カゲロウ   作:Mr.未来Speaker

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5話

 

 山吹ベーカリーの業務用のバンとよく似た、野太いエンジン音が鳴り続けている。この車は最新型だからか、クジラの鳴き声のように篭って聞こえた。

 

 助手席の窓から景色を眺める。幼少期からずっと過ごしていたこの街。道の大まかな長さ、営業しているかわからないボロボロなラーメン屋、ブランコしか遊具がない公園、そこでサッカーをする子供たち。

 全ては見慣れていて、この街の当たり前となっている景色だ。

 でも、そんな景色も、学校へ行くわけじゃない、ひまわりを観に行くという別の目的を持つことで、全く違うものに見えた。

 

 私の隣で、黙々と前を見ながらハンドルを回すヒト。

 小洒落た青緑色のソフト帽を被って、事故を起こさないようにと気を張っているのか、その横顔はいつもよりも真剣だ。

 

「この助手席…」

「ん?」

「ここの助手席、最後に他の人乗せたのっていつ頃なんですか?」

 

 私に一度目をやった後、左手をハンドルから離して「1、2、3…」と口にしながら数える。

 

「まぁ、4、5年前か。後部座席の、おまえのすぐ後ろ。そこにはガキを乗せたことが去年あった」

「どういう経緯ですか、それ」

「トランスポーターだよ」

 

 ニヤリ、とシニカルに笑ってブレーキをかける。目の前の信号機は赤色だ。

 

 途中で立ち寄ったハンバーガーチェーン店でお昼ご飯。彼はアイスコーヒーだけを注文した。

 

「いらないんですか?」

「腹減ってないんだ」

「そんなんで後から空いても知りませんよ」

「いーの。俺は小食なんだよ」

 

 そう言ってストローに齧り付く。透明なプラスチックの管に薄黒い液が昇っていく。

 

 再び目の前に集中してハンドルを切る。たまに話しかけるが、いつも以上に素っ気ない答え方をしている気がする。

 昨日までは味があった彼の声は、リビングのダイニングテーブルに作り置きされたままの夕食のように味気が無かった。

 

 やがて話すこともなくなって、ただ外を見た。山や谷とまではいかないが、丘や窪み程度の起伏で変わっていく景色。アスファルトの色も僅かに違っていて、コンクリートに描かれたキャッチーなキャラクターのペイントアートも増えていっては消えていった。

 そんな私に気を遣ってくれたのか、モモさんはラジオを点けてくれた。FMだ。聴いていて落ち着く、低く凛とした女性の声が、初めてギターを買って弾いた日のことを話していた。

 

 曰く、ピックの存在を知らなくて、買ってから暫くは指で弾いていたらしい。アコースティックギターでは指弾きもよくするとおたえから聞いたことがある。

 遥か昔の自分を懐かしんで笑う。「さて、それではここで1曲」、と切り返す。

 相変わらずの落ち着いた声で、「BUMP OF CHICKENで天体観測」、と読み上げる。

 

 ノイズ混じりに始まった、流れ星を表したしたという7つのパンクなギターサウンド。

 青春の1つをシーンを表した青々しい詩が、正統派なバンドサウンドに乗って紡がれる。

 

「バンプですね」

「知ってるのか?」

「当たり前ですよ」

 

 何気なく呟くと、運転に集中していた彼は何気なく反応してくれた。

 

「この曲、好きなんです」

「へぇ、なんで?」

 

 彼はたぶん、私を一瞥もせずにそう尋ねているのだろう。私も彼を見てはないけど、なんとなくわかる。

 

「青臭くて。バンド始めたら、更に良さがわかったんです」

 

 絶えることなく変わり続ける景色を眺めながらそう言う。

 

「ふーん」

 

 アイスコーヒーを啜る音が聞こえる。

 

「若いなァ」

 

 誰かに言ったわけでもなく、ただ彼は空気にそう吐き出した。

 

 

* * *

 

 

 1回のトイレ休憩を挟んで、その場所に辿り着いた。

 田舎道だ。アスファルトじゃない。ずっと昔からある、純粋な土の道。

 

 人の気配はなくて、青と緑と橙色だけがあった。シンプルな配色なだけに、とても鮮烈に記憶に残る。

 

「すごい」

「穴場だよ。誰にも言うなよ?」

 

 人差し指でしーっ、とポーズをとる。

 

 すると、静かにブレーキをかけた。ギアをガチャガチャと変えて、名前のわからないレバーを引く。道のど真ん中だ。だというのに、ここが駐車場であるかのように、当たり前の挙動で車を降りた。

