやっていることは、クリプターと変わらないのだから。
「……偽善ね。つくづく、吐き気がする」
「……そうだな。否定はしないよ」
いっそクリプター達のように開き直れば、楽なのだろうが……それではきっと、世界を救う資格も、サーヴァント達のマスターである資格も無いのだろう。
少なくとも、藤丸立香はそんな風になりたくはない。
と、そのときだった。
「全く、最期まで強情なヤツだ。健気だが、可愛げはないな」
「お前だって同じようなもんだろ、神様のくせに妙に俗っぽいところなんかは特に」
オティヌスと上条だ。上条の肩を借りて、何とか歩いてきたオティヌスは、虞美人の側で足を止める。
彼女は彼女で妖精化?とやらのせいか、胸の杭こそもう無かったが、そこから走った亀裂は全身に広がっている。そんな状態でも血が出ないのは、魔神は体の構造が常人とは違うからか。
上条は上条で右手がねじ曲がっているが、その右手を振ってくる辺り、元気ではあるようだ。
腰をおろした従者に、女主人は苦笑した。
「……ボロボロね、お互い」
「ああ、そうだな。何もしなくたって勝てる戦いだったのに、どう転べばこうなってしまったのやら……マスターの願いも叶えられずじまいだし、良いとこなしだよ」
マスターの願い……もしかして、と藤丸は虞美人に問いかけた。
「一つだけ、虞美人に聞きたいことがあるんだけど。いいかな?」
「……勝者の特権ってやつかしら。勝手にすれば?」
ではお言葉に甘えて、と藤丸は切り出す。
「……俺の見る限り、ここに秦の住人はいなかった。それは一体どうして? あなたにとってあの秦は、それこそこの世界みたいに、黄金の世界だったはずなのに」
戦いには不要なことだったから、結局放置していたが、改めて考えると藤丸にとってそれは気になることである。
「例え俺への復讐が目的だったとしても、項羽がいるならあなたはそれだけでよかったはずだ。少なくとも、俺にずっと殺意をぶつけ続けることは難しい。あなたにとって、項羽はそれだけ大事な人だから」
虞美人は押し黙る。しかし先の言葉を違えず、諦めるように語り出した。
「……ええ、その通りよ。私は項羽様を、オティヌスに蘇生させた。いや、あれは蘇生というより作り替えたと言う方が正しいのかしら。お前や私と違って、あの項羽様は私の記憶から造られた模造品だった」
魔神オティヌスの手にかかれば、どんな無理難題も槍を振るえばそれで解決だ。魔神は現実を歪め、操る。その精度は場合によるが、その時は百パーセントを引き当てたらしく、
「オティヌスが造った項羽様は、素晴らしかった。私の知る項羽様と同じで、お優しく、そして何よりあの時のままだった。目の前で死んでいった、あの人と。瓜二つだった。瓜二つ、
それで、藤丸も理解した。
どうして彼女が、秦を作れなかったのかを。
「オティヌスが悪かったわけじゃない。でも完璧すぎる再現は、やがて私の心をざわつかせるだけになった。お前にはこの人を守れなかったんだと、そう責められるみたいで。一挙一動が気になって仕方なかった」
それには藤丸も心当たりがあった。
あの黄金の世界で、笑い合う人々を見て、作り物だったとしても、藤丸は思ってしまったのだ。
自分は、こんな人達を守れなかったのだと。
「……作られた世界に、あなたは納得なんて出来なかった。いや、納得することが怖かったのか。そうすることで、自分が守れなかった事実を誤魔化すみたいで」
だから秦を作れなかった。
項羽を生き返らせなかった。
守れなかった事実は、彼女の記憶から永遠に消えないから。それを抱えて生きていけるほど、この女は強くなれなかったのだ。
「分かったような口振りで言うのね……いや、分かるのか。お前も」
「ああ、分かるよ」
否定した今でも忘れない。あの光景は、忘れられるわけがない。
「俺には守れなかった、助けられなかった。だからせめてそれを抱えて、これからを生きていくんだ。例えどれだけ近い場所にあったとしても、それはもうこの手じゃ届かないから。だから」
