時は流れ、弥生賞当日。中山競馬場にて大勢の観衆がパドックにいる一頭の馬を凝視していた。
白毛に近い芦毛の馬でもなけれぼ、美しさすらも感じさせる尾花栗毛の馬でもない。
パドックで二足歩行で歩き続ける青き馬、ボルトチェンジだった。
これ以上ないまでに目立ち、観客が思わずカメラを取り出しフラッシュを焚いてしまう。
「皆様、フラッシュを焚かないでください!」
注意が入るが観客達はお構い無しにフラッシュを焚きながらボルトを写す。本来このような行為は褒められるものではない。馬にとってカメラのフラッシュは人間が銃を向けられるのと同じようなものであり、恐怖そのものである。
しかし人間が銃口を向けられようとも慣れれば恐怖を感じないように、害がないことを予測していれば動じない。ボルトは明治時代以降の元人間なのでフラッシュに害がないことを知っており動じなかった。当たり前だが。
しかしボルト以外で動じない馬がいた。
その馬の名はカムイソード。この馬は父ロードカナロア、母父デュランダルであり、如何にも短距離向きの血統である。
父のロードカナロアは、世界最強スプリンターが集結する香港スプリントで連覇を果たし、年度代表馬にもなった日本史上最強スプリンター。
母父のデュランダルはGⅠ5勝馬ダイワメジャーと同じ配合──この場合父と母父が同じ馬同士のことをいう。ドリームジャーニーとオルフェーヴルは父がステイゴールド、母がオリエンタルアートと同じなので全兄弟と表される。オルフェーヴルとゴールドシップは父ステイゴールドと母父メジロマックイーンが同じだが、母が違うので同じ配合と表している。尚、母母つまり祖母が同じ場合は普通に従兄弟と表す。日本ではファレノプシス(桜花賞、秋華賞)とナリタブライアン(牡馬三冠)が有名──で、父
ノーザンテーストは有馬記念馬アンバーシャダイ、オークス馬ダイナカールを始め1970年代から1980年代まで活躍した名馬を多数産み出しており、母父としてもエアグルーヴ等を輩出している。
だが不思議なことにデュランダルが現れるまでこの配合はまるで大物が出なかった。オークス馬であり、
その理由は単純に適性距離が合わなかったのが原因だった。SS、ノーザンテースト共に産駒が2000m以上の距離のクラシックで──それぞれの産駒であるジュニュインやギャロップダイナは一応マイルで活躍したが多数はクラシックを含めた中・長距離路線──活躍したこともあり、この配合ならクラシックでも活躍するだろうと思い込んでしまうのは当たり前のことだった。
この配合が活躍出来ないことを悟ったデュランダル陣営はデュランダルを短距離路線に移し、スプリンターズSやマイルCSで名前の由来となった名剣の切れ味の如くキレのある豪脚で差し切り優勝した。以降、この配合の馬達は短距離~中距離路線で活躍することになる。
そんなロードカナロアとデュランダルのスプリンターの二頭が血統表にあるカムイソードだが様々な事情で新馬戦にしては長い2000mに出走することになった。
血統がスプリントスプリントしているものの結果は大差を付け勝利。調子に乗った陣営は共同通信杯──トキノミノル記念とも──に出走登録。母父を彷彿させるように直線で最後方から豪快に差し切り、母父がスプリンターだった菊花賞馬キタサンブラックのようにクラシックに適性があると陣営は判断。マオウが海外で遠征していることもありクラシックに殴り込みに向かった。
「おいボルト、二足歩行は止めろ」
「良いデハないか、諏訪ちゃん」
「そうじゃなくてレースに支障が出る」
『仕方ないな』
そしてボルトが四本足歩行に戻し、普通に歩き始め、一人呟く。
『にしても、カムイソードってのはやりそうだな』
