【完結】Lostbelt No.10033 黄金少女迷宮 ゲスタ・ダノールム 作:388859
走れ、と脳の中で信号が弾けた。
腕が跳ねるように宙を掻いて、遅れて足も動き出す。もつれるような形でも関係ない。とにかく背を向けて、逃げ出す。
がっ、と投擲された鉈が数本、壁に刺さる。それに振り返る暇すらなく藤丸は暗闇をもがく。
ばたばた、と翼のように視界の端ではためく黒衣が煩わしい。それがチリチリと、まるで機械仕掛けのオルゴールみたいに記憶のゼンマイを回転させる。
ーー我らの異聞帯は酷薄にして極寒。
思い出す。
ーー失礼、隙だらけだったのでね。つい、手癖で心臓を貫いてしまった。
思い出す。
ーーいいや、キミたちなら出来るとも! だって、私はそういう人間だから手を貸したんだ!
思い出して。
恐怖よりもなお強く、繰り返させてたまるか、という思いが上回った。
「!!」
がん、と壁に拳を叩きつける。そこには隔壁を下ろす非常用のスイッチがあり、藤丸のような一般人でも硝子を叩き割れた。
まるでギロチンのように落ちた厚い壁は、
しかし彼らはイヴァン雷帝によって産み出された、自立型の宝具だ。一人一人はともかく、こんな壁ではすぐに破られることは明白だった。
……あのとき。藤丸は、何もかもしてやられっぱなしだった。奪われ、奪われて、奪われ尽くされた。大切なもの全てを引き換えに、生き残った。
だけど、今は違う。
来ることが分かってるなら、対策だって取れる。咄嗟に逃げ出してしまったが、今のカルデアにはまだ、サーヴァントがいるーー!
「!!」
右手の令呪を起動し、一画を消費。コマンドを受けた魔力がカルデア全体に行き渡り、そうしてサーヴァントが、
「……?」
可笑しい。
確かに令呪は使ったはずだ。いかに本来のそれとは違うカルデアの令呪であっても、一画に秘められた魔力は相当なもの。それを使えば、少なくともキャスタークラスかそれに類するサーヴァントが異変に気付き、何らかの干渉をしてくるはずだ。
なのにいくら待っても、何も起こらない。令呪はただ、藤丸の契約したサーヴァントに向けられて放出しただけ。それ以上の変化はない。
「……!?」
いつもだったら言われなくても出てくるのに、どうしてこんなときだけうんともすんとも言わないのか。
そうなると一体、令呪は誰に作用したのか。
答えは、どさ、という音で伝えられた。
「先、輩……」
息を切らしながら、壁に手をついて現れたのは、マシュだった。しかし彼女の様子が変だ。いつもの戦闘服姿だが、熱に浮かされたように、芯が伴っていない。手に持っている円卓を引きずり、髪に隠れていない瞳は苦しげで、片手は胸を押さえている。
慌てて肩を貸すと、彼女は申し訳なさげに、
「すみま、せん……デミ、サーヴァント、として……一年は、戦って……なかった、もの、ですから……」
そうだ。この頃のマシュは、時間神殿を経て、魔術回路が停止した状態だった。ギャラハッドが抜けたことにより、霊基そのものが錆び付いてしまっていた。
藤丸の令呪は、そんなマシュの霊基を無理矢理にでも励起させてしまったのだろう。あのときも同じことをやったが、今回は令呪のコマンドが違う。その差異もあって、上手くシールダーとして戻れていないのか。
「……せん、ぱい……にげて、ください……追手が、きて、います」
空気の抜ける音と共に、背後の隔壁を貫いたのは、殺戮猟兵達のボウガンだった。まるでドリルのように開けた穴を、黒い鎌がねじ込まれ、鍵でも開けるかのごとく隔壁が曲がっていく。
猶予はない。
「あ、……!」
マシュを抱き抱えると、術式を起動。身体能力を強化させつつ、残りの魔力で回復魔術をかけ、藤丸は逃げ始める。円卓の盾ががらん、と地面に転がった瞬間、ついに隔壁が突破され、殺戮猟兵達が雪崩れ込む。
三歩進んで、まず右腕にボウガンが掠めた。矢は容易く礼装を引き裂き、決して少なくない肉片と血が白い床に飛び散る。
五歩目で左足の太股に鉈が刺さり、膝が笑った。しかし両腕の重みを途端に思い出し、笑いそうになった膝がかろうじて、耐えた。
この重みだけは、決して離しちゃいけないのだと、体が吠える。
「だめ、です……! 私を、抱えていて、は……!」
うるさい。
見捨てられるわけがない。置いていけるわけがない。
