カゲロウ   作:Mr.未来Speaker

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4話

 

 台風がやってきた。

 この街は強風域の少し端にかかってる程度ではあったが、その猛威は日頃の嵐の2.5倍といったところだった。

 雨は弾丸のようにアスファルトを、屋根を、壁を打ち付けた。風は家を薙ぎ倒すように吹き、我が家はまさに籠城状態だった。

 強風の轟音に怯えて泣き出す紗南を宥めて、年に数回見れるか見れないかの台風に興奮して暴れる純を治めたりと、城内も慌ただしかったけど。

 

 家族総出で純の暴動を治め、ベッドに寝かせた––––––否、縛り付けた。

 

「なぁ、お姉ちゃん」

 

 布団を被せて部屋を出ようと純に背を向けた時だった。

 体力を使い果たしたはずの純は、この時間にしては珍しくハッキリとした声と呂律で私を呼んだ。

 

「なに?」

「ひまわりってさ、倒れるのかな」

 

 外で猛威を振るう台風、その中で可憐に咲いている彼らを心配しての言葉なのだろう。

 

「さぁねぇ…」

「チューリップとか、ラベンダーは倒れるよ、きっと。あいつら小さいし」

 

 家の前で花壇に植えている花の名を言う。確かに、あそこに咲いているのは綺麗だが、小さくて細い。

 

「でもさ、ひまわりって、父さんが言うにはデカイらしいんじゃん」

「そうだね」

「どんぐらいデカイかわかんないけど、デカイならそう簡単に倒れないんじゃないかなって」

 

 純の疑問は最もだ。というか、その疑問を聞いて私も腕を組んで首を傾げたほどだ。

 スマートフォンのアプリで、ひまわり、と検索する。開いた記事によると、ひまわりは大きいもので3mにもなるらしい。

 

「ひまわりって、3mになるらしいよ」

「めーとる?」

「だいたい私が2人ぶんぐらいかな。お父さんよりは大きくなるってこと」

「えっ、マジでっ?」

 

 初めて知る事実に目を輝かせる。うん、それでこそ子供の反応だ。

 

「でも、大きくても打たれ弱い人だっているでしょ?」

「うん、父さんとか」

「そうだね、最たる例だね」

 

 私が少し小言を言っただけでショックでしばらく立ち直れなくなるほどだ。

 

「そんなお父さんみたいに、バーって風に当てられると、倒れちゃうひまわりだってあるんだよ」

「大きいのに?」

「そ、大きいのに。十人十色。倒れちゃう子もいれば倒れない子もいる」

「ふーん」

 

 私の話を聞いているうちに眠くなってきたらしい。声は間延びして、語尾もあやふやに消えかかっていた。

 

「つまり、ひまわりだって倒れるってこと。大きい花だけど、結構センサイなんだと思うよ」

「そっかぁ」

 

 はだけた布団をかけ直す。気持ちよさそうに純は笑った。

 

「じゃあさ、お姉ちゃんさ」

「うん」

「見に行ったらさ、教えてよ」

 

 普段のはしゃぎ回っている活発な顔ではなくて、子供らしい無邪気で屈託のない笑顔だった。

 

「うん。教えるよ、今度」

 

 見に行く予定なんて、無いんだけれど。

 弟の願いを叶える口約束ぐらい、作るのは姉としての役目だろう。

 

「楽しみにしてる」

 

 お湯をかけたらふっと溶けてしまう雪のように言葉を紡いで、純は目を閉じて静かに、寝息を立てた。

 

 

* * *

 

 

 ぼんやりと、ひまわりの輪郭が見えた。

 

 最初は戸惑ったけど、1回深呼吸をしたら、これは夢だ、とすぐに理解した。

 ここにいるはずなのに、何の感覚もない。固いはずの地面は、トランポリンのように弾力がある。

 

 そんなあやふやな世界で、モモさんの声が響く。笑い声。鼻を鳴らして、口笛を吹く。″風に吹かれて″のメロディーだ。相変わらず上手な口笛。

 

 拍手をしようと手を動かすけど、水の中に沈んでいるかのように上手く動かせない。

 その代わり、ひまわりの輪郭がよりはっきりと視認できるようになっていった。

 

 はっきりと見えるひまわり。

 響く口笛。

 動かない両手。

 

 陽炎は、私の前で踊っていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 朝、目が覚めた。思わず声に上げてしまうほどに暑かった。涼しさとか、趣が無い、純粋な暑さが肌を覆い囲んでいた。

 

 シャワーを浴びて白のショートパンツに、チェックのシャツを着て袖をまくった。3個の飴玉を手に取って、うち1個を口に放り込む。これで頭が良く回る。

 窓の外は今年で1番と言っていいぐらいに明るかった。

 

 頭の中で垂れ流しにローテーションされている″風に吹かれて″の口笛。陽炎の正体を知りたかった私は、モモさんの元へと向かおうと地を蹴った。

 

「あら、何処かにお出かけ?」

 

 店の前に散らばった葉っぱたちを、竹箒で掃いている母はそう投げかける。

 