 

「少し歩くぞ」

「ここから?」

 

 そう聞く私に向かう方向に指を指す。

 

「こここらは道が不安定なんだ」

「…わかりました」

 

 だというなら仕方がない。彼の言葉に従い、私は歩き出した。彼も私の背後をついて行く。やがて追い抜いた。

 

 歩いて、歩いて、歩いて、歩きまくった。景色は変わらなかった。速度の違いだろうか。

 額を流れる汗を拭おうとした時だった。

 

「失礼」

 

 と、彼の声が聞こえたと同時に、視界が真っ黒になった。先ほどまでのシンプルな色合いの景色は、たった1色の、面白みのない景色はと様変わりだ。

 

「歩け。出来るだけゆっくりで」

「……」

 

 まあ、彼のやりたいことはなんとなく察しがつく。ベタだ。意外と。

 

 人質のようにゆっくりと歩き出す。背後で彼が歩きだす気配を感じた。

 1歩1歩、踏みしめる。足元が見えないということもあるけど、踏みしめなければ、これが最後になると感じたからだ。

 

 何歩。いや、何十歩踏んだかを数えたのやめた頃だ。

 

「止まれ」

 

 声だけだと本当に人質になった気分だ。

 要求通りに足を止める。

 

「目ェ閉じてろよ」

「はいはい」

 

 目を閉じる。真っ黒から真っ黒になっただけ。目を開けてるか開けてないかの違いになっただけだ。

 

 瞼から微かに感じれていた体温がなくなったのを感じた。

 手を離したのだろう。

 

「開けてみ」

 

 出来る限り勿体ぶって開けてみる。ハードルを上げている、とも言えるかもしれない。

 ゆっくりゆっくり。さっきまで歩いていたのと同じようなスピードで。

 

 風が瞼を冷やした。

 まつ毛を揺らした。

 

 黄色と緑の世界が広がっていた。

 

「わぁ」

 

 私よりもうんと大きいひまわり達。可愛らしい名前とは裏腹に、とても大きくて、意外と重圧感がある。

 森の中にいるみたいだ。きっと、ここから見上げる景色は、世界中のどんな世界遺産よりも綺麗で目に焼き付く。

 

 穴場といえば穴場だけど、もはや別世界のように感じる。

 

「すげェだろ」

 

 きっとめちゃくちゃドヤ顔でニヤついている。

 

「はい、とっても」

 

 そのドヤ顔を認めるのはなんだか癪ではあるのだけど、この絶景を否定するのは気がひける。素直に認めることにした。

 

「なんだか、違う世界みたい」

 

 思ったことを読み上げる。けどそれは機械的じゃない。とても素直な人間的な感情からだ。

 

「違う世界だと思ってる。俺は」

「なんでですか?」

「見ての通り、違う世界みたいだからだよ」

 

 そのままだ。

 自分の瞳に映る異世界に従ったが故の見識。

 

「俺はここで生まれたんだ」

 

 唐突に、そんなことを語り始めた。

 

「親の顔や名前も知らない。気づいたらここにいたらしい。たまたまここを通りかかった農家のおっさんに拾われたんだ」

 

 低く、少しがなりの効いている声。でもいつものような軽快さはなく、ただ重くて硬いだけだった。

 

 いつもよりもシリアスな語り口調。

 

「嘘ですね」

 

 でも、彼は私の前では真実なんて話さない。

 迷える子羊には答えを示す牧師だけど、ただの女の子には嘘をつくペテン師。

 

 そんなこと、私はわかりきっている。

 

 久しぶりに、彼の横顔を見る。

 への字口だったが、やがてニヤリと白い歯を見せて笑った。

 

「どうだかな」

 

 そういってタバコを取り出す。口にくわえて、慣れた手つきで火をつける。控えめに吸って、控えめに白い煙を吐き出す。

 

 スポットライトのような太陽の光に差されていて、まるで舞台の主役だ。

 

「あ…」

 

 少し前に進んで、左前付近に目をやると、くの字に曲がっている、ひときわ小さなひまわりがあった。黄色になるはずだった花弁は茶色く、まさに死体だった。

 

「あーあ」

 

 彼は他人事のように声をあげる。

 

「なれなかったんだな。悲しいこって」

 

 死んでしまっているひまわりに近づいて屈む。その花に、線香の煙のように、口から白い煙を吐いてかける。

 

「バチ当たりますよ」

 

 携帯灰皿を取り出して、その中に灰を落とす。

 

「当たってもいいよ。もう当たってるようなもんだからな」

 

