カゲロウ 作:Mr.未来Speaker
恋人の定義はなんだろう、と偶に考え込むことがある。
恋愛小説とか、特にミャクのない恋話とかが話題に上がると、頭の中でそんなテーマがグルグルと回る。
多分、それは感情論で片付いてしまう話。だけれど、私はそれを理論的に証明してみせたい。出来もしないのに、大して頭がいいわけでもないのに、一丁前にそんな哲学者みたいなことを考え耽ることが、偶にある。
″あの人″と出会ったのは、私が高校3年生の時。
受験勉強のために参考書を買おうと、近場の本屋に出かけた。
受験関連本。
そう括られたコーナーの本棚に向かい、数十冊、もしかしたら3桁超えてるかもしれないほどの本の山の中から、めぼしいものを見つけ出す。
これでいいかな。
参考書の良し悪しの基準なんてわかりもしない。まあ、わからなくても悪い影響はないだろう。
一冊の本を手に取り、レジに向かう。
その途中、男の人と肩がぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
手短に、頭を下げて謝る。
「いやこちらこそ。よそ見してた」
低く、少しがなりの効いていて、けれどもけっして不快ではない声がした。
顔を上げ、一目見て思ったのは、とても細い人だ。ちゃんと食事をしているのだろうか。
細身の黒のスキニーパンツに、同じく黒のシャツが、その細さをさらに強調させていた。
少しパーマをかけたような、ボサボサで清潔感のない髪。無精髭も生えていて、初対面では、はっきり言って良い印象を持てない。
猫のような目をしたその人は、気怠げに頭を掻く。
「参考書」
「あ、はい。受験生なので」
私が持っている参考書に目を落とす。
「へー。大変だな」
「俺にはわかんねぇけど」と、呟く。
この辺りでは見かけない顔と袖たちだ。
引っ越してきたのだろうか。
「じゃあな、悪かったな」
と、私が思考している間に彼は手を振って去って行ってしまった。
猫の目をしていたが、後ろ姿も、住宅街の石垣を我が物顔で悠々と歩く猫のようだった。
どこか浮世離れした人物だ。
確かに目の前に存在していて、私と話したのに。
私とは違う世界を見て、肌で感じて、歩いているような人物だった。
などと、一瞬だけ会話をした人について、色々と考えを巡らせている。遠回しに、失礼なんじゃないか?
「あ、早くしないと」
そんな今後会えるかもわからない人のことなんて、頭の中の会議室のど真ん中に置いておく必要はない。
髪をぐしゃぐしゃに丸めて棄てるように頭の中をクリーニングした私は、会計のカウンターに向かった。
* * *
程なくして、私と彼は再会した。
学校の帰りの、楽器店での出来事だ。
バンド活動は停止しているが、やはり音楽への情熱は消えたわけではない。
雑誌や新しいドラムセットを見に行こうと立ち寄ったのだ。
そこで彼は、1本のアコースティックギターを持ってパイプ椅子に腰掛けていた。
「お、この前の」
私の顔を見るや否や、ははは、とどこか乾いた笑みをこぼした。
「どうも。あの時は失礼しました」
「いいよ、こっちの不注意でもあるんだ。お互い様で行こうや」
気楽そうな声音で言う彼を見る。
何故こんなところに。そして何故アコースティックギターを持っているのか。
「弾けるんですか?」
「ん?」
「それ、アコースティックギター」
「ああ、弾けるよ。下手くそだけどな」
ジャガジャガ、と適当なコードを押さえて鳴らす。
彼の素性などは全くわからないが、不思議と似合っていた。魔女が箒を持つように、鬼が金棒を持つように、革命家が旗を持つように。
「疑ってる?」
「はい。すっごく」
「ひどいな」
彼は口を尖らせる。
「なら聞いてみる?」
「弾くんですか。お店のじゃないんですか」
「試し弾きで」
そう言って先程とは違う綺麗な音色を奏でる。
なんの曲を弾くかと思えば、レディオヘッドのCreepだ。
しかも、ご丁寧に弾き語りときている。
彼の歌声は地声のがなり声が少し入った、まるでイギリスのパブで雇われている、酒好きアマチュアミュージシャンを想起させる歌声だ。
原曲のトム・ヨークの澄んでいて、どこかコンプレックスと窮屈さを混ぜたような歌声とは非常に対照的だ。
僕はウジ虫だ。
僕はここにいるべきじゃないんだ。
ネガティブな歌詞が特徴的なこの曲は、トムが歌うことにより、恋の行く末を憂いている青年の悲壮感漂う高嶺の歌となる。
だが彼が歌うとどうだろう。
彼の歌声も相まって、普段はそんなことで悩んでもない明るい人間なのに、酒が入った瞬間にテーブルに突っ伏して日々の愚痴をこぼす男の歌に聞こえてくる。
何がこんなにも対照的な印象を持たせているのか。
声質?
ジョニーの鋭いギター音の有無?
