【あらすじ】
 今年も終わろうとする雪降る日に、俺はその少女と出会った。少女は公園で、ベンチの上で丸くなっていたのだ。

【この作品について】
 短くてもいいから、一年に一作くらい投稿しなくては「創作が趣味」なんて到底言えないと思い(いや「1投稿作品/年」でもそう言っていいのか怪しいですが…)、何か作品を作りたい、でもネタは何も考えていない、そういった状態で書き始めた作品です。
 ネタが無い中で自分の「書きたいこと」を書こうとしたために、ストーリーによって描写の必然性が脚色されないまま、男性的妄想を詰め込もうとした作品となっております。
 元々「書きたいこと」としては少女の可愛らしさをR-15ならびにR-18に引っかからない表現で書きたい、というのがあったのですが、正直中途半端になってしまったと思っております。もっと微に入り細にを穿って対象の可憐さを描写したかったです(これには時間不足というだけでなくて、私の観察眼不足というのも大いに大いにあるのですが)。
 また、作品が物語の導入的な部分で終わっているのは、書いている途中でそのような展開になったのと、「その後」を書く余力が無かったためです。この「導入」がそれ自体で盛り上がりのあるお話にできなかったのは、これもまた私の大なる力量不足です。このお話をある種のパイロット版として、何かまんがタイムきらら的な物語が作れたらいいな…と思っています。書いている途中から「この小説だけではこの物語は完結していないじゃん!」と思っていましたし、たくさん作品を書いている方からすると「うっすい」なんてレベルではありませんが、一応はキャラ付けして、考え出したキャラクター達ですので、彼らが活躍する物語が書けたらいいなと思うのです。

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二人の馴れ初め

 うちの職場は毎月12日に給料が入る。いま、年越しを前にして1500円が俺の全財産だ。

 問題はどうやってあと数日を切り抜けるかと言うこと。数日すれば親族一同が会する。その時に金を借りればいい。

 しかし年末だからといって飲み会三昧だったのはよくなかった…金は笑顔の原材料ではないと知るのが遅すぎた。 

 

 今年もあと2日…東京は雪がまばらに降っていた。いかにも年越しという雰囲気が漂う。

 俺はといえば定刻通りに起床し、ダラダラしていた。つまらない朝の情報番組をぼーっと見ている。エネルギーはあるのだが、やることが無い。休みというのは訪れる前は値千金だが、当日になると急に価値が減ってしまうものではないだろうか(俺の過ごし方が悪いだけだ)。

 さて、実家に帰る日までどうするか……

 

 雪?!思わず窓の先を見た。雪が降っている!食料の備蓄はほとんどない。これが大雪になったら食うものが無くなってしまう!何まったりしているんだ俺は!慌てて残りの金で買い物をする算段を始めた。味噌はある。あとはパンか、そうだ餅がいい。切り餅を買ってこよう、金が余ったらあんこも買えば、金欠にしては上出来だ。

 上着を着て傘を持つ。手袋は無い。普段はポケットに手を突っ込んで歩くので必要無いのだ。霜焼けにならないことを祈る。

 

 最寄りのスーパーへは公園を抜けて行くのが近道だ。体を温めるためにちょっと小走りで移動する。普段はガキが遊んでいるのだが、寒さと雪のせいか、誰もいない…いや、いた。

 そいつはベンチの上で横になっていた。何か体に布を巻いている。あれは恐らくジャンパーだ。自分の背丈よりも余程大きいジャンパーに包まって、彼はベンチに横になっている。クリーム色の足が生えた芋虫のようだった。

 うちの近くにも浮浪者がいたのか…ほんの少し考えを巡らせてから、すぐに思考は移ろった。餅に味噌をつけて焼くのか、それとも餅を焼いてから味噌をつけるのか、それが問題だ。

 

 家から徒歩数分の地域密着スーパーは賑わっていた。入店すると空調と人熱とが混じった、ちょい臭い温風を肌に感じた。上着に落ちた雪がしっとりと溶ける。

 人間が考えることは大体同じ!カップ麺、冷凍食品、弁当、レンジでチンして食べられるご飯、パンそして餅、手間が少なく食べられる商品はどれも品薄だった。俺ご所望のカット餅もあと1点で売り切れという、すんでのところだった。危ない危ない。

 餅を買っても金はいくらか残ることが分かった。そこで数百円の保険を残して少し贅沢をすることにする。あんこ、そしてお茶漬けの素だ…。お茶漬けの素で即席の雑煮ができるのだ。この場合、汁物が食べられるのがありがたい!食卓に美味しい温かいお汁があるだけで食事の満足感は100倍も違う。これでいくらか年末にふさわしい食事となったろう。

 

 店を出るといくらか雪の降り方が強くなったようだった。買い物に来て正解だった。しかしこれでは年明けてから実家に帰れるか心配だ(車は持っていないし、借りる金もない)。

 帰りも公園を通る。するとベンチには来る時にいた浮浪者がまだ寝ていた。ふと俺は立ち止まった。違和感がある。

 浮浪者の全身を眺めて気がつく。こいつは浮浪者じゃない。もしこいつがベンチ寝泊まりを頻繁にしているなら、包まっているジャンパーはもっと汚れていていい。しかしジャンパーに汚れはあるものの、とてもそんな風には見えない。おまけに靴だって履き古されていない。新品ではないが汚くもない。第一、普通の浮浪者だったら、こんな寒空に外で寝るのならダンボールで保温するとかするだろう。しかも子供なんじゃないか。巻いているジャンパーのせいで体のシルエットが分かりにくいが、肉の付き方が大人のそれではない。細すぎるし小さすぎるのだ。

