カゲロウ   作:Mr.未来Speaker

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エピローグ

 

 上がり框に腰を下ろして、コンバースの白色のスニーカーの靴紐を結んでいると、起きたばかりの純が目をこすりながら私の背を叩いた。

 

「どうしたの?」

 

 聞くと、まだはっきりとしない口調で、純は言う。

 

「ひまわり、どうだった?」

 

 ああ、そのことか。

 先日のことを思い出す。一夏のファンタジーな思い出。作文で書いたら、賞が取れそうなヘンテコなハナシ。

 

「綺麗だったよ」

 

 そう微笑んで言うと、純は屈託のない笑みを浮かべた。

 

「そっか」

 

 私も笑ってみせた。

 

 

* * *

 

 

 あの人がこの街を去ってから数日が経った。何日かどうかは、正確にはわからない。意識して数えてないからだ。

 

 読書感想文用の本を返却しようと、再び図書館のあるコミュニティセンターに訪れた日だ。

 

 職員の初老の女性にカードと本を手渡す。「いい感想は書けたかしら?」と聞かれたから「まだわからないです」と答えた。

 図書館から出て、事務室のすぐ手前にある自動販売機で缶ジュースのオレンジ味を買った。甘酸っぱい味が口の中で広がる。

 館内はエアコンが効いていて涼しい。静かな空間だから、外で鳴いている蝉の声が耳に入ってくる。

 

 飲み干した缶をゴミ箱に捨てた。

 そこで、使われなくなった非常用階段への道のりを目で追っていたことに気がついた。

 

 蝉の鳴き声。

 職員がキーボードに打つタイピング音。

 エアコンが動いている、思いの外重々しい音。

 書類のページがめくられる音。

 

 全てが鮮明に聞こえてくる。

 そして全てが鮮明に蘇ってくる。

 

 足元を見下ろす。

 膝が笑っているように見える。たぶん笑ってないのだろうし、笑っているんだと思う。私だけでは判断のしようがない。

 そうやって立ち尽くしているうちに、足は動き始めた。ナイキの青色のスニーカーが、前に踏み出した。靴紐が微かに揺れる。

 

 きっと、私の手に及んでないココロが、体を動かしているんだ。次のページをめくろうと、私に向けて訴えているんだ。

 

 私はこのままでいいと思う。

 これで終わりでいいんだと思う。打ち切りみたいな終わり方だけど、これでいいんだと思う。

 

 妥協することって、それもまたオトナだから。

 

 ココロに語りかけるが、足は止まらない。

 きっと、聞く耳を持ってくれてない。

 心の中でため息を吐いた私は、ココロの訴えを受け入れた。

 

 わかったよ。いつもアナタの言葉を殺していたんだ。今は聞くよ。

 

 嬉しそうに頷いた気がした。

 

 

* * *

 

 

 屋上に1歩、足を踏み入れれば、日本の夏特有の憂鬱な熱気がじっとりと肌を舐めた。

 決して安全とは言えない、ずさんとも言える柵が変わらずに敷かれていた。そんな中、ど真ん中に、警察に取り囲まれたテロリストのように缶ビールが置かれていた。

 

 いつぞやの缶ビール。

 1週間前かもしれないし、台風が来る前のかもしれない。あの人が置いていった、好物の恵比寿の缶ビールだ。

 

 その間に雨が降った日もあったから、中は残されたビールと雨とのカクテルになってるだろう。たぶん、味はサイアクだ。

 

 置かれた缶ビールを通り過ぎ、あの人みたいに柵に背中を預けて、真っ裸な青空を仰ぎ見る。時折、優しく涼しい風が肌に当たる。

 

 ああ、確かにこれは気持ちがいい。

 あの人が気にいるのも納得だ。

 

 あの人はもう、私のことなんか忘れているのかな。

 私はまだ覚えちゃってる。陽炎が踊っているコンクリートの道の上にへばりつくガムみたいに、忘れようとしても忘れられずに、ずっと頭の中に在る。

 

 ここは何も変わってない。あの日から、何ひとつとして変わってない。変わったことなんて、缶ビールの味が不味くなったぐらいだ。

 

 あの人と語り合って、ひまわりを見た思い出は陽炎のようにあやふやで曖昧なモノだ。

 ひと夏の、ちょっとした不思議でファンタジーな体験だったのかもしれない。

 

 あの感情が恋だったのかは、今でも答えが出ていない。

 B5ノートの何ページ目かに書かれた式に、イコールの2つの線が記された段階で止まっている。

 

 それでもあの人は言った。

 

 –––––––世の中には答えを求めなくていいものもあるんだ。

 

 そしてあの人は歌った。

 

 –––––––答えは風に吹かれてるのさ。

 

 –––––––答えは風の中で舞っているんだよ。

 

 お気楽な歌声が聞こえてくる。

 風が吹く。髪がなびいて、木の枝が揺れる音がこだまする。

 手を伸ばして、掴んでみても、答えなんて掌には無かった。

 

 たぶんだけど、答えは風に吹かれて、渡り鳥たちと一緒にどこか別の大陸に流れてしまったのと思う。そして暫く経ったら、また私の元にやってきてはその姿をチラつかせるんだ。

 

 ″風に吹かれて″のハーモニカパートのメロディーを、口笛で奏でる。

 あまり口笛は上手じゃないから途切れ途切れになってしまう。

 

 蝉の鳴き声はあいも変わらず響いていて、どこか遠くから電車の走る音も聞こえてくる。

 

 ––––あの夏に抱いた想いは、いったい何だったの?

 

 ココロが聞く。

 

 口笛を止め、右手で作った銃を構える。照準を目の前の缶ビールに定めて、じっとラベルに描かれた、釣竿と鯛を持った恵比寿サマの眉間を見る。

 

 ––––わかる?

 

 ココロが再度聞く。

 

「わかんないよ」

 

 風が強く吹く。

 

「バーン」

 

 缶ビールは倒れた。

 

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