もう沢山だ、そんなもの。誰かに託されるのはいい。だけど、そんなことをして許されるのは少なくともマシュではない。彼女から託されるのだけは、真っ平だ。二度とごめんだ。
原点を思い出せ、藤丸立香。
誰かを助けることも出来ずに、手を握ってやることしか出来なかった、ひ弱な自分を。
それを、どうにかしたいと思いながらも、とうとう自分の力では何一つ成し遂げられなかったことを。
だから、今がそのときだ。
今やらなきゃ、また。
なのに。
「あ、」
まるで嘲笑うかのように。余りにもあっさりと、殺戮猟兵の一人が追い付き、藤丸の脇腹に鎌を差し込んだ。
ぐい、と腹に食いかかった鎌は、さながら野菜でも切るかのように藤丸の臓器を切り捨て、ずる、と溢れてはいけないものが落ちていく。
「、づ」
今度こそ止まることはなかった。
糸が切れたように、藤丸の体から力が抜け、倒れる。抱えていたマシュが頭から落ちていたことに気付いたのは、自分が横倒しになったときだった。
確実に、命を続ける機能が削がれていた。
「……、」
声を出すことすら出来ない。まともに口を開けられない。生命維持のために魔術礼装が臨界まで動くが、それではどうあっても足りない。
だから、何も出来ない。
マシュが不安そうに、こちらを案じていることも。そうやって振りかかる鎌から、死の恐怖から逃げようとしてることも、どうすることも、藤丸には出来ない。
「……ッ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……!!」
無様に絶叫し、薄く笑う後輩の死に顔を見て。
そして。
ぶつり、と。
何かテレビのチャンネルが変わるような、そんな劇的な変化が、起きた。
「あ、先輩。起きたのですね」
一面に広がる白い景色。ベッドの上で起きた自分、側にはパイプ椅子に座ったマシュ。
……何もかも夢であったと思うには、少々この景色には見覚えがあり過ぎた。
「急に倒れてしまったので、何かあったのではないかとメディカルチェックを行いました。が、ダ・ヴィンチちゃん曰く、ただの熱だろうと……」
その心配も、聞き覚えがあった。今朝、確かにマシュは同じ文言を口にしていた……ハズだ。記憶が正しければ。
頭の奥がズキズキと痛む。もし先程のあの逃避行が現実なら、マシュは死に、自分も恐らく死んだのだ。しかしそれを知覚しているのは、恐らく藤丸本人だけ。そして気付けば時間は今朝まで戻っている。
……時間が戻っている、と言えば聞こえは良い。だが不明瞭な点が多い。
(……どうしてオティヌスはこんなことをする必要がある? 俺の心を折りたいなら、わざわざマシュを助けるチャンスを何度も作る必要なんて何処にも……)
……いや、それこそが狙いなのかもしれない。わざわざ目の前で何度も殺すことで、こちらの心を折ろうという作戦なのだろう。
しかし、皮肉なことにこちらだって、同じ衝撃を与えられれば、それなりに慣れる。今だって、まだ頭の奥は痛みこそすれど、それだけだ。問題ない、動ける。まだ根を上げるには早い。
「先輩? 俯いていますが、やはり気分が優れませんか……?」
なんでもない、と藤丸が返す。するとマシュは、やはり同じように、
「とにかく今日は、お休みになられてください。明日には査問団がこちらに着きますし、一日くらいゆっくり休息を取るのもよろしいかと」
続く言葉も変わらない。藤丸は適当に聞き流し、思考に耽る。
何度も何度も同じ手を食らうと思ったら大間違いだってことを、オティヌスに見せつけるチャンスだ。藤丸だって、こうまでされて黙ってはいられない。
そうと決まれば殺戮猟兵のことをダ・ヴィンチや、サーヴァント達に伝えるのが先だろう。マシュに伝えておくのも忘れてはいけないと、藤丸は口を開く。
「あのさ、マシュ。実はその……信じてもらえないかもしれないけど、」
「ではお大事に、先輩。もしも何かあれば、あなたのデミサーヴァントであるマシュ・キリエライトに一報を。すぐ駆け付けますので!」
が。何故かマシュは遮る形で捲し立て、そそくさと医務室から出ていってしまった。
……そんなに忙しかったのだろうか? いや、今のマシュは何というか、らしくない。常時なら言葉が被れば、慌てて謝ってこちらを促すくらい、礼儀正しく、そして何より優しく接してくれる。そんなマシュが、自分の言葉を押し退けてでも押し通した?