 ということは、こいつはただのガキで、ただのガキが公園のベンチに寝ているということか。雪が降っているのに?馬鹿かこいつ、死んでしまうぞ――「おい、あんた」

 思わず駆け寄っていた。体を軽く揺さぶる。少し身を動かすだけでほとんど反応が無い。不味(まず)い、非常に良くない。

「すみません、失礼する」

 横になっていた体をベンチに仰向(あおむ)けにした(抵抗は全く感じなかった)。体を包んでいたジャンパーがはらりと広がり、腕が伸ばされた。

 ジャンパーの主は少女だった。中学生くらいだろうか。こちらに向けられた顔は覇気が無かった。頬は紅く染まっていたが、目はこちらを見ようとはするものの、大きくは開かれていない。肩の上で切られていた髪は乱れていた。

「君、どうしたんだ、大丈夫か」

 声を掛けても、少し(うな)るのみで、返事らしい返事はなかった。

 やはりというか、体が弱っているんだ。もしかしたら一晩や、それよりも長くずっとここに居たのかも知れない。とにかくここから避難させなくては、命に関わる。

「移動しよう。このままだと死んでしまう。悪いけど体に触るよ」

 やはり返答は無く、唇を少し動かしただけだった。俺は傘を投げ、片手に買い物袋を()げたまま少女を抱えた。服の上から感じる少女の体は氷のように冷たく、力も抜けているため、まるで人ではなく大きな荷物のようだ。家までは数分も歩く必要はない、なんとか少女を抱えたまま辿り着けるはずだ。

 

 リビングの暖房をつけ少女を寝かせると、風呂を沸かした。少女の体は冷え切っている。何よりも温めなくてはいけない。

 風呂を沸かしている間にも冷えをとることはできる。お湯を冷水で割ったぬるま湯を少女に差し出した。

「君、これを飲めるか」

 少女の身を起こしてやりコップを渡した。少女の手は弱々しかったが、しかし自力でぬるま湯を飲むことができた。喉が痛いのだろうか、飲み込む際に苦しそうな表情をしていた。

 部屋が暖かくなるにつれ、少女が汗臭いことに気がついた。ひょっとして何日も、服も変えず風呂にも入らず外にいたのだろうか…?

 

 程なくして風呂が沸いた。風呂場に少女を連れていき服を脱がす。

「ごめん、服を脱がすよ…」

 服を脱がそうとしてもなお少女は抵抗しなかった。服の下の柔肌(やわはだ)には生気が無く、手や足の指先は赤くなっていた。

 桶で風呂の湯をすくい、太ももにかける。同じ動作を、湯をかける部位を徐々に顔に近づけて繰り返す。肩から何度か湯を流したところで、少女を湯船につからせた。少女を抱え、俺が先に浴槽にまたがる様にし、慎重に少女を動かす。俺の重心を徐々に後ろに落とし、立った俺の体に少女の背がもたれかかる格好となる。徐々に左足を浴槽から抜き、少女はすっかり湯船に浸かった。介抱が下手なせいで俺の服はびしょ濡れだ。

 リビングからぬるま湯の入ったピッチャーとコップを持ってくる。

「ちょっと飲むの苦しいかも知れないけど、少しでも飲んだ方がいい」

 そう言ってコップを渡そうとした時、少女は初めて確かに俺を見た。表情に不安の色はなかった。ただ今をもって何が起きているのかイマイチ飲み込めないという風だった(それは俺も同じだ)。少女はやや姿勢を正し、ばしゃばしゃと湯船で顔を洗ってからコップを受け取った。

「ありがとうございます」

 弱々しい笑顔と共に言ったその言葉が少女の第一声だった

 

 少女はツネと名乗った。歳は16といった。親子喧嘩をして着の身着のまま家出してきたという。なんでも、自身の進路を巡って親と対立したんだとか。

「親もよく知らない場所に行こうと思って、家を出て、とにかくデタラメに移動していたんです。なんとかなるだろうって…そしたら、こっちがこんなに寒いとは思いませんでした」

「この時期にここいらで雪が降るのは、確かにあんまりないね」

 ツネちゃんは頭や喉が痛い、寒気がするなど風邪の症状を一通り訴えたが、どうやら命に別状は無さそうだった。これには驚く。ツネちゃんを発見した時はもっと重篤(じゅうとく)かなと思ったし、実際その様に見えたからだ。

「ツネちゃん、どれくらいあそこにいたの…?」

「寝ていたのは昨晩からで、もう何日もここらへんを歩いていて…昨日の夜から、もう、体力の限界で、疲れがどっと出て、それで寝るしかなくて…」

 少女が家出して何日も歩く…?

「どこかに泊まらなかったの?」

 ツネちゃんは首を横に振った。

「知り合いも誰も、いないから…」

 ツネちゃんは天井を仰ぎ見て目をつぶり、鼻までゆっくりと湯船に身を沈めた。俺はツネちゃんに求められる度、コップに少しぬるま湯を注いでは渡していた。

 

