東京喰種:Dear   作:花良

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こりゃあと2話で締められんぞ……。


【第3話】

 

「ねーねー。なにかきかきしてるのー?」

「うん?」

 

 

 どこかの喫茶店だった気がする。

 

 

 まだ開店して間もないというのに、店内はずっと前からこの地に、ひとびとに寄り添い立っていたような、柔いぬくもりをたたえていた。

 その一角で、母娘がテーブルを囲んでいる。どこでも見かける普通の親子だ。特段目立つ言動をしているわけでないのに、ふたりは不思議と一部の客の注目を集めていた。違和感はあるのに、その正体がわからない。奇異というよりは戸惑いに近い視線が、影から窺うように親子の一挙手一投足を追っていた。

 母親は、見せて、見せてとせがむ娘を抱き上げて膝に乗せる。テーブルの上には薄桃色の便箋と封筒、ほのかに湯気をくゆらせるコーヒーカップが置かれていた。

 

「おかあさんね、お手紙を書いてるの。大切な恩人にね」

「おんじん?」

「とてもお世話になったひとって意味。エナもこのひとに助けてもらったのよ? 今度また、お話ししようね」

「エナもー! エナもおてがみかくー!」

「あ、こら!」

 

 少女の腕がカップを弾き、テーブルから滑り落ちたカップはひとたまりもなく砕けた。母親の慌て声、娘が火傷していないか手をまさぐる、彼女の服の裾にコーヒーが滲んでいく。雑巾と箒、塵取りを持ってきた店員たちに向かい、母親の頭が何度も下がった。

 

「よかった、濡れたのは上着だけね。

 重ね重ねすみません、お手洗いを少しお借りしても?」

「いいですとも。化粧室の手洗い場ですと狭いでしょうから、スタッフ用の流しをお使いになりますか? ご案内しましょう」

「いえ、そこまでは……」

「店長、私がお連れします」

 

 渋る母親に、長い黒髪の女性店員がにこやかに先を促す。母親は店側の厚意に預かることよりも、娘をひとり残していくことの方が心配なようだった。

 彼女の不安を察したかのように、店長は柔和な微笑みと共に言う。

 

「大丈夫ですよ。娘さんはちゃんと見ていますから」

「…………そうですか。ではお言葉に甘えさせてもらいます。エナ、いい子にして待ってるのよ」

「わかってるよ~」

 

 唇を尖らせて自分を見上げる娘の頬を撫でて、母親は自分のコートと小さなカーディガンを抱えて店員に連れられていく。少女は一見ふてくされているように見えたが、厨房に消えていく母親を見つめる瞳がふるふると揺れていることに、店長はいち早く気づいていた。

 ふ、と笑みを漏らし、店長は少女の頭を優しく撫でた。

 

「お母さんが帰ってきたら、ちゃんとごめんなさいしようね」

「……おこっちゃわないかなあ」

「じゃあ、お嬢ちゃんが勇気を出せるように、おじさんがプレゼントをあげよう」

 

 丁寧にテーブルを拭き、汚れてしまった便箋と封筒を片付け、しょげる少女を子供用の椅子に座らせる。数分後、店長が持ってきたのは新しいコーヒーだった。

 曇った表情でカップが置かれるのを見ていた、少女の目の奥に銀砂が散る。椅子の上に立ち上がってカップを見下ろし、呆然と店長を見上げ、再びカップの中で起きた魔法に目が釘付けになる。ぴくりとも動かない。

 少女が声もなく感動しているのをわかっている上で、店長は少しだけ意地悪に問いかけた。

 

「飲んでくれないのかい?」

「こわれちゃうもん! かわいそうだよ!」

「ならよく見て、覚えていてくれるかな。ちゃんと忘れないように。

 そのあと残さず飲んでくれると、この子も、私もうれしい。できればぬるくなる前に、ね」

 

 言われて少女はこくりと頷き、律儀にカップを凝視する。それこそ食い入るように見つめ続けて数十秒、思い切ったようにカップを両手でつかみ、一息で半分も飲み干した。

 間。

 そして。

 

「おいし~~い! おじちゃん、これすっごくおいしいよ!」

「そうかい。それはよかった」

「でもちょっとあつい……」

「ははは」

 

 見る間にコーヒーを飲み干してしまった少女の口元を、店長はナプキンで優しく拭き取った。母親が返ってきたのはカップを下げたあとで、濡れてしまったので代わりにと渡された便箋と封筒に、再び頭を下げていた。

 会計を済ませようと立ち上がった母親を、少女が呼び止める。

 少女がいっぱいの勇気を胸に母親に向かうのを、篠原はカップ片手に眺めていた。

 

「微笑ましいねえ」

 

 彼らが再び出会うのは、数か月ののちである。

 

 

 

 

 20区の某駅周辺で、篠原はいつか什造に語ったことを思い出していた。

 

 ――――天使みたいなのが空から落っこちて、この世界で生きるとしたら……。

 

