東京喰種:Dear   作:花良

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【第4話】

 小首をかしげて、什造はエナと謎の男が走り去った方向を見つめていた。お楽しみ中に横槍を入れられ消化不良なのか、不服そうに自身のクインケ、13’sジェイソンをぶんぶん回している。

 

「もうちょっとおびき出せると思ったんですが、持ち逃げされちゃいましたねえ」

 

 とんだ食いしんぼさんです――――。言いかけた什造の横っ面を投げ打たれた大鉈形のクインケが通過した。お、と口を開いた什造の後ろで、スーツ姿の喰種が黒々と染まった眼球をひっくり返して絶命する。後方を一顧だにせず、什造は得物の持ち主へひらひらと手を振った。

 

「篠原さーん! 遅かったですねえ。あの子連れてかれちゃいましたよ~」

「什造! エナから目を離すなとあれほど!」

「でもぉ、見て下さいよこの数!」

 

 ばっと両腕を広げた、什造の背後に数十の鬼火が蠢いていた。

 炯々と照る喰種の眼光が興奮により小刻みに痙攣している。仕事帰りや下校途中と思わしき身なりをしている者もいた。

 人のふりをしてまでも、彼らには手に入れたいもの、行きたい場所、守りたい誰かがあったのだろうに。それらをすべてかなぐり捨てて、彼らは皆一様にただひとつの欲求に支配されていた。

 

「逃げた」

「持っていかれち」

「捜査官」

「こっちもいーい匂い」

「喰って、追うぞ」

「肉」「肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉肉」

 

「ちょっと連れ回しただけで、こ~んなに寄ってきたんです! あの子、素質ありますですよ~。一班にひとり置いてたらちまっこい下調べも省けそうですね~」

「悠長なこと言ってないで臨戦態勢に入れ! それと私のクインケを!」

「はぁ~~~~~~~~~~~~~」

 

 飛び出してきた喰種数体を、振り向きざまの一閃で薙ぎ払う。

 深紅の軌跡を虚空に描き、什造は喰種たちの恐れを舌上で弄ぶような凄まじい笑みを浮かべた。

 倒れ伏した喰種を足蹴にする。無造作に引き抜いた篠原のクインケを、遠心力に振り回されながらぶん投げた。

 

「いっ!」

 

 投げ渡されたクインケ、『尾赫(びかく)』オニヤマダ壱を逆手に掴み、篠原は突貫してきた喰種の胴を抜いた。倒れる相手と吹き出す血潮の下を潜り抜け、ぱたぱた歩み寄ってきた什造と背中を併せる。うろたえ後ずさる喰種たちを睥睨する篠原の耳に届くのは、どこまでも能天気な部下の声だ。

 

「小物ばっかりですねー。“バロット”っぽいおばあちゃんもいないようですし、当てが外れましたー」

「だとしても脅威であることには変わらない。それを排除し、弱く罪のない人々に平穏をもたらさなければならないのが私たち(CCG)だ。忘れるな」

「あとでもっかい言ってくださ~い」

 

 踏み込む。殺気に気圧された獲物たちの、見るも無残な潰走が始まる。

 

 

 

 

 虫の息のエナを意に介さない、男の一人語りはなおも続いている。

 

「通りがかった時は愕然としたよ。よもやこんな香りがあるのかと! そう、例えるなら煮詰めた生き血を更に濃縮したような、存分に食欲をそそる芳香‼ なぜ捜査官に追われていたか知らないが、まあいい。辛気臭い病院帰りに君に出会えたのは望外の喜びだ」

 

 言い募る男の肩甲骨が不自然に盛り上がっていく。

 凝視するエナの眼前で皮膚を、衣服を突き破り顕在化したのは、紫に緋色の筋が疾る硬質な赫子――――甲赫(こうかく)だった。

 腕にまとわせたそれは渦を描きながら、徐々に巨大な剣へと形状を変える。この捕食器官がじきに自分に向けられる。目を背けたくなる事実と現実の光景を前に、エナは首一つ動かすことができなかった。

 

「あぁああぁあああ、たまらないよ……。弾ける君のはらわたは一体、どんなSaveur(風味)を醸し出すのかい? ……教え(味わわせ)てくれ、僕にいぃいいぃいいい‼」

 

 猟奇的ながらも紳士然とした風格を残していた口調が、札を返すように獣の蛮声へと変わる。跳躍、振り下ろされる活きた刃。恐怖に怖気づいて目を閉じる、エナの顔を不意に人影が覆った。

 痛まない体と衝突音にしては鈍い音に対する疑問が、エナの瞼を開かせる。

 

「……?」

 

 男とエナの間に立ちはだかっていたのは白髪の青年だった。歳はエナより上だろうが、さほど離れてはおるまい。彼の腰から伸びる4本の赤黒い赫子――――鱗赫(りんかく)が、男の甲赫を絡めとるように巻きついている。

 

 

 

「…………何をしているんですか、月山さん」

 

 