 風呂から上がる際、ツネちゃんはちょっと恥ずかしそうに言った。

「すみませんお兄さん、また運んでもらってもいいですか?」

 きっと頭が痛くて平衡感覚があまり無いのだろう。

「うん、その前に、ちょっと頭の汚れだけ落としてしまおう」

 ツネちゃんが風呂に浸かったまま、頭にシャワーをかける。年頃だし髪の手入れには気を使っているだろうに、こんな雑な洗い方をしてしまって申し訳ない気持ちだった。

「ちゃんと体洗うのは元気になってからだ…」

 そう独り言ち、俺は片足を湯船に浸け、かがみながらツネちゃんを抱きかかえる。ツネちゃんの体は温かかった。

 脱衣所(洗面所を兼ねる)では立ったツネちゃんを俺にもたれかかせながら、ツネちゃんの体を拭いた。

「ちょっと苦しいかも知れないけど、我慢してくれ」

 俺が壁際に立ち(もとよりそんなに広い空間ではない)その俺にツネちゃんがもたれる(こうすれば平衡感覚が無くとも安定して立てる)。ツネちゃんの身長は俺よりも頭ひとつ小さく、密着するとツネちゃんの栗毛が視界のを多くを占める。ツネちゃんを抱きかかえる様な姿勢で背中を吹いてから、今度は前後を逆にしてツネちゃんの上半身を拭く。風呂に入ったツネちゃんの肌は張りがあり、お湯につかり、いかにも肌は元気を取り戻したという感じだ。

「すみません…」

「いや、いいんだ」

 病人はこんなことで羞恥を感じている場合ではない。最後に、ツネちゃんを壁によりかからせ、その間に下半身をさっと拭いた。足の指を見たが異常は無い様だった。指は()れていはいたが、それ以上の異常は認められなかった。まさかとは思ったが壊死(えし)も凍傷も無くてよかった。

 抱っこしてツネちゃんを運び今朝から敷きっぱなしになっていた布団に寝かせる。やはりツネちゃんは立っているのもキツそうだったので、俺が服を着させた。

「男物だけど、勘弁な」

「いえ、ありがとうございます」

 布団をかけ、ようやくツネちゃんは清潔に休める次第となった。

「あの…」

「うん?」

「髪が濡れているので、バスタオルが…」

「え?」

 ああ、枕が濡れてしまうということか。急いでバスタオルを持ってきて枕に重ねた。

「何から何まですみません」

「いいんだよ、困った時は助け合いでしょう」

「数時間寝れば、随分よくなると思うので…」

「無理しなさんな」

 しっかりした少女だと思った。これだけ衰弱してなお他人を気遣うことができるとは。

「こちらのことはいいから、気が済むまでゆっくり休んでくれ」

 少女の手を握る。小さい手だ。おまけに綺麗な手でもある。掛け布団の下に隠れて見えないが、触っただけで分かるのだ。俺の擦れて疲れ切った手とはまるで違う。目を閉じかけた時、ツネちゃんは焦点の怪しい目で奇異なことを俺に問うた。

「あ…お兄さん、わたしの頭に()()()()付いていませんか…?」

「え…?」

 質問の意味がよく分からなかったが、俺はツネちゃんの頭を見て、触り、異常がないのを確認する。

「いや、なにもないよ。綺麗なもんさ。ニキビもたんこぶも無しだ」

「良かった…」

 ツネちゃんは安心したのか、今度こそ重く(まぶた)を閉じて、すぐに眠った。窓の外で雪は静かに降り続いていた。

 

 俺はツネちゃんが寝ている間、ただ側にいた。することが無かったからだ。テレビをつける訳にはいかないし、(あか)りをつけて読書することも(はばか)られる。

 この借間(しゃくま)は小さい。リビングが一部屋、トイレ、風呂、洗面所、そして玄関直結の台所(というほどのものでもない)。リビング自体も小さいのだ。実のところ、二人も満足に寝られるかどうか怪しい。テーブルを置き、その隣に布団を置く。いまはツネちゃんが寝ている。その横に俺が座っている。それで目一杯といっていい。あとはダンボールと荷物入れ兼用のキャリーケースが場所を占めている。

 灯りをつけない部屋は仄暗(ほのぐら)かった。雪のせいか、ぱっと明るく感じられる外とは対照的だ。外から来る雑音とツネちゃんの呼吸音のみが聞こえてきた。

 

 思春期。それは暗中模索の時代だ。思慮も知識も全く足りていないのに、エネルギーだけは有り余っている。

 稚拙(ちせつ)な発想を目一杯推進した往々の結果として、少年少女はハリネズミにならざるを得ない。実行可能な、具体的な解決方法を編み出すか、あるいは現在結論し得る帰結に納得することができないから、現実が自身の理想に(たが)えているというだけで針小棒大に反応してしまう。その「理想」とは、これもまた多くの場合、ただ自分にとり都合のよい妄想にすぎないのだが、少年少女はそういったことに目を向けない。

 このツネちゃんも、何か自分の理想と現実との衝突から逃げて来たのだろうか…。

 

 ツネちゃんは家庭内暴力を受けているわけではない。それは言える。散々ツネちゃんの体をみたが、あざ一つ切り傷一つなかった。ツネちゃんの体は至って健全に発育しており、そういった意味でも傍から見て育児放棄に遭っているとも思えない。同時に、ツネちゃんはいわゆるセルフ・ネグレクト傾向にあるとも考えられない。爪は綺麗に切られていたし、彼女は()()()()()()()()()()()()

 俺との受け答えにしても、ツネちゃんは「まとも」だ。普段から問題のある子とは到底考えられない。

 

 エアコンの下に干したツネちゃんの服が(おおむね)ね乾く頃、ツネちゃんは目を覚ました。

「お兄さん…?」

 部屋の中空をぼーっと眺めていたところ、ツネちゃんが声をかけてきた。とっさになんと返事をしたらよいか、分からず

「おはよう」

と間の抜けた挨拶をした。

「気分はどう?」

「かなり良くなりました」

 電気をつけた。ツネちゃんは既に布団から身を起こしていた。貸してあげた服がブカブカで(当然だ)崩れた首元からちらりと鎖骨が見える。失礼と断ってからツネちゃんの額に手をあてた。手をあてる瞬間、下まつげの美しいツネちゃんの目がぴくりと動いた。

