上も下も無く、真っ黒な空間を認識した時に
これは夢だ。そして、俺はこの夢の事を嫌っている。
その理由はずっと聞こえている二つの音だ。その一つはカランコロンとまるでサイコロを投げているかの様な音で、頭上からずっと途切れる事なく聞こえている。その音を聞き続けていると、まるで自分がボードゲームの駒の一つになった様な感覚がするのだ。自分の意思ではなく、誰かの意思でしか動く事が出来ない駒だと錯覚してしまうから嫌だった。
もう一つは足の下から聞こえてくる歌。か細く、よく注意していなければ聞こえない声量だが、不思議と良く通っていてサイコロのような音に掻き消されずに俺の耳に届いている。この歌を聴き続いていると訳の分からない焦燥感に駆られるのだ。何かを忘れている、思い出さなくてはならないーーーだが、思い出せない。どうしてそんな気持ちになるのか分からず、思い出せないので嫌なのだ。
だが、今日に限ってこの歌が何なのかを薄っすらと察する事が出来た。
この歌は、恋歌である。■■が■■を想って歌われる、愛の歌。
どうしてそう思ったのか分からない。しかし、理屈を一切無視して不思議とそうだと納得してしまった。その事に焦燥感と虚無感を覚えて苛立たしい。
その正体が知りたい。そう考えて下に向けて手を伸ばすが、身体は歌の主の元へと向かう事は出来ずに意識が薄れていく。その現象にあぁやっぱりダメだったかと舌打ちをする。いつもの事だ。俺が歌の主の正体を知りたいと思って行動をすれば、その瞬間に目覚めが訪れる。
出来ればもうこんな夢は見たくは無い。だが、歌の主の正体は知りたいという二つの思いを抱きながら、俺は目を覚ます。
「ぁー……」
眼が覚めるのと同時に感じたのは激しい頭痛だった。頭の中でまるでロックバンドでも行われているんじゃないとか馬鹿な事を考えてしまう程に酷いそれに苛立ちを覚え、手で頭を抑える。不本意な事だが、この頭痛は今日昨日で始まった事ではない。しばらくすれば自然と治ると理解する程の付き合いである。
目覚めてから数分ほどそうやって、頭痛が治る。起きてすぐには動く事が出来ない程に痛かったが、治ってしまえば眠気は欠片も残らない。今日のスケジュールを頭の中で思い出しながら、動こうとして手を退かした瞬間、
「おや、目覚めたかね?」
視界に友人である男の顔が飛び込んできて、予想外の事と頭痛から来る苛立ちで咄嗟に近くにあったガラス製の灰皿でそいつの顔面を思いっきり殴った。
「いきなり撲殺しようとするのは酷くはないかね?」
「目覚めの一番が男の顔面で、しかも不法侵入者と来たら殴り殺されても仕方がないだろ……っうかどうやって入って来た?鍵は閉めてたはずだが」
「こう、鍵穴からにゅるんと」
「鍵穴かー……」
普通ならふざけているとしか思えない発言だが、目の前のこいつがそう言えばそんなのだと受け入れる他無い。何故なら、目の前でいそいそとどこからか持ってきていたエプロンを畳んでいる人物は正しい意味で
カール・クラフト。魔術師を自称し、気紛れに現れる俺の友人。初めて出会った時にその存在感がこの世のものとは思えずに問い質したところ、いつも顔に貼り付けている胡散臭い笑顔で誤魔化されてしまった。だが、それでも長年付き合っていれば大まかの察しはついてしまう。
正体の察しはついたが、それを俺から追及する事はしない。正体が何であれ、こいつは俺の友人である。なら、向こうから話してくるまでは何も言わない。
冷蔵庫からペットボトルを取り出し、その中身を全て飲み干して俺の朝食はおしまいである。カールは勝手に持ち込んできた食材を使って朝食を作ってそれを食べていた。
「で、今日は何の用事だ?」
「君から頼まれていた事、それの報告だよ」
懐に手を入れ、出した時には紙束が握られていた。それを受け取って中身を確認する。
「近頃、この周囲で失踪事件が多発しているのは知っているかね?」
「あぁ、確か十代二十代の奴が突然居なくなるんだろ?テレビ付けたらニュースで良くやってるよ」
「その犯人は
錬金術師と、普段ならば耳にする事のないワードを聞いて