「……、」
何か。
何か重大な、見落としをしている。
なのに、それが分からない。今の藤丸では、それがどういうものかまでは掴めない。
喉まで出かかっているのに、それを認めてしまえば、どうにかなってしまうとでも言わんばかりに、心がざらついている。
「おぉーいピグレットぉ! 大丈夫かぁい!?」
ばん、とドアを開けるのもまどろっこしいと入ってきたのは、キルケーだった。続いてバスケットをもったブーディカ、エミヤが医務室へ入ってくる。
「全く君って奴は、根を詰めすぎてはいけないってあれだけ言ったろう? キュケオーンも結局食べてくれないし、そりゃあ健康的な君だって倒れるさ、うんうん」
「そう言いながら、嬉しそうな顔で病人の前に現れるものではないと思うがね。面白半分で看病するというなら、こちらとてそれ相応の対応をせねばならないが?」
「まあまあ弓兵さん。心配だからみんな来たんだし、そう邪険に扱わなくてもいいんじゃない?」
あ、包丁借りるね、とバスケットから出したリンゴを切り分けるブーディカ。そして、気味が悪いくらい三人は朝の再現をし始める。
「全くだよ。君という奴は、大魔女である私と一緒に聖夜を楽しむという大役をあげたっていうのに、こんなしみったれた場所で看病をさせるとはね? ふふん、勿論君とならそんな聖夜も歓迎サ☆」
「そういうの、あたしらみたいなのが居ないところでやってくれないと、凄い居たたまれないんだけど……」
「おいおい、確かにマスターは君のような豊満な女性の方が好みかもしれないが、そんなこたぁどうでも良いと思うんだよ。何せほら、聖夜に一緒の部屋にいるんだぜ!? やばくね!? これもう結婚してんじゃね!?」
「確かにやばいな。我々も同伴させてもらっているが、君と彼は何も進展していないように見えるが?」
各々、三者三様に喋る三人。藤丸のことなど置いてけぼりにするかのようなマシンガントークは、カルデアでは何ら珍しいことではないというのに、何故か藤丸の中で焦燥感が湧き上がる。
「……キルケー?」
「ほぅら、私がよそってあげよう。しょうがないからねえ、何せ病人だしほら? やはりここは私が食べさせるという手段しか存在しないと思うんだようん」
キルケーは、藤丸の声に反応しない。目の前にいるにも関わらず、そんなものは知らないと、今朝と同じ言葉しか喋らない。
「間違ってせっかくのキュケオーンを落としたら大変だしね、主に私の愛とか薬とか」
「……、」
……まさか。藤丸は生まれた疑念を晴らすべく、キルケーの肩を掴み、揺さぶった。
普段ならこんなことをすれば、キルケーは赤面し、何らかのアクションを起こす。
しかし彼女は、そんなことは気にしない。スプーンを振り続ける。
そして動いたのは、やはりエミヤが藤丸から皿をかっさらってからだった。
「おぉい!? なんで私を引き摺るんだよ!? というかお見舞いのキュケオーンまで持ってくことないだろ!? 私謹製の霊薬たっぷりなんだぞ、活力魔力精力バッチシなんだぞ!?」
「たわけ。病人にそんなものを食べさせるな。そもそもマスターはただの熱だぞ、そんな暗殺者に毒を盛られたわけでもないし、本人の回復力を信じるという判断を出来ないのか君は?」
朝ならまだ、笑って済ませていた会話。だが、今の藤丸にはもう笑えない。否、それが未だ自分の前で行われることが、受け入れられない。
つまり、こういうことだ。
今の藤丸立香の言葉は、サーヴァント達には届かない。
彼らは一度目のループで行った行動を、愚直に再現するだけの駒。つまり、今の藤丸の味方などではない。あくまで彼らは、ただの背景なのだ。
いくら声を上げようが関係ない。一度目の出来事を繰り返すだけ。そこに藤丸がどれだけ異議を唱えても、恐らく彼らは関係なしに動く。
恐らく、マシュすらもその術中に、
「ーーいや、そう単純な話なら分かりやすくてよかったんだがな」
声は姿見の方からした。
魔神オティヌス。またもや、彼女は忽然と姿を現した。黒いマントを確認するように、姿見の前で一回転しながら、
「私はお前の環境を、簡単に再現しただけだよ。その結果、こうなっただけだ。作為的なものなど何もない」
「……作為的なものが何もないなんて、よく言えるな」
「当たり前だ。神に人の理を押し付けてどうする? 私の作る世界が全てではあるが、最初から作為的にやってしまえば、お前などすぐ壊れる。だから、手頃な疑問から具現化したやっただけだ」
「? 疑問……?」
「お前の疑問だよ、人間。前から思っていたのだろう? 自分がどうして英霊達に選ばれたのか、と。その答えをほら、目の前に提示してやっている」