 思わず驚いた。熱くないのだ。

「どうですか…?」

「あ、いや…体温計でも測ってみよう、ちゃんと」

 そう言ってテーブルのペン立てに筆記具と共に林立していた体温計を渡す。

「まだ寝てなくて大丈夫?」

「ええ、かなり体が軽くなった気がします。頭もあんまりクラクラしないし」

「ほんとに?それは良かった」

 ツネちゃんが微笑むのを見て、自分が笑っていたことに気がついた。

「もっと弱っているかと思った」

「わたしもです。お兄さんに運んでもらっている時は世界がグラグラしていましたけど、今はちゃんとお兄さんが見えます」

「そっか…辛かったろう」

「でもお兄さんが助けてくれたから…良くなりましたよ」

 快方ぐあいを表すためか、ツネちゃんは両腕を広げてみせた。あどけなく笑う。俺に気を使って無理をしていないか。心配だ。その時、体温計のピピピと鳴った。

「やっぱり、結構、良い感じですよ」

 ツネちゃんの見せた体温計は37度3分を示していた。ツネちゃんは(おそらく)極度に疲労した状態で、この寒い歳末の一晩を公園のベンチで過ごした。しかも雪も降っていたのだ。俺がツネちゃんを自宅に運んだ時、ツネちゃんは確かにまずい状態にあった。死んでしまうのではないかとも思ったのだ。風呂に入るまでは目も開けてもくれなかった。今は明るく染まっている唇も色を失っていた。風呂上がりでも自立するのが苦しそうだった。それが、ものの一日すら経たず、微熱程度に回復だって?そんなことがあるのか……。

「ツネちゃん、本当に、37度3分?俺に遠慮していないかい?辛かったら辛いって言ってくれよな?」

 今度はツネちゃんが驚いた様子だ。

「ほ、ほんとにほんとですよ、お兄さん。もうかなり回復して37度3分ですよ。お兄さんのおかげです」

 なおも俺は懐疑の表情を浮かべていたに違いない。

「じゃあ、元気になった証拠をお見せします。わたし、お腹がとっても空きました!」

 

 お椀に水を張り、その中にカット餅を2つ入れる。ラップで(ふた)をしてから電子レンジで温める。600Wで1分40秒だ。そうすると餅が程よく柔らかくなっている(やりすぎるとデロンデロンになってしまうから要注意だ)。椀に入っていた水は捨てる。餅の上にお茶漬けの素をまぶし、(あらかじ)め沸かしておいたお湯を注ぐ。これで即席のお茶漬け雑煮の完成だ。あとは目玉焼きとソーセージを焼いた(俺が料理は得意でないというのもあるが、冷蔵庫の在庫が無かったのだ)。

「こんなものしか出せなくて済まない」

「いえ、全然…もう、食べてもいいですか?」

「どうぞ」

「頂きます」

 ツネちゃんが割り箸で餅を掴むと餅は下方に向かって伸びる。餅がちゃんと加熱されている証拠だ。ツネちゃんはふうふうと口をすぼめ息を吹きかけ、餅を冷まそうとする。これは懸命な判断で、レンジと熱湯のダブルで温められた餅は非常に熱い。不用心に口へ運ぶと口内で餅を転がして食べるという無様な食べ方をしなくてはならなくなる。ツネちゃんはそういった汚い食べ方とは無縁で、自分が十分一口で食べられる量の餅だけをしっかりと冷まし食べていた。恐らく数日何も食べていなかろうに、食い意地を張る食べ方はしていない。

「これ、今まで食べたことのない味です」

「え?それはただのお茶漬けの素だけど」

「お茶漬けの素?」

「ご飯にそれとお湯を注ぐと、即席でお茶漬けができるやつだよ」

「へー、そんなものがあるんですか。美味しいです」

「口に合ったなら嬉しいよ」

 ツネちゃんは本当に腹が減っていたらしい。箸を休めることなくぱくついている。無理をしている様子は無い。俺は思い出したようにツネちゃんに緑茶を出した。来客用のコップが無かったので紙コップに注いだ。

「ツネちゃん、よかったら教えてくれないか…親御さんと、どんなことで喧嘩したのか…家を飛び出すほど、ショックだったんだろ?」

 食事するツネちゃんの箸がしばし止まった。ツネちゃんが改めて俺の目を見てきた。真正面からツネちゃんの目が訴えたいことは分かる。

「勿論このことは誰にも言わないよ。仮に、君の親御さんに会うことがあってもね…そんな機会は無いと思うけど」

 一呼吸おいてツネちゃんが言った。

「分かりました。お兄さんになら、話しても大丈夫でしょう」

 ツネちゃんは食事を続けながら話し始めた。

「お察しかと思いますが、わたしは学生です。今は()()()()2年です。揉めたのは、父となんです。学校卒業後の進路を巡って…」

 ツネちゃんの視線は落ち、テーブルを見つめていた。

「私は女学校を出たら、父の仕事を手伝って――あ、父は交易の商いをしているんですが――それで、()()()の商品を輸入することが出来ればいいなって思っているんですよ。どうしてかって言うと、わたし、()()()が好き…なんですよ。わたし達の地元よりも綺羅びやかだし、美味しいものもたくさんある。それにわたしの故郷では前時代的な商人が多くて、こっちと、もっと交易を進めようって人はまずいないんです。臆病者が多いんですよ」

 自分では気がついていないだろうが、ツネちゃんはやや興奮していた。声色は相変わらず静かだ。だが他人を非難する言葉を使う時、言葉だけでなく、声もまた、軽蔑の調子を含んでいた。「嫌い」なのだろう。

