カゲロウ 作:Mr.未来Speaker
いつもよりおめかしをした私のクラスの担任は、いつもよりも背筋を伸ばして、いつもよりも穏やかな口調で話を進める。
「沙綾さんにはある程度イメージを持つよう、二者面談の時に言ってまして」
「そうなんですか」
「あら、もしかして聞いてない感じですか?」
「はい、何も」
真夏の真昼。
外ではミンミンゼミが鳴いていて、部活動中の、あまり顔を知らない後輩たちが練習に励んでいる声が耳に入ってくる。
「沙綾、大学はどこにするか決まってるの?」
「うーん。あんまり」
「イメージは出来たのかしら?」
「漠然と、ですか?」
「そうね。漠然と」
何度も漠然という言葉を意識して、自分の将来姿をイメージした。でも、自分の姿は靄がかかってよく見えなかった。
何度イメージしても靄がかかっていて、多分これは解決しないなと思って、結局何も出来ずに今日という日が来た。
だから、私が導き出した答えは、1つだ。
「わからないです」
「…わからない、か」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で呟いて、そして保護者を前にしているというのに、だらしなく項垂れた。
「まあ、なんとなくそんな感じはしたけど」
「すいません先生。でも、本当にわからなくて」
だって答えは、風の中で舞っているから。
私はまだ風を掴めてない。見えてない。聞けてない。
答えを見つけるには、まだ時間がかかりそうなのだ。
「それでも、あなたが見つけた答えがそれなら、私は尊重します」
先生はジャケットの胸ポケットのボールペンを取り出して、1回だけノックボタンを押す。
そのペンで、書類に何かを書き記す。
「大学は、もう決まっているでしょう?」
「はい、もう、なんとなく」
「後はあっち次第ってこと?」
「そうですね」
「いいわね、楽チンで」
微笑の顔で軽くため息をこぼす。嫌味とかじゃなくて、賛辞の篭ったため息だ。
「そうこうで、沙綾さんはこんな感じなんですけど…お母さん、何かありますか?」
「いえ、何も。私ももう、なんとなくはわかってますから」
母は優しく笑う。
私の思考を、どうやら汲んでいるようだ。
「では、そういうことで、沙綾さんの三者面談は終わりです。宿題ちゃんとやりなさいよ?」
「やりますよ、ちゃんと」
眼鏡をかけ直して、先生は書類の整理を始める。私の後にももう1人、クラスメートが待機しているのだ。
「では、我々はこれで失礼します」
「はい。私もこれで」
母と先生が、礼儀正しく頭を深く下げる。私も2人に倣って深く礼をする。
「山吹」
去り際、先生が私を呼び止めた。
妙に畏まった名前呼びのさん付けじゃない、いつもの容赦のない、自然な苗字呼びだ。
「これ、あげる」
そう先生に手渡される。
袋にたくさん入った白いマシュマロだ。
「いちごマシュマロですか?」
「んーん」
右手の人差し指を横に振り、整った白い歯を見せて笑う。
「ただのマシュマロ」
そう言って、先生は赤色の飴玉を口に入れた。
* * *
「沙綾」
帰りの道の途中、母が静かに呼かけた。隣を歩いているが、母の顔はよく見えない。
「あなたは、やっぱりお父さん似ね」
「えっ」
父の、少し間の抜けた優しい顔が思い浮かぶ。
誰に対しても優しくて、誰からも慕われるみんなの父だ。
「そうかな」
「ええ。ノープランなところとか」
「もしかして、怒ってる?」
なんだか、切れ味の鋭いナイフで切られた気分だ。見事過ぎて、少し拍手もしたくなる。
「怒ってはないわよ。でも、あなたのさっきの答えを聞いて、お父さんを思い出したものだから」
そう言う母の声は、少し若返ったように聞こえた。
思い出してるのだろう、遥か昔の、父との出逢いを。
「お父さんの不思議な特技に、ノープランで行っても成功するっていうのがあるの」
「なにそれ、すごっ」
「ええ、本当にすごいのよ。私へのプロポーズも、その場の勢いでしたんだから」