「……その記憶を忘れず、今を歩いていく、か……私達と同じことをしていても、そう生きられるから、お前は今もカルデア側の人間なのでしょうね……っ」
「、虞美人さん!」
と。話し込んでいる間に、本格的に虞美人の体から魔力が霧散していく。異変を察知したマシュが思わず駆け寄るものの、虞美人は手で制した。
「……無茶のツケが回ってきただけよ。むしろ消えるだけで済むのなら、安い対価じゃない」
長い長い繰り返しから、後悔から、女は解放されていく。その苦しみは藤丸も理解しているし、そこから解放することは、きっと当然の摂理なのだろう。
けれど。
安い対価であるはずがない。
その間、虞美人は結局、愛する人と出会うことはなかった。叶えようと思えば、いつでも叶えられたのに。幾千の世界を作り替えても、虞美人は会わなかったのだ。
己の弱さ故に、愛する人にだけは。
振り返ったときに、残ったものが復讐心だけになったとしても。
(……、)
藤丸だって、彼女が自分にした仕打ちを許すつもりはない。
だけど、分かるのだ。もし、会えるのなら。その渇望がどれほど矛盾していたとしても、叶う日が来てほしいと、そう思ってしまうのだ。
だから。
思わず藤丸は、こんなことを口にした。
「じゃあ、いつか
「……は?」
『はぁああああああ!!?!?』
きーん、とハウリングしかねないほどの複数の大声は、念のために開いていたボーダーの通信からだった。
その大声代表とも言えるゴルドルフは、いつも以上に狼狽しており、唾を飛ばしながら怒鳴り付ける。
『おっ、お前は何を考えてる!? クリプターだぞ!? お前を殺すためだけにオーディンを名乗る神を引っ張って、拷問してゲラゲラ笑うような女だぞ!? スカウトするにしたって、この女だけは駄目だ駄目、絶対駄目!! ろくなことにならんと私の目には見える、見えるぞぉ……!!』
『ふむ。私も余りその意見には賛成しかねるな、ミスター・藤丸。彼女と君の相性は最悪だ。それこそ犯人と被害者という立ち位置だから尚更ね。まあ、君が被害者Aになりたいという話なら最善だが……』
「……そ、そこを何とか出来たりしないかなあ。なるべくその、穏便に」
『出来るわけあるか!? 大体なんで急にそうなる!? サーヴァントですらないんだぞ!? そんな捨て猫みたいな感覚でホイホイ乗せられるわけないでしょもう!!』
「……そうだ。お前、自分が何言ってるのか、分かっているのか……?」
きょとんとした顔で、虞美人は、
「私は、お前を殺した。何度も、気が遠くなるくらい何度も。なのに何故私を、迎えようとする。それでお前は、何の得がある? お前を殺そうとする相手を、迎えてまで、何の得が」
「? 別に得とかじゃないよ」
「では、なんだ?」
そんなの決まっている。
「だって、カルデアなら気兼ねなく、項羽と会えるでしょ?」
「……え、」
まさかと、虞美人は心底驚いた様子で、
「項羽様が居るの!? カルデアに!?」
「いやまだ居ないけど」
「……………………、」
「ああっ! 虞美人さんストップ、ストップです! 別に先輩は悪気があって言ったのではなく、ただそうだったら良いなと言ってるだけですから! だから短剣はしまってください、ね!?」
マシュが説得している間に、藤丸は続けてこうも言った。
「でも、いつかそんな日がくるかもしれない」
「……来ないわよ。そんな日、来るわけがない」
「確かに、今のままじゃ来ない。項羽は今も、人々の中じゃ稀代の暴君のままだ」
だが、それを変える鍵は既に虞美人が持っている。英霊の座にその真実を持っていき、正しく項羽という英霊が伝われば、それは『いつか』に変わる。
「だからそれは、あなた次第だ。あなたが項羽ともう一度会いたいって思うのなら、カルデアはその縁、俺っていう共通の縁を提供する。それが嫌ならまあ、仕方ない。これからもその後悔を抱えたまま、ずっと生きていけばいい」
「……、」