 じっと、微動だにしないエナの背中を見下ろす。9年ぶりの外の世界を前に立ち尽くす後ろ姿の、なんと小さなことか。

 今彼女の瞳には、雲衝くビル群が、縦横に流れていくひとと車の流れが、千々に散らばる看板や液晶の彩色が、どんな風に映っているのだろう。

 あまりにも動かないものだから、肩でも叩いてやろうと手を伸ばした時だった。半ば独り言のような呟きが、かすかに開いた口からこぼれた。

 

「私、アカデミーの施設が窮屈だと思ったことはないです。保護される前は母の隣が世界の全てで、そこに広いも狭いもありませんでした」

 

 伸ばした手が行き所を失い、下げることもできずに宙に置き去りになる。

 

「だけどここは……、うん。この世界は広いですね。本当に大きい……」

 

 呆然としているだけだった背中から、感情が静かに湧き立っていくのを見ているような気がした。その感情が何なのか、推し量るのは難しい。

 あえて言うならば、それは混じり気のない感動なのかもしれない。初めて歩いた瞬間のような、記憶の片隅にも残らない類の昂りを、この子は感じているのかもしれなかった。

 絞り出された声は、震えながらもよく通った。

 

「私、ここで生きたい。ここで生きてみたいです」

 

 空を見上げる頭をわしわしと撫でる。「いででででで」と呻きながら、エナは顔をしかめて篠原を振り仰いだ。

 

「こんなちんけな駅周りだけ見て、なに浸ってるんだ? しっかりしろよ、外出たくらいで固まられちゃあ、こちとら捜査にならんからな」

 

 ちょっと目を見開いてから、エナは面映ゆそうにはにかむ。それまでアタッシュケース片手に周囲をうろうろしていた什造が、どうでもよさげに間延びした声を上げた。

 

「そーですよー。これから“バロット”をぶっ殺なきゃいけないんですからー」

「什造、声。こーえっ」

「おやあ? あれは昨今人気のべあモンちゃんですかねえ? 遠く西の果てからご苦労さまです~。ご挨拶をせねば~」

「え、どれどれ!? ちょっと、待ってよジューゾーくん!」

 

 言うなり、什造は目を剥く脚力で信号機の上に飛び乗り、再度一蹴りで向かいの電柱に降り立つ。周囲の人間がぎょっと身を引く中、首を仰向かせて什造を追いかけるエナの顔には弾けるような笑みがあった。ふたりの笑顔に苦く笑いながら、篠原は子守りを押しつけられた男親の如くあとを追う。

 

 

 

 

 土地勘のない奴が思うまま走り回れば当然こうなる。

 

「本っ当に世界って広い……」

「たかが迷子ですよ~。そんな大げさな~」

 

 ガードレールの上でくるくる回る什造の足元でうずくまる。

 やってしまった。完全にシノハラのおじさんとはぐれた。

 そして現在地がわからない。スマホは携行の許可が出なかった。人がいない、公園とかお店とか、目印になりそうなものも見当たらない。ちなみにその特異な生活環境ゆえ、エナには家屋の住居表示板や電柱の街区表示板を確認するという発想もなかった。

 什造といえば呑気なもので、膝を抱えるエナを気にも留めずその辺の猫と戯れている。頭にきたというより心細さが先に立ち、エナは什造の肩を掴んでぐらぐら揺すった。

 

「ジューゾーくーん‼ 猫ちゃん可愛いのはわかるけど、おじさんや“バロット”探しが先でなくてー!?」

「わ、わ、わ」

 

 ぽってりした三毛猫はするりと什造の手をすり抜け、地面に降りると薄暗い路地の奥に消えてしまった。名残惜しそうにその行き先を目で追う様子に少し呆れ、もう一言釘を刺そうとしたエナを什造の声が遮った。

 

「別にいいでしょう。君だって真面目に“バロット”を探す気はないんじゃないですか?」

「言ったじゃん、本当のことが知りたいって。もちろん私は見つける気まんま、」

「このノート」

 

 カードを開くようにして、什造があのキャンパスノートをエナの眼前にかざした。え、と息を呑む。いつ取ったのか、ちゃんとカバンに入れていたはずなのに。

 

「どの地区にどの程度いたか、何月に何をしたか、ちっさい頃の話なのにすご~く詳しく書かれていますねえ。これ、どこまで本当です? せいぜい保護直後の事情聴取で話したくだりくらいなんじゃないですか?」

「何を根拠に……!」

「だってこれ、住んでたアパートとか行きつけのお店の名前とか、ほとんど書いてないですよ? どうしてそんなことより、いっぺん行ったきりの公園やおうちの情報の方が多いんですかね?」

 

 どこかでガラスが砕ける音がした。

 

「母親が喰種なら、お世話になったひとも喰種が多いでしょうねえ。君、彼らのことを僕たちに知られたくないんでしょう? “バロット”狩りのついでに、親しくしてくれてたひとたちまで殺されちゃあ悲しいですもんねえ?」

「…………それ、ジューゾーくんがひとりで考えたの?」

「同僚の受け売りです~」

 

 アキラか。

 什造に話しているということは、無論上司である篠原特等や亜門上等にも話しているだろう。自分は泳がされていた?

