ハーメルン初投稿、初の喰種二次、久しぶりの連載物二次小説のトリプルパンチでビビり気味ですが、完結目指して書いていければなと思っております。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
私は母が大好きだった。
とても優しいひとだった。母は絵本を読んでくれて、髪を編んでくれて、怖い夢を見た夜は抱きしめて子守唄を歌ってくれた。女手一つで私を育てるのに、どれだけ大変な思いをしただろう。それでも苦労をおくびにも出さず、いつも春の陽ざしのような笑顔で私を見ていてくれた。愛してる、あなたは私のたからもの。口癖のようにそう言って。
7歳くらいの頃だったと思う。母は
私も駆除される寸前だった。顔から腹にかけての裂傷は、きっと一生消えることはない。痛くて怖くて寒くて、震えが止まらない私の頭上に見るもおぞましい武器が振り下ろされようとした時、大きな背中が前に立ち塞がった。
「
もうひとりの喰種捜査官の人だった。
熊さんみたいだな、とぼんやりする頭で思う私の頬に、ごつごつしたあたたかい掌が当たった。
「もしかしてこの子――――」
記憶は一度そこで途切れる。
気を失っている間、輸送先で私は治療と、様々な検査を受けたらしい。目を覚ましたのは数日後。白い病棟の中で、状況が呑み込めず呆然としている私の前に現れたのは、あのふたりの捜査官だった。
身を強張らせる私の前で彼らがしたことは、深々と頭を下げることだった。
「本当に申し訳ないことをした」
白い髪の先をベッドのシーツに垂らしたまま、彼は私にこう告げた。
「君は人間だ」
――――私はあの時、どんな顔をしていたのかな。
◇
9年後。CCGアカデミージュニアにて。
「ハタミぃ、このあとちっと職員室来いや」
担任にそう言われて、
「テ、テテテストはギリ赤点回避しましたけど?」
「ばぁか、1か月前の話蒸し返すほど俺ぁねちっこくねえっつの。客だ客。どこの応接室に通してるかわからんからそこで訊け」
いつもの歯に衣着せぬ口ぶりでそう言って、担任はタバコのパッケージ片手に教室を後にした。あんたは戻らず一服かい……、という突っ込みはさておき。
とりあえず、叱られる系の案件ではなさげなので胸をなでおろしたが、自分に客とはこれ如何に。エナには当然身寄りはいないし、郊外からわざわざ訪ねてくるような知り合いもない。仮にそんな人物がいたとしても、CCGの息がかかるこの施設に正面切って入ってくることはなかろう。いたらいたで多様なベクトルで怖い。
「おお? ついにハタミにも春がぁ!? アカデミーまで押しかけてくるたぁ情熱的なカレシじゃないの! いいねえいいねえ、お熱いねえ!」
「いないってばーもー。どうしてお客さんって情報だけでそういう妄想に辿り着くかなあ」
「妄想とは何だあ聞き捨てならん! たくましい想像力とおっしゃい!」
「はいはいはい。じゃあ悪いけど先に課外行ってて。人多かったら竹刀と防具キープしててくれる?」
「いいともー! 事後報告よろ!」
やたら元気な級友のサムズアップに苦笑を返して、エナは終礼後でざわつく教室から抜け出した。
ひとりになると、自分を斜め上から見下ろしているような、妙な感覚に陥る。
あの頃夢見ていたこと。たくさんの「おはよう」と教室のにおい、黒板にチョークをはしらせる時の感触、授業の合間の笑い声。すべてが与えられている今の自分が不思議で、申し訳なくて、どこか滑稽だ。
あの頃と今の自分に何も違いはないのに。「ヒト」である――――その事実ひとつで与えられる恩恵の、何と豊かなことか。
早足で階段を駆け下り、まばらに人が行き交う渡り廊下を突き進む。主にテストのせいでいい思い出がない職員室のドアをスライドさせると、先方は第一応接室にいらっしゃるとの旨を伝えられた。
(第一ってったら、対お偉いさんの専用部屋じゃん……。ますますどなたさまなの……)
訝しみつつも、同じ廊下を引き返す。第一応接室はここから少し遠い。