「うん、ちょっとそこまで」

 

 行く先に向かって指を指す。

 

「そう、行ってらっしゃい。気をつけてね」

 

 微笑んで見送ってくれた。

 

 

 台風一過による猛暑は、道を行く私を大いに苦しめた。自動販売機で購入したミネラルウォーターでは歯が立たない。

 

 耐えられなくなった私は、バスを使った。そんなバスなんて使うほどの距離でも無いのに、暑さというのは凶暴だ。

 バスの中には私と同じ考えをした人で溢れていた。ある意味、暑い。

 

 バスから降りた私は、汗をかかない程度に走って、コミュニティセンターへと入った。

 入った瞬間に体を包む冷気。足を止めて、2、3秒ほど冷気を体に当てた。

 

 この涼しさを、座ってゆっくりと味わっていたい。

 そんな欲を抑えて、図書室を素通りして、私とあの人だけが知っているであろう

秘密基地の道を早歩きで往く。

 

 扉を開けて、階段を昇る。覚悟はしていたけど、想像以上に中は蒸していた。「ヤバヤバっ」、と口にしながら駆け上がった。

 

 階段を昇りきって、鍵をの意味を成していない扉を開けた。熱風が顔に当たって、思わず1歩退いてしまう。

 踏み止まって、辺りを見回す。

 

「ありゃ」

 

 そこに、モモさんの姿は無かった。

 それはそうだ。今までも暑かったとはいえ、台風一過の暑さを凌ぐほどではなかった。

 むしろ、この暑さの中で、缶ビールを片手に煙草をくわえて、ここで黄昏ている方が可笑しいというものだ。

 

「まあ、そんなものか」

 

 電源が落ちたように、どっと汗が生まれて身体中に流れた。

 

「あっついなぁ…」

 

 背中を流れる汗は冷たかったが、やがて熱風が肌に当たって、まだ真っ赤な太陽が髪を焦がさんとばかりに照っていた。

 

「帰ろ」

 

 誰もいない屋上で、誰に言い聞かすわけでもなく、ダレた声でそう呟いた。

 

 

 そんな帰路の途中だ。

 この街じゃ1番大きな公園に併設されているテニスコート。そのテニスコートのすぐ隣の駐車場に、その人はいた。

 

「なんでここに」

「こっちの台詞です」

 

 白のシャツの袖をまくって、いつもの黒いパンツに身を包んだモモさんはそう言う。芸能人のようにサングラスを付けているため、その表情は伺いきれない。

 

「俺はアレだよ、アレ」

「アレって?」

「車ン中で涼んでた」

「車あったんだ」

 

 そう声を漏らすと、彼はすぐ隣に停められていた黒色のジープのドアをゴン、と叩いた。

 

「わっ、高そう」

「たけェよ、実際」

「どこにそんなお金が」

「湧いてくるの、日頃の行いがいいから」

「世界ってザンコクですね」

「どういう意味だよ、それ」

 

 サングラスを外して鼻で笑う。この類を見ない暑さだからか、いつも以上に声に覇気がない。

 

「モモさん、いつも同じカッコウですよね」

「ん、ああ、まあ、そうだな」

 

 手をパタパタと団扇がわりに扇ぐ。あまり効果は無さそうだ。

 

「もっと夏らしいのにすればいいのに」

「これしかないんだよ。いや、正しくはこういうのしかない」

「ちなみにメーカーどこ?」

「外。海外。オーダーメイド」

「さすがお金が湧く男」

 

 ますますモモさんの素性が掴みづらくなった。

 この人は人じゃないように見える。いや、人だ。それは間違いない。ただ、在り方が違う。他の人たち––––––私も含めた––––––が石だとすれば、モモさんはさながら陽炎。そこに見えるのに、掴むことはおろか、触れることすらできない。ユラユラとそこで浮いて、嘲笑うように踊っている現象なのだ。

 

 昨晩、夢で踊っていた陽炎。

 正体はわからないけど、あの時歌っていた彼ならわかるはず。

 

「まあ今日は勘弁してくれ。暑くして仕方ないんだ」

「私いま、羊です」

「迷える?」

「はい、迷ってます」

 

 面倒くさそうに息をこぼして、箱を取り出してタバコを1本くわえて火をつける。再び白き息を吐いたところで、私を見下ろした。

 

「神父は教会から出たら、無職なわけだ。十字架を持ってようがね」

「はぁ」

「つまり、ここはあの屋上じゃない。よって、俺は羊の言葉を聞く必要もない」

 

 なんて、子供みたいな言い訳を、これまた子供みたいなドヤ顔で言い放つのだ。

 

「でも、悩み事じゃないです」

「じゃあ、なに」

「話したいんです、単純に。モモさんと」

 

 今この場で作った理由でもあるけど、私の本心に従った言葉でもある。モモさんは悩ましいと言わんばかりに頭を掻く。

 

「わかったよ。なに、競馬の話でもする?」

「モモさんがそれがいいというなら」

「冗談だよ」

 