虞美人は考え込んでいた。藤丸だって、彼女が二つ返事でこちらに鞍替えするだなんて思っちゃいない。
だが。
そこで静観していたオティヌスが、口出しした。
「好きにしろ、マスター」
「……オティヌス」
「お前は耐えた。耐えて耐えて、結果的にチャンスを手繰り寄せた。もしもその資格がないと思うのなら、尚更カルデアはうってつけだろう。何せ人類への奉仕活動みたいなものだ、罰には丁度いい」
だから、とオティヌスは背中を押す。
「行くがいい、マスター。神ですら救えなかった俗物よ。お前との時間は少しだけだったが……うん、退屈はしなかったよ」
「……ええ。私もよ、オティヌス」
虞美人は光に包まれながら、何処かへ消えていく。その少し前に、紅の月下美人は惜しむように、
「ーーありがとう。こんな私に、何度もチャンスをくれて」
それっきりだった。
虞美人と呼ばれた不死者は、自ら作り出した楽園から、脱出した。
虞美人は去った。この異聞帯も自ずと剪定され、不要なものとして処理されるだろう。早くシャドウボーダーに乗って脱出しなければいけないところだが、その前に。
別れをまだ、藤丸は済ませていない。
ようやく立ち上がれるようになった藤丸は、マシュの肩を借りると、頭を下げた。
「君がいなかったら、俺達は虞美人に勝てなかった。だからありがとう、上条」
「私からも感謝を言わせてください、上条さん。マスターを、先輩を助けてくださって、本当にありがとうございました」
上条はボロボロの右手を顔の前で振って、
「いや、そんな礼を言われるほどのことしちゃいねぇよ。俺はただ、アンタ達の尻馬に乗っかってただけだ。むしろ、こいつのことを止めらんなかった俺のせいでもある。すまねえな、マスター」
そう言う上条の足元では、オティヌスが座り込んでいる。既に妖精化の術式はこの魔神が立っていられないほどの痛手を負わせたらしく、衣服や金髪からもパラパラと破片が舞っていた。
「……君は、これからどうするの?」
上条の体からは、退去の予兆はない。つまりまだ猶予はあるようだが……ツンツン頭のサーヴァントは楽しそうに笑い。
「さあなぁ。ま、でもせっかくだ。俺はオティヌスと積もる話でもしとくよ。何せサーヴァントになってからは初めて会ったしな」
「……『理解者』だろう、私達は?」
「『理解者』でも直に話すべきことは一杯あるだろ?」
ふん、と鼻を鳴らすオティヌス。どうやら何か気に食わないことでもあったらしい。
と。唐突に、そのオティヌスが言った。
「そう言えば、
「……この世界?」
「こういうことだ」
座っていたオティヌスが、中指と人差し指を打ち当て、パチン、と鳴らす。
瞬間だった。
夜の荒野だった辺り一帯が、一気に夕方の都市部へと姿を変えた。
四人がいるのは、高層ビルの屋上だった。そこはいつか藤丸が飛び降りようとした場所でもある。
「! 位相を差し込んだ……!?」
「む、槍無しでは流石にノーリスクとはいかんか」
ぼと、と粘着質な音と共に、目の前で落ちるオティヌスの片腕。本来ならこれが正常なのか、彼女はさしで気にせず、説明を続ける。
「この私に許された、最後の位相だ。今回は特別に、褒美としてくれてやる。全てを踏み越えると言ったな、カルデアのマスター?」
「……ああ」
「ならば別れから逃げようとするな。例え切り捨てるとしても、お前だけはそれから逃げるな。踏み越えていくのなら、絶対に目を背けるな。どれだけお前が青臭い理想論を語ろうが勝手だが、その責任は果たせ。いいな?」
……別れから、逃げるな。
今までを考えれば、それは難しいことのように思える。何も知らない、消える直前のゲルダに話しかけるようなものだ。そんな残酷なこと、藤丸に果たして出来るだろうか。
……いや、残酷なだけじゃない。
別れはそれだけじゃない。それを、藤丸は知っている。
「……分かった。ありがとう、オティヌス」
「……仮にもお前を地獄に叩き落とした女の片割れなんだがな。流石、この右手を召喚しただけのことはあるか」
