カゲロウ 作:Mr.未来Speaker
山吹ベーカリーの業務用のバンとよく似た、野太いエンジン音が鳴り続けている。この車は最新型だからか、クジラの鳴き声のように篭って聞こえた。
助手席の窓から景色を眺める。幼少期からずっと過ごしていたこの街。道の大まかな長さ、営業しているかわからないボロボロなラーメン屋、ブランコしか遊具がない公園、そこでサッカーをする子供たち。
全ては見慣れていて、この街の当たり前となっている景色だ。
でも、そんな景色も、学校へ行くわけじゃない、ひまわりを観に行くという別の目的を持つことで、全く違うものに見えた。
私の隣で、黙々と前を見ながらハンドルを回すヒト。
小洒落た青緑色のソフト帽を被って、事故を起こさないようにと気を張っているのか、その横顔はいつもよりも真剣だ。
「この助手席…」
「ん?」
「ここの助手席、最後に他の人乗せたのっていつ頃なんですか?」
私に一度目をやった後、左手をハンドルから離して「1、2、3…」と口にしながら数える。
「まぁ、4、5年前か。後部座席の、おまえのすぐ後ろ。そこにはガキを乗せたことが去年あった」
「どういう経緯ですか、それ」
「トランスポーターだよ」
ニヤリ、とシニカルに笑ってブレーキをかける。目の前の信号機は赤色だ。
途中で立ち寄ったハンバーガーチェーン店でお昼ご飯。彼はアイスコーヒーだけを注文した。
「いらないんですか?」
「腹減ってないんだ」
「そんなんで後から空いても知りませんよ」
「いーの。俺は小食なんだよ」
そう言ってストローに齧り付く。透明なプラスチックの管に薄黒い液が昇っていく。
再び目の前に集中してハンドルを切る。たまに話しかけるが、いつも以上に素っ気ない答え方をしている気がする。
昨日までは味があった彼の声は、リビングのダイニングテーブルに作り置きされたままの夕食のように味気が無かった。
やがて話すこともなくなって、ただ外を見た。山や谷とまではいかないが、丘や窪み程度の起伏で変わっていく景色。アスファルトの色も僅かに違っていて、コンクリートに描かれたキャッチーなキャラクターのペイントアートも増えていっては消えていった。
そんな私に気を遣ってくれたのか、モモさんはラジオを点けてくれた。FMだ。聴いていて落ち着く、低く凛とした女性の声が、初めてギターを買って弾いた日のことを話していた。
曰く、ピックの存在を知らなくて、買ってから暫くは指で弾いていたらしい。アコースティックギターでは指弾きもよくするとおたえから聞いたことがある。
遥か昔の自分を懐かしんで笑う。「さて、それではここで1曲」、と切り返す。
相変わらずの落ち着いた声で、「BUMP OF CHICKENで天体観測」、と読み上げる。
ノイズ混じりに始まった、流れ星を表したしたという7つのパンクなギターサウンド。
青春の1つをシーンを表した青々しい詩が、正統派なバンドサウンドに乗って紡がれる。
「バンプですね」
「知ってるのか?」
「当たり前ですよ」
何気なく呟くと、運転に集中していた彼は何気なく反応してくれた。
「この曲、好きなんです」
「へぇ、なんで?」
彼はたぶん、私を一瞥もせずにそう尋ねているのだろう。私も彼を見てはないけど、なんとなくわかる。
「青臭くて。バンド始めたら、更に良さがわかったんです」
絶えることなく変わり続ける景色を眺めながらそう言う。
「ふーん」
アイスコーヒーを啜る音が聞こえる。
「若いなァ」
誰かに言ったわけでもなく、ただ彼は空気にそう吐き出した。
* * *
1回のトイレ休憩を挟んで、その場所に辿り着いた。
田舎道だ。アスファルトじゃない。ずっと昔からある、純粋な土の道。
人の気配はなくて、青と緑と橙色だけがあった。シンプルな配色なだけに、とても鮮烈に記憶に残る。
「すごい」
「穴場だよ。誰にも言うなよ?」
人差し指でしーっ、とポーズをとる。
