甲殻大怪獣デボラ   作:彼岸花ノ丘

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瀬尾進の経営

「社長、こちらが現在の状況となっております」

 東京某所のとある事務室にて。自分より二十近く年上の『秘書』の男性から渡された書類を手に取り、瀬尾(せお)(すすむ)は書面に目を通した。

 渡された書類の内容は、進が経営する会社の株価がこの一ヶ月で辿った推移。

 進は『瀬尾グループ』の社長を務めていた。都内でも有数の食品系大企業で、日本では知らない人の方が少数。会長は進の父親が務めており、親族経営と揶揄された事もある……そうした意見に辟易する事もあるが、同時に進は自身の立場が大変便利なものであると認識していた。何しろその意見を言った者は、上辺しか見ていない無能だという事が簡単に分かるからだ。あの『金の亡者』が息子というだけで社長の席を与える訳がないというのは、ちょっと付き合えばすぐ分かるのに。

 事実進は四十代という若さながら経営者として非常に優秀で、会社に多大な貢献をしてきた。金の亡者である父と違い、会社そのものに愛着があるし、部下にも慕われている。父との確執はあるが、今後も少しずつ会社を育てていきたいと考えていた。

 ――――とはいえ、今年は中々大変な年になりそうだが。

「……やはり株価の低下は避けられないか」

 進は社長室の椅子に寄り掛かりながら、ぽつりと呟く。目の前のデスクに書類を置いて秘書の顔を見れば、彼はこくりと頷いた。

「はい。特に外国の投資家の離れが深刻です」

「日本はただでさえ急激な経済発展が望めないのに、此処に来て『怪獣』だからな。ま、何処の経営部門も似たようなものだろうから、親父の小言を気にしなくて良いのが不幸中の幸いか」

 肩を竦めながら冗談めかして言ってみたが、秘書はぴくりとも笑わない。進はもう一度肩を竦めた。

 デボラ。

 それが日本国政府が付けた、富士山より出現した巨大生物の名前だ。出現から一週間以上経った一月十日に発表され、マスコミを通じて日本中、いや世界中に広まっている。発表からまだ今日で三日しか経っていないが、既に知らぬ日本人はほぼいないだろう。小学生でも覚えているに違いない。知名度なら間違いなく『瀬尾グループ』以上のビッグネームだ。

 そして今、日本国民が最も関心を寄せている事柄でもある。

 デボラは既に二度、日本に壊滅的な打撃を与えている。挙句台風や大雨とは違い、何処に出現するか分からない。おまけに相手は自衛隊の攻撃をものともしないときたものだ。社会不安が蔓延するのも頷ける。投資家は日本企業への出資を避け、海外に資金が流出していた。

 海外は特に顕著だ。経済的に安定している『安牌』ではあるが、大きな成長も中々ないため得られる利益が乏しいのがこれまでの日本の投資事情だった。ローリスクローリターンというやつだ。しかしデボラにより、企業そのものがなんの前触れもなく消失する可能性が出たとなれば……ハイリスクローリターンとなる。投資先としてなんの魅力もない。

 旨味がなければ人は投資しない。投資がなければ企業は資金調達が困難になり、事業拡大どころか経営そのものが立ちゆかなくなる危険がある。

 『瀬尾グループ』は世界的に進出している事もあり、日本だけで経営している企業に比べれば被害は軽微だが……売上の四割は日本だ。普通の投資家ならその辺りの情報を精査し、リスクを推し量る。あまり楽観も出来ない。

 とはいえ何が出来るかと問われると、それもまた困るのだが。

「自衛隊の火力で撃退出来ないような生物なんて、民間の食品会社にどうしろって言うんだか」

「いっそロボット開発でも着手しますか?」

「ああ、良いね。全長三百メートルのロボットで殴り合う訳か。で、怪獣を倒した後は人間同士で争い始めると」

「お約束ですな」

 秘書と他愛ないジョークを交わしながら、はははっと進は笑う。確かに軍事方面の需要は生まれるかも知れない。いざとなったらそれを食い扶持にするかと、自嘲気味に考えた。

「ま、現実的には被災地と自衛隊への食料品援助を続け、世間的なイメージアップに務めるぐらいだな。それと本社の経営システムのバックアップを増やす。本社がデボラに叩き潰されても、企業運営を問題なく続けられる姿勢を内外に示すしかない」

「デボラ出現時に出したのと、同じ指示ですね」

「民間に出来るのは備える事だけだ。政府に期待したいものだがね」

「……実は、一つ小耳に入れたい情報がありまして」

 既に決めていた対策を繰り返したところ、秘書が顔を近付けてきた。

 この社長室は密室だ。余程の大声で話さない限り外に声は漏れないし、そもそも社長室の前を行き来する社員は少数。小声で話す必要はない。

 無意識にでも、そういう行動を取ってしまう情報という事だ。

「……聞かせろ」

「社員の間に、外国人労働者に対する不満が溜まっています。具体的には、中国人とアメリカ人に対するものです」

 進が命じると、秘書はすぐに答えた。

 聞かされた情報に、進は正直なところ驚きを覚えた。

 確かに今、日本は全体的に外国不信を加速させている。デボラの正体が何処かの国の生物兵器だという噂が広がっているからだ。かくいう進も、よもやあのような ― マグマに浸かり、ミサイルが通じないという ― 生物が自然に誕生したとは思えない。何処かの国が開発したとしか思えず、そうしたものを作れるのはやはり米国や中国しかないだろうと考えていた。