 助手席のドアを開けて、シートの上に置かれていたペットボトルを拾って渡しに投げ渡す。買ったばかりなのか、冷たかった。

 

「実は私、いま恋してるんです」

「そりゃめでたい」

「嘘です」

「進学先落ちちまえ」

 

 興味深そうに目を開いたが、すぐに口を尖らせる。

 いただきます、と一礼をすると、「ん」と素っ気なく返した。味は普通のミネラルウォーター。でもこの暑さの中だと、いつもよりも2倍も3倍も美味しく感じる。

 

「でも、気になってる人はいます」

「嘘だろ」

「ホントですよ」

 

 私のちょっとしたウソに、モモさんは疑心暗鬼だ。

 

「その人は陽炎みたいな人なんです」

「へぇ」

「嘲笑うように、私の記憶の中で踊ってるんです」

「ムカつく野郎だな」

 

 たばこに火をつける。それを見送って続ける。

 

「その人が、気になってるんです」

「オトコ?」

「男です」

「へー」

 

 思いっきり息を吸って、白い煙を吐き出す。すると、シニカルに笑って、灰を落とした。

 

「ま、そいつがラブの方で好きなら告ればいいんじゃないの」

「その心は?」

「ガキだからだよ、おまえが」

 

 人差し指と中指で煙草を持つ。モモさんは興味なさげに、アスファルトにへばりついた緑色のチューイングガムを削り取ろうと、靴底をガリガリと鳴らす。

 

「ガキは馬鹿みたいに青春してろ。笑って泣いてへこたれて、ガキだからこそ許されるんだよ、そういうの」

「逆ナンしまくれってこと?」

「それもまたいいな」

 

 私の冗談に、歯を出して笑う。

 ああ、うん。なるほどな。

 

 この人、オトナだ。

 

 当たり前の事実を、再度認識して、頷く。

 なんとなくだけど、私、この人のことは嫌いじゃない。

 

「モモさん」

「ん?」

「好きです」

 

 魚の死骸のように浮かんできた言葉を、ハッキリと読む。

 シチュエーションもムードも、何もかもを考慮してない。刹那的で衝動的な告白を、3秒と一言で済ましてみせた。

 

「バカ」

「好きです」

「バカだな、おまえ」

 

 面食らったように私を見返していたが、やがて子供のような罵倒を浴びせる。

 

「え、なんで」

「なんとなく」

「適当だな」

「適当って良い言葉ですよ」

「知ってる」

 

 私のクラスの担任の教師のように、何かないかとポケットを弄ると、飴玉が入っていた。今朝とったやつだ。

 

「いりますか?」

「いただく」

「イチゴ味がいいですか?」

「レモン」

 

 黄色い方を差し出すと、袋を開けて、飴玉を口に入れる。

 

「逆ナンですよ、モモさんの望む」

「違う。ただの告白。それも嬉しくない、な」

「嬉しくないんですか、現役JKに告白されて」

「まったく。おまえ以外なら少し違ったかもしれないけどな」

 

 飴を噛み砕く音が聞こえる。

 

「私、本気ですよ」

 

 色を帯びてない言葉を紡ぐ。

 

「嘘、だな」

 

 その言葉を真っ黒に塗り潰す。輪郭は消されて、原型はそこに無かった。

 

「なんでそんなに否定するんですか」

 

 崩れ落ちそうな灰で侵されたタバコをそっと力無く離して落とす。音もなく地に着いたそれを、先ほどまでガムを削ろうとした靴底で踏み潰した。

 

「気の迷いだよ、その感情は」

「なんで断言できるんですか」

「わかるんだよ。俺はオトナだから」

 

 特に笑うわけでもなく、無表情で無感情にそう断言した。

 その言葉はピストルから放たれた弾丸のように私の胸を撃ち抜いた。やがて染まり広がっていく血のように、その言葉は心の中を侵していった。

 

 いつだってそうだ。オトナは、正しいことしか言わない。

 お父さんだって、お母さんだって、先生だって、モモさんだって。

 

 彼から放たれた弾丸は、凶悪犯に向けられて放たれるモノと同じ意味だ。

 

「……わかりました」

 

 私のこの衝動的な恋が正しいものなのかそうじゃないのかは、たぶん今の段階ではわからない。

 

「じゃあ、デートに連れてってください」

「は?」

 

 乾いた声を上げる。

 

「ひまわり、見に連れてってください」

 

 吹いた風は涼しかった。

 答えは風の中で舞っている。

 決して陽炎のように踊っているわけではない。

 

「そしたら、答えがわかるはずだから」

 

 私の言葉を黙って聞いていたモモさんは、鼻を鳴らしてポケットに手を突っ込んだ。気取ったように親指だけを出して。

 

「ああ、わかったよ」

 

 呆れたようにそう言う。

 

「明日、行こう」

 

 車のドアを開けて、運転席に腰を下ろす。私を一瞥もせず、そこから去って行った。

 

 燃える太陽。茹だるような気温。肌にまとわりつく熱気。

 馬鹿馬鹿しい程の真夏の中、エンジン音だけが猛々しく轟いていた。

 

 

 

 


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