カゲロウ 作:Mr.未来Speaker
夏にしては少し涼しい風がカーテンを揺らす。
開け放たれた窓の外からは、部活に励む同級生と後輩たちの声が聞こえてくる。
「進路は決まってないのね」
「はい」
2つの机を重ね合わせて、私のクラスの担任の先生と対面していた。
「何かやりたいこととか…はあるわけないか」
「大学に行きたい、とは漠然と思ってます」
「漠然と、ねぇ」
緑のふちメガネを掛けた先生は、その真面目そうな佇まいとは裏腹に、かなりラフでフレンドリーだ。
左手でボールペンを回しながら、右手でこめかみを押さえる。
「あの、大学に行ったら、やりたいことも見つかると思うんです」
「まあ、そうなんだけどさ」
背もたれに体重をかけて、脚を組む。
おおよそ個人面談の時に作る姿勢ではないが、私は特に気にしない。
「大学ってさ、やりたいことをやって、それを伸ばして自分のスキルにする所だと、私は思ってる」
「はい」
「正直、あなたが何かやりたいことを見つけられないまま大学に入っても、たぶんそこで浮かんでるだけ」
「浮かぶ」
「そ。浮き輪みたいに、プカプカーって」
先生は大学を出ているのだ。先生の言ってることは大袈裟とかではなくて、たぶん正しいのだろう。
「でもまあ、言っちゃ悪いけど、あなたには実家のパン屋っていうバックアップがあるからねぇ」
「そうですね」
「んー」
カチカチ、とボールペンのノックボタンを机に押し当てながら、ホチキスで止められた書類を捲る。
「成績も中の上。素行不良もナシ。ますます悩みどころね」
カチッ、とボールペンの動きを止めて、手早く捲られた書類を全て閉じてファイルに閉じた。
「夏休み最初の日って、あなた三者面談でしょ?」
「はい、そうです」
「それまでに、漠然と自分の将来のイメージを持って」
「漠然と」
「そう漠然と。いい言葉ね、漠然」
と、どこからともなくいちごマシュマロを取り出し、手首を叩いてポン、と器用に口の中に放り込んだ。
「食べる?」
透明な袋に入ったいちごマシュマロを差し出される。
「いただきます」
丁重に受け取って、先生に倣って口の中に放り込んでみる。
味は、とても甘かった。
* * *
夏休み数日前とはいえ、夏休み中の課題の内容などは–––––ソースはどこかわからないが–––––既にリークされていた。
今日は、そんな夏休みの課題の読書感想文の課題図書を取りに行くため、家からそう離れてない図書館のあるコミュニティセンターまで出向いていた。
ダニエル・ジョンストンの絵が描かれたトートバッグの中からタオルを取り出し、額に流れる汗を拭う。
空から容赦なく照りつける太陽に体力を搾り取られながらも、途中で自動販売機で買ったスポーツドリンクを回復アイテムにして、なんとか住宅街というダンジョンをくぐり抜けた。
コミュニティセンターの自動ドアが静かに開かれると、中で溜めこめられていた冷気が私の体を押す。
「おほー」
と、訪れた爽快感にだらしのない声を漏らしてしまう。
この場所に訪れたのは中学生の時以来、数年ぶりだ。
内装は変わってないように見える。自動販売機で売られている飲み物の種類が変わったぐらいだ。
図書館へと通ずる扉を開ける。その中もまた冷房が隅まで効いていた。
足音を最小限に、カウンターの横に備え付けられたパソコンで、本のタイトルを検索する。すぐ横の機械からレシート紙が出される。
レシート紙に記された番号を地図として、本棚のコーナーへと向かう。
幾重にも重なった本の中から目当ての一冊を取り出す。脇に抱えて、ついでに弟と妹が読むだろう絵本も取り出す。クレヨンで描かれたような、メルヘンチックで童心をくすぐられるタッチの猫が表紙を飾っている。
カウンターに本を置く。
初老の女性が眼鏡をかけて、本の裏面に貼られたバーコードをバーコードリーダーでかざす。
「読書感想文?」
女性は静かに、けど凜としていてはっきりと聞こえる、魔法のような声量で聞く。
「はい」
「いい感想は書けそう?」
「読んでみないとわかりません」
「確かにそうね」
裏表紙をめくり、見返しに貼られた紙に今日の日付を書き記す。
「期間中だから、来月の31日までに返してね。出来る限り早めで」
「はい、出来る限り早めに終わらせます」
「よろしくね」
3冊の本をトートバッグに入れる。
帰り道はバスでも使おうかな、と考えながら図書館を出ると、足元を何か影が通り過ぎていった。
「え」
影を目で追うと、そこにはグレーの毛と、エメラルドグリーンの綺麗な眼をした猫がそこにいた。呑気にボードに貼られた自衛官募集のポスターを眺めていた。
「自衛官になりたいの?」
なんて、聞いてみる。
私の声に反応した猫は、ニャァ、と可愛らしく鳴くと、素早く駆け出した。
「あっ、こらっ、待てっ」
