【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム 作:388859
そして、藤丸立香は目を覚ました。
「……?」
やや気だるい体を起こすと、そこは白一色の部屋だった。
清潔というより、消毒とか殺菌などの意味合いが強そうな、白塗りの内装。幾つかあるベッドに、薬品の瓶が詰まった棚、何かの書類が挟まってそのままのバインダーがデスクに転がっている。
ここのことは覚えている。今は亡き、カルデアのそれだ。どうやら藤丸は、その医務室で眠りこけてしまっていたらしい。
ぼやけていた頭がはっきりしてくると、寝汗でもかいたのか、じっとり湿った下着が気持ち悪くて襟を引っ張る。
心臓どころか、体そのものがまるで呻くように、どくんどくんと脈打っていた。冷えていた手足には血が通い、急に上体を起こしたからか、目眩までしている。
落ち着くまでたっぷり数十秒ほど要した。
ゆっくりと、藤丸は意識を失う前の出来事を思い出す。
思い出せるのは、刀、死、首、毒、そして断頭……という言葉が頭を過って、喉の奥から熱い何かがせり上がる。
深呼吸……深呼吸だ。意識と心がまるで剥離しているかのようだが、それでも藤丸は堪える。
……改めて。藤丸は、自身に起きた出来事を確認し始めた。
とりあえず、藤丸立香は死んだ。
源頼光の一太刀により、首を切断されたわけで、まあまずサーヴァントであっても死ぬだろう。
しかし藤丸はこうして、前後の記憶もしっかりした状態で生きている。首は繋がっているし、右腕も令呪も問題ない。毒の影響も無さそうだ。
……夢、だったのだろうか?
そんなわけがない、と思う自分と、そうであってほしいと思う自分が、藤丸の中では存在している。
オティヌスの目論見を止めると啖呵を切ったが、結局藤丸はただの人間だ。たった一回、だが人一人の人生を軽く奪ったあの悲劇で、藤丸はズタズタになりかけていた。
体でも、心でもない。
もっと奥深くの、魂とも言える部分が、根こそぎ切り落とされたのだ。
……オティヌスは言っていた。
次の世界で、と。
ならば、ここは恐らくまだあのオティヌスの作った……。
「あ、先輩。起きたんですね」
びくん、と肩が跳ねる。
恐る恐る藤丸が真横を見た。そこには眼鏡をかけたマシュが、パイプ椅子に座っていた。
「急に倒れてしまったので、何かあったのではないかとメディカルチェックを行いました。が、ダ・ヴィンチちゃん曰く、ただの熱だろうと……先輩? 俯いていますが、やはり気分が優れませんか……?」
なんでもないと藤丸は返す。
マシュの顔を、正面から見れなかった。視線を合わせることすら、今の藤丸にはそんな資格が無いような気がした。
……一つ前の世界では、マシュを助けられなかった。あんなに近くに居たのに、瓦礫に押し潰されそうになっていた、なんて、不甲斐ない理由で手が届かなかった。
それは、どうしようもないなんて、都合の良い言葉で済ませて良いことじゃない。
たった一人、この人だけはと思った相手を、守れなかった。それは、力が有る無し関係なく、許容していいことではない。
だからこそ。
今度は助ける。
どうやってなんて考えても仕方がない。
あんな死に方だけは、絶対に許すわけにはいかない。
「とにかく今日は、お休みになられてください。明日には査問団がこちらに着きますし、一日くらいゆっくり休息を取るのもよろしいかと」
いいや、と藤丸は首を振る。
受け身になれば、オティヌスの思う壺だ。ならばこちらからその渦中に飛び込み、解決するしかない。
……って、査問団……?