 頭を撫でてくれた重い手と、やさしい眼差しが脳裏をよぎる。

 でも、おじさんは――――。

 

「偽証罪にぃ~、喰種蔵匿・隠避罪~」

 

 アタッシュケースのスイッチが押下される。

 赤黒い煌めきと共に、喰種捜査官の『仕事道具』が禍々しい姿を形作っていく。

 

 

 

「殺されるには充分な罪状ですねえ~?」

 

 

 

 喰種特有の器官、赫包を原材料にして精製される、対喰種用生体兵器『クインケ』。

 見るも恐ろしい大鎌が、腰を抜かしてへたりこむエナの首を捕らえていた。

 

 

 

「考えてたんですよ~。一生懸命(いっしょーけんめー)探してるエナチャンがくちゃくちゃにされる音を聞けば、“バロット”は飛んで来るでしょうか?」

 

 逆光にあって見えないはずの顔立ちで、欠け月のような口元だけがくっきりと網膜に焼きつく。思考も恐怖も真っ白な闇に覆い尽くされる中、鎌の切っ先の冷たさが、エナが知覚できる唯一の刺激だった。

 

「試してみません?」

 

 どんがらがっしゃんと派手な音がして、頭上から大小様々ながらくたが降ってきた。布団にトタンに屋根瓦、その他諸々が視界を塞ぐほどの物量で土砂崩れのように降り注ぎ、エナはたまらず悲鳴をあげる。何かが降り立つ音、音の主はエナの手を取り、切迫した声で彼女に発破をかけた。

 

「早く! 急ぐんだ‼」

 

 男の人だった。一目でわかる長い足、美しい顔かたち。

 ほとんど引きずられるようにして、エナはその場をあとにする。路地を横切るまで後ろを振り返っていても、あの白い姿はもうもうと立ち込める砂ぼこりで見えなかった。

 右に左に沢山の小道を走り抜け、ようやく止まったのは優に20分は越した頃だった。相手としてはもっと遠くへ行きたかったのだろうが、エナの足取りがおぼつかなくなったのを察して立ち止まる。その場に四つん這いになって荒い呼吸を繰り返すエナの肩に、男の右手が添えられた。

 

「すまない。なるべく距離を取った方がいいと思ってね」

 

 立てるかい?と肩の手が眼前に差しのべられる。喉に絡む唾を何とか飲み下して、エナはその手を掴んだ。滑らかで冷たい手だった。

 

「捜査官に目をつけられるとは運が悪かったね。かわいそうに、怖かったろう」

「……っい、え。ありがと、ござい、ました」

「礼には及ばない。こういう時はお互い様さ」

 

 口ぶりからして、この人は喰種だろうか。淀みない逃げ方から察するに、地元のひとなのかもしれない。

 喰種に助けてもらえるとは夢にも思わなかったが、これは不幸中の幸いだ。この辺りに詳しい人ならば、もしかしたらあの店について何か訊き出せるかもしれない。感謝と淡い期待を込めて、エナは目の前のひとに笑いかけた。

 

 

 

「いえ、本当に助かりまぎぇぐ」

 

 

 

 腕?

 腕なのだろう。今脇腹に刺さっているものは。

 男は優雅に引き抜いた手に絡みつく血液をうっとりと眺め、滴る雫を舌の上で転がす。裂けるまなじり、荒れる吐息、真円に開かれた双眸が見る間に漆黒へと染まっていく。

 

 

 

「トレッ‼ ビアァアァアアアアァアアアアァアアン‼」

 

 

 

 血を吐き、ぐらりと揺れた体が横倒しに倒れる。気を失わなかったのは倒れた衝撃が傷口を抉ったからで、エナは痙攣しながら脇腹を抱えるように身を丸める。

 

 

「何なのだこの味は……ッッ‼ カネキくんとはまた違う……‼ 濃厚かつまろやか、繊細ながらも暴力的な甘味と苦味ッッ‼ くうっ、本当に人間なのか、この生き物は‼」

 

 

 言っている意味が分からない。ただただ怖い。呼吸をするたびに疼く痛みに歯を食いしばりながら、エナは霞む瞳を男に向ける。

 そして、今頃になってやっと、自分が什造といた場所より狭く暗い行き止まりに連れてこられたことに気づいた。きっと叫びも、血肉を啜られる音も届くまい。

 

(こういう状況を、何て言うんだっけ……)

 

 ああ――――。

 袋小路?

 




というわけで、第3話でした。
本筋の時間軸で初登場となる喰種が彼だとは私自身思いもよらなかったです。よかったね月山。
皆さんの脳内でCV.宮●真守が炸裂していたら幸いです。

前門のグルメ後門の死神、さあどうする波立見恵那‼
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