ボルトもカムイソードを警戒していた。ボルトの作戦は他の馬達の精神攻撃を仕掛ける為にわざと二本足歩行でパドックを歩き回っていた。その結果、カムイソードのような例外を除き馬達をイレ込むことに成功した。
『……あいつもか』
そしてもう一頭動じない馬がいた。ハマノシンキング。かつてボルトに新馬戦で舐めプさせられ、負けた馬である。しかしあの敗北がハマノシンキングを成長させ父や父の産駒であるマジソンティーケイを彷彿させる大物に成長していた。
『前哨戦とはいえ負けるほど俺は甘くないがな』
フラッシュに動じないボルト達が上位人気となり、ゲート入りが終わる。
【スタートしました! ハナに立ったのはハマノシンキングとボルトチェンジ。続いて──】
ハマノシンキングとボルトチェンジが先行し、その他の馬がそれに続いて最後方にカムイソードが並ぶ形になった弥生賞。しかしこの三頭を除いた馬に騎乗している騎手達は焦っていた。
「くそっ、大人しくなれ!」
それは馬がかかって──動揺し、無駄な動きが増えて体力を消耗すること──しまい、それを抑える為に折り合いを付けさせる為だった。しかし人間が道中で銃声や悲鳴を聞いてパニックになって収拾がつかないように騎手達が馬を落ち着かせようとも非常に難しく、むしろパニックにさせるだけであり悪循環が続いた。
その悪循環から逃れるには妥協しかない。無理に抑えても体力を無駄に使う為、いっそのこと逃げるハマノシンキングとボルトチェンジを抜かして楽に逃げようとした。
『だから甘いっての』
二頭に並んだところでボルトが競りかけ威圧する。ボルト以上に巨大な馬は、ばんえい競馬──荷物を引きずりながら走る競馬のこと。スピード重視のサラブレッドとは違う種類のパワー重視の馬がこの競馬をしている──の馬にしか存在しないくらい巨体であり威圧感がありすぎ、楽に逃げるどころか却って暴走するか、大人しく後退するかのどちらかだった。どちらにせよ直線に入る前に後退しざるを得なかったのだが。
『二度目は負けねえ!』
もう一頭の逃げ馬ハマノシンキングがボルトと並び競りかけ、二頭の一騎討ちが始まった。
【ハマノシンキングとボルトチェンジがここでスパート! そして三番手にカムイソードが上がってきた!】
その一方でカムイソードが徐々に差を詰め持ち前の末脚が炸裂。
【カムイソードがじわりじわりと二頭に迫る!】
カムイソードが二頭を捉え、差そうとしたその瞬間、地鳴りが響いた。
【ハマノシンキング後退、カムイソードとボルトチェンジの二頭の一騎討ちになったぞ!】
『な、なんて野郎だ……俺の脚は衰えている訳じゃないのにっ……!』
カムイソードとボルトチェンジの末脚が冴え、ハマノシンキングが脱落。ハマノシンキングはあくまでも長い脚を持たせる逃げ馬であり一瞬のキレで勝負するような追い込み馬ではない。
しかしカムイソードよりも前に走っていた分だけスタミナが喰われたのは事実であり、カムイソードに差される原因となった。
『ったく、確かに僅差で決着が着きそうだ。橘、行けるか?』
「おう、いつでもいいぜ」
そしてボルトが首を下げ空気抵抗を減らすとカムイソードを差し返したところでゴール。弥生賞は上位人気馬三頭が上位を占める結果となった。馬券的には美味しくもなんともない結末であった。
表彰が終わると武田と橘が取材を受け、ボルトは諏訪と話していた。
「で、どうだった? スピードよりもスタミナを鍛えてよかっただろうが」
「アア。今後ハスタミナ重視デ頼……本気カ?」
「どうした?」
「春の変則三冠、安田記念、宝塚記念……」
「だからそれがどうした?」
「今言ッタレース、俺のローテーションらシイ」
「……」
ボルトの言ったことが理解出来ず、諏訪が石像の如く固まった。
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