館内であの猫が暴れたら、たぶん貴重品とかが壊されてしまう。
そんな危機を感じた私は、猫の後ろ姿を追う。走るほどのスピードでもなく、でも早歩きよりは確実に速く追いかける。なるべく音を立てぬように。
曲がり角を曲がったところで、足を止める。
そこには、防火シャッターのように見える大きな扉が僅かに開いていた。
あの猫の姿が周りで見えないことから、中に入ったと見ていいだろう。
こんな所、見たことがない。
昔に来た時点でも、あまり館内を探検したわけではないが、こんな所は通り過ぎた覚えもない。
猫を追いかけるという目的と、18歳を迎えた私の僅かな童心からくる好奇心に背中を押され、扉の向こう側に足を踏み入れた。
入った瞬間、気持ちの悪い蒸し暑さが私の肌を舐めまわした。
灯りはなく周りは暗かったが、見上げるとその先には光があった。きっとここは階段なのだろう。
手探りで探し当てた手すりにつかまり、スマートフォンのライト機能を使って、1歩1歩、慎重に段を登る。
その昔、ウィル・スミスの映画で見たシーンにそっくりなシチュエーションだ。少しだけドキドキする。
確か、ビルの中に入ってしまった自分の犬を探そうと、よくわからないモンスター達がいる真っ暗なビルに入って探すんだったけ。
そういえば、あの世ってここみたいに蒸し暑い所だって聞く。もしかしたら、あの世へと繋がる天国への階段だったりするのかな。だとしたら、私は今、ツェッペリンのサウンドの上で踊ってるようなものなのだろうか。
そんな事を頭の中で空想して、心の中でクスクスと笑いながら光に近づく。
最後の段を踏み終わり、光が私を包み込んだ。
まず頭に入ったのは、蝉の鳴き声。ミンミンゼミだ。
続いて肌を撫でる爽やかな風が吹く。
外だった。
照りつける太陽。どこまでも広がる青空。模様のように浮いている白い雲。
どうやら、辿り着いた場所は屋上だったらしい。
にゃーん、という間延びした声が、呆然としていた私の意識を呼び戻した。
先ほど追いかけていたターゲットが、足元で私を見上げていた。
「ここはあなたのアジト?」
「いいや、俺の秘密基地」
問いかけに答えたのは猫じゃなかった。ちょっと紙やすりのようにザラついた、男性の声だった。
猫は再びにゃーん、とだけ鳴いて元来た道を走って戻った。
声のした方を向く。
手すりにもたれかかり、片手には缶ビール、もう片手には煙草というとてもガラの悪い佇まいをした男性だ。
しかし、その顔に見覚えがあった。
黒い天然パーマのようなチリチリとした髪。黒Tシャツの上に白い半袖シャツ、下は膝下まであるベージュカラーのハーフパンツ。
「モモさん」
つい数日前、偶然にも2度遭遇した、ギターが弾ける謎のヒトだ。
「ヤマブキか。どうした、こんな所で」
「そっちこそ。なんでこんな所でリラックスしてるんですか」
彼の今の姿は場違いにもほどがある。公共の場で、ビールに煙草。ただでさえ規制が厳しくなっている今のご時世で、こんなにも不摂生なことをしているのはおかしい。
「言ったでしょ。秘密基地って」
「屋上ですよ」
「誰もここには来ない。従って、誰にも迷惑はかけてない」
「私がいるじゃないですか」
「おまえが去ったら済む問題だろう」
その言葉は、少し癪に触った。
周りをまとめる役割を任せることの多い人間としては、少々見過ごせない発言だった。そして何より、悔しい。
「そうですか。なら」
設置されていたキャンプチェアーに腰を下ろす。モモさんが「あっ」と声を漏らす。
「私、しばらくここにいるので」
「ふむ、考えたものだな」
頷いて煙草を灰皿に押し潰す。煙がノロノロと漂った。
「これでいい?」
「もう片方は?」
「これはおまえに被害は及ばない。俺の肝臓が悲鳴をあげるだけ」
そう言われると何も言い返せない。
「で、ここに何しに来たの。まさか職員にバレた?」
「無許可で寛いでるんですか」
「公共の場にこんなの持って来れるわけないじゃん」
ある程度の常識は持ち合わせているのに、それを敢えて守らないのは如何なのだろうか。
「私は猫を追いかけて来たらここに着いたんです」
「猫を」
「そう猫を」
缶ビールを口につけてグビリ、とひと口飲む。
「アリスみたいだな、なんだか」
「ならこの屋上は不思議の国?」
「ただ暑いだけだよ」
缶ビールを地面に置き、軽く伸びをして再び元いた手すりにもたれかかる。
「モモさんはなんでここに」
「気分。偶にだけど、気分が乗ったらここに来てゆっくりしてる」
「誰も来ないんですか」
「来ないね、不思議と。来るとすれば、そうだな。悩みを持った迷える子羊とか」
と、芝居掛かった声で言う。メェー、ふざけた羊の鳴き真似もしてみせた。
「悩み、ですか」
「そう。ヤマブキも何か悩んだりしてる?」