なら行け、と顎でしゃくるオティヌス。
上条もこれ以上は何もないらしく、肩をすくめた。
藤丸は階段室へ走りながら、
「じゃあね、上条! カルデアで会えたらよろしく!」
対し、サーヴァントはその言葉に少し驚きながらも、笑顔でこう返した。
「ああ! そのときはよろしく頼むぜ、
そして、平凡な少年と平凡な少年の道は、決定的に離れていく。
去っていく背中を見届け、上条はその場に腰を落ち着かせた。
彼が座っているのは屋上の端、その程近くだった。吹き付ける風は心地よく、眼下で太陽を反射させて輝く街並みは、本当に美しい。
けれど、それもあと少し。もう崩壊は、足元まで来ている。
「……よかったのか、人間。カルデアについていかなくて」
同じように隣で座ったオティヌスは、神妙な面持ちで、
「積もる話だなんて、すぐバレる嘘をつきやがって。今更語ることもないだろうに」
「……あるさ。話すことなら、幾らでも」
でも、と上条は視線を落とす。
「お前に残された時間は、余りなさそうだからな。だから、少しだけ聞きたかったんだ」
「何を?」
「お前が虞美人を掬い上げて、マスターにした理由だよ」
オティヌスが露骨に、片方しかない目を泳がせる。どうやら触れられたくなかったらしい。
「例えお前がどれだけの怪物でも、思い出した善性はそんな簡単に消えたりしない。あるんだろ、理由?」
「……元々私はこんなものだよ。自分のために、世界を破滅させたときと何ら変わらない」
「世界を滅ぼしてでも手に入れたかったものを、俺に譲ってくれた良いヤツでもある」
……分かったよ、とため息混じりにオティヌスは観念した。
「単純な話さ。初めは少しの共感だった。大切な『理解者』を失う苦しみ。それを神らしく、何とかしてやろうと気紛れに思ってしまった」
だが、結果はあの通りだ。
虞美人はそれに耐えきれなくなった。魔神の強すぎる力が仇になって。
「……私では、ヤツを本当の意味で救えなかった」
大切な相手を亡くし、復讐を誓ったところで、舞い降りた二度目のチャンス。しかし魔神ではあの女の期待には応えられない。
「復讐など、善悪の話をすれば許されんことだろう。だが、それをどうにか出来るほどの何かを……私はあの女に与えられなかった。そうだな。お前風に言うのなら、私はマスターを
「……悔しかったのか?」
「ふっ、そうだな。魔神でありながら、たかが吸血鬼の願望一つ叶えられないんだ。こんな惨めで、無様なこともあるまい」
それは、神様の自分勝手なお節介だったかもしれない。結局オティヌスのしてきたことは、多くの人を苦しめることになったし、上条当麻と敵対することにもなった。
それでも。
オティヌスが虞美人に付き従ったのは、きっと。
「……その想いを、他ならぬ神が許すならば、少しはこの女も楽に死ねるだろうと。そう思ってしまったんだよ、私は」
「……前から思ってたけど」
ぽつり、と上条は漏らした。
「お前って本当に不器用だよな。超とかド級とかつく類いの」
「神を人の尺度で語るなよ人間。気紛れな神にそんなことを求めるな」
「そうじゃなくてさ」
上条は、
「別に世界を作り替えなくても、項羽ってヤツを蘇らせることが出来なくても。お前は、ただあの人の側にいてやればよかったんだよ。助けたかったなら、ただその手を離さなきゃ、それだけでよかったんだ」
「…………、」
オティヌスが目を見開く。
ああ、なんだ、と。
そういえば、そんな簡単なことだったなと。
「確かに気休めかもしれない。何の問題の解決にもならないのかもしれない。つっぱねられて、何度も罵倒されて、そうやってただ時間を浪費するだけだったのかもしれない」
けれど、それは。
「俺達がやってきたことだったろ。何度もぶつかって、時には声を張り上げて、だからこそお互いの気持ちが何となく分かるまでの関係になった。だったらさ、お前はそれを相手にしてやれば、少なくとも違う関係にはなれたんじゃないのか?」
「……ああ、そうだな」