鏡越しにオティヌスはマントをたくしあげ、その線の細い体を見せつける。
「……これの、どこが答えだ。ただ俺のことを、みんなから見えないようにしてるだけだろ」
「そう、それが答えだ。コイツらはお前のことなど何も見ていない。ただ自分の好きなように振る舞ってるだけだ」
隻眼の少女の形をしたそれは、饒舌に語る。
「どう振る舞ったって、お前は嫌な顔をしない。出来ない。だってそうだろう? お前がそうやって逆らうことは、カルデア側からしたら許されない。そうやって機嫌を損なえば、貴重な戦力を手離す可能性も出てくるからな。言うなれば、お前はホストだ。ゲストに満足してもらうために、涙ぐましくクレームの類いを受け入れるように、な」
「……そんなんじゃない」
「だったらどうして、お前はサーヴァント達から
ぞぶり、とまるでナイフで刺すような指摘だった。オティヌスもそれを悟ったか、彼女はその傷口を開いていく。
「そら、清姫といったか? あの女だってお前を昔の男に重ねて、愛を語っている。そこのキルケーだってそうだ。お前自身に魅力があったのなら、本当にお前を見ているのなら、そんな取って付けたような賛辞はあり得ない。つまり、誰もお前本人のことなど見ていない。だからこうやって、お前なしで会話も成立する」
今も藤丸を置いて、会話をするサーヴァント達。恐らく彼らは藤丸のことを話しているのだろうが、肝心の本人にそれは響かない。
確かに。藤丸立香に、過去の英霊達を召喚出来るほどの魅力があるとは思えない。それは藤丸本人も知っていたし、彼らが応じてくれたのも結局世界のためなのだろう。
だけど、これだけは、藤丸にも言える。
「……それは違うよ、オティヌス」
「ほう」
「だって、本当に俺のことがどうでもよかったのなら。もしそうなら、誰も召喚になんて応じてくれなかった。俺じゃなくて、他の誰かと契約すれば、それで良かった話なんだ」
「世界のためだと嘯けるだろう?」
「だとしたら、人理修復後も契約していたサーヴァントは物好きってことになる。そして、カルデアのサーヴァントはみんな物好きだったよ」
そう。別に、自分が魅力的であるかどうかなんて関係ない。
側にいてくれたあの時間が、藤丸にとっての証だ。それだけは、オティヌスにだって変えられない。
「さっきも言ったけど。マシュは絶対殺させない」
きっ、と神を睨んで言い放つ。心は折れるどころか、闘志でかつてないほど漲っていた。
「そんなことは、絶対にさせない」
そうだ。こんなところで終われない。この時間は藤丸にとって、それだけ諦め切れないものが多い時間なのだ。だったら、今更分かり切ったことで止まる理由なんて何処にも、
「そうか、なるほどな」
だが、魔神はむしろ何か答えを得たように、唇の下に指を添えた。
「……何を、納得してる?」
「私が何故、この時間を指定したのか。お前はまだ、気付いていないのだと思ってな」
「?」
「なに、すぐに確かめられるよ」
いつの間にかオティヌスの手に出現していた、巨大な黄金の槍。それを少女は、姿見へ振り抜いた。
つんざくような音と共に、世界が再び動き出す。
再び姿見の方を見ても、オティヌスの姿はなかった。それどころか姿見自体無くなっており、砕いた鏡の破片すら真っ白な床には残っていない。
「……、」
嫌な予感は、もうずっとしている。
なのに、じっとりとした汗が額に浮かんで、流れ落ちない。それは不安が生み出したものだからか、拭いても拭いても溢れてきた。
それでも、諦めるわけにはいかない。
藤丸はそう決意し。
その晩、またマシュもろとも、命を奪われた。
例えばの話。
時間を逆行する力を持つ探偵が、目の前の悲劇を止めるため、色んなことを画策するとしよう。クリアする条件はたった一つ、被害者を出さず、犯人を追い詰めることだとして。
果たして勝つのは探偵か、それとも犯人か。
普通ならば、どうやったって探偵が勝つだろう。何度でもセーブとロードを繰り返せるのだから、来る悲劇の仕組みを紐解き、それを個々人に伝えるだけで悲劇の被害者は生まれず、同時に犯人を速やかに捕まえられる。どれだけ愚鈍だろうが、何度でも繰り返せる気持ちがある以上は折れないし、クロスワードの穴埋めのように、繰り返せば繰り返すほどゴールまでに達成感も得られる。
まさに泥臭い、体当たり戦法。だがこれなら、藤丸にだって勝ち目もあった。
しかし、何事も例外は存在する。
そう、例えばだが。
時間を巻き戻す力しかない探偵が、誰の協力も得られなかったら。事態が好転することは当然、あり得ない。犯人の力は強大で、探偵にはそれを倒す術がないからこそ知恵を絞り、時間を繰り返すのだ。