「こっちは楽しい。こっちの品物も楽しい。さらに、こちらの品物は絶対に!儲かるはずです。実は、私は、こっちで見た品物の多くを、実際に使ったり食べたりしていません。今回こっちに来た時は着の身着のままでしたし…。でも、こっちの品物はわたしの故郷よりも遥かに充実しています。目が回って倒れてしまいそうな程に。

 だからわたしは父にそういったことを伝えました。将来はこちらとの交易をぜひやりたい、て」

 ツネちゃんはすぐには言葉を継がなかった。ソーセージを食べ、お茶を飲み、俺を見て言った。

「そしたら、そしたら…父は本っ当に分からず屋で、わたしの言うことを何でも否定するんです。お前にわしの仕事はさせん、そりゃお前の兄と弟がやる、お前は店の内で経理や社員の世話をしろって。こっちとの交易も全否定で、こっちは野蛮な土地だ、あんなところは相手にしちゃいかん、安心安全なこの屋敷こそがお前のいるべき場所だと…わたしは反論しました」

 ツネちゃんの声に次第に元気が無くなっていった。

「こっちには夢がある、チャンスがあるって、わたし、父に言いました。祖父から受け継いだことをやっているだけではダメなんです…それじゃあ、何も変わらないじゃないですか。わたし言ったんです。新しいことを始めるべきだ、お父さんは怖いんだ、って。だって、そうじゃないですか。より良いもの、もと儲かるものを求めないで何が商人ですか。墨守(ぼくしゅ)、守勢、そうしたことは本来商人の性から最も遠いもののはずです。だのに、父ときたら…」

 ツネちゃんは何かを振り払うように、首を振った。その目は何かを訴えるようだった。何も言わず、俺はツネちゃんの真正面から隣へと席を変えた。

「お兄さん、こんなこと、言うべきじゃないんでしょうけど」

 ツネちゃんは崩れるように俺に抱きついてきた。吐き出すようにして言う。

「わたし、どうしても商人として父を尊敬できないんです。父が愚かに見えてしょうがないんです。うちは7代続く商家だというのに、父は先祖の遺産を食い潰しているだけに思えるんです、わたし」

 ツネちゃんは泣いていた。

「先祖はみな商人として立派でした。祖父も。でも父は、仕事を回すのに手一杯で、なんら利益を増やしていないように思えるんです。大海原(おおうなばら)はあるんです。こっちと交易すればいいんですよ。なのに、父はそれにも腰を上げない。父は、父は…馬鹿ですよ!」

 俺はツネちゃんの背に腕を回した。胸にあたるツネちゃんの息が熱かった。

「父には何不自由ない生活をさせてもらっています。わたしの故郷では今も幼子が路端(ろばた)で物乞いをしていることも珍しくありません。そんな中で、わたしは生まれて一度もひもじい思いをしたことが無いんです。それは父がしっかり商売をやってくれているお陰ですよ。そうでしょう?それなのに、父に対してこんなことを考えるなんて…そして言ってしまうなんて…わたしって、なんて愚かなんでしょう」

 得心がいった。ツネちゃんは俺に事情の全てを話してくれたわけではない。だがツネちゃんの話の行間を補えばおおよそ次の様なことが考えられる。ツネちゃんの生家は結構大きな会社を営んでおり、ツネちゃんはお嬢様なのだろう(道理で俺と違って身のこなしに丁寧さが(にじ)み出ているわけだ)。ツネちゃんは()()2()()と言ったから、そして今は12月の終わりであるから、自然と進路の話が話題に上ったのだろう。(ありがちだが)その時に親と喧嘩になり、勢いに任せて日頃から親に抱いていた不満をぶち撒けて思わず家を飛び出してきた。

 しかしツネちゃんの涙がツネちゃんの心根(こころね)の清らかさ(それは両親の愛情深さでもある)を示している。幼稚で体だけ発達した16歳は親を罵倒したことに自責の念など感じない。罪を自覚できるのは自身の内に正しくあろうとする姿勢あってのことだからだ。俺はこの少女をたまらなく尊く思わずにはいられなかった。少女がたくましい大人の女性へと成長する姿をツネちゃんに見たからだ。俺とツネちゃんは初対面だ。だが、俺はツネちゃんを全く信頼してしまいそうだった。人としてだ。

「ツネちゃん、君は愚かじゃない。そうやって自分を(かえり)みられるのだから。大人だって自分で自分を叱れる人間は多くない。ねえツネちゃん、俺は君の家の事情を仔細(しさい)に知らないから、君とお父さんの意見の相違についてなにか論評するのはやめておくよ。だがこれだけは言える。一つに親、特に君のお父さんのような人は、必ず子供のことを考えてものを言っているということ。君がそのように感じられなくても、そして親の発言がいつも正しいわけではないとしても、ね。二つに我々は多くの場合、自分が見ているものしか見ようとせず、自身の視界の外に何があるかは考えられないということ。無論、それは俺も同じだ。自分の浅慮に気が付けないことは無数にある」

 抱きしめたツネちゃんの体は柔らかかった。厚着をしているからそんなことは無いはずなのだが、抱きしめる俺の腕からツネちゃんの熱が伝わってくるようだ。数日間も手入れが出来なかったせいで、さすがに髪は乱れてはいたがしかしそれでも栗色の髪は(つや)を残していた。だった。ツネちゃんの腕がより一層つよく俺を締め付けた。少し痛いくらいだ。