「ええ。明日にはこのカルデアの新所長と、国連からの査問団が来られるハズです。それを考えれば、今日はお休みになられた方が明日のためになるかと思いますよ」
国連からの査問団。
そして、やや騒がしいカルデア。
その二つが符合する時間と言えば、まさに一年前。クリプターによって地球が漂白される直前のこと。
つまり、十二月二十五日。
クリスマス当日である。
「そんな日に熱を出すだなんて、キミもまだまだ子供だねえ。はいりんご」
しゃりしゃりと皮を剥いたりんごを底の深い皿に乗せると、赤毛の女性ーーブーディカはこちらへ差し出してきた。藤丸はとりあえず礼を言うと、爪楊枝を刺してりんごを頬張る。
クリスマス当日と言っても、この時間なら確か、シュメル熱による騒動でカルデアはクリスマスだのなんだの言える状況では無かった気がするが、これもオティヌスの改変の仕業か。
ともあれ今は倒れた(恐らく死んで蘇生した)藤丸を心配して、サーヴァント達が代わりばんこにお見舞いへ来てくれていた。
「全くだよ。君という奴は、大魔女である私と一緒に聖夜を楽しむという大役をあげたっていうのに、こんなしみったれた場所で看病をさせるとはね? ふふん、勿論君とならそんな聖夜も歓迎サ☆」
そんなことを言いつつ、ほかほかの麦粥(無論キュケでオーンなキュケオーン)が入ったお椀を、りんごの上に重ねるキルケー。何だかヒートアップして羽をばっさばっさと広げているが、りんご食べてるのに米はほんとにやめてほしいと思う藤丸である。
「そういうの、あたしらみたいなのが居ないところでやってくれないと、凄い居たたまれないんだけど……」
「おいおい、確かにマスターは君のような豊満な女性の方が好みかもしれないが、そんなこたぁどうでも良いと思うんだよ。何せほら、聖夜に一緒の部屋にいるんだぜ!? やばくね!? これもう結婚してんじゃね!?」
「確かにやばいな。我々も同伴させてもらっているが、君と彼は何も進展していないように見えるが?」
キルケーがうっ、と口をひくつかせて横目で睨む。そこにはカルデアが誇る生活指導担当、もとい調理場担当、もとい弓兵のエミヤが背中を預けていた。
彼は腕を組み、いつものように憎まれ口と少しの事実をキルケーに叩き込む。
「消化のいい粥を選んだまではよかったが、直前までりんごを口にしていた病人に出すとはどういう神経をしているのかね? 君は何か、食べ合わせや順番というものを気にしない輩だと? それと一人で病室で入ろうとせず私達を誘ってもしも会話が失敗したときの保険に使うのは流石にどうかと思うが?」
「うるさいなぁ!? そういう君はなんだ! ちょっとダウナーな大人を気取ってるけど、さっきから濡れタオルだの枕変えたりするのは振る舞い的に完璧に母親だろ!? なんだその包容力、その胸の筋肉を叩いて脂肪にしてから私にも分けろバカ!!」
「女性の好みはマスターのことだから何とも言えないが、そもそもこういう気遣いは病人相手に当然の処置だろう。ああそうだマスター、喉が痛むのならのど飴を舐めるといい。何味を食べたい気分か言ってくれれば取ってこよう」
「そういうとこだぞこのガチムチ主婦!!!」
はいはい落ち着いて、とキルケーを宥めるブーディカ。一応この大魔女、年代的にはブーディカの何倍もお姉さんなのだが、手をぶんぶん振り回す姿は全くそんな風には見えない。
頂いたものは仕方ないので藤丸がキュケオーンにも口をつけようと、皿を受け取る。が、何故かスプーンがない。何処にあったかと探すと、キルケーがすっとスプーンを取り出すなり、左右に振り子のように動かす。
「ほぅら、私がよそってあげよう。しょうがないからねえ、何せ病人だしほら? やはりここは私が食べさせるという手段しか存在しないと思うんだようん。間違ってせっかくのキュケオーンを落としたら大変だしね、主に私の愛とか薬とか」
なんか今変なこと言わなかったかこやつ。
「油断も隙もないとはこのことかあ……弓兵さん、お願い」
「了承した……マスター」
何やらジェスチャーをするエミヤ。藤丸がその指示に従う前に、彼はキュケオーンの入ったトレイをかっさらうと、ついでに大魔女の襟首を引っ掴んで医務室から出ていく。
「おぉい!? なんで私を引き摺るんだよ!? というかお見舞いのキュケオーンまで持ってくことないだろ!? 私謹製の霊薬たっぷりなんだぞ、活力魔力精力バッチシなんだぞ!?」
「たわけ。病人にそんなものを食べさせるな。そもそもマスターはただの熱だぞ、そんな暗殺者に毒を盛られたわけでもないし、本人の回復力を信じるという判断を出来ないのか君は?」
「そんなことしてピグレットの首がいきなり飛んだらどうする君は責任取れるんですかお母さん!!?!?」
「誰がお母さんだこの年
あァ!!?!?、という怒鳴り声が外から聞こえるが、ひとまず無視する。
というより……聞きたくない。
いつ牙を剥かれるか、誰に剥かれるか分からないこの世界で、サーヴァント達はその立ち位置一つで藤丸の命運を握る。
場合によっては、マシュの命すらも。
だとすれば彼らのことを疑ってかかるべきだが……あんな風にいつもの彼らを見ていると、裏切るわけがないと思ってしまう。