しかしその知恵を振り絞ったところで、それを十全に振るうチャンスすらなかったら? そう、例えば誰も探偵の話に耳を貸さないような事態だったなら。
探偵はただ、悲劇を繰り返し目撃するだけの、カナリアに成り下がるだろう。
つまり。
藤丸立香の置かれた状況とは、そういうことだった。
「っ、くそっ……!!」
月明かりすらないカルデアの夜は暗いのに、藤丸は確かな足取りで走る。その手から
「先、輩……」
壁に体を預けるマシュを、有無を言わさず担ぐ。投げ出された少女の体は、相変わらず重くて、素の藤丸の腕力では支えきれない。もう何度目かも分からない無力感が本当に腹立たしい。
「すみま、せん……デミ、サーヴァント、として……一年は、戦って……なかった、もの、ですから……」
ああ、知ってる。
だからもう良いのだ。それ以上の言葉なんて言わなくていい。もう知っている。結末は変えられないことも。結局また繰り返すことも。
「……せん、ぱい……にげて、ください……追手が、きて、います」
分かっている。殺戮猟兵達の鎌と矢は、どう避けたって藤丸に刺さり、逃げる力を奪い去る。だからまた、守りたい人はこの手から容赦なく滑り落ちていく。
分かっているのに、何度も体験したのに、藤丸立香の心はその痛みに耐え切れない。
むしろ、繰り返すごとに痛みは増し、繰り返すごとに心は疲弊していく。
「あ、」
そうして気付けば、もう終わりだ。
倒れた彼女の胸にはまさに今、その命を奪う凶器が幾本も降り注いでいく。
「だれか」
零れる声は、あまりに頼りない。
「だれか。だれでもいいから、マシュを、たすけ、」
その懇願は、決して誰にも届かない。
そして、殺戮は行われ。
予定調和のように、時間が巻き戻される。
「………………、…………………………、……」
白で塗り潰された部屋が、藤丸の目に入ってくる。汚れ一つないそれは、今の彼にとって脳の奥を悪戯に刺激するだけのものだ。フラッシュなんかよりも余程眩しく感じるそれに、藤丸は頭痛すらしていた。
「…………づ、あ…………」
しがわれた声が医務室に響く。
今が何度目のループか、藤丸は記憶に覚えがない。否、覚えたくても出来ない。それをしてしまったら、きっと折れてしまうと確信していたからだ。
「これで分かったろう。たったの
少女の声はやはり近かった。
オティヌスは、本来マシュが座っていたパイプ椅子に腰かけていた。気だるげに足を組んだ彼女に、藤丸はのろのろと問いかける。
「……俺には、何も。救えない、とでも、言うつもりか?」
「救えなかっただろう、事実。数多のチャンスがあった。工夫は幾らでも出来た。だが、お前はたった一度の救済すら成し遂げられなかった。つまり、お前の力はそんなものだよ」
確かに事実はそうだ。
あれから、何度も繰り返した。
仮に魂というものがあるのならば、恐らく藤丸のそれは膨張し、はち切れる寸前だっただろう。もしくはおろし金で擦ったように、惨たらしい傷痕だらけになっているか。
全て、仕込まれていたことだと。そう気付くには、時間がかかった。
「ループ、なんて……とんでもない。お前は、ただ時間を巻き戻した、だけだ。そこで起こった、ことは。何一つ、変えられないし。違う行動をしたって、悲劇は変えられないように、出来ていた」
時間は確かに巻き戻された。
しかし、それはあくまで巻き戻しただけ。一度目の世界から、何も変えられない再現だ。だから藤丸の声は誰にも届かないし、令呪も勝手に発動し、マシュと共に無意味に死んでいく。
無論それに気付いたって、藤丸はループを続けた。いや、続けさせられた、か。
サーヴァント達をどうにか令呪で喚ぼうとしたし、ダ・ヴィンチ達カルデアスタッフに殺戮猟兵のことを伝えようとした。罠を張って足止めしようとしたり、殺戮猟兵達にこちらから急襲しようとしたりもした。
だが、どれも一人では結局無理だった。
サーヴァント達は夜の時点で全員退去していたし、カルデアスタッフには何も伝わらない。罠だって藤丸が仕掛けられるものなどたかが知れているし、殺戮猟兵達の居場所は見つけられなかった。
藤丸立香には、何一つ、成し遂げることが出来なかった。
「……だけど、みんながいたら、違う」
そう。
このループで分かったことは、結局それだ。
「サーヴァントの誰かが、俺に力を貸してくれるなら。それだけでこの状況は打破出来る。なのにそれを封じたのは、お前自身それが分かっているから、じゃないのか?」
こんなこと、初めから分かりきっていたことだ。幾ら繰り返したって、幾ら悲劇を藤丸に止めることが出来なかったとしても、それでこちらが折れることを期待しているのなら、
