甲殻大怪獣デボラ   作:彼岸花ノ丘

33 / 55
加藤光彦の災難

 光彦は困惑していた。

 今日も今日とて、彼は廃墟と化した市街地を歩いていた。目的は食べ物を得るため。今回訪れたこの町はほんの一月ちょっと前に壊滅したばかり ― なんでも中国に向かう最中のデボラに踏み潰されたらしい ― であり、つまりつい最近まで人が住んでいた地域。生鮮食品は無理だとしても、缶詰などの保存食は確実に、干物や燻製なども少しは手に入ると踏んだのだ。

 果たして思惑は、見事その通りに進んだ。いや、むしろ思惑以上の結果だ。元漁村という事もあり、大量の缶詰が残されていたのである。今日の分と言わず、一週間は暮らしていけるだろう。交通網や情報網が遮断されたこの時代において、事態から一月ほどで辿り着けたのが功を奏した。

 おまけに魚醤までもが手に入った。個人的に使うのも良いが、この手の味覚に飢えている輩に小瓶一つ分でも渡せば数日分の食糧と交換してくれる筈だ。ある種の『貨幣』である。

 大豊作といっても過言ではない。

 ――――うっかり余計なものを見付けなければ、であるが。

「……どうしたもんだかなぁ」

 光彦はぽつりと独りごちる。

 そんな彼の前には一人の、成人した女性が倒れていた。

 行き倒れなら問題なかった。そんなもの、今の時勢では珍しくもなんともない。しかし見れば胸の辺りが上下していて、生きているのだとハッキリ分かる。

 生きてはいるが、炉端で倒れているという事は色々ヤバいのだろう。今は陽が沈み、間もなく夜になろうとしている。七月に入ったとはいえ、デボラの影響により夜は厚手の上着が必要になるほど寒くなる。放置すれば凍死……まではいかずとも、残り少ない体力は空になるだろう。

 さて、どうすべきか。

 助けるべきか、無視すべきか……

「どうする父ちゃん。追い剥ぎしとく?」

「……自然とその発想が出てくる辺り、お前もなんやかんや『現代っ子』だよな」

 娘のようなものであるアカからの意見はとりあえず脇に置き、光彦は考える。

 助ける、というのが人として正しい行いなのは光彦にも分かる。しかし彼は善人になろうとは思っていない。そして今の世界は、自分一人生きていくのすら大変なのが実情だ。今日はたくさんの食糧を見付けられたが、それすら一週間もすれば尽きる程度。誰かに分ける余裕などない。

 恨みたければ好きにすれば良い。どうせ死人に口はないのだ。

「ま、捨て置くとするかね。明日になって死んでたら、身に付けてるものでも頂くか」

「分かったー」

 光彦はそう結論付け、アカも光彦の方針を受け入れる。ならば此処に居る理由はもうないと、立ち去ろうとした

 直後、光彦は足首をがしりと掴まれた。

 恐る恐る、光彦は足下を見る。倒れている女が腕を伸ばし、自分の足首を掴んでいた。現在進行形で行き倒れているのに、ギリギリとした痛みが走るほどのパワーを発揮している。

「クイモノ、ヨコセェェェェ……!」

 そしてゆっくりと上げた、やや歳は重ねているが整った顔を悪鬼のように歪め、ケダモノのように低い声で訴える。

 光彦は悟った。コイツぁヤベぇ奴だと。恐らく生きた人を襲い、喰う事も厭わない。これぞ『野生の人類』だ。

 極限の空腹状態が彼女の本能を呼び起こしたのか? 或いは厳しい環境により理性が消失したのか? 様々な考えが脳裏を過ぎるも、光彦はそれらを一旦頭の隅へと寄せた。そう、そんな事は大した問題ではない。

 問題なのは、冗談抜きにこの女がヤバいという事。

 そしてその女に、今、足首を掴まれているという状況。

「……はい」

 悪党ではあるが小物に類する光彦に、彼女に逆らう気概などある筈もなかった。

 ……………

 ………

 …

「ぶっはははははは! ははははっ! ひっ、ぶく、ふははははっ!」

「……そんなに笑わなくても良いじゃない」

 瓦礫の山が積み上がる旧市街地の屋外にて。月明かりを浴びながら光彦は馬鹿笑い。笑われた行き倒れの女性――――緒方早苗は唇を尖らせた。それでも光彦は笑うのを止めないので、彼女はふて腐れるように、ずずずと両手に持った缶詰の汁を啜る。

 しかしこれが笑わずにいられるかと、光彦は何時までも笑った。

 この早苗という女、聞けば結核……だった(・・・)らしい。

 両親の看病後、自分も同じ症状を患ったのだ。そう思うのは当然だろう。だからこのまま苦しみ、人に迷惑を掛けるのは嫌だと思って死に場所を探し歩いたが……野宿生活をしていたら、何故かどんどん体調が回復していったらしい。