「だからお父さんにも何か考えがあるのかも知れない。あんまり、相手を責めるだけじゃいけないんだ。相手の視点に立ち、理解しようとしなくては」

「でも…」

 ツネちゃんは顔を俺の胸に押し付けたまま、くぐもった声で言った。

「それでも、わたし、父が馬鹿にしか思えないんです…父こそ、わたしを理解してくれない!」

 俺は何も言わなかった。ツネちゃんは(さと)い。()()()()()()()()()()は分かっているだろう。

 ツネちゃんは泣き続けた。どれくらい経っただろうか。するするとツネちゃんの縛りが解かれ、ツネちゃんは仰向けになり俺の体に全体重を預けた。か細い声で言った。

「わたし、どうすればいいんでしょう…」

「帰って、もう一度ご両親とよく相談するしかないでしょ」

「次も同じように話を聞いてもらえなかったら?」

「聞いてもらえるように工夫するしかない。自分の言いたいことだけを相手に伝えるんじゃなくてね」

「分からないですよ、どうすれば父が話を聞いてくれるかなんて…」

「したいんだろう、交易の仕事。各地に飛び回っていろいろな品物を売り買いしたいんだろう。だったら嘆いている場合じゃない。例えば、地元でご両親以外の大人に頼ったらどうだい。学校の先生とかさ。きっと相談に乗ってくれるし、会社の人だっていい。ツネちゃん、会社の人からは『お嬢様』とか呼ばれているんじゃないか、聞いた感じでは」

「うん…」

 ツネちゃんはぎゅっと俺の手を握った。

「お嬢様のためなら、きっとそういう人達も話を聞いてくれるし、何か助言もくれるはずさ。一人で悩むことないよ。できることはたくさんある」

 その時、ツネちゃんが何か言った。聞き取れなかったので聞き返すと、少しためらいがちに言った。

「お兄さんはどうですか。わたしの話、聞いてくれますか」

 俺は突然指名されたことにたじろいだ。

「俺かい?俺は、仕事や進路の相談には、あまり役立たないと思うぜ。俺はただの会社員だし、独立独歩の商人道なんか、全然縁のない話だからさ」

 ツネちゃんに握られていた手を改めて握り返した。そして腕に力を入れ、俺の体にもたれていたツネちゃんをぐいと引き上げる。

「すまない…でも愚痴くらいなら聞ける。それでよければ…」

 ツネちゃんはくるりと俺に顔を向けて、

「もう、お兄さんが父を説得して下さい」

と投げやりのような、それでいて哀れっぽさの無い口ぶりで静かに言った。そしてまた胸に抱きつかれたので、平衡がとれず俺はツネちゃん諸共寝転ぶ形に崩れた。ツネちゃんは微笑んでいた気がする。

 

 我が草屋に布団は一枚しかない。俺とツネちゃんは猫の額ほどの布団を2分割して寝た。

 申し訳ないと謝りつつ、朝食には昨日とほとんど同じメニューを出した。あんころ餅がついたのが、ちょっと豪華になった点だった。朝食の席でツネちゃんにいつ帰るのかと聞くと、今日中には、ということだった。

「大晦日はみんなで過ごすのがいつもなので…除夜の鐘までには帰らなきゃいけないかと、と」

 一晩よく寝たツネちゃんは良い顔をしていた。昨日よりも笑った顔が柔らかい気がする。昨日の急回復に次いで、今朝はもうすっかり元気になった様子だ。

「じゃあ、そこら辺まで送っていくよ。駅までとか、さ」

「その前にちょっと散策してもいいですか?お店とか、見てみたくって。ちょっとの間でいいですから」

「それは構わないけど、ここらへん大して大きな店とかは無いよ?年頃の女の子が喜びそうなお店も」

「街中のお店でいいんです。ごく普通のお店でいいですから」

「普通のお店ねえ」

 そういう訳で時間の都合も考えて近所のスーパーマーケットに行くことにした。流石に怒られるかなと思ったが、喜んでくれた。一人でこの街を彷徨(さまよ)っている時もスーパーには入らなかったらしい。ツネちゃんは洗濯してすっかり綺麗になったジャンパーを着た。

 改めて見るとツネちゃんの格好は、俺からすればむしろ軽装の部類であり、この格好で冬の夜を過ごしたのは辛かったろうと胸が痛くなる。この少女はタイツにスカートだけだったのだ、下半身を保温するものは。上半身はともかく、マフラーも手袋もツネちゃんは持っていなかった。

 革靴を履き終えたツネちゃんと目があった。

「なんでしょうか?」

 ツネちゃんは上目遣いに言った。

「いや、改めて、その格好で夜を過ごすのは大変だろうなって思って…」

「あはは、そうですね。これは以前こっちに学校で旅行に来た時に買ったものなんです。こっちの、今風の女の子みたいな服があってもいいかなって思いまして…どうです?」

 ツネちゃんはジャンパーの前を開け、服が見えるようにとポーズをとってみせた。

「うん、似合ってるいよ」

 ツネちゃんはエヘヘとはにかんだ。ツネちゃんの服は上下紺色がベースだった。おしゃれだが落ち着いた服装だ。旅行の際に見かけた女子高校生の制服を参考にしたのだろうか。ジャンパーがちょっと大きすぎる感じがするのは黙っておいた。

 家を出るとよく晴れていた。昨日のうちに雪はすっかりやんでしまったようだ。日光を受けて雪はきらきらと輝き、道を眩しくしていた。

「あんまり降らなくてよかったですね…わたしのところでは体が埋まってしまうくらい降ることもザラなので…」

「ああ、ほんとに。もう一晩降っていたら交通網が麻痺していたところだ」

 スーパーに行く道中、例の、ツネちゃんが寝ていた公園を通った。

「ここ、ツネちゃんが寝ていたところ。覚えている?」

「ちょっとお兄さん、それくらい覚えていますよ!」

 そういうことではないのだが。熱に浮かされていても意識はあったようだ。

 スーパーに着くなりツネちゃんははしゃぎ出した。

「やっぱり、こっちは凄いですよ!街なかのお店がこんなに品揃えがいいなんて!」

 殊勝にも、昨日の午前中にはガラガラになっていた陳列棚には再び商品が綺麗に並んでいた。商品の運搬車はタイヤにチェーンをつけて荷物を届けたのだろう。ありがたいことだ。