「……俺は折れないよ、オティヌス」
ベッドから起き上がることすら億劫だろうに、藤丸の目から闘志は消えていない。
まだやれる、それを感じながら、
「マシュを助けるためなら、俺は諦めない。そのために、まずみんなをお前から取り戻す。それさえ出来れば、
ぴく、とそこでオティヌスの肩が震えた。まるでその言葉は予想してなかったとばかりに。
神を自称してきた少女だ、路傍の石ですらない藤丸の言葉は、それだけ肥大したプライドを傷つけたことだろう。
たかが人間、されど人間。彼女のような存在だからこそ自分の言葉は万の剣よりも効き目がある。そう、藤丸は思い込んでいた。
だが、
「……っ、くく。そうかそうか。私が怖くない、か……」
オティヌスは、笑っていた。
可笑しくて仕方ないというように。
まるで蟻がようやく作った巣を見るような目で、
「いや……ここまで来ると流石に笑いを殺し切れんな。まさか、こうもこちらの思惑通りに来るとは思っていなかった。壊れかけた道化とはいえ、神の道楽を立派に務めてくれたな。中々に楽しめた、そこだけは褒めてやろう」
「……何か言いたい?」
「私は意地悪でね。まあ、神々共通の遊び、とでも言っておこうか。無論人間からすれば、災害とよく呼ばれる類いの奴だが」
オティヌスは顎でドアの方をしゃくって、
「そもそもどうしてお前をこの時間でループさせてきたと思う? お前にもう一度誰かを救わせるため? だとするなら、そもそも救う相手が間違っているな。だろう?」
「……?」
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
どくん、と心臓が跳ねて、何処かに落ちたように痛んだ。マシュのことばかり考えていて、藤丸の脳からそのことだけが抜け落ちていた。
そうだ。
どうしてそれに気付かなかった。
マシュだけじゃない。本当にこのループがあのときを模しているのなら、死んでいるのは自分達だけじゃなかったはずなのに。
「お前の世界では、クリプターの侵攻を押し留めようと殿を任された結果、あの英霊は死んだ。さて、では今回は? お前が一人の女にかまけている間、世紀の天才を名乗る英霊がどうなっていたのか。知りたいよな、人間? さぞ大切だったのだろう?」
「……やめろ」
藤丸の制止などそよ風のように受け流し、オティヌスはぺらぺらと語り出す。
「どの死に顔がお好みだ? やはり心臓をくり貫かれた顔か? それとも蛮族のように首から上を切り落とされた奴か? はたまた原型が無くなるまで潰されたものが見たいか? 何せ十七回分だ、お前が助けようとした女とは違って、どれもバリエーションに富んでいるぞ?」
「、……やめろ!!!」
「じゃあ何故、一度だって助けにいこうとしなかった?」
それは。
込み上げる言い訳がましい理由を、藤丸は口に出来ない。そのどれもが、結局何も成し遂げられなかった自身を正当化するだけだったから。
「目の前で殺されたのだろう? あの時間に戻れるなら、何としても守りたいと、そう思っただろう? 何故守ろうとしなかった? 同じような状況であったならそうなるかもしれないと、少しでも脳を掠めなかったのか?」
「……、……」
思い出す。記憶の歯車が、回り出す。
自分を信じてくれた人。きっと喋ることすら辛いだろうに、必死に言葉を探して、心配させないように毅然と振る舞っていた人を。
最後の最後まで、苦しんだ顔なんて一度も見せてくれないまま、結局あそこに置き去りにしてしまった人を。
と、そこで意外な言葉が投げられた。
「どうしてそこまで気に病む必要がある?」
「……は?」
どうして、と言われても。藤丸は一瞬、オティヌスの吐いた言葉の意味を図りかねた。
彼女は眉を吊り上げ、
「十二月三十一日も、ダ・ヴィンチやデミサーヴァントがいてあのザマだ。なら今回だってこうなることは、誰からしても明らかだっただろう」
だから、と。
オティヌスは甘く、囁いた。
「ーーお前は、サーヴァント達が誰も残らなかったことに対して。真っ先に憤るべきなんだよ、人間」
それは。
それは一度も、藤丸立香が考えたことがなかったことだった。
いや、違う。考えたところでどうしようもないからと心に閉じ込めていた、未練しか生まない疑問だった。
どうしてと考えてしまえば、きっとそれだけでこの疑問に行き着いてしまう。そんな、当たり前のことだった。
「お前はさっき言ったな。サーヴァントがいれば、こんな状況打破出来ると。私だって怖くないと」
眼帯の少女はため息混じりに、