 腹を空かせて食べた野草に薬効でもあったのか、自然の澄んだ空気が良かったのか、心理的な開放感により免疫が向上したか、そもそも結核だというのがただの思い込みだったのか。今となっては答えは分からないが、なんにせよ元気になったら死ぬ気も失せた。というより死にたくなくなった。

 では家に帰れば良いかというと、そうもいかない。何故ならもう死ぬ気満々だったため、バッチリ書き置きを残してしまったのだ。しかも「私は野イチゴになります」なんて赤面ものの一文まで付けて。そもそも山中を歩き回っていた所為で帰り道が分からない始末。

 かくして色々歩き回って早二ヶ月超え。これまでなんとか生きていたがついに限界を迎えて――――今に至るそうだ。

「しっかしまぁ、よく二ヶ月も生きてこられたな。俺達みたいに意地汚い訳でもないだろうに」

「ええ、苦労したわ……岸に打ち上げられた魚とか、自生してる野菜とか、そんなのばかり食べてきたもの。あと、先週はついに盗みをしてしまったわ。やってみたら、意外とどうって事もなかったけど」

「前言撤回。やっぱお前俺達寄りだわ……女なら身体使えば、今でも食いっぱぐれる心配はなさそうだがなぁ」

「こんなおばさんに需要なんかないわよ。大体、今時女にお金を払うような『紳士』がいるとも思えないし」

 さらりと述べた下ネタに、早苗もさらりと返す。極限状態に置かれて色々吹っ切れたのか、それとも元々平気なタイプなのか。なんにせよ、光彦としては嫌いではない。

 ついでに言うと早苗は割と自身の容姿を卑下しているが、光彦的にはそんなに悪くはないだろうと思っていた。確かに若々しくはないが……十分『イケる』歳だろう。肉付きもほどよく、実に美味そう(・・・・)である。尤も、だからこそ男性を警戒するのは当然と言えたが。

 しかし、それを考えると……

「ところで俺は警戒しないのか? 随分打ち解けてる様子だが」

 光彦も、割と無法者寄りの男性な訳で。

 されど早苗は気にした様子もなく、隙だらけで缶詰の中身を味わう。

「警戒はしてるわよ。でも、あなたなら大丈夫な気はする」

「なんでだよ」

「だって娘連れてる人だし」

「……………」

 それを言われると、何故だか反論し難い。光彦は口を閉じてしまう。

「父ちゃん父ちゃん!」

 バツの悪さを感じていた光彦にとって、慌ただしいアカの声は、大変タイミングの良いものであった。

「おっ。どうしたアカ。なんか美味いもんでも見付けたか」

「それどころじゃないよ! アイツらが来た!」

「アイツら……?」

 アカの言う『アイツら』とは何者か。光彦は僅かに考え込み――――答えに辿り着いて、ゾッとした。

「おいおい、マジかよ……見間違いじゃねぇよな?」

「多分!」

「多分かよ! っつーても、無視も出来ねぇか……」

「何? 誰が来たの?」

 『アイツら』なる者に心当たりがない早苗は、キョトンとしながら光彦に尋ねる。そんな暇はないし、早苗が『アイツら』に見付かったところで光彦の心は痛まないが……下手な事を喋られても面倒この上ない。

「こっちに来い。安全なところに行ったら説明してやる」

 ひとまずは早苗を黙らせ、光彦はアカと共に動き出す。

 早苗は一呼吸ほど遅れてから、光彦達の後を追う。光彦はこそこそと近くのは瓦礫……のように一見見える、よくよく見ればひっくり返った家屋だ。

 元は二階だった場所の窓を足で蹴破り、光彦は家だった瓦礫の中へと入る。アカは躊躇わずに続き、早苗は息を飲み、呼吸を整え、恐る恐る入ってきた。

 窓から床……正確には屋根だった場所……までは高さがあり、先に飛び降りた光彦は降りてきたアカを受け止める。ついでに早苗も受け止め、アカにはしゃがんで身を隠すよう指示。自分は飛び降りた窓から外を覗き込み、早苗も一緒に外を見る。