紙束ーーー調査資料の中程にあった地図を確認すれば、印はこの町から然程離れていない山の中に付けられていた。山への移動時間だけを考えれば、車を使って30分かかるかどうかと言ったところだろう。ニュースで挙げられる程に有名になっているのだ。いつ拠点を移してもおかしくは無い。
立ち上がり、クローゼットを開け、奥の壁に手を当てて押す。そうすれば壁は回転し、更なる奥行きを見せた。
そこに保管されているのは刃物や銃器、それに爆発物と言った危険物。見つかれば警察沙汰になって逮捕される事間違いなしだが、生憎と仕事柄で警察とは協力関係にある。見つかって留置所に入れられた所で、俺の事を知っている者が釈放してくれる手筈となっている。
ナイフ数本を服の下に仕込み、拳銃を胸ポケットに隠し、手榴弾と閃光手榴弾を数個ずつ、部屋から出て更に冷蔵庫からペットボトルを数本リュックサックの中に詰め込む。そして着けている手袋がしっかりと嵌っていることを確認してからリュックサックを背負う。
「おや、出掛けるのかね?」
「あぁ、食べ終わったら食器は洗っておけよ。出るなら鍵をかけて出てくれ」
「幸運を祈るよ」
いつも通りの胡散臭い笑顔を貼り付けたまま、カールはヒラヒラを手を振りながら俺を見送った。普段であれば、その雑な対応に文句の一つでも言うのだろうが、俺の頭の中にあったのは〝錬金術師〟というワードだけだった。
車を使って30分後、予定していた通りに山の麓に辿り着いた。今日は平日なので人の姿は見えないが、休日になれば登山コースを使う登山者も見られる。逆を言えば、それ以外の利用者は存在しないという事だ。隠れて何かをするにはもってこいの場所である。
カールから貰った資料の印は山の中程、正規の登山コースから外れた場所に付けられている。途中までは登山コースを利用し、近くまで来たら外れて印の場所に向かうことにした。
登山コース自体は緩やかだが、そこを少しでも外れれば鬱蒼とした森が広がっている。人の手入れも施されていないありのままの自然だ。今は冬を間近に控えているので虫は少ないが、もしも夏にここを来ようと思ったら虫除けスプレーは必須だろう。
予定通りに印が一番近くなる所まで移動し、そこからコースを外れて真っ直ぐに向かう。草木が生い茂っていて歩くのは困難だが、俺の錬金術師への執着がそれを無視してさっさと進めと駆り立てる。手で掻き分け、ナイフで切り払いながら道無き道を進んで行く。
すると崖に突き当たってしまった。回り道は見当たらず、ロープが無いので降りる事も出来ないだろう。迂回するにしても、現在地が分からなくなって迷うのが目に見えている。
手段はある。万が一を考えて周囲を見渡し、人がいない事を確認してから手袋を外す。
手袋の下から現れたのは異形の手だった。
黒々とした光沢を放つ甲殻に覆われ、指ではなく鉤爪が生えている。人の物では無い、虫の腕。それが俺の腕だ。
こんな物を元からもっていた訳では無い。探偵業を始めた頃、女性から彼氏の浮気調査の依頼があった。金払いも良かったので即決し、すぐに俺はその彼氏の尾行を始めた。
そしてその日のうちに見つかり、俺は捕まった。
その彼氏は錬金術師で、女性の父親の財力を目当てに女性に近づいたのだった。その時は殺されると考えていたが、錬金術師はそれを否定して俺の事を実験材料にすると言い出した。
そうしてーーー俺はカナブンと合成させられた。
何故そうなった、何故カナブンとなんだ、せめてクワガタとかカブトムシとかにして欲しかった。
カナブンと合成させられた結果、俺の手足と身体の一部はカナブンの手足と甲殻に変わった。内臓の殆どは退化し、砂糖水以外の物を受け付けない身体になってしまったのだ。普段は厚着をし、カールから貰った特製の手袋と靴下を使う事で誤魔化している。
俺の錬金術師への執着は、元の身体に戻る事が目的だ。合成することが出来るのなら、分解する事も不可能では無いはずだ。カールに頼んで錬金術師の情報を集めて貰い、手当たり次第に探している。今日までの間で何人かの錬金術師に出会ったが、そのどれもが合成と分解をテーマに研究しておらず、更に外道な研究をしていたのでもれなく全員を警察に突き出している。