 

 男を呼びながらも、青年の双眸はエナへと向けられている。

 白い髪の合間から覗いているのは、愁いを帯びた黒い瞳と、紅玉のような冷たい瞳だった。

 不思議と吸い寄せられる一対の目を、馬鹿みたいに見つめる。伏し目がちに視線をそらしたのは相手の方だった。振り返り際に彼の赫子は消失し、男――――月山も戦意はないらしく、矛を収めるように体内に赫子をしまう。

 次いで荒々しい足音と共に駆け込んできたのは、筋骨隆々の男と中学生くらいの女の子だった。男は驚愕の面持ちでごくりと喉を鳴らし、女の子は困惑の眼差しをエナに向けつつ男の陰に隠れている。

 

「おやおや、バンジョイくんたちもこのかぐわしさに誘われてきたのかい? 全く、罪作りなRosa(薔薇)だな、君は」

「急にハイになったお前のケツを追ってきたんだバカ美食家(グルメ)。……まあ気持ちもわからんではねぇが。こんなに濃い匂いがする人間がいるもんなんだな」

 

 言いながらバンジョイもとい万丈(バンジョー)は鼻をつまむ。抑えているつもりなのだろうが、忙しなくエナから流れる鮮血を見やる両目には、じわりと赫眼が発現しつつあった。

 青年は膝をつき、傷に響かないようエナをゆっくり抱き起こす。患部を確認したあと、自らの服を裂いて傷口に宛がい始めた。

 

「ごめん。包帯代わりになりそうなものが他になくて。これで我慢して」

「……う」

「お兄ちゃん、その人何かおかしい……。何だか、私たちのために作られた料理みたい……」

 

 怖がっているのだろう。エナの動向を伺う雛実はか細い声を絞り出す。

 金木は黙考していた。確かに、理性を嬲るようなこの圧倒的な香りは危険だ。気を確かに持たなければ今にも首筋にかじりついてしまいそうになる。

 だからこそ警戒してしまう。道のど真ん中に鯛の姿造りが置かれているようなものだ。金木にはエナが、あからさまな生餌に見えて仕方がない。だとしたら、こんな豪勢な餌を吊るした相手は? あの男(嘉納)を連想するのは果たして早計か?

 悶々と物思いにふける金木の腕の中から、かすれた呟きが聞こえた。

 

「…………私が、人肉を食べているからかもしれません」

 

 布きれを巻いていた手が止まる。

 静まり返る空間においても、エナの声は弱々しく聞き取りづらかった。

 

「母は喰種ですが、私は人間です。そうと知らないまま、私は母に7年育てられました。人だとわかった今も普通食に馴染めず、定期的に人肉を口にしています」

「……Non posso crederci(信じられない).」

「喰種の母が人を育てるような事態がなぜ起こったか、それが知りたくて、私はある喰種を探しているんです。……『あんていく』というお店をご存知ですか」

 

 万丈と雛実が息を呑んだ。

 

「その喰種は、母と私が行った場所を時系列順に巡っているようで、最後に目撃があった場所の次に訪れる可能性があるのがそこなんです。もしご存じなら、場所を教えてくださいませんか」

「…………ヒナちゃん、白鳩(ハト)(喰種捜査官の暗喩)は今どこにいる?」

 

 エナの体がかすかに跳ねる。呼ばれた雛実の目が黒く染まり、ここではないどこかを視ているかのような遠い目つきで宙を見つめる。痛みをこらえるように顔をしかめた。

 

「ここから西に6キロ先でふたり、十数の喰種と交戦しています。ここや、あんていくに近づく素振りはありません」

「とはいえ、その子をあの店に連れていくのは得策じゃないと思うがね。存在そのものが不可解なうえ、こんな子が来れば来店中の喰種が我を忘れて彼女を襲い出すだろう。そこを白鳩に嗅ぎ付けられたら完全に詰みだ」

「説得力の権化みたいな奴が言うとモノが違うな」

 

 万丈の皮肉を華麗に聞き流して、月山はただ主の指示を待っている。金木は品定めに等しい目つきでエナを覗きこみ、感情が読み取れない顔つきにエナはただ身をすくませるしかない。今の彼女は牙の内の小魚に等しかった。

 エナの肩を掴んでいた手が離れ、ポケットの中を探る。あちゃ、という表情をして、金木は万丈に電話を頼んだ。しどろもどろにスマホをいじくる万丈に、月山がぞんざいな態度で操作の仕方を教えている。

 

「店長、お忙しいところすみません。今、あんていくに用があるという人間の女の子を拾ってて。少し訳ありです。……君、名前は」

「……ハタミ、エナ」

 

 金木はそれから二言三言言葉を交わしていたが、意外と早く通話を終えてスマホを万丈に返した。身を強張らせるエナの体を背中に回し、そこまで大きくない体に似つかわしくない力強さで彼女を背負い、立ちあがる。

 