すると、静かにブレーキをかけた。ギアをガチャガチャと変えて、名前のわからないレバーを引く。道のど真ん中だ。だというのに、ここが駐車場であるかのように、当たり前の挙動で車を降りた。
「少し歩くぞ」
「ここから?」
そう聞く私に向かう方向に指を指す。
「こここらは道が不安定なんだ」
「…わかりました」
だというなら仕方がない。彼の言葉に従い、私は歩き出した。彼も私の背後をついて行く。やがて追い抜いた。
歩いて、歩いて、歩いて、歩きまくった。景色は変わらなかった。速度の違いだろうか。
額を流れる汗を拭おうとした時だった。
「失礼」
と、彼の声が聞こえたと同時に、視界が真っ黒になった。先ほどまでのシンプルな色合いの景色は、たった1色の、面白みのない景色はと様変わりだ。
「歩け。出来るだけゆっくりで」
「……」
まあ、彼のやりたいことはなんとなく察しがつく。ベタだ。意外と。
人質のようにゆっくりと歩き出す。背後で彼が歩きだす気配を感じた。
1歩1歩、踏みしめる。足元が見えないということもあるけど、踏みしめなければ、これが最後になると感じたからだ。
何歩。いや、何十歩踏んだかを数えたのやめた頃だ。
「止まれ」
声だけだと本当に人質になった気分だ。
要求通りに足を止める。
「目ェ閉じてろよ」
「はいはい」
目を閉じる。真っ黒から真っ黒になっただけ。目を開けてるか開けてないかの違いになっただけだ。
瞼から微かに感じれていた体温がなくなったのを感じた。
手を離したのだろう。
「開けてみ」
出来る限り勿体ぶって開けてみる。ハードルを上げている、とも言えるかもしれない。
ゆっくりゆっくり。さっきまで歩いていたのと同じようなスピードで。
風が瞼を冷やした。
まつ毛を揺らした。
黄色と緑の世界が広がっていた。
「わぁ」
私よりもうんと大きいひまわり達。可愛らしい名前とは裏腹に、とても大きくて、意外と重圧感がある。
森の中にいるみたいだ。きっと、ここから見上げる景色は、世界中のどんな世界遺産よりも綺麗で目に焼き付く。
穴場といえば穴場だけど、もはや別世界のように感じる。
「すげェだろ」
きっとめちゃくちゃドヤ顔でニヤついている。
「はい、とっても」
そのドヤ顔を認めるのはなんだか癪ではあるのだけど、この絶景を否定するのは気がひける。素直に認めることにした。
「なんだか、違う世界みたい」
思ったことを読み上げる。けどそれは機械的じゃない。とても素直な人間的な感情からだ。
「違う世界だと思ってる。俺は」
「なんでですか?」
「見ての通り、違う世界みたいだからだよ」
そのままだ。
自分の瞳に映る異世界に従ったが故の見識。
「俺はここで生まれたんだ」
唐突に、そんなことを語り始めた。
「親の顔や名前も知らない。気づいたらここにいたらしい。たまたまここを通りかかった農家のおっさんに拾われたんだ」
低く、少しがなりの効いている声。でもいつものような軽快さはなく、ただ重くて硬いだけだった。
いつもよりもシリアスな語り口調。
「嘘ですね」
でも、彼は私の前では真実なんて話さない。
迷える子羊には答えを示す牧師だけど、ただの女の子には嘘をつくペテン師。
そんなこと、私はわかりきっている。
久しぶりに、彼の横顔を見る。
への字口だったが、やがてニヤリと白い歯を見せて笑った。
「どうだかな」
そういってタバコを取り出す。口にくわえて、慣れた手つきで火をつける。控えめに吸って、控えめに白い煙を吐き出す。
スポットライトのような太陽の光に差されていて、まるで舞台の主役だ。
「あ…」
少し前に進んで、左前付近に目をやると、くの字に曲がっている、ひときわ小さなひまわりがあった。黄色になるはずだった花弁は茶色く、まさに死体だった。
「あーあ」
彼は他人事のように声をあげる。
「なれなかったんだな。悲しいこって」
死んでしまっているひまわりに近づいて屈む。その花に、線香の煙のように、口から白い煙を吐いてかける。
「バチ当たりますよ」
携帯灰皿を取り出して、その中に灰を落とす。