 まだ充分に長いタバコを携帯灰皿に押し潰し折って強引に入れる。

 

「先戻ってる。ここからまっすぐ戻ったら車あるから」

 

 ソフト帽を深くかぶり直して、颯爽と去っていく。

 

 彼が去ってからも暫く、私はひまわり達を見回っていた。たまに聞こえる鳥の囀りは、この世界の異質さ助長している。

 

 折れているひまわりは他にもあった。たくさんあった。台風によるものなのか。それとももっと昔に折れたものなのか。わからないけど、悲しいことだった。

 

 かわいそうに。

 少し違えば、あなたも他のみんなみたいに悠々と太陽に向かって背を伸ばして、空を見上げることができたのだろうに。

 

 センサイなそれらは、私たち人間のようにも見えた。

 

「……なんて、大きなお世話だよね」

 

 遺体となったそのひまわりに、優しく語りかける。

 あなた達だって生きている。私たちと同じように。

 

 お墓を作るだなんて大それたことはできたいけど、あなたを見れてよかった。

 

「じゃあね」

 

 そう微笑む。

 緑色に囲まれた道を歩く。ひまわり達に見送られるように。

 

 壮大で雄大なその花々に背中を押されて、私は終わりを確信した。

 

 

* * *

 

 

「タバコ、吸わせてください」

 

 帰りの車。

 オレンジ色に支配された空の下で、私は禁断の味を要求した。

 

「嫌だよ」

「受動喫煙なんて今更じゃないですか」

「そうじゃない。未成年喫煙はその場にいた大人が責任を負うんだよ」

「誰にも話しませんよ」

 

 口だけでは軽い。

 彼は訝しげに私に視線を送るが、やがて諦めたように深いため息をこぼし、箱を投げ渡した。

 

「1本」

「ありがとうございます」

 

 1本取り出し、口でくわえる。火をつけてないのに、なんだか変な味がする。

 使い捨てライターを渡される。

 

「使い方わかるか?」

「わかりますよー。一応職場でよく使うので」

 

 カチッ、という音ともに火が姿を表す。先端を火につける。

 

「吸え。付かないぞ」

 

 すーっ、と思いっきり吸う。すると突然、何か引っかかる風が喉に侵入した。

 バーベキューとかでたまにある、煙を吸った時の感触と同じだ。喉が痛い。何かを出そうと咳き込む。

 

「いきなりそんな吸うからだよ」

 

 呆れのこもった声が聞こえる。

 そんな声をよそに、私は再び吸い始めた。少しだけ、控えめに吸う。辛くて苦い、まったく美味しくない味が口の中で広がった。

 口の中でただただ広がっていて、喉に入ると痛くて、鼻は犯されたように変な匂いでいっぱいだ。

 

「……あまり美味しくないですね…」

「そりゃそうだろうよ、初めてならな」

 

 これがオトナの味なんだ。

 そう思うと、オトナってすごいなと思う。こんな味を好む人だっているんだ。

 

 煙が車内に充満する。彼は窓を少し開けた。涼しい風が煙とすれ違って入ってくる。新鮮で美味しい。

 

 目の前で余裕な表情を浮かべて立ち尽くすオレンジ色の陽。彼は遮光板を下ろす。

 私はと言うと、眠気が出てきた。

 海の中で浮かんでいるような感覚に陥る。時折落ちるような浮遊感も感じながら、スローモーションに進む対向車を眺めていた。

 

「すいません……少し…寝ます…」

 

 眠気に弄ばれた私は、降伏するように、緩やかに、滑り台を滑るように眠りについた。

 まだ少し痛む喉と、味の残る舌と鼻を思いながら、意識は沈んでいく。

 

「ああ、おやすみ」

 

 ライブ中のMCのように響く彼の声は、意識の中でバウンドをしていた。そのバウンドが終わるよりも先に、何も聞こえなくて何も見えない真っ暗な世界が訪れた。

 

 

* * *

 

 

 それが最後の記憶。

 気がつくと、私は公園にいた。彼の車が停まっていたあの公園。

 子供達の声が微かに聞こえる。もう帰路についている頃なのだろう。

 

 辺りを見回しても、彼と彼の車の姿は無かった。

 少し名残惜しかったけど、なんだか許せる。

 

 幽霊みたいな去り方だけど、それもまた彼らしい。

 

 隅に追いやられたオレンジ色を目がけて、私も子供達と一緒に帰路に着いた。

 不思議と今戸惑うことなく。足が軽くなっていた。

 

 

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