「ツネちゃん、ごめん。その…財布がすっからかんで、何も買ってあげられないんだ」

 証拠として、俺は財布を開いてツネちゃんに見せた。小銭が幾らかあるだけで、社会人の財布としては恥ずかしいくらい寂しいものだ。するとツネちゃんは心外とばかりに言った。

「もう、この期に及んで及んでおねだりなんかしませんよ。そんな卑しい女に見えますか?」

「あはは、まさか。でも安心したよ。なにせ缶ジュース買うので手一杯だからさ、今の所持金じゃ…」

 ツネちゃんは品物の豊富さに驚いていた…その「豊富さ」とは2種類あるのだという。

「1つには単に扱っている品物の幅が広い、ということです。生ものから乾物、酒、そして日用品。生活に必要なものはほとんどこちらで手に入ります。もう1つは、一つの『品種』ごとに扱われている、個別の品物がとても多い。例えば、ほら、牛乳にしても3種類もありますし、ヨーグルトでは大小合わせて6種類もありますよ。酒に至っては小さな酒屋かと思うほどの品揃えです。素晴らしい…ここの商品の一割でもそのまま輸入出来れば莫大な利益を生むでしょう」

 ツネちゃんは目を輝かせていた。あれこれ商品を手にとってはしきりに関心していた。商品を見ている時のツネちゃんは熱っぽかった。俺はただのしがない会社員で、スーパーに並ぶ品物を見てもあまり感動しない。だが商人の子供であるツネちゃんには、同じ陳列棚を見るのでも、きっと違う何かが見えているのだろう。そこには女の子が流行りの服を前にして喜ぶ様な「何か」があるのだ…ツネちゃんにとっては。

 とは言え、帰れなくなっては困るので頃合いを見て「もうちょっと」と渋るツネちゃんを外に連れ出した。店を出てからもツネちゃんは身振り手振りで感動を表現している。

「よほど気に入ったんだね」

「ええ、最高でした!もっともっと、こっちの社会についても、交易についても勉強しなくちゃって思いました!!」

「そりゃよかった」

 雪残る寒さも今のツネちゃんにはまるで関係ない、そういった興奮ぶりだった。

 

 スーパーを出て何の気なしに最寄り駅へ向かっていた。ここいらから少女が一人で地方へ行くには電車を使うほかないからだ。幸いに多少の遅れをもって電車は運行していると朝のニュースで言っていた。ざくざくと雪を踏みしめながら道を歩いていった。

 ところが駅までまだ十数分はあるというところで、ツネちゃんははたと止まった。

「お兄さん、もうここらへんで大丈夫です。あとは道、分かりますから」

「え?いやいや、まだだよ、ツネちゃん。駅までは大分あるって」

「いえ、()()()には乗りません。歩いて帰る道があるんです」

 俺は流石に狼狽(ろうばい)した。

「ええ、ちょっと待ってくれ、君はそんなに近場から来ていたのか?そ、そんなわけないだろう」

「いやー、近くはないですよ。とても遠いというほどではないですが…とにかく大丈夫です」

「おいおい、ここまで来て見放せるわけないだろ。どうしたんだ一体」

「え?いや、嘘はついていませんよ。ほんとに、今から歩き始めれば日没までには十分帰れるんです…」

 そこでツネちゃんは頭を抑える仕草をした。

「――って、ごめんなさい、信じられるわけありませんよね。証拠を見せないと」

 そして、30秒か1分か、ツネちゃんは口をきゅっと結び何か思案げに目を泳がせた。

「お兄さん…」

 ツネちゃんは俺の手をとって両手で温めるようにして包んだ。そして目を一杯に開き、

「ありがとう」

と、何かに祈るように、俺の手を包んだまま手を上げて、頭を下げた(これが礼であったとは後になってから気がついた)。ツネちゃんは笑っていた。その笑顔の意味も、ツネちゃんが言っていたことも、まるで分からない。ツネちゃんは包んでいた手をほどき、俺の左手を掴んでツネちゃん自身の頭の上に載せた。正確には、右頭頂部に。

「これが証拠です」

 ツネちゃんは目をつぶり(りき)むような表情をした。ツネちゃんの顔は徐々に紅潮していった。俺はツネちゃんの顔ばかりに集中していたから、ちょっと汗ばむくらいの息遣いでツネちゃんが

「どうです?」

と言ってきた時、何が何やら分からなかった。しかしツネちゃんが「上」に視線を動かして気がついた…。手にチクチクと細かく刺す、それでいて柔らかい感触があるのだ。無論ツネちゃんの髪の毛じゃない。

 それは確かにツネちゃんの頭に生えている。ツネちゃんの髪と同じ、栗色のふさふさとした毛に包まれていて、2つ並んでぴんと立っている。立体で見れば(すい)、正面から見れば三角形のそれは入り口では外縁部から内に向かって毛が伸びていた(異物の侵入を防ぐためか?)。恐る恐る手で握ったり倒そうとしてみると、くにくにと柔らかく、それでいて温かかったから、それが確かに動物の肉の一部だと分かった。これは獣の、(キツネ)の耳だ。