「そうだ、お前だってループのときも、十二月三十一日でも思ったことだろう。ここに誰か一人、サーヴァントがいたのなら、それだけでもっと多くの人が救えたのにと」
ああ、思った。思ったとも。
どうして、あのとき。誰も助けてくれなかったのだろう、と。あんなに助けてほしかったのに、呼べば来てくれるって、そう言ったのに。
一体どうして。そんな気持ちを、ずっと懐に仕舞い込んでいた。だけど、
「……そんなもしもは、あり得ない。今更だ」
「だが、夢想するのは勝手だ。人間にだって許される特権だよ。そして神の名において断言しよう。その夢想は、何ら間違いではない」
疲弊し、潰れそうな心にとって、その肯定は救いのように思えた。まるでよく頑張ったと、そう頭を撫でられたような気分になる。
「二百人以上もいたサーヴァントが、たったの一人も側に残らない。立つ鳥跡を濁さず、なんて諺はお前の国のものだったか? ともあれ、数年という時間を共に走り抜けたにしては、随分と寂しいじゃないか。なあ?」
「……みんな死者だ。世界を救うために集まってくれたんだから、その役目が終わったら元いた場所に帰るのは当たり前だ」
「ああそうだな。だから
それを聞いて。
そんなわけがないと思いつつも、心の一部は認めていた。
ああ、多分そうだろうな、と。
「お前がこれから先苦しもうが。お前がこれから先大切な人を失おうが、知ったことじゃない。世界は救ってやったのだから、それ以上のことなど英霊風情に期待出来まい」
我慢がならない、と藤丸は体を起こす。芯が折れそうになるのを、何とか堪えて否定する。
「違う……! みんな、世界のために頑張ってくれた!! こんなにも弱い俺なんかに、嫌な顔せずについてきてくれた!!」
「じゃあ何故、あのときも、今ですらお前の側には誰もいない?」
そんなの簡単だ。世界は救われ、当時のカルデアは事実上解体されることになった。故にサーヴァント達はお役御免となり、退去しなければいけなかったのだ。
しかし、それは本当に絶対的なことだったのだろうか?
あの、一生で最も輝いていた数年間は、サーヴァント達にとっては何の楔にならなかったのだろうか?
残りたいと、そう思わせることが出来なかったのだろうか?
「少なくとも、お前に対してそれなりの言葉を吐いた奴がいただろう。それでも、お前の側には誰もいない。助けを呼んだところで返事もない。見知った顔が死んで、お前が何も出来ないと分かっておきながら、全ては終わったと勝手に消えていった。大した主従関係だよ、全く」
「……、」
右手の令呪に目を落とす。
契約の証。これだけがマスターである証明で、楔。逆に言えば、それさえなければサーヴァントを繋ぎ止めることは出来ない。藤丸なら尚更そうだろう。
「捨てちまえよ、そんなもの」
オティヌスが吐き捨てる。
「忘れたか? 世界は二度も終わっている。終わりを覆す、といえば聞こえは良いが、世界が滅びてようやく重い腰を起こすような連中が、今更お前を気にかけると思うか?」
そう、思い返せば確かにその通りだ。
人理焼却のときは、まだいい。だけど二度目の滅び、地球が漂白されたときですら、彼らは来てくれなかった。
無論、藤丸だってそんなことは不可能だと分かっている。もどかしさは彼らにだってあって、きっと同じような憤りを覚えているのだと信じている。
それでも、藤丸は自身を弱いと認識しているからこそ思ってしまう。
彼らがいたら、きっと違う未来もあったのじゃないか、と。
少なくともダ・ヴィンチや、カルデアスタッフだって救えたかもしれないのに、と。
「世界が壊されなきゃやる気もでない連中だ。お前が死のうが、適当な美談をでっち上げた後、よっこらせと立ち上がって英雄らしい行動をやるだろうよ」
「……違う」
「何が違う? 言ってみろ、人間」
口を開こうとして、閉じる。どれだけ言葉を重ねたところでもう無駄だ。今の藤丸では、どうしたってこの状況を覆せない。誰かに頼るしかない。けれど頼るべき相手がいない。誰もいないのだ。
それでも口は、何とか言葉を絞り出した。
「……時間神殿のときは、みんな、来てくれたんだ」
それは、最早反論ですらなかった。まるで子供が号泣する前に、ポロリと溢すような、そんな、決壊寸前の声だった。
「助けてって思ったんだ、強く。そしたら、みんな本当に来てくれた。でも、あれも別に俺を助けるためだけに来てくれたわけじゃ、ないんだよな」
例えば。
あと少しで世界が救われるのなら、その一手に加わり、あたかも自分達のおかげで世界が救われたと勘違いしたい。そんな野次馬染みた想いが、彼らになかったとは言い切れない。穿った考えだが、ここまできたし少しは手伝ってやろう、なんて気持ちもあったかもしれない。