俺を合成した錬金術師と出会えれば手っ取り早いのだが、奴は物の見事に雲隠れしている。依頼人だった女性の父親は資産の殆どを奪われて破産した。女性は依頼料を払えなくて申し訳ないと謝っていたが、依頼が達成出来ていないのだからと言って頭を上げさせた。
そんな昔を思い出してあの日の怒りを思い出しつつ、落ち着かなくてはいけないと考えて深呼吸をする。そして崖の凹凸に鉤爪を引っ掛けながら降りる事にする。このカナブンの手足とも数年の付き合いだ。この程度の崖なら、問題なく降りる事が出来る。
そうやって危なげなく崖を降りる事に成功し、再び地図の印の場所を目指して進む。そうやって歩き続けて数十分後、漸く目的の場所に辿り着くことが出来た。
まず始めに感じたのはーーーむせ返るほどの死臭だった。草木に隠されるようにして空いた穴から普通では決して嗅ぐことのできない程の腐乱臭が漂っている。これまでの経験則から、この錬金術師は外道だと判断してナイフを取り出して警戒する。
そして穴の周囲に罠が仕掛けられていないかを確認している時にあるものを見つけた。
「……足跡?」
それは地面につけられた足跡。それが人の物ならただここが錬金術師の拠点であると証明する材料になったが、生憎とそれは人の物ではなかった。五指が均等に扇状に広がっていて、その上人の足よりも踵までの距離が短い。
人間大のトカゲの足跡、そう呼べるような異形の足跡だった。
「まぁたこういう案件かよ……」
覚悟していたこととは言え、ため息が溢れてしまう。過去に錬金術師を探していた道中で、こう言った異形の存在と遭遇した事があるのだ。今回もそうなるかもしれないと考えていたが、決して進んで会いたくない相手である事には間違いない。出会わないようにと願っていたがどうやら無駄になったようだ。
それでもこの奥に錬金術師がいることは間違い無いので進む以外には選択肢は無い。罠が仕掛けられていないか警戒しながら、ゆっくりと穴を進んでいく。
穴は奥に続いていた。人1人が屈んで進める程度の高さで、進むのには然程苦労はしない。気になるのは、この穴が
だが、
帰りたいという気持ちが芽生えるのを、俺をカナブンと合成した錬金術師に対するヘイトで無理矢理にねじ伏せて奥へと進む。そうして進み続け、開けた空間へと出た。
床はここまでの穴のような土ではなく石畳。壁や天井も石で作られていて、苔がボンヤリと光って光源となっている。
「遺跡か?そんな話聞いた事無いけどな」
つまりここは未発見の遺跡なのだろう。考古学者だったらこの発見に狂喜乱舞してただろうが、生憎と過去の経験ではこういう場所には良い思い出がない。充満している死臭に眉を顰めながら、足跡を立てないように慎重に奥へと進んでいく。
遺跡の内部は恐ろしいほどに静かだった。道中では過去に見たことのある異形の存在と似たような姿の石像がいくつもあり、俺の精神をガリガリと削ってくる。明らかに奉られている上位存在だ。こんな存在がいるという事実だけで発狂しそうになるが、口内を噛み切って痛みで正気を保つ。
そして、部屋を見つけた。聞き耳を立てても音が聞こえないので誰も居ないと判断し、中に入る。その部屋には資料室のようで、彼方此方に資料が乱雑に放り投げられていた。何枚か手に取って確認しても理解出来ない言語で書かれているので読むことは出来ない。だが、途中途中で書かれている図形からこれが研究資料である事だけは理解出来た。
「……歌?」
資料を詰めれるだけリュックサックの中に入れ、探索を再開しようとした時に静寂に包まれていた遺跡の中に消えてしまいそうな程にか細いうたが響く。
知らないはずのその歌に既知感を覚え、同時に焦燥感に駆られる。何故だ、何故この歌を聞いただけでこんなに心が乱されるのだろうか。
気がつけば、それまで慎重に行動していたというのに無警戒に遺跡の中を歩き出していた。それはまるで光に誘われて群がる羽虫のよう。聞いたことも無い、知らないはずの歌に誘われて、フラフラと遺跡の奥に進んでいく。