「当たってもいいよ。もう当たってるようなもんだからな」
まだ充分に長いタバコを携帯灰皿に押し潰し折って強引に入れる。
「先戻ってる。ここからまっすぐ戻ったら車あるから」
ソフト帽を深くかぶり直して、颯爽と去っていく。
彼が去ってからも暫く、私はひまわり達を見回っていた。たまに聞こえる鳥の囀りは、この世界の異質さ助長している。
折れているひまわりは他にもあった。たくさんあった。台風によるものなのか。それとももっと昔に折れたものなのか。わからないけど、悲しいことだった。
かわいそうに。
少し違えば、あなたも他のみんなみたいに悠々と太陽に向かって背を伸ばして、空を見上げることができたのだろうに。
センサイなそれらは、私たち人間のようにも見えた。
「……なんて、大きなお世話だよね」
遺体となったそのひまわりに、優しく語りかける。
あなた達だって生きている。私たちと同じように。
お墓を作るだなんて大それたことはできたいけど、あなたを見れてよかった。
「じゃあね」
そう微笑む。
緑色に囲まれた道を歩く。ひまわり達に見送られるように。
壮大で雄大なその花々に背中を押されて、私は終わりを確信した。
* * *
「タバコ、吸わせてください」
帰りの車。
オレンジ色に支配された空の下で、私は禁断の味を要求した。
「嫌だよ」
「受動喫煙なんて今更じゃないですか」
「そうじゃない。未成年喫煙はその場にいた大人が責任を負うんだよ」
「誰にも話しませんよ」
口だけでは軽い。
彼は訝しげに私に視線を送るが、やがて諦めたように深いため息をこぼし、箱を投げ渡した。
「1本」
「ありがとうございます」
1本取り出し、口でくわえる。火をつけてないのに、なんだか変な味がする。
使い捨てライターを渡される。
「使い方わかるか?」
「わかりますよー。一応職場でよく使うので」
カチッ、という音ともに火が姿を表す。先端を火につける。
「吸え。付かないぞ」
すーっ、と思いっきり吸う。すると突然、何か引っかかる風が喉に侵入した。
バーベキューとかでたまにある、煙を吸った時の感触と同じだ。喉が痛い。何かを出そうと咳き込む。
「いきなりそんな吸うからだよ」
呆れのこもった声が聞こえる。
そんな声をよそに、私は再び吸い始めた。少しだけ、控えめに吸う。辛くて苦い、まったく美味しくない味が口の中で広がった。
口の中でただただ広がっていて、喉に入ると痛くて、鼻は犯されたように変な匂いでいっぱいだ。
「……あまり美味しくないですね…」
「そりゃそうだろうよ、初めてならな」
これがオトナの味なんだ。
そう思うと、オトナってすごいなと思う。こんな味を好む人だっているんだ。
煙が車内に充満する。彼は窓を少し開けた。涼しい風が煙とすれ違って入ってくる。新鮮で美味しい。
目の前で余裕な表情を浮かべて立ち尽くすオレンジ色の陽。彼は遮光板を下ろす。
私はと言うと、眠気が出てきた。
海の中で浮かんでいるような感覚に陥る。時折落ちるような浮遊感も感じながら、スローモーションに進む対向車を眺めていた。
「すいません……少し…寝ます…」
眠気に弄ばれた私は、降伏するように、緩やかに、滑り台を滑るように眠りについた。
まだ少し痛む喉と、味の残る舌と鼻を思いながら、意識は沈んでいく。
「ああ、おやすみ」
ライブ中のMCのように響く彼の声は、意識の中でバウンドをしていた。そのバウンドが終わるよりも先に、何も聞こえなくて何も見えない真っ暗な世界が訪れた。
* * *
それが最後の記憶。
気がつくと、私は公園にいた。彼の車が停まっていたあの公園。
子供達の声が微かに聞こえる。もう帰路についている頃なのだろう。
辺りを見回しても、彼と彼の車の姿は無かった。
少し名残惜しかったけど、なんだか許せる。
幽霊みたいな去り方だけど、それもまた彼らしい。
隅に追いやられたオレンジ色を目がけて、私も子供達と一緒に帰路に着いた。
不思議と今戸惑うことなく。足が軽くなっていた。