「うわー、ロマンのカケラもない」
オンナ心をわかっていない人だな、と乾いた笑いしか出ない。顔からして、まあそういうのには鈍そうなのだが。
「でも、その結果があなたなのよ、沙綾」
歩きながら私の頭に手を置く。
「あなたのノープランは、お父さんと同じで、良い方向に向くわ。自信を持ちなさい」
これは、父をダシに使った、母なりの私はの鼓舞なのだろう。普段は優しくて、あまり怒らない人だから、きっとこういう時になんて言っていいのか、わかってないのだ。
だから私は頭の上に置かれた母の手の上に自分の手を重ねた。
「ありがとう」
今日、母の笑顔を初めて見た。
夕食の片付けをしている最中、テレビから賑やかな声が聞こえてくる。
どうやら芸能人が何処かロケに出かけているらしい。それを弟の純が食い入るように見ている。
「純、もうちょっと離れないと目悪くするよ」
「うん」
話を聞いてない、心ここに在らずといった返事だ。
「お姉ちゃんー」
「んー?」
呼ばれて、白い丸皿を片手に、純が座り込んでいる居間に視線を向ける。だが純は、テレビから目を離そうとしない。
「お姉ちゃんはさー、ひまわりって見たことある?」
「ひまわり?」
「うん、そう」
ひまわり。
大きくて、みんなを包み込むような、夏に咲く綺麗で可愛らしい花。
テレビ、本、インターネット。そういった媒体では見たことあるが、実物を見たことは思い出してみれば無い。
「見たことないかも」
「えっ、マジで」
「マジマジ。意外と見る機会ない花なんだよ」
「へー、意外」
「ひまわりか」
ノープランな父が台所から顔をひょっこりと出す。
「お父さんは見たことある?」
「あるよ、数回だけだけど」
「どうだった?」
「割と大きかったなー。あと、いっぱい咲いてた」
40を超えているというのに、小学生ですら書かないような感想を述べる。
「ひまわりかぁ、見てみたいかも」
見たことがないから、1度は実物を見てみたい。″夢見るSunflower″という曲を私たちで作ったぐらいだ。元ネタの花を見ておかないと、バチが当たるというものだ。
「香澄たちと行ってみようかな」
「えー、オレも連れてってよー」
「はいはい、余裕があったらね」
香澄はもちろん、有咲やおたえ、りみりんも連れて行くと言ったら賛成してくれるだろう。
「ほらー、お風呂入ってきなよー」
「やーだー」
嫌がる純の手を引っ張って強引に風呂場に連れて行く。
相変わらず、我が家は騒々しい。
* * *
バンド練習終わり。
オレンジ色の陽が空を覆い、とても幻想的で、けれども疎外感を感じる景色となる。
河川敷と並列している砂利道を、ドラムスティックを両手にイメージトレーニングをしながら歩く。
河川敷の横を歩いているためか、心地の良い涼しさが暑さから私の肌を守ってくれる。
すると、いつもよりも遠回りの道を進んでいたからか、図書館のあるコミュニティセンターの正門の前に来ていた。
––––––いるかな、モモさん。
私に1つの答えを示してくれた、ちょっと変わったヒト。
これは昨日の夜、お風呂に入りながら口笛の練習をしていた時に気がついたことなのだが、あの人とお話しをすると、とても気が楽になる。
見た目は怪しくて、言動も正直言うと変なのだが、そこに嫌悪感というネガティブな感情は湧かない。何だろう、これは。
––––––心の底から俺と話したいと思った時、俺はここにいるよ。
なんて、キザなことを言った人だ。
今、私はあの人と話したいと心の底から思っているだろうか。
″風に吹かれて″のメロディーを口笛で吹く。
あの日に比べて、少しは上達したと思っている。
まだちょっと掠れている音色を聞いて、私は正門をくぐった。
答えは風の中で舞っているのだ。
防火シャッターみたいな大きな扉を開けて、蒸し暑い、天国への階段を登る。
登りきって、屋上に辿り着く。辺りを見回すと、すぐ隣でモモさんがコンクリートの壁に背を預けていた。
急に視界に入ったものだから、少し驚いた。
「こんにちは」