「……そう、だよな」
少年は思い知るように、呟く。ともすれば、自身の旅路すら壊されかねない地獄。俯き、折れるか折れないかの瀬戸際で、藤丸は懸命に記憶を集める。
そうして。
少年は顔を、上げた。
「ーーうん。それでも、いいよ」
「……なに?」
オティヌスが表情を変える。ここで折れると踏んでいたのか、眼帯をしていない方の瞳を瞬かせる。
「確かに、俺の側には誰もサーヴァントが残ってくれなかった。それはきっと、みんなにとって俺はそこまで大事な人間ではなかった、その証明なのかもしれない」
けれど。
「俺は楽しかったよ。みんなと旅をしてきて、少なくとも、俺はそう思えた」
そうだ。
例えサーヴァント達がどう思っていようが、関係ない。藤丸立香は確かに、凡百なマスターで、傑物たる彼らを繋ぎ止める楔になんてなれやしないのかもしれない。
だけど、それがなんだ。一般人にそんなもの、今更誰が期待するというのか。
「俺は信じてる、きっとまた会えるって。何度別れたとしても、それまでの全部が帳消しになるわけじゃない。例えみんなは消えても、その記憶は俺の中に残り続けてる。そういうものだろ、生きることって」
「またお得意の綺麗事か? なら、お前がここで一人、死に続けることになろうとも構わないと? 助けなど永遠に来ない。死を記録する生首もどきになっても良いと言うのか、お前は?」
「
即答だった。
さしものオティヌスも、その返答には虫を潰し損ねたような顔を作った。
「みんながいたから、どんな戦いでも戦ってこれた。だけど、今回はもうそんなの関係ない。お前は、俺の大切な人達を侮辱した。それを黙って受け入れられるほど、俺はお人好しじゃない」
「……そうか」
「それに、今までずっと頼りっぱなしだったんだ。一回くらい一人でやらないと、いつまでもみんなに頼ってちゃ、これから先一人で生きていけないし。予行演習には丁度いいよ」
「そうか」
それだけ言って、魔神オティヌスは槍を動かした。
世界が崩れる。
夜よりもなお暗い漆黒の迷宮が、顔を見せる。あらゆる位相を剥がしたのか、あるいは貼り付けたのかは藤丸には定かではないが、どうやらループから抜け出せたらしい。
目の前にオティヌスはいない。
ただ、少女の声は何処からか聞こえた。
「馬鹿は馬鹿でも、お前のそれは少々歪だな。その精神性に見合っていないと言うべきか」
「……?」
オティヌスは、呆れていた。
まるで何故そんな答えに行き着くのか、本当に分からないと。
「お前には過ぎた代物、ということだ。すぐに分かるよ、地金が剥き出しになればな」
世界が光を帯びていく。
また新しい地獄か、と身構える藤丸。心は既に折れかけていたものの、頭の中は比較的クリアになっている。
そうだ、関係ない。オティヌスがどんな悪夢を見せようが、どんな仕込みをしようが、結局は彼女が生み出した悲劇だ。こちらを追い詰めるという関係上、そこだけは変わらない。
どんな世界に変わろうと、あの魔神の思惑が必ずある。それさえ分かれば、もう悲劇でもなんでもないのだ。
「ふむ。確かにそういう考え方も出来るな」
が、とオティヌスはこうも言った。
「それはあくまでお前の心が砕けなければ、の話だ。そして、私もその辺りは心得ているよ。マスターからの催促もある、次で仕舞いにしようか」
……異聞帯の王に、マスター?
これまでの異聞帯の王には、そんなものはなかった。彼らは独自に進化した異聞帯を統治した主として、その異聞帯の特色を色濃く有した者ばかりだったが、全員に共通するのは個としての完成度だ。
その異聞帯の王に、マスターがいる? 一体誰なのか。
「さて、最終テストだ。これで折れないなら、おめでとう。晴れてお前は、
思考に沈む暇すらないらしい。
藤丸は光を受け入れ、目を閉じた。
Version Beta世界
2017年12月31日を模した世界。サーヴァントは全員退去し、命惜しさに少女の後ろに隠れていた結果、大切な人を死なせてしまった。そんな藤丸立香の後悔の残滓だけがはびこる世界。
自身の力不足は藤丸立香にとってはいつものこと。だからこそ、彼は心の中でほんの少し、こんなことを思っていた。
誰か一人でも、サーヴァントがいてくれたのならば。
カルデアはサーヴァントにとって、様々な出会いを与えてきた。その中では、奇跡と呼ばれる再会も多くあったことだろう。
されど、サーヴァント達がたった一人の少年の願いを聞き届けることは、ついぞなかった。
オティヌスはその無意識を表面化させ、位相として差し込んだ。