ハッキリとした答えは出ないが、私は彼の立ち振る舞いや、姿から漂う雰囲気が、そうさせているのだと結論付けた。
その答えが、1番腑に落ちたのだ。
1番だけを弾き終えた彼は、どうだった?と私の顔を見る。
「ビックリ。ギター上手いんですね」
「いいや、下手だよ」
苦笑を浮かべて謙遜をする。
「歌声は、なんというか凄かったです」
「へー。美声に酔いしれたか?」
ギターの腕と違って自信があるのか、今度は謙遜せずに顎をクイっと上げる。
「まさか。その逆です。良い夢を見ていたのに、耳元で叫ばれて台無しにされたような気分です」
「うっは、ひっでぇ」
豪快に笑う。
「トム・ヨークとは正反対な歌声」
「知ってるのか、この曲」
「はい。好きなんで、レディオヘッド」
「若いのに珍しい趣味してるな」
再び適当にアコースティックギターをジャカジャカと鳴らす。
「ここら辺に住んでるんですか?」
「まあ住んでるといえば住んでる、かな」
歯切れの悪い答えを返しながら、次はアルペジオを奏でる。
前におたえがアコースティックギターを弾いて見せたことがあったが、アコースティックギターというのはとても綺麗で愛らしい音を鳴らしてくれる。
エレキギターとは違った、クラシックで落ち着いていて、心が安らかになる。
私はこのアコースティックギターの、複雑なコードを押さえてないシンプルな演奏と音が好きだ。
アコースティックギターだけでも始めてみようかな、とも最近になって考え始めているほど。
「楽器店だけど、なんか楽器とか弾けるのか?えーっと…」
「沙綾、山吹沙綾です」
「ご丁寧にどうも。俺はモモセ」
名前は明かさなかったが、まあいいだろう。これから会えるかもわからない人なんだから。
「ここにいるってことは、バンドかなんかやってるの?」
「はい。とは言っても、今は活動休止中ですけど」
「活動休止。ああ、受験か」
「はい」
察しのいい人だ。
私が話した最小限の情報で私が置かれている状況を瞬時に考察する。
「モモさんは何かバンドとかやってたんですか?」
「モモさん?」
「可愛らしい名前なので」
「初めて呼ばれた」
見た目は近寄り難い雰囲気を醸し出してるのに、名前はとても可愛らしい。モモって。
「バンド。やってないし、やったことない」
「意外です」
「そう?そんなにバンドマンに見える?」
「ぱっと見は」
「モテそう?」
「いえ全く」
ギャング映画の銃の撃ち合いのようなやり取りに、お互いに吹き出して笑ってしまう。
「パートはなに?」
「ドラムです」
「見えないな」
「そうですか?」
「うん。ベースっぽい」
ベースっぽいだなんて、初めて言われた。ベースなんてりみりんに少しだけ触れさせてもらった時ぐらいだ。っぽい、と言われたらちょっとチャレンジしてみるのもいいかもしれない。
「それにしてもこんな所でも会うなんて」
「確かに。あまり広い街じゃないのに」
「運命的なやつか、これは」
「たぶん違いますよ。偶然ですよ」
「今の若い子はリアリストだな」
持っていたアコースティックギターを元にあった所に置いて、椅子から腰を上げる。
軽いストレッチをすると、骨が少し鳴った。
「帰るんですか?」
「ああ」
「何か買わないんですか?」
「そんな金ないよ。今はね」
高価そうなブラウンの革靴をトントン、と整えて歩き出す。
「じゃあな、ヤマブキ」
「あ、はい。お気をつけて」
「おまえもな」
ヒラヒラとカウボーイみたいに手を振って姿を消した。
通り過ぎ際、良い香りが漂った。見かけによらず、香水か何かをつけているのだろうか。
真っ暗な店の外を、まだ彼の後ろ姿の輪郭だけでも残ってるんじゃないかと目を凝らして見るけど、結局は窓に反射して映る私しかそこにはいなかった。
なんだか不思議な人だ。
香澄と少し似ていて、人を惹きつける魅力があるのだと思う。数分しか話してないから、確定しているとは言えないけど。
モモさんが置き戻したアコースティックギターを見てみる。興味が湧いてきたので、ネックを掴んで手に持ってみた。
意外と重いものだ、アコースティックギターというのは。
バタークッキーのように食欲をそそる色をしたボディを撫でる。真ん中に隕石が落ちた後のように空いたサウンドホールは、なんだか見ている私がその中に引きずり込まれそうだ。
ネックに貼られた弦に挟まられた青色のピックを手に取り、6弦をボーン、と鳴らしてみる。
ドラムと違ってどこか寂しくて落ち着いた音だ。
今度は弦を押さえて弾いてみる。
しっかりと色がついた音色が放たれた。
「おお」
声に出てしまう。
なんだか感動的だ。香澄もおたえも、こんな感動に心が支配されたのだろうか。
香澄やおたえの見よう見まねで、6弦の1フレットを押さえて音を鳴らす。続いて5限の2フレットを押さえて鳴らす。
そのリフレインを10秒ほど続けた。
そして一息つく。
肩を回し、こった首を鳴らす。
「やっぱ上手いよ、モモさん」
変に謙遜した変な人に向けて、誰にも聞こえないぐらいの声量でそう呟いた。