「なんだ、また来たのか」
吸っていた煙草を壁に押し当てて潰す。黒い痕がグレーのコンクリートに彩られた。
「どうした?」
「話したかったので」
「それだけ?」
「モモさん言ったじゃないですか、話したい時にいるって」
「言ったっけ、そんなこと」
惚けるように頭を掻く。
「また悩み相談?」
「いえ、そうじゃなくて」
階段に通ずる扉を境界線に、私とモモさんは腰を下ろす。
「モモさんのこと知りたくて」
「俺のこと知ったところで、テストで良い点は取れないよ」
「元々それなりに取ってるんで大丈夫です」
「さいですか」
モモさんは黒色のスニーカーの靴紐を直す。煙草を箱から取り出すが、火を付けないで口に咥える。
「モモさんってこの街に住んでるんですか?」
「いいや。どこにも住んでない。俺は根無しのしがない旅人だよ」
旅人。
普段の生活であればあまり聞かない単語ではあるが、不思議と彼には似合っているな、と感じた。
「旅人って」
「意外だった?」
「あまり」
「うーん、やっぱり旅人っぽいのか、俺」
頬をポリポリ、と搔く。
「俺のことなんて、それぐらいだよ」
胸ポケットから使い捨てライターを取り出して、火をポッと付ける。ゆらゆらと陽炎のように揺れる火をボーッと眺め始めた。
「わかりました。モモさんは旅人なんですね」
「ああ」
私は立ち上がって、鮮明にオレンジ色に染まった太陽に向かって伸びをする。
「モモさん、ひまわりって見たことありますか?」
「うん?なんでまた」
「なんとなくです」
オレンジ色の太陽が、ひまわりに見えた。それで昨夜の話題を思い出したのだ。世界で最も知られている花だけど、多分最も直接見る機会の少ない花。
「見たことはあるよ。知ってるもん、ひまわりがよく見れる秘密の名所」
「えっ、本当ですか?」
「嘘なんてついてどうすんの。ここからそう遠くはない所にあるよ」
「へー」
近いなら、香澄たちを連れて見に行けるな。
「何処ですか、それ」
「教えない」
「え?」
まさかすぎる回答に、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして声をあげる。正直、予想してなかった。
「なんで」
「秘密は教えたら秘密じゃなくなるだろ?」
言われて、不思議と腑に落ちてしまう。彼は何かそういう話術を持っているのだろうか。
「まあ、気が向いたら教えるよ」
「いつ頃になりそうですか?」
「さあ?」
ちょっとムカついた。こうなったら気が変わるまで、若しくは気を変わらせるまでモモさんと会って話そう。
カチッ、と付けていた炎を消す。その使い捨てライターを胸ポケットではなく、ズボンのスラントポケットにしまった。
と、同時だった。
17時を知らせる音楽が街全体に鳴り響く。哀愁さを漂わせた音色だ。
「良い子は帰る時間だ」
「そうですね。帰ります」
「おまえって良い子なんだ」
「意外でした?」
「あまり」
悪戯っ子のような笑みを浮かべ、気怠そうにゆっくりと立ち上がり、落下防止用の鉄柵に向かって、背中を預ける。
「じゃあな、ヤマブキ」
「はい、それじゃあ」
立ち上がって、モモさんに背を向けて歩き出す。カチッと音が鳴った。たぶん煙草を吸い始めたのだろう。
手を振ってくれるかはわからないけど、私は前を向いたまま手を振った。階段をコツコツと降る。
″風に吹かれて″のメロディーを口笛で吹く。でも音は掠れっぱなし。残業して、その無様な音がいつもよりも良く聞こえるので、口笛をやめて、鼻歌に切り替える。
仄かに暗い通路に響く鼻歌。壁や当たって弾けて跳ね返って、また壁に当たって跳ね返っての繰り返し。
こんな、閉鎖的でジメジメした所に風が吹くわけなんてないけどさ。
扉さえ開ければ、心をふわりと浮かせて、自然と笑みをこぼさせてくれる風が吹いてくれるよ。
ボブ・ディランがそう言ってくれてる気がする。
階段を下りきって、防火シャッターの扉を開ける。
冷房の、冷たい風が私の体を包み込んだ。