オティヌスは頷く。眼帯のはめられた方に、まだ失っていない片手を添えた。
思い返すように。
後悔するように。
「本当に……そうだったな、ちくしょう」
ピシリ、という崩壊の音があった。
それはついに、オティヌスの下半身が崩れ、光の粒子に帰った音だった。
もう間もなく。
全てが終わる。
だから、今度はオティヌスが問いかけた。
「……それで? 結局、お前はどうしてまだここにいるんだ?」
どうせ本当の理由があるんだろう、と言わんばかりの口調。そんな『理解者』に、思わず上条は笑ってしまった。
「決まってるだろ、そんなの」
少年は躊躇わなかった。
その、骨が折れ曲がった右手で、オティヌスの体を抱き寄せる。
優しく、けれど、何処にも行かないように。
「ーー約束を、果たしにきたんだ」
世界の全てと戦ってでも、この少女を助ける。剥き出しの善意からも、理由のない悪意からも、守ろうと。上条当麻は約束した。
それは生前、果たされなかったけど。
だけど、今なら。
魔神という肩書きをもった少女は、確かめるように、
「……私は救わないんじゃなかったのか?」
「あのときのお前はな。でも、今のお前は違うだろ。だったら、もう、いいよ。そんなことはどうだっていい」
そう。藤丸立香がそうであったように。上条当麻もまた、平凡な少年だ。オティヌスに購うべき罪があったとしても、それはもう関係ない。
最期のときくらいは、サーヴァントであったとしても、自分の気持ちに従っていいはずだ。
「もう、逃がさないぞ」
オティヌスは崩れていく手を、上条の背中に回した。そして、少年の感触を確かめる。
ずっと求めていた温もり。
それを、お互いで感じ取る。
「……遅くなった」
「本当だ……全く、こんなに待たされるとは。長かった。長かったよ、人間」
でも。
崩れ落ちながら。
それでも、微笑みながら。
愛しいものに包まれて、オティヌスは告げる。
「ーーーー私はさ。お前にもう一度出会えたときには、もう、きちんと救われていたんだよ」
消える。
その右手から、
間に合わなかったのではない。
死の運命は誰であっても変えられない。
だが上条は、生前その死にすら立ち会えなかった。だけど今度は、立ち会えた。
上条当麻には、神様のような力はないけれど。
大切な誰かを見送ることは、出来たのだ。
「……じゃあな、オティヌス」
上条は、オティヌスの消えた世界を見つめる。
そして名残惜しむかのように、その夕陽が落ちるまで、世界が滅ぶまで……ずっと、眺めていた。
静かに、一人きりで。
少年は世界の終わりを見届ける。
そして、藤丸立香はそこにいた。
そこは何の変哲もない、海浜公園だった。夕焼けが地平線に落ちていき、次第に濃紺の夜が蓋をするように世界を覆っていく。
そんな、何処にでもあるような光景で。
藤丸は見つけた。
「……全く。だから言ったろ、レオナルド? 所長を怒らせるのは不味いってば。八つ当たりで僕の仕事が増えるんだからさあ」
「おいおい、サボり癖がついてる君には丁度いいんじゃないか、ロマニ? まあ流石の私もほら、少しは手伝うからさ。代わりに今度私が何かあったら手伝ってくれたまえ☆」
「えぇー……?」
公園の外に伸びている道。そこを歩いていく男女こそ、藤丸が別れを言うべき相手だった。
ロマニ・アーキマン、レオナルド・ダ・ヴィンチ。藤丸がもう二度と、どんなに願っても会えない二人。
分かっている。この二人は藤丸の知っている二人ではない。だから、こんなことを言ったって、彼らは困るだけだ。
「大丈夫ですか、先輩? やはりもうボーダーに戻った方が……」
マシュに首を振って返す。
確かにこんなことは無駄でしかない。
けれど、踏み越えるなら。
やはり言わなければならないだろう。
「……あ、あの!」
「ん?」
藤丸はベンチから立ち上がり、二人の前に飛び出た。
すると、頭の中で巡っていたことが、全て吹っ飛んだ。あれだけ考えていた別れの言葉が、全部抜け落ちた。
「ぁ……そ、の」
「? どうしたんだい?」
「いや、……」