 しかしあくまで状況証拠であり、確証のある話ではない。政府や研究所が事実を突き止めるまで、疑惑は疑惑のままにすべきだ。

 勿論人間は機械ではないので、合理性だけで動けるものではないが……

「多少は想定していたが、そんなに酷いのか?」

「当社にデボラ襲撃による犠牲者遺族がいまして。彼等の一部が、積極的に陰謀論を広めております。ある程度共感を得られれば、外国人労働者の排除に動き出すかも知れません」

 秘書の話に、成程、と進は頷く。遺族ならば感情的になるのも分かる。そして野生動物に踏み潰されたというのと、何処かの国に殺されたというのなら、後者なら当たれる(・・・・)相手がいる分マシかも知れない。気持ちが偏るのは致し方ない。

 致し方ないが、これは見逃せない大問題である。『瀬尾グループ』の売上の二割は米国、もう二割は中国だ。日本を遙かに上回る経済規模の二国での売上拡大は、グループ全体の命運を左右する重大事項。そのためにも『地元民』の力は必要になる。外国人労働者を排除するなど出来ない。

 そうした思惑を抜きにしても、社員間の不和は企業としての力を損なわせる。解決は急務だ。

「……急ぎでミーティングを行おう。部長級にこの問題を提示し、調査させる。問題の深刻さを正確に知りたい」

「承知しました。スケジュールを組みます」

 秘書はすぐさまタブレットPCを取り出し、操作を始めた。とはいえ年末年始というこの忙しい時期、様々な企画や経営方針のミーティングが行われる。時間を取れるのは何時になるか……

「しゃ、社長! 大変です!」

 考え込んでいたところ、不意に誰かが社長室に跳び込んできた。

 ノックなしで扉を開け、挙句大声で呼んでくる。かなり驚いたのが本音だ。同時に、のっぴきならない事態であると悟る。

 部屋に跳び込んできたのは、経営部門の部長だったのだから。

「どうした? 何があった」

「きょ、巨大……いえ、デボラがまた現れたというニュースが入りました!」

「何!?」

 部長の報告に、進は椅子から立ち上がる。すぐさま情報を集めるように、秘書に視線を向けた。

 秘書はタブレットPCを操作し、ネットでの情報を集め始める。が、その顔は渋い。操作する指を止める事もない。

「……申し訳ありません。デボラは何処に出現したか、その詳細は分かりますか?」

 ついには情報を見付けられなかったのか、部長を問い質す。

 問われた部長は一瞬口を大きく開け、息を整えて、

「……アメリカです」

 それからハッキリと告げた。

「……アメリカ……?」

「はい。現地社員から連絡が入りました。向こうは現在午前一時前。報道機関や政府機関も不意を突かれた形で、やや動きが遅いようです」

「……分かった。すぐに現地役員と連絡を取り、状況を把握しろ。人命第一だ。一人も死なせるな。それと役員会議を始める。新しい情報が入ったら、すぐに私の携帯に伝えろ」

「は、はい。分かりました」

 部長は返事もそこそこ部屋を出て行く。礼節はなっていない、が、そんな事に拘ってる場合ではない。彼がゆっくり扉を閉める間に、社員の家族が踏み潰されているかも知れないのだ。

 進もすぐにデスクにある固定電話を手に取り、父親……いや、会長に電話を掛ける。金の亡者と蔑んではいるが、経営者としての腕前は自分より格段に上なのは認めざるを得ない。迅速に連絡し、指示を仰ぐべきだ。

 そして呼び出しのコール音が鳴る中、進は別の考えも巡らせる。

 アメリカにデボラが出現した。

 現状どのような被害が出ているか不明だが、日本での二度目の出現時には津波により町が一つ消えた。行方不明者二万四千人以上……つまり二万四千人が死んだと思われる。何処に現れたかによるが、もしアメリカの大都市に現れたなら、それだけで何万人と死んでいてもおかしくない。

 デボラが生物兵器だとして、果たして開発国を襲うのものか? コントロールが利かなくて暴走しているとも考えられるが、普通なんらかの対策 ― 頭の中に爆弾を埋め込んでおくとか ― をしておくだろう。それがないという事は、アメリカがデボラを生み出した犯人だとは考え難い。

 このニュースが公になれば日本国内……そして社内で生じていたアメリカへ不信感は大きく解消される筈だ。それ自体は良い事である。むしろ疑惑を乗り越え、より硬い信頼と団結が結ばれるかも知れない。

 だからこそ、進は危惧する。

 一致団結した人間というのは時として、悪魔よりも恐ろしいものであるのだから――――




ハリウッドデビュー(被害甚大)

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