辿り着いた先は恐らくは実験室から保管室だろう。広い部屋を埋め尽くすように、様々な生物たちが冒涜的な姿で正体不明の液体に浸されていた。
それは俺が求めていたはずの合成された生物たちだった。動物たちだけではなく人間も、まるで子供が人形をバラバラに分解して適当に繋ぎ合わせたように歪な姿にされている。合成に手を出しているのなら、その対になる分解にも理解があるはずだ。
だというのに、俺は視線は部屋の奥に固定されていた。
そこにいたのは1人の少女。その背中には他の実験体たちの例に漏れず蜘蛛の脚が4本生え、額には人の物とは別の目が左右で3つずつ並んでいて、炎を思わせる真紅の髪を液体に漂わせながら胎児のように丸まっている。
聞こえている歌は彼女が歌っていた。眠りについているはずの彼女が歌っていた。彼女の事を俺は知らない。
だというのに、彼女の姿を見た瞬間に胸の高鳴りを感じた。
心臓が全力で走った時のように激しく脈打ち、息が苦しくなる。口内が乾き、何かを喋ろうとしても上手く舌が動かずに言葉にならない声しか出すことが出来ない。
そして少女が目を開いた。眠たげな、半分だけ開かれた瞳は晴天のような蒼色。それが、真っ直ぐに俺の事を見据えていた。
「さてーーー役者は揃い、舞台の幕は上がった。漸く、私の待ち焦がれていた歌劇が始まる」
男と少女が出会った光景を見て笑うのは1人の影法師。男の前ではカール・クラフトと名乗っていた人物だった。
彼は男が察していた通りに理外の存在であり、さらに詳しくいうのならこの世界の住人でも無い。彼はある目的の為に行動をしていて、その最中で興味深いものを見つけたのでこうして干渉しているのであった。
「誰も気づいていないだろう、そうした本人ですら自覚は無いはずだ。よもや、この世界が
それは同じ力を持っている彼だからこそ気がつけた。この世界は一度だけではあるがループをしていると。ある者が巻き戻しを望み、ある者が巻き戻しを叶え、二度目の世界が繰り返されている事に。
だからこそ、彼は巻き戻しを望んだある者に接触した。その者が再び舞台の上に立てるように手を貸した。
「いや、そもそもが誰も知らないだろう。この世界がただの泡沫であるなどと」
彼の眼下にあるのは不定形の存在。
それは誰も知らない、知ってはならない冒涜的存在。眠り続ける白痴の魔王。それが眠っていて見る夢こそが彼が干渉した世界であり、ソレが無聊を慰めている世界である。
もしも眠っているソレが目覚める様な事になればーーーその世界は瞬時に消える事となる。
彼はそれを望まない。眠りについているソレも目覚めを望んでいないだろう。
だが、目覚めを目論んでいる存在は確かにいる。
「脚本は完成されている。ならば、そこに私が手を加えるのは無粋の極みであろう。ここから先は、ただ1人の観客としてこの歌劇を楽しませてもらう事にしよう」
それを理解していながら、彼は動こうとはしない。ソレが寝そべっている玉座とは別の玉座に腰掛け、絡み合った二匹の白蛇を侍らせている。
「祝福しよう、我が友であった男よーーー君の物語はこれより始まる」
そう言祝ぎを送り、影法師は観客に専念する。一挙一動、この歌劇の全てを見届けようと目を凝らしながら。
・主人公
男性、三十路、探偵。高校を卒業すると同時に探偵業を始め、錬金術師に捕まってカナブンと合成させられてしまった。そのせいで食事を摂ることができず、砂糖水で生きている。元の身体に戻るために錬金術師を探しているが、その道中での神話生物遭遇率は驚異の100%。一度目は恐怖し、二度目は驚愕し、三度目で慣れた。そのせいで警察にはそういう専門家だと思われているし、裏稼業の者たちからは一目置かれている。
・ヒロイン
幼女、14歳。錬金術師に捕まり、蜘蛛と合成させられてしまった幼女ーーーという設定。その正体は■■■■■の
世界観としてはクトゥルフTRPG。主人公とヒロインが元の身体に戻るために錬金術師を探しながら、道中で遭遇する神話生物と殺し合う。ヒロインが自分の正体が何なのかを自覚した瞬間に最終シナリオが始まる……という感じ。