言いたいことがありすぎるのに、言えないことの方が多かった。選ぼうとすると、選択肢からどれも外れていってしまう。
彼らも困惑しているだろう。いきなり声をかけられたかと思えば、ずっと俯いているのだ。
と、マシュが間に入って取り持つ。
「あ、あの、ごめんなさい。その、なんでもないんです。はい、なんでも」
行きましょう、と二人がその場を離れようとした、そのときだった。
痺れを切らしたロマニが、やや困り顔で、
「そんなに焦らなくても大丈夫だよ、
「…………え?」
思わず、藤丸が顔を上げた。
そんなわけがない。あり得ないと。
でも。
そこには、藤丸立香を知っている二人が、確かに居た。
分かるのだ。その一挙一動が、自分と同じ時間を歩いてきたのだと。二人は見慣れた仕草をしながら、
「死んだと思ってたのに、僕ら揃ってオティヌスを名乗るサーヴァントに蘇生させられたかと思えば、君とお別れしろって言ってきて。全く、急展開にも程があるというか」
「ま、私達は藤丸くんと一応お別れしたんだけどねえ。お節介な神様もいるもんだ、ありがたい話だけど」
「……本当に」
ロマニと、ダ・ヴィンチなのか。分かっていても信じられない。だって、こんな、あり得ないだろう。
夢で何度も見てきた光景が、目の前にあっても、迂闊には信じられない。そうやって目を開いてきたからこそ、藤丸やマシュは裏切られて。
「……藤丸くん、マシュ」
ロマニがその手を、ゆっくりと差し出す。握れというのだろうか。恐る恐る、藤丸とマシュはその手に自分の手を伸ばした。
指先で、その手の平に触れる。
柔らかくて、そこには確かに血の通った、熱があった。触れても火傷しないが、心を満たし、溢れさせるには十分な、熱があった。
「……ああ、……」
握る。二人はその手を大事に、折れないように握り締める。たったそれだけで、信じられないほど簡単に、少年少女から涙が出た。
爆発的に膨れ上がった感情は、それまでの比ではない。
二人はそのまま、ロマニに抱きついた。
触れ合える。
この熱は、この人達は、虚像なんかじゃない。
「あぁ、あぁああ、ぁ、あ……!!」
ロマニは何も言わなかった。
ただ、泣きじゃくる二人を受け止めていた。
「……ごめん、ごめんドクター……!! 俺、ドクターの守ってくれた世界を守れなかった……!! 俺が、俺達が守らなきゃいけなかったのに!!」
「……はい……!! 私、デミサーヴァントなのに、シールダーなのに……!! カルデアを、スタッフの皆さんを守れませんでした……!!」
「……いいんだよ、二人とも。だって、君達は今、必死に取り戻そうとしてるんだろ? むしろ、また二人にそんな重荷を背負わせてしまったことを、許してほしい。君達には、もう戦ってほしくなかったから」
と、そんな二人の後ろから、どん、と衝撃がきた。ダ・ヴィンチだ。彼女は頬を膨らませると、
「おいおい私もいるんだぜ? そこはほら、ダ・ヴィンチちゃーん、って鼻水垂らしながら来てくれないとさあ」
「ダ・ヴィンチちゃん!!!!」
「うおわほんとにきた!? あはは、そうだろうそうだろう、存分に汚すがいいとも!!……ほんと、よく頑張ってきたね、二人とも」
それは、気まぐれな神様が起こした、本当の奇跡。
この世界でしか起こり得ない、最初で最後の再会だった。
そして、四人は話をした。
内容はロマニとダ・ヴィンチがいなくなってから、今までのこと。語り尽くせば夕陽が落ち、そして夜すら明けるだろう。しかしそんな時間はない。だから出来るだけ手短に話した。
それでもあっという間に、時間は過ぎて。
時間にして、十五分程度だったか。
『……ミスター・藤丸、ミス・キリエライト。そろそろ時間だ。ボーダーに戻ってきてくれ』
ホームズの通信と共に、公園のど真ん中でステルス機能をオフにしたシャドウボーダーが現れた。
当然、ダ・ヴィンチはともかく、存在自体を知らなかったロマニは驚いて、