「お兄さん、ちょっとくすぐったいです…」

 俺はあまりのことに夢中で、左手でこの耳を触っていた。

「これ、作り物じゃない…よな?ツネちゃんの…」

「はい、これは私の耳です。わたし、ほんとは()()()()()()()()()じゃないんです。(キツネ)の世界から参りました。(キツえ)の世界からこっちに来るには特別な『道』があるんです。そこを通っていけば、帰れるのです」

「え…ちょっと…」

 俺はあたりを見回した。幸いに(と言うべきなのか)周囲には誰一人いなかった。街の誰もが年を越す準備を家でしているのだろう。

「マジ?」

「尻尾もありますよ。ここでは見せられませんが」

 ツネちゃんは赤い顔の色を更に深めた。

「お兄さん、じゃあ、また…」

 ツネちゃんは駅とは方向違いの、住宅街の小さな道に走り出した。言うまでもなく俺はあとを追う。

「あの、ちょっと、ツネちゃん…!」

 手を掴むとツネちゃんは歩みを止めた。振り向いた時のツネちゃんの表情は今も忘れられない。

 紅の表情で、目は()が悪そうにキョロキョロとし、だが時折俺の方を見る。口は、咄嗟(とっさ)に何を言うでもなく、もごもごとした。思考に口が追いつかないといった風だった。数度何かを言おうとしては飲み込んで、最後におずおずと声を出した。今にも震えだしそうな声、しかしどこか喜びの調子を帯びてやや上ずっていた。

「わたし、お兄さんには()()()()()()()()()()()()()んですよね…どうしよう…って思ったら、なんかまた会うの、とっても恥ずかしいなー!って…耳まで…」

 瞬間、俺の目線はツネちゃんの後ろに向けられた。まるまるツネちゃんの下半身分はありそうな巨大な尾が出現したのだ。ついでツネちゃんは小さな叫び声を上げお尻を抑える仕草をした。

「ああ、もう、わたしったら…!なんてことを…」

 ツネちゃんは尻尾をぎゅうぎゅうと抑えていた。抑えると隠せるのだろうか…?

 少女の慌てふためく様を見て、今更ながら俺も恥ずかしくなってきた。ツネちゃんは病人で(過去形だが)、俺は病人をなんとかしたいと思って彼女にいろいろした。もちろん少女の()()を見るには見たが、だから何だと言うのだ!病人を看護して、その間に劣情を催す不埒者がいるか!

 ………………。

 …と言いたいところだが、尾を隠そうとし、かえって狐耳の方が力強くその形の美しきを誇るかのようにぴんと立つツネちゃんを見て

「君は、美しかったし、とっても可愛いよ!」

と率直かつ本心すぎる感想を、述べないわけにはいかないのだった。

 

 一瞬驚き、にぃっと歯を見せてツネちゃんは笑った。あまりにも眩しかった。初の日の出にはまだ相当時間があるはずというのに。

「お兄さん、顔が鯛みたいに()()()ですよ!」

「え?!あはは、そんなことないだろ?」

 自分では気が付かなかった。

「ああ、そうだ――」

 俺は上着のポケットをまさぐった。あるはず、と思ったが果たしてあった。昨日の買い物のレシートだ。その裏にペンで数字の列と住所とを書いてツネちゃんに渡した。

「これ、俺の携帯電話の番号なんだ。こっちに来たら連絡くれよ。迎えにいくからさ。それと、漢字は俺の家の住所」

 いや、それではダメだ、取り繕わず、ちゃんと言わなくては。恥ずかしがるな。

「また君に会いたい。君のことをもっと知りたいんだ」

「ふふ、これ以上、お兄さんがわたしの何を知るっていうんですか…?」

 体を少しくねらせてツネちゃんはいたずらっぽく言った。

「いや、そんなつもりじゃ…俺は君の中に人として素晴らしいものを…それもあるが、もちろん君は女性としても…」

「冗談ですよ!今度はわたしがお兄さんをもっと知る番ですから!」

 その言葉には何の(くもり)もなくて、胸にしみじみとこの人は愛らしいと感じるのだった。

「じゃあ、またっ」

 少女らしく小さく手を振ったかと思うと、ツネちゃんは雪を蹴って駆け出した。俺はツネちゃんが見えなくなるまで立ち続けた。言われてみれば不思議な道で、どこにでもある住宅街の生活道路に見えるのだが、しかしこの細道(ほそみち)の入り口からある地点で急に道の左右の家々、その生け垣や庭先の木々がやけに(しげ)くなっていた。しまいにはさながら植物でゲートを作っているようにも見えた――そしてなぜか奥行きが異様にあった。そういうわけで森の中を走っていくかのようなツネちゃんを、俺は長く見ていることができたのだった。

 ハッピーニューイヤーは英語だが漢字の表現では慶春(けいしゅん)という言葉がある。俺は結局、新年早々両親を含め親族一同の健在を確かめることができたし、まず(もっ)てこれを(よろこ)ばしき新年の(はじめ)とすべきである。けれども思いがけず破顔してしまう慶春は、そろそろ仕事が始まろうかという時期にやってきた。年賀状などダイレクトメールのものしかやってこない俺の家の郵便受けに、遅めの年賀状が入っていたのだ。写真がプリントされていた。神社らしき場所を背景に和服を着た二足歩行の(キツネ)が写っているもので、一()は振り袖、もう一()は黒っぽいものを着ていた(堂々たるものだった)。男の方は正面を向き歩いているのだが、女の方はカメラ目線に笑顔でピースサインを作っていた。耳も尾も以前より明らかに毛並みが美しく、それはまるで冬の清水の流れのようで、(ぎょく)は手入れで()くも変わるものかなと思った。


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