窓ガラスからあふれる日差しが昨日よりあたたかかった。一進一退を繰り返しながら、季節はゆっくりと春に向かって移り変わろうとしていた。
件の第一応接室の前で一回だけ深呼吸し、ドアをノックする。
「どうぞ」
「!」
それまで渦巻いていた疑問のすべてが、ドアの向こうの声を聞いた瞬間氷解した。
ぱっと満面に喜色を弾けさせて、エナは勢いよくドアを押し開ける。
「シノハラのおじさん‼ ……と?」
「こんにちはです~。カッコいい傷ですね~」
濃茶のソファには、エナの恩人である
造形という点では、彼はとても美しい。大きなガラス玉のような瞳は人の目を引き付ける何かがあり、つややかな白い肌は精巧な陶磁器を思わせ、ともすれば痛々しく見える体中の縫合糸と併せてよく映えた。だがその好ましさは人形のような物体に感じる類の感情で、決して人と相対した時に湧き出る情念ではない。面差しや眼差しに、人として何か根本的なものが欠落した印象を受ける、そんな少年だった。
一見して性別が判然としない彼がどうして少年だとわかったのか、エナにもわからない。それでも言葉は口をついてこぼれ落ちた。
「……
「やや?」
知らず口にした名前が突破口となった。
目が眩むほど高い天井。あるかなしかの細い綱。投げ打たれる無数のナイフ。
それらと戯れるように虚空で踊る、「飼いビト」の男の子。
そう、私はこの人を知っている。少しだけど言葉も交わしたじゃないか。
「玲ちゃんだよね!? ビッグマダムのとこの! わあ~懐かしいなあ、元気にしてた?」
「ん~、どこかでお会いしましたですか?」
「ずっと前、喰種レストランのショーのあとに話したんだよ。覚えてない?」
くるりくるりと目玉を回しながら、少年はしばし黙考していた。数十秒後、ようやく合点がいったというように、掌を拳でぽんと打つ。
「あぁ~、飴ちゃんくれた女の子ですか! あの時はどうも~。腹の足しにはならなかったですがおいしかったですー。
でも君、喰種じゃなかったですか? なんでアカデミーに通ってるです? もしかして、CCGに飼われてるんですかあ?」
「かっ……!? いやいやいや、それに関しては複雑かつ繊細な事情が……!」
「彼女は人間だよ」
割って入ったのは、それまで興味深そうにふたりの話を聞いていた篠原特等だった。
「どういうわけか、喰種として育てられていたんだ。育ての親である女性喰種も気づいていなかったらしい。9年前に保護されてからは、ずっとアカデミーで生活してもらってる」
「そーだったんですかー。じゃあ僕とあべこべですねえ」
篠原特等に促されて、エナは向かいのソファに腰を下ろした。篠原は思いのほか沈むソファにまごつくエナを微笑ましげに眺めていたが、おもむろに顔を引き締めて口を開く。
「今日、喰種捜査官として君を伺った理由はふたつ。今回の要件が君の出自に関するものであり、私たちの仕事に直結する内容だからだ」
「……!」
「什造。お前は一旦席をはずせ」
「えー、なんでです? 仲間外れはひどいですよー」
「……ありがとうございます。でも、平気です。お話していただけますか」
篠原特等はなおもためらっていたが、居住まいを正したエナの目を見て何かを感じ取ったのだろう。咳払いののち、大人と対話するのと同じ口調で話し出した。
「以前も話したように、私は君のご家族の情報を探していた。だがこれが難航を極めてね。
喰種の子と人の子が取り違えられることがあるはずない。我が子が
仮に取り違えがあっても、人間側の母親は子供が乳児期を過ぎた頃に気づく。だがここ十数年、我が子が喰種であったという報告も君の条件に合致する捜索届も出されていない。
となれば君のご家族、少なくとも母親は、君を認知していないか、……あるいは殺されているか。
私は、君を取り上げた助産師が怪しいと踏んだ」
“バロット”という喰種がいると、篠原特等は続けた。
「胎児ばかりを捕食する、極めて非道な喰種だ。残された妊婦の死体の状態から、CCGはこの喰種が産科系の医療経験者とみている。