だから、藤丸は目を見て話せない。
染み付いた恐怖が、張り付いた疑念がいつまでも纏わりついているから。
と、
「何か心配事?」
ブーディカがそう言った。
藤丸は首を振ってそれに答える。ここで何を話しても、意味はない。
「嘘。書いてあるよ顔に、辛いことがあったって。あたしでよければ話してみない?」
そういえば。
こうやって言われたことは、元の世界でも何度もあったか。
ブーディカだけではない。世話焼きな英霊達は落ち込む藤丸に対して、何度も相談してほしいと言ってきたのをそう覚えている。
だけど決まって、藤丸はこう言ってきた。
いいや、と。
みんなには最前線で頑張ってもらってるから、これ以上迷惑はかけられないよ、と。
「うーん……いやでもさ、何か大変なことがあったんじゃないかな? 倒れたのは熱だけじゃないと思うな、あたし」
違う。
自分の悩みなど、結局この世界でも、元の世界でもちっぽけなものだ。自分だけが助かりたいという、浅ましい願いだけで他人の願いを踏みにじってきた、臆病者の悩みだ。
そんなことより、世界のために戦う英霊達の願いの方がよっぽど重要で、より多くを聞いてあげないといけない。
……だけど今の藤丸が、それをしたってどうにもならないのも、また事実だ。
何より、ブーディカ達サーヴァントに心を許すことが、まだ出来ない。
結局の話それなのだ。信じられない。裏切られるのが怖い。
「話したくない、か……ん、分かった。そこはマシュに任せようかなじゃあ。お見舞いも沢山来てるトコだし、あんまり独占するのもね?」
つい、と指を扉の方へ向けるブーディカ。そこには、少しだけ扉を開けてその隙間からこちらを覗くサーヴァント達がちらほら。
「ほら君達、そんなところで見てるだけじゃマスターが余計に気になるでしょ? 入ってきなよ?」
いやぁ、と頭を掻いておずとずと入ってきたのは、まず無頼の侠客ーー燕青だった。彼はにへらと相好を崩しつつ、
「いやあ……その……ブーディカの姐さんとかの看病を見てると、俺みたいな暗殺者とかはお邪魔じゃないかなー、とか」
「ええ。我が同盟者のため、ここは人肌脱ごうと勇んできましたが……あの赤い弓兵やあなたのようには、我々には無理ですし……包容力的な意味でも……」
エキゾチックな衣装に身を包みつつ、もじもじしているのはニトクリスだ。彼女も燕青と同じようで、兎なんだか狐なんだかの耳を頼りなく揺らしている。
そしてまたその隣には、白いドレスのバーサク系少女、フランがきょろきょろと藤丸の様子を見ている。
「う、……あ……?」
「大丈夫だよ、フランちゃん。ただの熱だからね。でもまあ、確かにあたしだけずっとここにいるってわけにもいかないし……あとはみんなに任せようかな」
た、大役を任されてしまった……!みたいな顔であわわわ、と慌て始める燕青とニトクリス、そして側にあった梨を握り潰してジュースを作り始めるフラン。この時点で何となくフライングしている辺り、やっぱりこのサイボーグ花嫁は狂化のランクが低いなあと思う藤丸。
と、三人に看病を委託したブーディカは、去り際にこんなことを言った。
「ねえマスター、君は自分のことを普通だって卑下するかもしれないけどさ」
短くない期間、共に人類史を駆け回った彼女は、
「でも忘れちゃいけないよ。どんな逆境に立たされても、期待されてもーー君は、一人の人間だってこと」
分かりきったことを、改めて告げた。
結局、その後もサーヴァント達の訪問の足は途絶えず、藤丸は医務室に留まってしまっていた。マシュが止めに入らなければ、恐らく夜になった今もサーヴァント達にもみくちゃにされていたことだろう。
……こんなことをしている場合じゃないのに、と思いつつも、サーヴァント達の心配する顔を見ると、ついつい抜け出すことが出来なかった。仮に抜け出しても、病人と診断されているので、誰かに見つかれば即ここまで連れ戻されてしまうだろう。
結局夜まで待たねばならなかったが、藤丸はようやく一人になれた。ここがカルデアなら、汎人類史のカルデアと連絡する手段があるかもしれない。
一人で無理なら、やはり仲間を頼る。望み薄かもしれないし、オティヌスもそれくらいは読んでいるだろう。
だが、それが動かない理由にはならない。
「……」
藤丸は懐中電灯を手にすると、廊下に出た。
廊下は医務室と同じく、真っ白な内装だが、それを塗り替えるかのように、きらびやかな飾り付けがあちこちに残っていた。クリスマス当日ならば当たり前か。明かりの消えた中でも、モールやツリーがあるだけで、こうも印象が違って見えるのか、と藤丸は懐中電灯をかざす。
……一年前もそうだったなあ、と改めて回想する。あのときはクリスマスの飾りつけを見ている余裕なんてなかった。サーヴァント達が全て退去すると知っていて、クリスマスを楽しめるほどの余裕がなかったのだ。
これからどうなるのだろう。
スタッフは、マシュやダ・ヴィンチは、カルデアそのものはどうなってしまうのか。
未来が怖いわけじゃない。
英霊達が守ってくれた世界を、本当に守れるのか。
あの失うものが多過ぎた旅は……無駄になったりしないのだろうか?