「うぉ!? そ、装甲車? しかも魔術による隠蔽と光学迷彩の併用……ああ、もしかしてこれがシャドウボーダー? ははあ、なるほど。いかにも君の設計ってフォルムだな、レオナルド」
「いやあ、それほどでも。しかし実際に動いてるところを見ると、やはりこう、滾るね! 自作のミニチュアで遊ぶのも格別だけど、原寸大は最高だ! うーん、メンテも行き届いてるし、私の置き土産も頑張ってるようだね」
「うん。ダ・ヴィンチちゃんは頑張ってくれてるよ。寝る間を惜しんでるところとか特にそっくり」
本当に、話していれば時間が足りなくて。きっと世界が崩壊しても、話してしまいそうなほど心地よくて。
だからこそ、会話を打ち切ったのは藤丸からだった。
「……今までありがとう。ダ・ヴィンチちゃん、ドクター」
改めて、二人を見据えて。少年は頭を下げて。
「二人がいたから、俺達はここまで来れた。二人が支えてくれたから、送り出してくれたから、俺達は今、ここにいます。だから、ありがとう」
「……いいや、礼を言うのはこちらの方だよ。君達が誰よりも戦ってくれた。だから僕達は、そんな君達が生きて帰ってこられるように支えてきたんだ。だろ、レオナルド?」
「そうだねえ。ほら、藤丸くんは勿論だけど、マシュも結構危なっかしいし。見ていて飽きないけど」
「こ、これでも日々成長していますので、お二人を心配させるようなことはないかと……!」
「あー大丈夫大丈夫、単なるロートルの過保護だよ。マシュも藤丸くんも気にしてなくてよろしい。ほら、ボーダーに乗った乗った」
ドタバタと藤丸とマシュは二人に背中を押されて、ボーダーの前まで移動する。
もうお別れ。その最後に、何を言うべきか。藤丸はずっと考えてきたが、やっぱりここはこう言うべきだろう。
ボーダーのハッチを開けてから、藤丸はもう一度ロマニとダ・ヴィンチに視線を戻す。
泣きそうになる目頭を、何とか抑え込んで……そして、なるべく笑顔で。マシュと一緒に、藤丸は叫んだ。
「ーーーー行ってきます!! ダ・ヴィンチちゃん、ドクター!!」
大きく手を振ると、二人は同じように笑顔で、大きく手を振り返した。
「いってらっしゃい!! 藤丸くん、マシュ!!」
「困ったときは
ガコン、という音がした。
それはハッチが閉じて、あり得ない再会が、終わったことを知らせる音だった。
「……もう、大丈夫だねえ」
「うん、大丈夫さ」
自信に満ち溢れたダ・ヴィンチに、ロマニは万感の想いを込めて、首肯した。
「あの子達は、僕達が支えなくてもーー自分の足で、未来へ歩いていけるよ」
そして。
シャドウボーダー内、司令室。
……ようやくここに、戻ってきた。
一番上部の席に座るゴルドルフ新所長。その下方で優雅に座るホームズ、運転席ではムニエルがいつものように腕を頭の後ろで組んでおり、離れた電算室からダ・ヴィンチがこう言った。
「さて、積もる話はあるけれど、全ては帰ってからにしよう。君も随分お疲れだしね」
「うん……そうだね。そうしてもらえると助かるよ」
「よーし、それじゃあ虚数潜航行っちゃおう! シャドウボーダー外部装甲に論理術式展開。実数空間における
残る異聞帯は四つ。つまりこれから、藤丸立香はそれだけの人々を踏み越えていかなければいけない。
それでも、藤丸立香はこれからも戦い続ける。
みんなで生きていきたいから、一人で死にたくないから。平凡な少年はこれからも戦い続ける。
「……帰ろう、俺達の世界に」
これにて、寄り道は終わり。
しかし少年の物語は続いていく。
愛と希望の物語は、いつまでも続いていく。
その果てが、何処に辿り着くかは分からない。次の瞬間にはバッドエンドになる可能性だってあるだろう。
けれど。
横並びになれば、少年の隣にはいつも誰かがいた。
頑張れ、と背中を押す人々がいた。
負けるな、とここまで繋いでくれた人々がいた。
だから。
ただ今日を、歩き続けよう。
「ーーーー明日を、取り戻しにいこう」
平凡な少年は、たったそれだけで。
世界を救う、
実はあともう1話だけ続くんじゃよ。