「連れていきましょう。手負いにさせてしまったこちらにも非がある」

「お、おいおいカネキ! いいのかそんなヤバそうな奴……」

「店長がぜひ話をしたいって。なるべく人通りが少ない道を使おう。雛実ちゃん、頼んだよ」

「……うん」

 

 誰も納得していないようだが、金木の言葉に皆が首肯する。一連の流れから何となく、このグループの首領は彼らしいことがわかった。

 イレギュラーが立て続けに起こったが、什造たちを伴わずにゆかりの場所へ行けるのはまたとない吉兆だ。……これで、喰種の知り合いを危険に晒さずに済む。おじさんやジューゾーに知られずに済む。

 まるで蝙蝠みたいだ。イソップ物語だったろうか。獣にも鳥にもいい顔をしようとする卑怯者。

 

「ああ、それと……」

 

 暗い物思いに沈むエナへと顔を向け、ついでのように金木が言う。

 

 

 

「変なマネすれば殺すから、そこのところよろしく」

 

 

 

 びくりと震えた。怯えるエナの股下には、あの触手のような赫子を内包する金木の腰があるのだった。

 

 

 

 

 この時間帯に、人にも喰種にも出くわさず目的地へたどり着くのはかなりの難事だったろうに、先導する雛実の足取りは一度も止まることはなく、ましてや人影を見かけることもなかった。喰種の五感は人を遥かにしのぐが、それでもこの正確さには嘆息も出ない。

 もしや東京湾に連行されているのではないかと危惧し始めた頃、見覚えのある外観の喫茶店が遠目に見えてきた。鼻孔をつく、懐かしいコーヒーの香り。

 

「裏から入るように言われてる。行こう」

 

 皆にそう促した金木の足が、つと止まる。雛実たちと談笑している時でもどこか冷えているかのように感じた横顔が、切なげに歪んだ。

 つりこまれるように視線の先を追う。

 喫茶店の窓から、接客中の女性店員が見えた。

 きれいな女の子だった。笑顔が素敵だなとも思った。顔の右側を前髪で隠しているのがクールに見える分、その笑みがなおのこと魅力的に見える。

 だと思ったのに、その微笑みが営業用だとすぐ気づかされた。女の子が空になった皿を下げている途中、近づいてきた眼鏡の男性店員が何か耳打ちする。すると彼女は、肩を怒らせ目を吊り上げ、ものすごい剣幕で何事かまくし立てていた。不思議とそれが彼女のイメージにすとんと合う。きっとあれが素なんだろう。

 ふ、と息が抜ける音を聞く。

 金木の笑い声だった。会ってから見た彼の顔で、この微笑みが一番柔らかく見える。

 でも、その面差しは何だかとても――――、

 

「物欲しそうな顔」

 

 言ったあと、しまったと口を覆う。相手が喰種だとか命を握られているとか以前に、あまりにデリカシーがない。恐る恐る表情を伺うと、驚いたことに金木はちょっと笑っていた。

 今にも泣きそうな、やさしい笑顔だった。

 この人はとても傷ついているんだろうなと、そう思った。

 店の裏口前で、そっと下ろされる。少しふらついたが、万丈が支えてくれた。彼らは店内に入る気はないらしく、ここでお別れのようだった。

 

「送っていただいてありがとうございました。カネキさん、ヒナミちゃん、エンジョイさん」

「ううん。気にしないで」

「ど、どういたしまして」

「エンジョイ」

「ヘイMiss、僕には礼のひとつもなしかい?」

「むしろ何のお礼を言われると思ってたんです?」

 

 軽口を叩きながら、金木たちは店から立ち去っていく。遠ざかる後ろ姿に何か不吉なものを感じて、思わず「あの!」と叫んだ。

 金木が振り返る。

 頭をフルに動かして、がむしゃらに伝えるべき言葉を探した。

 

「き、気をつけて!」

「……君も」

 

 淡く笑んで、金木は踵を返す。もう振り返らなかった。

 ぼうっと、彼らの姿が見えなくなるまで立ちすくんでいた。夕べの風の冷たさで我に返ったエナは、頬をべしべし叩いて気を落ち着かせる。

 本当のことを言えば、ひとりは怖かった。襲いかかってきた時の月山の顔。このドアの向こうにいるひとたちも、そんな顔で自分に喰らいついてきはしないか。

 それでも――――。

 

 ――――エナ。

 

 それでも私は、本当のことが知りたい。

 ギッと目を見開く。

 ノックをした。いらっしゃいと、低く穏やかな声がする。エナは腹を据えて、勢いよくドアノブをひねった。




ちなみに今後カネキたちが作中に出てくる可能性は低いです。ごめんね主人公。
というわけで、第4話でした。ルビ多くてしんどかった。
この回で消化しようと思っていたあんていくの話が次回に持ち越しになったのがちょっと残念。

今後はプライベートの都合上、先3話よりも投稿スピードが遅めになります。土日更新を目標に話を進めていけたらと思っていますので、ゆる~く見守っていてください。

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