これは私の推測だが……、“バロット”が人間、喰種双方の世界において助産師に類する仕事をしているのだとしたら、君の母親の出産にも携わっている可能性がある」
「……よくは、知らないんですけど」
絞り出した声はかすれていた。
「助産師の喰種も、……珍しいかもしれませんけど、この東京にひとりだけ、というのはないと思います。なぜその喰種が私と関係があると……?」
「ここ数ヶ月の“バロット”の動きを見ると、ある規則性があることがわかった。
君は保護されるまで、都内各地を転々としていたと言っていたね? 君たちの足取りと“バロット”の移動痕跡が、ぴたりと一致するんだ」
すう、と背筋が寒くなるのを感じた。
「何らかの事情があり、“バロット”は君を探している。ご丁寧にも、君たちが移り住んだ場所を順番に辿りながら。……ならば、我々はその先回りをして“バロット”を捕らえたい」
「……つまり、更なる情報提供をしてほしいと、そういうことですね?」
「そうだ」
「…………わかりました。でも、ひとつだけ条件があります」
篠原の両目を、いとけなさが残る少女の眼光が射通した。
「“バロット”の探索に、私も同行させてください」
「なっ……!?」
「直接話を聞きたいんです。もし“バロット”が本当に私の出生に関わっているのなら。
――――どうしてそんなことをしたのか。なぜ私だったのか」
ともすれば無機質にも見えるエナの蒼白な表情に潜む、深い苦悩の色を見て取り、篠原特等は押し黙った。
脳裏にかつての光景が蘇る。末期の痙攣に身を震わせる婦女と、泣きじゃくりながら母にすがりつく幼子。
息苦しいほど重い沈黙を破ったのは、少年の少し不機嫌そうな声だった。
「いいじゃないですかあ~篠原さん。篠原さんの予想がビンゴなら、この子を餌に“バロット”をおびき寄せられるでしょ? 仕事がスムーズにはかどって大助かりですー」
「おい什造! いくら候補生とはいえ、この子はまだ」
「殺されそうになったら、僕が殺してあげますよ。それで問題ないでしょ?」
置いてけぼりを喰らって拗ねているのだろうか。部下の辛辣な物言いに篠原は頭を抱えてため息をはく。思わずエナは吹き出した。あの何事にも動じないシノハラのおじさんが目に見えて手を焼いているのが、なんだかおかしくて。
「そうだね。じゃあ餌らしく、足手まといにならないよう頑張ります。よろしくね、玲ちゃん」
「はいは~い。よろしくです~」
お互いに差しのべた手を握り合う。
その様子を、篠原は呆気にとられ見つめていた。報告書どうしよと、頭の片隅で考えながら。
◇
――――しっかし驚いた。什造と恵那が顔見知りだったとは。世界は割と狭いもんだなあ。
――――ジューゾー?
――――僕の今の名前ですよー。
――――そ!? え、ちょ、どういう風の吹き回し!?
玲――――什造はへらへらと笑うばかりだった。記憶にある彼と変わらない、屈託のない笑顔だった。
「……玲ちゃんは」
ぐち、と口内のモノを噛み切りながら呟く。携帯は課外授業欠席の旨を連絡してすぐしまってしまった。まだ日も暮れていないのに自室のカーテンをぴったり閉め、エナは早めの“夕食”を摂っていた。
「なんで捜査官なんかになっちゃったんだろうね」
机の上には血塗れの生肉を乗せた皿と、「3月分」とだけ書かれた白いパッケージが置かれている。
「……この手のデリケートな仕事は、女性捜査官にお任せするべきだと思うんだけどねえ」
「篠原さーん。展開の都合ってやつですよー」
「?」
というわけで、第1話でした。
エナの名前の由来は産後母体から排出される胎盤などを指す「胞衣」から。
“バロット”は孵化直前のアヒルの卵を茹でた中国とか東南アジアの料理のことです。うっかり画像検索するとトラウマ確定なので注意されたし。
5話くらい、長くても10話以内に収まればなーと思っております。拙作ではありますが、楽しんで読んで頂ければなと思います。