 しばらくは、何もなかった。

 けれども数分も経つと、パキパキと、瓦礫を踏み付ける音が聞こえてきた。

 足音の数は一つではない。パキパキ、パキパキ、パキパキ……何十という数が居る。それらは段々と光彦達が潜む瓦礫の方へと近付いていた。

 そして、ふと明かりが見えた。

「っ!?」

 早苗が仰け反りながら、塞ぐように自らの口に手を当てた。咄嗟に出そうになった悲鳴を、咄嗟に自ら抑えたのだ。

 余程大きな悲鳴でない限り聞こえぬだろうぐらい『アイツら』とは離れていたが、それでも悲鳴を上げそうになるほど『アイツら』は異様だった。

 『アイツら』は手にランタンを持ち、あちこちを照らしながら瓦礫の上を歩いていた。ランタンなので、その輝きは懐中電灯のように狭い範囲ではなく、ぼんやりと広範囲を照らす。そのため『アイツら』の姿は、遠くからでもハッキリと確認出来る。

 『アイツら』は赤黒い装束を纏っていた。頭から足先近くまであるローブで、顔には周りを見るためのものと思われる穴が二つ開いているだけ。体格からなんとなく男か女かは分かるが、年頃は窺い知れない。

 彼等はゆっくりと練り歩きながら、時折瓦礫を協力してひっくり返したり、何かに跪いたりするなど、奇怪な行動を繰り返していた。奇声を上げたり、嗚咽を漏らす者も居る。

 やがて彼等はその場から去り……見付からなかった光彦は、大きなため息を吐いた。

「……それで? 安全になったけど、教えてくれるの?」

 尤ものんびり休まる暇はなくて、早苗がじっとこちらを見ている。面倒臭いが『アイツら』が立ち去った手前、もう一度黙ってはくれないだろう。

 仕方なく、光彦は説明する。

「俺もそんなに詳しくはないけどな。アレだよ、宗教団体。デボラ教だ」

「デボラ教? あれが噂の……」

 早苗は窓から身を乗り出し、既に立ち去った『アイツら』が向かった方を見る。どうやら早苗は初めて彼等に出会ったらしい。

 デボラ教。

 デボラにより日本が壊滅した後、ぽつんと生まれた新興宗教の一つ。曰く、デボラはこの星の神である。彼は人間によって汚れた地球を綺麗にするため、『清浄な空気』で全てを浄化している。人間は自らの行いを恥じ、悔い改め、地球の意思と一体化する事で浄化された地球で暮らす権利を得られる。さもなくば肉体を滅ぼされ、魂を穢れた世界に送られるだろう……と彼等は主張している。

 いっそ清々しいほど胡散臭い教義である、と光彦は思う。ところが人間というのは、どん底に突き落とされるとこんなものでも有り難がるらしい。デボラ教はデボラにより家族や仕事を奪われた人々の間に爆発的に広がり、信者の数は世界中で激増している。噂ではあるが、アメリカでは今やキリスト教より人気だというから『世も末』だ。

 彼等は基本的には善良であり、信仰の押し付けも特にしない。無理矢理改心させても、心から地球と一体化しなければ意味がないと考えているからだ……と彼等自身は主張している。本当にそうかは分からない。何しろ『善良』な人間というのは、基本的にお節介だ。「穢れた世界から人々を助け出す!」という使命感を『押し付け』だと認識出来る人間がどれだけいるか怪しいものだ。

 聞いた話では、善意の下に人々を拉致し、洗脳し、信徒に加えているとの噂がある。

「ま、所詮は噂だがな。でももしかしたら本当かも知れないから、近寄らない方が身のためってやつだ」

 デボラ教について、光彦はそう纏めた。

「じゃあ、あなたは此処から立ち去るつもり?」

「……食い物は惜しいがな」

 光彦はそう言って、窓に手を外へと掛け這い出す。アカも窓に駆け寄り、光彦が伸ばした手を掴んで外へと出る。

「ま、そういう訳だから、俺達は此処から立ち去るわ。後はテメェの好きにしな」

 そしてそれだけ言い残し、光彦はこの場を後にする

「あら、それはつれなくない?」

 つもりだったのに、早苗が呼び止めてきた。

 光彦は振り返る。家だった瓦礫の中から、早苗は一人で這い出した。ぱんぱんと服を叩き、汚れを落とした彼女は堂々とした歩みで光彦に歩み寄る。

「一人は退屈していたの。もう少し一緒に居ましょ」

「……いやいや、お前と一緒でどんな得が」

「私が、一人が嫌って言ってるの。OK?」

 有無を言わさない強い口調。早苗は光彦と向き合い、荒い鼻息を吐く。

 何もOKじゃない。アカ一人でさえ喧しいのに、また女が一人増えるなど溜まったもんじゃない。食糧の消費だって増える。絶対にお断りだ。

 が、早苗はこちらの気持ちなど聞いていない。なんとも強い女だ……悪党だが小物な光彦よりもずっと。恐らく何を言っても、コイツは付いてくるだろう。

 抵抗は無意味。

「……OK」

 あっさりと諦めた光彦は、肩を落としながら早苗に返事を返すのだった。




これが今流行りのおっさんハーレム……!
ハーレム?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。