神父を気取ってるのだろうか、十字架を描くジェスチャーをする。
本当に、つかみ所のない人だ。
「んー、まあ悩みといえば悩みかな、これも」
心の中で浮かんだ悩みといえば、つい先日に担任の先生から言われた言葉だ。
「進路、です」
「そういえば受験生だったっけ」
「はい。三者面談までに、将来の自分の姿を漠然とイメージしろって言われました」
「漠然と。面白い言葉だな、漠然」
いちごマシュマロを取り出しそうな言葉だったが、特に何も取り出さず、頬を少し掻いただけだった。
「それが悩み?」
「はい。どうすればいいんだろう、って」
「ふーん」
缶ビールを口につけて、空を仰ぎ見て言う。
「まあ、ヤマブキの価値観とか心情とかそういうのわからないから、あまり偉そうなことは言えないけど」
意外と入念に前置きをする。
「わからない時は、わからないでいいと思う」
「わからないで、いい」
「そ。これは年長者からの助言だけど、世の中には答えを求めなくていいものもあるんだ」
答えを求めなくていい。
心の中で何度も反復する。スーパーボールみたいに、私の心の中で何度も跳ね返って止まらない。
「混乱してる?」
「はい、少し。そうやって言われたの、初めてだったので」
「思い悩んだら、ボブ・ディランを聞くといい」
「ボブ・ディラン。ノーベル賞の?」
そ、と口にして、口笛で少し掠れた、夏の青空には不似合いな哀愁感漂うメロディーを奏でる。
いったい幾つの道を歩けばいいんだろう
誰からも認められる男になるまでに
いったい幾つの海を、白い鳩は渡るんだろう
砂をベッドに、静かに寝息を立てるまでに
砲弾は何度、青い空を飛び交うんだろう
人々が引き金を引かなくなるまでに
その答えは風の中にあるのさ
その答えは風の中で舞ってるのさ
アカペラではあったけど、モモさんは歌った。
元々は英語の歌詞の曲だからか、リズムが少しおぼつかなかった。
けれども、あの楽器店での弾き語りの時と同じで、少し掠れているけど、人を引きつける不思議な歌声だった。
「今のが、ボブ・ディランの曲ですか?」
「″Blowin' In the Wind″。″風に吹かれて″っていう曲」
「良い歌詞でした」
「自己流の和訳だよ。日本語はやっぱり難しい。リズム取れなくなるし」
モモさんの歌詞は、今の私を肯定してくれるような、柔らかい風の優しさなような歌詞だった。
「答えは風の中で舞ってる、かぁ」
私の心の中でバウンドをしていたさっきの言葉と違って、その詩はすんなりと心の中で落ち着いた。
バスケットボールで、ダンクシュートが決まったような爽快感と落ち着きだ。
「少し、考えてみます」
「力になったかな、迷える子羊ちゃん」
「はい。3割はボブ・ディランのおかげかな」
「引用したのは俺なんだけどなー」
頬をポリポリ、とおどけるように掻く。
「口笛、上手でしたね。羨ましいです」
「できないの?」
「あまり得意じゃないです」
「そうなんだ」
意外そうに目を見開く。どうやら私は口笛が上手そうな女子高生に見えるらしい。
「簡単だよ。舌を前歯の裏に付けるんだよ。で、唇を少し閉じて腹式呼吸をすれば…ほら」
簡単そうにチャルメラのメロディーを奏でてみせる。
モモさんの言う通りに、前歯の裏に舌をくっつけて、唇を少し閉じて息を吐く。
しかし、掠れきった間抜けな音が弱々しく宙を舞うだけだった。
「んー、難しい」
「最初はそんなもんだよ。練習あるのみ」
「そんなもんですかね」
「ドラムのリズムキープに比べれば、はるかに簡単だと思う」
「あー、そう言われたら出来る気がしてきた」
繰り返し何度も口笛を鳴らす。その度掠れた変な音が勢いなく垂れ流されるだけだった。
と、そんなことをしてるうちに、チャイムが鳴り響いた。次いで、やや無機質な女性の声が響き渡る。光化学スモッグの注意報だ。
その音に気づき、腕時計を見る。
時間はもう11時を超えていた。
「あ、お昼ご飯作らないと」
「そうかそうか。じゃあな」
呆気なく手を振る。
ちょっとそれが私にとっては悔しくて、どこか名残惜しくもあった。
足を止めていた私に、モモさんは投げかける。
「帰らないのか?」
「モモさん、今度私が来る時は、ここにいますか?」
「どうだろうなー。気分にやるからなー」
缶ビールを口につけた、子供のような笑みを浮かべる。
「まあでも、ヤマブキが心の底から俺と話したいと思った時、俺はここにいるよ」
「本当ですか?」
「多分ね」
缶ビールを足元に置いて、上から思いっきり踏み潰す。煎餅みたいに平べったくなった。
「じゃあ、また来ます」
「ああ。じゃあ、またな」
「はい、また今度」
モモさんは手を振る。
私も手を振って、閉まっていた扉を開いてその場を後にしようとする。寸前、止まって、振り返る。
モモさんは、まだ手を振っていた。