その自信が、なかっただけのこと。
結局、藤丸は何も守れなかった。
居場所も、世界も。
出来たのは無様に走り回って、死んでいく誰かの手を握り、そうして生きようと背を向けただけ。
そうしていつものように、ただの女の子の背中に隠れて、傷ついているときも死地に飛び込ませた。
……何が人類最後のマスターなのだろう。こんなこと、確かに誰にだって出来る。それこそ性別が逆でも。むしろマシュに女友達が出来て、よりスムーズに人理焼却を覆せたかもしれない。
けれど。
そんなもしもに騙されるなら、とっくにあの獣の国で、藤丸立香は撃ち殺されていた。
ーー俺は、お前を、許さねえ。
分かっていても、止まれないのは。
そんな怨嗟に似た声が、魂に溶け込んでいるからなのだろう。
その声を聞いただけで、背筋が伸びる。止まるな、走り続けろとーーそんな風に背中を押してくれている気がした。
無論、それで自分がこのままで良いとも思ってはいない。強くならなければいけないし、劇的に変わることだって今後無いだろう。
だからと言って、こんなことに屈するわけにもいかない。
そうしたら本当に、託された意味がなくなってしまう。託されたのはきっと、藤丸立香が前へ、未来へ進むと信じてくれたからだ。
だったら、応えなければ。
そう信じてくれた人々のために、偉大な先達が伝えたかった願いを、繋げたい祈りを胸に。
藤丸立香は、走り続ける義務がある。
……だけど。
ふと、藤丸の脳裏には、とある記憶が過った。
ーーなぜ貴様は戦う! なぜ
それは、忘れもしない問いかけ。
人の一生など無価値だと、絶望と憎悪に塗りたくられた物語なのだと断言し。それはきっとこれからも変わらないと知りつつも、覆る滅びに納得出来ず、思わず問いかけれたことがある。
そこで、はて、と藤丸は足を止めた。
何と答えたのか、とんと思い出せないのだ。絶対に忘れてはいけない、大事なことだったと記憶しているのに、藤丸の記憶は靄がかったように思い出せない。
一度殺されたからか。それとも藤丸の中で、何かが変質したからなのか。
…………大事な答えなら、この世界から出た後で、思い出せるだろう。今は多分、精神的に疲れているだけだ。きちんと休めば思い出せる。その、はずだ。
そう思って、藤丸が窓へ懐中電灯を向けたときだ。
窓の外。何か、黒い鳥の群れ……のようなものが、見えた。
「…………」
懐中電灯を握る手が、ぶるりと震える。
そんなわけがない。
本来なら、来るとしてもあと半日後のはずだ。そして仮に来ても、彼らが行動を起こすのはもっと後。
だから、心の準備が出来ていなかった。
サーヴァント達との触れ合いが、藤丸の緊張感を解いてしまった。
足が、すくんで動かない。動かなきゃいけないことは分かっている。だがこれは、単にすくんでいるわけじゃない。知っているのだ、心が受けた痛みを。覚えているのだ、大切なものを亡くした恐怖を。二度目が来ると、また何も守れないぞ、と現実が囁いてきて、頭の奥が痺れていく。
心が砕けてしまいそうだった。
逃げ出さなかっただけ、褒められることだ。
だからだろう。
手にもった懐中電灯が、ごとん、と床に滑り落ちた。
「…………、」
まるで音に反応した、烏のようだった。音なんて、外も大雪で聞こえないだろうに、人外じみた聴力で、黒い群れは藤丸へとぐりん!、と振り返り。
窓ガラスを叩き割り、中へ押し入った。
さながらゴミ袋へ群がるようだった。
ガスマスクのような、鳥の嘴を模した仮面に、ダッフルコートと、全てが黒で統一されたシルエット。それだけで不気味なのに、手にはボウガンと手鎌と、猟奇的な印象を更にもたせる。
かつてカルデアを壊滅にまで追い込んだ、